大晦日の出来事
「つごもり」というのは「月が籠る時期」ということらしく、要するに月末のことです。「みそか」は文字通り「三十日」で、月の最後の日のことを言います。昔の暦では一か月は二十九日か三十日です。「おおみそか」は「三十日は三十日でも、いよいよ大詰めの三十日」とでもいうような意味で、一年の最後の日です。そして「おおつごもり」もほぼ同じ意味で使われます。
寛弘五年(1008)という年は、藤原道長にとって願いの叶った嬉しい年でした。彼は自分の娘を天皇に差し出して、生まれた子を天皇にすることで
外戚
となって自分の地位を固めようとしたのです。これは当時誰もが企てたことでした。しかし彼が権力を手に入れたころ、彼の娘はまだ幼かったのです。それでも彼は強引に、まだ十二歳の少女、彰子を一条天皇のもとに入れるのです。とはいえ、十歳の子どもが子を産むのはまだ無理。2年経ち、3年経ってもまだできません。7年、8年、もう彰子もニ十歳になるのにできないのです。ところが、この寛弘五年春にやっと身ごもったことが分かり、九月十一日、天皇になる資格のある
男子
が誕生したのです。道長は大喜びです。
誕生五十日のお祝いの時は、貴族たちも酔い乱れるほどだったのです。
そんな年もいよいよ暮れる十二月のつごもり。中宮の女房であった紫式部が追儺(ついな。鬼やらい。異形の姿をした方相氏が鬼を追う行事)も終わったというので明日(正月一日)の用意をして寝ていると、何やら大きな声がします。彼女はほかの女房を起こしてこわごわ声の方向に行くと、女房が着ていたものをはぎ取られていました。泥棒だったのです。
なんとも物騒な話です。今、皇居に泥棒が入ったなどという話は聞いたことがありませんが、当時は意外にこういうこともあり得たのですね。
あ、そうそう、最後にご挨拶を。
皆さま、本年もお付き合いありがとうございました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/31 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
御魂祭
亡き人の魂が戻ってくる日というと、現代人はまずお盆を思い浮かべます。夏もそろそろ終わろうかという時期に当たりますが、暦の上ではすでに秋になっています。昔も同じように初秋の七月にお盆がありましたが、それと同じように魂が帰る日がありました。それは大晦日だったのです。
平安時代半ばの歌人、和泉式部は最愛の人敦道親王(冷泉天皇第四皇子)を若くして失った年の大晦日に、
亡き人の来る夜ときけど君もなし
わが住む宿や魂なきの里
と詠みました。亡くなった人が戻ってくる夜だと聞いているのに、あなたはいない。私の住む家は魂(たま)のないところなのでしょうか。
親王の魂が戻ってこないだけでなく、自分もまた魂の抜け殻のようになっているのでしょう。この家には魂というものが存在しないのだろうか、と感じているわけです。
この「亡き人の来る夜」というのが大晦日のことで、この日にお盆のように故人を偲んでその魂を迎える「御魂祭(みたままつり)」がおこなわれました。
藤原実資という貴族の日記(小右記)の寛仁元年十二月三十日の条に「諸神に幣を奉り、次に
御魂を拝す
皆これ例の事なり、亥の剋追儺」とあり、この日には先祖の御魂を祀ったあと、亥の刻といいますから深夜になって追儺(おにやらい)をおこなったようです。
お盆と同じように、亡き人のために食べ物を用意して供え、その魂に拝礼したのでしょう。
藤原道長の日記『御堂関白記』には御魂祭のことは記されず、もっぱら追儺だけがメモのように記される程度です。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/30 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
カレンダーの掛け換え
年末になると、いろいろと整理整頓して、古いものを捨てたり新しいものと入れ替えたりすることがありますが、カレンダーを替えるというのもどなたもなさることでしょう。
私はいいかげんな人間ですので、あまりカレンダーとか日記帳とか手帳というものに縁がないのです。日記帳というのは持ったことがなく、日記をつけていた時も普通のノートに書いたり、ワープロ時代にフロッピーディスク(懐かしい)に書き込んだりしていました。手帳というと、以前は歴史出版社の吉川弘文館が出している
「歴史手帳」
というのを使っていたのですがけっこう高いのでやめてしまいました。その後は市販のものを何度も使おうと思ったのですが長続きせず、もうずいぶん長い間手帳なるものを持っていません。
カレンダーに関してはもらうものがあると掛けますが、あまり熱心に見ているわけではありません。
しかし去年から
現代短歌カレンダー
というのをいただくようになり、使うようにしています。
これは東京四季出版が作成しているもので、現代歌人の歌が月ごとにニ十首余り書かれています。予定などをメモ書きするスペースは小さいのですが、歌人の忌日なども記録されていてとてもユニークなものです。このところ、また短歌を詠みたいという思いが増していますので、刺激にもなるだろうと思っています。
ただ、昨年いただいたものはとても立派なものだったのですが、今年のものは、経費削減の必要があるのでしょうか、かなり貧弱になってしまいました。
でもいただいたものですからありがたく使わせていただきます。
こんなことを書いていてふと思ったのですが、仕事場で自由に使える予算がありますので、もう一度吉川弘文館の「歴史手帳」を買ってみようかな、と思うようになりました。税込み1,210円のようです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/29 14:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
大掃除しなければ
気が付けば今年も残り1週間を切っていました。
今さら慌てても仕方ないようなものですが(笑)、多少はきれいにしておいた方がいいだろうと思いますので、今日あたりはしっかり掃除しようと思います。
掃除というと整理整頓、掃除機を使ってほこりやごみを吸いこむこと、廊下やトイレ、風呂などを磨くことなどがありますが、私が一番好きなのは磨く掃除です。ピカピカするといささか嬉しくなります。
今日もまずは風呂、トイレ磨きから始めようと思います。
逆に苦手なのが
整理整頓。
むしろ雑然としている方が仕事がしやすいので、きれいにしてしまうとどこに何があるやらわからなくなってしまいます。しょっちゅう使う古語辞典などはすぐに手の届くところにないと具合が悪いですし、その他ごく基本的な本もすぐそばにないとダメなのです。
でもやはりそういういいかげんなことではダメですね。冬になると足が冷えますのでスリッパが必需品なのですが、片方どこかに行ってしまって
見つからない
ので困っています。よく、ネコがくわえていくなどという話がありますが、うちにはそういうものはいません。
そんな広い部屋でもないのに、いったいどこへいったのやら。
今は仕方がないので片方だけ履いていて(笑)、できるだけイスに座るときは片方の足は上げるようにしています。
と書いたのですが、わけあって家を離れましたので、大掃除はできません!
