西の旅(4)
あまり深く考えずに旅に出たのですが、よくチェックしてみると書かなければならないものがいろいろあって、20日締め切りがふたつ(そのうち1つは短歌なので仕事ではありませんが)、ほかにも26日締め切り、9月初旬締め切り(何日か忘れました)があって、旅先では戻ったらすぐにでも提出できるようにしなければなりませんでした。
よって、いつもと同じように朝早く起きて、まずは暑くなるまでにひと仕事。そして午後には適当に休みを取りながらまたひと仕事、という具合でした。
さいわい、すべての仕事がなんとか格好がついた感じで、安堵しています。
そんな折に
八月十五日
がやってきました。
江戸時代になると暦がごちゃごちゃしますので例外ですが、昔の暦なら、八月十五日は中秋の名月です。今の暦に直すと九月後半から十月初めころで、今年は十月一日がその日に当たります。ただ、今年は旧暦八月十六日、つまり今の暦なら十月二日が満月のようですが。
一方、今の暦では、この日は終戦の日。
新旧の暦かくまで異なるか
八月十五日といふとも
私は毎夜外に出て星を見上げていたのですが、この日は格別の思いで観ることになりました。南を向くと目の前に木星が煌々と輝いていました。この光の前で自分は何もやましいことはしていないと明言できるかどうか。試されているような気持ちになりました。
ジュピターの煌々たるに真向ひて
やましからずと言ひ切るや我
「ジュピター」は「木星」のことです。
私はわかりませんでしたが、この日の昼十二時にはやはりサイレンが鳴り響いたそうです。「市民の皆さん、黙祷しましょう」ということでしょう。しかし、戦没者に対する哀悼の気持ちを抱くとともに、戦争を起こした人たちに、長引かせた人たちに、怒りを向けることも必要ではないかと感じることがあります。サイレンの瞬間に、
バカヤロー
と怒鳴ってはいけないものでしょうか。
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- [2020/08/31 00:00]
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西の旅(3)
旅と言っても、交通機関以外は買い物だけで、人と会うのも用がある時だけ。それ以外は一切遠慮していました。
あちらの人はどういう意識で私を見るのだろう、町からウイルスを運んできた、と思うのだろうか、という思いはなかったわけではありません。とにかく人に会ったら何を言われるかわからないと思ったのですが、それは杞憂に過ぎませんでした。なにしろ、人と
会わない
のです。
仮に、あたりを散歩したとしても、ほとんど一日中、誰一人歩いていないのです。暑さのせいもあるでしょうが、とにかく人がいません。まれに、どこかに行く人を見かけることがあると、必ず自家用車でのお出かけです。あのあたりの人は車なしでは生活できないのです。一家に数台の自動車があるのは当たり前といってもよいのです。
一度だけ行ったスーパーはさすがにみなさんマスクをしていました。また、手指の消毒もほとんどの人がしていました。送るものがあったので郵便局にも行きました。歩いてすぐのところなので当然誰にも会わず、郵便局員さんとも二言三言で終わりです。これでは出かけた、人と話した、という感じがしません。ただ、市内の感染者は7月以降ゼロだったそうです。
あちらの家は荒れ放題で、庭がひどいことになっていました。前に行ったときは何もなかった庭だったのに、草がいっぱいに生えていて、
蓬生の宿
と化していたのです。今年は梅雨が長かったですから、草が伸びるには絶好の条件だったのでしょうか。
人が住まないと家は荒れると言いますが、本当にそんな感じでした。だからといって、これを何とかしようとしても、猛烈な暑さですから作業できるのは朝だけです。なかなか手に負えなかったのですががんばってある程度はきれいにしました。
結局、ほとんどは家の中でじっとしていて、パソコンで作業して文章を書いて、短歌を工夫して。そんなことばかりの日々でした。
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- [2020/08/30 00:00]
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西の旅(2)
せっかく西の旅をしたのですから、名所旧跡なども訪ねたかったのですが、このたびはやはり遠慮しました。外食もしていません。ウイルスのおかげで(?)実に安上がりな(笑)旅でした。もっとも、外食をするとしてもせいぜいお好み焼きくらいしか食べませんが(笑)。そうそう、そういえば、お好み焼きを一度だけテイクアウトしましたので、これは疑似外食ということにしておきます。
用事はプライベートなことなので書きませんが、ちょっと厄介でした。しかしそれを終えて、あとはまたもうひとつの用事まで時間があるので、その間はひたすら仕事。朝早く起きて始めるのですが、9時ごろになると早くも蒸し暑くなってきて、なかなかはかどらなくなってきます。
さらに、本が不十分なうえ、
古語辞典
を忘れてきたものですから、それも困りました。いまどきは携帯さえ持っていれば、古語の簡単な現代語訳程度ならすぐに調べられますが、私はそういう使い方をするとは限らないのでやはり紙の辞書が手元に欲しいのです。辞書は何と言っても解説と用例の豊富さです。用例を見ないと正しい意味も理解できませんので、携帯の辞書ではどうにも役に立ちません。私は今でも岩波の古語辞典を愛用しています。もらったものがほとんどですが(笑)5冊ばかり持っているので、あちこちに置いているのです。にもかかわらず、うっかり忘れてきました。
その代わりというのも変ですが、今回持って行ってよかったと思ったのは
ドキュメントスキャナ
でした。かばんにすっぽり入る小さなもの(35㎝くらい)で、あとはUSB接続のコードがあるだけです。
必要があって、これまでに書いたもので活字でしか残っていないものをワードに置き換えたかったものですから、これを用いてPDFにしてワードに変換するという作業をしました。実にすばやくそれができました。その他にも画像を取り込む作業をするなどの活用ができましたので、ありがたかったです。
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- [2020/08/29 00:00]
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西の旅(1)
都から西に行くことを、「西下(さいか)する」ともいうこともあります。それでタイトルとして「西下の旅」と書こうとしたら、パソコンは「災禍の旅」と変換してくれました。なんだか、「このご時世そのまんまやん」と思ったものですから、その言葉を使うことはやめました。
「西の旅」はというと落語のようですが、私自身が間の抜けた落語の登場人物のような人間なので、そちらの方がしっくりくるように思います。
特に何ということもないのですが、その「西の旅」で思ったことをいくらか書いてみようと思います。
猛暑
で、大変な時期に出かけたのですが、あちらもやはりかなりの暑さでした。それでも、夜になるといくらか収まり、田舎ですので、空を見るとほんとうに美しいのです。南の海のように、天の川がはっきり見えて全天星でおおわれている、というところまではいきませんが、関西で観るのとではけた違いの数の星が見えます。関西でも、こと座のベガやわし座のアルタイル、はくちょう座のデネブなどははっきり見えますが、あちらではさらにその周辺が星だらけなのです。カシオペア座、北斗七星もよく見えました。くっきりと空に張り付いている感じです。折しも、
ペルセウス座流星群
の時期だったのですが、20分ほど外に出ていたものの、その方角が山だったためか、あるいは少し時間が早かったのか、それは見られませんでした。
以前は双眼鏡を持って行ったのですが、今回はそれがありませんでした。天体望遠鏡でなく、双眼鏡でもほんとうに星だらけに見えるので、惜しいことをしたと思っています。
暑さと仕事のために昼間はじっとしていただけに、夜の空は心地よい息抜きになりました。
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- [2020/08/28 00:00]
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帰省は規制より自制のはずが
毎年のことではないのですが、この時期は田舎に行くことがあります。いわゆる「帰省」ですね。しかし、今年に関しては旅行も控えるように言われている(そのわりに観光族のどこかの幹事長さんの力なのか、「どんどん行け」という政策もあるようですが)ようです。もっとも私は誰かにいわれて規制されるよりは自分で考えて自制する主義で、およそ従順でない人間です(笑)。なにしろ、規則とか法律が「苦手」、というより
