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歴史を学び歴史から学ぶ 

ローマ教皇のメッセージと3年前のオバマアメリカ大統領(当時)のメッセージを学生と読んでみました。
オバマさんも
「71年前の朝、死が空から降り、世界が変わった。閃光と炎の壁が都市を破壊し、人類が自らを破滅させる手段を手にしたことを示した」
「世界のどの大陸でも文明の歴史は戦争にあふれており、罪なき人たちが犠牲になり」
「国家は時として、自分たちと異なる人々を抑圧し、その人間性を奪ってきた」
「科学技術の進歩は、人間社会に同等の進歩が伴わなければ、人類を破滅させる可能性がある」
「核保有国は、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」
「私たちは外交を通じて紛争を防ぎ、紛争を終わらせる努力をしなければならない」
「普通の人は戦争を望まず、科学の目的は生活を向上させることであってほしいと思っている」
などと語りました。
4年前にアメリカ・スタンフォード大学の

    スコット・セーガン教授

がおこなった世論調査の結果も話題にしました。それによると、

「広島、長崎に原爆投下すべきだった」という人は 28%
「日本に威力を示すため人の住んでいない地域にまず原爆を落とすべきだった」と考える人は 32%
「原爆を使用すべきではなかった」と答えた人は 15% 
「日本が降伏する前にもっと多くの原爆を急いで使用すべきだった」は     3%

でした。
これらもろもろからいろんなことが考えられます。単に原爆を使ったアメリカが悪いという問題ではないでしょう。
学生は、普段にもまして

    饒舌に

意見を言ってくれました。中には「核を持つのは仕方がない、使わなければいいと思う」という人もいました。
またこんなことを言う学生もいました。

権力者が悪いとだけ言っていては何も始まらない。私たちも「頼まれたから」「親がそういうから」「知っている人だから」「見た目がかっこいいから」などという安易な考えで投票して、あとになって文句を言ってもだめだ

この授業は歴史の授業です。歴史というと古い時代の話を懐古的にするもの、と思っている人がいるのですが、そうではありません。
ある学生は「歴史を学ぶことの意味が解らなかった。でも今日、なぜこんなことになったのかを考えることの重要性を思い知った」と言っていました。
ごまめの歯ぎしりと言われても、私はやはりこういう話をし続けて行こうと思います。

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ローマ教皇(2) 

教皇は11月24日に長崎でメッセージを出しました(以下、メッセージの文章はNHKの翻訳によります)。
「この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます」
人の心にあるもっとも深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良のこたえではありません」
「国際的な平和と安定は、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです」
「核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない」
どれ一つをとっても反論することはありません。

また広島でのメッセージはこんなものでした。
「ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました」
「貧しい人々はいつの時代も、憎しみと対立の無防備な犠牲者だからです」
「人類の共生を脅かす受け入れがたい不平等と不正義、わたしたちの共通の家を世話する能力の著しい欠如、また、あたかもそれで未来の平和が保障されるかのように行われる、継続的あるいは突発的な武力行使などに対する声です」
「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません」
「原爆と核実験とあらゆる紛争のすべての犠牲者の名によって、声を合わせて叫びましょう。戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない! と」
「私は、君とともに平和を唱えます」

ローマ教皇(1) 

先日、ローマ教皇があわただしく来日しました。
主に長崎、広島で祈ることが第一の目的だったのでしょうか。
私はテレビを観ないので、詳しいことは分かりません。ただ、どんなメッセージを出されたのかには興味があったので、それがわかるニュースをネットで観ました。
映像も少しは観たのですが、それは長崎で教皇がひたすら

    祈る

姿でした。
祈るという日本語は「い(神聖なもの)」「宣る」ということで、辞書には「みだりに口にすべきでない言葉を口に出す意」(岩波古語辞典)とありました。
あの教皇の姿は祈ることを習慣に持たない私にとっては新鮮で忘れがたいものです。
そういえば、日本の天皇も「祈る」のが仕事。
あわただしい現代人には忘れがちなことだと感じます。
ローマ教皇は元祖が

    聖ペテロ

とされます。その元祖の墓のあるところに建てられたのが聖ペテロ(サン・ピエトロ)大聖堂。バチカンの中心ですね。歴史を遡ると、いろんなことがあったでしょうが、今はとても愛され、慕われる存在のようです。こういうところも日本の天皇に似ているかもしれません。
さて、その教皇は何を言ったのでしょうか。

