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延期 

源氏物語の講座がまもなく終わります。
あと一回です。そのつもりで予習してきました。
しかし、例の新型ウィルスの影響がこんなところにやってきました。
詳しい事はわかりませんが、何かと圧力でもあるのでしょうか、さしあたり

    延期する

と言われてしまいました。
わずか10人の講座です。春休み中ですから閑散としたところです。それなのに、なんでまた? 
・・という気持ちになりました。
インフルエンザの方がずっと確率は高そうに思うのですが、小さな学校ですから、どんなリスクも避けたいのかな。
予定を入れてくださっていた受講者の方々には申し訳ないかぎりですが、

    無力

な私にはどうしようもありません。
私のような教育の末端にいる者は政治家が思いつきで、あるいは自己満足のために言ったように見える「政策」でなにかと迷惑をこうむります。
教育大臣だけは現場で苦労した人に担当していただきたいと考えます。

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稽古照今 

先日、NHKテレビで初代吉田玉男師匠の番組がありました。といってもテレビに縁のない私は拝見していないのですが。しかしさすがに玉男師匠。SNSではかなり盛り上がっていたようです。
その中で、玉男師匠が

    稽古照今

ということをおっしゃったらしく、これも結構話題になっていたようです。このことばは『古事記』の序文にある「莫下稽古以縄風猷於既頽照今以補典教於欲絶」からきているようです。
「古(いにしへ)を稽(かんが)へて風猷(ふういう)の既に頽(すた)れるを縄(ただ)し、今に照らして典教を絶えむとするに補はずといふこと莫(な)し」とでも読むのでしょうか。ここで言っているのは、「これまでの政治というのは昔のことをよく考えて、風教道徳のすでにすたれたのを正して、今をはっきりと見定めて人の道の規範の絶えようとするのを補わなかったことはない」ということと思われます。早い話が、昔を知って人を教化や道徳が廃れているのをまともにしたり、今を見つめて人がなすべき規範がなくなりそうなのを補ったりすることをいつもやってきた、というわけです。
これすなわち、

    歴史を学ぶ意味

ですね。玉男師匠も昔に学んで今に照らして自分の芸を磨いていかれたのでしょう。浄瑠璃の世界では「口伝は師匠にあり稽古は花鳥風月にあり」とも言われるようです。
「稽古照今」は「温故知新」にも似ているでしょう。
こういう発想を持たない人が権力を握ろうものならとんでもないことになります。それは今の日本を見れば明らかだと思います。
私はいつも学生に歴史の話をするときに、必ず歴史を学ぶことの意味から話を始めます。今度学生に話すことがあったらこの「稽古照今」もネタにしようかと思います。

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中止 

新型ウィルスへの危機感から、さまざまな行事が中止に追い込まれています。
私は先日東京国立博物館に行った(詳しくは後日書きます)のですが、かなりの人出で、今の風潮からすると、ひょっとしたら続けられないのではないかと感じました。
すると、やはりしばらく休館するとのこと。

    自粛

というと、昭和天皇が亡くなった時に「歌舞音曲は控える」という空気が蔓延し、さまざまな催しがなくなったことを思い出します。
今回は、一般人には姿が見えないものを相手にしていますので、どの範囲で催しをやめればいいのか、そもそも何でもかんでもやめる必要があるのか、など、疑問も少なくありません。
国立博物館のようは、閉ざされた空間にたくさんの人がひしめいている状況は、たしかに異様な感じはします。
展示物に気を取られるあまり、

    他人と接触する 

ことなど珍しくありませんから。
もし感染者がいたら、その人の触れたものに多数の人が手を伸ばす可能性があるでしょう。
私の仕事場の図書館は「新型ウィルスのために土曜日は休館する」ことになったそうです。土曜日なんてほとんど人は来ないのになんでまた?
それよりも、パソコン教室にはアルコール消毒液などを置く方が大切だと思います。
文楽の地方公演が始まりますが、早速中止のお達しが出始めたようです。

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二年間の枕草子 

昨日、今年度の『枕草子』の講座が終わりました。年30回という長丁場なのです。学生の授業も30回ですが、講座は一回が120分ですので量としては1.3倍。いや、試験はありませんしみなさん真剣なので私語を注意する(笑)ということもありませんから、事実上1.5倍くらいはあると思います。かなりハードな日程です。
学生時代からこの作品とはまんざら無縁ではなかったのですが、いつも断片的に読んだり、通読しても細かいことはあまり気にしなかったりで、付き合い方としてはいくらか距離を置きながら伴走しているような感じでした。
しかし、まともに向き合わずに勉強生活を終えるのはまずいのではないかと思って、一念発起して受講者の方を募ってお話しするために勉強してきました。
募るというのは募集することです、念のため。
この講座は2年単位なので、合計60回、

     120時間

でした。これだけ時間をかけて、やっとこの作品の3分の1まで来たところです。もしこのまま続けていくと、最後まで読むのにあと4年かかることになります。
改めて細かく読んでみると、これまで読み過ごしていたことがどれほど多いかよくわかります。また、その時は納得して読んでいても忘れてしまっていることも多々ありました。
ひとことでいって

    勉強に

なりました。受講者のみなさんのご希望もあって、途中で藤原師輔が子孫に残した『九条殿遺誡』を全部読んでみる、という、回り道のようなこともしました。この訓戒も熱心に読んだのははじめてでしたので、大いに勉強させていただきました。
講座というのは、受講者の方がいらっしゃらないと成立しませんので、皆様には感謝の言葉しか思い浮かびません。