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/28 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
小学校教員はブラック?
先日、学生から「小学校の教諭を目指しているが、とても大変な仕事だと聞いているので自分にできるかどうか不安で仕方がない」という声を聞きました。授業、教材研究、テスト、成績付けなどによる長時間労働とか、モンスターペアレンツへの不安とか、科目に英語が加わることへの自信のなさ、とか、いろいろと理由を挙げていました。おまけに最近は教員によるいじめというか暴力事件もありましたから心が揺らぐのも当然かもしれません。
そんなことを聞いた後で、小学校教員の採用倍率が
過去最低
になったという新聞記事を見ました。
もちろんそれなりの倍率がありますから、だからと言って誰でもなれるというものではありませんが、やはり教員の質の低下は懸念されます。
それなりの倍率がある、とはいいましたが、低いところでは新潟県の小学校教諭の倍率は1.2倍だそうで、これはかなり低いと言わざるを得ません。ちなみに小学校教員で一番倍率の高いのは兵庫県の6.1倍だそうです(ただし、東京、大阪、熊本は不明)。
昔、
でもしか先生
ということばがありました。「先生でもやっとくか」「先生しかできない」というような元気のない教員を揶揄したものでした。本来は若い人を自分の熱意で育てるのだという意欲に燃えた人がするべき仕事で、単に子どもの勉強くらい教えられるから、という意識でなってもらっては困る職業です。
私、これでも教育者の端くれです。たしかに学問的には未熟で、頼りないことこの上ないのですが、熱意に関しては人後に落ちるものではないという自負があります。
私の仕事場もブラックではありますが、それを少しでもきれいな色に変えようという情熱も持っています。
自信がないと言っていた学生さん、子どもを愛する気持ちを基本に、間違ったことに屈しない気持ちと自信を持っていれば、きっと乗り越えられると思いますよ。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/27 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
1000年前の藤原道長
今年は2019年ですから、1000年前というと1019年。これは寛仁三年に当たります。あの藤原道長は五十四歳。この前年、つまり寛仁二年の十月に娘の威子がなんと道長の孫である後一条天皇の中宮になった(威子二十歳、天皇十一歳!)のですが、その儀式の折に彼は
この世をば我が世とぞ思ふ
望月の欠けたることのなしと思へば
という歌を詠みました(藤原実資の日記『小右記』による)。この歌があまりにも有名なために、彼はわが世の春を謳歌しているように見えますが、実のところはろうそくの最後の輝きのようなものだったかもしれません。彼には彰子、妍子、そしてこの威子という娘がいて(ほかにも娘は三人います)、太皇太后、皇太后、中宮という「三后」を独占してしまいます。この歌の直後には後一条天皇(道長の孫でもある)やこの三后が道長の屋敷(土御門第)を訪れるという晴の儀もあります。
しかし彼はひどい眼病を患っており、そのために祓をおこなったり祈祷をしてもらったりもしているのです。徐々に彼の心は
出家
に傾いていきます。そして今から1000年前の寛仁三年三月二十一日、道長は出家します。法名は行観(のちに行覚と改める)。寛仁三年の彼の日記は写本と七月以降の自筆本が残っていますが、出家する直前からふっつりと記述がなくなっています。。そして七月以降も日記はほとんど空白で、半年で九日だけ記録を残しているのみです。
彼は病気がちで、かなり具合の悪かったらしい四月には
非常赦
がおこなわれたくらいです。
そして中河御堂を建てようと発願し、これは翌年落慶となります。彼が御堂関白と呼ばれるゆえんです。
それからちょうど1000年になります。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/26 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年賀状を出さない人
朝日新聞が12月21日と22日におこなった世論調査によると、メールやライン、SNSでのあいさつなどは別として、郵便で年賀状を出さない人が33%にのぼるそうです。特に18歳から29歳までの若い世代では57%だそうで、これをさらにまだ社会に出ていない、言い換えると社交儀礼とあまり縁のない学生だけに限るともっと増えそうな気がします。
私の教えている学生について考えてみると(あくまで私の印象ではありますが)、7割以上は出さないだろうと思います。もっとも、学生と言ってもいろんな大学、学部がありますから、この数字が世の学生すべてに該当するかどうかはわかりません。
出す
という人も20枚以下が24%、21~50枚が23%、51~100枚が11%、101~200枚が4%、それ以上が2%だそうです。「出さない」という回答が一番少ない世代は60代で、それ以上の年齢になると「やめた」という人が増えるのかな、と思います。
このままだと、出さない人の数が今後さらに増えるのは間違いなく、年賀状はダイレクトメール化してしまうのではないかと極端なことまで考えてしまいます。
今は個人情報をあらわにしませんので普段接する人の住所も知らないということが珍しくありません。