「嫌い」
なのです。
というわけで、今年は当然「自制」してずっと家にこもっているつもりでした。ところが、思わぬことが起こって、しばらく田舎に行くことになったのです。結局はあちらでも閉じこもっているだけなので、感染させることも感染することも少ないだろうというのが救いでしたが。そこで、誰に頼まれているわけでもない(笑)仕事をいくらかでもこなせるように、中古の(笑)パソコンとドキュメントスキャナと本を何冊か持って行きました。
途中、岡山を過ぎたあたりで、車窓から
虹
が見えました。それも二条(ふたすじ)。一条ははっきりと、もう一条はかなり薄めでしたが、初めて見た虹の二重奏でした。何かの予兆だろうかと思いながら、じっとそれを眺めていました。
あちらに着くと、用がないわけではないのですが、それは短い時間で済ませるもので、大半の時間は何もすることがないのです。
折しも、京都の伏見で制作され、YouTubeで配信された拙作の『異聞置いてけ堀』『異聞片葉葦』『無灯蕎麦屋』がありましたので、それををぼんやり眺めていたり、持って行った仕事を次々に片づけたりしていました。その中の一つは、厳密に言うと趣味なのですが、短歌を詠むことでした。短歌雑誌の締め切りが迫っていて、今回はパスしようかとも思ったのですが、やはり頑張ることにしました。
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- [2020/08/27 00:00]
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天の川
今年の七夕(旧暦)は昨日、八月二十五日だったそうです。やはり立秋を過ぎて秋風が吹こうかという頃にこそ七夕の行事はあるべきです。少なくとも梅雨の末期だけはだめだと思います(笑)。七日は概ね上弦の月です(昨日は月齢6.0)。昼頃に出て、夜中に沈みます。天の川が見えるころはもう西の空にかかるころです。夜の空の主役を牽牛と織女に譲ってその足元を照らしてやっているのでしょうか。
天の川は七夕とともに秋の季語です。俳諧で天の川というと一番に思い出されるのは、やはり芭蕉の「荒波や佐渡によこたふ天の川」でしょう。何も説明を加えるまでもない、ぴしゃりと決まった俳諧だと思います。こういう有名な作があると、俳諧(俳句)に天の川を詠むのが億劫になってくるのではないかと俳人の方に同情してしまいます。
だからというわけではないでしょうが、小林一茶はこんな壮大な天の川は詠みません。
うつくしや障子の穴の天の川
詠まれた状況をきちんと調べていないのですが、俳人は病の床にいるのでしょうか。夜、ふと目を覚ますと、障子の穴からキラキラするものが見える。だからといって障子を開けて観ることもなく、大空に広がる雄大な天漢をじっとその穴から眺めています。小さな隙間から観るがゆえの「うつくし」さ。芭蕉も素晴らしいですが、一茶の目はまた独特のものがあって心惹かれます。疲れたからだから出たため息がそのまま俳諧になったような、そんな一句だと感じます。とても静かな情景です。
実は今、天の川を題材にとった
創作浄瑠璃
を考えていまして、この一茶の句をどこかで借りることはできないだろうかと思っています。
私はこれまでにも芭蕉の「芭蕉野分して盥に雨を聴く夜かな」、蕪村の「河太郎の恋する宿や夏の月」などを取り入れてきました。短編の浄瑠璃と俳諧は妙に合うような気がするのです。
天の川と牽牛(アルタイル)と織女(ベガ)、それに加えてエメラルド色の二重星(アルビレオ)を用いた、老女の思いを描いた浄瑠璃を考えています。
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- [2020/08/26 00:00]
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八代目豊竹嶋太夫師匠
文楽大夫の人間国宝、八代目豊竹嶋太夫師匠が亡くなりました。訃報に接して、かなり長い時間ぼんやりとしてしまいました。言葉を失うというか、悲しさってなんだっけと忘れてしまったような、喪失感を覚えました。Facebookに何か書こうかとも思ったのですが、ほんとうに言葉が出てきませんでした。
やっと何か書けそうなので、こちらに思いつくままに書いてみます。
私が聴いた太夫さんで超一流と言える人は、これでもう咲太夫師匠しかいらっしゃらなくなりました。
もちろん今活躍されている呂太夫、錣太夫、千歳太夫、呂勢太夫らすばらしい人はたくさんいらっしゃいますが、私はそういう方々の円熟した語りは知りませんから。
文楽の太夫さんの中で、人間国宝になられた方というと、古い方は別にして、四代目竹本越路太夫、四代目竹本津太夫、七代目竹本住太夫、九代目竹本綱太夫}(のち源太夫)、今の豊竹咲太夫という方々があり、嶋太夫師匠もそのお一人でした。これらの方々の中で、私が個人r的にお話しさせていただいたことがあるのは住太夫、嶋太夫、咲太夫のお三方です。しかしその中で群を抜いて親しくお話しさせていただいたのが嶋師匠です。
もうずいぶん前の事なのですが、東京国立劇場の楽屋廊下でお稽古が終わられたところとおぼしき嶋師匠が歩いてこられました。そのときちょっとしたわけがあって、師匠にお手紙を差し上げていたので、これはいい機会だと思って、名乗ってご挨拶しました。師匠はすぐに「あ、お手紙をくださった・・」とわかってくださいました。そのあと立ち話で15分くらいだったか、お話をしたのが最初でした。
その後はお姿をお見掛けするとこちらかご挨拶をするのですが、ほとんど同時に嶋師匠は深々と頭を下げて「おはようございます」とおっしゃってくださいました。恐縮するなんてものではありませんでした。
まだうちの子が小さいときに楽屋に連れて行ったことがあるのですが、そのときは人形遣いさんに人形を触らせてもらおうと思っていたのです。そして楽屋の下足のところでその人形遣いさんを待っていたら、たまたま嶋師匠が来られました。「子どもを連れてきました」とご挨拶しましたら「さようでございますか。それでは私が舞台をご案内いたしましょう。どうぞおいでください」とおっしゃって先導されるのです。「いやあの、人形遣いさんとお約束が」などとはとても言えず、ついてくことになったのです。もちろんその人形遣いさんにはあとでお詫びしましたが、「実は嶋師匠が」と申しましたら、いかにもあの師匠なら、という顔で笑っていらっしゃいました。
もともとは豊竹若太夫師匠のお弟子さんで、若師匠のご自宅に内弟子として入っていらっしゃったこともおありだったそうです。今の呂太夫さんがまだ幼いころにはかわいがってくださったのだそうで、そういうお話は呂太夫さんの本に書いてあります。若太夫師匠は大変厳しい方だったらしく、嶋師匠も稽古の時はずいぶん涙を流されたそうです。
呂賀太夫から四代目豊竹呂太夫を継がれたものの、その後文楽をやめられました。しかし、若太夫師匠が亡くなったあと復帰なさって、八代目嶋太夫を名乗られたのでした。昔ながらの師匠への敬愛をいつも感じさせる方で、私は一度越路師匠にダメ出しをされていらっしゃる嶋師匠のお姿を拝見したことがあります。そのときはほんとうに謙虚に越路師匠のお言葉をお聴きになっていました。逆に、お弟子さんにダメ出しをされているところも拝見したことがあります。こんこんと説き聞かせるといった雰囲気でした。
そういう思い出はいろいろありますが、長くなりますので省きます。とてもお人柄の素晴らしい方でファンを大事にされましたから、私のような体験は多くの方がなさっているでしょうね。
年賀状もずっとやりとりさせていただきましたが、師匠はとても達筆でいらっしゃいます。サインはしていただいたことはありませんでした。私はだいたいサインをしてもらうということが苦手で、師匠にもお願いしたことがないのです。切語りになられたときや紫綬褒章を受けられたとき、そして人間国宝になられた時などお手紙を差し上げるときちんとお返事もくださいました。
お弟子さんの多い方でした。今の呂太夫さんも、越路門下の兄弟子とは言いながら、ずっと嶋師匠に聴いていただいては稽古もしていただいたとおっしゃっていました。思えば竹本越路太夫門下はもう呂(六代)、三輪、千歳の御三方になってしまいました。
嶋師匠は、おやめになった経緯が必ずしも釈然としたものでなかっただけに、また引退披露の演目ではまだまだ語れるというところを聴かせてくださったようでしたから、ファンの方の悲嘆はほんとうに大きなものだったように感じておりました。
それにしても、嶋太夫という名は若太夫系の大きな名前です。これからも絶やさないでいただきたいいい名前だと思います。呂勢さんは九代目を継ぐことを許されていないのでしょうか。
いろんな語りが思い浮かびます。