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AMラジオ 

やたけたの熊さんに教わったのですが、ラジオの広告収入はずいぶん減っているそうです。いきおい、制作にかけるお金も節約せざるを得ません。
AMラジオというと、ずいぶん昔のことを思い出します。
家の近所にまだスーパーマーケットなどというものがあまりなかったころのことです。スーパーというとマスダという店と、今はマンダイといっている、万代百貨店がありましたが、普段親が買い物に行くのはいわゆる

    市場(いちば)

でした。アーケードになっていて、個人の店がずらりと並んでいるものです。本屋(書店という感じではありませんでした)、お菓子屋、八百屋、肉屋、うどん屋、魚屋、乾物屋、文房具屋、手芸屋などが20~30店くらいあったかもしれません。
買い物かごを持ったお客さんが店の人とやり取りしながら物を買う、という風景です。そこではいつもラジオが流れていたのです。朝日放送であったこともよく覚えています。午後になると

    ダイマル・ラケット

さんの番組があったはずです。市場の中はざわざわしていますから、聞こえるような聞こえないような・・ですが、独特の雰囲気がありました。
そういうのも今はなくなり、また、家庭でAMラジオを流しているところも減ったでしょう。今の桂文枝さん、当時の

    桂三枝さん

がラジオに出始めたころ、私はまだ深夜放送など聞くような生活ではなかったのであまり知りませんが、当時の中高生にとってはラジオこそがトレンドだったのだと思います。
NHKラジオでは上方演芸会とか、そういう決まった番組でなくてもしばしば昔の演芸や浄瑠璃の放送をしていました。私が

    ワカナ・一郎、

雁玉・十郎、エンタツ・アチャコ、初代春団治、五代目松鶴、山城少掾・四代目清六、八代目綱太夫・十代目弥七などを初めて聞いたのは、おそらくNHKラジオだったと思います。
今はラジオそのものを聴けないのでどういう状況なのかわかりませんが、時代の趨勢には勝てなくなっているのでしょうか。

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2020年2月文楽東京公演千秋楽 

文楽2月公演が本日千穐楽を迎え、2か月にわたる竹本錣太夫さんの襲名披露も一段落します。
錣さん、お疲れ様でした。しかし、今後が大切。切語り目前ですから。
錣さんは高い声が出ますから道行とか四段目の語りを思われる方が多いと思うのですが、案外修羅風の

    二段目

もいいかも。例えば『義経千本桜』を通す場合、幽霊から大物まで、というのもありかな、と感じます。
さて、4月はその『千本』の通し。
春の通しはこれですね。
その前に

    地方公演

ほかがありますが、昨今問題になっている新型コロナウイルスで小さな催しが続々中止になっているとか。
目に見えない脅威は不安です。

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人差し指 

写真を撮るとき、ピースサインといわれる、指を二本立てる仕草をすることが多いですが、最近はサムアップすることも目立ちます。親指立てですね。
手指の中で唯一フィンガーと呼ばれないのが親指。だから英語では人差し指のことを(2番目にあるように見えるのに)ファーストフィンガーとも言うようです。人差し指のよく知られる英語はむしろインデックスフィンガーかもしれません。物を指す時に使う指だからでしょうね。
私は子どものころ、

    人を指差してはいけない

と言われました。指差すのは、口論するとき、相手を敵視するときあたりでしょうか。
人を指し示す場合は、むしろ手のひらを上に向けると比較的丁寧な印象を与えるでしょう。
私が学生を指す場合はどうしているかなぁ?
おそらく、怒るときは人差し指、そうでない場合は手のひらを使っていると思います。
今の総理大臣の言動にはあきれ返ることが多いのです。いつぞや「募っているけど募集じゃない」という摩訶不思議な答弁をした、というよりは

    『募』の訓読みを知らない

ことを吐露してしまったこともありました。
この人は、嘘もつきますし、人の話をきちんと聞きませんし、官僚や秘書の書いたふりがな付きの(笑)文章をやっと読むことで生きながらえている感があります。
私は、この人のしぐさでも気に入らないことが多々あります。
中でも不愉快なのはすぐに人を指差すことです。あれは実に品がない。ああやって他人をコケにすることを子どもの時から続けているのでしょうか。
ひょっとすると、あの人は口論と討論の違いを理解していないのではないか、とまで勘ぐりたくなります。

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猫の日? 

猫が好きな方がとても多いです。
私は「同居するなら犬」なので、猫が家にいたことはありません。
犬や猫を愛玩動物とするのはずいぶん古くからのことです。
平安時代についていうなら、『源氏物語』にも『枕草子』にもあたりまえのように出てきます。
『源氏物語』では、唐猫が簾から飛び出した拍子に簾が揺れて、室内にいた光源氏の若い妻の姿があらわに見えて、それが遠因となって

    密通

という悲劇が起こります。
『枕草子』では、天皇のかわいがる猫を追い回した「翁丸」という犬が叱責され、激しく打たれた上に追放されます。
いずれも猫自身は「我関せず」で、それでいて重大な影響を他人(他犬)に与えてしまっています。
猫のかわいさでもある

