文学部はいらない
大学が冬の時代になると言われたのはもう二十年、いやもっと前でしょう。そのころに生まれた子どもがすでに大学を卒業しているのですね。私はちょうどその冬の時代を大学教員として凍えながら過ごしてきました。
当時国立大学に勤めていた大学の先輩と何かの学会のあとでお話しした時、先輩はご自身の大学の状況を「ひどいもんだよ、冬の時代だ」とぼやいていましたが、定員割れもしない、給料の心配もない国立の先生が言わないでくださいよ、と言い返したいくらいでした。
特に、私の専門である文学や歴史などという
社会で役に立たない
とされることについては、「大学で教えることではない」と公然と言い出す人も現れるようになりました。折しも就職難の時代で、学生も「ほんとうは違うことをしたいけれど、就職に有利だから」という理由で資格の取れる大学、学部を目指すようになり、弱小私立大学の文系学部は学部再編や廃止などの直撃を受けました。こうなるともう冬どころか北極をTシャツ姿でさまよっているような状態でした。
いつぞや文部科学省の役人が国立大学の文系学部は整理する必要があると言っていました。しかし、そんなことしなくても私立でぞんぶんに「整理」されていますから、国立だけは残しておかなければならないと思います。せめて国立は多様な学部を持っていることが必要です。
ヨローッパの大学の最初の頃は神学部、法学部、医学部が重要でした。神学部と言うのは今の日本ではちょっと考えにくいですが、宗教学や歴史学に関わるものと見れば文学部が一番近いでしょう。こういう、人文科学、社会科学、自然科学、あるいは文系、社会系、理系のバランスが骨格部分にあって、そこから大学の学部というのは枝がひろがっていったので、その骨格の部分はやはり大事にしておくべきだとも思います。
荻生徂徠は
「学問は歴史に極まり候」
といっています。歴史の中にこそ学ぶことがあり、それを知らずに未来を見通すことなどできるはずがありません。過去に犯した過ちを知り、それを繰り返さないように今の自分を見つめ、そのうえで未来をどのように築いていくかを考える。それが歴史の勉強の本質だろうと思います。過去の出来事を丸暗記することが歴史学なのではありません。数学だろうが物理学だろうが、歴史を知らないとその学問の未来も見えてこないはずです。
昨今の政治家を見ているとこの歴史の発想が欠けているために未来を描けない人が多いのだと思えてなりません。もっと古典や歴史を学ぶべきだと思うのですが、そんな説教をしても馬耳東風でしょうね、きっと。しかしそういう政治家に「文学は役に立たない」などとは言われたくないのです。
・・と、ここでこんなことを言っても「ごまめのはぎしり」ですけどね。
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- [2021/05/31 00:00]
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花のみちの薔薇
以下の内容はずいぶん前にこのブログに書いたものといくらか重複します(物忘れの甚だしい私にはよくあることですが)。
兵庫県宝塚市の宝塚大劇場の前に「花のみち」という遊歩道があります。そこを大劇場の入り口から少し楽屋口のほうにいくと『ベルサイユのばら』のオスカルとアンドレの像があり、その周辺にはバラが植えられています。千葉県の京成バラ園芸さんが苗を寄贈されたものだそうで、2013年に植樹されました。植樹の式典には、宝塚歌劇で初演されたときにオスカルやアンドレを演じた
榛名由梨さん(なつかしい!)
も参加されたようです。
ここに植えられた薔薇は名前がついていて、深紅の薔薇が「ベルサイユのばら」です。そして、真っ赤なものがマリー・アントワネット、黄色がアンドレ・グランディエ、白がオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、ピンクがロザリー・ラ・モリエール、紫がフェルゼン伯爵だそうです。
「ベルサイユのばら」はとても大きな花を咲かせます。これがアンドレとオスカルの像の周りにあるのです。そして、それ以外のものは道の反対側にあります。
一度にすべて咲く日があるのかもしれませんが、黄色が早くて赤は遅いような気がします。
先日行ったときは真っ赤な
マリー・アントワネット
がとても鮮やかに咲いていました。これは何とか写真に収めたいと思ったのですが、きれいなものがかなり高い位置に咲いており、しかも遊歩道の外側、遊歩道より70~80㎝ほど低い車道から見上げる方がいい位置にあるのです。しかしそれではきれいに写真が撮れず、私は遊歩道の端の幅20㎝ほどのスペースを恐る恐る歩いて花に近づき、かろうじて写真を撮ったのです。片方はトゲだらけの薔薇、もう一方は70㎝の断崖絶壁(笑)です。「前門の虎、後門の狼」みたいなものですね(笑)。やっと撮り終わったのですが、本来人が歩くところではありませんからそれ以上前には進めないうえ、元に戻るには振り返らねばならず、何しろ幅20㎝ですから無理難題。またしても「前門の虎、後門の狼」です。やむを得ず車道に飛び降りることにしました。以前なら、この程度の高さなんて何の苦もなくひょいと降りましたが、最近はなんだか怖くて、転んだらどうしよう、と思ってしまうのです。しかしそこで立ちすくんでいるわけにもいかないので、清水の舞台のつもりでジャンプ一番! 幸い無事に着地しましたが、ちょっとひやりとしました。危険なことはするものではありません(笑)。
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- [2021/05/30 00:00]
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ワンチャン
学生の中には「・・ということ」を「・・とゆうこと」と書く人が珍しくありません。学生だけでなく、社会人でも増えつつあると思います。たしかに発音のとおりに書くなら「ゆう」でもよさそうではあります。しかしそれなら「わたしわほんおよむ」が正しいことになり、さすがにこうなると教師の立場としては看過できません。
こういうことを取り上げて「発音どおりに書かない日本語表記はおかしい!」という人もいるのですが、英語だって「ネーム」と発音するのに「neim」ではなく「name」と書きます。
ところが海外にも「発音が分かればどう書いてもいいじゃん!」という人もいるわけで、
Thank U(Thank you) Thanx(Thanks)
なんて、もう当たり前のようになっています。
「How r u?」と書くと「How are you?」のことですし、「c u」は「see you」、「U 2」は「you too」。
略語もどんどん進化(?)していて、
自由な発想
で作られているようです。10年近く前に「たまごかけごはん」を「TKG」と言っていた学生がいましたが、海外でも「LOL」「XOXO」なんて普通ですね(もう日本でもあたりまえのように使われつつあります)。「btw」は「by the way」、「ltr」は「later」、「K」だけで「OK」の意味をあらわすことも。「笑」を「XD」とするような「顔文字」も「エモティコン」という名で海外にもあります。
数年前の学生さんが「ワンチャン行くわ」と言っていた(lineに書いていた)ことがあって、犬がどこかに出かけるのかと思いました。どういうことか尋ねてみると「うまくいけば行きます」「もしかしたら行けるかも」の意味だとのことです。可能性があるということですね。
それなら「行けるかも」と書く方が早いのに(笑)と思うのですが、そこが若者言葉のおもしろいところでしょう。「ワンチャン」の由来は
ワンチャンス
だそうで、そこまでは学生はわかって使っているのです。ところがこの言葉は本来どういう場で使われていたかは知らないようです。かく申します私も知らなかったので調べたのですが、なんと麻雀用語なのだとか。「一発(チャンス一回で)逆転だ」というときに使われたとネットには出ていました。そこから、「うまくいけば」「もしかしたら」の意味に発展していったようです。
「ワンチャン」より可能性が高い場合は「ツーチャン」とか「スリーチャン」とも言うそうですが、これは麻雀とは関係なのでしょうね。そして「確実にできる」「絶対大丈夫」というときには「フルチャン」なのだそうです。
難しい~。
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- [2021/05/29 00:00]
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ホームランボール
先週、阪急西宮球場のことを書きましたが、その続きのような話です。
私は野球の試合はしばしば観に行ったのですが、それはたいてい阪急西宮球場でした。もちろん今はなくなった野球場です。阪急がオリックスになって神戸に本拠を移し(今はまた大阪市に移りました)西宮球場はお払い箱になってしまったのです。
西宮球場は阪急電鉄西宮北口駅の南東側すぐのところにありました。電車から見るとカクテル光線が目の前で輝いていました。同じ西宮市の阪神甲子園球場は阪神タイガーズの本拠地。電鉄会社とすれば阪急の方がずっと大きいのに、球団の人気は雲泥の差。長い間「大阪タイガース」と名乗っていたこともあるだけに、大阪のファンも多く、60年ほど前にフランチャイズ制度ができて、兵庫県が保護区域となって名称も阪神タイガースに変更されましたが、それでもどこか「大阪の球団」というイメージがあるように思います。今も甲子園は大阪だと思っている人は全国にたくさんいらっしゃるでしょう。
さて、阪急なのですが、人気がないうえに弱くて、しょっちゅう5位とか最下位にいたような気がします。ところが、昭和44年に
山田、福本、加藤
という選手が同時に入団して、1970年代に花開き、強くて人気のない球団(弱いけど人気のある阪神と逆?)という状態が続きました。
私がよく観に行ったのはそのころから1980年代の初め頃にかけてで、ほんとうに強かったのです。
1975年(76年かも)の夏に東京からやってきた従弟と一緒に西宮球場に行ったことがありました。
