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QUOカードpay 

5月頃に買った5%の缶チューハイというのは宝酒造のものだったのです。すると、その直後にFacebookに同社の広告が流れてきて、なんと私の買った缶チューハイのキャンペーンをしていますということでした。6本買って、そのレシートを写真にとって送信すると1000円分のQUOカードpayが当たるということでした。昔なら缶に貼ってあるシールを集めて送ってください、という面倒なことをさせられましたので、私は(郵送料ももったいないし)そういうことには参加しなかったのです。ところが昨今はずいぶん簡単になってきました。
サントリーやサッポロなどのHPを観ていたことがあって、そのときになんとかキャンペーンという、まったくお金のかからないものに応募したことがありました。よく覚えていませんが、少し何かを書いてポチっとすればOKというものだったと思います。ものを書くのは平気なので、何の苦もなく応募したのでしょう。すると、応募したことすら忘れていたある日、私あてに

    アルコールフリーの飲料

が6本届いたのです。誰がくれたのだろう、と思ってあけてみると、「キャンペーンにご応募いただきましてありがとうございました。あなたが当選なさいましたので賞品を送ります」とのことでした。
へー、あんなの、ほんとうに当たるんだ、と感心しました。その後は「もう当たるまい」と思ってとんとそういうことから離れていたのですが、このたびはあまりにもタイミングがぴったりだった(買った直後にキャンペーン広告を見た)ので、ふらふらと応募してしまったのです。しかしこれも当たることはないと思ってもう忘れていました。するとある日メールが来て「当選しました」とのことでした。最近はスパムメールで「あなたに4億円差し上げます」とかいうのが来ますからこれもいいかげんなものかもしれないと思っていたら、身に覚えのあるもので、しかも金額が1000円というショボいもの(笑)でしたから、どうやらほんものだと思うようになりました。私は「QUOカード」をくれるのだと思っていたのですが、そうではなくメールに書かれていたURLをタップすると電子マネーの

    QUOカードpay

が送られてきました。なるほど、うまくできているものだと感心しつつ、ありがたく1000円分の買い物をすることができました。
しかし、こういうシステムを見ていると、郵便局はほんとうにもうからなくなってきただろうな、と思わないではいられません。郵便事業は民営化されたために、以前に比べて利潤を追求する必要が起こり、その一方でものを送るのは郵便で、という常識が加速度的に崩れていくようで、このままでは全国津々浦々での同じサービスができるのか、地域によっては低下するのではないか、と、そんな不安さえ感じます。誰やねん、民営化したヤツは。

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最近のアルコール事情 

……といっても、消毒の話ではありません。
5月ごろに、何を思ったか缶チューハイを買いました。350㏄で1本98円だったと思います。今はお酒を大量に飲むことはできなくなりました(もともとそんなに飲む方ではないので)から、350㏄もあればじゅうぶんなのです。しかもアルコール度が5%のものがありましたので、これなら健康にも悪くないと思いました。アルコール度7%のものなら350×0.07=24.5㎖。アルコールの比重は0.8なので24.5×0.8=19.6gのアルコールを摂取することになります。これが5%なら350×0.05×0.8=14g。かなり減ります。厚生労働省が推進する「健康日本21」では男性の場合40g以上を「生活習慣病のリスクを高める飲酒量」としているようです。5%のお酒なら、40gを摂取しようとするとx×0.05×0.8=40ということになって、このxを求めればいいわけですから、え~っと・・・(算数苦手)。1000でしょうか。ということは、

    1リットル飲むと40g

摂取することになるようです。しかし案ずることはありません。1リットルなんて今の私には無理です(笑)。
アルコール血中濃度は

(飲酒量×アルコール度数)÷(833×体重㎏)

だそうで、私の場合70㎏として833×70=58310。5%のお酒を350㏄飲んだ場合なら1750÷58310=0.030012です。酔いのレベルは爽快期、ほろ酔い期、酩酊初期、酩酊期、泥酔期、昏睡期に分けられるそうで、0.02~0.04が「爽快期」、0.05~0.10が「ほろ酔い期」、0.11~0.15が「酩酊初期」、0.16~0.30が「酩酊期」、0.31~0.40が「泥酔期」、「0.41~0.50が「昏睡期」に当たるそうです。私の場合はもちろん一番レベルの低い「爽快期」です。
飲酒運転に当たるのは血中濃度換算で0.03%以上だそうで、私の場合

    滑り込みアウト

というところでしょうか。
もっとも、アルコール濃度4%という缶チューハイもありましたので、これだと350×0.4×0.8=11.2gで、血中濃度は1400÷58310≒0.024です。これで運転しても(しませんけど)セーフということになります。
いずれにしても最近はほんとうにお酒を飲まなくなりました。

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近ごろ見ない演目 

それなりに長く観てきて、文楽の主な作品はおおむね体験することができたと思います。とはいえ未見のものがないわけではありません。1994年刊の『文楽ハンドブック』(三省堂)に紹介されている演目のうち、時代ものでは『雙生隅田川』、世話ものでは『博多小女郎浪枕』を観ていません。どちらも近松作品です。
歌舞伎で上演される『雙生隅田川』はともかく、惣七と小女郎が運命に翻弄される『博多小女郎浪枕』は観たかったという思いがないわけではありません。
それにしても、このところの国立劇場は、名作、名場面中心に傾き過ぎていないかと思うことがあります。
もちろん私も『千本』『菅原』『妹背山』『網島』『夏祭』などは何度でも観たいと思います。しかし、客席が寂しくならないように、などという発想で名作ばかり上演していては、長期的に見て問題があるように思います。昔の大阪の知事だったか市長だったかがえらそうに余計なことを言ってケチをつけたのを真に受けた国立劇場もどうかと思います。あんなの

    「補助金を出さない」

ことを既定路線にしてあとはどのように屁理屈をつけるかを考えていただけなのに・・。あの人はいつもそうなのです。大阪府立児童文学館を廃止するときも最初から決めていて、その口実を作るために自ら文学館に行ってなにかケチをつけるところはないかを探したあげく、「子どもが漫画ばかり読んでいる」という屁理屈を考え出しました。
浪速県の知事が文楽に補助金を出すのをやめてやろうと思ってその口実作りに王様気分で劇場に行って「朕は感動しなかったぞ」と言ってやろうと思ったら、武本隅太夫の語りと桐武寛十郎の人形に感動して補助金の継続を約束し、自らの不明を詫びる・・・という創作浄瑠璃を作ってやりたかったです。
それに輪をかけて、このところウイルス蔓延の余波で通しの上演がありません。『忠臣蔵』の年間通しという不思議な上演がありましたが、通しというのは一日で観るから通しなのであって、何回にも分けるのは「見取り」と変わりません。
『芦屋道満』『一谷』『伊賀越』の通しなんて久しく観ないような気がします。せいぜい半通しくらいでしょうか。
そういうことと関係があるのかどうかわかりませんが、最近観なくなった演目というのもあります。
『信州川中島合戦』の

    「輝虎配膳」

などずいぶん観ません。山本勘助の母(現在の上演では「越路」と呼ばれる)の気丈さや気の短い長尾輝虎の未熟さ、その間に入る勘助の妻お勝などなかなかおもしろい人物の配置です。輝虎が勘助を味方にしたいために、勘助の母に出す食事をみずから配膳するという趣向もこの人物の性格を描くものとしておもしろいです。
「石切梶原」(本外題『三浦大助紅梅靮』)は歌舞伎ではしばしば上演されますが、文楽ではご無沙汰です。先代勘十郎が梶原をなさったのはもう35年ほど前のことです。かっこよかったなぁ。『生玉心中』『夕霧阿波鳴門』『敵討襤褸錦』などは東京では観ましたが大阪では未見だと思います。
時にはこれらも出していただかないと、ベテラン世代の技芸員さんしかわからない演目、などというものが出てきそうで、それはさすがにまずいと思います。

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もしひとりだったら 

私は独身生活が長かったのです。20代のころはまだまだ余裕でしたが、30代になると周りはどんどん結婚していくし年少者の結婚式に出ることも少なくありませんでした。そのたびに、もう私など誰も相手にしてくれないだろうと思うようになり、一人で生きていく人生を設計しました。
いや、「設計」というのは大げさで、「覚悟」という方がふさわしいかもしれません。
実は、30歳になった時はまだ定職を持っていませんでした。ですから、結婚するなんて考えられなかったのです。周りで同じような境遇ながら結婚している人たちはたいてい奥さんが働いていて、人によってはその後も家事を引き受けてずっと奥さんに養ってもらい続けたという人もいます。有名国立大学の博士課程を修了してもこういうありさまなのです。
私は幸い小さな短大に雇ってもらいましたが、知らない街で言葉もときとしてよくわからないことがあり、溶け込むのに時間がかかりました。おまけに私は鈍感な人間で女性の気持ちもよくわからないので、縁が近づいていたのにそれに気づかず離れてしまったということもあったのかもしれません。
もしあのまま誰とも出会わずに一人で生きていたらどうなったのだろう、と思うことがあります。
楽だっただろうと思うのはやはり

    金銭面

です。安月給とはいえ、一人暮らしならかなり貯蓄に回せたに違いありません。私の知り合いで高校教諭をしている独身者(多くは女性)が何人もいるのですが、お見受けする限りではほんとうに生活はリッチです。ちょっとしたマンションを買って、歌舞伎に文楽、休みになると海外へ。そういう姿を観ていると、もし私がひとりだったら(ぜいたくをしない人間ですから)生涯お金には困らなかったと思います。
もうひとつは時間です。家族がいるとどうしても時間が取られます。自分の好きなことはあとまわしにしなければならないことも少なくありません。もっとも、時間に余裕があったからと言って勉強ばかりできたかというと、そこは根っからの怠け者ですから、だらだらした生活に陥っていたかもしれません。
しかし人生で大切なのは