    マイペースぶり

が生かされた内容といえるのではないかと感じられます。
唐猫というのは舶来の猫で、唐犬もかわいがられていました。
2月22日は猫の日なのだそうですね。

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薫中将 

このブログのハンドルネームとして、私は藤十郎を名乗っていますが、これは歌舞伎の坂田藤十郎丈とは関係なく、文楽の人形遣いに生まれ変わったらこの名前がいいな、と思ったからです(笑)。
実は、以前は

    

と名乗っていました。
これは源氏物語の登場人物の薫に由来します。
と言っても、あちらは私とは似ても似つかぬ美男。
あつかましいと思いつつ、女心を解せずに思い違いをしてしまうあたりが似てるかも、と思ったのです。
講座で長らく読んできた源氏物語は、今

    橋姫

の巻です。薫が宇治の姫君を垣間見して動揺するあたりです。
宇治の自然を重ねつつ、夢中になっていく薫の様子が描かれます。
今日も講座でその一部を読みます。

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6つ目の上演 

昨夏、創作浄瑠璃「江戸情七不思議」の最後の二つを書き終えました。それがやっと活字になりました。
活字にしたからといって世の中のためになるわけではありますまい。論文と称するものも、私の場合高く評価されるものはこれといってなく、結果論でいうならほとんどが自己満足に終わっているような気がします。それでも、自分の勉強のためにはかなり意味があって、授業に反映できますので、私自身は「これはこれでもいいだろう」と納得するほかはないのです。
この七不思議の活字化も、もしかしていつの日か誰かが読みたいと思うことがあったら、という気持ちで書いたのです。
ところが、

    野澤松也師匠

はさすがに人気のある方です。「活字にします」ということを漏らしたら、師匠のファンの方が「どんなのか見たい」と言ってくださったりして、何部か売れそう(もちろん無料で)な気配になりました。さらにそれが松也師匠のマネージャーさんの耳にも届くや、30部ほど欲しいと言ってくださいました。おまけに、「春には『七不思議ナイト』を開催します」とのこと。3月かなと思っていたのですが、それがいよいよ今月末に迫ってきたのです。
マネージャーさんのご意向では、会に参加してくださった方に

    プレゼント

したいとのことです。しかし、こんなものを差し上げて喜ぶ方がいらっしゃるのでしょうか。きちんとした本ならともかく、たかが10ページほどの小冊子です。会場の近くのごみ箱に捨ててあるなんてことにならないか、今から心配しています。
さて、その催しでは私の「七不思議」の演奏としては6つ目のものが初演されるのです。わくわくする反面、「演奏はいいけど、文章がねぇ」ということになりはしないかとどきどきもしているのです。

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LINEポイント 

障害を持って以来、世の中からどんどん遅れていきます。さすがに、ビデオやカセットのテープが時代遅れなことくらいは知っていますが、今何かを録音する場合はどうやってするのか、まるで知りません。録画ということもしませんので、DVDに録画せよと言われたら操作についてのマニュアルを読まないとわかりません。

    キャッシュレス

というと、私にとってはクレジットカード決済のことと同義なのですが、今はスマホ決済の時代になってきました。これもまったく知りません。
スーパーなどでみなさんがお使いになるポイントカードもまったく使いません。あれを使うといくらか得になるということは知っているのですが、カードを作ること自体が面倒で使っていないのです。
LINEはどうしても使わないわけにはいかなくなって、日常の連絡道具にしています。LINEというと、言葉だけでなく「スタンプ」を使うのが当たり前になっています。私はこれまで、楽天とかANAとか、企業などが無料で配布しているスタンプばかり使っていました。しかし、たいていの人は

    ポイントを使って購入する

らしいので、これも私にはわからない話だな、と思っていました。「そのポイントって、どうやって貯めるの?」という大問題(笑)があったからです。
先日、カップ麺を買ったら「もれなくLINEポイントを5ポイントプレゼント」「抽選で100ポイントが当たります」と書いてありました。「これだ!」と思って試してみました。すると、なんと100ポイントが当たって、一気に105ポイントをゲット(笑)。
その後は、いろいろな方法で少しずつポイントを貯めて、今180ポイントくらいあります。これなら購入できるぞと思っていたら2ポイント=1コインに当たり、これなんかいいかなと思うものはたいてい100コインで購入できるようでした。するとまだ20ポイント分不足していることになります。
これはまたカップ麺を買うかな、と思っていたら、そのキャンペーンは終わっていました(笑)。
しかし、LINEポイントの意味が分かるようになるとは、なかなかの進歩です。

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還付金いただきます 

確定申告の時期です。
私は毎年、還付申告をします。医療費を多額に払っていますので、少しでも返って来ればと。
この申告を始めた頃はすでにネットで書類を作れる時代になっていました。しかし、領収書をかき集めて、電卓で何度も計算して書類を作り、領収書はすべて税務署に郵送していました。当然、封筒は

    パンパンに

膨らみます。
その後、計算は勝手にしてくれるようになり、さらに領収書は送らなくてもよくなりました。
また、支払った医療費は組合から通知があり、とにかく楽になりました。
ただ、この一年はかなり医療費が嵩んでしまい、収入とのアンバランスが以前の比ではありません。
出来上がった申告書を見て、さすがに

    愕然と

してしまいました。
ただ、還付されるわけですから、一見臨時収入みたいで、惨めな生活にわずかな潤いがあるかも知れません。
というわけで、そろそろ書類を出します。
あ、ちなみに私はまだ郵送しています。