阪急対南海でした。阪急のピッチャーは戸田善紀投手。スライダーのよく切れるいいピッチャーでした。そして、戸田投手の好投で南海打線を抑え、一方阪急もなかなか点が入らなかったのですが、加藤秀司(のち英司)選手とバーニー・ウィリアムズ選手がソロホームランを放って2-0で勝ったのです。その加藤選手の打ったホームランがライトスタンドで観ていた私の方に向かって飛んできて、当時設置されていた
ラッキーゾーン
に飛び込みました。そこはピッチング練習場でもあったのですが、そのときは誰もいませんでしたので、ボールはころころころがっていた・・と思った刹那、従弟が2mくらいの高さから飛び降りてわがものにしてしまったのです。私はびっくりして手を差し出し、彼を引きあげました。やんちゃな従弟らしい突然の行為でした。ところが、東京生まれの東京育ちの従弟はなぜか南海ファンで、「ぼくこれいりませんから、あげます」といって私にくれたのです。「せっかくだからお土産に持って帰りなよ」と言ったのですが、悔しいからいらない、というのです。
今、私の手元に1球の硬式野球のボールがあります。もう色あせていて、たしか、パリーグ公認球であることを示す印字があったのに、それも消えてしまっています。そうなんです、それがあの時のボールなのです。イチローさんのサイン入りホームランボールなら売れそうですが、サインもない加藤さんのホームランボールでは価値がなさそうです(笑)。これ、どうしようかな。
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- [2021/05/28 00:00]
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美術館恋し
去年の2月に東京に行ったときに国立新美術館、東京国立博物館、東京都美術館、東京都庭園美術館、山種美術館などをはしごしました。すでにウイルスの感染が広がりつつありましたが、まだ自由に出入りして、マスクも着けずに観覧することもできました。博物館は「ごった返す」という言葉が当たるほどの、今思えば信じられないほどの混雑でした。
ところがあの直後から一気に危機感が高まって、美術館などは軒並み閉鎖されたのでした。
そして、ついに昨年はどこにも行けず、やっと今年の1月19日に大阪の国立国際美術館で開催されていたロンドン・ナショナル・ギャラリー展に(恐る恐る)出かけたのでした。感染が気にならなかったはずはないのですが、なにしろ展示されている作品が素晴らしくて、しかも観客が少なかったものですから大いに楽しめました。
ところが、その後また感染者が増え始めて、この春はどこにも足が向かず、もはや
「絵を観るのが趣味です」
とは言えなくなってきました。
今も相変わらず大都市の美術館は開館していなかったり、入場制限があったりでほんとうに憂鬱です。
そうこうしているうちに、何となく美術館情報に疎くなってしまっていたのですが、先日Facebook友だちの方が、京都市美術館(今は「京セラ美術館」とかいう名前になっているらしいです)でこの夏に
上村松園
の回顧展がおこなわれる、とお書きになっていたのを拝見したのです。
松園は大好きな画家で、去年東京に行ったときも山種美術館でいくつか拝見しています。それだけに、じっとしてはいられない気持ちになってきました。
展示される作品には「序の舞」「焔」「砧」などの名品のほか、『枕草子』「香炉峰の雪」を素材にした「清少納言」も初めて展示されるそうです。この作品は存在は知られていたものの、所在が不明だったのだそうです。
恋しい美術館にふたたび行ける最初の機会が松園であれば、と願っています。
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- [2021/05/27 00:00]
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2021文楽東京公演千秋楽・・のはずが
いわゆる「緊急事態宣言」のために初日が延期になり、さらにウイルスに感染した技芸員さんが出たために後半が始まると同時に中断の憂き目に遭い、文楽東京公演はそのまま中止になってしまいました。
チケットをお求めになっていた方はとても残念だったことと思います。600kmほど離れたところからわざわざ観劇にいらした私の知人は、中止になってがっかりしていらっしゃいました。
感染された技芸員さんは16日に体調不良で休まれ、私はひょっとしたら、と思ったのですが、悪い予感が当たってしまいました。
どんなに注意していても感染する可能性がありますから、運が悪かったというほかはないように思います。
まちがっても
あいつのせいで
中止になった、などと思ってはいけません。しんどいのはご本人ですから。きっと、発熱のつらさに加えて責任を感じていらっしゃるだろうと想像され、ますます気の毒になります。
しかし、SNSでは、「何よりも技芸員さんの
早期回復を祈って
います」という声ばかりで、さすがに文楽ファンのみなさんはすばらしい方だと思いました。ほんとうの文楽ファンは人の悲しみ、苦しみを理解する心豊かな方々なのです。
健康でたくましい方です。楽器をなさっていて肺も鍛えられていらっしゃるはず。是非またお元気なお姿を拝見できますように。
世の中、まだまだ先行きは不安です。
次は大阪に戻って鑑賞教室、そして夏休みの公公演と続きます。何事もありませんように。
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- [2021/05/26 00:00]
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雷雨、風雨
雨は文字どおり命の水です。梅雨入りしたら雨が降るのはありがたいことと感謝しなければなりません。しかし今年は梅雨入りが早かったために、まだ田植えのお済みでなかったところもあったのではないでしょうか。やはり田植えは作業がはかどるでしょうから好天の日がいいのではないでしょうか。
命の水とはいっても、大気が不安定になってゲリラ的な雨が降るのは恐ろしくもあります。とくに近年そういう大雨が多いのが気になります。激しい雨を
「篠突く雨」
とか「車軸を流す雨」などと言いますが、とてもそんな言葉では表現できないほどの豪雨に何度も見舞われています。
雨だけでは済まず、雷も恐ろしいものです。私は幸か不幸か雷鳴がわかりませんので、目を閉じると雷が来ていることに気づかないのです。特に夜中に雷雨があると、みなさんが「ゆうべは雷で目が覚めた」などとおっしゃっても私はまるで平気で寝続けているのです。
もうひとつこわいのは風で、これも私は気が付かないことが多いのですが、そのために困った事も起こります。去年、風雨がとてもきつかった(らしい)夜があったのですが、何とも思わず次の日を迎えました。すると、グラジオラスの茎が折れていたのです。まだ花茎は出ていないときで、結局花を見ることはできませんでしたし、球根もあまり育ちませんでした。今年はそのあまり育たなかった球根を植えているのですが、なんとか葉が出てきてさて、どうなるかというところです。
そして今年も大変悲しいことがありました。先日やはりかなり強い風が吹いた(らしい)あと、
ニンニク
の茎が折れてしまい、あと1か月で収穫というところで5つくらいがダメになってしまいました。もともと種球の小さいもので、育ちもあまりよくなかったこともあって茎も細く、強風で倒れてしまったのです。やむを得ず抜いたところ、直径4㎝ばかりの小さなニンニクができていました。まあ、ニンニクには違いないのですけれども・・・。
比較的大きな種球の3つはさすがに強くて、雨ニモマケズ風ニモマケズまだ無事です。何とかこれが最後まで無事でいてくれることを願ってしっかり支えたり、風の来ないところに移したりしています。
去年倒れたグラジオラスも、支柱を立ててゆるく結びつけています。今年は花が観られますように。
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- [2021/05/25 00:00]
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早かった梅雨入り
昔、小学校などに掲示されている子ども用のカレンダーの6月のデザインには雨傘、長靴、水たまり、カエル、カタツムリ、アジサイなどが用いられていたように思います。昨今、水たまりはあまりできなくなりましたし、カエルやカタツムリも見かけることは減ったかもしれません。それでもやはり6月と言えば雨の月、「ピチピチ チャプチャプ ランランラン」です。今のカレンダーはどんなデザインになっているのでしょうか。
昔の暦でいうと、梅雨の時期は
皐月(五月)
でした。昔、梅雨のことは「五月雨(さみだれ)」ともいいましたが、「さみだれ」の「さ」は「早乙女(さおとめ)」「早苗(さなえ)」「皐月(さつき)」の「さ」と同じで稲のことを意味したようです。つまり、「皐月」は稲の季節であり、「早苗」は稲の苗であり、稲を植える女性が「早乙女」であり、その季節に降るのが「五月雨」である、いうわけです。五月雨は一か月以上にわたって長く降る雨、つまり「長雨(ながあめ)」ですが、これは「ながめ」と発音されるようになりました。そして「物思いをする」という意味の「ながめ」との掛詞として和歌に詠まれるようになりました。「つれづれのながめにまさる涙雨袖のみ濡れてあふよしもなし」(古今和歌集・藤原敏行)は、(五月雨とは限りませんが)長雨のときにあなたを思ってぼんやり物思いをしていると雨のような涙がまさるばかりで、袖が濡れて逢うこともできないのです、と詠んでいます。
たしかにこの鬱陶しい時期は物思いのひとつもしそうになります。それだけに、梅雨の合間に晴れの日があると嬉しいもので、それを「五月晴れ」と言って歓迎しました。
今年の梅雨はとても早くやってきて、私の住んでいる地域では5月16日に梅雨入りになりました。沖縄がこれくらいなのは例年のことですが、近畿地方では普通6月の上旬からですから驚きでした。5月16日は旧暦でいうとまだ卯月(四月)五日でした。これでは「さみだれ」ではなく