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秋はあったのか 

もうすぐ12月。
いよいよ冬の到来です。
紅葉が遅くて、まだじゅうぶん見頃ではありますが、葉は次々と散っています。
ふと振り返ると、

    秋が短かった

ように思います。
夏と冬が幅を利かせて、どうもあとのふたつの影が薄くなっているのではないかと思えてなりません。
じわじわと季節が動くのではなく、ころっと夏から冬に入る感じ。
彼岸花が彼岸に咲かなかったり、紅葉が遅れたり、やはり明らかな

    気候変動

があるようです。
あいも変わらず武器を作っては戦を仕掛ける愚かな人間たち。神様というのが、もしほんとうにいるなら、呆れかえって物も言えないでしょう。
資源の無駄遣い、とローマ教皇が言っていたとおりです。
映画『ベン・ハー』の一場面。ジュダが奴隷として護送される途中、水を求めて苦しむところにある人物が水を差し出しました。護送の兵士が咎めようとすると、その男が立ちはだかり、兵士は男の眼差しに射すくめられたかのように黙ってしまいます。この男、もちろん、イエスと思われる人物です。
武器は人の魂より弱い。弱い人間がまたその弱い武器を作る。
いったい、どうしたものでしょうか。

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となり町の図書館 

私の住む町の隣は西宮市です。
兵庫県では、神戸、姫路に次いで人口の多い町。姫路は播磨で遠くて縁が薄いので、実感としては神戸に次ぐ都会です。大きなホールも野球場も、おまけに

    酒蔵

まである町で、なかなかたいしたものです。
電車の定期券を持っているため、途中にある西宮北口駅で降りることができます。
ここには西宮市立図書館のひとつである

    北口図書館

があって、勉強スペースもあることから、(おそらく近所の)子どもたちがよく通っています。
ビルのワンフロアを占めて、さすがにゆったりとしています。これが中央図書館ではないのですから、さすがだと思います。
私も何度も使わせてもらっていますが、職員さんの数が私の町とは違います。
図書館には、リタイアされた方なのか、年配の男性が入りびたっていたりしますが、ここも例外ではありません。この時期だと、ホカホカしたところで本をながめる楽しみを満喫なさっています。
駅を降りてすぐなので、とても便利。
定期券を持っている間は折に触れてお世話になるつもりです。

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また嫌がらせ? 

私はかなりひねくれた人間ですから、人から嫌われるのは仕方がないのです。
それだけに、嫌がらせを受けることもあります。
以前、私が論文の盗用をしているという電話が仕事場に何度もかかってきたことがあるようです。そのために私は疑いの目で見られ、調査までされ、事実無根という結論を出してもらったものの、嫌な思いをしました。連絡先を教えてくれと事務職員が言ったら、デタラメな電話番号を答えるなど、きわめて怪しい人物です。
名誉毀損であり、威力業務妨害にあたるかもしれず、こちらが訴えたいくらいでした。しかし、そんな世迷い言にかかずらわってはいられず、これも嫌われ者の宿命かと思って放置することにしました。
もう二度とあんなことはしないように本人には伝えたいのですが、そのすべもなく、このブログを見ている可能性もあるので、私はあなたを許すからもうやめなさい、という記事を書いたこともありました。
しかし、またこの人物がちょっかいを出してきたらしく、不愉快な思いを抱いています。こうなるとストーカー的な嫌がらせで、犯罪性が高まります。
ところが、この人物は、私のことを某私立大学の卒業生だと思っているらしく、ひょっとしたら人違いをしているのではないかという疑いが出てきました。
これまでは、私の知っている、ある人物の仕業ではないかと思っていたので、ひょっとしたら私も勘違いをしているかもしれません。
この男にひとつ感謝しているのは、私が嫌われ者だということを教えてくれたことです。それ以外は話になりません。
もしこのブログを見ていたら、本名を名乗り、顔を出しなさい。
犯罪になったら君の人生こそ破滅するのだから。

2019文楽11月公演千秋楽 

四月とともにいい季節の文楽。
今日が千秋楽です。この季節にぴったりの「網島」などが上演されて、よかったのではないでしょうか。
先日、四月公演の演目が出ました。


    義経千本桜

の通しだそうで、たいへんけっこうなことだと思います。
今年、文楽劇場35周年を謳うなら、4月に「千本」、11月に「忠臣蔵」の通しをすればよかったのにな、と思いましたが、変な形になって

