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一本足打法 

選挙当日に書くのもどうかと思いますが、よその話なので。
子どもの頃のヒーローはやはり王選手でした。私の子どもの頃は、プロ野球と言えば読売ジャイアンツ以外は放送もなく、子供向けの雑誌などで紹介されるのもほとんどがジャイアンツの選手。ほかの球団のファンになることが難しいくらいだったのです。私が知っていた選手の名前にはたとえば阪神の人はほとんどいませんでした。かろうじて村山実さんくらいです。ところがジャイアンツになると、王さん、長嶋さん、柴田さん、森さんなどの名前は知っていました。私は変わった子でしたので(自分で言うか?)、米田さん、梶本さん、岡村さん、長池さんら

    阪急の選手

は割合に知っていましたけれども(福本さん、山田さんらはもう少し後の選手です)。
さてその王さんと言えば、一本足打法で有名でした。当時はストレートとカーブが主体でしたから、ああいうこともできたのでしょう。とてもきれいでダイナミックなポーズでした。王さんの選手としての晩年になると、変化球主体になったこともあって、その一本足打法もずいぶん形が変わったように記憶します。
あれでホームランを(球場は狭かったのですが)800本以上打ったのですからたいしたものでした。
ときに、最近一本足打法と言われた人に前首相がいます。私は知らなかったのですが、なんでも「ワクチン一本足打法」と言われたとか(王さんが気の毒)。ワクチンワクチンというばかりで、トラベルキャンペーンもオリンピックもあたりまえのように実施した張本人ですから、そんな陰口をたたかれたのでしょう。ところが最近、あの人が選挙演説で「私はワクチン一本足打法なんて言われたのですが、ワクチンは効くのです」と言っていたそうです。本人は自画自賛したつもりのようですが、私には何を言っているのかわかりませんでした。ワクチンは効く、というのは世界中で言われていたことです(効かないという人もいますが)。ワクチンに対して批判する人はさほど多くありません。「一本足」というのは、ほかのことをまともにしないから言われているのに、この人、そこが

    全然わかっていない

のではないか、と不思議に思いました。以前からこの人の言うことは筋も通らないし、念仏みたいに同じことばかり言うと思っていましたが、ここにきてまた同じような不思議な論法を出してきました。
自分のしたことの中で比較的効果のあったことだけを過大に自己評価して、都合の悪いことは言わない。いつものことだな、とよその選挙区のことながらあきれていました。
神奈川県の人はあれに「なるほど」って思うのでしょうか。

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2021年文楽錦秋公演初日 

本日、文楽錦秋公演の初日です。
まだまだ正常な番組ではなく三部制です。

第1部 午前11時開演
蘆屋道満大内鑑(保名物狂、葛の葉子別れ、蘭菊の乱れ)

第2部 午後2時開演
ひらかな盛衰記(大津宿屋、笹引、松右衛門内、逆櫓)

文化功労者になられた咲太夫さんは「笹引」だそうです。
この段は悲痛な場面ですが情愛豊かに語られることと存じます。
葛の葉子別れは錣さん・宗助さん、松右衛門うちは呂太夫さん・清介さん。今回も「切」の字は番付に見えません。それはいささか残念です。

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長嶋さん 

今年の文化勲章、文化功労者の受章者が発表されました。
文楽からは豊竹咲太夫さんが文化功労者になりました。簑助師匠が引退されて、現役の最高峰に位置する方、と言ってよいのでしょう。
文楽では竹本住太夫師匠が文化勲章を受けられましたが、あそこまで行くのはかなり大変だと思います。咲太夫さんにおかれましては、どうかお元気で住師匠を目指してください。
文化勲章の受章者には歌人の岡野弘彦さんも含まれています。岡野さんは私が学生の頃からもうすでに大家の風格をお持ちの方でしたが、なんと御年97歳だそうです。大正十三年のお生まれですから、住太夫師匠と同い年ですね。岡野さんは三重県の神社の家柄で、神宮皇學館から國學院大學というコースを進まれました。歌人としては釈迢空(折口信夫)に師事された方で、國學院学院大学の教授も務められました。
そして野球の

    長嶋茂雄さん

も受章されるのだとか。実力も大した方でしたが、何よりも人気があって、ジャイアンツファンの人にとっては神様のような存在なのではないでしょうか。
球場に連れて行ったご子息を忘れて帰ったとか、空振りしたときに帽子を落とすためにわざと大きめの帽子をかぶったとか、奇人のような様々なエピソードでも知られます。
私はあまり強い印象がなくて、どちらかというと王貞治さんのほうがすごい選手だったという記憶を持っているのです。
脳梗塞で右半身が思うように動かせなくなり、ご不自由だと思います。しかし今でも野球場に行かれたりグラウンドにおりて練習を見たりアドバイスしたりもなさっているようです。
ご本人がよければそれでいいことなのですが、私はメディアが過剰に

    神格化

しているように思うことがあります。
この夏のオリンピックの開会式か閉会式かに駆り出された、という記事も観ました。若い人から見たら、私にとっての川上哲治みたいなもので、誰かわからない、という人もいたのではないか、昭和の人の演出、という感じだったのではないかな、と思ったりしました。ご不自由な体で、大変だったのではないかと余計な心配までしてしまいます。
ともかくも、おめでとうございます。

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祭の思い出 

先日の神社の秋祭で思い出したことがあります。
私はこのところ時間のある時は一日に一度は参拝するようにしており、今月も10回以上は行きました。なかなかご利益はありませんが(笑)、そんなことは気にすることもありません。
そうやって頻繁に行っているうちに思い出すことがいろいろあるのです。
以前、この神社のお嬢さんと社務所の近あたりで百人一首をしたことがあるのをここに書きました。あんなことも、やはりその場に行くから思い出すのでしょう。
子どものころ、というと当然阪神淡路大震災よりかなり前のことで、神社も今とは少し姿が違っているときのことです。
おそらく夏祭りだと思うのですが、境内に

    露店

が出ていて、小学生だったころ、それを冷やかしに行ったことがあります。お金がありませんから、友だちが遊んでいるのを見ているだけだったのです。その中に、同級生の鉄工所の子がいて、ずいぶん羽振りよくお金を使っていたのを妙に覚えています。一回10円くらいのゲームをしていただけですが、何度も繰り返していたのでよく覚えているのです。
そのうちに店のおじさんもそろそろ当たりを出してやろうかと思ったのでしょうか、この友だちが「当たった、当たった」と飛び上がっていた姿も覚えています。
私はいたって不器用でしたので(今でもそうですが)、

    金魚すくい

なんてやろうものならあっという間にポイをポイ捨てすることになります。仮にお金を持っていても誰かに頼んでやってもらうほうが無駄にならなかった、という不器用さだったのです。ですから、お金を持っていてもあれはだめだろうな、これは無理だな、と思っているうちにそのまま何もせずお金は家に持って帰ってしまうというお粗末さでした。
もうああいうお祭り、露店に行くことはないかもしれません。行ってもやはり金魚すくいはだめだろうな。

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厳粛な祭祀 

10月24日(日)の午前、私は近所の神社に行っていました。秋祭がおこなわれたからです。
鳥居をくぐった時はまったく人気(ひとけ)がなく今日で間違いなかっただろうかと心配になるほどでした。手水舎のあたりまで行くと、ぱらぱらと人の姿が見え、みなさん、変な方角に注目していました。何を見ているのだろうと思ったら、摂社の愛宕社に宮司さんがお参りしているところでした。一つ手前にある水天宮にはすでに参っていらしたのだろうと思います。例によって腰をカクンと折るようにして拝礼なさると総代の人たちはもちろん、一般の参詣者も同じようになさり、祭は進んでいきました。そのあと、社殿前で巫女さんの神楽。なさっていることの意味はよく分からないのですが、ゆっくりと神様に奉納なさっていました。
そして参拝者のほうに向きなおって

    

を振られます。参拝者は(もちろん私も)頭を垂れて浄めてもらいます。どうしても三番叟を思い出してしまいます。
そのあと、宮司さんが「どうぞ内陣へ」とでもおっしゃったのか、ぞろぞろとみなさん普段は入らない神様の前に入っていきます。そこではまたお神楽があります。
巫女さんはやおら太刀を手にしてそれを抜き、切って回るしぐさをなさいます。この神社は