「うみだれ」(笑)
ですね。
例年ですと、梅雨明けは七月半ばごろですが、今年も同じころなのでしょうか。だとすれば2か月またはそれ以上に亙る梅雨ということになります。もし例年より早く明けるようであれば、それは太平洋高気圧が早く勢力を持つことでしょうから、酷暑の訪れが早まることを意味するのでしょう。どちらに転んでもさらに憂鬱な夏になるかもしれません。
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- [2021/05/24 00:00]
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露座と祠内のよしあし
今年に入ってから、庚申塔や青面金剛像を訪ねて歩いていました。
なぜそんなことをしたのかと言いますと、庚申塔は庚申の日に近くの人たちがお参りに行ったはずですから、それは単なる石塔(石像)ではなく、土地の人たちの生活が感じ取れないものかと思ったからなのです。
以前、桜正宗、菊正宗などの酒蔵(公開されているもの)を訪ねてはそこに置かれているさまざまな道具を観ることで、当時の人たちの生活を感じることができ、それが創作浄瑠璃に生かせました。今回もそんな気持ちもあっての石塔巡りでした。
石塔はかなり大きなものもあれば小ぶりなものもあって、自然石に文字を彫っただけのものも、デザインされているもの(「青面金剛」の文字の部分が位牌の型になっているなど)もあります。書かれている文字も「青面金剛」「奉供養青面金剛」「南無青面金剛」「大青面金剛」「奉庚申祭所」などさまざまです。ほかにも「庚申」「庚申塔」などの文字が書かれていることもあります。
そばに地蔵尊(お地蔵さん)が置かれていることもあり、どちらも土地の人にとって欠かせないものだったのでしょう。
この庚申塔や青面金剛像は覆いのない
露座
になっているものと祠で覆われているものがあります。
露座のものはどうしても雨風にさらされますから傷みが激しく、文字もだんだん読めなくなっていきます。石の質にもよると思うのですが、せっかく元禄年間に造られたものが残っているわけですから、痛むに任せてしまうのはいかがなものでしょうか。特に私が観た唯一の青面金剛像は露座でしたので、像がかなりわかりにくくなっていて、何とか祠を作ってあげてもらえないものかと感じました。これは庚申塔や青面金剛像に限らず、地蔵尊でも同じことです。この散策
の途中でもほとんど「のっぺらぼう」のようになってしまっていた「お地蔵さん」をしばしば見かけました。
今からでも遅くないので、何とか保存できないものだろうかと感じました。
では祠の中に納めた方がいいのかというと実は困ることもあるのです。こういうものは造塔年や作成者(「○○村庚申講」など)が表面以外のところ(左右面、裏面)に書かれていることがあります。
せっかく訪ねても、祠が邪魔になって読むに読めないことがあるのです。私はあるところで左右に書かれている文字を読みたくて、
スマホ
を祠の中にねじこむようにして撮影したこともありました。しかし裏面となるとお手上げです。ひとつ考えられるのは「自撮り棒」というのでしょうか、あれを奥に突っ込んで裏面を写すことはひょっとしたら可能かもしれません。ただし、何かのはずみでスマホを落としてしまったら拾うのがまた面倒だろうな、と思いますが(笑)。
というわけで露座か祠内か、ジレンマがあるのですが、私は市に「庚申塔保存予算」を取ってもらって露座になっているものの裏面、左右面などをきれいに写真で撮ってその文字を解読したものを(できれば写真とともに)説明板に書いてすぐ横に建て、そのうえで祠を作ってあげたらどうだろう、と思うのです。すでに祠に入っているものについては、祠の修理をすることにしていったん解体し、左右面、背面の状況を調べて、改めて祠を作るようにはできないものかと思います。かなり難しいでしょうけどね・・。
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- [2021/05/23 00:00]
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連理の枝
元禄十六年四月七日は今の暦なら5月22日でした。今の時期に大坂曽根崎の森でお初と徳兵衛が心中したのですね。
先日、近所の神社に行きましたら、鳥居のすぐそばの木に目が留まりました。二本の木が寄り添うように立っているのです。実際はお互いに「邪魔だなぁ」と思っているのかもしれませんが(笑)、「連理の枝」とでもいうように仲良くくっついている、あえていうなら抱き合っているようにも見えるのです。神社の人もそれに気づいたのでしょう、ピンク色(!)のしめ縄をかけて、ハート形になるように結んでいました。若い女性なら「あ、かわいい」と言って近づいてきそうでした。私もつい近づいてしまったのですが(笑)。
「連理の枝」は「比翼の鳥」と一対になって、男女の仲の良いことを喩える時に用いられる言葉ですが、これらは白居易の。
「長恨歌」
に見られる言葉です。「漢皇色を重んじて傾国を思ふ」で始まるこの有名な詩は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃を描いた長大な詩で、私も何度か丸暗記しようとして挫折しました。この詩の最後の部分に
七月七日長生殿
夜半無人私語時
在天願作比翼鳥
在地願為連理枝
という一説があるのです。「七月七日長生殿、夜半人無く私(ひそ)かに語る時、天に在りては願はくは比翼の鳥と作(な)り、地に在りては願はくは連理の枝とならん」と読めます。
この「比翼の鳥」「連理の枝」ということばはあまりにも有名になって、『源氏物語』「桐壷」には「朝夕の言ぐさに羽を並べ枝をかはさむと契らせたまひしに・・」とありますし、『平家物語』「小督」にも「天に住まば比翼の鳥、地に住まば連理の枝とならむ」と、出てきますし、『曽根崎心中』「道行」にも「涙の糸の結び松、棕櫚の一木の相生を、
連理の契り
になぞらへ・・」という一節があります。これらはほんのわずかな例に過ぎず、今でも結婚式場で見かけることもある言葉です。私は観たことはありませんが、韓国の映画にも『連理の枝』という作品があるようです。
白居易という人は日本文学に大きな影響を与えました。白居易だけではありません。『源氏物語』を読んでいると、作者紫式部の漢文の素養の深さには舌を巻きます。もちろん『枕草子』の清少納言も同じです。男性貴族は漢文こそが学問でしたから、これまた言うまでもないのです。
私が高校生の時は「漢文」は3年間必修でしたが、今は受講しなくてもよい選択科目になっているようです。しかし日本文化に多大な影響を与えた漢詩、古代中国思想、学術(医学、天文学その他)などを単なる外国文化としか考えずに勉強しないのはよくないと思います。
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- [2021/05/22 00:00]
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阪神ファン?
私は子どもの頃から野球とサッカーが好きでした。
サッカー日本リーグでは関東の三菱重工のファンでした。当時、横山謙三さんという日本代表のゴールキーパーがこのチームにいらしてその華やかでバネのある守りが好きだったというのが大きかったと思います。関西ではヤンマーディーゼルが強かったのですが、大阪のチームだったのでいまひとつ関心がありませんでした。あれが神戸のチームならきっとファンになっていただろうと思います。それでもヤンマーは
西宮球技場
で試合をすることもあり、私も観に行ったことがあります。
西宮球技場? はい、今はもうありませんが、サッカーなどの球技をするグラウンドがあったのです。といってもサッカースタジアムなどというしろものではなく、運動場のような感じでした。場所は西宮球場の隣でした。西宮球場? はい、だからそれは西宮球技場の隣にあった野球場です。ああ、めんどくさい。
その西宮球場を本拠地にしていたプロ野球チームが阪急ブレーブズ。私は長らくこのチームのファンでした。ただ、私が子どもの頃は弱くて弱くて、近鉄バファローズとどちらが弱いかという「お荷物球団」でした。人気もなくて、いつも閑古鳥が鳴いていました。米田、梶本などという300勝投手がいたのになぜ弱かったのか分かりません。バルボンさんという黒人選手もなつかしいです。ただ、これらの選手はほんとうに私の小さい頃の人なのでどんな活躍をしたのかあまり知りません。明確に覚えているのはやはり長池、大熊、福本、山田、加藤、簑田らの黄金時代でした。「飛ぶボール」のころで、西宮球場は両翼わずか90m、しかもラッキーゾーンまでありましたから、よくホームランも出たのです。私は今も、加藤さんの打った
ホームランボール
を持っています。
オリックスになって西宮から離れると、なんとなく心も離れたのですが、本拠地が神戸でしたのでまだ応援のしがいがありました。藤井、田口、イチローらの活躍で阪神大震災のあと優勝した時にはやはり感ずるものがありました。
しかし今や本拠地が大阪に行ってしまい、山本、山岡、田嶋、吉田正尚、安達、杉本、太田ら注目の選手もいるのですが、いささか複雑な心境になりました。
兵庫県のチームというと「阪神タイガーズ」が有名です(普通は「タイガース」と「ス」は澄んで発音します)。しかし阪神沿線はあまり馴染みがなく、しかもなんとなく「大阪のタイガーズ」という印象があって(本社は大阪のはず)以前はむしろアンチ阪神でした。
阪急は元監督の西本さんなどうちの近所をしょっちゅう散歩されていましたし、ほかにも選手が近くに住んでいたり顔を見かけたりするので親しみもありました。しかし阪神はそうでもなかったのです。ところが、最近は阪神の選手のほうが近所に住んでいたりしますので、ちょっと気分も変わってきました。
私はテレビというと野球とサッカーくらいしか観ませんが、野球では阪神以外めったに放送がないのです。情が移るというか、なんとなく阪神が勝つと、悪い気がしなくなってきました。阪神ファンに移行しつつあるのかな?