    残念

でした。
実際は、なかなか入りはよかったようですが、それだけが大事なのではありません。
さて、このあと、東京で12月公演があって、いよいよ初春は

    竹本錣太夫

の登場。
円熟の語りを期待しています。

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覚えられない名前 


日本ではキラキラネームはあたりまえで、学生の名前もかなりキラキラしています。
それだけに、皇室の女性が全員「子」がつくのに首をかしげる人も少なくありません。「あれは法律で決まっているのですか?」と訊かれることもあります。一番若い愛子内親王までつきますからね。
イギリス王室なんてもっと没個性で、男性の名前を挙げると、チャールズ、アンドルー、エドワード、ウィリアム、ヘンリー、ジョージ、ルイ、と、まったくかわりばえのしない(失礼!)名前です。
あちらでは、

    あやかり

で名前をつけるので、エリザベス2世なんて実は「エリザベス・アレクサンドラ・メアリー・ウィンザー」というのだそうです。どれか1つにしたら?と思うくらいです。
こういう名前とキラキラとではどちらが覚えやすいかというと、私ならキラキラに軍配を上げます。イギリスの王の名前なんてエドワード8世とかジョージ5世とか、かえってわかりにくいです。
イギリス史に多少の興味があって、王の名前もしばしば目にするのですがさっぱり覚えられません。
唯一、

    ヘンリー8世

だけはいつの間にか覚えたのですが、これは、彼のいかにも傲慢そうな面差しが忘れ難いのと、王妃になったアン・ブーリンという女性に関心があったからです。
でも、ウィリアム征服王が登場する前のイギリスの王は、殉教王、剛勇王、懺悔王などユニークな呼称がつくことがあり、これはこれで覚えやすいかもしれません。

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2019幼稚園文楽人形劇(4) 

劇が終わると、みんな一緒に手遊び歌の

    おべんとうばこのうた 

を大合唱。
こうして無事に公演は千秋楽となりました。
ごんべえさんは、野菜を作ろうとしたものの、足りないものがありました。
1つは土を知り、工夫を凝らすことでした。そこで、土のことならプロのモグラのモグリンが助けてくれました。でも、それだけでは野菜はできません。お花さんや子どもたちの応援も得て、一生懸命汗をかいて働きました。
すると、月がその姿を見てキュウリをみるみるうちに大きくしてくれたのです。

    工夫、努力、手助け、神の意思

いろんなものが人の暮らしを支えています。それが少しでも伝われば、と思って作ったお話です。
みんな、面白かった?

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2019幼稚園文楽人形劇(3) 

モグリンから、きゅうりの育て方を教わり、魔法の鍬までもらったごんべえさんは地上に戻ると、早速魔法の鍬で畑を耕し、タネを蒔き直し、水をやります。
この、鍬を振るうところで、
子どもたちに

    よいしょ!

と声をかけてもらうのが眼目です。
あとでうかがうと、大きな声を出してくれたようです。
一生懸命働いたごんべえさんが床に入ると、月が出て、

    あれあれ、不思議!

キュウリが芽を出してあっという間に実がなりました。
朝になってごんべえさんとお花さんがキュウリを収穫して、そのうちの1つをモグリンの穴の中に入れました。
ごんべえさんとモグリンはこうしてお友だちになったのでした。

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2019幼稚園文楽人形劇(2) 

園児の数はわずか25人。ほんとうに少なくなりました。
そこで、園長先生の発案で、すぐ隣にある小学校の一年生もお招きして何とか客席が埋まりました。
地元の方も含めると70人くらいにはなったかもしれません。
さて、休憩なしで本番です。
みなさん、ドキドキかもしれませんが、私もハラハラでした。
解説はまず順調です。
いよいよ芝居に入ります。

    ごんべえさんのおむすびころりん

の始まり!
ごんべえさんがキュウリを作ろうとタネを蒔いたのですが、まったく芽が出ません。悩んでいるところに隣のお花さんが来て、おむすびをくれました。ところが、うっかり手を滑らせて、穴の中に

    ころりん

と落ちてしまいました。
穴をのぞいていたごんべえさんはその中に吸い込まれ、お花さんも後を追って行きました。
穴の中にいたのはモグラのモグリンでした。

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紅葉も遅い? 

ずいぶん昔のことですが、11月に1週間、研究会で京都に通ったことがあります。
しかし、そんなに人が多いと思ったことはありませんでした。
その研究会はやがて中止になって、以後はこの時期に京都に行くことは減りました。
思えば、あのとき、もっと紅葉見物をしておけばよかったのかな、と思います。
今年は、

    彼岸

の頃になかなかヒガンバナが咲かなかったのですが、紅葉はどうなのでしょうか。
あまり敏感に季節を感じる能力を持ち合わせていないので、詳しいことはわかりませんが、何だか遅いような気がします。

    気候変動

の異常は何年も言われていることなのに、人間の欲望はとどまることを知らず、なかなか好転の兆しは見えません。
樹々が紅葉するタイミングを忘れてしまうような日が来ないことを願います。

