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美術館、博物館へ 

博物館法というものがあります。国公立の博物館の在り方について定めたものです。博物館といっても、広義のもので、美術館、動物園、植物園、水族館なども含みます。できるだけいいものを、できるだけ安価で観られるようにするのが重要な役割だと思います。しかしこのところ、特別展があると、その入場料はかなり高くなってきました。1,000円を超えたときに「高くなったな、しかし映画を観ることを思えばこんなものかな」と思ったものでした。ところが、それが1,300円、1,500円、1,800円とうなぎのぼりに上昇して、ついに2,000円を突破しました。こうなると貧乏人にはなかなかつらいものがあります。ただ、同じ貧乏人でも私個人は国公立に関しては割引又は免除してもらえます。そうでなければ美術鑑賞の趣味は諦めているかもしれません。
昨年来ウイルス蔓延のために、博物館、美術館は軒並み展覧会を中止したり入場者数を制限したりしました。私の場合は持病があるため、感染が

    普通の人以上に怖い

ものですから開催されていてもなかなか出かける勇気が湧きません。
どこにでもお出かけになる人を見ているとうらやましくなります。
昨年の2月に東京で都美術館、国立新美術館、都庭園美術館などにいったあとは、大阪中之島の国立国際美術館に行っただけと言ってもいいと思います。
こんなことはここ十年来無かったことです。
しかし秋以降、感染が下火になって、冬眠明けの蛙のようにもぞもぞと動きたくなっています。
たまたま大阪天王寺の市立美術館で

    メトロポリタン美術館展

があり、おそるおそる行ってみようという気持ちになっています。この展覧会にはフェルメールの「信仰の寓意」も出ているようです。また、大阪大学の総合博物館では乙女文楽の展示も行われているようで、これにも行っておこうと思っています。
世の中が少しずつ動き出して、また感染が増えるかもしれません。その合間を縫って、何かと落ち込みがちな自分を鼓舞するつもりで芸術に触れてみたいと思っています。

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知らない作家が多すぎる 

私は読書家ではありません。ことに現代小説には疎くて、まったく読んだことがない作家というのはいくらでもいるのです。「え、あの人も読んでないの?」と言われそうなくらいです。
もともと偏りが激しくて、高校生の時などは数人の作家のものばかり読んでいたような気がします。大学生になって、これではダメだと思ってほとんど読んでいなかった三島由紀夫とか谷崎潤一郎とか川端康成とか井上靖とか遠藤周作とか・・そういう著名作家のものにやっと手を出し始めました。しかしまたまた三島や谷崎なら全集にまで手を出して読む、井上靖も遠藤周作も文庫本のものは全部読む、というような「はまりかた」をしてしまい、

    あの人もこの人も読む

ということにはなりませんでした。
仕事をするようになると読書に割ける時間が減ってしまい、その一方で毎年次々に新しい作家が出てくるのでとても追いつけなくなってしまいました。
去年から今年にかけてよく読んだのは吉田修一さんでした。それも一段落したので、また誰か「読んでいない大物」を探すことにしました。そして手に取ったのは

    柳美里さん

の作品だったのです。あれだけ高い評価を得ているのに、ほんとうに、全然知らない人なのです。
せめて図書館にある本だけでもざっと読んでみたいと思っています。
そのあとはこれまた恥ずかしいのですがわずかしか手に取ったことのない多和田葉子さんに行こうかとも思っています。
ほかにも、大作家とされる人であまり読んでいないというと、漱石もその一人です。鷗外も藤村もほんとうにわずかしか読んでいません。田山花袋とか尾崎紅葉とか泉鏡花などもきわめておおざっぱです。歴代の芥川賞作家のうち読んだことがない人なんて一人や二人ではないはずです。最近の受賞者は受賞された時に「こんな人がいるのか」と初めて知ることも多いのです。
それにしても、この十一月は雑用でいろんな本に目を通しはしたものの、まったく小説本が読めませんでした。