    お金や時間

だけではありません。
たしかに生活は苦しくなりましたが、家族がいるのはありがたいものだと思います。貧しくもみんなで生きれば怖くない、ということです。
ひとりなら、私の場合、笑うこともないと思います。怒ることもないでしょう。喜びも悲しみも薄いと思います。すなわち喜怒哀楽と無縁になってしまいかねないのです。一人でも活発で友人が多くて常に周りに人があふれていればそういうこともないでしょうが、それとは逆である私にはやはり感情を表わすことなどきわめて少なくなってしまうでしょう。
それだけに、今かろうじて生きながらえているのもひとりではなかったからだろうと思えてなりません。

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既婚女性の幸福度 

昨日の記事に関連して、先月の朝日新聞(日付を記録するのを忘れました)で読んだことです。
女性の幸福度に関して「あなたは幸せだと思っていますか」と問いかけた調査があるのだそうです。選択肢は「とても幸せ」「まあまあ幸せ」「どちらともいえない」「少し不幸」「とても不幸」で、順に5点、4点、3点、2点、1点として平均を出したそうです。
そしてその結果を
外で働いている(就労している)・子どもあり
外で働いている・子どもなし
専業主婦・子どもあり
専業主婦・子どもなし
に分類すると、「就労・子どもあり」が3.79、「専業主婦・子どもあり」が4.01、「就労・子どもなし」が4.05、「専業主婦・子どもなし」が4.19だったそうです。(以下、調査分析された拓殖大学の佐藤一麿氏の見解です)一見すると子どもと就労が幸福度を下げているようです。しかし、子どもを持つことはほとんどの人にとって幸福につながるはずです。つまり、子どもを持つことによって起こる経済的な問題、夫婦間の問題、家事育児の負担の問題が子どもを持つことの幸福度を超えるというわけです。具体的にいうと、次のようなことです。子どもがいるとお金がかかるのは当然ですが、家計を預かることの多い女性がより強くその負担を実感すると考えられます。また、子育てのストレスが夫婦関係を悪化させ、家事や育児も概して女性の負担が大きいことも原因になるのです。そして、夫婦関係の悪化が第二子の誕生を妨げることにつながり、

    少子化

はますます進むことになるのです。
就労女性が子どもを持った場合については、同じように働いていても、どうしても家事や育児の負担は夫と半分というわけにはいかず、女性に負担がかかりがちなので幸福度は低いようです。だからといって、男性が悪いと決めつけるのもまた性急なのだそうです。
男性も育児休暇は取りづらく、長時間労働も多いために現実問題として家庭に割ける時間が少ない場合が多いようなのです。
佐藤さんは、男性が育休を取りやすくすること、教育費の無償化に加えて、夫婦関係の悪化をいかに食い止めるかも忘れてはならないと考えています。ヨーロッパでは女性の幸福度を低下させるのは「お金」「夫婦関係」「家事育児の負担」のなかでは「お金」が大きく、日本では

    「夫婦関係」

が大きいそうです。
なお、未婚女性と既婚女性の幸福度では概して既婚女性の方が幸福度が高いそうですが、既婚でも夫婦関係の悪い場合は未婚女性よりも、また離婚女性よりも幸福度は低くなるそうです。
今日書きましたことはほとんど朝日新聞に載っていた内容をなぞったものでした。

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家事をしない男 

今どきの女子大生は、すべてがそうだとは言いませんが、以前に比べると家事をしない男性に対してかなり厳しいことを言います。昔は、男子厨房に入るべからず、というような発想がありましたが、今はもうそんなことはとんでもない話です。家事、育児は手伝うのがあたりまえと考えている人がかなり多いと思います。私の世代でも、さらに下の世代でも、今なお家事は女の仕事、という発想の人は少なくありません。ずいぶん前なのですが、私より少し下のご夫婦の家に遊びに行ったことがあります。赤ちゃんが生まれたばかりでそのお祝いでした。奥さんが台所に行ったときに、赤ちゃんが大きな音を立てて派手に排泄しました。ご亭主はおむつを取り出して替えてあげるのだろうと思ったら

    「おおい、おむつだよ」

と奥さんを呼び、「僕、替えられないんですよ」苦笑いしていました。奥さんは何ともないようにせっせと替えていましたからご夫婦がそれでよければかまわないのですけれども。
最近では、教え子の一人がTwitterでさかんにご亭主のことをぼやいています。とにかく休日でも何でも何ひとつ手伝ってくれず、「おれは働いてるし、お前は(奥さんのことを「お前」と呼ぶそうです)一日中子どもと遊んでるんだから」と言い放っては適当にどこかに出かけたりするのだそうです。このご亭主はおそらく30代です。
これらのことを学生に言おうものなら「絶対にそんな男とは結婚しない」と一斉に抗議の声が挙がります。
自慢するわけではないのですが、私は家事手伝いや育児は多少のことではありますが普通にしてきました。

    料理を作るのは下手

なのであまりしませんが、皿洗い、洗濯ものの片づけ、風呂掃除、トイレ掃除は積極的にする方です。赤ん坊のおむつはもちろん替えましたし、風呂にはずっと私が入れていました。でもこれが普通だと思っていたので、明治生まれの男じゃあるまいし、今の20代30代の男性にもそういう人がいると聞くと驚いてしまいます。特に奥さんに向かって「一日中子どもと遊んでる」というのは絶対ダメだと思います。
学生は父親に対してもかなり厳しい目を注いでいます。「亭主関白で何もしない」「母が『結婚に失敗した』と嘆いている」などと言ってくる学生もあるのです。これは作り話ではないのですよ。
世の若い男性たち。おしゃれは上手になってまことにけっこう。でも、家事のひとつもできないようでは、奥さんに呆れられるうえに、娘にこんなことを言われちゃうんだぞ。

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書き分け 

私はSNSをいろいろ使っています。「あれこれ書いておもしろいの?」「ひとつにまとめれば?」と思われるかもしれません。でも、想定する読み手の対象がばらばらで、内容も異なり、文体も画像も違います。
ツイッターは一時かなり書いたのですが、そのうちに学生さん向けのちょっとしたお話を書くことが主眼になりました。たとえば日本の行事だとか日本語だとか、そんなことを話題にするわけです。なにしろ140字ですから、その範囲でちょっとしたことを、週に1~2回書いているのです。
「今日は半夏生です。半夏生というのは・・・」とか「七夕ですね。でも昔の七夕は秋の行事で・・・」というようなことを少しだけ書くのです。フォロワーさんのほとんどは学生・卒業生ではないのです。ところが反応してくださるのはたいていその一般の方、という

    皮肉

はあるのですが(笑)。
インスタグラムも学生を念頭に置いています。おもしろい写真が撮れたらそれを載せて短いコメントを加えます。また、24時間で消えるストーリーズを使って長期休暇中に学生さんにクイズを出していたこともあります。最近、ある学生さんが同じようなことをはじめましたので、ひょっとするとパクられたかもしれません(笑)。
Facebookはあまり「友だち」を広げていません。こちらから積極的に「友だち申請」をすることはめったにないのです。それで、今「友だち」は

    111人

です。そのかわり、多くはとても親しい気持ちを持てる人たちで、「義理友」は少ないのです。自己宣伝のような方、商売半分のような方もいらっしゃいますので、そういう方との関係はすでに解消してしまいました。ですからここではもっとも肩の力を抜いて適当なことを書いています。日々、一番よく使っているのがFacebookだといえます。
そしてこのブログなのですが、これは一番わけのわからない(笑)ものです。なにしろ誰でも見ることができるように設定していますので、ターゲットがなく、内容のテーマも決まっていません。以前は文楽愛好家をターゲットにしていましたので毎日ほとんど文楽ネタでしたが、今はもう、誰も読んでくれなくてもいいや、という破れかぶれな場所になっています(笑)。

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逃げたらあかん 

今日は憂鬱なつぶやきですので、スルーしてくださいませ。書かずにはいられない気持ちだけで、あまり読まれたくないというのが正直な思いです

このところ、いろんなものから逃げたくなっています。
何をやってもうまくいかない、という気持ちが強まっています。仕事場に仲間がいなくなって誰とも話せなくなり、無用な人間というレッテルを貼られているとしか思えなくなってきました。いったい何をして生きているのかほとんどわからなくなってきました。隠居して悠々自適で暮らせるならともかく、そうでもないだけに心ばかりが焦るような、そんな気持ちです。
悪いのは自分であって、他人ではありません。自分で自分を無用者と思いこんでいるのだろうと思います。それでもどうしようもありません。
権力者の所業が許せないという思いがますます強まり、しかし蟷螂の斧で何をやっても虚しいことだというあきらめもないわけではありません。
でも、逃げたらあかん。そんな気持ちを持ちつつ、最後の炎を燃やしたいと思って、それを生きがいに日々を送っています。

父の年齢 

私の父は長生きしませんでした。いわゆる仕事人間、当時の言葉でいうなら「モーレツサラリーマン」でした。お酒もたばこも大好きで、特にお酒は家にいるときはビールの大びん1本をあけたあと、ウイスキーやブランデーを飲んでいました。月曜から土曜までは外でさらにしっかり飲んでいたのだろうと思います。因果応報というのか、結局は肝臓を悪くしてしまいました。それでも、なかなか見事な生きっぷりで、楽しみも存分に味わったようですし、病気で苦しむことも少なく旅立ちましたのでその点ではうらやましい人生でした。
父の父、私の実の祖父に至っては30代で亡くなったようです。私は生きる力という意味ではどうもその血筋なのではないかと思っています。
私も年齢を重ねてあと数年で