たとえば高校生のころくらいに、
気になる異性
に意識してもらうために、クラス名簿で知った住所あてにそっと年賀状を送る、というようなこともしにくくなっているはずです。
私はそういうこともしたけどなぁ(笑)。
年賀状に限りません。暑中見舞いや異動通知(職場の変更、転居など)なども高価なはがき(今は63円でしたっけ)を使うくらいならメールなどで済ませれば簡単で費用も掛かりません。
今後の日本郵便の戦略はどうなるのでしょうか。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/25 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
クリスマスの歌
最近、電車に乗っていると、ワイヤレスのイヤホンをしている人を多く見かけます。何か音楽を聴いているのでしょうね。道を歩いている人も、時には自転車に乗っている人もイヤホンを着けています。運転しているときはあれを着けても違反にならないのでしょうか。車内でガンガン音楽を鳴らすのと同じだから違反ではないのかな。
学生に聞きましたが、スマホを使うと、今は月額数百円で音楽聴き放題なのだとか。どうやって曲を選ぶのかも知りませんが、「限りなく多くの曲を聴けるのです」と言っていました。
いつでもどこでも好きな音楽を。とてもいいことのようには思うのですが、その一方、音楽に飢えるというか、聴きたくて仕方がないけれど、今は我慢せざるを得ない、という渇望感がなくなって、あまりよいことではないような気もしています。まあこれは音楽に無縁な私の
ひがみ
に過ぎないとは思うのですが。
季節の音楽というのもありそうで、昔はラジオでその季節ならではの音楽がよく流れていました。
この時期だと週に一度くらいはベート-ヴェンの第九交響曲を聴くことができました。これが一月になるとなぜかヴィヴァルディの
四季
やドヴォルジャークの第九「新世界から」になりました。
もう一つ、この時期にはクリスマスソングがあります。これはおそらく商店街などでも流れているのだと思いますが、単に購買意欲をそそるような派手な曲ばかりでなく、「ホワイトクリスマス」のようなしっとりとした曲もいいものです。
アンディ・ウィリアムズなどを思い出しています(古っ!)。
季節と音楽、いいよなぁ、と夢想しています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/24 00:11]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
寂しいイルミネーション
私の住む町は小さな町です。夜になると人通りも少なく、駅前でも寂しいのです。そのかわり酔客などがたむろすることなどはありません。
そんな小さな町の小さな駅の前にいつごろからかクリスマスが近づくと
イルミネーション
がつけられるようになりました。う~ん、なんだかなぁ、寂しすぎないかなぁ、と思うのですが、私が帰宅するころはほんとうに人があまりいないからそう思うだけで、夕方あたりはあるいは子供連れなどが来ているのかもしれません。人によっては、夜帰宅するときにあれを見てほっと明るい気持ちになるということもあるのでしょうか。
あまのじゃくな私はあまりイルミネーションとかライトアップというのが好きではないのです。特に、木に電線や電球を巻き付けるのはなんだか
かわいそう
な気持ちになるのです。この時期に大阪の御堂筋を昼間に歩くと無残な銀杏並木が見えて残念に思えるのです。
学生もイルミネーションは好きだという人が圧倒的です。ルミナリエに行って御堂筋に行って・・・、という夏の花火大会巡りのようなことをする人もいるようです。そういうお好きな人が多いから続いているのでしょうし、電飾のデザインや電気工事関係の仕事をされる方にとっては稼ぎ時でもあるのでしょう。
ただ、これが今や全国いたるところで、私の住む町のような小さなところまでおこなわれているのですから、いささか異様な気分になっています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/23 00:10]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
冬休みの宿題
12月21日をもって一応仕事場に行く必要はなくなりました。
つまり、冬休みに入ったわけです。15日間家で仕事をすることになります。
卒業論文を抱えている学生はこんな時期に図書館が閉まっても大丈夫なのかな・・と思うのは私だけの発想で、実際は「文学部じゃあるまいし図書館なんて」「授業もないのに行かないよ」というところかもしれません。
さて、私はこの冬休みもいろいろ
宿題
があります。
絶対にしなければならないのは2つの原稿の校正です。
源氏物語と枕草子の講座に関しては、どちらも私にはかなり負担の重いものだけに、少しでも先まで予習しておきます。
源氏物語といえば、連載しているものの次回原稿に目鼻をつけたいと考えています。この連載は5年目に入ります。
創作
に関しては、平家に焼かれた東大寺の再建に尽くした重源上人についていくらか調べたいと思っています。また、短編浄瑠璃のネタになるものを探してみたいものです。
ほかにも、ここには書けない、いささか嫌なことに関して対応する準備をしなければなりません。
とりあえず、頑張って新年を迎えることにいたします。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/22 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年内の授業は終わりました