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何とかできました 

忙しかった十一月があっという間に過ぎて行きました。普段からきちんと勉強していればこんなに気ぜわしい思いをしなくても済むのに、このぐうたらな性格には、我ながらあきれています。
創作浄瑠璃『異聞おくり提灯』は、かなり長くかかりましたが、最後の最後まで思い悩んだ末にやっとできました。今回のお話は亡き夫を想う老女の恋心がテーマでした。実際のところ、夫を失った女性がこんな気持ちになるのかどうかはわかりません。しかし、もしそういうことがあればその気持ちとはどんなものなのだろう、という考えをめぐらして書いてみたのです。浄瑠璃というのはそういう作り方をすることが多いはずです。そんなことがあるはずがない、ということでもあえてそれをあったことにして、そういう状況になったら人はどんな気持ちになるのか、ということを作者が想像しつつ描いていくのだと思います。文楽でしばしば見られる身替りの話など、

    あり得ないこと

をさももっともらしく書いたうえで、もし親がわが子を殺さねばならなくなったらどんな思いがするだろうか、という点を深く掘り下げるのだと思います。
さて、これで『本所七不思議』によるオムニバス物語は完結しました。荒唐無稽な「不思議」あり、それのどこが不思議なのか、という「不思議」もありましたが、作者としてはとてもおもしろい素材だったと言えます。
「親と幼い子」「人と河童の夫婦」「姉妹」「亡き父と息子」「人と狸」「遠く離れた恋人」に加えて今回の「亡き夫と妻」という七つの愛の物語でした。今はこの七つを

    CD

にして記録したいという夢があるのですが、これは師匠のお考えもありますので実現するかどうかはわかりません。そもそもそんなお金はどこにある?(笑)
そのほかの仕事は『源氏物語』の連載がひとつ、そして和歌関係、それ以外は秘密(笑)のものでした。
『源氏物語』の連載はふとしたことから実現したもので、短歌雑誌のために無報酬で書いています。いや、無報酬というのは正確ではありません。その短歌雑誌には規定があって原稿料を下さるというのですが、私がそれを

    寄付する

形を取っているのです。
このやり方は『上方芸能』の時も同じです。あの時も、最初はありがたくいただく方がいいのだろうと思っていたのですが、その後いろいろ聞いてみると、ずっと連載されていた桂米朝師匠がやはり寄付されていたそうで、それなら私も、と真似をしたのです。
短歌は、普段からマメに詠んでおくべきだといつも思うのですが、なかなかできません。今回は「晩秋の公園」というタイトルでバタバタと慌ただしく詠んでみました。
浄瑠璃にしても短歌にしても、もっと上手になりたい、ひとさまの心に残るようなものが書きたい、と思うのですが、難しいです。
それでも、慌ただしかった一か月を何とか乗り越えて、師走に向かうことになりました。

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月食 

11月19日は月食でした。しかも、満月が徐々に欠けていってやがて元に戻るというのではなく、東の空に三日月より少し大きめの月が見えたかと思うとどんどん小さくなっていき、皆既月食の一歩手前まで欠けたところでまた大きくなっていったのです。科学の未発達の時代にこれを見たら、満月のはずなのに異常だ、というので恐れおののいたかもしれない、と思ったほどでした。
もっとも平安時代には天文博士という人がいましたし、月食の予報はできたのです。ですから、「月食の予報なのにはっきり見えなかった」というような記録が貴族の日記には見えることがあります。彼らはそれを

    「不正見(現)」

と書きました。
さてこの日の夕暮れ、私はいつものように徘徊していたのですが(笑)、しばしば行く公園のあたりでカメラを持った人がベンチに腰を下ろしているのに出会いました。もうすぐ月が出るという時刻でした。繊月が出ると何とも不思議な気持ちになりました。三日月なら西の空にしか見えないからです。
もうあたりは真っ暗でしたが、だんだん人の数が増えてきたような気がしました。みなさん立ち止まって東の空を見上げています。親に引率された子どもたちが集まって歓声を上げてもいました。名月でありませんが、多くの人が月を愛でるというのはなかなかいい風景です。
望月といえば、