    須佐男命

を祀りますので、おそらくヤマタノオロチを退治するしぐさを模しているのだと思います。
それが終わるとまた参拝者に鈴を振り、つつがなく厳かな祭りは終わりました。巫女さんはどなたなのでしょうか。何となく似た人を知っているような気もしました。
行ってよかったです。

(追記)
このお神楽は夜まで続き、「お神楽券」を持っている人が来られるたびに彼女は太刀を立ちを振っていました。

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今日は眞子さんの結婚 

別に、昨日の「グラジオラスの『球根』」に引っ掛けたわけではありません。今日、秋篠宮家の眞子さんが結婚されるそうです。
皇室に生まれるという、稀有な人生のスタートで、やりたいこともいろいろあったでしょうに、我慢することが多かったのではないかと推測します。成長してからは多くの人の目にさらされる日々が続き、二十代になると結婚問題があれこれ取り沙汰されるようになりました。
その中で彼女はこの人と思う人と付き合いを初めて、結婚の約束をしたようです。昔なら結婚相手は親をはじめとする周囲の人によって決められたでしょうが、昨今の皇族はかなり自由に相手を決めているように思います。眞子さんもまたそのようにして相手を決めたわけです。
ところが

    「売らんかな」の雑誌

を始めとするマスメディアやネット民が内情も知らないのにギャーギャーと声を上げるようになりました。他人の幸せは苦痛の種。特に眞子さんの相手の人がどこにでもいそうな男の子だっただけに、シンデレラボーイの誕生に対する激しいやっかみがメディアと結託するようにして非難の声を挙げ続けました。雑誌は売れる、ネット民は悪口雑言で留飲を下げる、テレビもそれに乗っかって「専門家」っぽい人と打ち合わせをして煽り立てる。あたかも国民の大半が反対しているかのように操作したように思います。
たしかに、皇族は「日本国民」とは微妙に違っていて、国民には等しく与えられている選挙権も持たない立場です。「婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立」(憲法第24条)するのですが、それもそのまま当てはめられるのかというと、そうもいかない事情があるでしょう。皇位継承権のある若者が海外留学して、そこでキャサリンという人と恋愛して結婚したいと言い出した場合、彼女は将来皇后になるわけで、はたしてすんなりと認められるものでしょうか。それでも眞子さんは微動だにせず

    意思を貫き通し

ました。あっぱれだったと思います。今後は結婚してアメリカで生活する可能性が高いそうですが、楽しいことも苦しいことも待ち構えているはずです。それは彼女の選択ですから本人も覚悟してもらわねばなりません。しかし少しでも楽しいことが多くありますようにと願わないではいられません。皇族として生きてきて、眞子さんは知らないことも多いでしょう。それを少しずつ覚えて市民として元気に暮らしてほしいものです。
それにしても「絶好のネタ」を失うことになる週刊誌は次に誰をターゲットにするつもりなのでしょうか。もうこんなことはやめてもらいたいと思います。

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グラジオラスの球根 

もう5年ほど前になるでしょうか、ホームセンターでグラジオラスの球根を衝動買いしました。と言っても安いものですから、ほかのものを買いに行ったついでだったのですが。育てるのが面倒ではないとのことでしたので、空いていた7号ポットに指定通りの深さに埋めてみると、やがて見事な花を咲かせました。やはりいいものだと思います。
グラジオラスは花が終わると新しい球根を作るために最後の力を振り絞ります。そして10月ごろになると葉が枯れてきて、古い球根は生気をなくしてしなびてしまい、新しいものが大きくなっているのです。
去年植えた球根からも葉が伸びて順調に成長していたのですが、花が咲く前に強風で

    茎が折れて

しまいました。当然花は咲かず、残ったわずかな茎とわずかな葉ではとても球根も育つまいと思いました。案の定秋になって彫り上げてみると直径2センチあるかないかの小さなものしかできていませんでした。新しい球根には木子と呼ばれる小さな球根がいくつもくっついているのですが、それよりひと回り大きい程度のものでした。もうグラジオラスも終わりかな、と思いつつ、その球根を一年間置いておいて、今年の6月ごろに植えてみました。葉は伸びてきたのですが、花茎は姿を見せません。やはりだめだったか、と思ったのですが、それなら球根を育てることに目標を変えて秋まで大事にしていました。それを先週の木曜日(21日)に掘り上げてみたのです。
すると、これまでで

    一番大きな

球根ができていました。新しい球根の下には古い球根がくっついでいるのですが、これがもう力尽きたというように小さくなってしまっていました。
それを見た瞬間、新しい命を作るために自分の身をすり減らしたようで、哀れに思う一方で、生き物としてのすばらしいお手本にも見えました。
生きとし生けるもの、かくありたいものだと思いつつ、我が身を振り返ると、何とも情けない人生を歩んできたことかと思わざるを得ません。幸い私には子どもがいて、彼らは悪の道に進むこともなく生きてくれているのが救いだなと思うばかりです。

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烈女袈裟御前 

遠藤盛遠、源渡(左衛門尉)、そして袈裟御前の話はあまりにもすさまじいものですが、それだけに人口に膾炙することになりました。
本来は『平家物語』のほんの寄り道のような話ですが、『平家物語』はこういう話の積み重ねのような性質も持っていると思われます。
もともとは文覚の発心の話ですが、いつしか袈裟御前にスポットライトがあたるようにもなりました。彼女が一番愛したのは誰だったのか。いろんな考えができるとは思いますが、後世、彼女はたいへんな

    貞女、烈女

として評判になり、多くの人の共感を得るようになりました。
江戸時代には『鳥羽恋塚物語』などの浄瑠璃になり、三代豊国とか芳年とか、多くの絵師が題材にしました。
近代では、芥川龍之介「袈裟と盛遠」、森田草平「袈裟御前」、菊池寛「袈裟の良人」、長田秀雄「袈裟の魂」などの作品に昇華しました。
貞女がもてはやされた時代にはまさに亀鑑たるべき人だったでしょう。
こんな話があります。芥川龍之介が『中央公論』に「袈裟と盛遠」を発表したあと、大阪の人から「袈裟御前と盛遠に関係があったと描いているのは、烈女たる袈裟御前の

    名を汚すもの

で、私はこの作品を評価しない」という手紙が芥川のところに届いたのです。すると芥川はすぐに「源平盛衰記にそういう記述がある」という返事を書いたそうです。
材料を吟味して書いた芥川の姿勢と、烈女のイメージを壊すのは許せないと考えた某氏の発想の違いがおもしろい話だと思います。
京都の伏見区下鳥羽城之越町にある恋塚寺は文覚が袈裟御前を弔うために建てた寺とされます。

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袈裟御前のはなし(2) 

盛遠十七歳、袈裟十六歳の三月に渡辺の橋供養が行われました。その時ふとしたことから盛遠は「世にありがたき女」を見かけるのです。素性を探ると、何と従妹にあたる袈裟でした。
盛遠は袈裟の母でもあるおばの衣川殿を訪ね、とんでもないことをします。
「自分がかつて袈裟を妻にしたいと言ったのにそれを叶えてくれなかった。あなたは私を殺したも同然だ。だから今、あなたを殺してやる」といって衣川殿に刀を突き付けました。衣川殿はさすがに恐ろしくなって、袈裟と逢わせると約束します。
盛遠が家に帰ったあと、衣川殿は袈裟を呼び寄せて事情を話すのですが、袈裟は母のためにと言って盛遠と一夜を過ごすことを承諾するのです。彼女には腹案がありました。
袈裟は盛遠に思いがけないことを言いました。「実は、夫の渡とはうまくいかず、逃げたいと思うこともあるので、

    夫を殺して

くれませんか」というのです。
「今夜、夫には髪を洗わせて、そのうえお酒を飲ませて寝させます。髪の濡れているのを目当てに殺してください」と、その手立てを語ると、盛遠は承知します。
その夜、袈裟は夫とお酒を飲みかわします。そして夫を休ませ、自分は髪を濡らして烏帽子を枕元に置いて臥しました。
そうとは知らず、盛遠はやってきます。暗いですから、人の気配がすることしかわかりません。枕元に行くと、脱いだと思われる烏帽子に触れます。そしてその人の頭に触れると濡れているのです。
これだ、と思って盛遠は無残にも袈裟を殺してしまうのです。
首を持ち帰った盛遠はしてやったりの思いでした。ところが、家来が思わぬことを報告するのです。「源左衛門尉渡さまの奥様が首を切られたそうです」とのこと。盛遠はあわてて首を確かめると間違いなく袈裟のものでした。

