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深川 

本所の南は深川です。
創作浄瑠璃『落葉なき椎』を書いた時に登場させたのは深川芸者でした。深川は江戸城から見ると南東側に当たります。言い換えると「辰巳」の方角です。十二支の「子(ね)」から順に時計回りに方角にあてはめますので「辰」と「巳」の間、すなわち「辰巳」の方角が南東に当たるわけです。
そこで、深川の芸者のことを

    辰巳芸者

ともいいました。ここの芸者さんは男性のような名前を付けるのが普通で、「○吉」とか「○奴」などといったようです。
小名木川は江戸時代にできた運河ですが(小名木四郎兵衛が開削)、この北側を深川八郎右衛門が開拓してできたのが深川村でした。明暦の大火以降、開発が進み、両国橋もできて墨田川左岸(東側)はどんどん発展してそこに岡場所もできたのでした。
深川といえば

    松尾芭蕉

もこの地に住みました。
あの「古池や」の句もこのあたりで吟じたと言われます。
芭蕉庵がどこにあったのかについては厳密なところは何とも言えないようですが、その候補の一つである「芭蕉稲荷」があり、そこから萬年橋通りを少し北に行ったところには「江東区芭蕉記念館」もあります。小名木川の南側には「深川江戸資料館」もできていて、これもおもしろそうです。
この界隈もぜひ歩いてみたいと計画しています。

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東京に行くかも(2) 

私の仕事の一つである創作浄瑠璃のうち、野澤松也師との連携で作った『江戸情七不思議』の舞台となっているのは今の東京都墨田区両国、昔風にいうなら本所界隈です。
ずっと以前から、私はこのあたりが好きで、松坂町公園(吉良邸跡)、回向院、さまざまな相撲部屋、勝海舟生誕の地、江戸東京博物館等々、何度となく訪ねているのです。そのころはまだ松也師匠のことは存じませんでしたので、まさか将来このあたりを舞台にした浄瑠璃を書くことになろうとは思いませんでした。
そして浄瑠璃を書き始めたころにはもう東京にはいかなくなっていましたので、知っている土地とは言いながら、改めて訪問せずに書くのはどこか

    隔靴搔痒

の感もありました。古地図を使って舞台となる場所は特定しつつ、周辺にどのようなものがあったかなども調べたりしましたし、今の現場を見てもただの道路であったりビルであったりしますからさほど役には立たないかも、と自分に言い訳もしていました。
昨年の夏に7つの作品を書き終えて、もう二度と訪ねなくていいかな、と思いました。しかし、書きましたよ、と現場に報告に行きたいような気持もありました。
実は、文楽人形の修理をしたいと思っていたため、今年度の予算もほぼなくなってしまうような状況になったのです。ところが、いっそ自分で簡単に修理すればいいかもしれない、と思うようになり、これだと思っていたお金より5万円くらい安上がりになりそうです。
ぽっかり浮いた5万円。さてどうしたものかと考えました。まさか使わずに学校に返すようなことはしたくありません(笑)ので、意地でも使ってやろうとは思っていたのです。そんな折、松也師匠の浄瑠璃の会が東京であると知り、しかも私の作品を語っていただけるかもしれないという噂も流れてきました。
何だか、すべてがひとつになったようで、

    「本所に行こうか」

と考えました。ホテルに泊まるのは相変わらず怖いですが、そんなことばかり言っていては何もできないじゃないか、と気持ちを奮い立たせました。そして、改めて「七不思議」の現場を調べたり、付近に何があるかをチェックしたりし始めました。本所はやはりおもしろいです。

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東京に行くかも(1) 

今年度、私が使ってもいい公金というのが8万円あります。何と微々たるものでしょうか(笑)。
この中から出張(例えば学会やフィールド調査など)や授業関連の物を買うのです。今、たとえば東京に学会で行くとすると、一泊でも旅費+宿泊費で4万円以上かかります。つまり年間に2回は行けないわけです。そのうえ、私のように授業に小道具(笑)を使うタイプのものはその費用も掛かります。又大げさな出張でなくても身近なところでの調査にもお金はかかります。早い話が満足に研究はさせてもらえないのが実情です。
以前は学会に合わせて国立劇場に行ったり上野の美術館に行ったりしていましたが、いつしかそういうことはできなくなり、もう

    東京などに行くことはない

と思っていました。以前は親が東京にいたものですから、宿泊費や食費を気にすることなく厚かましく何日も滞在して(※こういう場合はけっして公金を遣ってはいません。世の中にはしてもいないことにいちゃもんをつける人もいますので・・笑)よくあちこち歩いたものです。そういうこともできなくなって、ほんとうにどこにも行けなくなったことを残念に思っていました。ホテルに泊まるのは、正直なところ怖いのです。火事があったらおしまい、という気がします。フロントで一応声はかけておいても、いざとなったらどうなるかわかりません。それで、もう9年以上ホテルなどに泊まったことはないのです。
学生は東京というとやはり憧れを持つ者が少なくないのですが、私は昔からしょっちゅう行っていましたのでそういうものはなく、行けないなら行けないでいい、という程度に考えてきました。お金をかけて東京に行くくらいなら、東北とか北海道とか、できることなら

    海外

に行きたいものです。
そんなわけで、ここ何年もその8万円を使って東京に行こうなどとは考えたことがありませんでした。ところが、いくつかの偶然が重なって、2月に行こうか、という気がにわかに起こってきたのです。

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大きなダイコン 

私が近くの図書館に行くには徒歩で22分くらいかかります。もう少し近ければもっと頻繁に通うのですが、むしろこれくらい離れていた方が「借りる」「返す」のローテーションには具合がいいかもしれません。ほとんどきっちり2週間ごとに通う日々です。
図書館までの道はいろいろあるのですが、私は車の通る道が怖いので、できるだけ細い道を通って行くようにしています。もっとも、そういう道でも車の出入りはありますので、しょっちゅう振り返ったりしながら歩くのですが。
徒歩22分といいましたが、実際はもう少し時間がかかります。なぜなら、途中で道端や人さまのお庭の花を観たり、掲示板をながめたりしているからです。
もうひとつ必ず立ち止まるのはいくつかの