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- [2021/05/21 00:00]
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吉田簔一郎さん
文楽の人形遣いさんはご自身で人形の手足をお作りになる方がいらっしゃいます。彫刻刀なんて持たせると確実にけがをする私と違って、器用な方がいらっしゃるものです。彫るだけでも大変でしょうに、穴をあけて三味線の糸を通して手のひらの開閉や手首の動きをなめらかに見せるのですからたいしたものです。
主遣いさんは舞台下駄を履いて演技されますが、あの下駄もそのあたりで売っているというわけにはいかず、手作りだそうです。
私は文楽人形劇をするために、あの下駄が必要でした。それで予算を取ってもらって2つ入手したのです。
その下駄の作者はどちらも吉田簔一郎さんです。
人形を動かし続けているうちにどうしても弱くなってくるところがあり、一度手の糸(三味線の糸)が切れたことがあります。そのときも修理してくださったのは簔一郎さんでした。
失礼ながら、私は勝手に
イチローさん
と呼んでいます。兄弟子の方が「一郎君」と呼んでいらっしゃったので、ついまねをしてしまったのです。「文楽界のイチロー」さんは埼玉県のご出身で、研修生を経ずに1981年に簔助師匠に入門されました。ということは、今年で40年のキャリアです。
背が高くていらっしゃって、足遣いのときは大変だっただろうと思います。左遣いとしてとてもいいセンスで活躍され、主遣いとしては女形が多く、腰元、遊女などで脇役をつとめられたり、最近は老女形や婆首の人形で活躍されたりしています。私はどちらかというと
動きのはっきりした立役
が好きなのです。脇役でもいい味があって、『夏祭』の「こっぱの権」のふてぶてしさもとてもよかったです。不思議に覚えているのが『雪狐々姿湖』のコン平(だったかな?)で黒衣に頭巾でしたが、とても味わいがありました。『上方芸能』の「文楽評」にはなかなかイチローさんのことは書けなかったのですが、この『雪狐々』を書いたことは覚えています。今もなかなか役に恵まれないように思うのですが、いつでもどんな役でもできますよ、という位置にいらっしゃると思います。
大阪府豊能郡能勢町の「浄るりシアター」でも勘十郎さん、簔二郎さんとともに長らく指導をされてきました。
いつぞや森ノ宮ピロティホールで私の書いた『名月乗桂木』という作品が上演されるとき、私もお邪魔したのですが、大勢のお客さんで混雑していたロビーで私がうろついていると駆け寄ってきてくださって挨拶までしてくださいました。とても気配りのあるすてきな方です。
人形遣いとしても熟してこられ、また道具の作成でも見事な技を発揮され、「芸人さん」と呼ぶにふさわしい人ではないかと思っています。
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吉田簔二郎さん
文楽東京公演が技芸員さんの感染により中止となり、結果的には16日が千秋楽ということになりました。文楽ファンは、公演中止を残念には思っても、誰もがこの技芸員さんの早期本復を願っています。
話は変わります。
文楽の吉田簔二郎さんとはさほど親しくお話したことはないのですが、やはり私が楽屋をうろちょろしていた頃は自然と挨拶をするようになり、世間話をすることもいくらかはありました。
私が少し関わった秋田県小坂町(こさかまち)の「康楽館」でおこなわれた文楽公演には簔助師匠や嶋太夫師匠が参加してくださったのですが、その関係で簔二郎さんもおいでくださいました。あの時は往路の飛行機が一緒になったり、現地でも旅館で少しお話したりすることがありました。それ以来、ご本人には申し上げたことはないと思うのですが、私は心の中では「二郎さん」とお呼びしていて、また文楽ファンの集まりの時には口にすることもあるはずです。
簔二郎さんは国立劇場の文楽研修生から簔助師匠に入門され、熱心に芸に打ち込んでこられました。立役なら二枚目系、女形は老女形が映る方だと思います。
小手が利く
という言い方がありますが、二郎さんはまさにそんな感じで、しっとりとした女形でも繊細な動きがあると思います。滑稽という意味ではなくて、「おもしろい」人形を遣われます。その一方で、チャリなどをなさってもおもしろく、お福首の人形はとても楽しいものですし、私はこの人に「笑ひ薬」の祐仙を遣ってほしいと思うことがあります。
鑑賞教室では「尼崎」の操とか、「寺子屋」の千代とか、すでに大役をこなしていらっしゃり、この六月も「平太郎住家」のお柳を遣われます。
本公演でも私がこれまでに拝見した演技では『妹背山婦女庭訓』「芝六住家」の
女房お雉
が一番よかったと思います。しっかりとした女房であり母であるこの人の哀しみを例によってしっかり動きつつも無駄なく表現された演技でした。今、女形では和生さん、勘十郎さんがトップにいらして、清十郎、簔二郎、勘彌という世代が続きます。
ひとつ不満があるとすれば、お名前なのです。簔助門下では簔太郎さんに次ぐので簔二郎と名付けられたのだと思うのですが、おとうと弟子に簔一郎さんがいらっしゃって、お名前だけを拝見したら一郎さんの方が兄弟子っぽく見えてしまいます。それだけの理由ではなく、これだけの技を持っている人なので(ご本人は愛着をお持ちかも知れませんが)「簔二郎」の名前はもう小さすぎるのではないかと思えてしまうのです。
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- [2021/05/19 00:00]
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ひとつの時代
著名な人が亡くなると「ひとつの時代が終わった」という言い方をすることがあります。これはその人が「一時代を築き上げた人」であり、その人が亡くなることはその時代が終わったことだという賛辞の意味があるでしょう。
しかし、あまりにも安易に使いすぎるために、そんなに次から次へと時代が終わってたまるものか、という気がしないでもないのです。
オールドファンにとっては、「山城少掾も知らんくせに」「紋十郎さんを見てへんのかいな」と言いたくなるでしょうし、私もつい「津太夫はけた外れだった」「先代勘十郎はすばらしかったよ」と言ってしまいそうになります。古い時代を知っている人にとっては
「越路太夫の引退
でひとつの時代が終わった」なんて思いたくなるのですよね。
しかし、若い世代の人にとっては「そういわれてもねぇ」ということになってしまうでしょう。いくら音源や映像が残っていても、劇場で体感した感動は伝わるはずもなく、「今の咲太夫さんだって・・」「清治さんも最高ですよ」「(当代)勘十郎もすばらしいじゃないですか」と思われるでしょう。
私が学生のころ、同級生に
「今の文楽なんかダメ
だよ、昔を知っているほんとうのファンはもう嫌になって観ないらしいよ」と言われたことがあります。彼が言った「今の文楽」というのは越路、津、南部、文字(住)、(先代)燕三、(先代)錦糸、(先代)玉男、(先代)勘十郎、(先代)清十郎の時代なのです。彼自身は文楽をほとんど知らない人でしたので、おそらく誰か「通ぶった人」がそんなふうに話していたのを受け売りで言ったに過ぎないと思います。それにしても、ほんとうに文楽が好きな人なら、綱・弥七がいなくなっても、紋十郎の人形が舞台から消えても観続けるだろうと思うのです。
簔助師匠が引退されて、私が「ひよっこ」の
文楽初心者
だったころのスターたちはほとんど舞台から去ってしまわれました。そういう意味では、私の心の中では「ひとつの時代が終わった」という感じがしないわけではないのですが、それでも文楽は続いていきますし、簔助以後の「新しい時代が始まった」のだと理解すべきだと思っています。
入門時からの簔助師匠のお弟子さんには勘十郎さんがいらっしゃり、簔二郎さん、簔一郎さんらが続きます。途中から門下になられた方でも清十郎さん、勘彌さんらがいらっしゃいます。みなさん「師匠には及ばない」とおっしゃるでしょうが、受け継がれるものは多いと思います。
少なくとも、私は絶対に「今の文楽なんか」という言葉だけは使うまいと思っています。
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- [2021/05/18 00:00]
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お金を使わない
以前、学生さんに「父がいろんなものを買ってきて困っています」と聞かされたことがあります。私としては、彼女とお父様の関係が日常的にどのようなものなのかがわかりませんので、あまり差し出がましいことは言いませんでしたが、「男親は、娘から言われたことはかなりこたえるものだと思いますよ」とだけ(メールで)言っておきました。娘さんの立場からすると、父親に偉そうにいうのは憚られるのかもしれませんが、父親は娘には弱いですから、何か言われようものならあとでひとりになった時にしみじみと反省したりするかもしれません。
そんなメールをしたら、学生さんがいたく感謝してくれて、「父との関係を見直します」と言っていました。
私は学生さんとはうまく話ができませんので、文章で書いてくれたら文章で答えるということをいつもしていました。口では言えないことでも案外文章にすると、
言いやすいこと
もあるので、遠慮なく書いてくださいと言っていたのです。こちらもかなり長いメールで返事をしたら、「まさかほんとうに返事がもらえるとは思わなかった」としばしば言われました。私にしてみれば返事をするのが当たり前だったので、かえって驚いたくらいです。
それにしてもこのお父さん、次から次にいろんなものを買ってくるのだそうで、私とはかなり違う生活をしていらっしゃるのだな、とうらやましくさえなりました。