    愕然とした

盛遠は自分のしたことを省みて覚悟を決めます。
渡のところに行って、事実をすべて話し、自分を斬ってくれと頼みました。
しかし渡は「あなたも袈裟の菩提を弔ってください」と言って二人はともに出家したのです。
これが文覚上人だというわけです。

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袈裟御前のはなし(1) 

私が四年制大学の国文科で初めて教えたのは某女子大の非常勤講師としてでした。
当時短大というとどこか嫁入りや就職の肩書づくりのような雰囲気があって、話をしていてもあまり反応は良くなかったのです。
しかしさすがに四年制の国文科ほんとうに文学が好きで来ている人がいました。
その最初の教え子に当たる人の中でもピカイチだった人は今もメールなどでやりとりがあって、実はこのブログでもしばしば

    押し得子

のハンドルネームでコメントをくださっています。
彼女は私が初めて教室に行った時から覚えているような熱心な人で、成績もよかったはずです。
その彼女から先日芥川龍之介『袈裟と盛遠』を一生懸命読んだというようなことをメールで教えてもらいました。
実はこのところ私は袈裟御前と遠藤盛遠について興味を持っていた折でしたので、何たる偶然、と思ったところでした。
遠藤盛遠はのちの文覚上人のこと。『平家物語』にも「文覚荒行」のくだりがあります。
この人がなぜ発心したのかについて、『平家物語』の語り本系とされる、要するに我々がすぐに手に取ることのできる本にはその理由が書かれていません。ところが、読み本系の延慶本『平家物語』や『源平盛衰記』などにはかなり詳しく書かれているのです。
有名な話ではありますが、ここでは『源平盛衰記』巻十九の

    「文覚発心の事」

によって、それを略述しておきます。
この章段では「文覚道心の起りを尋ぬれば女ゆゑなりけり」といきなりドキッとするようなことが書かれています。
遠藤盛遠には東北の衣川に縁付いたおばがいました。この人は今は都に戻っていて、衣川殿と呼ばれて一人で暮らしているのですが、娘がいます。名を「あとま」と言いましたが、「袈裟」とも呼ばれていたのです。
衣川殿も美人だったのですが、娘がまた大変美しい人で「毛嬙(もうしょう)西施が再誕か観音勢至の垂迹か」と言われるほどだったのです。この人は源左衛門尉渡という人と結婚したのですが、その平穏な生活は長くは続きませんでした。

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芥川と女殺 

芥川龍之介は芝居も好きで、よく観に行ったばかりか劇評も書いています。東京日日新聞に書いたものを芥川全集で読むこともできます。
劇評ではないのですが、芥川の『百艸』に「有楽座の『女殺油地獄』」という文章が収められています。有楽座は日本最初の全席イス席という劇場で、有楽町駅の近くにありました(関東大震災で焼けてしまいました)。有楽座では、吉井勇の「河内屋与兵衛」も上演しています。
その文章の中で彼はどんなことを書いているのでしょうか。芥川はその芝居を見ただけでなくそのあと近松のテキストも読んだようです。そして与兵衛については「純然たる不良少年」「金箔付きの不良少年」「物騒な半狂人」などと評し、「有りとあらゆる悲劇は悉く此の與兵衛の一人の病的悖徳性(はいとくせい)から起つてゐる」「女殺油地獄の悲劇は與兵衛と云ふ例外的人格さへなかつたなら決して起らなかつたらうと云つても好い譯である」と徹底的に与兵衛の人格を問題にします。
そして「向う三軒兩隣」には起りさうもない悲劇」で、「我我

    ノオマルな人間

が自ら省みて戦慄すべき悲劇だとはちと考へられない」と、必ずしもいい評価をしていないように思われます。
とはいえ、彼は近松の技量をけなしているわけではなく、「テクニイクは大の字のつく戯曲家たるに恥ぢない程、如何にも手に入つたものである」といっています。
ただ、その結果、「不良少年たる河内屋與兵衛の性格が餘りに活潑潑地に躍動してゐるものだから、自分の如きものには最後の與兵衛の悔恨でどの程度まで本當だか聊か判然しない憾がある」と戸惑っているようです。
芥川は与兵衛のお吉殺しの動機も金のためというのは与兵衛の口から出まかせであって「實はあの油屋の細君を口説きそくなつた

    一時の腹立ち紛れ

か何かだったかも知れない」と推測しています。
芥川にとってはなかなかショッキングな芝居見物で、あれこれ考えたのだろうな、と想像が膨らみます。

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文楽はどこへ 

日常生活から文楽が離れています。
こんな日が来ようとは思いもよらぬことでした。
かつては、週に三日くらい劇場に通っていて技芸員さんから「そろそろ定期券買ったら?」と冷やかされたこともあります。
生活の問題もあり、心身の体調に加えてこのウイルス騒動で文楽に限らず

    前に進む気持ち

が失せています。
それ以外にもいろいろ原因があって、何をやってもうまくいかない現状です。
文楽どころではない、というのが正直なところなのです。
逆に言えば、文楽というのがいかに健康な生活に欠かせないものであったかが思い知られるのです。
また、明るい気持ちで劇場に行ける日が来ますように、と願いつつ、なんとなくもうそういう日は来ないのではないかという予感もあります。
雨のち晴れになりますように。

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気温の変化 

日曜日(10月17日)に急に気温が下がりました。
雨のあとで晴れていたので、日向は暑いくらいだろうと思って出かけたら、風がきつく、かなり冷えました。
つい先日までは最高気温が30度を伺うようなところまで行っていたのに、急に20度前後とか言われると身体がついていけません。
何となくまずいかなと思うような体調で、また昨日の月曜日に出かけたらどうも熱っぽくていけません。このご時世、熱があるとすぐにウイルスか、ということになりますので、気になっていますが、たぶんそれとは関係なく冷えただけのことだろうと思います。しかしどうもすっきりせず、声を出すと嗄れるような感じがして、

    前に出ない

感じがするのです。
帰宅して熱を測ると

    平熱

でした。まあ、何とかなるかな、とは思いつつ、持病のある身ですのであまり無理はできません。
このブログの記事もあっけなく終わることにします(笑)。

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朝顔の種 

6月ごろに蒔いた朝顔の種はわずかひとつ。しかもとても小さなものでした。
子の種から芽が出るのだろうかと思っていたら本当に見事に伸びて、数多くの花を咲かせてくれました。
しかしそれもそろそろ終わりに近づいているようです。5か月足らずの間、ありがとう、と言いたいです。
さて、今年は、去年とは打って変わって種も豊作です。今これを書いている時点(10月17日夜)で

    226個

の種が採れています。まだかなり採れそうですので、300個に届くかもしれません。。
もう一つ、やたけたの熊さんからもらった種も蒔いたのですが、こちらは少し遅かったので、伸びるのも遅れ、種の量はそれほどではありません。それでもまた来年蒔ける分は採れそうです。
最初に採った種は実の中にたった一つしかなく、しかもとても小さかったのですが、このところは大きなものが多く、いきおい数も多く、ひとつの実から7つくらい採れるのもありました。
それにしても、こんなにたくさんの種をどうしよう(笑)、というのが今のぜいたくな悩みです。
捨ててしまうのももったいないし、かといって蒔けるスペースはありません。
来年になったら、家の門の前に小さな袋をぶら下げて、その中に

    10個ずつ

くらい入れておいて「ご自由にお持ち帰りください」ということにしようかとも思っています。
あるいはきれいな袋に入れて、一袋50円くらい(笑)にして、チャリンとコインを入れてもらう筒でも置いておこうかな。
ともかくも、また来年も朝顔を蒔きたい、と思わせてくれる成果でした。