    

なのです。季節によってさまざまな野菜を植えているところが何か所かあって、つい足を止めてしまいます。
先日はニンニク畑に出会いました。7~8メートル(?)の畝が2列になっているところで、それにいっぱいニンニクが植えてありました。目分量でいうなら、1列に100個くらいあったのではないかと思います。とすると合計200個くらい。大規模な畑ではありませんから、個人で消費するのが目的かと思うのですが、それにしては大量だと思います。ご近所に分けたりするのかな。そしてその近くの畑にはネギの大群のそばに何とも立派な

    大根

が地面から15cm以上姿を見せていました。よく太っていて、さすがにうまく育てられるな、と感心しました。じっと見ていると、何本かを抜いた跡が穴になっていました。私も思わず抜いてみたいな、と思ったのですが、そういうわけにもいかず(笑)立ち去ったのでした。
畝を立てて野菜を育てる、というのは夢みたいなものです。おそらく実現はしないでしょうが、あこがれてしまいます。

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その後のニンニク 

二年続けてニンニクをプランターで育てています。
昨年の秋、ホームセンターで買ったのが2個入りのもので、それぞれに6つくらい種が入っています。しかしどうしても小さすぎるものや健康でないものが混じっていますので、それらは除いて、10個ほど植えたのです。
茎が出て、次々に葉が生長してきます。冬を越す間も寒風に吹き曝しにしておきます。今は1年で一番寒い時期ですが、それにもかかわらず葉は伸びてきます。最初の葉はだらりと垂れてしまい、水やりをしたときにそこに水がかかると水滴が残ってきれいな半球状の

    

になります。
今は9つ目の葉が見えています。若い葉は真上に伸びて元気そうです。
このあと、2月になったら肥料を与えることになっています。あとは虫に気をつけなければなりません。ニンニクはにおいがするから虫は寄り付かない、なんてことを書いてあるネット上の記事があるのですが、そんなことはありません。アブラムシの類がこの葉を好物にしているらしく、

    要注意

なのです。そして、花を咲かせようとして薹が立ってきますので、この花茎は除去して、あとは根が大きくなるのを待つばかり、ということになります。
今度ニンニクについて書くときは、さてどんな様子になっているでしょうか。

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2019文楽初春公演千秋楽 

本日、初春公演がめでたく千秋楽を迎えます
大阪での六代目竹本錣太夫さんの襲名はなかなか評判のよいものでした。錣さん、これからもどうか情の豊かな、また豪胆な浄瑠璃をお語りください。
二月東京公演は例によって三部構成です。

第一部(午前11時開演)
菅原伝授手習鑑(車曳、茶筅酒、喧嘩、訴訟、桜丸切腹)
第二部(午後2時15分開演)
新版歌祭文(野崎村)
竹本津駒太夫改め
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
傾城反魂香(土佐将監閑居)
第三部(午後6時開演)
傾城恋飛脚(新口村)
  鳴響安宅新関(勧進帳)

錣さんは引き続き襲名披露をなさいます。おそらく呂太夫さんも向上をお続けになるのでしょう。どうかつつがなく。

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『今昔物語集』を読もう 

学生時代、説話集をいろいろ読む機会がありました。梅沢本の無名の説話集、仮に『古本説話集』と名付けられたものを基本にして、そこからさまざまな説話に問題を広げていくようなゼミもありました。また、『富家語』『中外抄』など、説話集とは言ってしまうとちょっと違うものの説話的な内容を持つ作品も詠みましたが、これがもう難しいのなんの。今は注釈書も出ていますが、当時は何もなくて、手探りでした。
説話集には、『江談抄』とか平康頼(俊寛とともに鬼界が島に流されてかろうじて帰還した人物)が都に戻ってからまとめたという『宝物集』とか、『古事談』『発心集』『続古事談』『宇治拾遺物語』『撰集抄』『十訓抄』『古今著聞集』『沙石集』など古代中世に盛んに作られました。しかし、説話集の王者といえばやはり

    『今昔物語集』

でしょう。
分量が圧倒的で、中味もなかなか面白いのです。天竺(インド)震旦(古代中国)本朝(日本)の仏教説話や世俗説話を収めており、かぐや姫の話も入っています。
正直に申しますと、私は第1巻からすべてを通読した経験はありません。いつも、関心のある話、何かを調べるために必要な話をそのつど読むような読書の仕方できわめて

    いいかげんな

読者です。
今年の春、この作品を通して読んでみようか、と考えています。千話を超える膨大な分量ですから、簡単ではないと思うのですが、そう言っていると読まないままになりそうですので、頑張ってみようかと考えています。
あるテーマを念頭に置いていますので、一つ一つの話をじっくり読むのではなく、ざっと読み流す感じでもいいと思っています。


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授業は終わります 

今日実施する「児童国語」という科目をもって授業が終わります。
「児童国語」を担当しなさい、と言われたとき、はて、何をすればいいのか、と戸惑いました。
小学校の教員を目指す学生だけなら学習指導要領をきちんと読み、模擬授業をして、ということかと考えましたが、それは

    「国語科教育法」

という授業の範囲で、受講学生は幼稚園教諭や保育士を目指す者も多いのです。
悩みながら試行錯誤を繰り返して工夫を重ね、何とか務めを果たしました。学生には迷惑だったかもしれませんが。
実は、その工夫の過程で、最近私が力を入れている紙芝居を取り入れたのでした。
単に紙芝居を読むのではなく、紙芝居の教育的意義、歴史、技法などについてもかなり話しました。
今年度をもって