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2019幼稚園文楽人形劇(1) 

11月14日、文楽人形劇の第9回の公演をしてきました。
朝9時頃奈良に着き、早速最後の稽古。みなさん、緊張とやる気で武者震いでもしそうなご様子でした。
前半は

    昔の人の暮らし

のお話から。
例えば、ハタキを出して「これは何でしょう?」とクイズ形式で進めました。
また、子どもたちはどんなことをして遊んだのかも紹介しました。
竹とんぼ、手車(ヨーヨー)、けん玉などについて、昔の絵や写真を見てもらいました。
そしてそのあとのお芝居に出てくる、今は身の回りであまり見かけない道具、鍬や

    桶と柄杓

を見せて、芝居の理解を早める下ごしらえをしておきました。
そしてゲネプロ。私からは最後に小さな点をいくつかお願いしました。
すると子どもたちが入ってきました。

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奈良への旅(3) 

正倉院展のあと、実は京都国立博物館に回ろうと思っていたのです。しかし、朝早くから働いていましたので、さすがにくたびれ、それはあきらめました。
その代わりというわけではないのですが、帰り道に

    興福寺中金堂

を観てきました。昨年完成したもので、とても立派な建物です。平日の夕方でしたのでさほど人は多くなく、外国からの観光客がむしろ目立っていました。もう少し、例えば猿沢の池のほうに回りたいとも思ったのですが、無理はしないでおこうというわけで、あっさり帰ることにしました。
このあと、奈良への旅はもう一度、この日は荷物を持って帰らねばなりませんので、車を借りて行ってきました。
私は高速道路を使いませんので、近畿自動車道の横を走って門真まで。そこから四条畷方面に行き、さらには大東市などを経て生駒越えをします。
このあたりは

    白バイや覆面パト

がしょっちゅう出没しますので要注意。事実、帰り道にはゆっくり走っていたら脇道から白バイが現れ、曽於の後また脇道に入り、またしばらく行ったところの脇道に姿を見せていました。
奈良は比較的ガソリンが安いのです。以前、リッター10円近く安いこともありましたが、この日は2円くらい安かっただけでした。
今年の秋の奈良行きはこうして無事に終わりました。

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奈良への旅(2) 

せっかく奈良まで電車で行くので、正倉院展に行っておこうと思いました。今年は11月14日までだそうで、私は7日に行ってきました。
近鉄富雄駅から西大寺を経て近鉄奈良まで。
駅からは10分あまり歩きます。興福寺の横を通って、とにかく一目散に奈良国立博物館に行きました。
正倉院展はいつも大変混雑しますが、時間帯がよかったのでしょうか、ほとんど待つことはありませんでした。ただし、中はさすがに大勢の人です。
楽器が大好きな私が一番観たかったのは

     「金銀平文琴」

でした。「きんぎんひょうもんきん」と読むそうです。琴(きん)は奈良時代に唐から入ってきた楽器だそうですが、平安時代の半ばになるともう弾く人がいなくなったようです。難しい楽器らしいのです。
『源氏物語』では光源氏がこの楽器の名人ということになっています。
正倉院展では、これまでにも

    螺鈿紫檀五絃琵琶

を観たことがあります。あの感激は今も忘れられません。
この琵琶は、今年、東京の国立博物館で展示されているそうで、うらやましいです。東京のほうが立派じゃない?
さて、正倉院展ではほかにも「鳥毛立女屏風」だとか「紫檀金鈿柄香炉」だとか、多くの名品が出ていました。
行ってよかったと思っています。

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奈良への旅(1) 

幼稚園に行くため、奈良に毎週通いました。今年は電車も使いながらの旅です。私は奈良に電車で行く場合、梅田に出て鶴橋から近鉄に乗ることにしています。このたびもそのつもりでした。ところが、阪急電車に乗っていて携帯で路線情報を見たら、

    淡路まで行け

というのです。そしてJR淡路駅から河内永和阿まで行き、さらに河内永和で近鉄に乗れ、というのがその情報でした。
どうして淡路? JR淡路って、そんな駅あった? なんだか狐に化かされているような気になりながら、まあ一度化かされてみようかと思って行ったら、「おおさか東線」というのがあるのですね。知りませんでした。たしかに、新しい「JR淡路駅」がありました。あとは言われるままに乗り継いでいくと、野江とか放出とか名前だけ知っている地名を称する駅もありました。妙に感動してしまいました。放出(はなてん)というと関西の人は中古車センターを思い出すのですが、この会社は、今はビッグモーターという会社の子会社になってしまったそうです。
河内永和なんて、まったく知りませんでしたが、駅を降りるとすぐに近鉄の同じ名の駅がありました。そこから各停と準急を乗り継いでいきます。準急を待つ駅として「東花園」がありました。降りてみると