    藤原道長

の「この世をばわがよとぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という歌を思い出します。寛仁二年十月十六日に娘の威子が中宮になり、そのときに彼の自宅である土御門第で催された宴席で詠まれたのがこの歌なのです。これを書き留めているのは藤原実資という人の日記(『小右記』)です。この日の道長の日記には「余読和哥、人々詠之」と書かれているだけで歌そのものは記されていないのです。道長自身はそれほど記録する価値があるとは思っていなかったのかもしれません。
「望月の欠けたることのなし」と彼は詠みましたが、前述のように当時も月食は予報までされていたわけですから、「望月の欠けた」姿を彼は何度も見ていたのです。
そしてこのころ、彼はすでに病気がちで、糖尿によるのか、目が不自由になっていたようです。この歌を詠んだ翌日にはすぐ目の前で話をしていた実資に向かって「目が見えにくくて、あなたの顔もよくわからない」とさえ言っています。望月はやはり欠けます。権力にあぐらをかいている者でも、思わぬ時に力を失っていくのです。
月食の日の夕方、私はそんなことを考えながら、真っ暗な道をうろうろしていました。

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明るいメール 

憂鬱な時に限って思いがけないいいできごとがあったりします。
最近は忙しくて心にも余裕がなく、身体もだるい状態が続いています。食欲が落ちて、以前の半分くらいになったような感じです。先日は「痩せましたか」と人に言われたくらいです(実際はさほど変わらないと思うのですが)。人と話をするということもきわめて少ないので、このままボケて行ってしまうのではないかと不安になっています。
・・と落ち込んでいたところ、ある卒業生からメールが入っていました。去年の春、ちょうど世の中がウィルスで騒がしくなり始めたころの卒業ですから、今年24歳になったのだと思います。彼女は卒業してすぐに保育士になったはずですが、その一方で夢を持っているのです。

    三味線の教室

を持ちたい、という夢です。大学生になって、地元(和歌山県)の踊りのための民謡を継承するべく三味線を習い始め、歌もあわせて習ったのです。それがおもしろくて夢中になり、通学しながらもずっとお稽古を続けていました。私は彼女の卒業間際に一度だけ演奏を見せてもらいましたが、習い始めて3年とは思えないくらいとても自在に弾いていました。音色などはわかりませんが、弾きながら唄うという難しいことをしていたのです。最近しばしば見られるカンガルーの皮の三味線だと言っていました。
その彼女からは、卒業してからまったく音沙汰がなかったので、もう忘れられただろうと思っていた(笑)のですが、先日とても嬉しいメールが届きました。ひととおりの挨拶のあとに、

    「準師範

の試験に通りました」と書かれていました。私などに伝えてくれなくてもいいようなものですが、「どうしても報告したかったので」と言ってくれました。
私はたった2つの授業で会っただけの人なのですが、三味線を弾いているというので話が合い、彼女は狂言風オペラ『フィガロの結婚』も観に行ってくれたのです。卒業論文もその民謡について調べたもので、淡路の小林六太夫のことについて尋ねられて少しお話したこともありました。
きっと今後も精進して稽古に励んで師範になって、教室を開く日が来るでしょう。彼女は保育士をしているように教育の専門家ですし、何と言ってもとてもすてきな笑顔を見せる人で誰からも愛されるだけに、きっと教えるのもうまく、すてきな師匠になってくれると思います。

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はがき 

手紙を書く機会は減ったとはいえたまにはあるのですが、はがきとなるとなかなか使いません。
やはり目上の人にはがきで何かの連絡をするというのは気になりますし、はがきを使うようなことならほとんどメールで間に合ってしまいます。最近はがきを書いたのは何だったのか、記憶にないくらいです。それでもいくらかは手元に置いています。また、どうしても何枚か余ってしまう年賀状も残っています。そうするとやはり郵便料金が値上げになっても置きっぱなしということがあります。これは郵便局に持って行けば、手数料や値上げ分の料金が必要ですが新しいものに替えてくれます。しかし手数料を払うくらいなら切手を貼れば通用するわけですから、なにごとも