    父の亡くなった年齢

になるのです。自分がこういう年齢になると、父はこれくらいの時間しか生きなかったのだな、と、とてもリアルな感覚を持たずにはいられません。
特に、私の場合、父より健康ではないだけに、最近は残された時間を悔いのないように生きたいと考えるようになりました。
もっと仕事をしなければならなかったのです。研究らしい研究をして後世に残したかったと悔やまずにはいられません。自分の書いた論文をまとめて本にできるようにはしたかったと思います。しかし、そんな立派な研究もしていませんし、そもそも出版するための費用もありません。それはもうしかたがないと思っています。

    悠々自適

で暮らせるような蓄えもありませんので、小銭を稼ぎつつほそぼそと生きていくことになるでしょう。
父は私よりはずっと稼ぎましたが、その分、自分の楽しみにけっこうお金を使っていました。
私は自由に動けるほどの元気もなく、音楽を楽しむ能力もなく、もう自分のために使うお金はあまり必要ないのがひょっとしたら幸運だったのかもしれません。
こんなことをしみじみ考えているのですが、憎まれっ子世にはばかるとか言いますので、案外まだあと10年くらい生きたりして(笑)。

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この夏の課題 

7月10日が旧暦でいうと六月一日でした。いよいよ私の苦手な晩夏がやってきたのです。蒸し暑いことこの上ない日々が今後1か月ほど続くでしょう。想像しただけでも憂鬱になります。泳ぎに行けるわけでもなく、避暑に出られるわけでもなく、家にいてじっと何かを書いているだけなので、よけいに暑さがこたえそうです。
昨年は7月上旬あたりにすでに猛暑になっていましたので、今年はまだ楽なのかもしれませんが、それも梅雨が明けるまでのこと。このあとは去年並みになるのではないかと戦々恐々です。
さて、そんなこの夏も自分に課題を出します。
ルーティンの仕事は最近短歌に関わるものになってきました。短歌を詠み(今回はいつもより多い10首を出すことになっています)、短歌雑誌に『源氏物語』についての文章を寄稿し、短歌の批評というか感想も書かねばなりません。これが8月半ばごろまでの仕事です。しかしこれは

    趣味みたいなもの

ですから、「仕事」というのは変かもしれません。
それ以外の書き物については、すでに書いてしまったものを秋に出すのがありますので、それはすでに終了したといってもよいのです。ほかにはやはり創作浄瑠璃を書かねばなりません。春に宿題としていたのにできませんでしたので、この夏は正念場。もしこの夏にできなかったら諦めねばならないかもしれません。
ほかに何も考えないで集中して書けばきっとできると思います。私はいつもそうやって書いてきましたので。
そして、これも趣味の範囲ですが、もし行けるものなら京都市京セラ美術館でおこなわれている上村松園の特別展も観に行きたいと思っています。

    京都の夏の暑さ

は格別で、私も学生時代から研究会のためにお盆の期間はずっと京都にいたことがありますが、からだを刺すような、あきれかえるような暑さでした。
もちろん美術館の中は快適でしょうが、そこにたどり着くまでがたいへんです。
いつも徒歩で行きますので、河原町から北に行って三条大橋を渡り、しばらく東に行ったあと平安神宮を目指すことになります。どっと汗が出そうです。
もうひとつ、京都国立博物館の特別展「京の国宝」も観に行きたいと思っています。
こちらは七条。季節がよければ京都市美から歩くのですが、この時期はさすがに無理です。
昨年はまったく京都には行けなかったと思いますので、もし行けたら、二年ぶりということになります。

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梅雨が明けて 

大相撲はこのところ両国ばかりで開催されていました。ところがこの七月は名古屋だったようです。普段なら本場所開催よりかなり前に現地入りして千秋楽のあともしばらくは滞在したのでしょうが、このたびは時節柄直前に言って直後に帰るという日程だったそうです。ところが最初私がテレビを観た日は名古屋か両国かは知らなかったのです。しかし客席を見て雰囲気が違っていましたので名古屋だとわかりました。このところ両国ならたまり席に独特の雰囲気の女性がいらっしゃるからです。この方については「背筋ピン子さん」とか「たまり席の妖精」とか言われているのですが、「ピン子さん」という雰囲気ではありませんし、「妖精」も合わないような気がします。「マドンナ」あたりでいいのに、と思うのですが、漱石の『坊っちゃん』みたいで発想が古いでしょうか。
そんな場所が千秋楽を迎えるころ、

    梅雨明け

になりました。梅雨は梅雨前線が太平洋高気圧に押し上げられて消滅することで明けていきますが、この高気圧は湿った空気をもたらしますので、なんともいえないじめじめした暑さになります。一方、日本海側ではその湿った空気が山地を越えてフェーン現象を起こし、ひどい高温を記録することがあります。長らく国内観測史上の最高気温の記録(40.8℃)を持ち続けていたのはまさにそのフェーン現象を起こした1933年の山形市でした(現在の最高気温は41.1℃の埼玉県熊谷市と静岡県浜松市)。太平洋高気圧から日本海にあった台風に向かって強い風が吹いたのだそうです。
さて、梅雨明けは嬉しい人も多いでしょうが、私にとってはこれから1か月が1年で一番しんどい日々なのです。なにもできないまま

    「あつい~」

と言っているだけになりそうで憂鬱です。
しかし、もう私にはさほど時間は残されていないので、その時間のうちに精一杯やりたいことに全力を尽くさねばならないという思いも強いのです。秋を迎えるころにどんな気持ちになっているか、それはこの1か月にかかっているぞ、と自分に発破だけはかけておきます。
しかし蒸し暑い・・。

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熱は冷めました 

私は子どものころわりあいに相撲が好きでした。大鵬がまだ現役で、そのあと佐田の海、玉の海、北の富士らが横綱になり、堂々たる相撲を見せてくれました。平幕にも一芸に秀でたタイプの人がいて、今でも覚えている人に長身でつり技の得意な明武谷、小柄でしたがやはりつりを得意にした若浪、タイミングの良い突き落としや足技を持っていた海乃山などおもしろく観ていました。
しかしそのうちに興味を失っていき、若貴時代もなんだかおもしろさを感じませんでした。そして、仕事が忙しくなってテレビを観ている暇がなくなったという理由もありますが、力士がどんどん大型化していって、力や技というよりは暴力的にすら見える勝ち方をする人もいたことも原因で、しだいに興味を失うようになったのです。モンゴルから来た朝青龍という横綱がいましたが、彼の時代は相撲から離れたころで、私はこの人がどういう相撲を取る人だったのかほとんど知らないのです。
ところが最近、相撲がおもしろい(客席のマドンナも話題になりました)という方が周りにたくさんいらっしゃるものですから、少しずつ観るようになったのです。残念なのは、

    仕切りの態度の悪い人

が多いこと。NHKはこのところ仕切りの時間はあまり土俵を映さなくなりましたが、それでもときどき移るのを観ていると、どうにもだらだらした人が多くて好きになれません。立ち合いでも相手に合わす気がないような人が多くて不愉快です。その一方で、きびきびした動き、礼儀正しい態度をとる人もいて、そういう人は観ていて気持ちがいいものです。
先日千秋楽を迎えた名古屋場所は、2,3回、それぞれ30分ほど観ました。若隆景という力士を覚えました。礼儀正しくきびきびしているのが私の好みに合います。隆の勝との対戦の日は、息が合わず立てませんでしたが、そのあと両者ともに会釈していて、この隆の勝という人も土俵態度は好感が持てます。
モンゴルから来た

    照ノ富士

は真正面から相手を受け止めて次々に倒していき、たいしたものだと思いました。膝が悪いそうですが、横綱に昇進してどれくらいその地位にいられるか、気になるところです。
千秋楽結びはその照ノ富士と横綱白鵬の対戦でした。がっぷり四つに組んで力を出し切ってくれるものと思っていました。ところが横綱の立ち合いは、踏み込まずに相手のタイミングを狂わせたかと思ったら、肘を使ったあからさまな

    顔面攻撃

に出ました。かちあげという名の大義名分がある攻めだそうですが、見られたものではありませんでした。さらにそのあとも大関の顔を張り続け、いったいどちらが横綱なのかわかりませんでした。勝敗とは裏腹に、今一番強い力士が照ノ富士であることがはっきり分かった一番でしたが、その内容はおよそ相撲とはかけ離れたもので、少なくとも横綱が取る相撲ではないと感じました。それでも喝采する人は少なくないと思います。あれがおもしろい、強い、すごい、という声もいくつも目にしました。横綱は「勝負に徹した」と言ったそうですが、私には「勝つためには手段を選ばなかった」ということだとしか思えません。しかし、もうそんな私の美意識など時代遅れなのだな、と思うようになり、せっかく少し高まりかけた相撲熱が一気に冷めてしまいました。来場所はもう観ないかもしれません。

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上村松園の「清少納言」 

現在京都市美術館(今は京都市京セラ美術館)で上村松園の回顧展がおこなわれています。
日本画のお好きな方にとってはたまらない絵の数々が展示されます。
私は絵についての関心を持つのがかなり遅く、しかもしばらくの間は海外の絵ばかり観ていました。ところが、学生時代に谷崎潤一郎の新新訳『源氏物語』を通読した時、挿絵として描かれていた多くの画家たちの絵を見たのですが、そのあたりから少しずつ日本の画家の作品に興味が湧いたのですが、まだ「ハマる」というところまではいかなかったのです。
それでも上村松園だけは特別の存在で、初めて

    序の舞

を観たときはとても深い感銘を受けました。どこがどうということはまだわからないものですから、とにかくすてきだ、と思っただけでしたが。
しかし、その後も絵を観に行くというと、その中心になったのはキリスト教絵画をはじめとする海外のものでした。
昨年の2月に山種美術館で日本画の展覧があったのはとてもいい機会でした。松園以外の画家もたくさん観ることができて、楽しい時間を過ごしました。
このたびは、長らく所在のわからなかった