    お役御免

になるのですが、なかなか楽しい思い出になりました。
・・と、感傷に浸っている場合ではありません。まだ、一般の方対象の講座が2月いっぱいあります。これをゴールしなければなりません。

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世を宇治山と 

六歌仙と言われる歌人のうちの喜撰法師という人は『古今和歌集』「仮名序」に「ことばかすかにしてはじめ終はりたしかならず」と評されています。そのように評価できるということは、当時ある程度の歌が伝わっていたのかもしれませんが、その伝記もよく分かっておらず、歌といえばほぼあの有名な作品くらいしか分かっていません。
ところがその一首というのが有名になりすぎるくらい有名で、宇治という土地を特徴付けるような役割も果たしました。

  わか庵は都の辰巳しかぞすむ
     世を宇治山と人はいふなり


「しかぞ住む」という部分を「鹿ぞ住む」と解釈することがあったため、宇治山の絵が描かれる場合は鹿が景物にもなっています。北斎の『百人一首姥が絵解き』でもやはり鹿は欠かせません。実際は「そのように住んでいる」ということなので、動物の鹿は関係ないと思われますが。この歌は何と言っても下の句の「世を宇治山」に魔力があります。
宇治山の「う」に「憂」の意味が響き、憂い人が住むところというイメージが固定したのです。
源氏物語の八の宮も妻を失い、家を失って、この世のつらさを思い知って、ついには自身の山荘のあったこの地にやってきたのでした。そして彼は都にいる異母弟の冷泉院に

    あとたえて心すむとはなけれども
世を宇治山に宿をこそ借れ


という歌も詠み送ってもいます。もちろんこの歌の下の句には喜撰法師の歌が下敷きにされているのです。
別荘地でもあるのですが、ここで暮らすのはやはり何か特別な理由があるからでしょう。
京都の西の嵯峨のあたりも別荘地であると同時に隠棲する場でありました。光源氏も晩年は嵯峨で暮らしたことになっています。
宇治川の音を立てて流れる水も、別荘地として舟遊びをするならともかく、ここで暮らすと胸に響くものがあったようです。

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宇治というところ 

今は京阪電鉄宇治線やJR奈良線がありますからそれなりに便利な街になってはいますが、宇治は京から見れば「都の辰巳」なのです。
山と川があって風光明媚ではありました。宇治川には「網代」という魚を捕る仕掛けがなされることで有名でした。川の中に杭をたくさん立てて魚の行き場を狭め、その進路に簀子をしいてそこに魚がのぼってくるようにした仕掛けです。『石山寺縁起絵巻』にその仕掛けがはっきり描かれています。
奈良街道があって、都から長谷寺などに参詣するときなどはここを通っていきました。
貴族は、川遊びができて風景もいいのでこのあたりに別荘を建てることがあり、藤原道長が持っていた別荘は、やがてその息子によって

    平等院

という寺になります。あの、阿弥陀堂(鳳凰堂)で有名なお寺です。
宇治川は琵琶湖から流れてきて、宇治のあたりでは南東から北西に流れるような形になります。
なんとなく逆流しているような錯覚を覚えるので、これもおもしろいのです。
『源氏物語』の終盤はここが舞台になるので、宇治市は源氏物語ゆかりの町として観光客を迎え入れています。

    源氏物語ミュージアム

も、なかなか雰囲気のいいところにあるのです。
そのほかにも紫式部の像が宇治橋のたもとにあったり、『源氏物語』の人物である匂宮と浮舟の像があったりします。
宇治神社、宇治上神社、橋姫神社などもあり、お土産には宇治茶と、至れり尽くせりです。
宇治より京都寄りの木幡というところは藤原氏の墓のあったところです。藤原道長はこの木幡に浄妙寺という寺を建てて先祖を供養しました。
私が一般の方の講座で読み続けている『源氏物語』はついにこの宇治を舞台とするところまでやってきました。

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宇治の八の宮 

『源氏物語』の終盤に登場する人物に光源氏の末弟の八の宮(八番目の男宮)があります。父は帝で母も家柄はよく、世が世なら帝の地位に昇ったかもしれない人です。
あいにくこの人はとんでもない人に利用されてしまいました。弘徽殿大后という人物で、この人は八の宮の父帝の最初の奥さんです。長男を産んでその子が朱雀帝となりました。ところがその時の春宮(皇太子に当たる)は藤壺女御の産んだ皇子(のちの冷泉帝)で、明らかに源氏方の人なのです。弘徽殿女御はなんとかこの春宮を廃して自分の思うままになる皇子を次の天皇にしようと

    画策した

のです。そして、母に早く先立たれて後見人もなかったこの八の宮に白羽の矢を立てました。しかしその計略はうまくいかず、結局世の中は光源氏を中心に動くことになりました。こうなるとかえってこの宮は零落するほかはなかったのです。女の子が二人生まれたものの、北の方は亡くなりました。学問も十分に修めておらず、世渡りのすべも知らない八の宮ですから、伝来の宝物などは次々になくなり、女房たちも一人去り二人去り、実に心もとない生活をするのです。
結局は習い覚えた音楽と仏道に生きるほかはなく、娘に楽器を教えながら聖のような生活をします。

    「優婆塞の宮」

つまり「在俗で仏道修行に励む親王」とも呼ばれる所以です。
あげくには京の邸が火事に遭って、住み場も失います。かろうじて宇治に持っていた山荘があり、そこで晩年を過ごすことにしたのです。
何ともむなしい人生で、彼は二人の娘の将来を案じつつ、だからといって都に戻たりせずに宇治で朽ち果てようと考え、娘にもそのように言い聞かせています。
「世を宇治山と人はいふなり」。「宇治」は「憂(う)」を感じさせるところなのです。