    始末屋

の私はできるだけそのようにしています。ただ、はがきはあまりスペースがありませんから、切手を貼ろうとすると封書よりも煩わしくなります。また、はがきは色あせますから、あまり古いものは使うと失礼になりそうです。
さらに困るのは年賀状で、今年の63円のものであっても、いかにも「余ったから使います」という感じになって、つい憚られるのです。さらに古いものも残っていて、今調べてみたら、

    52円

の年賀状が出てきました。これを今の料金にするには11円分追加せねばなりません。10円切手と1円切手でしょうかね。でも古い年賀状を出すわけにもいかず、さりとて捨てるわけにもいかず。That is the question.
そんなことを考えていたら、私が時々食べているカルビーのシリアルにキャンペーンを実施していると書かれていました。「じゃがいも2㎏が当たります」とのこと。まあ、当たらないでしょうが、こういうところにでも使ってみようか、と思って、先日出してみました。しかしいつまでたっても何も届かないのでやはりハズレたみたいです(笑)。最近はこういうキャンペーンもはがきで応募するというのが減っているようで、商品も、たとえば図書カードなどは電子版のものがありますから、メールで届いたりします。
もうキャンペーンは当たらないものと諦めて、さて余ったはがきはどうすればいいものか。

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切手 

最近、手紙のやりとりをすることがめっきり減りました。以前、私は週に一通くらいの割合で手紙を書いていたと思うのです。それがここまで減ったのは大きく言って2つの理由があると思います。
1つは、申すまでもないと思いますが、昨今の通信手段の劇的な変化です。メールができて多様なSNSができて、すぐに連絡することがある場合はほんとうに便利になりました。手紙と電話の要素を併せ持つようなものですからね。さらに、お互いの顔を見ながら話もできるようになり、何だかもう手紙というのが前世紀のもののようにすら思えてきます。
それでも私は今なお手紙を書かないわけではありません。何かのお礼状とか、ものを送る時の添え状とか、そんな手紙を書くことがあります。手紙には

    便箋、封筒、切手

が必要です。私は家ではすぐ手の届くところにこれらを置いています。パソコンで書く人も少なくありませんし、私もそういう場合もあります。自分が書いたものを記録しておきたい場合もありますので、そういうときにはパソコンは便利です。しかしやはりあまりにも味気ないような気がしてなりません。最近の若者はラブレターなんて書かないでしょうが、あれはタイムラグがあってドキドキしていいものです。しかし、彼ら、彼女らは「そんなに待っていられない」と言うのでしょうね。昭和は遠くなりにけり。
昔はとにかくたくさん書きましたので、いつも切手は持っていました。しかし最近は使う頻度が減って、どうしてもたまってしまいます。郵便料金が少しずつ上がりますので、そのつど

    一円切手

のような少額切手を貼るのも見栄えがしませんので、つい新しい料金の切手を買ってしまい、旧料金のものが残ってしまうのです。今、手元に80円切手がいくらかあります。82円切手もいくらかあります。今の料金は84円ですから、80円切手を使おうとすると2円切手を2枚貼ることになります。何だか封筒が切手だらけになる感じがします。目上の人に送る場合はやはりいささか気が引けます。
今もっぱら使う84円切手は国宝シリーズ「建築物」と楽器シリーズの雅楽の楽器です。建築は石山寺多宝塔、中尊寺金色堂、興福寺北円堂などがまだ残っています。楽器はまだあまり使っていなくて、琵琶、笙、篳篥、楽太鼓、鞨鼓、鉦鼓などが残っています。これらを使い切るころにまた値上げされたら困ります。

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人の欠点は 

この数年、短歌のグループに入って活動しているのですが、「歌会」というのがあって、他人様の詠まれた歌に意見をいう必要があります。えらそうなことを言いますと、人の欠点はよく見えるのです。「ここがわかりにくいな」「こうすればいいのにな」などと気が付くことがあります。短歌はわずか31文字で作るので、へたをするとわかりにくい、独りよがりのものになりかねません。詠んだ本人はわかっていますから、「なぜこの歌を他人は理解できないのだろう」と思ってしまうこともありそうです。その思い込みがややもすると歌の欠点になる場合があります。
他人の歌はその欠点がよく見えるのですが、自分のことになるとわからないことが多いものです。
ですから、他人の意見にはしっかり