    清少納言

が出るそうです。
『枕草子』「雪のいと高う降りたるを」の段に見える一場面を描いています。中宮定子は雪が降っていると格子を上げて眺めたりするのですが、この日は格子を下ろしたままで炭櫃(すびつ)に火をおこして話をしていたのです。そのとき「少納言よ、香炉峰の雪いかならん」と清少納言を名指しで問いかけてきました。清少納言は格子を上げさせて、御簾を高く上げました。すると中宮は声をあげて笑ったのです。これは『白氏文集』に「遺愛寺鐘欹枕聴、香炉峰雪撥簾看」とあるのをふまえて中宮が問いかけたのです。この詩は多くの人が知っているもので、清少納言が知っているのは当然です。ただ彼女はここで「はい。簾を撥ねて見ましょう」などと言葉で言ったのならあまりおもしろくないのです。彼女は何も言わずに格子を上げさせてそっと

    簾を撥ねあげ

ました。その機転が中宮のお気に召した、という話です。松園の縦長の絵では、清少納言は簾に手をかけて画面の手前側(雪の庭の反対側。室内側)に振り向いているようです。そこにはおそらく中宮がいるのでしょう。松園の絵では口を開けず、笑顔でもなく、さりげなく簾を持ち上げています。単に絵がきれいというだけでなく、こういう人物の心理までわかるような描き方が魅力的なのです。なお、清少納言の装束は「裳」「唐衣」を着けた正式の装束です。当時の女房は、貴人の前に出るときにはこういう格好をしました。少なくとも「裳」は着けるのが常識です。その装束をしていることで目の前に中宮がいることをうかがわせることにもなります。この装束は、後の時代の人が「十二単(じゅうにひとえ)」と呼んだもので、『百人一首』のかるたに描かれる女房たちもこういう格好をしています。
ぜひとも観に行きたいです。

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警報 

梅雨の末期になって、静岡県では「人災」といわれる土石流被害がありました。毎年のことながらこの時期は憂鬱です。憂鬱だけならかまわないのですが、被害があると目も当てられません。川の上流で「開発」という名の自然破壊がどれほど進んでいるのか、下流の町に住んでいる人にはそこまではわからなくてもしかたがないでしょう。以前ならかなりの雨でもそんな災害はなかったのに、突然激しい泥が流れてきた、というのであれば、想定外のことだけにひとたまりもないように思います。現地の方々にはお見舞い申し上げるばかりです。それと同時に、役所はきちんと検分して各地の「開発」に警鐘を鳴らしていただきたいと思っております。
7月8日には、私の居住地でも

    大雨警報

が出ました。子どものころを思い出すと、こんなにしょっちゅう警報って出ただろうか、台風の時期ならともかく梅雨でここまで激しい雨は降ったのだろうか、と疑問が湧いてきます。あやふやな記憶ですから正確なことはわかりませんが、梅雨どきに雨が降って学校が休みになる、ってあったのかな。
子どものころ、「警報って、いろいろあるけど、どんな警報でも休みになるのかな」と友だちと話したことがありました。私の通った小学校は海辺ではありませんでしたから波浪警報は関係ないのですが、気象情報の出る「地域」としては海辺も含まれていましたので「波浪警報」はあり得たと思うのです。そういう場合はどうなのだろうか、などと話していたのです。子どもですから、話はだんだんエスカレートして「空襲警報はどうだろう」などとふざけ合ったこともありました。
東京では、今やおなじみになった

    「緊急事態宣言」

が出たようです。
それでもオリンピックは行われるそうですが、「緊急事態宣言」というのは「ウイルス蔓延警報」のようなものではないでしょうか。警報が出たら運動会は中止、というのが学校の常識だと思うのですが、オリンピックに関しては関係ないようです。何と言っても、「緊急事態宣言下でも開催するのですか」という質問に、日本の政府よりもずっとエライらしいIOC副会長が「答えはイエスだ」と言っていましたので、政府、東京都、組織委員会などは「お墨付きをいただいた」という意識なのでしょう。もっとも日本の総理大臣は同じ質問に対して「安全安心、安全安心、なむあみだぁ」とお経を唱えるだけでしたが。
よしんばオリンピック期間中にさほど大きな感染拡大が起こらなかったとしても、これだけの不安を与えた政府その他の機関の責任は重大だと思います。
というわけで、これにてオリンピックについて書くことはやめようと思います。もうそろそろ始まるのでしょうから、無視を決め込むことにいたします。あしからず。

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石上中納言の失敗 

『竹取物語』はとてもおもしろい作品です。現代に生きる古典といえます。
以前も書いたことのある話なのですが、少しテーマが代わるので改めて書くことにします。
かぐや姫に求婚する貴公子たちは何らかの難題を出されてすべて失敗するのですが、その失敗のしかたがさまざまです。最初の人物の石作皇子は光り輝く仏の石の鉢(釈迦が持っていたという)を要求されます。そんなもの、取りに行けるはずがありません。石作皇子はなかなか現実的で、天竺まで行って探すような真似はしないのです。そして3年間姿をくらまして天竺に行ったふりをして、そのあとかぐや姫のところに行くのですが、仏の石の鉢の代わりに持って行ったものは古寺の賓頭盧尊像の前に置いてあった鉢で、蛍ほどの光もないのです。それであっさり見破られてしまいます。何の工夫もしない人間の末路ということでしょうか。
くらもちの皇子は、蓬莱山にある玉の枝を要求されます。くらもちの皇子は石作皇子と同じように、蓬莱山に行ったふりをして姿を消します。しかし彼は石作皇子の失敗は繰り返しません。工夫に工夫を重ねて、ほんものそっくりのものを作らせたのです。そしてあたかも蓬莱山から戻ったようにこっそりと難波の浦まで行って船に乗ってきたふりをして、そのままかぐや姫の家に直行するのです。かぐや姫の家では竹取の翁にむかって自慢たらしく蓬莱山への往復の航海の様子をまことしやかに語ってみせます。詐欺ですね。そしてあわや成功するというところでその偽物を作った工匠がやってきて

    「報酬をください」

というのです。翁は騙されそうになりますが、かろうじて無事でした。これは高齢者を騙す詐欺師と変わらないですね。
「火鼠の皮衣」を要求された三人目はきわめて裕福な阿部大臣(安倍ではない)ですが、金の威力でほんものを買ってやろうとしか考えていません。そしてあっさり中国の商人に騙されてにせものをつかまされるのです。お金さえあれば何でもできると思っていると落とし穴があるという話です。
「龍の首の玉」を要求された大伴大納言は、権威を笠に着て家来に威圧的な態度で取ってくるように命令し、自分はかぐや姫を迎えるために家をきらびやかに飾りたてて待っているのです。ところが家来はこんなバカな主人についていけるか、とトンズラを決め込み返ってこないのです。大納言はやむを得ず自分で探そうと船出したところ大嵐に遭って遭難し、命からがら帰ってきます。権力を持つ者が偉そうにすると裏切られて失敗するという教えにも読めます。
そして最後の

    石上中納言

は燕の子安貝を要求されました。
この男が「燕が巣を作ったら教えてくれ。子安貝を取るためだ」と家来にいうと、家来は次々にアイデアを出してくれるのです。それでもうまくいかないと、家来でも何でもない人物がさらに詳細に忠告してくれて、中納言は自分では何らアイデアを出さないのに、うまく行きそうになってきました。ところが、家来がうまく取れないというものですから、中納言はいらいらして「自分がやる」と初めて自分の意思で行動することにしたのです。結果は無残に失敗し、かごに乗せられて巣のそばまで持ち上げられた彼は燕の巣に手を突っ込んで糞を手に握った挙句、転落してしまうのです。
この話を私は何度も学生に話したことがあります。その都度、何だか胸が痛むのです。めったに思ったことを実行しないで人の言うことに従うのに、たまに

    自分の意思で行動すると

失敗する。この男はほかの四人に比べると悪人ではないのですが、意志薄弱でまれにエイヤっと行動すると失敗するのです。これ、なんだか私のことを言われているような気がします。
石上中納言だけではないのです。石作皇子もくらもちの皇子も阿部右大臣も大伴大納言も、それぞれに私自身がやってしまいそうな失敗を犯しているのです。私だけではないでしょう。多くの人がこの男たちの失敗と同じことをしているのではないでしょうか。『竹取物語』の求婚譚はおもしろいのですが、よく読んでみると耳が痛くて怖い内容なのです。

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2021年文楽夏休み公演初日 

本日、夏休み文楽公演が初日を迎えます。
デビューする若い太夫さん、緊張するでしょうが思い切って声を出してください。

第1部 【親子劇場】 午前11時開演
 うつぼ猿
 解説 文楽ってなあに?
 舌切雀

第2部 【名作劇場】 午後1時30分開演
生写朝顔話(明石浦船別れ、薬売り、浜松小屋、嶋田宿笑い薬、宿屋、大井川)

第3部 【サマーレイトショー】 午後6時開演
夏祭浪花鑑(住吉鳥居前、釣船三婦内、長町裏)

「宇治川蛍狩り」があるともっと夏らしいのですが、時間がありませんね・・。

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公園の駐車場(2) 

私はもうすっかり車の運転はしなくなりました。今は高速を走れと言われたらあまり自信がありません。しかし一般道、それもさほど都会でもない私の居住地周辺であればまだまだ走れるような気はしています。
道を歩いていると、いろんな運転手がいて、私はときどきヒヤッとすることがあるのです。以前書いたと思うのですが、一番怖いのは後ろから突然姿を現す車です。狭い道に車が駐車していた場合、その後ろからやってきた車はそれを避けるために右側に寄って追い抜きます。狭い道だと、ほとんど右端にまで寄ってくる感じです。私が右側を歩いているとき、そういう車がからだのすぐそばを