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国民の意見 

いつの間にか「七条解散」というのがあたりまえになっているようです。私は法解釈などには疎い者ですが、あんな勝手なことが許されるのだろうか、とさえ思っています。通常、解散というのは、内閣が不信任された場合国民にその不信任が妥当かどうかの信を問うためにおこなわれます。しかし、いつのまにか、総理大臣の特権のようになってしまい、与党に有利な時に解散するという悪習が生まれたように思います。もっと言うと、あれは憲法解釈を恣意的に曲解した違反行為なのではないかとも思っているのです。学者にもいろんな意見があるそうですが、納得している学者はどういう人たちなのだろう、と不思議です。憲法を改正するなら、あの七条をはっきりさせてほしいと感じます。
それでも先ごろ衆議院は解散されました。昔々、吉田茂首相時代に「バカヤロー解散」というのがあり、その後も新聞社などのメディアは「○○解散」というのを決めているようです。「死んだふり解散」「ハプニング解散」「追い込まれ解散」などさまざまです。今回は何の大義もなく、任期切れ寸前に「どうだ、私は解散権を行使したぞ」と言いたかったのではないかと邪推してしまいます。総理大臣としての最初の仕事が解散って・・・。
今回の解散にも、メディアは一生懸命枕詞を考えているようですが、こんな解散なんて、単なる

    一週間前解散

ではないでしょうか(笑)。どうしてもというなら「仕事始め解散」「やってみたかった解散」というところかな・・。
私は解散があった日の午後、薬局にいたのですが、テレビが流れていて、例によって街頭インタビューが行われていました。何を言っているのか、詳しいことはわかりませんでしたが、東京の

    新橋駅前

あたりでスーツをびしっと決めたビジネスマンらしき人に質問していたように思います。「選挙に何を期待するか」「どういう枠組みの衆議院がいいと思うか」などの質問をしていたのかもしれません。そういう人は政治への関心も高く、返答もきっと「経済の観点から言うと」とか、「憲法を改めることについては」などの立派なものなのだろうと想像していました。
しかし国民は多様です。もっと若者の街にでも出ていって、あまり政治に関心のなさそうな人にインタビューしてみるのもいいかもしれません。ふざけたことを言う人もいるでしょうが、それをそのまま放送すれば、世の中の多くの人がいかに政治に無関心で「どうでもいい」と思っているかをまざまざと伝えることができるのではないかとも思いました。
それではニュースにならない、ということになるでしょうが、その時点で演出が入ってしまっていることになり、真実を報道してはいないとも思えます。しかし、ほんとうにそういう人たちを電波に乗せたらいっぱいクレームが来るんだろうな、何だか変だな、と思ったりしています。

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学者の言うこと 

学問をしている人、しかも相当深く研究している人の言うことはかなり説得力があります。もちろん完璧ではありませんからそういう人でも間違ったことを言う可能性もあるのです。それでも、あるテーマに打ち込んで勉強してきたことは伊達ではないと思います。私のようなものは三文の価値もありませんが、人品賤しからず学問もできる人というのが稀にではありますが必ずいるものです。私を見て世の中の教員というのはこの程度のものだなどと思わないでいただきたいのです。
先日発表されたところによりますと、ノーベル賞の物理学部門で、今年は日本人の

    真鍋さん

という方が受賞されるとのことでした。「日本の」ではなく「日本人の」と言ったのは、この方はもっぱらアメリカで研究され、一時、日本で仕事をなさった時もやはりアメリカがいいとすぐにあちらに帰ってしまわれ、今後も日本には帰りたくないとまでおっしゃっているからです。理系の学問は日本ではやりにくい、というのは以前から言われていますが、改めて浮き彫りにされたような気がします。
どういう研究をされているのか、あまりよくは知りませんが、この方のインタビューが新聞にいくらか出ていましたので読んでみました。
気になったポイントは三つでした。ひとつは、日本では研究しにくい、費用が出ない、という上記の問題です。次に、日本の学校教育は

    好奇心を育てる

ものになっていないと指摘されていたことです。これは理系に限りません。高校の国語の授業には、実務的な文章を入れて文学的なものを外すことになりました。こういう「役に立つ」という目先のことを考えた「教育」は間違った方針によるものだと思います。学生に聞いた限りでは、高校の現代文の教科書で覚えているものというと『舞姫』『山月記』『こころ』が定番でした。いずれも少し前の時代の名作で難しい面もあるのですが、「エリス」という名や、虎になった男の「あぶないところだった」というつぶやきや、「先生」の苦悶は多感な高校生によく響くのだろうと思います。私自身、『山月記』を読んだときの感銘は忘れ難いものがあります。また、高校での教育実習で志賀直哉の作品を授業しましたが、生徒が食いついてくるのがよくわかりました。短歌や俳句でもよく話すとおもしろがって暗記したり、中にはパロディを作って遊んだりする生徒もいました。
真鍋さんの話でもうひとつ気になったのは、政治が学者の声に耳を傾けないことです。日本では気に入らない学者を学術会議から外すという横暴すら行われています。新しい総理大臣になった人は、こういうことをどう考えるのでしょうか。「いやぁ、それは前の人がやったことですから」なんてたわけたことを言っていては、単なる

ボンクラ三世議員

と言われてしまいます。「日本人を拉致したのは前の人ですから」と言ってにやにやしている人と何ら変わりないと思います。
受賞という慶事があった場合、よく総理大臣がわざわざ記者会見の会場に電話して、しらじらしくお祝いを言ったりして点数を稼ごうとします。電話する直前に「この人はどういう研究者で何をほめればいいのか」を周囲の人に聞いてはそのメモを棒読みしているのではないかと想像しています。しかし、学者のいうことをまともに聞かない政治家がいったいどのツラ下げてお祝いを口にするのか、と私は腹立たしく思っています。
学者も間違いを犯します。しかし、それでも信頼のおける学者のいうことにはしっかり耳を傾ける必要があります。

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緊急事態が明けて 

9月いっぱいで緊急事態宣言が明けて、少しずつ通常の生活が戻りつつある・・ようです。「ようです」というのは、私自身は何ら変化がないので、実感としてはわからないのです。
どこに出かけるわけでもなく、田舎の町でひっそり暮らしていますので、何がどのように変わったのか、よくわかりません。居酒屋なんてまったく行っていませんから、そこが何時まで酒類の提供をしているとか、そういうことも経験していません。何しろ、私の場合、ウイルスに取り憑かれたら一巻の終わりですから、人と会わない、人に近づかない生活です。しかし、これはそれ以前から変わらないことです。仕事場に行っても誰とも話しません(話せません)し、買い物をしても最近は何も言わなくても勝手にものを取ってレジに持って行ったら、あとは自分で精算機にお金を入れるだけで、人との交流のない生き方になってしまっているのです。
やはり世の中が明るくなったと思うようになるのは、

    美術館

に心置きなく自由に行けるときでしょう。思い返しますと、ウイルスが日本にも来たとされた直後の昨年2月に、私は東京国立博物館で押すな押すなの中にいました。ここはまだ大丈夫なんだね、と思っていたのですが、その直後に博物館は休館になりました。それ以来、私はほとんど美術館に行っておらず、わずかに一度、大阪中之島の国立国際美術館のロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行っただけです。
今年の夏には、京都市美術館で

    上村松園

の展示があり、行きたくてうずうずしていたのですが、あのころは感染のひどい時期でしたのであきらめたのです。そしてそのまま、10月になっても今のところどこにもいっていませんので、何ら変化がなく、まだ「ウイルス怖い病」のままです。来年は、夏に大阪市立美術館に行きたいと思っています。そのころまでには恐怖心が収まってほしいものだと切実に思います。
昨年、日本にウイルスがやって来たとき、何となく「(数か月後の)夏までには収束するのではないか」と思っていました。しかし案に相違して一年以上経っても「まだまだ」と言われています。政治家がすべて悪いとは言いませんが、ウイルスのことなど何も知るはずもない彼らが行き当たりばったりで対策を講じていましたからうまくいくわけはなかったのでしょう。
緊急事態が明けて、いくらか世の中が落ち着いたのだろうとは思います。しかし何も実感していない私はまだ怯えている状態です。

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イチゴ栽培 

「くだもの」は「く(木)」「だ(~の)」「もの」のことで、木になる実をさします。前に書いたかもしれませんが「毛の動物」を意味する「けだもの(毛のもの)」と同じ語の作り方になっていますね。「だ」は「な」と同じで、「まなこ(目な子=目の子)」のように「~の」を意味します。
くだものは古来重要な食糧であり、また甘味があるためにおやつやデザートのように愛されました。
イチゴは「木のもの」ではありませんので、「くだもの」ではありません。やはり野菜の部類でしょう。それでも、あの甘酸っぱいおいしさは「野菜」という言葉の持つ青臭さとは別のもの、