今年も残すところ10日。昨日、年内の授業が終わりました。
最後のほうはかなり息苦しさがあって、くたびれてしまいました。終わった瞬間、はぁ、とため息をひとつ。最後にまた紙芝居の話をしました。今日はその演出の方法などを話しました。紙芝居は単に指示されたとおり読むだけでなく、自分で工夫することもできる、ということを、例を挙げながら話してみたのです。ただ、学生の反応はあまり熱がこもっておらず、この内容は興味を引かなかったかな、と
反省
もしています。
授業は終わりましたが、休む間はありませんので、そのあとはすぐに図書館で仕事。閉館近くまでいて、冬休みの仕事用の本をごっそりと借りてきました。図書館の司書の方とは年内はこの日でお別れだと思われますので、ご挨拶をしたうえで腰が痛くなるほど重い本を持って帰りました。
今年もいろんな発見がありました。まだまだ未熟者だということを改めて思い知らされたものです。
そういえば
校正
が二つやってきました。これも休み明けが締め切りですから、仕事は増えるばかりです。
ともかく一段落。インフルエンザなどに気を付けて頑張ります。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/21 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
今年の漢字は
日本漢字検定協会が募集している「今年の漢字」は「令」でした。実は事前に学生に予想してもらったのですが、誰もがこの漢字を言っていました。あまりにもおもしろくない「今年の漢字」でした。本来の趣旨である「世相を反映する漢字」なら「嘘」「逃」「隠」などが当たるかもしれませんが、投票が一番多かったのが「令」という字だったということなのでしょうね。みなさんどうしちゃったのでしょうか。
「今年の漢字」はオリンピックイヤーになると「金」が多くなるらしく、そろそろマンネリではないだろうかとすら思えてきます。下手をすると今のうちから
「来年の漢字」
が予想されるなどということにもなりかねません。
これまでに選ばれた漢字は
「震」「食」「倒」「毒」「末」「金」「戦」「帰」「虎」「災」「愛」「命」「偽」「変」「新」「暑」「絆」「金」「輪」「税」「安」「金」「北」「災」「令」
だそうで、やはり「金」は3回もあるのですね。「虎」というのがちょっとウケるところではあります(阪神タイガーズが優勝した年だそうです)。
なお、学生は「自分自身が選ぶとすると」ということになればまるで違う漢字ばかりを言ってきました。新生活を始めたものが多いですから「新」とか、人との交流が増えたから「人」とか、それぞれになかなかいい字を選んでいました。
私もここ数年、世間の漢字とは別に自分の一年を顧みる意味で「私の今年の漢字」を考えてきました。
今年は何だろうな、と思ったのですが、特に大きな仕事はしなかったので、静々粛々と進んだかな、という気持ちで
静
を選んでみました。
来年はもう少し派手な明るい字がいいなと、これは毎年そう思っているのですが、なかなかそうはいかないものです・・。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/20 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
久々の反応
昨日、学生の反応のいい授業ができました。
例年最終回に持っていく文楽人形なのですが、その時期は学生の心は半ば専門科目のテストにありますので、どうしても反応が悪いという事情もあったと思います。そこで、今年はまだテストに心が向いていないこの時期を狙って(笑)年内最終回の昨日にしたのです。
まず人形を前に出すと「オオォ」という声が上がったそうです。私はそのあと
黒衣
を羽織って面をつけて頭巾をかぶりました。それにも物珍し気な空気が漂いました。さらに、人形を少し遣って見せると目がらんらんと輝くのがわかるのです。私はもちろん素人ではありますが、某人形遣いさんから四年間目の前で教えてもらいましたので多少のことは覚えているのです。学生はもっと素人(というのも変な言い方ですが)ですから、物珍しかったのでしょう。ひとしきり動かしてみせたあと、「皆さんの中で使ってみたい人は・・」というや否や
挙手
があり、さっそく出てきてもらいました。このところなかった反応です。
とにかくうれしそうで、友達に写真を撮ってもらって満足していました。
そのあとさらに8人程度の学生が体験していました。
後で書いてもらった感想にも「感激した」「感動した」「こんな体験ができるなんて」などと書かれており、予想以上のことでした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/19 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2019年 私の十大ニュース
この一年はあまり大きな出来事はなかったようで、私の10大ニュースなんて普通の方にとってはなんでもないことばかりかもしれません。
しかし、一応振り返っておきます。
1.創作浄瑠璃『江戸情七不思議』完成
(ひとまずできました。作曲もすべてしていただきました)
2.初めて「源氏物語」を中心にした論文を書く
(レベルは大学の卒業論文くらいですが)
3.第9回文楽人形劇上演
(幼稚園で文楽人形劇を始めて9年目。来年は第10回ができるか?)