「重の井」「葛の葉」「柳」「鳴戸」などの母子の別れを語らせたらほんとうに哀しみを誘う名演ばかりでした。いつぞや「鳴戸」を語られた後、ふと横を見ると、今は某人形遣いさんの奥さんになっている当時まだ若かった女性が、ボロボロ泣いていらしたのが目に入りました。前の天皇が文楽劇場に来られ、英太夫(当時)・団七、嶋太夫・清友、文雀、和生らによる「葛の葉子別れ」を鑑賞されたこともありました。
「河庄」「紙屋内」「封印切」「帯屋」「新口村」「吉田屋」「沢市内より山」「酒屋」「数寄屋」「堀川猿回し」「天満屋」・・・。
時代物ではやはり四段目の方だったと思います。「寺子屋」「十種香」「川連館」「岡崎」「中将姫雪責」「神崎揚屋」「宿屋」「金殿」「新吉原揚屋」・・・。私は『嫗山姥』をあまり面白いと思ったことがなかったのですが、嶋師匠の語りで初めてその面白さを感じました。
ほかにも「橋本」「御殿」「尼崎」「山名屋」・・道行や掛け合い(「一力」のおかるなど)も・・・。
新作もいろいろなさいました。『雪狐々姿湖』『瓜子姫とあまんじゃく』『夫婦善哉』『鼠のそうし』・・・。『夫婦善哉』で嶋師匠が「酔うてぇ。くだぁまぁきゃぁ、あばずれぇ女ぁ」と歌われたら必ず拍手喝采でした。
いくら書いてもきりがありません。
悔いが残るのは、「本を書かせてください」とお願いできなかったこと。
どなたかがなさるだろう、と思ったままこういうことになってしまいました。
とにかく今は悲しいです。
月並みですが、今言えることは「本当にありがとうございました」ということに尽きます。
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- [2020/08/25 00:00]
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父方の血
私はずっと父親に似ていると言われてきました。
久しぶりに会った高齢の方から、「ますますお父さんに似てきたわね」と言われ、自分ではそうは思わないものですから、不思議な感じがしました。
文楽の二代桐竹勘十郎、三代桐竹勘十郎、二代吉田簑太郎というご一家はあまり似ていないと思っていたのですが、三代目は先代にどんどん似てこられるし(人形を持つときの表情なんてよく似ていらっしゃいます)、当代簑太郎さんもやはり父君に似てこられました。血は
争えない
ものです。三代目は先代のお歳を超えられ、ますますお元気で何よりです。
父親の年齢を超えるというと、実は私も遠からず父の亡くなったときの年齢に近づいてきました。とても
嫌な感じ
です(笑)。
私は、母方が長生きの家系で、私とは70年以上離れている祖父は80歳を優に超える(当時としては)かなりの長寿でした。
ところが父方の祖父は30代で亡くなったらしく、どうも私はそちらの血が濃いような気がします。
父方は教育畑の人が多かったらしく、これも似ています。
まずいなあ、これから数年、きちんと仕事についての有終の美を飾らないとなあ。
もう少しがんばります。
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- [2020/08/24 00:00]
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37度
人間の体温は概ね36度台。
37度になると熱っぽい感じでしょう。私は平熱が35度台ですから37度は完全に微熱の状態です。
しかし、一昨日(21日)は最高気温が37度を超えていました。これまでにも何度か体験している気温ですが、頭がボーッとしてしまいます。
夜になってもムッとする暑さは変わらず、一昨日は寝ようと思って布団に身を横たえると
電気毛布
のようになっていました。
しかたなく、冷却ジェル枕、商品名でいうなら「アイスノン」を取り出して使ったのですが、なかなか寝させてもらえませんでした。
最低気温が25度以下にならないと
熱帯夜
と言いましたが、そんなのはあたりまえになってきました。むしろ25度まで下がれば楽なものです。
一昨日が今夏の暑さのピークだったのかもしれませんが、それにしてもひどいものでした。
グレタ・トゥーンベリーさんの言うことを聞かないと大変なことになりそうです。
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- [2020/08/23 00:00]
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苦しくて
一時期、マスクをする人が減ったように思ったのですが、最近はまた右を見ても左を見てもマスク姿という状況になってきました。
昔、メガネ(特にサングラス)にマスクというと「変装」の小道具として用いられるものでした。それらを着けることで顔を隠し、表情を不明にするのでそんな感じがしたのでしょう。
私が子どもの頃、風邪をひいてもマスクなんてしませんでした。あの当時のマスクは当然布マスクで、そんなものは家には常備されていませんでした。あのころの私にとってのマスクとは、やはり「給食当番が着けるもの」でした。ただ、給食当番の生徒たちはだんだんマスクをしなくなり、教員もそれを黙認していました。
中学時代になると給食当番用のマスクなんて持っていなかったはずです。
前にも書いたと思いますが、私はこのところ、健常者に比べると
7割くらいの力
で呼吸している状態です。そして、マスクをすると鼻や口を軽く押さえられているような感じになって、無理に呼吸しようとしますので余分な力を入れます。そうすると、どうしても吸う量が減り、苦しさが増します。
店に入るときなどは、必ずつけるようにしていますが、歩くときにマスクをするとかなりこたえます。
最近、試みに着けたまま歩いてみたのですが、2分ほど歩いただけでクラクラしてきました。
それはおそらく暑さのせいだと思います。新聞記事などによると、マスクをすると、
熱中症
になりやすいとのことで、それもあってクラクラしたのでしょう。
店にいるときもできるだけ短時間で出たくなりますので、最近はどこにも出歩きたくなくなってきました。スーパーであれを買いたいな、と思ってもまた今度にしよう、と思ってしまいます。
夏の暑さは少しずつ収まってくるでしょうから、今年もなんとかこの苦しい時期を乗り越えられそうです。
しかし、このウイルスのいとなみが暑さ寒さには関係ないことがわかりました。これからもマスクとの付き合い方には苦労しそうです。
首から「息苦しさのためにマスクできません」と書いた札を掛けようかと本気で思い始めています。
「苦しくてマスクできません」と
首にかけたる札の息苦しきかな
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- [2020/08/22 00:00]
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文楽が懐かしい
1月以来、文楽劇場にはご無沙汰しています。
以前の私なら考えられないようなことです。何しろ、文楽公演期間中は週に何度も日本橋に行きましたし、東京国立劇場にも毎公演行き、さらに地方公演や小さなイベントにも顔を出しました。
今はまだ7か月ほどのご無沙汰ですが、大阪では11月まで公演はないわけですから、さらに
恋しさが募る
でしょう。健康上の理由で、頻繁に行くことは今後も無理だとは思うのですが、最低でも1、4、11月には行きたいと思っています。
話はそれますが、文楽のほかにも大阪は町自体が以前はもっと魅力的で、歩き回るだけでも楽しいものでした。
しかし、
道頓堀
はすっかり変わって歩く意欲も出ません。
御堂筋は冬になると木々に電線が絡まっていて、無残な姿を見せています。ここも歩きたくなくなりました。
そのうえに、今度は賭博の場を誘致するらしく、なんだかしっちゃかめっちゃかになりました。
挙げ句に、大阪市はもうなくなるらしく、ため息しか出ないのです。
こんな大阪に誰がした・・。
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- [2020/08/21 00:00]
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大学なんていかなくても
秋になったらご紹介しようと思って、『源氏物語』の「少女(をとめ)」巻を再読しています。
この巻の前半では、光源氏の息子の夕霧が大学で勉強させられる場面があります。
当時の上流貴族は大学なんぞには行きません。大学は学問でもしなければ生きていけない連中が行くところで、家柄のよい者は試験のために脂汗をしぼることなど必要ないのです。
光源氏は時の内大臣、押しも押されもせぬ第一人者で、その息子は普通なら元服と同時に
従四位下
に叙せられて、あとは人も羨む出世をするのです。