この連休の間、私はいったいいくらのお金を使ったのか、というと、病院に行きましたのでその費用と、洗剤とか牛乳とか日用品や食品をいくらか買ったくらいで、自分のための「もの」に関して使ったお金は
0円(笑)
でした。というより、もうかなり長い間自分のものを買うということはしていません。以前は本を買うことなんて日常当たり前のことでしたが、図書館で借りるようになって、本が増えなくなりました。思い起こせば自分のお金で買った最後の本は2017年3月刊行の『文楽豊竹呂太夫』だと思います(笑)。
本だけでなく、あらゆることにお金を使わなくなってしまいました。おしゃれ関係となると、センスがないので自分で買ったりしたら損をするだけです(笑)。ネクタイはしませんので今まで自分で買ったことはありません。
電車に乗るのも最低限だけで、以前なら京都や奈良の美術館にも行きましたが、最近は世情がそれを許してくれないこともあって行く回数が減りましたし、駅の3つや4つ分の距離なら歩いていきますし(笑)。
こういう生活をしていたら、ふつうならお金がたまるはずですが、私の場合は赤字が少し減るだけです(笑)。
と思ったら、先日ドラッグストアに行ったとき、自分のためのものを買いました! ハンドクリームでしたけど(笑)。
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- [2021/05/17 00:00]
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風邪をひかない
「風邪をひく」というのは不思議な言葉です。「風邪に罹る」ではなく「ひく」というのは、なぜなのでしょうか。「風邪に冒される」という表現も『曽我物語』に見えますが、『源氏物語』には「浜風をひく」という用例があります。これは明石の浜でのことで、「浜風」から「風邪」を導いて、さらに「風邪をひく」とつなげた表現なのです。室町時代の注釈書でも「面白きかきざま也」と言っています。
「風病」というのは風にあたって起こるとされた病気の総称で、お腹を壊すこともありましたし、くしゃみや鼻水が出ることもありました。そこで、「風」をからだの中に引き込むことで起こる病気、という意味で「風邪をひく」という言い方が生まれたのではないかと思います。水が原因の病気なら「水が当たる」といいますね。
私は以前、ちょっとしたことがあるとすぐに風邪をひいていました。寒いのに薄着をして外に出たり、雨に当たったりすると、てきめんに熱を出したり鼻の具合がおかしくなったりのどが痛くなったり、そして
呼吸が苦しく
なったりしたのです。
冬であろうと夏であろうと関係なしに、年に何度もひどい目に遭ったものです。インフルエンザにも何度か罹り、38度を超える熱を出すこともしばしばありました。熱だけならともかく、息苦しさに襲われるようになると、命にかかわるかもしれない、という恐怖感が募り、それ以前は無頓着だった予防対策に神経質になりました。
といっても、手洗いをまめにするようになったことと、早寝早起きを徹底するようになったことくらいで、たいしたことはしていないのです。
ところが、そういうことを意識して実践しているうちに、まったく風邪をひくことはなくなり、インフルエンザとも無縁になりました。毎年医者に「インフルエンザの
予防注射
をしなさい」と言われ、1度だけはその言葉に従ったのですが、もう10年近くはしていません。手洗いというのはそんなに効果のあるものなのか、あるいはほかに原因があるのか、よくわかりませんが。
この1年のウイルス蔓延でも、私はこれまでと同じように、ごくあたりまえのこととして手洗いをしています。マニュアルどおりというのでしょうか、まんべんなく、指の間も爪の中も手のひらも手の甲も手首もきれいに洗い上げてしっかり拭いてということを、外から室内に入った時には必ず実践しています。だからといって安心しきっていると落とし穴があるかもしれず油断は禁物ではあるのですが、やはりウイルスの撃退には手洗いは有効なのだろうと信じています。
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- [2021/05/16 00:00]
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夜の街
ずいぶん前のことですが、ウイルス感染の元凶は「夜の街」だという風評が立って、迷惑した方も多かったという話題がありました。「夜の街」という言葉は何か怪しげな、誘惑に満ちたような印象を与えます。それだけにこのウイルス蔓延の世の中では批判されても仕方がないといわんばかりで、それをまた政治家が安易にしかもこぞって使ったために、迷惑をこうむった方がいらっしゃったのでしょう。
私も、以前は東京の歌舞伎町や六本木、大阪のミナミなどで夜中にうろついたことがないわけではありません。六本木から親の家(芝公園)に帰るときには明らかにそれとわかるお姉さんから「少し休んでいかない?」とお誘いを受けた(笑)こともありました(丁重にお断りしました)。ミナミではお金持ちの社長さんに連れられて閉店(午前3時頃?)までクラブで過ごして、梅田までぶらぶら歩いて
始発で帰った
こともありました。あの時、社長さんは5万円だったか6万円だったかのお金をポンと出してくれて、座席に来た女の子(韓国から来ていたダンサーでした)に1万円札を「ホレホレ」と言いながらあげていました。もちろん、クラブというところに入ったのは後にも先にもその時だけです。
今はもうそういうことをする元気もお金も社長さんもありません(笑)。
外食もすることはありませんので、暗い道を歩くというと、仕事が遅くなって帰る家路だけになりました。
先月の終わり、天皇誕生日、じゃなくて、何か知らない(笑)祝日の日は一日中雨が降っていました。ところが、夕飯を終えたあと、外に出てみるとすっかり晴れていましたので、歩いてみようかなと思いついたのです。
所詮
田舎の街
ですから、盛り場があるわけでもなく、電車がついたらパラパラと人が降りてくるだけでした。雨のあとでしたので、川を見るとかなり水量が増えていてこわいくらいでした。夜の8時過ぎでしたが、駅前の店はほとんど閉まっていたのですが、「非常事態宣言」ゆえか、いつもこれくらいには閉まっているのか、何とも判断できませんでした。
2駅分くらい歩いたのですが、すれちがった人は数えられるくらいでした。雨上がりでもありましたし、何と言ってもこのご時世ですから、そんなものでしょう。ところが、唯一「営業中」という店がありました。よく知らない店なのですが、エスカレーターがまだ動いていて、階上にあるちょっとした飲み屋のようでした。なかなか勇気がある(?)店だと思ったのですが、こんなところでこんな時間に営業して、お客さんは入るのだろうかと不思議でもありました。
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- [2021/05/15 00:00]
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上がった支持率
社会風刺漫画(と言っていいのでしょうか?)を描かれるぼうごなつこさんというかたがいらっしゃいます。Facebookに「100日で収束する新型コロナウイルス」と題してこの冬から春にかけて毎日連載していらっしゃいました。痛快なまでに皮肉たっぷりに権力者を批判されるのですが、よく勉強される方で、その内容は頷くものがほとんどだったと思います。
前の総理大臣は極端に小さなマスクを着けて登場し、今の人は大きな耳でやたら顔色が悪く描かれます。元総理大臣夫人はいつも「キャハハ」と笑っています。副総理大臣はポケットに手を突っ込んでエラソーに中味のないことを言い、現総理大臣の息子さんは長髪ながらお父さんと同じ顔をしています(実際のお顔は公になっていませんので)。東京の知事は目いっぱいのおしゃれに派手な傘(笠?)をかぶっていて、大阪の知事は病的に目つきが悪く・・・とにかく(支持者以外の人にとっては)笑えるキャラクターになっています。
真実を報道しないメディアにも厳しい言葉を投げつけ、身の危険を感じることはないのかな、と思うほど痛快におっしゃいます。
そのぼうごさんが、4月1日にこんな漫画を描かれました。東京で開催にこぎつけたオリンピックで日本が1345個目の金メダルを取って国民は皆感動し、内閣支持率が
95パーセント
に跳ね上がっているのです。オチは、それを喜んで見ている人が高熱を出して、医療従事者がオリンピックに駆り出されたために電話が通じない、というものです。すべてエイプリルフールのウソでした、というかなりのブラックユーモアです。
しかし、そんなぼうごさんもびっくりではないかと思ったことがあります。
先月の各新聞社、通信社の最近の世論調査では、内閣の支持率がわずかながらも軒並み上がっていて、
不支持率を上回った
ところもあったという事実です。見通しの利くぼうごさんは案外何とも思われなかったかもしれませんが、まるで予知力のない私は椅子から転げ落ちそうになりました。奇々怪々というほかはありませんでした。
アメリカに行ってあちらのエライ人とお話しさせてもらったのがよかったのでしょうか。三度目の緊急事態宣言を出した「英断」がかっこよかったのでしょうか。オリンピックに批判の目が移って内閣の頼りなさがぼやけたからでしょうか。わからん、わからん。
私がひそかに思っているのは、今の総理大臣はどことなく哀れを誘うようなショボさがあって、そんなショボい人を責める人が増えるにしたがって「かわいそうだ」という思いを持つ人が支持に回ったのではないかということくらいです。
この記事を書いた後、5月の世論調査が出始めました。ある調査では、支持40.0%、不支持57.0%で、少しホッとしました(笑)。でもまだ40パーセントかぁ・・・。