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リン酸 

高校時代、私は化学ほど苦手な科目はありませんでした。唯一覚えているのは「水平は僕の船を愛している」ということくらいです。周期表とか言いましたっけ。
水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素、窒素、酸素、フッ素、ネオン・・・
だそうですが、「水兵‥」は知っていてもそれが何という元素なのかがよく分かっていません。大学生のときに教養科目で「化学」を取ったのですが、この先生は失礼ながら熱心でもおもしろくもなく、何の興味も持つことなくそれきり無縁になっています。高校時代の勉強というのは実生活ではほとんど役に立たないものですから、知らないなら知らないで何とでもなるものです(笑)。
しかし、そうとも言えないことがありました。植物を育てる時に肥料を与えるのですが、その場合、

    N、P、K

の三要素は知らないわけにはいかないでしょう。窒素(N)とリン酸(P)とカリウム(K)ですね。語呂合わせの関係で「チッソ・リン酸・カリ」と覚えています。窒素は主に葉や茎の成長を促進し、リン酸は花、実、種などの生育を促します。カリウムは根の発育に影響があり、病気などへの抵抗力を高めます。そんな事情のために窒素は「葉肥」リン酸は「実肥」、カリウムは「根肥」とも言われるそうです。・・・とえらそうに言っても、すべて受け売りに過ぎませんが。
さて、そろそろニンニクに

    追肥

をする時期になりましたが、この場合、比較的リン酸の多めのものを施すといいと聞いています。なるほど理屈に合います。
私の手元にある肥料はN―P―Kが7-7-10なので、これではリン酸多めではないので、やはり新たに購入すべきかと思い、先日ホームセンターに行ってみました。これまではあまり気にしていなかったのですが、なるほど、リン酸だけというものからリン酸とカリのもの、窒素も含み、リン酸が多いものなどいろいろありました。さて、これを与えて、大きくなってくれるのでしょうか?

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斬られた腕 

文楽人形にできて人間にできない演技というと、死ぬことです。こればかりは人形にはかないません。また、首が飛んだり手が抜けたりというのも人形ならではです。残酷といえばこの上ない残酷な話ですが。
渡辺綱が一条戻り橋において、「髭切」といわれる刀で鬼の片腕を切った、という話は有名です。文楽でも『増補大江山』「戻り橋」はしばしば上演されます。
『源平布引瀧』では「竹生島遊覧」で小まんが斎藤別当実盛に片腕を切られ命を落とします。「九郎助住家」では、その腕をめぐる奇跡が語られます。息子の太郎吉が拾い上げた女の腕には何かが握られていて、ほかの誰がその掌を開こうとしても無駄なのに、太郎吉が手に触れるとすぐに開いたのでした。そして、握られていたのは

    源氏の白旗

でした。やがて小まんの亡骸が運ばれ、その腕をつなぐと一瞬ではある者の息を吹き返すのでした。
ここで「九郎助住家」のあらすじを書くつもりはありません。旗を握って離さないというところが気になってメモしたのです。
イギリスのピューリタン革命(清教徒革命)の最初の戦闘として知られる

    エッジヒルの戦い

は1642年、日本でいうと江戸時代の初めごろに起こりました。一日だけの戦闘ですが、王党軍も議会軍もなかなか譲らず、日没引き分けのようになったそうです。
この戦で王党派のエドモンド・ヴァーニー卿という人が軍旗を守っていたのだそうです。しかし議会軍の兵に囲まれて降伏を迫られた彼は、もはやなすすべがなく「私の命は自分のものだが、この旗は国王のものだ」といって殺されたようです。しかしヴァーニー卿はこの軍旗を離さず、議会軍はヴァーニー卿の片手を切り落として旗を奪おうとしたそうです。おりしも王党軍がそこにやってきてその片手を奪い返すことに成功したのですが、なかなか手は開かなかったのだそうです。ヴァーニー卿の亡骸は見つからず、その手だけが彼の故郷に葬られたと言います。エッジヒルでは今でも自分の手を探すヴァーニー卿のからだの幽霊が、一方、墓ではからだを探す手の幽霊がでるのだそうです。
このヴァーニー卿の話は、石原孝哉氏の『幽霊(ゴースト)のいる英国史』(集英社新書)で知りました。そして、旗を握って離さないという話はほかにもあるのではないかな、とも思ったのでした。

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とうない 

私は、大阪弁はあまりよくわかりません。広く関西の言葉というならしゃべりますが、大阪でも神戸でも京都でも、まして奈良でも和歌山でもない、かなり怪しげな関西の言葉です。
文楽に出てくる大阪の古い言葉にはときどき脳内に「?」が出ます。江戸時代のものは大阪に限らず難しいですが、ちょっと古い大阪ことばをお使いになる現代の方のお言葉でも意味の分からないものがあります。
「めばちこ」「ほかす」「てんご」「いらち」などの言葉は落語を聞いていれば出てきますし、なんとなく意味も分かります。

    「せんど

いうたのに、わからんやっちゃな」などと言われるとおそらく「千度」のことだろうな、と想像できます。
しかし、どうにもわからない言葉もあるのです。
七代目竹本住太夫師の本の中で、ご尊父の六代目が高齢になられて「欣一(七代目のご本名)、わし、とうないえらいわ」とおっしゃったことが記されていますが、この「とうない」も最初拝読したときは意味が分かりませんでした。
もっとも、こういう読者がいることが少なくないことは、師匠も、また編集の方もおわかりでしょうから、「とても、ひじょうに」という意味であるという注を付けてくださっていました。
そう考えると、この言葉の語源は

    途方ない

であることが想像されて納得するのです。でも、何の注釈もなければ「遠くない」のことだろうか、とか、下手に文楽好きだと「和藤内」と関係あるのだろうか、とかいろいろ考えてしまうかもしれません。
イントネーションも私の関西言葉は大阪の人とは違います。大阪では「すみたゆう」は「す」にアクセントがありますが、私はそういう発音はしたことがありません。「みのすけ」も「み」が強いです。
関西以外の方からご覧になると、関西の言葉はすべて同じように聞こえるかもしれませんが、方言なんて、大きな川ひとつ隔てると違ってきますからね。

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何やってるの? 