    すり抜けていく

感じになるのです。あの瞬間はほんとうに恐ろしいのです。
そんな瞬間、思わずその車の運転手の顔を見たりするのですが、特に「若者に多い」「高齢者がほとんどだ」「女性ばかりだ」などということはありません。若者は意外に安全運転する人が多くて、むしろ少ないくらいです。以前は男性に乗せてもらうのがあたりまえという感じでしたので女性はあまり運転に慣れていない人が多かったため、女性の運転はこわいと言われたこともありました。しかし今や買い物に行くのも車という人が多い時代ですから、これまたそれほど気にならなくなりました。
高齢者に関しては、さまざまです。やはり注意力があやしくなっている、動体視力が落ちているなどの事情でうまく運転できない人は少なくないと思います。
以前、近くの公園の駐車場近くを歩いていたとき、その駐車場に向かってのろのろと走ってくる車があり、その後ろに数台の車が続いていました。私の見た限りでは、おそらく

    20㎞/h

くらいのスピード、ほとんどクリープ現象だけで走っているような感じでした。何をしているんだろうと思っていたら、その車は駐車場の前の駐車券の発券機の横に止まり、動きません。やがてゆっくりとドアが開いて、80代くらいと思われる男性がたっぷりと時間をかけて降りてきました。発券機のすぐ脇に停めれば窓を開けただけで届きますが、それができなかったようなのです。後続の車はもうあきれてものも言えないという雰囲気でした。そして券を取ったら車に乗り、そこから発信するまでがまた異様に長かったのです。やっと車が中に入ると、私と同年配くらいの人の運転する後続車がさっと券を取ってあっという間に入って行きました。
さてその高齢の方なのですが、駐車場の中に入ってからも同じようなスピードで走り、ここと決めた位置に停めるのにゆっくりゆっくり時間をかけていらっしゃいました。いや、安全第一ですから悪いことではないのですが。さあそれからその人が下りてくる様子がうかがえません。私もいつまでも付き合っている暇はないので、まだ免許は返納できないのかな、と心配になりながらその場を立ち去ったのでした。

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公園の駐車場(1) 

私の家の近くにわりあいに大きな公園があります。1周すると1200歩。1歩75㎝として、900mくらいでしょう。ここまで行って3周して帰るだけで6000歩くらい歩くことになるのでウォーキングコースに入れています。ご近所の方はふらっと歩いて来られますし、中学生くらいの子は自転車に乗ってきますが、最近流行のポップアップテントやイス、食料などを持ち込んでくるピクニック気分のファミリーはたいてい車です。駐車場もそれなりに整備されています。
ただ、この駐車場に入るためには交通量の多い2車線の道から曲がって100mほど走る必要があります。左折はもちろんかまわないのですが、右折は後続車が停滞するために禁止されています。右折しなければ入れない車は遠回りしなければならないことになります。当然右折禁止の標識は出ていますが、中にはそれでも強引に右折しようとする車があって迷惑をかけがちです。そこで出動するのが

    ネズミ捕り

です。警官が交差点のそばに立って、無理に右折しようとする車があれば「直進か左折しなさい」と誘導すればいいのですが、そうはいかなご春の味。警官はわざわざ(笑)100mほど離れた駐車場の前に陣取ってその交差点を見張っています。そして右折してくる車があると姿を現し、違反を告知して、切符切りをするようなのです。
しかし、あんなところを右折する車があるのだろうか、またその車を道の真ん中で停めるとそれがまた迷惑になるのではないかと疑問に思っていたのです。
そこで私は、公園に遊びに来る人の多い晴天の日曜日に、交差点を右折して入ってくる車を見張っている警官を見張ってみることにしたのです。
そんな車はないだろうと思っていたのに、5分ほどようすをうかがっていると、交差点で右折ランプを出しているらしい車がありました。後続車が連なっています。すると警官が「来た!」とばかりに身を乗り出し、

    手ぐすねを引いて

待っています。私も思わず「来た!」と思って何となくワクワクしました(笑)。哀れ、その車は警察の餌食になるべく信号が赤になる瞬間に右折してきました
すると警官が道路に出て「とまれ」の合図をしています。そして少し話したと思ったら駐車場の中に入るように指示してそちらで手続き。
・・とそのときです。私は見ました。さらにそのあとに右折して入ってくる車があったのです。しかし警官は前の車のほうに行っていますから、右折車第2号は何のお咎めもなく駐車場に入って、乗っていたご一家のみなさんは「あれ、あんなところで警官がなにかやってるよ」と横目で見ながら、休日をエンジョイなさっていたのです。運、不運は紙一重でした。

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わけのわからない祝日(2) 

政治家が祝日法を真剣に考えるなら、「明治の日」を制定するより「昭和の日」をなくすことを考慮してもらいたいものです。それはだめだ、「昭和の日」はゴールデンウイークの初日で、この長い連休があることでどれほどの経済効果があると思っているのか、経済オンチの世間知らずはこれだから困る、とまた私の痛いところを突かれそうです。「経済オンチ」「世間知らず」と言われるとそのとおりで否定できません。しかし、黙っている理由もありませんので引き続き経済オンチの世間知らずとしてものを言います。
どうしても連休を増やしたいなら5月は2,3,4,5とか3,4,5,6を祝日にしてしまえばいいのです。そしてその間には土曜、日曜がありますからほぼ5連休から6連休になります。
「昭和の日」は昭和生まれの人が考えた

    ノスタルジーによる祝日

に過ぎないのです。平成生まれの学生はよく言います。「『昭和の日』って何なんですか」「『昭和の日』があるなら『平成の日』があってもいいのに、なぜないのですか」。至極当然の気持ちです。彼女たちには昭和へのノスタルジーなどないからです。私だって学生のころに大正生まれの議員が「『大正の日』を制定する」と言ったとしたら「『大正の日』って何ですか」という気持ちになったでしょう。そもそも今の上皇の誕生日の12月23日は学生にとってとてもうれしい祝日だったのです。翌日がクリスマスイヴ、次がクリスマス、そして冬休み。それがなくなったので「12月23日が『平成の日』でもいいじゃないですか」という理屈になるのです。
4月29日が祝日になると学校などはついでに理屈をこじつけて5月5日まで休んでしまうところがあります。最低7連休、土日のはさまり具合によっては9連休ということもあり、私も経験しています。こんなに連休が長いと、学校は逆に困ることがあるのです。4月に元気いっぱいでスタートした学生が連休で気勢をそがれて一気にだらけてしまうのです。また、連休に帰省した学生はやっぱり家にいたいと言ってホームシックが強まるきっかけにもなります。あの連休が

    5月病

の病原体になっているかもしれません。教員の側から言っても、せっかく4月に2~3回授業をしてもプツンと切られてしまって、連休明けの最初の時間は復習に時間を取られるという無駄が生じます。復習をしないと学生はわけがわからなくなって教育効果は半減します。
「昭和の日」をなくして連休は5月3,4,5の三日間のみにして、あとは企業なり学校なりの裁量に任せてもいいのではないかと思います。
ほかに今ひとつわかりにくいのが「海の日」「山の日」「建国記念日」です。長野県あたりの人に「海に親しもう」といっても「海なんかないよ」といわれそうですし、「山の日」は「海の日」以上に国民に広く認知されているとは言えないと感じます。「建国記念日」は「いつのまにか建国された」という感の強い日本には制定が困難です。神武天皇は神話上の人ですし、継体天皇あたりで王朝も変わっている可能性が高いですし、律令制定あたりが何となく国家という感じになるかな、という程度です。
いっそ8月15日を「平和祈念の日」にして新生日本の「建国」を祝う方がいいかもしれません。
ほかにも思うところがありますので、それを加えて私の祝日案をまとめてみます。
 
  元日(現行どおり)     成人の日(現行どおり)
  天皇誕生日(現行どおり) 春分の日(現行どおり)
  憲法記念日(現行どおり) みどりの日(現行どおり)
  こどもの日(現行どおり)  平和祈念の日(8月15日)
  敬老の日(現行どおり)   秋分の日(現行どおり)
  スポーツの日(10月10日) 文化の日(11月1日)
  勤労感謝の日(現行どおり)

これくらいでいいんじゃないでしょうか。
もし付け加えるなら「夏至」と「冬至」。春分、秋分との釣り合いもとれますし、祝日のない6月と12月なので便利かもしれません。あとは年中行事とのある3月3日や7月7日も考慮していいかもしれません。
以上が、私が文部科学大臣になった場合の公約です(笑)。

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わけのわからない祝日(1) 

何でも今年は去年に続いて祝日がごちゃごちゃになるのだそうです。なんでもかんでもオリンピックのため。それはすなわち政権浮揚策でもあるのでしょう。うんざりします。
月曜日を休みにしたときからそう感じるのですが、そのうえに「山の日」とか「海の日」とか祝日としての意味があるだろうかと思えるようなものまで作ってしまって、私は祝日そのものの意義が忘れられそうに思えて興味がなくなってしまいました。
国家宗教を持たないこの国で、ほんとうに祝日として意味がありそうなのは「元日」「成人の日」「こどもの日」「敬老の日」「勤労感謝の日」くらいかな、と思います。元日と勤労感謝の日を除くと、人生のそれぞれの世代をお互い敬いましょう、という日ですね。欠けているのは「中年の日」でしょうか(笑)。
文化の日というのは、憲法が公布された日ではありますが、元をただせば明治天皇の誕生日。昔の