4.図書館の住人になる
(勉強の本拠地を図書館に置き、多いときは1日7時間くらい籠る)
5.休講せず、ひたすら働く
(しんどいことも少なくありませんでしたが、風邪もひかずに働きました)
6.狂言風オペラ『フィガロの結婚』再演
(大阪市・大槻能楽堂、尼崎市・アルカイックホールオクトに行きました)
7.源氏物語の連載継続
(今年も4回の連載ができました)
8.紙芝居に情熱を
(授業で紙芝居を取り上げ、かなり力を注ぎました)
9.ゴールデン散策ウィーク
(5月の連休にあちこち歩きました神戸・住吉、布引の滝、長岡京・長岡天満宮など)
10.久しぶりの平和公園
(ずいぶん行っていなかった広島平和公園
に行き、あれこれ考えました)
こうして振り返ると、やはり、あまりたいしたことはしていませんでした(笑)。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/18 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
40歳までに
呂太夫師匠にお話をうかがったとき、お弟子さんたちのことに関して「四十歳までに『寺子屋』とか『新口村』とか、そういうのはマスターしとかなあかんのです」というようなことをおっしゃっていました。本にもそのことは書いてあります。お弟子さんたちは、当然そういうことは言われていらっしゃるわけで、実際、素浄瑠璃の会などで意欲的に取り組んでいらっしゃいます。
呂太夫師匠はさらに「そうせんと、すぐに五十歳、六十歳になってしまいますから」ともおっしゃっていました。
呂太夫師匠のお話はさすがに
核心をついている
と思います。私自身、そういう年代になって、四十歳までにもっと勉強しておけばよかったと反省しています。
ろうそくの火は消える前にジュジュッと明るく燃えると言いますが、私は今まさにそれかもしれません。生涯でいちばん働いているあるいは勉強していると思います。これをもっと早い時期にしておけばと思います。
以前も書いたかもしれませんが、ハンナ・アレントは人のすることに関して「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」があると言いました。ある程度の年齢になるとlabor(食べるために働くこと)はしなくて済むような世の中であればいいのですが、今はそうはいかず、
70歳まで
は働かねばならなくなっています。私などそこまで生きられるかどうかも怪しいですし、少なくとも働き終えたらバタリ、なんてことになるのではないかと案じています。
それにしても四十歳までにっもうちょっとしっかり勉強していれば、もう少しましな生活ができていたかもしれない、と今さらながら呂太夫師匠のお話をかみしめています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/17 00:04]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
もうひとふんばり
いよいよ年内最後の授業ウィークです。
今日は平安時代の人々の暮らしの話から、出産、トイレ、結婚、遊びなどについて話題にしたいと思っています。
いつもは
『源氏物語』
を読みながらそういう話を付け加えるという感じなのですが、今日は作品は読まずに「昔の暮らし特集」ということにしています。学生さんがどれくらい興味を持ってくれるか楽しみにしています。
学生は医療に関心のあるものが多くて、その意味でこれまでにも当時の医学などの話もしたりしているのですが、やはり出産への関心はかなり高いものがあります。
たまたまこのところイギリス史に関する本をよく読んでいましたが、ちょうど
中世イギリス
の出産について書かれているものがありましたのでそれも併せて紹介してみようと思っています。
今週はほかにもクリスマス間近なので(関係ないですが)授業にもちょっとしたプレゼント的な内容を入れてみようと思っています。
あまり体調は芳しくありませんが、働かざるもの食うべからず。まだまだ頑張らねばなりません。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/16 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2019年12月文楽東京公演千秋楽
今年も文楽の公演がほぼ終わりました。以前に比べると日本橋に行く回数は激減しています。隼町にはまるで行っていません。地方公演もすっかりご無沙汰です。
思えば以前は大阪東京のすべての公演に行くことはもちろん、地方公演から小さなイベントまで「追っかけ」のようなことをしていたわけです。しかし義太夫節と縁がなくなってしまい、楽しみが半減、いや8分の7くらいは減ったような気がします。
来年はどれくらい行けるのか、見当もつきません。
さて、その来年ですが、
初春公演
は竹本津駒太夫改め
竹本錣太夫
の襲名披露狂言があります。
津駒さんとは30年に及ぶお付き合い(といってもそんなに親しいわけではありませんが)だけに、ぜひお祝いに行きたいと思っています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/15 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
討ち入りも今は昔
今年の文楽は「忠臣蔵イヤー」だったようで、大阪公演で7か月をかけて「通す」という前代未聞のアクロバティックな公演形式をとりました。
お客さんの入りはなかなか良かったようで、劇場もホクホクといったところでしょうか。
もちろん、国立の劇場ですから、客の入りだけを考えてはいけないので、珍しい演目も出し、通し上演という本来の形も守り、という姿勢は忘れてはならないと思います。「今のお客さんにはあわない」といわれるようですがさてどんなものでしょうか。なんてことを思っていたら、来年の4月は
義経千本桜
の通しなのだとか。今年の忠臣蔵の「変則通し」に対するクレームを和らげるには最高の番組だと思います。
ところで今日は12月14日。暦は違いますが、いちおう「討ち入りの日」ということになっています。旧暦だと一年で一番寒い時期なので、季節感は合わないですが、この日付にはやはり独特の雰囲気があります。
昔、と言っても昭和のころという程度の昔ですが、この時期、またはズバリこの日には忠臣蔵のドラマが放送されていました。いまはそういうのはあるのでしょうか?