正月に出会った人たちのことを書き忘れていたので
今さらながら。
実は、錦帯橋近くのもみじ公園(?)に行ったのです。というよりは、その近くにある吉川家の墓所などに行ったあと、ついそちらに足を向けた、という方が正確です。
もちろん紅葉などありません。ところが、たくさんの人がなぜかたむろしていたのです。一箇所に集まるのではなく、数人のグループがたくさんあるのです。全員がひとつの団体にしてはお互いに知らん顔をしていて、しかもみなさん

    スマホ

を見ては話をして、少し歩いては立ちどまって、ということを繰り返しています。
何をしているのだろう、と疑問でした。
あまりジロジロ見るわけにもいかず、その場を離れたのですが、なんだか気になって、仕方がありませんでした。
あとで家人に話したら、いとも簡単に謎解きをしてくれました。

    ポケモン

を探しているのだそうです。そういえば、そんなのが流行っていたな、と思い出しました。家の近所の図書館に行く道でも、かなりの年輩の方がスマホを持ってキョロキョロしていたことがありました。
今でも人気は続いているのですね。

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留学生のみなさんと 

韓国から10人の短期留学生が来ています。その学生たちに日本文化を知ってもらうことはとても大事だと思います。文学、絵画、建築、食、その他もろもろ。そしてもちろん伝統文化も。私がかかわっている大学では、茶の師匠がいらっしゃいますので、とてもいいものだと思います。
そして、文楽人形があることもいいことでしょう。
今回は、それに加えて学生の中に三味線の師匠を目指す人がいますので彼女の演奏を聴いてもらうこともとても意義があると思います。
実は彼女はkら事前に「着物を着ていきましょうか?」と聞かれていました。もちろん、できればそうしてほしいです、と答えました。
すると彼女はきれいに自分で着付けて来てくれたのです。普段から舞台などの場数を踏んでいますから、慣れたものなのでしょう。
そして彼女には

    宮城野盆歌

を弾き歌いしてもらいました。
弾くだけでも大変なのに、歌まで!
この日は留学生、日本人のサポーター学生、それにうわさを聞きつけて(?)この日講座に来ていらっしゃった一般の方々まで来られたのです。結局25人くらいになったと思います。
その前で堂々と歌って、さらにアンコールに

    アリラン

まで弾いてくれました。
さらにそのあと、ワークショップとして参加者の方々に三味線を持たせて弾き方を教えてくれ、こんないい学生がいる、というすばらしいアピールになったと思います。
ほんとうに感謝しています。

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久しぶりの三味線 

昔、仕事場に三味線のプロだった方がいらっしゃって、私はその人にてほどきをしてもらったのです。
これを弾いてみましょう、と言われたのは「元禄花見踊り」でした。もちろんできるわけがありませんから、何度も何度もやり直しをして、何となくそれっぽく聞こえるかなというところまで教えていただきました。あいにくその方は「給料が安すぎる!」と怒って(・・かどうかは忘れましたが)退職され、それ以後はあまり三味線を手にすることは減り、耳の状態が最悪になって、ほとんどケースに入れたままになっていました。
この春卒業する学生さんで、将来三味線の師匠になりたいという人がいます。まだ習い始めて4年だそうですが

    名取

になって、ゆくゆくは準師範から師範になって三味線教室を開くという夢を持っているのです。拍手喝采ですね。
ピアノもうまい彼女は保育士になるのですが、いい先生になるだろうな、と思います。保育所でも三味線を弾くと喜ばれるのではないでしょうか。
その学生さんに「こういう会があるのですが、手伝ってくれませんか」と聞いたら

    二つ返事で

引き受けてくれました。
おかげで、私は三味線という楽器を見せるだけで(笑)、あとは彼女にお任せして人形の稽古に専念するということが可能になったのです。
実はこの記事を書いているのはその会が終わった直後で、ブログにアップするのはさらに遅くなりました。
どんな内容だったかはまた明日書きます。

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与謝野晶子の古典研究(3) 

与謝野晶子にずばり「古典の研究」(『砂に書く』所収。大正14年)という短いエッセイがあります。
彼女は明治以来欧米の文化を取り入れるばかりで「祖先の遺産がどれだけあるかを忘れて」いるといいます。もちろん古いからと言ってすべてがすばらしいものではなく、「骨董として保存すべきもの」もあれば「全く用をなさない廃物」もあるとしたうえで、「今日の参考となり、刺激となり、材料となって、立派に役立つものも少なくはない」と主張します。これが文字どおり

    古典

の名に値するものでしょう。
そして彼女はこんなことも言っています。

  たまたま「国粋」という名の下に
自国の思想や趣味を主張する人々
があるのを見ると、ただ無知より
生じた保守主義者であって、日本
の伝統文化の真実の精粋について
はほとんど何事も知るところがな
いようです。