    くだものに近い味わい

を持つとしか言いようがありません。
この秋、何となくイチゴを栽培してみたいと思うようになりました。これまで、栽培には不思議に縁がない「野菜」でした。
幸い、鉢が空いています。それほど土の量も必要ではなさそうで、これで十分だろうと思います。土は「いちごの土」というのを売っているのですが、何だか妙に高くて、手が出ませんでした。土は大事なので、最初から少しつまずいたことになります。しかたなく、古土に堆肥を入れて少し元気にしたものに化成肥料を混ぜ込んでこれでOKということにしました。
さて肝心の苗なのですが、ホームセンターに行くといろいろな種類があります。その中から、「宝」塚市で「交」配されたのでその名が付いたという

    宝交早生(ほうこうわせ)

という品種を選びました。宝塚市はイチゴの産地でもあります。
さて、イチゴの育て方なのですが、まったく知りません。頼りになるのはやはり「NHK みんなの園芸」「サカタのタネ」のHPとか、そのたさまざまなネット情報です。おもだったところをプリントアウトして暇なときに熟読しています。「ランナーがこうなっている苗を選びなさい」などという情報を頭に入れてホームセンターに行き、植えるときに「クラウンはこのようにして植えなさい」といわれたらそのとおりにする、というまことに従順な生徒です。
さあ、うまく育つのでしょうか。まったくわからないままのスタートです。

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人称代名詞 

英語なら「I」「you」「she」など、日本語なら「わたし」「あなた」などを人称代名詞と呼ぶことがあります。日本語では三人称代名詞はあまり明確ではないように思います。軽侮の念をこめて「やつ」「きゃつ」などということはあるでしょうが、敬意を込める場合はあまり使わないでしょう。二人称も英語のように頻繁には用いず、「(姉に向かって)お姉さんはそうおっしゃいますけどね」「(教師に向かって)先生はどうお考えですか」などと、自分から見た相手の立場を示す語を用いることが多いでしょう。「あなた」はかなり親しい人でないと使わないと思います。古くは「あなた」は敬意の対象になる人物への二人称として用いられましたが、今では敬意を失ってきていると思います。「貴様」なんて、その典型でしょう。これは、二人称代名詞が敬意と相容れないことを示すのではないかと思います。言い換えると、二人称代名詞を用いている時点で敬意がないと思われ、そこで「おまえ」「きさま」などのようにとてもていねいな言い方で二人称を表すようになったのに、やがてそれも

    敬意が自然消滅

してしまったのではないでしょうか。一人称も「われ」「まろ」「よ」などが古い言葉にありますが、これらは今や一人称代名詞としては用いられなくなっているでしょう。現代語でも、方言を含めると「おれ」「わし」「おいら(俺ら)」「あたし」「うち」など多種多様な一人称代名詞があります。一時は、男性は「ぼく」女性は「わたし」が共通語的に多く用いられましたが、男性の「ぼく」は子どもっぽい言葉になっていき、男女を問わず「わたし」が社会で通用する「大人の言葉」として今に至っているようです。
人称代名詞を調べて整理された研究はありますが、私はよく知りません。ここではそういうことを分類する意図はないのです。実は、創作浄瑠璃を書く時、しばしばこの人称代名詞で悩んでしまうことがある、という話なのです。
最新の浄瑠璃を書いた時、妻が亡き夫に呼びかける語としては何が一番適当だろう、というところで考え込んだのです。『曽根崎心中』に「われとそなたは夫婦星」とあり、「そなた」も考えました。しかしこれは徳兵衛(男性)がお初(女性)に言う言葉で、同等か、やや見下したような相手に使う言葉です。これを夫に対して使うのは当時の常識からは外れるのではないか、と考え除外しました。「そなた」に対して敬意を含む語には「こなた」がありました。しかしこれもやがて敬意は薄らいでいきます。どうも二人称は使われているうちに敬意が失われるという力が働くようです。そこで「こなた」に代わって用いられたのが

    「あなた」

でした。本来の意味は「こなた」は「こちらがわ」、「あなた」は「あちらがわ」で、方向・位置を示すものですが、「こなた」は近い関係を感じさせ、「あなた」は遠慮するような遠さを感じさせると思います。それで、その「遠慮」が敬意につながっていったのではないでしょうか。
いずれにせよ「あなた」ならかなり敬意が増します。また、「おまへ」も江戸時代なら十分敬意を持った二人称として使えると思います。やさしい妻が夫に掛ける言葉として適切なのはこのあたりかな、ということで、煮詰まってきたのですが、さてそれならどちらにするか、というのが最後の問題でした。あとは語感も大事なので、「わたしとあなた」「わたしとお前」のどちらがいいか、聴いた耳にどちらがすっと入りやすいかを考えました。ここから先はもう感覚的なものなのですが、私は「お前」のほうがやや「親しみのある敬意」に思え、こちらを選ぶことにしたのでした。
もっと江戸時代の言葉になじんでいたらこういうことは何の苦もなくわかるのでしょうが、そこはやはりしろうとの浅はかさということになります。

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鶴を食べる 

鹿を「紅葉」、猪を「牡丹」というように、鶏肉も「柏」と呼ばれることがあります。今の若者はそういう呼び方をほとんど知らず、「おばあちゃんが『かしわを食べる』と言うので、何のことかわからなかった」と不思議そうにしていたのを聞いたことがあります。鶏肉はケンタッキーフライドチキンなどもあって、若者に大人気、栄養面でもすぐれているそうですね。
鳥の肉は古くから食べられていました。平安時代の貴族もキジ肉などをよく食べたようです。彼らのタンパク源は魚と鳥だったと言えるかもしれません。
私は御免蒙りたいのですが、伏見稲荷の門前には雀の丸焼きの店があります。私は広島で仕事関係の人が注文して食べていたのを目の当たりにしましたが、「君もどう?」と言われた瞬間、「いえ、けっこうです」とお断りしました。江戸時代の人は

    雀も鳩も

食べました。雀は屋台の蕎麦一杯分ほどの値で売られたようです。鶏卵も食べられたのですが、今と違ってかなり高額で、およそ今の10倍ほどの値段だったようです。ほかにも、鴨、雉、鶉(うずら)なども食用になりました。これは今でも食べられますね。
珍しいところでは鴇(とき)というのがあります。トキは一時絶滅の危機に瀕した「ニッポニア・ニッポン」の学名を持つ鳥ですが、江戸時代は絶滅どころか害鳥扱いされるほどだったのです。この鳥は産後の滋養のために「トキ汁」として食べられるなど、限定的な食材だったようです。
江戸時代には珍味とされた「三鳥二魚」というものがあります。二魚は「タイ」と「アンコウ」でした。「三鳥」は「鷭(ばん。クイナの仲間)」と「ヒバリ」と、もうひとつは

    

でした。鶴を食べるというのは今の感覚ではよくわからないと思うのですが、当時も常食とするものではなかったようです。オランダ商館の医師として著名なフランツ・フォン・シーボルトは1826年の江戸の物価についての記録を残しています。そこには鳥の値段も記されており、「ガン 二分」「カモ 一分」「サギ 三百文」「シギ 三百文」などと見え、「ツル」に関しては「賣物ニナシ遠国ヨリ塩ヅケニテ奉ルアリ大抵二両位」と記されています。売り物としては見当たらず、遠国から塩漬けにしたものを届けたようで、値段は二両くらいとかなり高価でした。まさに珍味だったのでしょう。
今のリストの中に「サギ」もありました。落語に「鷺取り」がありますが、あの登場人物は(江戸時代であればの話ですが)欲張らずに2,3羽だけ獲っておいたら、けっこういい値段で売れたことになります。