    「花園ラグビー場前」

とありました。へぇ、とまたまた感激。一度行ってみたいところです。
私の目的駅は「富雄」でした。富雄川の流れるところで、ここからはバスがあって、目的の幼稚園まで行けます。しかし、旧知のK.T.さんという方が「迎えに行きます」と言ってくださり、お言葉に甘えてしまいました。
私は淡路までは定期券を持っていますので運賃不要。あとは580円で行けました。梅田まで行っていたら750円ですので、往復で340円浮きました。これが何よりうれしいです(笑)。

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怒ると怖い? 

私は、よほど非道なことをされないかぎり、怒るということをしません。無駄にエネルギーを使うだけ、くらいに思っているからです。
学生の態度がちょっと悪いくらいでも、怒らずに話すということを基本にしています。最近流行の言葉を使うと

    寄り添う

ということなのかもしれませんが、そんなに気の利いた、しゃれたことではありません。怒ることで相手を警戒させるとかえってこちらの言いたいことを言う効果が薄れるように感じるのです。
あるとき、学生から「でも、先生は怒ると怖そうですね」と言われました。
そう??
いつぞや、授業中にあっち向きこっち向きしている学生がいて目に余るので、いささかきつめに「きちんとしなさい」と注意をしたことがあります。それでもだらだらしているので「前を向きなさい」と言ったのですが、その時の声は大声ではなくお腹から低く出すような声でしたので、ひょっとしたら「どす」が利いていたかもしれません(笑)。学生がひょいと前を向いて「いけね!」という様子を見せていました。その後その学生とは逆によく話すようになり、離れたところからお互いを認めた時には、向こうから走り寄ってくるようになりました。
もちろん私は根に持つことはありませんので、普通にしゃべっています。一度この学生に

    「あの時の声、怖かった?」

と聞いてみたい誘惑に駆られています。
最近の教員はセクハラやパワハラと思われるのが怖くてあまり怒らないようになったり、逆に怒るときに「キレ」てしまうことがあったりして、うまく自分をコントロールしにくい時代になっているかもしれません。
私もどうすればいいのかな、と今なお迷う日々です。

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花見がどうだとか 

忙しくて、世の中の動きに疎いです。
新聞を見たら、花見がどうしたこうした、という記事がありました。今ごろ花見ってどういうこと?とびっくりしました。
政治家が、税金を使って自分の支持者だの取り巻きだのにいい思いをさせて、「どうだね、私の力は」とふんぞりかえってみせる・・なんだか時代遅れの滑稽なことをまだやってるんだな、とあきれてしまいます。
ああいうことをしておもしろいのかな、いや、きっと

    おもしろいんだろうな

と不思議な気持ちになるばかりです。
要するに、天皇の

    園遊会

の真似をして、僕って、天皇みたい、と悦に入っているだけではないですか。
民主党政権時代も、連立政権時代も同じようなことをしていたのでしょう。ただ、今の総理大臣はどう考えても賢い人ではありませんし、人格的にも首を傾げるところが多いですから、さらにタチが悪いのではないかと想像します。
もう、こんなことはおやめなさい。

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ポイントカード 


最近はスーパーでもディスカウントストアでもドラッグストアでもいろいろなところでポイントカードというのを発行しています。ポイントがたまるとそれを利用して割引がある、ということでいいのでしょうか?
「いいのでしょうか?」というのにはわけがあって、私はそういうのを一切利用していないのです。何しろカードを作ると沖に面倒ですし、それを使うタイミングが理解できていません。それだけでなく、いろんなクーポンがあるみたいで、先日スーパーでレジに並んでいたら前にいる人がこぞって何かの

    クーポン

を出すのです。なるほどなぁ、みんなそうやって節約しているんだな、と感心しました。私のように普通にお金を払っている者だけが損をしているのかな。
私が何らかの割引を使ったというと、ガソリンくらいでしょうか。といっても今はキャッシュレスで割引があるみたいですが、私の場合はアナログ人間なのでキャッシュで払う際の割引です。プリカで、割引券でという形でリッター5円から7円くらいの割引をゲットしていました。
店に行くとよく

    「カードお作り

しましょうか」と言われます(たぶん、そう言っているのだと思います)。しかし私はつい「いえ、いいです」と言って逃げてしまいます。何しろ使い方がわからないので持っていても出さないからです。
もったいないことしているなぁ。