従四位下というのは、近衛中将レベル。地方官のトップである国守が五位レベルですから、いきなりそれ以上になるのです。五位になったら「通貴」といって、貴族の端くれになれます。だからこそ、『竹取物語』の翁も帝から「かぐや姫を入内させたらお前(翁)を五位にしよう」と言われて動揺したのです。
ところが、光源氏は十二歳(今の学年で言うと小学5年生)の息子を
六位
からスタートさせて学問をさせることにします。
息子はショックです。周りには、学問なんてことさらしなくても、まして大学での勉強なんてしなくても、自分より上を行く者がいるのに、父君はなぜ私にこんな仕打ちをするのだろう、と。
さて、この息子、いやになって勉強を放棄するかというと、違うのです。何しろ根が真面目ですから、屈辱をバネにして必死に勉強し、あっという間に『史記』三百巻を読破して、テストをされてもすらすら読めるようになったのです。誰もが驚く秀才で、光源氏も「子が成長して親が古ぼけていく例を、見苦しいものだ、と思っていたが、わたしがそうなるとは」と涙ぐむくらいです。
親の七光だけで総理大臣になんてなるものではありません。
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- [2020/08/20 00:00]
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饅頭、怖い
昨今、漢文をほとんど習わない高校生が増えました。
めんどくさい、役に立たない、という理屈で習わなくてもよいことになっているようです。
私はやなり学ぶべきだと思います。
この話はとても有名なものです。
有窮書生欲食饅頭計無従得一日見市肆有列而鬻者輒大叫仆地。主人驚問。曰「吾畏饅頭」主人曰「安有是」乃設饅頭百枚置空室中閉之伺於外寂不聞声。穴壁窺之則食過半矣。亟開門詰其故。曰「吾今日見此、忽自不畏」主人知其詐怒叱曰「若尚有畏乎」曰「更畏臘茶両椀爾」
「饅頭を畏る」ですね。
落語では「饅頭こわい」。
貧しい書生が市で突然倒れ、饅頭が怖くて倒れた、と言います。店の主人は「そんなことがあるだろうか」と思って饅頭だらけの部屋にこの男を閉じ込めて様子を伺うと、むしゃむしゃ饅頭を食べている。主人は騙されたと知って、ほんとうは何が怖いのか、と問うと、「お茶が二杯ほど」と答えた。
笑い話でありながら、人間の
いやらしさ
も感じさせます。自分の欲望を満たすためなら、息をするように嘘をつく。
子どもが、おもちゃが欲しくて「買ってくれないと家出してやる」などと言って駄々をこねるのと大差ありません。
その場さえしのげたら嘘をつくのは平気だと考える人はいるでしょう。しかし、そういう嘘はすぐに見抜かれます。
権力を持つ者、
声の大きい者
ほど、見え見えの嘘をつきます。
権力者は、嘘は認めたら嘘になるが、認めなかったらごまかしきれるものだ、と考えるのでしょう。
あさはかです。
今の総理大臣はともかく、官僚は漢文も学んだはず。そうです。受験のためなら何でも勉強しているはずです。しかし読んでいないのです。
古来日本人がなぜ漢文を学んできたのかを忘れて、めんどくさい、役に立たない、で放置するのが賢明なことだとは到底思えません。
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- [2020/08/19 00:00]
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あれもこれもYouTube
私はYouTubeに動画をあげたことなどありません。そもそも動画を撮ること自体めったにありませんし、撮ったとしてもおもしろくも何ともないものばかりなので、あげるコンテンツがないのです。
また、どうすればYouTubeにあげることができるのかも知りませんので、おもしろい動画があっても持ち腐れに終わります。
YouTuber という人がいるようですが、とてもまねはできません。
そんなわけで、これまではYouTubeなんてほとんど縁がないよね、と思ってきました。
ところが、野澤松也師匠がYouTubeにチャンネルをお持ちですので、その中に私が書きました
『異聞置いてけ堀』
を入れていただきました。8月18日0時の時点で111回視聴されていましたので喜んでおります。
すると今度は能勢の浄るりシアターが今年は上演できないからというので、『名月乗桂木』も配信してくださいました。
こちらは同じ8月18日0時で284回視聴されていました。ご視聴くださった方、ありがとうございます。
さらに、京都伏見のラ・ネージュさんというところがさまざまな三味線を紹介するシリーズを配信され、松也師匠は「広島咲希望花カンナ」「五条橋」のほかに、拙作の「異聞片葉葦」「異聞置いてけ堀」「無灯蕎麦屋」を語ってくださり、それもアップされました。
すると今度は、東京の深川江戸資料館で毎年おこなわれている松也師匠の演奏会で、やはり拙作の
『無灯蕎麦屋(あかりなしそばや)』
を語ってくださるというご連絡をいただきました。今年はあいにくの事情ゆえに「無観客」なのだそうですが、そのかわりに動画を配信します、とのことです。これもYouTubeかも知れませんので4つ目ということになります。
自分では何もしなくても、こうやって人さまのお力によって広くご覧いただけるのはありがたいことです。
また次に何か上げられるようでしたらここで紹介させていただくつもりです。
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- [2020/08/18 00:00]
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過ちを思う
『瓜子姫とあまんじゃく(天邪鬼)』という昔話はとても好きなものです。木下順二の書いたものを文楽にした作品は、『夏休み親子劇場』でしばしば上演されてきましたが、越路太夫、五代呂太夫、嶋太夫(呂勢太夫の代役あり)、六代呂太夫という人たちが語ってこられました。越路師匠は「若い観客層のためには、ある意味ではよかったといわれています」「今、この歳で「瓜子姫」をやれといわれたら、やれません。若くないと」「若い観客が来てくれたとはいっても、一時的なもんじゃないんですか」(いずれも『四代竹本越路大夫』による)と、そっけないのですが、義太夫節を語るお立場からはそういうお気持ちになられても致し方ないだろうと思います。ただ、私は芝居としての『瓜子姫とあまんじゃく』が好きで、欠かさずに拝見してきました。特に好きな場面は瓜子姫もあまんじゃくもでてこない、
杣の権六
が山父と出くわす場面です。権六は怯えて何もできないのですが、たまたま熾していた火がぱちんとはじけて山父にあたってしまうのです。そのとき山父は「人間というのは時々思いもかけぬ事をする」といって去って行くのです。自然の恐ろしさを知っている我々ではありますが、ときとしてその自然に我知らずに歯向かっていることがあるように思います。そんなことを私は感じるのです。もちろん、私の勝手な見方に過ぎませんが。
権六は悪意があって山父に危害を加えたのではないのです。しかし、人間は「思いもかけぬこと」をするのです。
今、
COVID-19
というパンデミックが世界の人々の生活を狂わせているのですが、非科学的なことを申しますが、これは何かの報いなのではないかと思えるのです。
狩猟生活から思いもかけず稲作に移った人間、手作業だったものを機械にさせるようになった人間、石油をみつけるや使い放題に燃やしている人間、原子力という制御の利きにくいものに頼ろうとする人間。山父から見たら、すべて思いがけないことなのではないでしょうか。
過去に見ぬ災禍の渦に籠められて我ら人類の過ちを思ふ
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- [2020/08/17 00:00]
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海苔の佃煮
ツイッターはおもしろいことを言う人が多くて、8月5日にうがい薬の「イソジン」が話題になるや否やジョン・レノン「イマジン」とか、韓国の俳優さんの「イ・ソジン」とか、やはり韓国に流れる「イムジン(河)」とかよく似た言葉を挙げては茶化したり批判したりしている人がいました。
言葉遊びの好きな私ではありますが、ツイッターの方々には叶いません。
私がやっと思いついたのはそれらではありませんでした。
私は辛いものが好きで、今でもワサビとかカラシとかショウガなどが大好きなのです。激辛カレーのように口が焼けるようなものに興味はないのですが、
ぴりっとくる
辛さはたまりません。うどんに乗せるてんぷらは紅ショウガが一番です。ざるそばもワサビの刺激がたまりません。
塩分過多にならないよう意識はしているのですが、好き嫌いで言うなら今も辛いもののほうが甘いものよりずっと好きです。