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- [2021/05/14 00:00]
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身内の言い逃れ
平和の祭典と戦争を一緒にしてしまうのはどうかと思いますが、今の政府やオリンピック関係の政治家のしていることを見ていると、戦争に突き進む軍部の面影さえうかがえるのです。IOCに「あんたらは強い」「日本人サイコー!」とおだてられて、自分たちが一生懸命になればウイルスなんて敵ではないと思い始めているようで情けなくさえなってきます。
前の総理大臣が言い出して、今の人もしばらくの間は言っていた「ウイルスに打ち勝った証としてオリンピックを実施する」ということばは、まさに
進め一億火の玉だ
の精神に近いように思います。頑張れが何とかなる、今に神風が吹く、みんなで渡れば怖くない、と国民を煽っているだけに過ぎないと思います。
何の根拠もないたわごとで強がって見せる、いかにもあのぼんくらな前総理大臣らしい言い方でしたが、残念なことにそれに乗せられた人も少なくないのだろうと思います。
ちなみに、今の総理大臣はウイルス蔓延の収束の兆しすら見えないこともあって、もう「打ち勝った」とはいえないのでしょう、最近は「IOCが実施すると決めているんだから、おらは知らねえだよ」などと急にもごもごとショボいことを言い出しています。
権力を持ってしまうと、自分のしていることは正しいと妄信してしまいますので、本当に正しいことは何なのかがわからなくなるのです。こういうときに強く説教するブレインがいなければならないのですが、イエスマンばかり揃えているようなのでますますものが見えにくくなってはだかの王様と化してしまうのも当然ということになります。
古代中国の思想家というのは、為政者に手厳しいことも言いましたが、それに耳を傾ける為政者はまだよかったのです。こいつは王たる自分に逆らうのか、と迫害するような者は必ず失敗し、ブラックな歴史として書き残されることになります。
私は昭和史については詳しくないのですが、戦争に突き進んだ人たちもこうして道を誤ったのではないかと思えてなりません。
最近読んだ吉田修一さんのハードボイルドタッチの小説『太陽は動かない』の中に、中国の若手政治家が熱っぽく今の政治を語る場面があります。その中でこの人は、権力を持っている一部の政治家たちが「必要悪」という名のもとに非道なふるまいに目を瞑っている現実を憂え、さらに
「よそ者の正論
よりも、身内の言い逃れを信じる者が多いんだ」と言います。
作者は中国の話にしていますが、こういうことは世界のどこを見渡してもありうることですし、政治の世界だけでもないでしょう。おそらく企業でもそういうことはあるでしょうし(知らんけど)、なさけないことに学校でもある(これは知っています)ことです。
それが世の中を渡っていく方便というものだ、という
「わきまえた人たち」
の論理です。表向きは平等だとかまごころだとかきれいな言葉を口にしていながら、実際にやっていることはおよそきれいなものとは言えないのです。そして、たいていの人はそれに追従していきます。
人生も終わり近くになって、私は今なお「まるくなる」どころか、こういう不条理に関してはカッカと燃えるほどに許せないでいます。
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- [2021/05/13 00:00]
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2021年5月文楽東京公演やっと初日
緊急事態宣言の対象になっている各地の対応はさまざまで、関西の野球場では、引き続き無観客を要請するのが大阪府、兵庫県は5,000人までということになりました。大阪ドームを本拠地とするオリックスは無観客、甲子園球場のタイガーズは本来なら4万人は入るのでわずか10%ほどではありますが観客が入ることになりました。
宣言の延長でどうなるのかわからなかった文楽5月東京公演も、どういう経緯でそうなったのかは知らないのですが、本日から実施されるようです。
薄氷の初日
というべきでしょうか。
番組は、
第一部 10時45分開演
心中宵庚申(上田村、八百屋、道行思ひの短夜)
第二部 14時15分開演
生写朝顔話 (宇治川蛍狩り、明石浦船別れ、宿屋、大井川)
第三部 17時30分開演
摂州合邦辻 (合邦庵室)
契情倭荘子 (蝶の道行)
です。『朝顔話』では今回は「笑ひ薬」の上演がありません。うがちすぎかもしれませんが、やはりお客さんが大笑いしてはいけないという判断があったのでしょうか。
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- [2021/05/12 00:00]
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更衣
『源氏物語』の主人公、光源氏の母親は更衣という身分でした。天皇の配偶者のうち最上の身分と言えば皇后(中宮)ですが、それは女御(にようご)の中から選ばれます。そして女御のワンランク下が更衣だったのですが、こういう身分はその人自身の能力とは関係なく、家柄、つまり父親の身分によって決まってしまうことがありました。大臣の娘なら「女御」で、中宮候補になり得たのですが、更衣というのはおおむね納言の家の出身者です。光源氏の母も父親は按察使大納言でしたので更衣として入内、その後父親が亡くなったこともあって彼女は更衣のままで終わってしまいます。帝は彼女を女御にしたいと考えたようですが果たせず、後になって悔いています。
この「更衣」というのは文字どおり天皇の衣更えに奉仕する女官だったのが、やがて寝所に侍る女性になったようです。ただし、更衣という身分は次第に姿を消して『源氏物語』の時代にもほぼなかったと考えられます。
旧暦の四月一日は夏の始まりということで、
衣更え
がおこなわれました。『源氏物語』「明石」にも「四月になりぬ。衣更への御装束・・」と描かれるとおりです。半年後の十月一日にも今度は冬の装束に改める「衣更え」がおこなわれました。
今年の旧暦四月一日は今の暦でいうと明日(5月12日)にあたります。たしかに、これくらいの時期になれば今でも上着を脱ぎたくなりますよね。
江戸時代くらいになると、綿入れを袷に着替えるのが夏の衣更えでした。珍しいお名前に
「四月朔日」さん
または「四月一日」さんがあります。いずれも「わたぬき」と読むお名前です。もちろん「綿を抜く日」だからそう読むわけです。「八月朔日」または「八月一日」と書いて「ほずみ」と読む(稲穂を摘んで神に供える日だから。本来は「ほづみ」と表記されるところ)のと同じように判じ物のようなお名前です。
これらは実在する「珍名さん」なのですが、それを真似て「こう書いてこう読むとおもしろかろう」というので、架空の苗字が作られたりします。「十二月二十九日」と書いて「つめづめ」と読むとか、「春夏秋冬」と書いて「ひととせ」と読むなどがそれです。実際にはそういう人はいないようですが、ふざけて考えた人がいるのでしょう。「光宙」と書いて「ぴかちゅう」と読むとか、「宇宙」と書いて「こすも」と読むなどという「キラキラネーム」は今もあるようですが、上記の珍名さんは、言ってみれば苗字のキラキラネームというところでしょうか。
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- [2021/05/11 00:00]
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ぼったくり男爵
アメリカのワシントンポストがコラムで東京オリンピックの中止を主張したようです。最近アメリカではいくつかの新聞が同じように中止の意見を明確に述べるようになりました。
翻って日本では、新聞社自体がオリンピックのスポンサーでもあるためか、なかなか思い切ったことは言えないようです。せいぜい「ほんとうに安全にできるのだろうか」「中止の議論を始めるべきではないか」というくらいでしょうか。スポーツ面では「○○選手がオリンピック出場権を獲得!」という記事を書き、総合面や内政面では開催に疑問の意見を書いているというちぐはぐな状態です。こういうところ、アメリカではどうなっているのでしょうか。また、ヨーロッパや今感染がひどい状態になっているインドなどではどんな考えなのでしょうか。
開催の是非についての世論調査は今でも「開催」「中止」「延期」の選択肢にしているところもありますが、もう
「開催」と「中止」しかない
はずです。これまでの調査との比較をしたいからこうしているのであれば、追加で「現実には開催と中止しかなくなっていると思われますが、この二つから選ぶならどちらですか」という質問をすることはできないのでしょうか。そうでないと、新聞社は相変わらず「はっきりと「中止」という調査結果を出すのを嫌がっている」ようにも思えるのです。
こんなことを思っていたら、最新の読売新聞の調査(昨日発表)が「中止」「観客を制限して実施」「無観客で実施」の選択肢で調査をしていました。それによると、「中止する」は59%、「開催する」は「観客数を制限して」が16%、「観客を入れずに」が23%だったようです。これまで「延期」と言っていた人も、この選択肢ならほとんど「中止」に傾いているようです。
それにしても、何だか、海外のメディアから、真綿で首を絞められるように包囲網が近づいてきているように思えます。
ワシントンポストは、「IOCは開催国を食い物にするのか」「地方行脚で食料を食い尽くす王族だ」「儲けは自分たちのもので費用は開催国に押し付ける」「日本は『略奪はほかでやってくれ』というべきだ」「もし開催できなかったらIOCは日本を訴えるのか。そんなことをしたらどんな評判になることか」と非難して、IOCのバッハ会長を