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江戸のジビエ 

学生のころ、友だちに「ゲテモノの店に行こう」と誘われたことがありました。「ゲテモノ」は言い過ぎだと思います。今なら「ジビエ料理店」とでもいう方がいいのかもしれません。熊、鹿、ウサギなどの肉を食べさせる店だったのですが、好んで食べるものではない(笑)というのが私の感想でした。ただ、最近は獣害というのが問題になっていて、もちろん彼らにしたら食べ物があるから食べているだけで罪の意識などあるはずもないのですが、農家の人から見れば「害」になるのですね。そこで、それらの獣をワナにかけたり猟師が狩ったりしてその後食肉にするということがおこなわれているようです。落語に「池田の猪買い」がありますが、大阪府池田市の山の手の方ではイノシシ猟が盛んで、今でも牡丹鍋の店というのはわりあいによくあると思います。
明治になるまでは、原則として四つ足動物は食べませんでした。もっともそれは「原則」であって、鹿はわりあいに食べられていたようです。『粉河寺縁起絵巻』はシカ猟をする人物が前半の主人公で、絵には鹿の皮を干している場面や鹿肉を食べている場面も描かれます。ただし、彼はあるとき狩猟をしていて何やら光を放つ場所を見つけ、そこに堂宇を建立することにします。すると、一人の童子姿の行者がやってきてそのお堂の中に七日間で仏像を造ると言います。七日後に行ってみるとそこには

    千手観音

がありました。これが粉河寺の起源だというのです。余談ですが、後半の話はある長者の娘の病気を行者が治し、実はこの行者は千手観音の化身であったことがわかるのです。この長者の末裔は東大阪の塩川家だと言われます。塩川さんと言えば、最近では衆議院議員になった正十郎氏がいらっしゃいます。
話がそれました。江戸時代までは獣肉は食べなかったと言いながら、実際はそうでもなかったのです。「薬食い」などといって、あくまで滋養のために食べるのだ、ということにしていたのです。明確に猪や鹿を食べるという言い方はしませんでした。猪は牡丹、鹿は紅葉と呼ぶようにしていました。
歌川広重の『名所江戸百景』のなかに「びくに橋雪中」がありますが、ここで大きく描かれている看板の文字に

    山くじら

とあります。これも猪のことです。江戸の人たちは獣肉のことを「ももんじ」とも言いましたが、今でも東京のJR両国駅から南西方向、両国橋のすぐ東側の京葉道路沿いに「もゝんじや」という店があります。大きな猪の看板が目印です。こちらは「山くじらすき焼き ももんじや」と名乗っていらっしゃいます。

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インスタグラムのおかげで 

私は今もSNSで若い人たちと交流を持つようにしています。ところがこのブログを読む人は少なく、中年以降のたまり場と揶揄されるFacebookにはさすがに参加する人がいませんので、最近はインスタグラム(Instagram)を使うこともあります。
Facebookにもこの機能ができましたが、インスタが元祖の「ストーリーズ」の機能を使うこともしています。ストーリーズは1枚から複数の写真が少し時間をおいて次々に現れます。この機能を使うと、クイズができるのではないかと思って1枚目の写真でクイズを出し、2枚目は「正解は・・」とだけ書いた写真を出し、3枚目に解答を書く、というようにしています。内容は歴史で、この秋は江戸時代の歴史から、庶民の暮らしについて問題を出しました。なんだかんだで3週間ほど続けたと思います。ストーリーズは24時間で消えてしまいますので、何日続けたのか記憶があやふやなのです。
先日このブログで江戸時代の生活について書きましたが、あれと同じことや少し違った内容を写真で紹介したのです。このブログだと「読むのが面倒だ」と思う人でも、わずかな時間で短い言葉と写真のみを使って、次々に自動的に出てくる機能ですから面倒ではないと思ったのです。
すると、おもしろい現象がいくつかありました。以前フォロー関係にあった人で(おそらく彼女がプライベートなことをたくさん書くようになったからだと思うのですが)いったんフォロー関係を外された人がいるのです。その人がまたやってきました。おそらく彼女の友だちが「あのせんせ、また

    クイズ始めたで」

とでも言われて「じゃあまた見ようかな」ということになったのだろうと想像しています(昨年も同じようなクイズを出したのです)。
また、若者ばかりか、ご年配の方々も見てくださるようになりました。そして、「文楽などの伝統芸能が好きなのでフォローしています。『フィガロ』も観ました。このクイズも毎日見ています」というメッセージをくださった(まったく面識のない)方がありました。こういうのはやはり嬉しいです。
さらにびっくりしたのは、久しく音信のなかった卒業生から「毎日見ています。ところで、私、

    結婚しました

というお知らせをいただいたのです。彼女はもう30代の半ばくらいになったと思うのです。他の卒業生が軒並み結婚していましたので、何となく「彼女はどうするのかな」と思っていました。早速「おめでとう」と返事をしたのですが、それにまた返事があり、とても幸せそうな雰囲気が伝わってきました。
フォローの復活、面識のない人とのやりとり、結婚の報告・・いずれも、歴史クイズの思わぬ成果でした。

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天満天神繁昌亭 

もう15年前になるのだそうです。大阪の天満宮に落語の定席ができる、というのでかなり話題になりました。天神橋筋商店街連合が上方落語協会と手を組んで、天満宮が提供してくれた場所に建てたのが繁昌亭です。
当時の上方落語協会会長は桂三枝(現・六代目文枝)さん(以下、すべて「さん」付けします)で、この方が大御所の三代目桂春団治さんを人力車に乗せて練り歩くというパフォーマンスもなさいました。高座には桂米朝さんの「楽」の額が掛けられました。当時の落語界は、五代目桂文枝さん、桂枝雀さんはすでに亡くなっていましたが、米朝、春団治、露の五郎兵衛、笑福亭仁鶴、林家染丸、桂三枝といった方々は健在で、次世代の若手も次々に頭角を現していた時代だった・・のだろうと思います(はなはだあやふやです)。
私が一番熱心に落語を聴いていたのは概ね30代で、私にとっての若手というと少し年長の六代目笑福亭松喬さん、笑福亭松葉さん(七代目松鶴を追贈)、あるいは

    桂吉朝さん

らで、それ以降に活躍している人は耳の病気のためにあまりよくわかりません。松葉さん(1996年没)も吉朝さん(2005年没)も松喬さん(2013年没)も若くしてガンで亡くなりました・・。
今、気が付いたのですが、繁昌亭ができたのは吉朝さんが亡くなった翌年にあたるのですね。私はこのころはもう落語を聴かなくなった、いや聴けなくなったころで、「私の繁昌亭体験」というのは前まで行って「ああ、これなんだな」と思っただけで通り過ぎる、というものでした。
2018年には神戸に

    喜楽館

もできて、落語がさらに人気を高めることになったのだろうと思います(はなはだあやふやです)。
私がよく行った落語会は「○○師匠の一門会」「○○さんの独演会」「若手の勉強会」などで、たいていホールでおこなわれていました。繁昌亭のような、噺家さんが身近な落語会もありましたが、そういう場所は仮設高座が多かったように思います。そこに行けばいつも落語をやっている、という「定席」なんて上方ではついに体験できませんでした。
繁昌亭の15年は、私にとっては落語のなかった15年でした。何だか皮肉だなと思いながら、15周年のお祝いの話題を目にしたのでした。

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新製品 

先日ドラッグストアに行ったらお菓子コーナーに「カール」が置いてありました。もうずいぶん前に発売されたもので、長寿を保っているお菓子です。ところが今これを買えるのは関西から西の地域だけだそうです。東の地域ではもう作られていないそうで、意外な感じがします。関東の人が、「『カール』を送ってもらってとてもうれしい」とSNSに書いていらっしゃったのを拝見して何となくほほえましく思ったこともあります。お菓子なんてどんどん新製品が出て、従来品はいつ製造中止になるかわからないのですね。
「新発売」というと、それだけで何だかとてもいいものであるような錯覚をしてしまいます。それを狙っているところもあるのでしょう。
おそらく企業ではたゆむことなく新製品の開発をしているのだろうと思います。
人気商品でもシリーズ化して少しずつ違った味のものを販売することで飽きさせない工夫もするのだろうと思います。