そんな人間なので、「イソジン」の文字を見た時にすぐに思いついたのは、あの、海苔の佃煮でした。
いーそ いそ いそ 「磯じまん」♪
海苔の佃煮「磯じまん」♪。
こんなCMソングはもう今どき存在しないのでしょうか。私は子どものころ、「磯じまん」さえあればご飯を何杯でも食べられました。瓶入りだったので、ほとんどからになったら、その中にお茶を入れてゆすいで(笑)ご飯にかけて食べたりしたものです。品のない生活が行動にあらわれますね。
ちょっと調べてみたら、あれは大阪の企業が作っているものだったのですね。今でも売っているものなのでしょうか。
てっちゃん てっちゃん♪
かねてっちゃん♪
ちくわとかまぼこちょうだいな♪
の「かねてつ」(今はカネテツデリカフーズ)は西宮発祥で神戸が本拠になっていますから、これも関西のものです。
ということは、これらのCMも関西以外の人は知らないのでしょうか・・・。
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- [2020/08/16 00:00]
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煽るメディア
この記事は8月6日に書いています。
8月5日の夜、ちょっとしたことを書こうと思ってツイッターに行ったら、なんだかすごい騒ぎになっていました。
うがい薬の
「イソジン」
がどうのこうのという話のようでした。韓国の俳優さんに「イ・ソジン」という人がいるそうですが、それとも関係のない、あのうがい薬の「イソジン」です。COVID-19の罹患している人がこれでうがいをすると検査が陰性になる率が高い(?)とかなんとかで、だから何なのかというと、それだけのことで、予防に効くというわけではないとかまだこれからだとか、結局、劇的な大発見ということではないようです。すでにいろんな批判も出ていますし、その批判への反論もあるようです。
私の「しろうと目」から見ると、まだひとつのデータが出ただけ、というのが実際のところのようで、それ以上のものではないと感じます。
メディアは煽情的な表現をするのはよくないと思います。今、感染症研究者などは、いろいろ試行錯誤をしているところで、そんなに簡単に答えが出ると期待する方が間違いでしょう。私は、研究者が「こんなデータが出た」「こういう可能性がある」と報告すること自体は、仮に結果的にそれが間違いであったとしても、重要なことだと思っています。
問題はそこから先で、私はテレビを観ていないので何とも言えませんが、ネットで拡散していたテレビ画面を写した写真を見てみますと、
「“コロナ”治療 効果が期待できる薬 発表へ」
という文字が出ていました。登場していた政治家がそう言ったのかどうかは確認できませんが、少なくともテレビがあの文字を出してしまったら、テレビ局の責任として重大なことではないかと思いました。実際、その直後からドラッグストアに人が走って、次々にイソジンなどが売れたということです。おそらく、しばらくはその傾向が続くのでしょう。
結局間違いだったのは、テレビ番組で大々的に放送してしまったことだと私には思えます。テレビは何とか視聴率を取ろうとしますから、治療薬ができたかのように宣伝します。いくら番組のなかで政治家が抑えた表現をしたとしても、あのような文字を見せられたら、すぐにテレビを消して薬局に走った人もいたのは当然でしょう。
メディアの罪と、それを知ってか知らずか、安易に番組に情報を流した政治家の罪と。
ついでなのですが、羽曳野医療センター(?)のドクターが研究したというのになぜ大阪市の市長が出てきていたのでしょうか・・・?
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- [2020/08/15 00:00]
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身の周りでも
COVID-19が春の蔓延時以上の広がりを見せていますが、私の周辺でも「自分が感染した」「姉が感染者と接触した」など、ぽつりぽつりと感染者や濃厚接触が疑われる人が出始めています。
感染した人は発熱して、味覚と嗅覚が失われて、倦怠感があり、咳が出るということですが、症状は重くはないようで、そのまま回復する可能性が高いように聞いています。自宅待機だそうで、ご家族への広がりが案じられ、このまま大事ないことを願うばかりです。私はその人とほとんど接触はないのですが、それでも同じ空間内にいたことはあるかもしれません。
お姉さんが濃厚接触者だという人は、もう少し近い距離にいた人なのですが、幸い、お姉さんの検査結果は
陰性
だったそうで、本人も安堵していました。
こうやって、じわじわと身辺にウイルスの脅威が迫ってくる感じで、いい気持がするはずがありません。
私は他人とあまり接触することがありませんので、バリバリの現役で働いている人に比べると危険性は少ないと思うのですが、安心はできません。
これだけ騒ぎになっても、まだ何ごともなかったように
「かかったらかかったときの話」
という発想の人が少なくありません。特に怖いもの知らずの若者は、感染しても症状が軽いといわれているので「いちいち気にしていたら遊べない」という気持ちなのかもしれません。遊ぶことが人生の第一義、という時期の人はそうなってしまうのでしょう。その点私は、最近はまったく「遊ぶ」ことがないのでリスクは少ないでしょう。しかし、その「遊ぶ」人と何らかの形で接触する(電車で乗り合わせるなど)ことはあり得るわけで、これからも他人ごとと思わずに「遊ばない」生活を続けることに励もうと思います。
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- [2020/08/14 00:00]
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能勢物語
平安時代の物語で、その後の文学にきわめて大きな影響を与えたものに『伊勢物語』があります。私が古典文学にめざめたのもこの作品のおかげです。高校2年生のときに突然取り憑かれたように興味を持ち、高校の教科書ではごく一部しか載っていませんから、全体像のわかる、しかし安価な文庫本(原文、注釈、現代語訳つきでした)を手に入れてずっとそれを読んでいました。まだよくわからないままに、不思議な魅力をたたえるものだということだけは肌で感じ取っていたように思います。
この『伊勢物語』にはパロディがあります。原文を少し変えてはまるで違った滑稽な内容に作り替えた『仁勢(にせ)物語』というふざけたタイトルのものです。『伊勢物語』とそっくりでありながら、
「にせ(似せ、偽)」
なのです。よくこんなことを思いつくものだと感心させられました。多くの段が「昔、男」で始まるのが『伊勢物語』ですが、これを「をかし、男」に置き換えて滑稽な話を繰り広げるのです。
最近、Facebookで「友だち」にしていただいた方で、能勢町(大阪府豊能郡)在住の方がいらっしゃいます。今はお勤めもおやめになって農業や地域活動に力を入れていらっしゃるようにお見受けしています。
その方が、能勢町にこんなものがある、と紹介してくだったものがあります。この地を本拠にした能勢氏の物語で、タイトルが
能勢物語
というのです。作者はあるいは『伊勢物語』を意識してこのタイトルをつけたのではないか、と想像しています。中味はパロディではなく、純粋に能勢の歴史物語のようなものです。地元の旧家や寺が所持してきたものらしく、それを郷土史の研究家の方々が苦心して翻字されたものがあるのです。おそらく地元で少部数刊行されたものと思われ、大阪府池田市の図書館には寄贈されていました。少し読み始めたばかりなのですが、これから時間をかけてじっくり読んでみたいと思っています。
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- [2020/08/13 00:00]
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感想戦
将棋のことはさっぱりわからないのですが、「感想戦」というのがあるのですね。簡単に言えば勝負の「ふり返り」なのでしょう。あれはとてもいい習慣だと思います。
前にも書きましたが、私は将棋の世界の「負けました」という決着のしかたが好きなのです。勝った方が勝ちを宣言するのではなく、負けたほうが負けを認める世界。もちろん、それには理由があるはずで、負けを認めなければ、極端な話、王将を取られるまで勝負はつかないことになります。しかし、少しでも将棋を知っておれば、もうこうなったら負けに決まっている、というところまできたら事実上終わりなのです。だからといって勝っている人が「私の勝ちです」と宣言することはできない。おのずから負けた側が宣言するほかはないことになってしまいます。そういう理屈はあるとしても、敗者が負けを認めて終わるのは何とも潔くまたすがすがしいものです。