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年賀状、どうする 

今日は1が4つ並ぶ日です。
「いい、いい」というくらいですから、何かいいことはないものでしょうか。
学生はこの日を

    ポッキーの日

と言います。今日は授業でネタにしようかと思います。
グリコさん、今日はやはり売れ行きはいいのでしょうか。考えた人はなかなかのものですね。
この時期になると、そろそろ一年をいかにおさめるか、という感じになってきます。
昨日散歩していたら、近くの小さな店(何を売ってるんだろう?)に

    年賀状

という幟が立っていました。
さて今年はどうしたものか、と思います。
もう、かなり前から年々減らしてきて、今は数十枚しか出しません。
ずいぶん前ですが、ある先生は年賀状を(その先生宛に)出すのを冬休みの宿題にしていました。若い女の子から年賀状が欲しいだけじゃないの、と陰口をたたいたものです(笑)。
今は、学生とのやりとりはありません。友人とのやりとりも減ってきました。
ちょっとばかり寂しいです。

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18日連続 

仕事に追われています。休めない日々で、あのナルちゃん天皇の即位礼の休日以後、幼稚園に行ったのも含めると

    18連勤

でした。それが昨日までで、今日は休みます。
やはり無理はするものではありません。一昨日の授業はさすがにくたびれて、ボーッとしたまましゃべっていた、というか、いまどきの言葉でいうと

    パニクって

いたような感じでした。
何しろ、授業が終わるや、少し横になったら30分ほど寝てしまったくらいです。
一度、8時間くらいぐっすり寝たいです。でも、また5時頃に起きるかな。



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正倉院展2019 

先日、幼稚園の帰りに、奈良市の中心部まで行ってきました。目当ては正倉院展でした。
近鉄奈良駅から徒歩10分あまり。興福寺を右に見てとにかく一直線に行きました。
長蛇の列を覚悟していましたが、ほとんど待たずに入れました。
しかし中はさすがに混雑しています。
楽器好きの私が一番観たかったのは

    金銀平文琴

で、これを観られただけでも満足です。琴(きん)は源氏物語の主人公の光源氏の得意な楽器です。ただ、演奏が難しかったらしく、平安時代半ばにはあまり演奏されなくなったようです。

    鳥毛立女屏風

もありました。シャレみたいですが、鳥肌が立ちます。
帰りには再建された興福寺の中金堂に初めて行きました。
この足で京都国立博物館へ、と思ったのですが、時間と体力がなくなったので諦めました。

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奈良の幼稚園2019(3) 

稽古の回数が少なくて、なかなかうまくはいきません。
なにしろ、文楽人形なんて触ったこともない人が芝居をするのですから。
それでも、昨日も行ってきました。昨日も同じように阪急淡路まで行って、そのあとJRで淡路から河内永和、近鉄で河内永和から富雄。慣れました(笑)。
またまた友人のK.T.さんが駅まで来てくださったので

    同伴出勤(笑)

しました。
園長先生は「交通費かかるでしょう、お金足りませんね」とおっしゃってくださいましたので「はい、足りません(笑)」とお答えしておきました。
実際は、車で行くと、50km近くですから、ガソリン代がかなりかかります。リッター15km走ったとしたらざっと500円。電車と

    ほとんどかわらない

のです。高速を使おうものなら1000円くらい余分にかかります。
稽古は、若いお母さんたちが熱心でしかもすぐに覚えてくださるので、グンとよくなりました。
来週はもう本番です。

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紙芝居、読んでいます。 

毎週金曜日の授業では、できるだけ紙芝居を読むようにしています。
紙芝居にはいろんなタイプがありますが、

    参加型

のものもなかなかおもしろいのです。
観ている子どもたちが参加するのです。
有名なものに「みんなでぽん!」があります。
演じ手が「みんなで」と言ったところで子どもたちにポン!と手を打ってもらいます。
すると紙芝居が次の画面に行くのです。

    まついのりこ

さん、という紙芝居作者がいらして、こういう紙芝居にとてもいいものを書いていらっしゃいます。
私も、幼稚園でおこなっている文楽人形劇を紙芝居にアレンジできないかな、と思うのですが、何しろ絵が描けません。
台本だけでも作ってみようかな。

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息遣い 

よい文章からは、それを書いている人の息遣いが感じられます。味もそっけもない文章からは何も感じません。LINEだとその人の「口吻」はうかがえることがありますが、「息遣い」の域には届かないような気がします。
手紙でも、書きなぐったようなものは冷たい文章の塊に過ぎず、温かみがないと思います。一方、たとえ文章は稚拙でも、一生懸命、心を込めて書かれたものには息遣いが感じられ、