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からだの要 

体のあちこちにガタが来るのは仕方がないことだろうとは思うのですが、このところ、満身創痍になってきました。
年末に田舎の家の外回りの掃除をして以来、腰のあたりが慢性的に痛いです(笑)。竹ぼうきや熊手を持つと、私には長さが足りなくて無理な姿勢を取り続け、腰に負担をかけながら掃除をする羽目になりました。
その後、台所に立ったりすると、これまた高さが私のサイズに合わないものですから、少しかがむような姿勢を取らざるを得ず、これが痛みに拍車をかけたような気がします。
腰は文字どおり

    からだの要

ですから、大事にしないと歩くこともままならなくなります。
そう思っていたら、階段を昇るときに膝のあたりに妙な痛みが走り、その時は昇るのが億劫になるくらいでした。こちらはすぐに楽になったのですが、あるいは腰をかばっていたのかもしれません。

    ストレッチ

をしたりしていくらか楽になり、今は普通に生活していますが、なんとなく違和感を覚える状態です。動かさないのはよくないと聞きますので、じっとせずに歩いたり軽い体操をしたり。図書館にいるときも1時間もすれば背伸びをしたり歩いたりしています。なにしろあまり人のいない図書館ですので、体操をしていても気づかれることがありません(笑)。

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年末年始の日々ー庭掃除 

田舎の家には小さな庭があります。ところが、誰も手入れをしないので荒れ放題。やむを得ず年末には孤軍奮闘で庭師のまねごとをしました。
剪定の時期としていいのかどうかわからないのですが、少しだけなら問題なかろうと素人判断。生け垣の高さや幅をある程度揃えるようにしました。それ以外の木は自信がなくてさわりませんでした。
そのあとは一番の大仕事である(それほどにひどい状態の)枯れ草をしっかり排除しました。なかなか手ごわいうえ、相当な量がありました。この地方では、ごみは事実上の有料回収で、いわゆる

    市指定ゴミ袋

をスーパーなどで売っているのです。その一番大きな袋があっというまに3つ満杯になりました。
庭にはかなり雑草が生えていて(「雑草という名の草はない」のかもしれませんが)、これも見た目がいかにも

    誰も住んでいない家

という感じですのできれいにしました。どんなに汚れてもいい作業ズボンがなく、日によっては雨上がりでしたので地面が濡れていたために膝をつくこともできません。そこで、段ボールを敷いてその上に膝を置いて四つ這いになったり時には腰を下ろしたりしながらの作業でした。
私は背が高いため、普通のほうきや熊手の長さがやや物足りないのです。どうしてもかがみがちになるため、背中や腰に負担をかけます。
そのほかにも、普段はあまり筋肉を使ったのでしょう、数時間の仕事を終えると痛みが来ます。これを4日間繰り返しました。
いい運動になり、さわやかな気持ちにもなれたのですが、疲れと痛みはどうしようもありませんでした。

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年末年始の日々ービールを飲みました 

私は、お酒は嫌いではないのです。学生のころは付き合えと言われたらほとんど断ることなく酒席に出ました。
ビール、ワイン、日本酒、スコッチどれもこれも好きでした。家にはスコッチのボトルがキープ(笑)してあり、日常は何も飲まない(いわゆる「晩酌」をしない)ものの、気が向いたらそのスコッチをなめたりしていました。
しかし、最近は節約のためにまったく飲んでいません。飲めるのは盆と正月(笑)くらいです。
発泡酒や第三のビールと言われるものはどうしても飲む気にならず、そういうものを500㎖飲むなら、350㎖のビールを飲みたいと思うくらいです。で、結局1㎖も飲まない(笑)日々が続いているのです。経済的です。
というわけで、正月だけは特別、と、

    久しぶりに

ビールを飲みました。
最後に飲んだのは昨夏だったと思いますから、もう味は忘れるくらいでした。
最近は以前のような量は飲まないのです。せいぜい500㎖の缶ビール1本です。これで満足できるのですから、健康にも害はあまりないだろうと思っています。
飲むときはたいてい

    サッポロの黒ラベル

です。味音痴の私ですから、それがキリンになろうとアサヒになろうとあまり分からないとは思いますが、選ぶならサッポロということにしています。
とりあえず満足しましたので、今度は春にでもまた文楽の友だちと飲めればいいなと思っています。
3か月の禁ビール!

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年末年始の日々ー二宮金次郎 

何しろ何もないところですので、遊びに行くこともありません。中古の(笑)ノートパソコンといくらかの本、それに校正刷りを2つ持って行きました。
まずは校正をしっかり終えて、そのあと『源氏物語』を中心にするべきことをしていました。
まずまず仕事はできたと言ってよいと思います。
合間には近くを散歩することもあるのですが、そういう田舎ですので住んでいる人はお互い顔見知りの人ばかり。そこに見知らぬ私などがうろついていると

    怪しい者

と疑われるような気がしてなりません。ときどき道端で世間話をしている人がいるのですが、そういう方の近くを通ると一斉ににらまれるような気がします。
近くに、廃校になった小学校があります。今は、校舎はなくなって、ちょっとした建物を建てて地域のコミュニティに利用されているようです。その建物のすぐ横にかなり傷みのある

    二宮金次郎

の像がありました。あの、薪を背負って書物を読むおなじみの姿です。台座には「至誠報徳」の文字。昔の小学校にはいたるところにあった、と言われますが、だからと言って私などはそれを見た記憶がないのです。それでもなんとなく「なつかしさ」を感じるだけに不思議なものです。
そういうものが建てられて、しかもそれが残っているということに一抹の感慨がありました。帰り際にふと見ると、この小学校の創立100年を記念する石碑もありました。40年ほど前の石建立らしいので、今もしこの学校が続いていたら創立140年くらい。明治の初めにできたのですね。金次郎像も相当古くからあったものと思われます。
田舎というのはなかなかいいものです。