    天長節、明治節

ですね。何となく十一月初旬という時期が文化芸術を味わうのにふさわしい季節だと感じることはわからなくもないのですが、憲法の公布と文化とは一致はしないでしょう。まして明治天皇から文化の日は連想されません。要するに、何が何でも明治節を残したかった、という事情なのではありますまいか。挙句の果てには、昨今「文化の日」を「明治の日」に改めようという動きもあるのだそうです。これまたもってのほかです。もちろん一部の民間人が勝手にそういうことをおっしゃるのは自由です。しかし、その力に圧された政治家が政策として俎上に載せるのはやめてもらいたいのです。結局、「もうGHQの目が光っているわけでもないのだから何が何でも明治節を残そう」という人が今もいるだけで、これでは戦後の祝日法制定のころから何も進歩していないように思えてなりません。
逆に、私は明治節を廃するために、文化の日の移動を考慮してもいいとさえ思っています。ひとつのアイデアは十一月一日なのです。この日であれば時期は現行の文化の日と変わりませんし、

    古典の日

でもあります。もちろん古典文学だけが文化芸術ではありませんが、日本人が大事にすべき文化のひとつであることには違いありません。この古典の日を文化の日にして、十一月三日を平日にすることで、明治節の呪縛を取り除くのはどうかと思っているのです。保守派の人たちから見たら危険思想なのでしょうが、私も一部の(というか「ひとりの」)民間人ですから、これくらいのことは勝手に言わせてください。

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天上天下唯我独尊(2) 

釈迦が誕生した時に言ったという「天上天下唯我独尊」の言葉は、意味としては文字どおり「再び輪廻することなく、今生で解脱するすぐれた人だ」ということのようです。本来は別の人が釈迦を讃嘆して言った言葉だったのを、釈迦なら生まれたときに自分で言っただろう、と推測した人たちによって伝説が広まったのでしょう。
しかし、この言葉の正しい解釈はそういうものではないと説明する仏教学者もいます。「唯我独尊」とは、「唯、我独り尊し」ではなく「唯、我独りとして尊し」のことで、その意味は、「自分だけが尊い」ということではなく、「自分という存在が

    一人の人間として

尊い」ということだ、と解釈する人があるのです。
これはWikipdeiaで知ったことで実際には読んでいないのですが、落語家(尼僧でもある)の露の團姫さんは『人生が100倍オモシロくなる仏の教え』の中で「天上天下唯我独尊」を「この広い世界のなかで、私たち人間にしかできない尊い使命がある」と解釈しているそうです。これも独特な解釈だと思います。
先述の仏教学者さんは、富裕か貧しいか、家柄がよいか悪いか、社会的地位が高いか低いか、学問が有るか無いか、健常か障害を持つか、そういうことで尊卑が決められるのではなく、この宇宙に於いてほかの誰に代わるものでもなく、一人の人間として、裸のありのままの人間として私は尊い存在なのだ、と解するのです。「私はお前たちとは違って特別にすぐれた人間なのだ」といっているのではない、ということになります。
團姫さんにせよ、学者さんにせよ、その解釈の妥当性はともかく、なかなかおもしろく、まったく異なったイメージでこの言葉が受けとめられそうに思います。人は生まれながらにして尊い。だからその生」を

    「ないがしろにしてはいけない

のでしょう。お金や名誉や地位を得ようとしてあくせくし、家柄が悪いことや障害を持つことを嘆く。もちろん最低限のお金は必要ですし、勉学や心の鍛錬をした結果得られた地位は汚いものではありません。しかし、お金のためなら人を傷つけてもかまわない、自分の地位を守るためならあるいはさらに上の地位に就くためになら弱いものをいじめてもかまわない・・・そういう考えは間違いだと思います。
釈迦の言った(と伝わる)言葉の解釈を学問的に正しく理解することが大事なのは言うまでもありません。その一方、その正しさを知ったうえで少し想像を広げてみるのも許されそうに思います。
手もとの小さな国語辞典の「唯我独尊」の項に(釈迦の言葉から転じて)「自分だけがえらいとうぬぼれること」の意味が記されていました。一般的には、むしろこちらの意味で用いられているでしょう。たとえば花見で両手を広げていた人のように。

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天上天下唯我独尊(1) 

釈迦の「三十二相」(身体の三十二の特徴)の中に「立って手を伸ばすとその指先が膝まで届く」という相があります。釈迦はとても腕が長かったというのです。また、手のひらも大きくて指の間には水かきのようなものがついているのです。腕が長く、大きな手のひらに水かきがあるということは、おそらく釈迦が世の中を広くとらえ、人々を漏らすことなく救済する力を持つことを意味するのでしょう。また、仏像を見ると、印を結んでいます。たとえば与願印とか施無畏印とか降魔印とか。あの手のしぐさで仏像は我々に語りかけているのです。キリスト教絵画を見ても、イエスの手のしぐさはとても重要なものに見えます。

    手の持つ意味

は宗教の世界では大きなものだと感じます。
そういえば、前の総理大臣が花見の場で小学校の朝礼の壇のようなところに登って観衆を前に両手を広げている写真がよくメディアに出ていました。あれもおそらく(本人が意識しているかどうかは別にして)「この美しい青空は私たちを祝福している。今日は私があなたたちを招いたのだ、さあ、迷える子羊よ、私の元に集まりなさい」という気持ちを持っているからこそ出たしぐさなのではないかと思います。哀れ、あの人もいつのまにやら自分が安っぽい

    教祖様

にでもなったと勘違いしてしまったのでしょう。あの写真を見た瞬間、人間とは何と愚かなものかと改めて思いました。
釈迦が生まれたときの姿を写した像は「誕生釈迦像」として奈良市の東大寺などにあります。正眼寺(しょうげんじ。愛知県小牧市)の「誕生釈迦仏立像」(金銅。重要文化財。8.2㎝。奈良国立博物館に寄託)の腕は三十二相に合致するようにとても長く造られています。そのスタイルは右手を上げ、左手を下げている、というよりは上下を指さしているものです。これは申すまでもなく釈迦が誕生した時、七歩歩いて

    「天上天下唯我独尊」

と言った、まさにその瞬間をとらえたものです。
私はこの言葉を始めて聴いた時「釈迦って、ずいぶんえらそうな口を利くやつだ」(笑)と思ったものでした。「天上天下に、ただ我ひとり尊し」と読むと「この広い宇宙の中で、私だけがえらいのだ、私ほどすぐれた者はないのだ」という意味に解せるからです。
古い経典によると、釈迦は「私は世の中で最高の者であり、これが最後の誕生だ(つまりもはや輪廻はせずに解脱する)」と言ったのだ、とするものがあるそうです。
しかし、いくら釈迦が特別な人であっても、実際に誕生直後にそんなことを言うなんてあり得ないと思います。実際のところは、釈迦の相を観た

    阿私陀仙(アシタ仙人)

が「この人はこれで最後の誕生になり、解脱するすぐれた人だ」と占ったのが、釈迦自身が言ったように伝えられたものだと考えられるそうです。
『源氏物語』の中にも、まだ幼い光源氏の相を観た「高麗の相人(渤海から来た人相を観る人)」が「この人は帝王になる相を持っているが、もしそうなると世の中が乱れる。だからといって国政を補佐する人かという目で見るとそれもまた違う」と占う場面があり、この占いは実現することになります。すぐれた人には、こういう誕生時点、あるいは幼いころにその兆しが見えることが伝説的に伝えられることがあるようです。

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食す 

「食べる」という言葉の尊敬語は「召しあがる」です。「お食べになる」「食べられる」は尊敬語としては不十分だと思います。いったいどうしてなのだろうと考えることがあります。そもそも「食べ」は「たまへ」から転じた言葉だと考えられています。「たまへ」は尊敬語ではなく謙譲的な表現で、現代語でいうと「いただく」に近いと思います。尊敬語の「たまひ」(終止形は「たまふ」)は四段活用で「たまへ」は下二段活用です。昔の言葉で現代語の「食べる」にあたるのはむしろ「食(く)ふ」でしょう。「食ふ」は今でも「食う」として残っていますが、現代語の「食う」はむしろ古い言葉の「食らふ」に近い、どちらかというと品のない言葉だと思います。単に「食べた」という場合、古くは「食ひけり」といいました。
どうも、ものを食べたり飲んだりすることを直接表現するのは避けられたような気がするのです。食べることは恥ずかしいこと、あまり大っぴらに人前でする行為ではないことと思います。

    人前でものを食べる

のは、今でも恥ずかしいですよね。通勤電車の中でおにぎりを食べていたら白い目で見られますし、他人と同じ席でものを食べるとあまりおいしくはないでしょう。逆に親しくなると「今度一緒にご飯を食べよう」と言います。親しくなければ恥ずかしいようなことを一緒にしよう、それくらい我々は親しくなったのだから、という意味にも受け取れそうです。
そういう意味で、「食べ」という言葉も忌まれたのではないかとすら思えます。若い人が言葉遣いに困って「先生、このお菓子、食べられてください」などと言ってしまうことがあります。きっと「食べる」に「られる」という尊敬語をつけて表現したつもりなのでしょうが、なんだか口を開けたお菓子に人間が食べられるような錯覚すら覚えます。前述のように「お食べになってください」もやはり変だと思います。
一方自分が食べるときは「食べる」でもいいはずなのですが、どうもこれも忌まれているような気がしてなりません。最近よく聞く言葉に

    食(しょく)する

がありますが、私はまったく使わない言葉なのです。もちろん正しい言葉で、辞書にも載っています。意味としてはふつうに「食べます」といえばいいところなのですが、やはり「食べる」というあからさまな(?)言葉に抵抗があるのか、少し遠回しに「食する」と言われるのではないか。何となくそんな感じがしています。