そして「負けた」と
捨て台詞
を吐くのではなく「負けました」と相手をたたえつつ、深々と頭を下げるのがしきたりのようです。すると勝者が同じように頭を下げる。納得するまで下げているようにも見えます。
そして将棋の面白さはまだ続くのです。それが「感想戦」です。今の勝負を振り返って、どういう局面で勝敗の別れ路があったのか、よりよい手とは何だったのか、そんなことを話し合うというのです。そんなの、企業秘密じゃないの? 相手に知られたら次の勝負のときに不利にならない? と思えるくらいですが、そんなことにかまわず、話をすることでお互いが将棋そのものをより深く
理解し、学ぼうとする
のでしょうか。勝った者も負けた者もなく、将棋そのものを語り合う。しかも、耳学問ですが、感想戦は負けた側が納得するまで続くのだそうです。将棋そのものも長時間ですか、感想戦も5分や10分では終わらないようです。私は、今さら将棋を学ぶことはないと思うのですが、少し垣間見ることで、その魅力の一端を知れたような気がします。
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- [2020/08/12 00:00]
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幼い頃が見える
私は人を見る目がないのです。「人」だけでなく、自分でも嫌になるくらい、あらゆるものの真の姿を見通せないのです。よくこれで文学の道を歩んできたものだとあきれかえるくらいです。
ところが、今のような危機的な状況になって、人の本来の姿が見えるようになってきた思いがします。特に感じるのは、「この人は幼い頃こんな人だったのだろうな」ということです。人物の真価を見極めるのは今もできないのですが、何かその人の根本にあるものは見えてくるように思います。
最近、もっとも「わかりやすい人」だと感じるのは今の総理大臣です。
あの人は幼い頃からほとんど変わっていないことが私には感じられます。もちろん、人間というのはそうそう変われるものではありませんから、誰しも大人になってからの姿から
幼時の姿
は想像されるものですが、この人は本当にわかりやすい人なのです。
とにかく人より前に出るのが好きで、大きなことを、いかにも論理的であるかのように言って、自分よりちょっと強そうなヤツが現れたら、そばにいる取り巻きのような友だちに「おい、お前、何とかしてみろ」と言い出す。自分で責任を取るということの意味を知らないまま成長したのだろうな、と感じます。シンゾー少年が、強そうなヤツに対峙するや否や取り巻きの後ろに身を潜めて上目遣いになっている姿が浮かんできます。
責任の取り方を知らないから、以前退陣した時には
投げ出した
といわれたのでしょう。
彼は、自分の政治的レガシーとして憲法を「改正」し、オリンピックを「国の代表」として迎え、万雷の拍手を持って花道を去って行く自分を恍惚として夢見ているのではないか。その一方で、いっそ病気が悪化しないものかと願っているような気もするのです。つまり、現実に対応する気はなくて、夢を見るか逃げ出すかのどちらかしか考えていないように見受けられます。
本人はそれでいいかもしれませんが、そのために多くの人がこうむる迷惑を考えると、やはりこの人は総理大臣になどなってはいけなかった人なのだと感じないわけにはいかないのです。
ちなみに、私もこの総理大臣に似たところがあるような気がしてなりません。よくぞ政治家を目指さなかったことと今さらながら思います。
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- [2020/08/11 00:00]
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お盆が近づいて
政府のすることがもうひとつよくわかりません。何か信念をもって仕事をしているというよりは、行き当たりばったりで、手を変え品を変えて行動しているように見えます。苦労するのは分かります。なにしろ未曾有のできごとだけに前例がなくて、どうすればよいかの経験を持たないからです。つまり我々は今、「歴史に学べない」ことの恐ろしさを思い知らされているのです。
こういう場合、専門家ですら間違った判断をすることはありがちです。そこは我々も理解しなくてはなりません。ちょっと間違ったことをしたからと言って、揚げ足を取るようなことはしないほうがいいのです。その意味では、私は専門家に対しても政治家に対しても、寛容でありたいと思っています。「この間はあのように言ったが、間違いだった、ついてはこのように変更したい」というのはかまわないと思うのです。
問題はむしろ間違ったことなどしていないと強弁して、
誤りを簡単に直さない
ことではないかと思っています。
間違いだと言ったら責任を取らされる、そのことに怯えてもしかたがないと思います。メディアも、そのあたりはうまく対応しないと、人間同士のいがみ合いに対して向こう側でウイルスがほくそえんでいますよ。
政府が考えたマスクも、お粗末極まりないものでしたが、考えた人はその当座は名案だと思ったのでしょう。ところが、専門家の話も聞かずにすぐに決定してばたばたと発注して、無用論には耳も貸さずに何か月もかかって配布しました。
最近は旅行に行きましょう、お金は補助します、というキャンペーンが始まり、それを見てあざわらうかのようにウイルスの蔓延が再燃しました。
ああいうことをしても、慎重な人ほど行かないのです。そのあたりのことを考えずに無謀なことをしようとすると結局はウイルスの拡散に手を貸すだけ、ということになりかねません。
そしてまもなく
お盆休み
です。
今度は、「あまり出かけないでください」という呼びかけをするようですが、ちぐはぐな感は免れません。しかしここは、そのちぐはぐさを受け入れてあまり出歩かない方がいいのだろうと思います。
担当大臣は「なんで自分がこんな目に遭わなきゃならんのだ」と思っているかもしれませんが、むしろ「これで自分がつぶされるなら本望だ」というくらいに思って間違いは間違いとしっかり認めつつ、新たな対策を提示するのが唯一の方法だと思います。
何の役にも立たない総理大臣に比べれば仕事はしているのですから、責任は総理大臣におっかぶせて(それは当然のことでしょう)、間違いは間違いだと認めつつ多少の「ぶれ」は仕方ないものとして頑張っていただきたいものです。
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- [2020/08/10 00:00]
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終着駅に着く前に
文学などを研究しても何の役にも立たない、というのは多くの人の言うことです。医学部の教授と文学部の教授では、けた違いに医学部が上である、と平気でいう人もいます。特に、こんなご時世になると、何が古典文学だ、という風潮に拍車がかかりそうで恐ろしくさえあります。古典を勉強する若者が減ったらどういうことになるか、未来を考えてものを言ってもらいたいものです。
ただ、私はもうそんなことを気にしていてもしかたがないと思っており、言いたい方は
どうぞご自由に、
という心境です。もちろん、その考えが間違っていることは明らかだとは思っていますが、反論している暇はもうない、と自覚しています。
人生を東海道新幹線にたとえるなら、東京から新大阪を目指してきて、今は京都駅を出たころかな、と思っています。左手に東寺の五重塔が見えます。あとはあまりスピードを上げずに安全に終着駅に着くことを目指すばかりです。しかし、その終着駅に着くまでに、まだ何かできることがあるような気がしています。
この夏、今から25年前の、あの阪神大震災のあった年に書いた創作浄瑠璃、
名月乗桂木
をきちんと活字にして残しておこうと思っています。上演台本ではなく、私の書いた原作の方です。来年は狂言風オペラ『フィガロの結婚』、これも原作を活字にしたいという思いを抱いています。
この夏は図書館に通うことがかなり困難だと思われ、論文(みたいなもの)を書くのはあきらめました。
創作浄瑠璃もふたつ頭にあります。また、それ以外にも下調べを始めている者もあります。なんとか形になるようにしようと思っています。
新大阪に着いてしまわないか心配ですが(笑)。
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- [2020/08/09 00:00]
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密息を試みました