林与一さん
とか、中村勘九郎(のち十八代勘三郎)丈とか高倉健さんのものもあったような気がします。それ以外にも往年の映画を深夜に放送するようなことがあったはずです。
わずかに映画で「決算忠臣蔵」というのがあったように思うのですが、これは、人気のほどはどうだったのでしょうか。
今はもう、時代に合わない、という感覚がテレビの制作者にもあるかもしれません。学生に聞いても、忠臣蔵を知っている人はあまり多くありません。もはや「今は昔の物語」ということになりつつあるのでしょうか。私の父の世代は大高源吾とか赤埴源蔵とか、そんなに興味を持っていないように思う人でもそういう人たちの名前とか「徳利の別れ」「天野屋利兵衛は男でござる」「南部坂雪の別れ」などはよく知っていました。昭和も遠くなりました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/14 22:45]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
年賀状、買いました
年賀状、買いました 12・13
年々減っていく年賀状です。意図的に減らしている、ということもあるのですが、自然にやり取りがなくなっていく方も少なくありません。
大学、高校時代(もちろんそれ以前も)の友人とのやり取りはなくなりました。仕事場の人はそもそも住所を知っている人などいませんから出すことはありません(というか、できません)。
学生に訊いても、大半が「出さない」で、中には「もらうと嬉しいから出す」という人もいます。
私も知り合いにももう「やめます」と宣言している人は少なくありません。そういう方々を見ていて、私もやめようかな、と何度も思ったことがあります。しかし、それでなくても人さまとのおつきあいが減っているので、本当に
親しい人
に限っては続けることにしています。
というわけで、先日郵便局に行って買ってきました。やはり高くなりましたね。
私はもともと人付き合いの派手な方ではありませんので、一番多かった時で200枚くらいでした。今はもうその3分の1以下になっています。
たいてい私は無地の賀状を買うのです。デザインされているものや、無地でもインクジェット対応のものもめったに使いません。ただ、先年、呂太夫さんの本を宣伝するときと、
「フィガロの結婚」
を宣伝するときとはやはり派手な方がいいだろうと思ってカラフルに印刷しました。それらは2017年と2018年の正月のものでした。
来年用のものは当然無地で、お決まりのあいさつのほかには、さてどんなことを書こうかと思案しているところです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/13 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
新しいパソコン
仕事場の部屋に新しいパソコンが入るようです。
このところずっとノートでしたが、今度はデスクトップになるみたいです。
なぜ変わるかというと、まもなく
Windows7
のサポートが終わるからです。「まだ「7」を使ってたの?」と言われそうですが、そうなのです。その前も「XP」のサポート終了時に交換でしたが、そのときも「7」になるとは思いませんでした。事情はさっぱり分かりませんが、予算の都合とか何かあるのでしょうか。
しかしまあ、新しいというだけでもけっこうなことです。
私は機械を使うのが下手で、特にキーボードをたたく力が多分強すぎるのだと思うのです。あっというまにキーに書かれている文字が
薄くなってしまう
のです。
ひどいときは、よく使うキー、例えば母音がらみのものなどは叩き潰す(笑)こともあります。薬指にはあまり力が入らないのでいいのですが、人差し指を使うキーはやはり壊れやすいです。
もっとも、自前のパソコンとなると大事に使いますから(笑)それほどでもないのですが。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/12 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
朝寝坊
日も多いですから、朝うっかり寝過ごすことがあります。
もうすぐ冬至ですからねぇ。
私はだいたい朝は6時過ぎの電車に乗っていくのです。これで7時半には仕事場に着きます。この時間帯の電車であればかなりの確率でゆっくり座っていけます。そうすると仕事ができるのです。
ところがこのところ気が付いたら
6時半
などということが珍しくないのです。これだと、そろそろ通学する高校生がたくさん乗っていて、割合に混むのです。高校生たちは大きなバッグやリュックを置いて、足を広げて一人分以上のスペースに座って居眠りしています。あるいは一生懸命予習やテスト勉強をしています。
いまどきこういうことをいってもどうにもならないのでしょうが、私が高校生の頃は、女子生徒は座る場合はきちんと足をそろえている人が多く、少なくとも大股を広げるというのはほぼ見たことがありませんでした。
時代は変わり
ました(笑)。いや、男子生徒でもかばんは小さいですから膝の上にのせて割合に行儀よく座っていたように思いますけどね。
こうなるともう私が座って仕事をするというのは無理で、しかたがないのでたって本を読んでいます。こういうときに図書館で借りた本を読んでいるので、時間は無駄にはなりません。
それにしても目覚まし時計=おてんとうさま、という私にとって、寒い、暗い、というのは酷なのです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/11 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
7つ目の曲(2)
六つ目、七つめの曲はそれぞれ「異聞片葉の葦」「異聞置いてけ堀」というタイトルです。松也師匠の作品の作者には別の方がいらっしゃって、この方がすでに「片葉の葦」「置いてけ堀」を書いていらっしゃったのです。そこで私は先行作に遠慮申し上げて「異聞」の文字をつけることにしたのです。
本所というところは、墨田川を東に越えますので、貞享三年(1686)までは武蔵国ではありませんでした。両国橋という名前が武蔵国と下総国を結ぶ橋であることをよく伝えています。そういう、江戸と言いながらどこか鄙びた感じもする不思議な魅力のあるところです。私も東京に行ったらしょっちゅう本所界隈をうろついていました。