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龍になる女 

道成寺の安珍清姫の物語は文楽でも『日高川入相花王』として上演されます。最近は「渡し場」だけを人形の見せ場のようにして上演することが多いようですが、その前段もまた見せていただけたらと思います。
病弱の朱雀天皇は桜木親王に譲位することを考えますが、それを認めない左大臣忠文の企みで親王は冤罪によって追われます。山伏安珍の姿で紀伊國の真那古庄司のところに逃れてきたところ、かつて都で見染めた人だと知った庄司の娘清姫が激しい恋の炎を燃やします。安珍は許嫁のおだ巻姫と会い、道成寺に向かいます。そして清姫は後を追ったのです。
ここからが「日高川渡し場」で、日高川までやってきた清姫が先に川を越えた安珍を追うべく船頭に頼みますが、安珍から「こういう娘が来ても渡さないでほしい」と言われていた船頭は知らん顔をします。すると清姫は大蛇の姿となって川を渡っていきます。
文楽ではこのあと清姫がおだ巻姫を殺したり、庄司が娘の清姫を殺したりと血みどろの話が続きます。
一方、清姫が道成寺の鐘の中に隠れた安珍を恨んでその鐘を蛇体となった自分のからだで巻き付けて安珍を焼き殺してしまうというすさまじい伝承があります。

これとよく似た話に、唐の

    善妙

の伝承があります。
善妙は新羅から華厳宗を学ぶためにやってきた僧義湘が美男であるとの噂に心を動かします。そして義湘が彼女の家に托鉢に来ると恋心を打ち明けるのですが、義湘は「出家の身で恋には関われない。あなたも仏法を支えるように努めなさい」と諭すのです。善妙は義湘のために仏具を調えてやりますが、彼はすでに港から帰国の途についていました。それを知った善妙は仏具を船に投げ込んで、さらに龍となって後を追うのです。そして、清姫のように義湘に襲いかかったのか、というとそうではないのです。善妙の龍は義湘の乗った船の下に入り、あっという間に船を新羅に送り届けるのです。
京都栂尾の高山寺にはこの善妙の話を含む

    華厳宗祖師絵伝

があり、また「善妙神立像」(運慶の子、湛慶作)もあります。高山寺の創建者である明恵は善妙を華厳宗の守り神として重んじ、この絵巻も彼が作らせたと考えられています。
明恵上人の在世時に承久の乱が起こりました。上人はそのときに殺された貴族の妻や娘を保護し出家させて、高山寺の南蓮華谷に善妙寺を建てて彼女たちを住まわせたのだそうです。

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愛は買うものではない 

歯が浮くような、とてもキザなタイトルを付けてしまいました。
実はこれは『源氏物語』をわかりやすく漫画にした大和和紀『あさきゆめみし』の中で光源氏が息子の夕霧にいう言葉なのです。この漫画は、原作に忠実でありながら作者の心の反映もあって、とてもよくできていていると思います。絵もきれいですし、とてもおもしろいです。私も買ったことはありませんが(笑)、学生さんなどに見せてもらったりしてかなり読んだと思います。高校や大学の図書館にも入れていいくらいです。
さて、光源氏が住吉に参詣に行った帰り道のこと。管絃の遊びなどをしていると遊女(あそびめ。うかれめ)たちが寄り集まってきます。原文ではその場面について「上達部ときこゆれど、若やかにこと好ましげなるはみな目とどめたまふべかりけり」と言っています。「上流貴族とはいっても、若い気になって風流を好むような者は、誰もがその遊女に目をとどめていらっしゃるようであった」という程度の意味でしょう。大和和紀さんはそこをもう少し突っ込んで、男たちが遊女を「買おう」としている、つまりいっそう

    好色な場面

としてあからさまに描いているのです。それをまだ八歳(今なら小学校1年生)の夕霧が見て、あれはどういう人たちなのかを父に問うのです。わかりやすくまだ幼い息子に説明していると、男たちは「源氏の君は買わなくったって

    よりどりみどり

だもんな」といささかふてくされています。
その時に光源氏は「愛は売るものではない、まして買うものでもないのだ」と夕霧に言うのです。
ここに私が書きますとほんとうにキザで、かえってイヤらしく感じる方もいらっしゃるかもしれません。噴き出した方もいらっしゃるかな。でも光源氏がいうとなかなかサマになります。イケメンはなにをやってもかっこいいです。
さて、光源氏が実際にそういうことを言ったとは『源氏物語』には書いてありません。つまりここは大和和紀さんの解釈なのです。
学者の作る注釈書にはこういうことを書くわけにはいかないのです。言い換えると、漫画でなくては味わえない面白さ、ということになるでしょう。

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喜ばせること 

ちょっとした連絡をする場合、世間並みに私もLINEやメール、あるいはFacebookやTwitterのメッセンジャーを使っています。
学生のころを思い出すと、そんなもの、何ひとつなかったわけですから、時代の移り変わりは驚くほどです。便利になったというのは、なるほどそのとおりだと思います。
私の友人にはメールすら使いこなせない人がいました。その友人はちょっとしたことでもはがきや手紙を書いてきたのです。はがきなど読むと1分もかからない内容ですから、メールで書いてくれたらお金もかからないのに、と思ったくらいです。
今どき、ほとんどの用はLINEやメールで済ませられます。ひと昔前なら「電話で済ませられます」といったでしょう。手紙などというものはもはや化石的な存在になりつつあり、郵便局はかなり困っているようです。暑中見舞いや年賀状もとんと出さなくなりましたが、まして時間のかかる手紙なんて時代遅れの感が強いのです。
しかし、用件はメールなどに任せれば伝わりますが、なかなかハートは伝わりにくいですし、下手をすると誤解を生むようなこともあります。何しろ「簡潔に」というのが重視されますから、文章を書き慣れていない人は短い文章の中では思いをうまく伝えられないこともあるのです。
そう考えると、今の時代に手紙を書くことは場合によってはとてもすばらしいことで、書いてから相手に届くまでに時間がかかっても価値のあるものだと思えてなりません。いや、時間がかかるからこそ、その時間の間のドキドキする思いも捨てがたいと思うのです。昔は

    ラブレター

というのを書きました。意を決して思いのたけを書いてポストに入れる。まだ相手には伝わっていないのに、もう取り戻せません。ドキドキします。期待もします。不安になります。そういう思いもなかなかいいものです。
人から何かを送ってもらった。そういう場合、今はメールで返事するのが当たり前かもしれません。しかしやはり感謝の気持ちを表わす手紙を書くのは相手にとってもうれしいものではないでしょうか。
私はずっと学生さんに手紙を書きましょう、という話をしてきました。
現実的なものとしては実習に行ったあと、御礼状を書くとして、どのように書けば失礼にならず、しかも相手に喜んでもらえるだろうか、そんなことを考えながら手紙を書くのはいいことだと思うのです。
アンパンマンの作者の

    やなせたかしさん

は「ひとはひとをよろこばせることが一番うれしい」とおっしゃったそうですが、これが手紙の極意かもしれません。
ところで、この記事のはじめのほうに書いた、何でも手紙で用件を伝えてきた友人はすでに亡くなりました。心臓病に始まって血液のめぐりが悪いとかで若年性の認知症になって、ついには親しい人の顔もわからなくなったまま亡くなったのです。今も彼が書いてくれた特徴のある字や文面を思い出すとそれだけでも目頭が熱くなってきます。

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江戸情七不思議、何と読む? 

私はほとんど目と文字でものごとを理解します。となると、文字を見てもこれはいったいどういう音なのかと首をかしげることがあります。
誰もが知っている有名人の名前があるとします。ほとんどの人はその人の名前を音で理解していると思います。しかし私はそれができないので、今の総理大臣の名前なんて、人さまがあの人を何と呼んでいるのかがわからないものですから、いつまでたっても「カン」だと思っています。新聞記事も「カンしゅしょうはまたあほなことをしました」と読んでしまうのです。声を出して読むわけではありませんから、誰も不審には思わないのですが、だからこそよけいに間違いを正すことができません。
昔の人の名前でも、この人こういう読み方でよかったのかな、と不安になることがあるのです。「そんなの、うそでしょ」と思われるかもしれませんが、

    「グレタ・トゥンベリさん

のお名前を口にするとき、『グレタ・トゥルンベリ』だったかな、などととまどうことがあるのです。ほとんど彼女の名前は文字で理解しているので、いざ口にしようとすると「どうだったっけ?」になるのです。
これは少し事情が違うのですが、最近とんでもないことを知りました。私が書いた創作浄瑠璃を野澤松也師匠は

    江戸情七不思議

としてプログラムなどにお載せになります。これはいったい何と読めばいいのか。実は以前松也師匠に「七不思議」は「『ななふしぎ』ですか、『ななつふしぎ』ですか?」とお尋ねしたことがありました。そのとき「『ななつふしぎ』です」と教わったのですが、これは「やっぱりね」と正しく理解していたのです。ところが最初の『江戸情』なのですが、わたしはこれをずっと「えどなさけ」だと思っていたのです。つまり全部で「えどなさけななつふしぎ」だと認識していたのです。それで、活字にしたときも、わざわざそのようにルビを振ってしまいました。
ところが、あるとき松也師匠がお使いになっている譜を拝見したことがあるのですが、表紙の『江戸情七不思議』の横に「えどななつふしぎ」とルビが振ってあるではありませんか。「なさけ」は要らないのか!
師匠はいつもタイトルをおっしゃってからお語りになりますので、お聴きになる方はあたりまえのこととして理解なさっているはずです。ところが私は知らなかった・・。自分の名前を読み違えていたような恥ずかしさでした。

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吉田玉五郎さん 

文楽の懐かしい技芸員さんに吉田玉五郎さん(1910~96)がいらっしゃいます。
明治生まれで、とても小柄な方でした。いかにも素朴な昔の人、という感じでした。玉五郎というお名前は二代目で、初代は二代目の師匠の吉田文五郎師が師事したこともあるかたでした。ただ、初代は著名な人ではなく、いきおいその名も大きな名跡になったわけではありませんでした。しかし玉五郎さんは「師匠の師匠、つまり大師匠の名前をいただいた」と、とても名誉なこととお考えになっていたようです。こういう律儀というかきまじめなお考えをなさるあたりがいかにも明治の方だと感じさせられたものでした。
昭和天皇が戦後に文楽を観に来られたことがありました。さすがに一大事とばかりに、公演を数日休んで稽古したうえで特別公演をおこなったようです。「千本の道行」のツレに幹部連中が並ぶような配役でした。演目はその道行(四代伊達、八代綱、三代玉助、二代紋十郎)と