私の仕事の半分はしゃべることで果されるものです。しかし、障害があるため自分がどれほどの、またどんな類の声を出しているのかがさっぱりわからないままだったのです。今思うと、学生さんは聞き取りにくかったのではないかと改めて不安がやってきます。
ただ、私はそういう身の上だからこそ、声の出し方や呼吸法には普通の教員以上に神経を使ってきたつもりなのです。ボイストレーニングの本も何冊か読みましたし、知識として身に着けるだけでなく、かなり練習もしました。そして行き着いたところはやはり
腹式呼吸
でした。
横隔膜を下げてお腹を膨らませるようにして息を吸い、逆に意識的にお腹をへこますようにして息を吐きます。これだとかなり大量の呼吸ができますので理にかなっているように思いました。
そんなときに、文楽の豊竹藤太夫さんから「密息」ということばをご教示いただき、さらにはそれについて書かれた中村明一『「密息」で身体が変わる』(新潮選書)を教えていただいたのでした。
ともかくも本のありかを探そうとしましたら、さすがに新潮選書だけのことはあって、地元の図書館にありました。ところが、その図書館まで行くのには徒歩20分以上かかり、最近の体調ではちょっと苦しく、二の足を踏んでいました。ものは試しと、別の身近な図書館で検索してみると、まったく期待していなかったのですが、ほんとうに書架の隅っこに隠れるようにして文字どおり
密かに息をしているように
置かれていたのを発見したのです。早速それを借りて拝読し、実践することにしました。
ごく簡単に言いますと、骨盤を倒して横隔膜を下げながら鼻の奥で深く息を吸いこみ、お腹を前に出した状態のまま、横隔膜を上げて口から息を吐きだすのです。これまで実践していた腹式呼吸は腹筋を使って横隔膜を上げ下げするような感覚でしたが、これは「骨盤を倒す」という姿勢と「お腹を出したまま」という点が異なるようです。
最初のうちは特に何の変化もないなぁ、と思っていたのですが、数日間それを実践してみますと、あるとき、脳に酸素がスーッと入って行くような感覚が起こりました。すると、頭が冴えるような感じになるのです。もともとすぐれものではない、もやもやした頭ですから、その瞬間はけっこうな快感でした。
まだはっきりとはわかっていないのですが、もう少し試してみたいと思える呼吸法です。
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- [2020/08/08 00:00]
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密息
文楽の豊竹藤太夫さんから「密息」という言葉を教わりました。
藤太夫さんによると、日本人が昔からおこなってきた呼吸法だとのことです。呼吸法というと、私はずっと腹式呼吸を意識してきましたし、それが声を出す仕事にとっては一番適切だろうと思っていました。簡単に言えば息を吸うときにお腹を膨らませて、横隔膜を下げて肺を下に引っ張るようにして深く吸い、吐くときはお腹をへこませるようなイメージで横隔膜を上げて肺から空気を押し出す感じです。
ところが、藤太夫さんはそれとは違う呼吸法で義太夫節を語っていらっしゃるとのこと。そして、最近おこなわれている
藤太夫塾
という、Zoomを用いた義太夫の入門講座でその「密息」についてのお話をなさっているようです。ただし藤太夫さんは「和呼吸」という独自の命名をなさっています。私は講座に入れていただくことは身体上の事情でできないものですから、どういうことなのか今ひとつ理解できないままもやもやしていました。そこで、藤太夫さんがご自身の「和呼吸」と同じものだとおっしゃる「密息」についてかねがねご紹介くださっていた本を読んでみることにしたのです。それは、尺八奏者の
中村明一さん
のお書きになった『「密息」で身体が変わる』(新潮社)です。
中村さんは、大量の息を必要とする、「息の効率が悪い」尺八の演奏をするためにさまざまな呼吸法を工夫されてこの「密息」にたどり着かれたようです。
私はまだ十分には会得出来ませんし、理屈もわかっていないのだろうと思います。息をすることはすなわち「生きる」ことです。「息」と「生き」は語源を同じくする言葉です。
もう少し勉強してみようと思います。
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- [2020/08/07 00:00]
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著作権
以前には考えられないようなSNSの発達とともに、写真を自分の記事に安易に載せてしまうことの怖さを感じています。著作権というものは、例えば平安時代などにはなかったわけですから、当時は何ともおおらかなもので、他人が作った物語の続編を別の人が書くなどということがあり得たわけです。今は著作権法というものが整備されましたので、そこまでする人はいないでしょうが、写真などは安易に使ってしまいがちです。何しろ画像検索すれば山のように写真が載っているわけで、それを自分のものと錯覚することはありうることです。
授業では、他人の撮った写真でも一時的に(授業のなかで)借用することは認められています。しかしそれでも私は「この写真は○○を出典としています」とできるだけ言うようにしてきました。論文などに画像を入れる場合は、出典を明記することは当然のことです。
SNSで、最近拙作『名月乗桂木』の紹介をしようと思って、写真を入れようとしたのです。YouTubeのページの表紙になっている写真はアドレス込みですからおそらく問題ないと思っているのですが、
キャプチャー画像
を撮ったものの、これは載せてもいいものだろうかと悩みました。世の中ではそういうことは横行しているように思えるのですが、やはり私は慎重でありたいと思っています。それで、おそるおそるFacebookに上げてみて、詳しい方に聞いてみようと思ってその旨(教えてほしい、ということ)も記事の中に書きました。するとやはり詳しい人がいらして、「出典(この場合はYouTube)とアドレスを書けば大丈夫だと思う」と教わりました。
もしよくないという意見を頂いたらすぐにでも
削除する
つもりでしたが、その後も何も言われることはありませんので、問題はなかったのかなと思っています。私の「友だち」はそういうことに詳しい人がたくさんいますので、助かります。もちろん、今からでも「やめた方がいい」と言われたらすぐに削除するつもりです。
SNSは個人の楽しみのようでありながら「Social」という面がありますのでなかなか難しいです。
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- [2020/08/06 00:00]
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「負けました」の美学
昨日と同じようなことを書きます。
私は将棋がまるでできなくて、何となく駒の動かし方は知っているものの、「角換わり」とか「腰掛銀」とか「矢倉」とかいわれても何のことやらわかりません。囲碁となるともっとダメで、ルールすら知りません。ああいう、理詰めのものはおよそ才能がないのです。
それでも、最近は高校生棋士の藤井さんという人が活躍しているので、どんなことをしているのかがどこからともなく目に入ってきます。
将棋は、指しているときの映像を観ても面白くないだろうと思ってしまうのですが、好きな人は一緒になって考えながら棋士が打った手を見て「なるほどやっぱり」とか「ええ、そんな手を」とかおっしゃりながら楽しまれるのでしょうか。
そういうアマチュアの方がたくさんいらっしゃって、その上のはるかに高いレベルのプロとして第一線で活躍される人というのはどんなものの考え方をされるのだろう、と思います。
テレビで
大盤解説
とかいうのを放送しているのをちらっと見たことがありましたが、何だかさっぱりわかりません。
そんな人間なのですが、最近は短い映像が流れてくることがあると、つい見てしまうのです。最終局面で、勝負がつく瞬間も見たことがあります。そして、渡辺さんという30代の棋士が棋聖戦で17歳の藤井さんに負けた瞬間の映像を観たときはびっくりしました。「ダメか・・」という顔をされた渡辺さんが深々と一礼され、ほんのわずかおくれて藤井さんがさらに深く頭を下げられたのです。
なんとすばらしい一瞬だったか、と思います。美しい姿です。
将棋は、ヘボ将棋ならともかく、一方が相手の王将を取った時点で終わるのではなく、自分が負けたと思った時点でそれを表明することで終わるのですね。
サッカーでもラグビーでも試合が終われば勝敗はともかく、たたえ合う精神が基本。ラグビーでは特にその美風が残っていると思います。近年のサッカーは、負けたら座り込んで、勝ったら飛びあがって、という、優劣の姿を見せることが目立つようですが。