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年末年始の日々ーショッピングセンター 

田舎の町とはいえ、別に生活に不自由することはないのです。昔からそれなりの規模のスーパーはあって、ごく当たり前にあらゆるものが買えます。物の値段は都会と変わりませんが、やはり地元産の野菜とか魚とか、という面では恵まれていると思います。
もうかれこれ30年近くになりますが、そんな田舎町にきわめて大きな規模のショッピングセンターができました。人口の少ないところなのに、そんなのを作って大丈夫なのかな、と思ったのですが、これが結構盛況で、多くの人は車でここまで買い物にきます。都会であれば駐車場は

    駐車券

を機械から取って、それをレジで見せて無料にしてもらうなどという面倒なことがありますが、田舎ではそんなことは何もありません。
私用で停めてももちろん無料です。土地はありますから、駐車スペースも広く、「満車」などというのは見たことがありません・
このショッピングセンターには大きなスーパーが入っていて、食品ならまず何でも揃います。
さらに宝石店だの書店だのケーキ屋だのサーティワンだの土産物屋だの楽器店だのスポーツ用品店だのがぎっしり詰まった3階建ての広いビルなのです。隣には独立した大きな電器店もあり、さらに道を隔てて

     ディスカウントストア

なども並んでいます。
町の人の多くがここに来ますので、地元の人ならしばしば知り合いなどに会うこともありそうです。

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年末年始の日々ー田舎の家の周り 

昨年は年末年始を自宅で一人で過ごしたのですが、今年は事情があってはるかに離れた町に行っていました。
新聞もなく、テレビは観ませんので、およそ世の中の動きが普段以上にわからない1週間でした。
少し大げさですが、

    遁世

というのはこういうものかという(笑)のをわずからながら感じました。
こちらには小さな庭があって、そこにちょっとした畑が作れそうで、いつも気になっています。もう少し近くてもう少し頻繁に通えるものなら、たとえばニンニクなら50個くらい植えられそうだと思うのです。残念です。
家の周りには何もなくて、買い物に行くだけでも手間がかかります。バスなんて一日に数えるほどしかなく(値段も高い)、このあたりの人は誰しもが車で生活しています。
私は、元気であれば町まで歩くのも平気なのですが、今はちょっとそういうわけにもいかないのです。何しろ、坂道を

    片道40~50分

歩くのですから。
このあたりに住んでいる人はいったいどういう生活をしているのか、あまりよく分かっていません。もともとは紙を作っていた土地柄らしく、ほかには畑仕事などをしていたのでしょう。今でもちょっと見渡せば畑なんていくらでもあります。しかし今はやはり勤め人も少なくないのだろうとは思います。
地域の広報誌を見ると昨年の成人は、町全体で150人足らずだったそうです。学校のクラスにして4~5クラス分ですが、これがおそらくいくつかの小学校に分散しているのでしょう。市内の小学校など数は知れいているはずで、成人式などは顔見知りだらけでしょう。「あれ、〇〇さん、来てないね」なんてすぐにわかるでしょうね。
私のいる家の近くには小学校があったのですが、それはすでに廃校になっています。このあたりもやはり少子化あるいは過疎化の現象がごくあたりまえに起こっています。

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年末年始の日々ーペテルギウス 

年末にネットのニュースで見たのですが、オリオン座の一等星で赤色のベテルギウスの光が急激に弱まっているのだとか。
以前から、この星は寿命が近づいているのではないかと言われていましたが、昨年の秋以降、光の弱まり方が顕著だということです。
ひょっとすると

    超新星(Super Nova)

を体験することができるのでしょうか。
私が年末年始に行っていたところはなにもないところですが、だからこそ夜になると星が鮮やかに見えるのです。
この時期、かなり寒いのですが、外に出てみるとオリオン座なんて本当に鮮やかに見えます。夏には牽牛織女がギラリと輝き、白鳥座のデネブはもちろんくちばしのアルビレオもきれいですし、天の川もわかります。
裸眼でもきれいなのですから、

    双眼鏡

を使えばほんとうに数限りない星が見えるのです。
ベテルギウスが爆発したら昼間でもその姿が分かるようになり、かなり長い期間明るく見えてやがてわからなくなっていきます。
星については平安時代にも天文博士(安倍晴明など)が観察しています。寛弘三年の超新星は藤原道長の『御堂関白記』などの記録にも残っており、当時の人は大変驚いたようです。
もし年末年始にそういう現象が現れたら、と思ったのですが、さすがにそうはいかなかったのです。
ベテルギウスがなくなったら、オリオン座は寂しくなります。リゲルや三つ星はありますが、やはりあの燦然と輝く星はかけがえのないものに思えてなりません。

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年末年始の日々ーご当地もの 

関西には阪神タイガーズのファンが多いようです。私は、野球は好きですが、もともとセ・リーグにあまり興味がありませんので阪神にも関心はないのです。しかし、甲子園球場で阪神戦がある夜など、阪急電車に乗っていても阪神のTシャツを着て、メガホンを持って、タオルを首にかけている人などに出会います。 雰囲気で「今日は負けたのかな」というのがわかります。
以前、阪急西宮北口駅のそばに阪急ブレーブズの本拠地の

    西宮球場

があったときでも、甲子園と同じ日に野球があると圧倒的に西宮北口など知らん顔をして甲子園に行く人が多かったのです。
私はひねくれものですので、閑古鳥の鳴く西宮球場によく行ったのですが。
この正月前後に私がいたところはある野球チームのご当地です。その球団を応援する人はさすがに多くて、熱の入れ方はただものではなく、日用品などのあらゆるものにそのチームのマスコットなどが描かれています。
野球開催時期には、地元の新聞などもまずそのチームについて記事を載せますし、オフでもなにかあるごとに監督や著名な選手、OBなどがメディアに登場するのです。
こちらでごちそうになった