    恋女房染分手綱

の「重の井子別れ」でした。このとき重の井が吉田文五郎、そして三吉を遣ったのがまだ桐竹紋十郎門下で紋司と名乗っていらした玉五郎さんでした。何と言っても「天覧公演」で、子役とはいえ重要な役をなさったのですから、玉五郎さんにとってはすばらしい思い出になったことでしょう。皇室に対して強い畏敬の念をお持ちの世代でいらっしゃいますからね。
お名前は吉田小文から桐竹紋三郎、紋司を経て文五郎師の門下になられた後、昭和二十六年に吉田玉五郎を襲名されたのです。最初の姓が「吉田」なのは、当時まだ紋十郎師が「二代目吉田簔助」だったからです。文五郎門下になられたのは、紋十郎師が組合派(のち三和会)に行かれたからでしょうか。
徳島のご出身でご実家は小作の農家、藍の仲買もなさっていたそうです、ご尊父が亡くなって働かねばならないというので大阪に出て、吉田玉市さんの勧めで文楽に入られたようです。
昭和46年に交通事故で目が不自由になられましたが、人形遣いとしてはその後も活躍なさいました。私が文楽を初めて観たころはもう目が不自由でいらっしゃったわけですが、そんなこととも知らない私はやや危なっかしいとは思ったものの、とてもそういう障害をお持ちだとは思いませんでした。そういうこともあって東京公演や地方公演にはいらっしゃらなくなり、大阪公演においでにならない方は相当ご年配でないとご存じないかもしれません。
私の文楽デビューのころ、すでにかなりの高齢に見えたのですが、たとえば文楽劇場開場公演のとき(1984年4月)でいうならまだ73歳。今の

    吉田和生さん

と同い年でいらっしゃったのです。私自身が若かったらでもあるでしょうが、昔の人は老けて見えたというか、貫禄がありました(和生さんに貫禄がないと言っているつもりはありません)。あの公演ではすしやの弥左衛門女房でしたが、まったく問題ない動きをなさっているように感じました。
玉五郎さんの演技なのですが、さすがに古い方ですので、あまりよくは覚えていないのです。記録や玉五郎さんの本(朝日カルチャーブックス『文楽 人形の魅力』)を見ればさまざまな役をなさっているので、主役級の役も拝見したかったとは思うのですが。娘首では「河庄」の小春、「恋娘」のお駒、「妹背山」のお三輪、「千本」の静御前、「堀川猿回し」のおしゅん、老女形では「寺子屋」の戸浪、「山科」のお石、「芝六」のお雉、「尼崎」の操、婆では「尼崎」の皐月、「合邦」の合邦女房、「引窓」の長五郎母、「腹切」の与市兵衛女房、「勘助住家」の勘助母、「すしや」の弥左衛門女房などがありました。その中で私がはっきり「よかったな」と覚えているのは『忠臣蔵』の与市兵衛女房で、「身売り」でのおかるとののどかなやりとりが楽しく、一方「腹切」での勘平に詰め寄るあたりなどとても意志のはっきりした女性を演じていらっしゃると感じました。「夏祭・三婦内」の三婦女房おつぎのような老女形も拝見しましたが、やはり私にとっては婆の首がよく映る方でした。

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NHKのプロ野球中継 

今年は五月になったと思ったら梅雨入りが発表されましたが、実際はたいしたこともなく、本格的な梅雨は6月半ばでした。自宅待機期間中の6月の初め、あまり体調のよくないことがありました。外に出ようにも容赦なく太陽が照りつけて暑くてたまらなく、午後は家で何もすることがなかったのです。それで、たまたま放送していたプロ野球中継を観ました。私が観るほとんど唯一のテレビ番組はスポーツ中継です。試合は、楽天生命パーク(仙台市)でおこなわれた阪神対楽天でした。
その中継の中で、アナウンサーが「この試合は

    楽天生命パークから

お伝えしています」と何度も口にして、さらに実況する場合にも「楽天は・・」「阪神は・・」とも言っていました。また他球場の経過を伝えるときも「オリックスが逆転しました」「ロッテの試合は」などという表現を用いていたのです。何でもないことのようですが、聴いているうちに(実際は字幕を観ているうちに)、昔のNHKの放送とはずいぶん違うな、と気づいたのです。
大相撲の中継を見ると、仕切りから立ち合いまではほぼアップで土俵を映しますが、その直前、行司が力士の名を呼び上げて両者が塩に向かうと、カメラはずっと引いて両者の対戦成績などが画面に大きく映し出されます。そして音声は場内の音を急激に絞って放送席のアナウンサーと解説者の声だけが聞こえるようになっています。実はその間、土俵上では呼び出しが懸賞の垂れ幕を持ってぐるぐる回り、場内放送では「この取り組みにはお茶漬けのりの永谷園の懸賞があります」(不正確です)などと懸賞金提供企業の名前を伝えているのです。しかし公共放送のNHKですから、特定の企業の広告になるようなことを避けるために垂れ幕を映さないようにして、企業名を読み上げる場内アナウンスの音を絞っているのでしょう。
ところが野球ではそんなことはありません。そもそもそんなことをしようとしても無理があるのです。球場のバックネットのあたりには大きな文字の広告がいくつも並んでいます。ここは、テレビカメラがセンターから打者を映すと絶対に移りこむようになっているのです。ずいぶん昔はバックネット裏にテレビカメラがあって主審の背中が見えるようなアングルで映していましたので、逆にセンターのフェンスに広告がありました。そんなわけで、NHKの放送でもバックネット付近のいくつかの企業の広告がずっと堂々と(!)映っていたのです。また、ベンチを映すとそこにも広告がいろいろ出ていますので自然に画面に入ってきました。私はそのベンチの上に書かれていた広告から、

    プリマハムが90周年を迎えた

ことを知りました(笑)。
放送でチーム名を言うときも、以前は「ヤクルト」「中日」のような親会社の名ではなく、「スワローズ」「ドラゴンズ」と言っていました。番組の始まるときに画面に映されるタイトルは「ヤクルト対中日」ではなく「スワローズ対ドラゴンズ」となっていたことを覚えています。
そこまで書いてふと思い出しましたが、アマチュアスポーツの場合、昔のサッカーの日本リーグなら三菱重工、ヤンマー、日立など企業名を言うほかはなかったですね。昨今アマチュアでもラグビーならパナソニック・ワイルドナイツ、サントリー・サンゴリアスなどという愛称がつきますが、それでもやはり「パナソニック」「サントリー」と言っているのでしょうかね。
さて、私が観た野球の解説は元阪神の藤川球児さんでしたが、楽天生命パークご自慢の観覧車に、試合前にその藤川さんが乗った映像も見せていました。ほかにもメリーゴーラウンドで子どもたちが楽しんでいる様子を見せたりして、お客さんに喜んでもらうことを意図したすばらしい球場だということも盛んにアナウンサーと藤川さんが話していたのです。しかし、よく考えるとこの会話は球場の宣伝のようにも思われてきました。以前なら純粋に野球の試合を放送するだけだったのに今はこんな風になっているのか、NHKのプロ野球中継もずいぶん変わったものだ、としみじみ感じました。

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オリンピックの野球 

私はオリンピックが開催されても閉会式の日まで反対しますし、開催中はテレビも新聞も観るつもりはありません。人さまとオリンピックについて話し合う気持ちにもなれません。ひとことで言うなら「うんざり」しています。
総理大臣は1964年の東京大会を回顧して「感動的だったなぁ」と国会の場で思い出に浸っていたそうですが、あの頃のオリンピックはもうありません。
東京大会は、私もあまりわかりませんが、戦後約20年になって、やっと日本が間違った戦争を反省して平和を志向してきた、そしてなんとか世界の国々の仲間入りをしてきた証としての価値があったのだろうと思います。当時はまだ東京も今のような窮屈な場所ではなく、東京にお住まいの方自身が、ちょうど『ドラえもん』の「のび太」くんたちが

    空き地で野球をしていた

ように、至るところで自由に走り回れた時代だったのでしょう。そんな時代に世界から最高クラスの陸上選手たちがやってきて、新しい競技場や整備された道を走る、というのはやはり感動的だったのでしょう。
のび太くんが空き地でやっていた野球がオリンピックの種目に入るとは思いませんでした。世界的に愛好されている種目ではなく、道具も必要、ルールも細かく、発展途上国ではなかなかできるものではないでしょう。もともと公開競技としておこなわれただけで、正式種目になったのは1992年バルセロナからの5回。2000年シドニーオリンピックでプロ選手の参加が可能になりましたが、公開競技時代のロサンゼルス大会以外で日本の金メダルはなく、最高が銀。直近の北京大会(2008年)ではメダルなしでした。今年行われるという大会ではプロ選手ばかり。本来のプロ野球を中断してまで参加するのだそうです。なんだか、

    リーグ戦のついでに

参加するみたいで、野球が好きな私ですが、ほとんど興味がありません。本来、ビール片手にのんびり観る競技で、オリンピック向きではないとも感じています。
この夏の大会に参加するのは日本、アメリカ、韓国、イスラエル、メキシコ、ドミニカだそうです。出場人数の制限という理由で出場国はわずか6か国。従来の8か国から減っています。イスラエル以外は環太平洋地域、イスラエルも中東の地。ヨーロッパの人にとってはなんら興味のわかない種目でしょうね。
幸いなことに、というのも変ですが、2024年パリ大会では種目にならないそうです。そしておそらくそれ以後も正式種目になることはないでしょう。私も、もう野球はいらないと思っています。

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