Baron von Ripper-off
と呼んだのだとか。「Baron」は「男爵」、「Ripper-off」は「はぎとる人」ということ。「追いはぎ男爵」と、英語のできない私なら言ってしまいそうですが、どなたなのでしょうか、それを「ぼったくり男爵」と翻訳したそうです。へー、と思って、「ぼったくり」をネットで調べたら、なるほど「rip off」と出てきました。
これがその当日(5月6日)のSNSで大拡散しました。ところがその翌日の新聞は、すべての新聞ではないのかもしれませんが、無反応というか、沈黙していました。新聞社の考えも国民の心から少しずつ離れてきているのではないか、「自分たちの都合」が優先しているのではないか、と勘繰ってみたくなりました。
さらにその後、IOCのコーツ副会長が「absolutely(絶対に)中止や延期はない」「(選手に)一生に一度のチャンスを失ってほしくない」と言ったらしく、それを受けて日本のSNSではまた「金の亡者が選手を出しにしている」などと厳しい声を挙げていました。近ごろのIOCの人たちは「何か言うと批判される」ので、さるスポーツ紙は「森前組織委員長状態」と揶揄していました。
ともかく、組織委員会も政府も東京都も、男爵に「日本はすごい」と言われて喜んでいる場合じゃありませんよ。
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- [2021/05/10 00:00]
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2021年5月文楽東京公演初日・・のはずでしたが
文楽東京公演は本来今日が初日でした。しかし、ウイルス蔓延による3度目の緊急事態宣言が5月11日を期限に出されたために、12日が初日になりました。
ところが、多くの人が予想したとおり、月末まで宣言期間が延長され、文楽は果たしてどうなるのだろう、と
不安視
されていました。
しかし、大劇場の前進座公演が実施されるという情報が流れ、その後、文楽も12日から実施と聞いてひと安心しました。
ただ、美術館などは相変わらず閉まっているらしく、今ひとつ釈然とせず、何か引っかかりが残るのですが。
技芸員さんも集中するのは大変かもしれませんが、どうかおいでになるお客様のために精一杯頑張ってください。
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- [2021/05/09 00:00]
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遅れがちな投稿
このところ、このブログの記事が遅れることが目立ちます。
前にも申しましたが、私はかなり先まで書いていて、それを時々まとめて公開予定の設定をするようにしています。しかし、この社会情勢にあって、なかなかネットにつながるパソコンのあるところまで行けなくて、ついつい遅くなっているのです。
先日は、
10日分くらい
書いたものを設定しに行ったのですが、ほかの仕事がたくさんあって、うっかり忘れてしまい、またまた遅れてしまいました。
書くことがなければいいのですが、世の中いろんなことがありすぎて、ネタは尽きません。
それで、後日設定するために、2日分とか3日分がまとめてアップされることもあります。
明日(9日)は
国立劇場
の文楽の初日のはずでしたが、先月、11日までの休演が決まりました。では緊急事態の延期にともなって、12日からの公演はどうなるのか、というのが、この記事を書いている時点では未定で、予定原稿を書き換える必要が出てくるかもしれません。
ほんとうにもう、いやになってきますね。
ブログの休業補償はないものか、と思うくらいです。
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- [2021/05/08 00:00]
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ハードボイルド
ゆで卵を作るとき、私はいつも12分を目安にしています。まだ少しやわらかいのですが、私の場合、おでんに入れることがほとんどですので特に問題ないと思っています。以前は殻を剥くのがうまく行かず、でこぼこのゆで卵を作っていましたが、最近はつるりと剥ける方法を覚えましたので、きれいな姿のものができるようになりました。もっと長い時間ゆでると固ゆで卵ということになるのでしょう。英語ならハードボイルドエッグ。今どきこういう言葉はあまり使わないのかもしれませんが、ハードボイルドという言葉は固ゆで卵から転じて冷酷非情を意味するようになりました。そして、そういうタッチの小説、映画などもそう呼ばれます。
頭脳も鋭く、「切れ者」ではあるのですが、何よりも行動的で、かなり荒っぽい印象を与える登場人物・・筋骨隆々たる探偵やスパイなど・・が活躍します。
ただ、私は映画にしても小説にしても、あまり好きなジャンルではなく、映画なら、かなり古いですが、
『カサブランカ』
のハンフリー・ボガードなどが印象に残るくらいです。「そんな昔のことは忘れたね」なんて、かっこよすぎて、かっこよくない私などが観るといささか気恥ずかしいのですが。
このところ集中して読んでいた吉田修一さんも実はハードボイルドタッチの作品をよく書かれます。歌舞伎役者を題材にした『国宝』も、そういう側面があると思います。
しかし私は吉田さんが産業スパイの小説を書かれることは知りませんでした。何も知らずに図書館で借りた本の
『太陽は動かない』
や『森は知っている』『ウォーターゲーム』という作品がそれにあたります。
主人公は鷹野一彦という、表向きは通信社の社員で、実は極秘の情報を得ては欲しがる組織に高く売りつける産業スパイなのです。もっとも、彼は現場で命がけで働くばかりで、「通信社」の重鎮などではありません。それどころか、裏切ろうものなら体内に仕込まれた爆弾であっという間に殺されてしまうのです。
まさか私がそういう本を読むことになるとは思いませんでした。そもそも、いくらまとめて吉田さんの作品を読んでいたとはいえ、こういう本を買って読むということはしなかったと思います。やはり図書館にあったから読んだとのだと思います。
図書館を利用するのは、絶版になった本を読める、高価で買えない本を読めるなどのメリットがあると同時に、こういう思いがけない出会いも生むことがあるように思います。
吉田さんの本、なんだかんだで15冊くらい読んだかなぁ・・・。
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- [2021/05/07 00:00]
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セレブな「友だち」
日々赤字に悩まされている私にとって「セレブ」という言葉ほど縁のないものはありません。世の中には、ほんとうに「どこからお金が湧いてくるのだろう?」と思うような豊かな生活をされる方がいらっしゃるものです。
おぼっちゃま政治家さんはしょっちゅう高級クラブに行き(最近はどうなさっているのでしょうか)、その都度かなりの金額をお使いになっているのでしょう。私の何か月分かの収入を一晩で使うくらいのことはしかねませんね。それが当たり前になると、麻痺してしまって、「お金のない庶民」というものを想像することは難しいだろうと思います。取材に来た新聞記者を「君ら、・・・だろ」というような馴れ馴れしい、人をバカにしたような口調で話しかける神経は、長らくの
「麻痺人生」
がそうさせるのではないでしょうか。
「そんなお金、使えるのだろうか」というほどの年収何億、何十億という、今を時めく企業のトップの人もセレブな生活をなさっているのでしょう。1億円入った財布を365日で空っぽにしようとすると、毎日273,972円ずつ使わなければなりません(桁、間違っていませんよね)。今日一日で約30万円使えと言われたら、私なら家電の店に行って新品のパソコンとその周辺機器とデジカメを買えばあっさり使えますが、明日も明後日も同じ額を使えと言われたら、それは楽しみどころか、かえって苦行かもしれません。毎日コツコツ使うのでなくても、1年以内に1億円を消費しろと言われたら、家を買って、車を買って、おせんべいを買って・・・それでも余ってしまいそうです。
ましてそれが何年も続くなんて、信じられない世界です。
しかし、よく考えてみると、最近SNSを通して「友だち」になっている人の中にはけっこうお金持ちがいらっしゃるのです。
文楽や歌舞伎をいつもいいお席でご覧になっている、というだけでもかなり豊かな感じがしますが、何かの機会があると海外にお出かけになったり、国内であっても博多座や歌舞伎座や南座などに
「追っかけ」
をなさったりする人を見かけることがあります。とても優雅だなと思います。毎日のように高級なレストランや料亭に通っている人も知っています。お召しものに関しても、いったいこの人は何着お持ちなのかというくらいの「衣装持ち」の方もいらっしゃいます。さらに、お付き合いなさっている方というと私などテレビでしか観たことのない人だらけ・・・。
そして海外旅行好きで衣装持ちで追っかけをして高級な食事をなさって有名人とお知り合いでいらっしゃるという超セレブの方もたしかに私の「友だち」なのです。うらやましいを通り越して唖然としてしまいます。
そういう方とぜひリアルでお近づきになりたいような気もしますが(笑)、もしほんとうに親しくなって、「ちょっとフレンチにでも行きましょう」とか言われたら「財布の中味が・・」と、困ってしまいそうな気もします。
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- [2021/05/06 00:00]