何ともバッサリと言い切ったものです。
しかしこの意見は、およそ100年経った今もさほど変わらないのではないかと感じます。
彼女はいわゆる「武士道」に疑念を持ち、「武士道ほど皇室を凌辱し奉るとともに、日本人を虐待した階級思想はないのです」と言います。「立派な今日の天兵と、不忠不義残忍非道な古の武士とを混同するものだ」とまで言われるとさすがに時代を感じてしまうのですが。
彼女は

    伝統文化を大事にすべきだ

と考えつつも国粋主義者ではないのです。むしろ外国文化の精粋を知ってよきところは受け入れるべきだという考えを持っています。「外来思想を批判し、選択して受容する重厚な心胸は、自国の伝統文化を併せて深く知ることによって養われるものでしょう」というところが彼女のもっとも言いたいところだと思います。
与謝野晶子の古典に対する考えはなかなかおもしろいものがあります。

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与謝野晶子の古典研究(2) 

私は長らく藤原道長の日記である『御堂関白記』の注釈の仕事をお手伝いしていました。この日記は時として何を言いたいのかわからないことがあって、研究会の先輩方から教わる事ばかりでした。研究会は日本文学、日本史両方の方々が出席されていましたが、文学の方のおっしゃることはよくわかってすぐに理解できたのですが、日本史専攻の先輩方のお話はなかなか難しく思いました。彼らにとっては当たり前のことで文学畑の人間にとってはわからないことがあったからです。だからこそ、本当に勉強になりました。
その『御堂関白記』を、与謝野晶子はきちんと勉強していたのです。
与謝野寛(鉄幹)、正宗敦夫(国文学者。小説家の正宗白鳥の弟)とともに

    「日本古典全集」

のシリーズを刊行しており、その中に『御堂関白記』も含まれているのです。まったくたいしたものとしか言いようがありません。
道長という人は兄の道隆が亡くなったあと、その子である伊周、定子、隆家らに対して冷たい態度をとったために批判的に見られることが多かったのです(私も道長のこういうところはあまり好きではありません)が、彼女は日記の記事を基にして

    「善人たること」(日本古典全集『御堂関白記』解題)

を評価しようともしています。
晶子がどれほど『御堂関白記』を読み解いていたのかについてはまだよく知らないのですが、かなり興味を持っています。
私は晶子の短歌も多くは読んでいませんし、その他の著述についても不勉強ですが、同じ『御堂関白記』や平安時代文学に関心を持った者として、彼女の心の一端にでも触れてみたいと思うようになっています。

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与謝野晶子の古典研究(1) 

歌人の与謝野晶子は、堺女学校を出ただけで、特に学校で国文学を専門的に学んだというのではなかったようです。
しかし幼い頃から古典文学への関心は並々ならぬもので、生半可な学者よりはずっと深く古典に馴染み、勉強もしていたようです。
谷崎潤一郎が3回『源氏物語』を現代語訳していることは有名ですが、晶子も『新訳源氏物語』と『新新訳源氏物語』があります。ところが、このふたつの現代語訳の間に、もう一度現代語訳を試みていて、それはほとんど完成に近づいていたようなのです。
その原稿が日の目を見なかったのには理由があります。

    関東大震災

で焼いてしまったのです。
なにしろ、今と違って書いたものが唯一のデータなのですから、どうしようもなかったのです。どれほど落胆したことかと思いますが、それでも彼女はもう一度現代語訳を完成させているのですから、その精神力の強さはただならぬものというほかはありません。

晶子の古典の現代語訳の大作というと、もうひとつ『栄花物語』があります。さらには『かげろふ日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』もあり、さすがに大人物であったことが理解されるのです。
晶子の『源氏物語』の現代語訳を見ると、簡潔な言葉で言いきったり紫の上のことを「女王」といったり「夫人」といったりするなど、原文にあまり拘泥しないような表現もあります。念のために申し添えますが、「女王」というのは王様のことではなく、彼女が皇孫であるためにそういったのです。
晶子は評論も書いていて、紫式部や和泉式部についても何度も筆を執っています。

    清少納言

については、「私は清少納言を好かない」(「清少納言の事ども」明治44年)と言いつつ、もし自分が同じ時代に生きていたなら「うまく友人として交際(つきあ)ってゆかれるように思う」(同)とも言っています。紫式部は師にはなっても友人にはなれないと思ったようです。ただ、改めて「枕草子」を読んでみると「警句」に驚かされることが多いと言い、「我が国最初の散文詩人」(同)だとも讃嘆しています。

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2020年2月文楽東京公演初日 

文楽は今日から東京公演です。
引き続き竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露で、錣さんは「土佐閑居」を語られます。
襲名前からインタビューなどが増えてご多忙のうえ、文楽劇場では即席サイン会もあって身体も心も休まる時がおありでないのでは、といささか案じております。どうか、17日間つつがなく。
プログラムは次のとおりです。

第一部(午前11時開演)
菅原伝授手習鑑(車曳、茶筅酒、喧嘩、訴訟、桜丸切腹)

第二部(午後2時15分開演)
新版歌祭文(野崎村)
竹本津駒太夫改め
六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
傾城反魂香(土佐将監閑居)

第三部(午後6時開演)
傾城恋飛脚(新口村)
鳴響安宅新関(勧進帳)