吉良上野介邸跡(松坂町公園)
もありますし、回向院もありますし、相撲部屋があちこちにありますし、とてもおもしろい街です。幕末に勝海舟が本所亀沢町(今の墨田区両国)で生まれていますし、明治になると、生まれたのは京橋区入船町(今の中央区明石町)ながら、母の実家である本所区小泉町(今の墨田区両国)の芥川家で育てられた人に芥川龍之介がいます。
さて、師匠から「七つすべてできた」というご連絡をいただき、また、この夏に私もこの七つを紙の上で活字にすべく原稿を書いていました。そんなことをSNS上でお話ししているうちに、東京築地で師匠のライブを企画なさっている方が、それなら活字になったらライブのその特集をしましょう、と言ってくださいました。今のところ、
来年の二月
に活字になる(時間かかりすぎ!)予定ですので、それ以降のいつか、築地でこれらのライブが行われるかもしれません。
経済的に不如意な私は行けないかもしれませんが、どのように聴いてくださるのか、とても楽しみです。
本所は東京都墨田区ですが、その南にある江東区には
深川江戸資料館
があり、師匠はここでもしばしば演奏なさっています。行ってみれば作品のおひざ元ですね。こういうところで演奏してもらえたらいいだろうな、とも思います。今度は深川を舞台にしたものでも書こうかな(笑)。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/10 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
7つ目の曲(1)
この夏に書き上げた『江戸情七不思議』の最後の作品は「置いてけ堀」でした。江戸の本所に伝わる怪異のうち、ひょっとするとこれが一番ポピュラーかもしれません。大川(墨田川)の入り堀の錦糸堀のあたりでは釣りをする人が多かったらしく、なかなかよく釣れたのだそうです。ところがそこに「置いてけ」という妙な声がして、魚籠(びく)を置いて行けというのです。
この話を基にして、以前から興味を持っていた
かっぱ
の話を作ってみました。おもしろうてやがて悲しい話にしてみました。これでとりあえず七つ揃ったのですが、曲をつけていただいたのは5つ。この「置いてけ堀」と「片葉の葦」がまだだったのです。
「片葉の葦」はお駒という美しい娘と彼女を殺害した留蔵との話で、大川近くにある駒留橋の由来譚のようでもあります。あのあたりの葦は片葉であることを「不思議」としたようです。葦が「片葉」になることは気象の関係などでありうることなのだそうで、「不思議」というほどではないのですが、それを言うとこの手の「不思議」はたいてい成り立たなくなってきます。話が飛びますが、大阪の七不思議に「玉江橋から真南に天王寺の五重塔が見える」というのがあって、これなど玉江橋が南北に架かっていると錯覚しているだけに過ぎません。実際の玉江橋は北西から南東にかけて架かっていますので、そこから南東の方角にある四天王寺が「南」に見えると錯覚するだけのことです。
さて、曲をつけてくださる野澤松也師匠は大変ご多忙ですから、書きはしたものの、
7つめの曲
ができるのは来年だろうと思っていました。
ところが、9月半ばに、師匠から「すべて作曲を終えた」というご連絡をいただいたのです。
もう、びっくりしたのなんの、ありがたいやらうれしいやらでした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/09 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
真珠湾
パールハーバー、というそうですが、1941年12月8日未明(現地時間では7日)にハワイオアフ島の真珠湾を奇襲したそうです。
無謀というか、愚かしいとさえ感じるのですが、
山本五十六
という人はどんな思いだったのか、このあたりの歴史は学んだことがありませんし、個人的に五十六の伝記なども読んだことがなく、明らかに私の知識が欠如している部分です。
アメリカのスコット・セーガン氏が主導した世論調査では、もし今、イランがペルシャ湾に駐留するアメリカの軍艦を襲撃して真珠湾攻撃と同じような被害を出した場合、戦争を終わらせるための手段として地上戦に入る(この場合、多数の米軍兵が戦死すると見込まれる)か、広島や長崎と同じように10万人の命を奪う規模の原爆を落とすべきかを聞きました。その結果、約6割のアメリカ国民が
原爆を選択すべきだ
と答えたそうです。さらに、200万人を殺す規模のものならどうかを尋ねると、まったく同じ約6割が「原爆を」と答えたそうです。
逆に考えると、真珠湾攻撃というのは、それほどにアメリカに被害と屈辱を与えたのでしょう。
戦争なんて、資源の無駄で、お互いに被害が出て、禍根を残すばかりです。
この日は「開戦記念日」なんていうものではなく、あの愚行に対する「悔恨記念日」とすべきかもしれません。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/08 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
保護者の方々からのご感想
11月14日におこなった、奈良市の幼稚園での文楽人形劇では、私の持っている黒衣をお貸しします。
すると、本番のあとクリーニングに出してくださって郵送してくださるのです。また来年使いましょうということになります。
その箱の中に、6人の方からいただいた短い
上演を終えて
という感じの短いメッセージが入っていました。
とても嬉しいです。なんだか、6人の若い女性からラブレター(笑)をいただいたような気持ちです。
ここにすべてを転記したいくらいですが、恥ずかしいのでやめておきます。
こういう場合たいてい
褒め言葉
が入っていますから。
当たり障りのないところだけ書きますと、
★最初は人形が重くて持つだけで大変だったのに、本番では平気だった
★本番はあっという間だった
★普通に生きていたら触れることはないであろう文楽人形を遣えていい経験になった
★子どもたちの笑顔を見ることができて嬉しかった
★4年参加している。子どもたちにはいい思い出になると思う
★舞台裏から楽しんで観てしまった
みなさん、ありがとうございました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/07 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