    耳を傾ける

ことが必要です。何か言われると「そんな言い方をしなくてもいいじゃないか」と思いたくなるのは自己防衛本能というか、自分かわいさのための言い訳のようなものです。私もそういう気持ちになることは少なくありませんので、とにかく素直に受け取ろうと思っています。そういう気持ちこそが「知恵」と呼ばれるものだと思うのです。自分の間違いを棚に上げて相手の言い方がおかしいと批判するようでは今の政治家と変わらないような気がします。
ひとさまの短歌についてコメントするのは、実は勇気も必要です。あまりきついことを言ってはいけないように思いますし、言い方次第で気持ちが伝わらない可能性もあるからです。しかし、相手が上達することを願ってコメントするわけですから、あまり遠慮してはいけないでしょう。
私もだんだん

    叱ってくれる人

がいなくなってきました。それどころか、逆にお世辞を言われることが増えてきたように思います。自作の短歌について何か言われるたびに、そういうことを意識して自分できちんと受け止めることをしなければ上達しないと肝に銘じています。

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インテグラ 

この間、ホンダのスポーティな車として人気のあったインテグラが復活するというネットニュースを見ました。私が初めて持った車は1990年代の初めで、ホンダのシビック・フェリオだったのですが、同時期に人気のあったインテグラはそれよりもスポーツタイプの車でした。1980年代に発売されて、平成元年にVTEC搭載の2代目が出ると、人気映画俳優のマイケル・J・フォックスの決めぜりふである

    「かっこインテグラ」

が流行したこともあって一気に人気があがったのでした。この車はそんなに高級なものではなくて、私でもまんざら買えなかったわけではないレベルだったと思います。スポーツタイプでしかも高級車ではない、若者に愛されそうな車、という感じでした。
もっとも、このたびリニューアルされるインテグラはそんな安価な車ではなく、ホンダの海外向けブランドであるアキュラがアメリカで発表したもので、1.5リットル、VTECターボエンジンですが、3万ドルくらいの価格がベースになるのだとか。ため息が出ます(笑)。今回のボディもとても「かっこインテグラ」で、欲しいなぁ、と夢だけ持っておきます。
日本で1989年発売のインテグラというと、すぐに思い出すのが今の上皇、当時の天皇(以下、「天皇」と書く)の

    プライベートカー

だったということです。といっても、東京の街中を走り回るわけではなく、皇居内で皇后(当時)とテニスをするときにテニス場まで乗っていくという感じの使い方で、しかも陛下は長い間その車一筋でした。そしてみずからが運転される映像が後に公開されて、今でもYouTubeで見ることもできます。
これを授業で学生に見せるととても受けました。まずは天皇が運転するという絵面(えづら)に目をみはり、今見るといかにも古ぼけた車に乗っていることに驚くのです。あの「かっこインテグラ」があんなに安っぽく見えるのは、年代物だということのみならず、若者向けのスポーツ車と天皇というギャップによるのではないかと思います。

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2021年文楽錦秋公演千秋楽 

本日、文楽公演が千秋楽を迎えます。
早いもので、これで今年の大阪の本公演はお開きということになりました。
秋らしい演目もあって、ウィルス騒ぎも一段落した時期だけに、まずまずいい公演だったのではないでしょうか。
このあとは12月の東京公演、そして新年の大阪初春公演と続きます。
12月は
『仮名手本忠臣蔵』から「桃井館本蔵松切」「下馬先進物」「殿中刃傷」「塩谷判官切腹」「城明渡し」「道行旅路の嫁入」で、鑑賞教室は「野崎村」です。
1月は
『寿式三番叟』『菅原伝授手習鑑』から「寺入り」「寺子屋」、『絵本太功記』から「二条城配膳」「夕顔棚」「尼ヶ崎」、『染模様妹背門松』から「生玉」「質店」「蔵前」、そして『戻駕色相肩』「廓噺」です。
来年も、というのは気が早いですが、皆さんどうぞ頑張ってください。