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人流
役人言葉、政治家言葉というのがありますが、概してよくわからないものです。「善処します」「検討します」などと言って、実際は何もしない、などということはよくあることでしょう。その場さえしのげたらあとは知らん顔をすればいいのだという発想。これは政治家や役人に限らず、権力を持つ人間のいやらしいところです。私もそういう人と接してきましたが、ほんとうに幻滅します。
どうしてああいう発想になるのだろう、と情けない気持ちになります。あり得ないことではありますが、もし私が権力者になったら、やはりあんなことをするのだろうか、と寒気がします。
最近、「ウイルスの感染を防ぐためには
人流
を抑制すべきだ」と言われます。「人流」・・・。パソコンで「jinryuu」とタイプしてもそんな変換はしてくれません。国語辞典にも載っていないので、最近できた言葉なのでしょう。「物流」と同じように考えられているのでしょうか。「物流」は本来physical distributionのことのようです。我々が働いたり遊んだりするのもdistribution(「配分」の意)に過ぎないのかなぁ、と悲しくなってしまいます。発想が「おかみ」の言葉です。
少し前に蔓延防止重点措置を
「まん防」
と略していたところ、魚のマンボウみたいだからやめようということになったそうです(私はむしろヤンマーディーゼルのマスコットみたいと思ったのですが)。「蔓」は常用漢字ではないので新聞には原則として用いない字なので、平仮名「まん防」と書いたものですから、よけいに間が抜けた印象を与えたのでしょう。
「まん坊」をやめるなら、人を物扱いするような「人流」もやめてもらえないものかと思うのですが、それは平気なのでしょうか。お役人は忙しいので略さないと気が済まないのかもしれません。
「若者言葉」がしばしばやり玉に挙げられて「最近の若者は」などと言われますが、それよりたちの悪いのが「役人言葉」かもしれません。
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- [2021/05/05 00:00]
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公園は賑やか
私の住む兵庫県は、またしても緊急事態宣言の檻に入れられてしまいました。私のように、特にどこに行くというわけでもない者にとっては、緊急事態と言われても生活に何も変化はないのですが、やはり散歩に出ると町の様子は以前とはかなり変わっているように思います。
私は今もマスクをして歩くと呼吸が苦しくなります。何かの用事で店に10分も(マスクを着けて)入ったりしたら、出た瞬間にフワーッと深呼吸をしたくなります。そんなありさまですから、長い時間歩くときなど、相変わらずマスクは着けられません。
以前なら、そういう人はわりあいにましたし、咎められることもありませんでした。しかし先日は、道の反対側を歩いていた人にじっと睨まれてしばらく視線を外されませんでした。ひょっとしたら何か
非難の言葉
も出されたのかもしれません(あちらはマスクですから見えません)。やはりみなさんかなり神経質になっているように思います(私が無神経なだけとも言えますが)。
そんなわけで、私はできるだけ人とすれ違うことのない歩き方をするようにしています。人の少ない時間帯に歩いたり、前から人が来たら道の反対側に行ったりしているのです。万一それができずにすれ違うときは手やハンカチで口を覆うようにしています。
そんな状態なのですが、ウイルスの蔓延を感じさせない場所もあります。好天の日の公園です。私の家の近くに広々とした公園があり、お昼ごろにそのそばを歩くと、最近よく見られるポップアップテントや
ワンタッチテント
が、所狭しと設営されているのです。なるほど、テントにいれば感染リスクはないのかもしれませんが、実際は中に入っているのではなく、外に出てシートを敷いて昼ご飯を食べ、そのあとは子どもたちとボール遊びなどに興じている人がたくさんいます。
高校生くらいの女の子たちが3人ばかり、スカートを気にもせずあぐらをかくというあられもない(って今ごろ言わないでしょうか)姿ではしゃいでいるところも見ました。
屋外ですし、多くは家族でいらっしゃっているのでしょうから、それほど気にしなくてもいいようには思うのですが、何と言ってもそういうグループが数多く集まって、しかもとなりのグループとは何メートルも離れてはいません。平和というかのんきというか、ここはウイルスも立ち寄らないのかもしれない、と錯覚させられます。江戸時代あたりなら「久松るす」とでも札を上げるところでしょうが、そういうまじないもせず(あたりまえ)、世の憂さを晴らしていらっしゃるようです。
そういう公園を横目に観ながら歩いている私も、当然マスクはしていないのですけれども。
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- [2021/05/04 00:00]
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ウイルスは詠まない
このところ参加している短歌の雑誌ですが、どうしても同人のみなさんが19年型コロナウイルス(新型コロナウイルス)を題材にされることが多いのです。最新の同人誌では「巣ごもり」「まだコロナ禍に」「コロナの影」「コロナ禍」「まだまだコロナ禍」という題で詠まれた方がいらっしゃいました。
そして、次号は「コロナ時代とわたし」というテーマでエッセイや短歌も募るそうです。
今の世の中の状況では、世界中の人にとってこのウイルスのパンデミックが
もっとも関心が深い
ことですから当然と言えば当然でしょう。
実は私も、昨年の春の締め切りの号では「家にいて」という題で詠みました。しかし、それ以後はこのパンデミックを素材にすることはなくなりました。世の中の状況に真正面から向き合えばいいのに、と思う反面、そういう憂鬱から離れていたいという意識が働いているのかもしれません。
朝日新聞の朝刊の漫画はいしいひさいちさんの「ののちゃん」ですが、この漫画も一切ウイルスは題材にされません。お父さんは相変わらず出勤しているし、おばあさんやおかあさんは混雑する店でショッピングしていますし、おにいちゃん(のぼるくん)は将棋の会所に通っていますし、ののちゃんも運動会や遠足を楽しんでいます。何よりも、登場人物はいっさいマスクをしていません。唯一しているとすると、花粉症のタブチ先生くらいです。
「ののちゃん」では、政治の話題もありませんし、経済も、国際問題も素材にはなりません。
私はどうもこの「ののちゃん」の漫画のような
ありふれた日常
に関心があるようです。
ただ、最近は日常生活が単調で何もしていないような日々ですので、ウイルスは詠まないとしても、それ以外にも歌にできそうなことが見当たらず、苦戦しています。
やはりウイルスが消え去って日常がもっと変化に富んだものになってくれないと、ろくに歌も詠めない、ということになりそうです。そもそも歌心のない無粋な人間だけに、さらにこの「歌を詠ませてくれない世の中」が恨めしく感じられます。
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- [2021/05/03 00:00]
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スクワットの再開
なまっているからだをいくらかでも鍛えようと、ウォーキング、鉄アレイ運動とともに始めたスクワットですが、3月に腰痛を起こして中断しました。立ちあがることもおぼつかないありさまでしたから、スクワットどころではなかったのです。
鉄アレイは腕や上半身、ウォーキングは足、そしてスクワットは太ももや臀部を鍛えるつもりで始めたのでした。
腰痛でも、歩かざるを得ませんでしたから、多少歩数は減りましたが、ウォーキングは続けました。また鉄アレイは腰を使わないので問題ありませんでした。
スクワットは腰も使いますので、一切できなかったのです。
鉄アレイは
3㎏
のものですので、生まれたばかりの赤ん坊ひとり分くらい。あまり負荷は大きくなく、鍛えられているのかどうかわかりません。やはり10㎏以上のものでないとダメなのでしょうか。あるいは方法が間違っているのかもしれません(笑)。
ウォーキングはいささか多すぎるくらいです。歩数計を使っていますが、2月と3月はどちらも40万歩を超えてしまいました。一歩0.7mとして、一か月280㎞。かなり歩いています。4月は少し抑えようと思って、1日8000歩を目安にしました。それでもやはり25日に30万歩を超えていました。
さてスクワットです。ひょっとしたらあの腰痛の一因になったかもしれませんので、少し
抑え気味に
再開しました。
スクワットは1回7秒くらいで、ごく簡単な動きですから「なんだ、こんなものか」と甘く考えがちです(少なくとも私はそう思っていました)が、これを繰り返すとかなりつらいのです。私はこれまで7秒×10回を1セットにして、30秒くらいの休憩を挟んで3セットおこなうというやりかたでした。そこで、再開するにあたっては、その半分くらい、つまり7秒×5回くらいからスタートして、徐々に負荷を上げていくことにします。
さて、今後は暑くなりますので、スクワットのように室内で短時間おこなうものは問題ないのですが、外を歩くのがかなり大変です。できるだけウォーキングは早朝や日没後にしようとは思いますが、熱中症に留意しなければなりません。
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- [2021/05/02 00:00]
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