日本の武道で言うなら、本来、柔道であろうと相撲であろうと、終わればすみやかに自分の位置に戻って挨拶をするのが常識です。私は勝負がついたらすっと横に広がって同じ目の高さで同時にあいさつしてもらいたいのですが、今はそれができていない人が多いように思います。
相撲だけではありません。間違いを改めることは恥だと思って、どんな方法をとってでも自分の間違いを改めようとしない輩はどこにでもいます。こういう人たちに欠けているのは
負けましたの美学
だと思います。負けたらすべてが終わるのではなく、そこから新しいものが始まります。無条件降伏をしたこの国は、だからこそ立ち直れたともいえるはずです。個人攻撃をするつもりはないのですが、横綱もそこが分かれば一流になれるのだけれど、と思えてなりません。
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- [2020/08/05 00:00]
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見苦しい横綱
子どものころ、相撲の第一人者は大鵬関でした。とにかく負けない。強い人でした。当時は巨大なからだをしていると思っていたのですが、体重はせいぜい150㎏くらいで、今の力士でいうと平均的な大きさでしょう。当時は100㎏に満たないおすもうさんもいくらでもいましたから、大鵬関は比較すればかなり大きかったのですが。
あまりよくは覚えていませんが、あの人は受け止める感じの相撲で、どんな力士も吸いこまれるように負けてしまいまったように思います。
昭和40年代ころというと相撲の姿がとても美しかったころです。立ち合いの際はきちんと腰を割って、呼吸を整えて、相手の息を見計らって立つ。突っ立ったような立ち合いは小兵力士だけのものでした。負けても潔く、きちんと
礼をして
下がっていくのが相撲のしきたりだと思います。
ここに書いたことがあるはずですが、私はオリンピックの柔道で、ある女子選手が決勝戦で相手を倒した瞬間、倒れている相手をまたぐようにしてぴょんぴょん飛び跳ねた姿を見て、オリンピックに対する熱も、柔道に対する熱も冷める思いがしました。そのころ、負けた選手も畳に座り込んだままあいさつに立とうともしない姿を見かけていたので、これはもう私の知っている柔道ではないのだと思ったのです。
いつまでもそんな懐古趣味みたいなことを言っても仕方がない、これが現代なのだ、と言われるかもしれませんが、柔道はオリンピック種目になって変容したと思えてなりません。
それに対して、今話題の将棋の勝負が決した瞬間の潔いこと。負けた側が
「負けました」
と言いつつ深く頭を下げる。勝った方も同じように頭を下げる。たとえば高校生棋士の人が「僕は現代っ子だから」と言って、勝った瞬間にガッツポーズをして飛び跳ねたら、顰蹙を買うくらいでは済まないでしょう。かろうじて残っている、勝負の世界の美しい姿だと思います。
そんなことを思ったのは、先日まで行われていた大相撲で横綱が負けたときに相手力士の肩を小突くようにした姿を見たからです。この横綱はかねがね行儀の悪さが指摘されていますが、特に懸賞金を受け取る姿と負けたときの悪態は見苦しものと感じます。土俵下から怒号を発した姿はこの人のどんな立派な相撲よりも忘れられないものです。
「強い横綱」「美しい横綱」などいろんな形容の仕方がありますが、どうか後世に「見苦しい横綱」という汚名を残さないためにも、残り少ない現役生活を礼儀正しい姿でまっとうしていただきたいと願っています。
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- [2020/08/04 00:00]
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ものいふ花
あまり散歩できない日が続いています。6月は20万歩近く歩いたのに、7月は3割くらい減ってしまいました。
歩くときのコンディションもかなり悪くなっています。以前ならいくらでも歩ける力があっても「今日はこのくらいにしといたろか」という余裕さえあったのです。今はやっと歩いている、もう歩きたくない、というありさまで、どうにも冴えない話です。
坂道を登る
のが特に苦痛で、少しでも斜めになっている道を見るとうんざりしてしまいます。階段を昇るのも厳しく、駅ではしばしばエレベーター、エスカレーターを利用してしまいます。電車に乗ると8割がた座っています。
そんな状態なのですが、朝起きると最近は朝顔が咲いていますのでいい気分になります。
今咲いているのは赤紫のような花なのですが、もうひとつまだ蔓が伸び始めたところの株がありますので、それはどんな色なのか、楽しみにしています。道を歩く時でも、しんどいなぁ、と思っているときにふと心休まるのは花に出会った時です。あれほど花には興味がなかったのに、不思議な話です。
「咲」という字は「さ(く)」と読みますが、
咲ふ
と送り仮名を打つと「わらふ」とも読みます。もちろん「笑ふ」と同じ意味です。一説には「笑ふ」は「割れる」と語源を同じくするとも言われ、瞬時にパッと音(声)をたてる様子をいうのだろうとも説明されます。花が咲くことを花が笑うと感じ取った感性はすばらしいと思います。「笑ふ」に似た言葉に「ゑ(笑)む」がありますが、これは顔をほころばせてにっこりとする様子で、声を挙げて笑うわけではありません。そして「ゑむ」にも「つぼみがほころぶ」という意味があり、花はこうして擬人化されてきたのです。
最近私は、花は笑っているというよりも何かを話しかけてくるような感じがしてしまいます。じっと見ていると、花びらが動いて語りかけてくる錯覚を覚えるのです。その意味では、「咲ふ」と書いて「ものい(言)ふ」と読ませたくなるのです。
もっと歩いて花と話をしたいと思っています。
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- [2020/08/03 00:00]
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パンデミックとか
今年も7か月が過ぎていきますが、とにかく大変な半年でした。いや、もちろんまだ過去形で言える話ではなく、むしろ未来の問題として考えねばならないのですが。
医学関係の言葉など全然知りませんが、この半年の間にいくらか覚えました。パンデミックという言葉は、それでも知らなかったわけではありません。なんといっても、今から10年ばかり前の「新型インフルエンザ」で経験がありましたから。あのときも空港で熱を測れ、水際作戦だ、とけっこうな騒ぎになりましたが、あれはまだ序章だったのですね。
あの頃からこういうウイルスは
コウモリ
を介して人間に伝染するのだということも学んでいました。今回の新型コロナウイルスもやはりコウモリだったと言われます。
あのときに痛い思いをしていたのに、なんとなく喉もとを過ぎると忘れ去ってしまうものです。
パンデミックというのは、パンドラの箱が全世界に病気をばらまいたことと関係あるのかと思っていたのですが、どうやらそういうことではなく、地域的な流行(エンデミック)、流行(エピデミック)より広範に広がる流行のことだそうです。「パン」は「Pan Amerikan」などというときの「pan」で、「全」「汎」などの意味を持ちます(辞書で調べました)。パンアメリカニズムといえば「汎アメリカ主義」です。
ほかにも
サーベイランス
などという言葉も知りました。本来は注意深く監視することを意味しますが、特に感染症についてはその病気の発生状況やなりゆきを継続して監視すること、さらにはそれをもとに対策のためのデータを分析することにも言うようです。
このたびの新型コロナウイルスは「プラス鎖一本鎖のRNA」をゲノムとするのだとか。「RNA」なんて、何のことだろうなぁ、と思っていた高校時代の生物の授業以来かもしれません。ちょっと待てよ、私、そういえば大学受験の時に生物を取ったのでそのために少しは勉強したのかも。まるで記憶にありませんが。
英語ではありませんが「公衆衛生」という言葉も頻繁に目にしました。
自分ひとりの身を守るのみならず、社会的な衛生活動を意識しなければ、結果的に自分の身の上にも災いが降りかかってくるのですね。
「コロナ禍」という言葉が定着しました。最初は「渦(うず)」と混同していた人もいましたが、わざわいのことだと広く認知されたように思います。「禍」という字は書けそうで書けない字ですが、多くの人の記憶にとどまったことでしょう。
それにしても、このような言葉をいろいろ覚えるのはつらいことではありますが、実は大事なことなのだと思います。この「コロナ禍」が仮に収まったとしても、また「第三章」がやってくるかもしれません。
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