     温かさがあふれ出る

ものだと思います。
私は授業の中で「温かい手紙を書こう」という趣旨の話をすることがあります。「あんた、平安時代じゃないの?」と言われるかもしれませんが、いまどき、文学畑の人間が生活費を少しでも稼ごうと思うならそんな悠長なことは言っていられません。
それはともかく、今の学生はほとんど手紙は書きません。しかし、時として実習に行った場合の御礼状を書くなどということが起こってきて、そのときに四苦八苦するというのです。ネットに出ている

    「手紙の書き方」

などを参考にするらしいのですが、書いたものを見せてもらうと、悲惨な文章と言いたくなるものが少なくありません。まず、時候の挨拶というと「厳寒の候、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます」などと書くのがきまりだと思っているのです。「諸君、脱マニュアルだ!」というわけで、私は「今日感じた自分だけの時候の挨拶」を考えてもらいます。通学路でどんな花を見たか、近くの幼稚園でどんな催しがあったか、家の周りでどんな行事がおこなわれたか、など、十人十色の挨拶を書くように言っています。内容も、基本は「相手をほっこりさせるような内容で書こう」ということにしています。ガチガチに固まったマニュアル思考からそれを少しでも溶かして温かな表現ができるようにする、まさに息遣いが感じられる手紙を書こう、という話をしているのです。

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海藻を口にする話(3) 

後日、また則光がやってきました。「この間はひどい目に遭ったよ。斉信様があまりにしつこく責められるので、『それじゃあ、あそこかもしれません』といいかげんなことを言って適当なところに案内しては(当然そこには清少納言はいませんから)また斉信に叱られる、というようなことを繰り返したというのです。そしてこの男は清少納言をさらに落胆させるようなことを言いました。「それはそれとして、このあいだはどうしてあんな海藻のかけらを送ってきたんだ。誰かほかの人と間違えたのか」・・・。
彼は、

    何も分かっていなかった

のです。清少納言は「かづきするあまのすみかをそことだにゆめいふなとやめをくはせけむ(海にもぐる海士の住家を海の底だとは言うな、姿を隠している私の住まいをどこそこだとは言うな、というつもりで、めくわせをするように「め(海藻)」をあなたにくわせたのじゃなかったかしら)」という歌を書いて差し出します。
実はこの男、和歌というものが大の苦手。それを見た瞬間に和歌を書いた紙を扇であおぎ返して逃げてしまいました。
どこまでも清少納言とは噛み合わない人物のようです。
則光は六位の蔵人左衛門尉(蔵人は天皇近くの仕事をする者で、官位は低くとも内裏の御用を務める名誉のある職でした)だったのですが、やがて五位になり、蔵人を下りて

    遠江介

となったのです。都での仕事ではなく地方官になって「出世した」とばかりに(実際、地方官は実入りがよかったようです)嬉々としてその任に就く元の夫を憎らしく思った彼女は、それ以後はもう付き合いをしなかった、ということです。
この話もいろいろと教えてくれることがありそうです。清少納言は「めでたきもの(すばらしいもの」の段で「六位蔵人」を挙げています。六位蔵人は官位は低いのですが、青色の(麴塵の)袍という上着を着ることを許されていて、これは天皇と同じ色なので、とても見栄えのするものだったのです。ところがこのころの風潮として、早く五位になって何かいい仕事にありつこうとする傾向があることを彼女は嘆いています。
遠江介というのは五位の者が任ずるにしてはいささか低い職だと思います。遠江国はランクとしては「上国」(大国、上国、中国、下国とランク付けがありました)で、この国の「介(二番目の役職)」の格は、おおむね六位程度だったようです。
清少納言は都の、しかも内裏に仕えることこそがすばらしいのだという考え方が強かったようです。

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海藻を口にする話(2) 

橘則光は清少納言から口止めされていますので知らぬ存ぜぬを決め込むのですが、斉信はそう簡単には騙されません。しつこく答えを要求します。則光のすぐ近くには、やはり清少納言の居所を知っている人物がいたのですが、その人はすました顔でそらとぼけています。則光はその人物と目を合わせたら笑ってしまいそうになり、たまたま台盤(食卓)の上に置いてあった