    柿の種

というお菓子がありますが、とても人気があって、アメリカ映画『ワイルド・スピード』では登場人物が「柿の種」を食べるシーンが出てくるそうです。亀田製菓さんは大喜びだとか。この「柿の種」には、普通の味のものもあればワサビ味、梅味などがあります。一番驚いたのはチョコレートでくるんだものでした。おそらく「売れる」という確信のもとに作られたのでしょう。私はほんの少しだけ食べたことがあるのですが、まったく興味がわきませんでした(笑)。ところがこの商品、亀田製菓のほかにもフルタとか、その他いろんな会社で作られているらしく、ということは需要があるのでしょうね。柿の種の常識を覆し、たとえば紅茶と一緒にいただいたりするとおいしいのでしょうか。
カルビーの「かっぱえびせん」は人気商品です。もともと清水崑さんのカッパの絵が描かれたパッケージに入った「かっぱあられ」という商品があって、そのシリーズとして「えびせん」が作られました。いまでは後発の「えびせん」だけが残ってしまい、どこにもカッパの絵は描いていないのに「かっぱ」の名前だけがついているというおもしろい商品です。
食品、菓子、酒などを売っている店に行くことがしばしばあります。もっぱら牛乳などを買います(笑)。そのついでにアルコールのコーナーを覗きに行くことが少なくありません。
そこでもひとつのブランドから多様な製品が作られているのに驚きます。ビールひとつをとっても、昔ならキリンかサッポロかサントリーかという会社名くらいの選択肢だったのに、今やどれを選べばいいのかわからないくらいです。さらにすごいのは

    チューハイ

のコーナーです。次々に新しい商品が出ていて、めまぐるしいばかりです。中に入れるフルーツの種類もたくさんあります。レモン、梅、ゆず、グレープフルーツ、シークヮーサー、ライム、オレンジ、リンゴ、メロン、梨、ライチ、キウィ、ブドウ、桃、アロエ・・・ちょっと思い出しただけでもこれくらいあります。また、同じレモンでも塩レモンとか、丸ごとレモンとか、いろいろありました。さらに、産地で特徴を出したり、絞り方で独自性を見せたり、さらにアルコール度数に差をつけたり、低カロリーを標榜したりと、いったい何種類あるのかわからないほどです。
これだけあっても、まだ何らかの工夫をして新製品を出そうということになるのでしょうから、競争の激しさを感じます。
商品開発のみなさん、ほんとうにごくろうさまでございます。

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8000歩 

私の子どものころ、ホンダというとなんとなくバイクのイメージがあって、自動車会社としてはトヨタと日産、あとはダイハツくらいしかしりませんでした。お金持ちらしい人が持っている外国の大型車をまれに見ることがありましたが、それはたいていキャデラックでした。
日産は「日本産業」の略称だそうで、ブルーバード、セドリック、ダットサンという名前は子どもでも知っていました。その後、プリンス自動車と合併して、スカイラインとかグロリアも生産、サニー、マーチ、シルビア、シーマ、フェアレディ等々、さまざまな車を生み出しました。
・・などということを考えたのは、最近私はほぼ「ニッサン」しているからなのです。いや、車を買うお金はありませんので、ニッサン車に乗っているのではありません。神社に

    日参

しているのです(回りくどい話でした)。
本当なら1か月30日参ってこその日参ですが、どうしても行けないこともあり、9月は20日以上は参詣しました。それにしても以前は考えられないような信心深さです(笑)。鳥居をくぐる時は一礼して鳥居の端から入り、手水を使って、何を願うわけでもありませんが作法どおりに参拝し、また鳥居の端をくぐって一礼して神社を出ます。
実のところ、暇で(笑)、歩くくらいしか運動ができませんので、森があって日陰の多い神社はうってつけなのです。そこまで行って帰ってくるとだいたい15分から20分。回り道をすることが多いので、5000歩くらいはすぐに歩けるのです。
あまり無理をして多く歩かないようにしていますので、最近は一日8000歩平均歩いています。雨などで3000歩くらいの日もありますが、1万を超える日もあって、ほぼ8000歩は歩いているのです。
歩数計を見てしみじみ感じるのは、歩くのがずいぶん

    遅くなったことです

以前は1時間当たり6000歩以上の速さで歩いていたのですが、最近は5000歩そこそこです。かなりヨタヨタしてきたのかな、と思います。そういえば、普段道を歩いていても、これまでなら人を追い抜くことばかりだったのに、最近は高校生くらいによく追い抜かれます(笑)。もっとも、スピードは全然意識していませんし、それならそれでいいと思っているのですが。

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弓取式 

大相撲をあまり熱心に観ることはありません。
所作が美しくなく、だらだらした仕切りをして、負けたらなかなか立ち上がらず、ひどい人になると「てめぇ、なんで俺様に勝ちやがった!」といわんばかりに勝った力士を小突いたりします。そういうのが横行しているのに、なぜ観なければならないか、という気持ちが強いのです。
9月におこなわれた

    大相撲秋場所

も、初日はまったく観ませんでした。ですから、横綱が一人休場していることも知らなかったのです。ところが、たまたま二日目の5時50分ごろ散歩から帰ってきて誰もいないところでひと息ついていたものですから、ついテレビをつけました。ちょうど結びの一番でした。相変わらず照ノ富士は強いです。今、誰がこの人を倒せるのだろう、と思うくらい無敵だと思います。
それでもうテレビを消そうかと思った時、弓取式が始まりました。弓取式というのは、本来結びで勝った力士が弓を与えられて、それを持って喜びの舞をしたことに由来するのだそうです。平安時代には褒美で衣を与えられることがありましたが、それをもらった人は肩に掛けてひとさし舞うのがしきたりでした。それと同じようなしきたりのようです。弓取式は普通横綱と同じ部屋に所属する幕下クラスの人が担当するそうで、このところは鶴竜関の付け人をしていた将豊竜が鶴竜の引退後も担当していたのだそうです。ところが初日の相撲で肩を痛めてできなくなり、かつて経験していて横綱照ノ富士と同じ伊勢ヶ濱部屋の序二段45枚目の

    聡ノ富士

という人が急遽代役に任ぜられたそうです。そんなことは知らずに私は観るともなしに観ていました。するとぐいぐい引き込まれるような見事な弓取を見せてくれたのです。何と言ってもきびきびとして鮮やかでスキがなく型が美しいのです。あいにく勝ち力士のインタビューが入ったのですべてを観ることができませんでしたが、ちょっとした感動を味わいました。
こうなると、三日目も結びの一番のころにはテレビをつけないわけにはいかなくなりました。照ノ富士が土俵に上がっていましたが、私の目は行事だまりに控える聡ノ富士。今日もこの人だ、と思ったらもう「結びは早く終われ。どうせ照ノ富士が勝つんだし」と思いました。案の定、照ノ富士が勝ちました。はいお疲れさん。さて、いよいよ聡ノ富士の登場です。この日もきりっとして正面を向き、滞ることなく弓取を終えました。その間、驚くべきことに、アナウンサーが聡ノ富士のことを紹介し始め、解説の北の富士さんも「自分も弓取式をやりたかった」「その前に出世しちゃった」などと話し始めたのです。それで知ったのですが、この聡ノ富士は何と44歳なのだそうです。小柄でおそらくもう出世することはないでしょうが、44歳にして序二段で相撲を取りつつ、打ち出し前に堂々とテレビに映る仕事をする。なんとなく胸の熱くなる姿でした。こういう人もいてこその大相撲。これからもどうか末永く頑張ってほしいものです。

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捨てられない 

私は物を捨てるのが苦手です。授業で使ったプリントでさえ、「裏が白いんだから使おう」と考えるタイプです。そういうものは図書館に行ったときにメモを取るのにほんとうに使いますので、別にため込んでいるわけではなく、その意味では悪くはないと思います。
しかし何でもすぐに捨てるということをしないので、どうしても物が溜まってしまいます。
物だけではないのです。実は、

    創作浄瑠璃

を作る場合、最初は思いついたことをどんどん書いていくのですが、それを15分以内で語り終えられるように切り詰めていく必要があります。また、時間の問題だけでなく、あくまで短編浄瑠璃なのでだらだらと書いていてはさまにならないのです。原稿用紙1枚は普通に読むと1分少々になると思います。しかしそこは浄瑠璃ですから、節もつけますし、間も日常会話以上に長く取ることが多いのです。また、時には三味線だけで台詞を言わない部分もあります。私は大体原稿用紙1枚を2分強くらいに考えており、そうすると15分の浄瑠璃なら6~7枚ということになります。せいぜいそれくらいには納めないと、聴いている人が「長い」と感じることになると判断しています。もちろん、普通の素浄瑠璃の会などで語られる大曲は、何しろ作者が一流ですし、うまい人が語れば1時間以上でも長くは感じられません。しかし野澤松也師匠が語られるものは弾き語りという特徴もありますから、短編ばかりで、