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嫌われつつも(2) 

寂聴さんが亡くなったあと、作家の林真理子さんがお書きになっていました(『朝日新聞』11月12日付朝刊)が、寂聴さんは「作家というのは死んでしまえば、次の年には本屋から本が一冊もなくなってしまうものなのよ」とおっしゃっていたそうです。寂聴さんのお書きになったものに関して言えば、そこまで極端なことはないと思いますが、なかなか真実を衝いた言葉だと思います。ほとんどの作家というものは、その人が生前いかに人気者であっても、ベストセラー作家であっても、亡くなってしまうとあっという間に姿を消してしまうものです。たとえば、今の若い人が

    遠藤周作

の本をどれほど読んでいるかというと、私の知る範囲ではほとんどゼロといってもよいのです。それどころか、「遠藤周作って、誰?」という反応もかなり返ってくると思います。私だってかつてのベストセラー作家である尾崎紅葉も泉鏡花もあまり知りません。しばしば新聞の訃報欄に「○○賞作家」が亡くなったという記事が出るのですが、「こんな人がいたのか」という場合が少なくありませんし、もちろん一冊として読んだことがないのです。
寂聴さんはそういうことをよく知っていたのです。作家である自分を見るもうひとりの自分がいたかのようです。
寂聴さんのお話を聞いたことはありませんが、「語録」などを見ますと、私でも言えそうなことが少なくありません。では寂聴さんは私と同じレベルなのかというと、それは違うのです。発信力が桁外れに大きい。これは寂聴さんの人生そのものやペンの力、語り掛けのエネルギーが醸成してきたものであって、私など及ぶことのできない大きな力です。私が言うと「ボヤキ」に過ぎないことでも、寂聴さんがおっしゃると「金言」になる場合もあるでしょう。宗教者というのはそういう力を持っているものです。
住職をなさっていた岩手県の

    天台寺

での法話の様子をとらえた写真が前述の新聞記事に残っています。数多くの聴衆が詰めかけて、どなたもじっと寂聴さんを見つめて話を聞いていらっしゃいます。絵巻物に残る一遍上人とか日蓮上人とか法然上人とか、そういう人たちに向ける人々のまなざしと同じような目の光が感じられます。
私は寂聴さんの生き方がうらやましくないと言えばうそになります。つらいことも多かったでしょうが、自分の思いを行動に移せる、とても私にはまねのできない立派な人だと思います。
しかし、真似ができないとしり込みしているだけではつまらないのです。私ももっと前向きになって寂聴さんの万分の一でもいいから納得できる晩年を送りたいと思っています。

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嫌われつつも(1) 

11月9日、僧侶で作家の寂聴(瀬戸内晴美)さんが亡くなりました。1922年、つまり大正十一年のお生まれで、数え年でいうなら百歳。米朝師匠や住太夫師匠より少し年上でいらしたのですね。最近はあまり調子がよくないという噂が伝えられていましたので、とうとうその日が来たか、という感じでした。長く、そして波乱に富んだ人生を歩まれた方だと思います。

    寂聴さんは嫌いだ

という人は少なくありませんでした。それは寂聴さんの若いころに夫と幼い子どもを捨てて若い男性に走ったという私生活が知られているから、ということもあるでしょう。また、そういう経験をしておきながら恋愛についてえらそうに、しかもはっきりとわかりやすくものをおっしゃるのがかえって鼻につくという人もあるのではないでしょうか。そんなわけで、「瀬戸内晴美さん」が仏門に入られたことすら悪意に見る人が少なくないようです。こういう背景には、一度過ちを犯した人はどこまでも許さない、という社会の風潮があると思います。「ヤンキー」と呼ばれた人が教師になったり国会議員になったりするのは許せない、という考えと同じで、不倫して子どもを捨てるような人間が出家して偉そうなことを言うのは