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Teach your parents well 

CSN&Yと書いても何のことかわかってもらえなくなりつつあります。アメリカのロック、フォークグループで、当初はクロスビー・スティルス・&ナッシュでしたが、やがてニールヤングが加わってCSN&Yになったのでした。「デジャ・ヴ」(1970年)というアルバムは大ヒットしました。このアルバムの中に入っている曲に

    Teach Your Children

があります。
日本で中高生を中心に大ヒットした『小さな恋のメロディ』(1971年イギリス。ワリス・フセイン監督)という映画のラストシーンにも用いられた曲です。「人生半ばのあなたたちは掟を堅持しなければならない。過去なんておさらばなんだから、そうやって自分を自分たらしめなければ。子どもたちにしっかりと教えるがいい。お前たちの父親の地獄はゆるやかに過ぎ去ったのだと・・・」と歌われる(英語は苦手なので誤解しているかもしれません)と歌われ、後半は逆に子どもたちに向かって、「君たちはまだ大人の味わった恐ろしさをわかりはしない。だから彼らを君たちの若さで助けてあげるんだ。それすれば大人たちは死ぬまでに真実を探すだろうから」と続きます。そして

    Teach your parents well

つまり「大人たちにしっかり教えておくんだ」と歌われ、「子どもたちの地獄はゆっくり過ぎていくだろうと」というのです。「well」と「hell(地獄)」の韻がきれいです。
あまり深い意味は分からないのですが、子どもは大人になり、喜びとともに苦しみを味わいやがて衰えていきます。
大人と子どもは過去の自分であり未来の自分でもあります。
かの曲は言います。「君たちの夢を彼らの心の糧にしてあげよう。彼らが選ぶものは、君たちがやがて知るものになろうから。「なぜ?」と聞いてはいけない。もし彼らがそれを言ったら君は泣くことになる。だからただ彼らを見てため息をつけばいいんだ。そして、彼らが君を愛していることを肝に銘ずるんだ」。

いったいどうしたことなのか、最近この歌が妙に頭に浮かんできます。

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春休みのしゅくだい 

授業も成績の提出もが終わりました。
さて、何をしようか、と思うのですが、なさねばならない宿題も少なくありません。
今月は、連載中の源氏物語の文章を書かねばなりません。
また、一般の方対象の講座はまだ続きます。これは、

    予習が大変

なのです。
それがこなせたら、平安時代の物語を再読したいと思っています。ずいぶん前に読んだきりで、忘れているものも多いので、時には読み返さないと分からなくなってしまいます。
そして、

    創作

もしたいと思います。
ただ、いきなり文章を書くのではなく、下調べをすることに専念しなければならないと考えています。
今は、重源上人の伝記を、時代背景とともに調べようと思っているのです。
なかなかしんどそうな2、3月です。

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びっくりする誤字 

学生がしばしばとんでもない誤字を書くことがあります。
いや、学生に限らないわけで、私自身も最近は手書きするときなんとなく「怪しい字だな」と感じることがあります。
書きそこねというのもあります
以前ある学生がレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」と書くべきところを

    最後の晩酌

と書いてきたことがありました(実際は「晩しゃく」と書いていました)。イエスが弟子たちに向かって「この中に私を裏切る者がある」という緊迫した場面だけに、「おちょこで一杯」という感じの書きそこねに思わず吹き出してしまいました。「晩餐」という字は難しいので、平仮名で「晩さん」と書くのは特に問題はないとも言えます。彼女の辞書には「晩餐」「ばんさん」という文字がなかったのかもしれません。
その後も、誤字はほんとうにたくさん出てきます。「講」と「構」を間違える(例えば「構義」「講成」と書いたりする)、「統一」を「等一」、「指摘」を「指敵」、「効果」を「効化」、「芝居」を「乏生」、「添削」を「添作」と書くなどの誤字があるのです。
1月の、授業も大詰めになったころ、一瞬何が書いてあるのかわからない誤字がありました。

    「帝お節介」

天皇が何か余計なことをしでかした、とでもいうのでしょうか。実は文脈から判断すると彼女が言いたかったのは「カイザー」。つまり、おなかや子宮を切って行う出産のことらしいのです。はい「帝王切開」です。
これは久しぶりのびっくり誤字でした。
ただ、彼女が看護師志望の学生ですので、笑いごとではなかったのですが。

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うそをついたら 

私はこれまで嘘をついたことはありません、というのは嘘です。
エピメニデスのようなクレタ人に限らず人はみな嘘つきです。しかし嘘も方便と言って、許されるべきものもあるだろうと思います。そもそも芝居とか文学とかいうのは嘘の塊みたいなものですから、私の人生は嘘に囲まれているわけです。
悪質な「嘘」あるいは「ごまかし」がいけません。
政治家や官僚の嘘、ごまかしはとどまるところを知りません。目の前の問題を糊塗することしか考えないから、そういうことになるのではないでしょうか。そして嘘がばれそうになったら政治家は逃げの一手。そりゃ、総理大臣が平気でそういうことをするのですから、取り巻きの人たちは真似をします。
官僚は政治家のために嘘をついて、政治家はその嘘をかばい、かばえなくなったら