    海藻

を口に詰め込んで笑いをこらえました。食事どきでもないのに妙なことをする奴だと思われただろうな、と自分でも思ったようです。
彼らがいた殿上の間といところ(清涼殿の南側)には台盤が置かれていたようなのですが、そんなところにわかめのような海藻があったというのがおもしろい話です。
それにしても則光はそういう時に相手に切り返すような気の利いた返事ができない人物なのですね。
おまけに彼は「うまくごまかせた」と自画自賛するありさまで、そのことを嬉しそうに清少納言に伝えているのです。
清少納言の呆れた顔が目に浮かぶようではありませんか。
何日か経って、夜遅くに清少納言の隠れ家に則光からの使者がやってきます。「斉信様からまたあなたの居所をしつこく聞かれて困っているのです。どうすればいいでしょうか」というものでした。則光の自画自賛はやはりむなしいものだったのです。
清少納言は返事をせずに、海藻を

    一寸ばかり

紙に包んで送りました。
もう誰でもわかることです。「この海藻を口に含んででも教えちゃだめよ」という意味です。

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海藻を口にする話(1) 

『枕草子』のお話です。清少納言が仕えた中宮定子の家は定子の父(藤原道隆)が亡くなることによって一気に権力の中枢から離れてしまいます。もちろん、男きょうだいがいますので道隆跡を継ぐ人がいなかったわけではありません。しかし間が悪いことに、この兄弟(藤原伊周、隆家)はまだ若すぎたのです。さらにここに父の弟である藤原道長という人物が台頭してきたので始末に負えないことになりました。伊周、隆家の兄弟はつまらない事件の責任を取らされる形で左遷、定子は中宮という身分でありながら実に不安定な立場に追いやられます。道長の娘が定子と同じ一条天皇の後宮に入ると、世の趨勢は若くて後ろ盾の強い彰子に雪崩を打つように傾いていくのです。
彼女は男子も生んでいて、普通ならこの子は次の天皇候補にもなる人です。しかし権力というのはむなしいもので、結局は道長の娘の産んだ天皇の子(敦成親王。のちの後一条天皇)が後継者の一番手に躍り出るのです。歴史をさらにさかのぼっても、こういうことは時として起こりうることで、私には何とも馬鹿馬鹿しいことに思えてなりません。

    権力闘争

などに巻き込まれずに文化の世界に浸るほうがよほどましではないかと思えます。
男前で有名な在原業平は平城天皇の孫で父は阿保親王。しかし政争のあげくにこの一族は皇族から出て在原氏などを名乗ることになり、権力からは距離を置いた位置で生涯を送ります。でも、結果的に彼は文化の世界で名を知られ、「出世」した人物よりもはるかに大きな名を残すことになりました。
ご主人様が不遇になると、そこに仕えている女房たちにもしわ寄せが来ます。清少納言もしばしば里に帰りがちでしたが、しばしばその実家に殿上人(てんじょうびと)などが訪ねることがあったようです。するとまた口さがない人たちによって妙な噂も立てられます。

     「清少納言は道長と通じている」

というようなことをささやかれるのです。
そこであるとき清少納言はほとんどの人にどこにいるとも知らせずに実家以外のところに籠ってしまいます。
すると藤原斉信(ふじわらのただのぶ)という、なかなかいい男が、清少納言の行方を知りたいと言って、彼女の元の夫で今も親しく付き合いのある橘則光という人物に行方を教えろと責めたてたのです。

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2019年11月文楽公演初日 

大阪では、一年を納める11月公演がやってきました。今年は

    仮名手本忠臣蔵

の変則的な「通し」で、この公演は、八段目から大詰めまで。今回は天河屋も上演されます。眼目の「山科」は藤太夫、千歳太夫。そろそろ、切語りの称号が増えてもいい時期です。山科は、やはり切語りの持ち場だと思います。
昼の部はこの時期の定番とも言える、

    心中天網島

です。気になるのは呂勢太夫さん。年内はお休みだとか。
早くもインフルエンザが流行り始めているようです。みなさん、お元気でおつとめください。。

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奈良の幼稚園2019(2) 

幼稚園での文楽人形劇、稽古に通っています。
第2回は10月31日。
園の最寄駅は近鉄富雄なのですが、さあ、そこからが大変。歩いて行ったら1時間以上かかるのではないかと思うくらいです。
バスがあって、これだと降りてから徒歩10分もかからないのではないかと思います。
しかし、

    持つべきものは友

というか、長らくお付き合いいただいているK.T.さんが駅まで高級な車で迎えにきてくださいました。
実に快適な通勤になりました。
稽古は、まだまだ手さぐりで、私一人で通して台本を読みながら人形の動きをつけていきました。
人形を持ち運びするのではなく、人形が動くのを

    フォローする

感覚で遣っていただきます。
全員、稽古に熱が入り、予定の時間を超えてしまいました。
帰りはまたK.T.さんが駅まで送ってくださり、2回目の奈良行きは終わりました。

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