    ちゃんちゃらおかしい

という考えになるのでしょう。
しかし問題は過ちを犯すことではなく、過ちを認めて改めようとしないことなのです。改めさえすれば許されることはいくらでもあるのです。何よりも見栄を張ることを大事にする権力者たちはたいていこの「改めない」態度を取りますので、私はそれが何より悪いことだと考えています。それどころか、悔い改めても許さない風潮は、かえって権力を持つ輩がかたくなに「改めてなるものか」と意地を張る結果を導くだけではないでしょうか。こういうことは結婚された眞子さん夫妻へのやむことのない中傷とも関係があると思います。正当な批判は大切ですが、上げ足を取って人をけなすことで留飲を下げるだけなら不毛なことだと思います。
私は寂聴さんの作品もさほど読んでいませんし、好きな作家というほどではないのですが、愛読者は多いですし、また話を聴きたい、聴いてほしいと思う人も少なくないのは紛れもない事実です。そして多くの人が救われたことも否定できないはずです。煩悩は誰しも持つもので、それによって犯してしまった過ちは許されることでしか消えないものだと感じます。寂聴さんを愛する人の多くは、「自分もあなたのように許してほしいことがある」と思っているのではないか、そんな気がしています。

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目が回る11月 

ここ数年同じような感じなのですが、11月はかなり忙しい月です。もっとも、いくらか余裕のある9月、10月ごろにさっさとやっておけば苦労しなくても済むことも少なくないのですが、そこはやはりいいかげんな人間ですから、そううまくはいかないのです。
今月出さなければならない原稿は、詳しい内容は言えませんが、5つです(このブログの記事も含めたら35個ですけどね・・笑)。中には義務的な、そして自分にとってあまりプラスになるとは思えない、あえて言うなら「できることならやりたくない仕事」もあるのですが、困ったことにそれだけが多少のお金になります(笑)ので、生活のために逃げるわけにもいかないのです。世の中うまくいかないものです。
以前はこのほかに

    文楽人形劇

もこの時期にしていたことがありました。あのころはほんとうに目が回るくらいでした。
こうなると毎日が慌ただしく過ぎていきますので、時間の経つのが早くて気がついたらもう月の前半が終わっていたというありさまです。ハローウィンまでは何となく秋の雰囲気が色濃いのですが、年賀はがきの売り出しは始まり、立冬だ、亥の子の祝いだと時が進むと、いかにももう冬だという感じになります。あれだけいい香りを漂わせた

    キンモクセイ

もすっかり花を落とし、街路の木の葉も散っています。
今これを書いている時点(11月15日なのです)では、5つの原稿のうち、まだ2つできただけで、このあとさらにペースアップしなければなりません。月末ではなく、遅いもので25日締め切りですから、あと一週間が勝負です。
寒くなる時期でもありますので、実は体調もあまりすっきりしない状態が続いています。からだと相談しながらそれでもいいかげんな仕事はできませんので何とか頑張るつもりです。

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枯れすすき 

秋の七草で尾花の話を書きましたので、ついでに最近の出来事を。
この秋、私ははじめてイチゴを植えてみました。昨年までのニンニクとはかなりイメージが違います(笑)。
私は馬鹿正直ですので、こうやって育てたらいいという教えを素直に受け入れるのです。ネットから仕入れた情報ではイチゴは冬の寒さに当てる方がいいとのことで、あまり寒さ対策は必要ないそうです。もちろん、北の国ならそうはいかないでしょうが、私は雪などほとんど降らない地域に住んでいるわけですから、特に神経質にならなくてもいいようです。ただ、イチゴは乾燥に弱いらしく、逆に乾燥に強かったニンニクとは違って、水分は欠かさない方がいいようです。しかし冬場は窓を開けるのも寒いですし、うっかり数日放置してしまうなどということもあるかもしれませんから保湿の必要があります。また、実がなると垂れ下がって土に触れてしまうのはよくないので、その点でも工夫した方がよさそうです。一番手っ取り早いのはいわゆる