    ビールの缶

にもマスコットが描かれていました。
地元愛の強さたるや関西の比ではありません。
関西は京都、大阪、神戸、奈良などそれぞれに個性があってプライドも高いので「大阪なんかと一緒にせんといておくれやす」「神戸みたいなもん、山と海しかあらへん」「京都の人間はツンとしとぉからな」「奈良はただの田舎やん」などとお互いをけなしたりすることもあります。
地域に統一感がないうえ、それぞれの町がそれなりに大きな町なのでみんな一緒になにかをやろう、という意識が薄いのかもしれません。たしかに阪神タイガーズは人気がありますが、キャラクター商品の普及は一部にとどまっているように感じます。

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枕草子についてお話しすること 

私は平安時代の文学や歴史に興味を持って勉強してきたのですが、なにしろ浅学で能力もなく、人様に教えられるような大先生ではありません。
これまで授業を聞いてくれた学生さんには、大変申し訳ないような気持ちを持っています。
昨年(2018年)から始めた

    枕草子

の講座など、毎回ほんとうに何も知らないようなことをお話ししているので、綱渡りをしている気分なのです。
こんなことを話していいのだろうか、とか、こんなことを言って間違いではないのだろうかとか、とにかく不安だらけです。『源氏物語』でも同じことで、専門家と呼ばれるような者ではないのに偉そうにものを言っていいのだろうかと、ずっと思ってきました。
『枕草子』に関しては、あまり面白いと思ってこなかったので、特に勉強に身が入ってこなかったのです。しかしいつまでもそんなことでは、平安時代文学の

    看板を上げる

わけにはいかないだろうと思い返して、昨年から徹底的に予習することを自分に課したうえで、多少の失敗は覚悟して講座を始めたのです。
実際、失敗というか、知らなかったことが次々に出てきたためにあやふやな物言いをしてしまい、次の会にお詫びして訂正するなどということもありました。受講者の方から指摘されて初めて分かったこともありました。
それでも、やはり作品がおもしろいのでしょう、続けてきてくださる方が多く、今なお継続できているのです。ありがたいことだと思っています。

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ブログの難しさ 

このブログは、誰でも読めるものです。といっても、多くの読者がいらっしゃるわけではなく、ごく内輪の方ばかりに読んでいただいているかなと思います。
そういう意味では何を書いても大目に見ていただけるような気がして、つい思ったことを書いてしまいます。でも、時には思いがけない方の目に留まることもあるでしょう。ネットサーフィンという言葉がありましたが(今でもあるのかな?)、そういうことをなさっている方が何かのはずみでご覧になることもないとは言えません。それは、新しい友だちができるということでもあるでしょうからありがたい話ではあるのですが、怖さでもあります。以前、ツイッターで、ごくわずかの学生さん向けに発信したことが

    バズって(一時的に拡散して)

しまったことがありました。それが天皇(当時。今の上皇)に関することでしたので、「敬称をつけないのはおかしい」という非難のコメントが次々に入ってきました。いや、別にあなたに見てもらおうと思って書いたわけではないので・・と言いたいところではあるのですが、SNSの宿命で無縁の人に見られてしまうわけですから、やむを得ませんでした。今、ツイッターは素性のわかっている人(笑)だけに公開するように(いわゆる「鍵付き」)設定しています。
しかしブログというのはなかなかそういうわけにはいかず、

    読んでほしくない人(笑)

にも読まれてしまいます。私としては揚げ足を取られて非難がましいことを言われるのは御免蒙りたい気持ちなのです。当然ながら、いつもコメントをくださる方々にそういう方はいらっしゃいませんが、ケチをつけるために(?)読むという愛読者もいらっしゃるらしくて困ります。気に食わないなら読まないでほしいなぁ、と、つい思ってしまいます。

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ホームドア 

最近あちこちの駅でホームドアがお目見えしています。私が初めてそういうものを見たのは、おそらく東京の地下鉄だったと思います。東京は人が多いので、さすがに進んでるなぁ、という程度に思ったものでした。
ところが、私が耳を悪くしてから、阪急十三(じゅうそう)駅の京都線ホームがこわくてこわくて仕方がありませんでした。電車が入ってきたときに誰かにひょいと突き飛ばされたらあっけなくお陀仏です。電車や人が迫ってくる感覚を、目以外では察知できませんので、ぼんやりしていると

    突然

目の前に電車が入って来る、という感覚になることがあるのです。
朝は人が多いのにホームがとても狭く、悪意はなくても押されることがあるからです。京都線のホームは河原町行の特急、快速急行、準急、各駅停車に加えて、高槻市行き、北千里行きなどの各停も来ますので、誰もが入線してきた電車に乗るとは限りません。そうすると後ろにいた人が前に出ようとして、その人に押すつもりはなくても、前にいると

    押される

ように感じることがありました。
こんなことを感じるのは私だけかなと思っていたら、学生も同じように「からだが触れたりすると怖い」「誰かに突き飛ばされないかと思って、電車が入ってきたら後ろを振り返る」などと言っていました。
同じ十三駅でも、ほかの線はあまり恐怖を感じませんので、やはり京都線は一番怖かったようです。
その京都線にやっとホームドアがついてとても楽になりました。

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改メ 

「土佐将監閑居」で襲名というと、昭和63年の五代目竹本伊達太夫の先例があります。
このとき伊達師は還暦で、やっと伊達路という初名から花形名に改められました。伊達は土佐太夫の前名でしたから、この後もう一度、土佐を襲名されるのだろうかと思ったものでした。
いずれにせよ、