    手のひらを返すように

「遺憾ですな」とかなんとかいって自分には関係ないとして逃げようとする。官僚というのはそれがわかっていてもなお嘘をつくほかはない仕事なのでしょうか。
政治家だけではありません。世の中にはこういう輩はごろごろしています。ありもしない嘘をついて人を陥れようとしたり、自分の嘘を隠すために他人を嘘つき呼ばわりしたり。
私の周りにも今そういう連中が何人もいて、困っています。ひとりずつやっつけていくほかはありません(笑)。
子どものころなら「うそついたら

    針千本飲ます」

と言われたものですが、何万本飲まされても仕方がないような質(たち)の悪い人にはほんとうに困ります。
学生が「小さいころ、この『針千本』というのは魚の『ハリセンボン』のことだと思っていました」と言っていました。針千本もこわいですが、ハリセンボンを飲まされるのも怖いですね。
子どもだってうそついたら「針千本」か「ハリセンボン」を飲まされるのです。私もいい歳をした大人が…と言われたくありません。嘘は方便だけにして、人を陥れるような嘘だけはつきたくないものです。

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行けなかったらどうしよう 

このところ、本所に行くつもりでいろいろ書いていたのですが、ほんとうに行けるのだろうか、行っても大雨や大雪だったらどうなるのだろうか、という心配があります。なにしろ歩くのが前提なので、歩く体力がない場合と歩く気候条件にない場合は実につまらない旅になってしまいます。
そもそも体調不良でたどり着かなかったら何の意味もありません。
実は、年明け以降、必ずしも好調とはいえないのです。時には小一時間くらい歩くことはないわけではありませんが、本所に行こうものなら数時間歩くことは覚悟の上です。何しろ、10年ぶりに東京の地を踏みますし、ひょっとするともうかの地に行くのも

    最後

かもしれないのです。そんなことを思うと、本所だけでなく上野にも浅草にも、あるいは懐かしい(親の住んでいた)芝公園界隈にも行っておきたいと思えてくるのです。新しい東京タワーにはあまり関心はないのですが、もとのタワーは親の家の目の前でしたので、近くまで歩いていきたいという思いもあります。しかしいくら何でも今回は無理な話です。本所に集中、せいぜい浅草まででしょう。
そうそう、このころは東京国立劇場で

    文楽

の上演中です。以前だったら絶対に行っていたのですが、今回はやはりあきらめることになりそうです。
ひとつ楽しみは、懐かしい方にお会いできるかもしれない、ということです。こちらは雨天決行(屋内ですからあたりまえですが)なので、きっとお目に架かれると思うのです。
そのためには、少しでも体調をよくしておかねばなりません。
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古地図 

昔から古地図が好きです。
1970年代頃に平凡社が『太陽コレクション』「地図 江戸・明治・現代」を出しましたが、私の父がこういうものが好きで買っていたのをもらい受けて愛蔵しています。
大阪の文楽ゆかりの地を訪ねる時にはこのシリーズの第二冊「京都・大阪・山陽道」をよく使っていました。東京の下町を歩くときも第一冊「江戸・東海道」が役に立ちました。
しかしこのシリーズは解説が充実しているだけに大きくて重いのでとても散歩のお供に、というわけにはいかないのです。いつも予習して何かにメモして持って行くという感じでした。付録についている

    一枚ものの古地図

は手軽なので持って行けるのですが、広げるとかなり大きくなるのが難点(笑)。
今はネット上に古地図が出ていて、それを参考にすることはできるのですが、やはり私個人にとって使い勝手のいいものはなかなかありません。
などとぜいたくなことばかり言っていたら、いつの間にかけっこうハンディな古地図関係の本がたくさん出ているのに気が付きました。
もし東京に行けたらそういう本を頼りに歩くのもいいかなと思っています。
江戸本所は湿地で土地の水はけが悪かったそうで、その水を流すために

    下水

が掘られました。割下水(わりげすい)といい、私が浄瑠璃の舞台にしたのはおもに南割下水です。なぜなら、本所七不思議はこの界隈を舞台にした言い伝えが多いからです。
本所深川あたりの古地図を見て一番目立つのはこの割下水や堅川、横川、横十間、小名木川などの水路、堀割です。
大阪の長堀は、今は道路になってしまいましたが、それと同じように南割下水も道路になり、今は「北斎通り」として知られます。
私はここを主に歩こうと思っています。

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萬年橋 

以前、広重の『名所江戸百景』を熱心に鑑賞していたことがあり、このブログにもいろいろ書きました。その中に「小奈(名)木川五本まつ」や「深川萬年橋」があります。「萬年橋」は富士山を望める橋でもあったらしく、北斎の『富嶽三十六景』にも「深川萬年橋下」があります。
小名木川は船の運航を妨げないように高い橋が架けられていましたが、この萬年橋はひときわ高く、太鼓橋というのでしょうか、アーチに近い形でした。
広重の「深川萬年橋」はそのタイトルとは裏腹にどこに橋があるのか一瞬戸惑うくらいです。何よりも目立つのは

    

です。しかもこの亀、手桶につるされているのです。実はこの日は旧暦の八月十五日。つまり放生会なで、この手桶の持ち主はこれからかめを放してやるのでしょう。
はるかかなたにはやはり富士山を描いており、亀は首を伸ばしてその富士山を眺めているかのようでもあります。

    亀は萬年

といいますので、この橋にぴったりなのですね。
以前このあたりを歩いた時、私はこの橋を渡ったはずなのですが、記憶が定かではありません。今回はぜひしっかりと記憶にとどめるように歩いて来ようと思っています。

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