    長くても20分あまり

という目安があります。
ところが、「思いついたこと」といっても、それなりに考えたものですから、もったいない気持ちになってしまうことがあります。せっかく考えたからこれも残しておこう、という気持ちに傾いてしまうのです。実はこれがよくないのだと思います。
このたび書いたものも、そういうところが何か所もありました。しかし、思い切ってばっさばっさと切っていくことにしました。
結局は字数では2521文字。原稿用紙6枚半くらいです。もっとも段落などがありますので、ぎっしりマス目を埋めるわけではありませんから、実際の原稿用紙に当てはめてみるとほぼ7枚半でした。これくらいでおそらく15分前後で語っていただけるのではないかと思います。
もったいないけど捨てる、という考え方はやはり必要なのだろうと、文章を書いていて思います。

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テキヤ 

『男はつらいよ』という映画を私はほとんど知りません。あれほど国民的な映画だったのに、映画館では観たことがないのです。かろうじて(ずいぶん昔に)テレビで少し観ましたが、自慢できるほど観たわけではありません。渥美清さんの演じた寅さんの職業はいわゆるテキヤ(的屋)なのでしょう。「フーテンの寅」などと言いますが、「瘋癲」どころか立派な職業を持っていたことになります。寅さんを演じた渥美さんは、タテ言葉というのでしょうか、ペラペラと口上をまくしたてて商品を売るという、口数の少ない私にはおよそ無理な技をお持ちでした。
歌舞伎十八番の

    『外郎売』

は、実は曽我五郎(あるいは十郎)ではあるものの、行商の薬売りの姿です。これもあの有名な早口言葉で「透頂香」を売りますから寅さんと似ていなくもないと思うのですがやはりちょっと違うのでしょうか。
昭和になって現れた紙芝居屋というのも、子どもに紙芝居を見せながらも実は菓子を売る商売をしていました。あれは世界恐慌の失業者にとって貴重な収入源だったとも言われます。いろいろ考えてみると、「口で物を売る」という人はいろいろいるわけですね。
テキヤのことを

    香具師(やし)

といいますが、「ヤシ」というのは「野士」(野武士のこと)だとも、弥四郎という人物の名前から来ているとも言われます(ほかにも説あり)。香具師という字が当てられるのは、もともと薬や香などの「香具」を売っていたことによるようです。
辻医者という歯医者も香具師であり、居合抜きや独楽(コマ)回しなどをして人を呼び寄せてついでにものを売る(実はこれが狙い)人もいましたし、軽業、傀儡などを見せた人たちもいました。
祭の場で商売をする人が多かったので、大岡越前守が寺社奉行のときに寺社奉行配下になったそうです。

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仕込みと和歌の技法 

最近、刀剣を愛好する人が多いようです。そういうのが好きなのはオジサンばかりかな、と思ったら、女子大生などでも展覧会があったら見に行く、という人がいます。アニメなどで「名刀」「妖刀」などがよく描かれるようで、それがいくらか影響しているのかもしれません。
江戸時代、墨田川左岸(東側)に面したところに松浦という平戸新田藩のお殿様の屋敷がありました。ここは本所七不思議のひとつである「落葉なき椎」の舞台なのですが、今このあたりは刀剣博物館になっています。両国駅から少し北に歩いた、安田庭園の北側にあります。
当時の刀には、文楽の『伊勢音頭恋寝刃』や『伊達娘恋緋鹿子』にでてくるような、切れ味鋭く、銘のある、美術的価値も高い高価な刀もありますが、なまくらというか、かっこうだけ、というものもあったのでしょう。

    仕込み杖

というのがあります。杖と見せかけて実は中味は刀である、というものですね。刀以外にも用いられる言葉の「仕込み」というのは、表面ではさりげない風を装っていながら、実は大きな力を持つものが潜んでいるようすといえばいいでしょうか。
話が代わりますが、小説にも芝居にも「伏線」ともいう「仕込み」があります。さりげない言動やささいな出来事が、あとで大きな意味を持つようにそれとなく言っておくのですね。「そうか、そういうことだったのか」と読者や観衆に気づかせるようにうまく使うととても効果的です。
私も創作浄瑠璃を書くときには仕込みをすることが多いのです。ただ、ここでハッと気づいてほしい、という以前にネタバレしてしまうのであまり上手ではありません。仕込みをするのはなかなか難しいのです。
浄瑠璃で仕込みではないのですが、

    掛詞とか縁語

という和歌の技法も使うことがあります。これはもう理解していただかなくてもいいようなもので、いわば私の「自己満足」なのです。古典浄瑠璃では特に掛詞が盛んに用いられますが、江戸時代の人は聴いてすぐに理解できたのでしょうか。たとえば「包む心の内本町」(『曽根崎心中』「生玉社前」)くらいなら「心の内」と地名の「内本町」が掛かっていることはわりあいに簡単に理解できます。同じ「生玉社前」の「焦がるる胸の平野屋」になると現代人にはちょっとわかりにくいかもしれません「胸の『火』」に「平野屋」の「ひ」を掛けるのですね。
私の浄瑠璃を聴いてくださる方の中に、編集者の方がいらっしゃるのですが、このかたはさすがに鋭くて、拙作『落葉なき椎』の中の「汲めど尽きせぬ和泉屋の心は深き大川の」というところで「『汲んでも尽きない泉』に『和泉屋』を、『心は深き』に『深き大川』を掛けているのが分かった」とおっしゃっていました。
掛詞というほどでもないのですが、ちょっとした「しゃれことば」という感じです。こうやって理解してくださるとやはりうれしいです。
最新作では、たとえば「黒髪も少し細れる丸髷のびんなきことの重なりて」という一節に掛詞を入れておきました。「丸髷の鬢(びん)」と「便なき(不都合な)」の掛詞です。あの編集者さん、わかってくださるかな・・。

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古着 

父が亡くなった時、その遺品をどうすればよいかというのが問題になりました。本などはごっそり処分してしまったようです(私は当時別居していたのでそういう点には関わっていませんでした)。
着るものについては、何しろ私はからだつきがまるで違いますのでもらうことはありませんでした。父は昔の人にしては背が高い方でしたがそれでも170㎝そこそこ。私の方が10㎝以上大きく、手の長さなどもまったく違いました。兄が同じような体格なので、ひょっとしたらいくらか受け継いだのかもしれません。
父はサラリーマンでしたから、私と違って服装には気をつけねばならず、おそらくスーツもいいものを持っていたはずです。ネクタイなんてどんどん新しいものを買っていたのではないかと思います。私ときたら、実は自分でネクタイを買ったことがなく(ほんとなんです)、たぶん、持っているものはほぼ父親のお古だと思います(笑)。それでも問題ないのは、私はネクタイというのをもう何年もしていないからです(笑)。
古着というのは

    潔癖症

の方は嫌がられるでしょうが、もともと高貴な人が褒美を与える場合、着ていたものを下げ渡す、ということがあったのです。『源氏物語』では芳香を発する薫という人物が着ていたものを、下賤なものが拝領して、それを着てはいい香りをさせたものですから、まるで似合わないというような話があります。
江戸時代の人も古着は大事にしました。古着屋ももちろんたくさんあったのです。『傾城恋飛脚』「新口村」で、孫右衛門が親切にしてくれる梅川の素性を察して、息子忠兵衛を探索する手が伸びていることを話す際、「お上からも隠し目付、あるひは順礼、古手買ひ、節季候にまで身をやつし・・」といいます。この「古手買ひ」というのは古着や布(あるいは古道具)を買い取ってまたそれを集めて売る商売をした人たちです。
江戸の町にも古着屋はあちこちにあったのですが、古着屋ストリートのようなところもありました。よく知られたところは

    柳原土手

や日蔭町などで、柳原土手は神田川が大川(隅田川)に流れ込むあたり、日蔭町は新橋近辺でした。
古着屋の中には粗悪品を扱うひどい店もあったようで、柳原土手ではかなり品質の落ちるものが多く売られていたのだそうです。
日本橋富沢町の古着屋街では、なかなかいい品もあったようです。これにはわけがあって、なんとあの越後屋(三井さんの店です)が売れ残ったものをこの古着屋街の店に流していたようなのです。また、越後屋、大丸屋と並んで江戸の三大呉服商として知られた白木屋もこういうアウトレットの店を出していたのだそうです。

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