    還暦での襲名

は遅いな、と思ったのですが、先年の呂太夫さんもこのたびの錣さんも古希または古希を過ぎての襲名でした。
また、伊達師は土佐を名乗られることはなく、切の字も許されないままに終わりました。
四代竹本越路太夫師がトンカツ屋から舞台に戻られたとき、つばめの三代目を名乗られましたが、そのときは床で口上があったとか。ただ、越路師は、自分クラスの襲名なら番付に「小松太夫改メつばめ太夫」と書かれるだけで、床であっても口上があるのは破格の扱いだった、とおっしゃっていました。
それで思うのですが、四十代くらいの若い太夫さんにも、

    「改メ」だけ

の花形名への襲名はあっていいのではないでしょうか。
襲名は物入りと聞きますが、できるだけ本人に負担をかけないようにするためにもその程度の襲名にすればよいのではないか。
呂勢太夫さんが大きな病気でしばらくお休みです。例えば、呂勢さんが戻られるとき、心機一転名前替えをするのもありではなかろうか、と思います。

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斎院らの便り 

清少納言の時代に賀茂の斎院であった人に村上天皇の皇女の選子内親王という人がいました。賀茂の斎院というのは賀茂神社に仕える未婚の皇女で、天皇が後退すると新たに選ばれるのが基本ですが、この選子内親王は円融天皇の時代から花山天皇、一条天皇、三条天皇、後一条天皇の五代にわたって斎院の地位にあったのです。「大斎院」とも呼ばれる所以です。この人は誰からも一目置かれるような人で、特に文化的な面ではひとつの

    サロン

を形成したと言われるくらい注目を浴びました。
あの、雪山がとけるかどうかを話題にしていた正月一日の夜、その斎院から中宮のところにお使いが来ました。それを受け取った清少納言はとるものもとりあえず中宮のところに行きました。中宮はまだ寝ていたのですが、清少納言が格子戸を持ち上げている音に気づいて目を覚まします。そのとき清少納言は「斎院からのお便りがあったからには

    急いで

お渡ししないわけにはまいりません」というのです。ここからも斎院がどういう目で見られていたかがうかがえると思います。
斎院から届いたのは卯槌(うづち)を卯杖(うづゑ)のようにして、山橘やひかげ、山すげなどというご祝儀の花で飾ったものでした。
ところがお手紙がどこにもありません。そんなはずはない、と探ってみると、その卯杖の先の部分を包んであった紙に和歌が書かれていたのです。さすがというほかはないのでした。
なお、卯槌というのは一月最初の卯の日に邪気を祓う目的で贈答された槌で、桃の木などを用いて小さな直方体に整え、縦に穴をあけて五色の糸などを通したものです。卯杖も同じく邪気を祓うもので、これは文字通りの杖です。

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錣太夫さん、おめでとうございます 

先日、文楽劇場で、竹本錣太夫さんにお祝いのご挨拶をしてきました。
この日は朝からバタバタ忙しくて、てんやわんやしたあと、出かけました。
第1部終演後、錣さんがロビーに出ていらっしゃいましたので、ひとこと、と思ったのですが、長蛇の列が出来ていました。
なんと、

    サイン

を求める列でした。あきらめようかどうしようか悩んだのですが、ここまで来て帰るわけには、と、列の最後尾に並びました。その時点で30人ばかりの列でした。
やっとひとこと申し上げてホッとしました。
そのあと、このブログに時々コメントをくださるゆかりさんと合流して、小一時間、文楽談義。
この方の熱意とフットワークはたいしたものです。
いつもありがとうございます。

さて、正月休みは終わり、月曜からまた仕事が始まりました。
一年で一番

    寒い時期

にセンター試験や大学の後期試験をするのは何度考えても理不尽です。
あと3週間、頑張ります。

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とけるな、雪山(3) 

年が明けると、なんとまた雪が降ってきました。清少納言は喜ぶのですが、中宮が「これは新しく降ったのだから一緒にしてはダメ。元の雪山だけ残して新しく降ったものは捨てなさい」と言います。中宮も本気になっています。
さて、一月三日に中宮は急遽内裏に行くことになり、この雪山がどうなるのか見届けることが難しくなりました。
意地でも一月十五日までもたせようと思う清少納言は、

    木守

という、御庭番のような女性に頼み込みます。「この雪山をしっかり見張って、子どもが踏み荒らしたりしないようにしなさい。十五日までは維持しなさい。もし十五日までもてば、中宮様からご褒美があるでしょう」などと言い、くだものなどを与えます。なんとも子どもっぽくすら感じる作戦です。そして清少納言中宮に付いて内裏に入りますが、はその後も内裏に仕える下女のような者を遣いにやって様子をうかがわせます。
一月七日には実家に戻るのですが、それ以後も人に様子を見に行かせます。
ところが、十四日になって

    雨が降った

のです。
これではとけてしまいます。
かろうじて少し残っていると聞いた清少納言は、折りびつに残ったものを入れて中宮に見せようとしますが、その時には雪は消えていたというのです。
誰かの妨害があったのだとがっくりした清少納言が敗北の弁を語ると、中宮は「実はその雪は十四日の夜に捨てさせたのよ」というではありませんか。そして中宮は「だからあなたの勝ちよ」とも言ったのです。
雪山をめぐる一か月ばかりの騒動ですが、当時の人も雪はきれいなものとして子どものように愛したことがよくわかります。

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とけるな、雪山(2) 

実はこの女法師はこのあとさらに意味ありげな歌を唄ったうえで「頭をくるくる回す」のです。この動作が何を意味しているのか、私の受ける印象としては、とてもここには書けないようなことだと思えてなりません。
あまりにも品がないので、この女法師は女房から「帰れ、帰れ」と非難されるのですが、その時も女房たちは笑い半分なのです。
学生が時々、女子校ではかなりすごい話をしますよ、と言っていましたが、そういう類かなと思います。
さて、おそらく長徳四年(998)のことと思われるのですが十二月十日過ぎ、一年で一番寒いころになって、雪が降ります。この雪はかなり積もったようで、男性官人たちに命じて雪山を作らせました。
この時の様子は白描の