喪中ハガキへのお返事
この時期になると喪中はがきが来ます。これもメールやSNSのメッセージなどで済ませていただいてもいいようなものですが、なかなかそうもいかないのですね。
ところが、私はきちんとチェックし損ねていて、ひょっとしたら喪中はがきをいただいたのに失念してしまっているかもしれません。
さて、こういうお葉書をいただいた場合、年賀状のやり取りはしないもの、という考えとともに、こちらからお送りする分にはさほど気を使わなくてもいいという考えもあります。私は、いつもではないのですが、
「おめでとうございます」
の言葉を省いてご挨拶などをしています。
今年も、夫君を亡くされた方がいらっしゃいまして、おひとりでお暮しの方がいらっしゃいます。さすがにお正月もお寂しいのではないかと思い、年賀状を使ってお悔やみのようなことともに寒い時期ですので
お大事に
という内容のハガキを書きました。ハガキの裏面いっぱいに書いたのも、少しでも気を紛らわせて明るい気持ちになってもらえたら、と思ったからです。嫌がる方はないように思いますので、今後もこのような形をとるかもしれません。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/06 15:18]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
かぐやひめのおはなし
「文学」という授業を担当してきました。私としては一番力も入る内容なのですが、古典文学の宿命ということもあって、あまり人気がありません。授業の最後に学生がその授業を評価する「授業アンケート」というのがあるのですが、その点数が一番低いのがこの「文学」なのです。悲しいです。
もし4月からもどこかで同じようなことができるなら、何をやろうかな、と考えます。
これまであまりにも「文学」という文字に強い意識を持ちすぎていたのではないか、というのが反省点です。
そこで、こんなことを考えてみました。
古典文学の名作に
竹取物語
があります。
これも私は「文学」の時間に読んできたのですが、やはり人気はいまひとつでした。それなら発想を変えて「かぐやひめ」という形で話してみたらどうだろう、と思うようになったのです。
もちろん、古典文学として読むことはします。しかしそれにこだわらずに、広くかぐや姫の物語を読む、聴く、観る、というのはどんなものか。
児童教育の学生には絵本のかぐや姫、紙芝居のかぐや姫を知っておいてもらうことは大事だろうと思います。
そのほかに、たとえば映画の高畑勲監督の
かぐや姫の物語
などを観てみるのはどうだろうか。
紙芝居に関しては、単に竹取だけでなく、紙芝居論だってできるじゃないか。そんなことをあれこれ考えたりしています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/05 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ごんべえさんの人柄
幼稚園の文楽人形劇に登場する、私の作ったキャラクターである
ごんべえさん
には、やはり私の姿が投影してしまいます。
ごんべえさんはだいたい60歳くらいで、1人で暮らしています。経済的には貧しくていつも同じような格好をしています。正直者ですが、どこか抜けていて、よく失敗もします。
1人では生きていけず、もぐらのモグリンに何かと助けてもらっています。
身の程を超えた
贅沢な望み
を持つこともありますが、うまくいかずに頭をかくこともあります。
ただ、人の話はよく聞きますし、環境問題にも関心があり、人情に厚く、曲がったことは嫌いで、村会議員あたりならなれそうな感じです。
来年は、以前上演したものを少し書き改めてご覧いただきたいと思っています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/04 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2019年12月文楽東京公演初日
今日から文楽の今年の最後となる東京公演が始まります。
一谷嫩軍記の「陣門」から「熊谷陣屋」まで。「宝引」はありませんが、なかなか充実しています。
鑑賞教室は「鬼界島」だそうです。
インフルエンザ
が早くも流行っているらしく、皆さまどうぞ気をつけてご活躍ください。
12月ということは忘年会の季節。技芸員の皆さまもブァンの方々からのお誘いが多いかもしれませんね。
私も以前は毎年東京に行ってはあちこちで忘年会に参加しました。
今はもう行けなくなって寂しいです。
熊谷は兵庫県神戸市あたりが主要舞台ですが、最近たまたま
『平家物語』
の「福原落」を読みました。
旧都福原は荒れ果てて、瓦には松がかかり、墻には蔦が茂り松風ばかりが虚しく吹きます。白居易の詩「驪宮高」を使いながら作者は須磨の方に落ちていく平家をこの旧都に重ねて描いているようです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/03 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
気候変動は待ったなし
先月のローマ教皇の訪日は、長崎、広島で祈ることが第一の目的だったのでしょうか。
どうせなら、1日で2都市を回るのではなく、1日ずつ滞在されて、地元のクリスチャンはもとよりやクリスチャン以外の戦争被害者たちの声ももっと聞かれればよかったと思います。
総理大臣が会いたかったら広島まで行けばいいでしょう。相手がトランプ氏なら揉み手しながら
ホイホイ
飛んでいくでしょうに。
東日本大震災の被害に関心があるなら福島に行って欲しかった。
天皇を訪問したいという気持ちはわかりますが、何と言ってもローマ教皇なのですから、福島からの帰途にでも立ち寄れば十分だったのではないかと思いました。
ローマ教皇は、原子力は平和利用すべきだという考えかと思ったら、帰りの機内で「個人的な考え」として「安全が保障されない限り、核エネルギーは
使うべきではない」
と言ったのだとか。
時代は動いています。気候変動は待ったなし。
私は街中にイルミネーションなんてなくていいと思っています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2019/12/02 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