    『枕草子絵巻』

にも残されており、大きな雪だるまのようなものをころがして山を作る様子が描かれています。中宮が、「この山はいつまで消えずに残るでしょうね」というと、女房たちは口々に「十日くらい」「もう少し長く」というのですが、年内に消えるようなことを言うので、清少納言は思い切って「一月十日過ぎまで残るでしょう」と言ってしまいました。彼女もさすがに言い過ぎかなと思ったでしょうが、あとには引けなくなったのです。
こうなると、清少納言も必死で、あのインテリ漢文学者のような姿とはまるで違って越の白山(加賀)の観音に「雪が解けませんように」と祈ったりするのです。白山といえば雪の積もる山として都にもよく知られていました。
清少納言自ら

    「物狂ほし」

といっているのですが、人の心の中に潜む幼児性を自らのこととして描いているようで、とてもおもしろいところです。
雪山はつごもりになっても消えません。そんなときにあの「ひたちのすけ」がやってきたりするのですが、彼女はまたここでも笑いものにされてしまいます。

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とけるな、雪山(1) 

『枕草子』の作者の清少納言は大変なインテリだったようです。彼女が生きた時代の男性貴族は学問として古代中国の文学、歴史、思想などを身に付ける必要がありましたが、女性はさほどでもなく、むしろ和歌、音楽、書道、絵、裁縫などに秀でている方がよしとされたようです。
清少納言は父親(清原元輔)が著名な歌人だけに自分はあまり得意でないようなふりもしますが、実際は機知に富んだ歌を詠んでいます。それ以外についても人並みにはできたでしょうが、それよりも監視漢文が好きだったことがうかがわれます。男性貴族がうなるほどの漢文の知識を持ち、それを絶妙のタイミングで表に出す(彼女は隠そうとはしません)のです。あるときは、漢詩の一節を言われて、その次の句を知っているかと問われ、そのまま答えたのではつまらないとばかりに

    和歌の下の句

で答えたりもしています。しかもその和歌は自作ではなくうまく他人の歌を借りたりするのです。
その一方、『枕草子』には女性たちがキャーキャー騒ぐ話も出てきます。なにしろ「笑ふ」という言葉がよく出てくる作品なのです。
彼女の使える中宮(定子)が内裏から少し離れたところに仮住まいしているとき、そこでお経を読む法会がおこなわれたのです。そこにみすぼらしい姿の女性法師がやってきて、何かおさがりをくださいと願うのです。女性法師というと聞こえがいいのですが、物乞いをする人という方が正確だと思います。この女がなかなかのしたたか者で、「自分は仏弟子だから、おさがりをいただくのは当たり前だ」というのです。女房たちがからかい半分に「夫はいるのか」「子はあるか」「どこに住んでいるのか」「歌は歌うか」「舞を舞うか」などと言うと、「夜は誰と寝ようか、

    『ひたちのすけ』

と寝よう。肌触りの良い人だから」などという俗謡のような歌を唄います。この「ひたちのすけ」というのは男性なのか女性なのか、意見が分かれるところです。「常陸介」という名前からしても男だろう、とも、肌を問題にするのだから、これは男性の立場から女性を言ったものだろう、ともいわれます。彼女自身、この歌を唄ったために、女房たちから「ひたちのすけ」とニックネームをつけられ、なるほど女性の名前としてもあり得るものではあります。
私自身は、これはやはり男性を言っているのではないかと思っています。肌ざわりとあるから女性のことに決まっている、というのもわからなくもないですが、女性同士の会話なら男性の肌触りを問題にしてもいいのではないかとも思うのです。
こんなことを書いていると、また「けしからんブログだ」と言われて仕事場のパソコンからは遮断されてしまうかな。でも私のせいじゃないですよ、文学の話ですからね。

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2020年文楽初春公演初日 

今年も文楽公演が始まります。あまり行けなくなったので残念なのですが、心から応援しています。
初春公演の演目は

第1部 午前11時開演
七福神宝の入舩
竹本津駒太夫改め
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
傾城反魂香(土佐将監閑居)
曲輪文章(吉田屋)
第2部 午後4時開演 
加賀見山旧錦絵(草履打、廊下、長局、奥庭)
明烏六花曙(山名屋)

ということです。
錣さんの披露の口上はどうやら床で呂太夫さんがなさるようです。

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2020年は何があるかな 

新年2日目です。
特に贅沢なものを食べるわけでもなく、お酒を飲み続けるわけでもないのですが、小さい正月を送っています。
去年はあまりこれといって大きな出来事はなかったように思います。淡々と勉強していたかな、と思います。ほんとうなら学部学生の頃、せいぜい大学院生の頃にしておかなければならないようなことを今頃になってしている感じです。多少は本来の専門分野である

    平安時代

のことが分かってきたかな、という程度です。
以前は理屈で考えていましたが、このところ、肌で感じるというか、平安時代に生きている感覚もいくらか出てきました。勉強しているのは貴族の世界ですが、あいにく身分は庶民です(笑)。
もっとも、庶民生活のことも、以前に比べるといくらか感じられるようになってきたので、正真正銘の庶民になっているかもしれません。
さて、今年はどんなことをしようか、考えないでもないのです。
新しい仕事としては、

    「細川幽斎

に導かれて伊勢物語を読む」という講座をしたいと思うのです。細川幽斎は伊勢物語の注釈をしていますので、それを読んでみようかなと思うのです。ただし、いくらやりたくても参加してくれる人がいらっしゃらないとどうにもならないのですが。
来月には野澤松也師匠に差し上げてきた「江戸情七不思議」がやっと活字になります。いまどき、紙に活字で書いたところであまり感動は多くないのですが、それでもひとまとまりの仕事ができたという思いはあります。
さて、新年、何をしようか、おいおい考えていきたいと思います。

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