    マルチング

なのでしょう。よく畑で黒いビニールで土を覆っていますがあれですね。しかしあれは植える前にセットして、穴をあけた部分に苗を定植していくのでしょう。私はすでに植えてしまっています。またたかがプランターですし、何だか大げさな感じもしています。そこでネット情報を見ると、麦わらを置くのがいいとのことでした。しかし、そんなものうちにはありません。農家に行けばいやというほどあるのかもしれませんが、入手するためにはホームセンターでひと袋600円くらいのものを買ってこなければなりません。何だか高いなぁ、と思ってさらに調べてみたら代用品がいくつか書かれていました。もみがら、すだれ、バークチップやバーク堆肥、ワインのコルクなども使えるそうですが、それもまたうちにはありません。すると、

    イネ科の枯れ草

もとてもいいと書かれていました。ねこじゃらし(エノコログサ)もすすきなどですね。イネ科ですから当然稲わらもいいのだろうと思っていたのですが、あるサイトによれば稲わらは早く腐るからよくないと書いてありました。どちらにしても稲わらなんて手に入らないのですが。
ねこじゃらしもすすきも、まだ青々としているのはダメで、枯れたものか、天日で乾燥させたものを使います。これなら家のそばの川にもいくらかありますし、少し離れたところの大きな川の河川敷には山ほど風になびいているのを見ています。もうそろそろ枯れているでしょう。
そこで、先日河川敷に見に行ったのですが、数えきれないほどありました。ここのすすきを勝手に採ったら何かの条例に引っかかるのだろうか、と思ったのですが、同じようなことを考えている人がいるみたいで、ご夫妻で採っている方がいらしたのです。すすきといっても枯れたものだし、問題ないよね、と思い返して使えそうなものを使うだけの分量いただいて帰りました。
おかげさまで600円浮きました。
しかし、河原の枯れすすきを、枯れすすきそのもののような私が探している風景は、周りから見たら共食いでもしているように見えたでしょうね。

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女郎花、撫子 

「女」「子」とい文字が入っていますから、なんとなくなまめかしい感じがする秋の草です。「をみなへし」という名の意味は分かったようでわからないものです。「をみな」は現代語の「女」に通ずる言葉ですから女性一般を表すように思えますが、元をたどれば「美女」というニュアンスが強かったのです。『万葉集』はすべて漢字(万葉仮名)で書かれていますが、「をみなへし」の「をみな」については「佳人」「美人」などの字が当てられています。平安時代の辞書『新撰字鏡』には「嬢」の字について「美女也」と言ったうえでその読み方を「乎美奈(をみな)」と注記しています。問題は「へし」なのです。「圧し」「押し」の字が当てられる「へす」という言葉があり、「をみな」と合わせると「美女を圧倒する」という意味になるのかもしれません。『万葉集』の「をみなへし」を「姫押」と書いている例があり、「美しい人を圧倒するほどすてきな花」の意味かと考えられるのです。ですから、和歌に女郎花を詠み込む場合は

    「美女」のニュアンス

潜んでいる場合が少なくありません。
名にめでて折れるばかりぞ女郎花
我おちにきと人に語るな
(『古今和歌集』秋上・遍照)
その名がすばらしいと思うから折っただけだ、僧である私が堕落したなどと人には言うなよ、女郎花、ということでしょう。僧ですから女性に惑わされるのは破戒になり、あるまじきことです。それを面白く詠んだのだと思います。
誰(た)が秋にあらぬものゆゑ女郎花
なぞ色に出でてまだきうつろふ
(『古今和歌集』秋上・紀貫之)
これは誰にとっての秋というわけでもないのに、女郎花はどうしてそんなにはっきりとあっというまに色あせてしまうのか、という意味なのです。しかし、何となく女性が心変わりをしたことを思わせる歌になっています。
「なでしこ」は『枕草子』に

    「草の花はなでしこ。

唐のはさらなり、大和のもいとめでたし」とあるように、清少納言は草の花の中では一番だと言っています。その名も「撫でた子」つまり「かわいがった子」で、たしかにあの可憐な花を見るとその名にもうなずけます。
『源氏物語』では「帚木」巻に印象的な場面があります。光源氏のライバルの頭中将がのちに「夕顔」と呼ばれる女性と親密になったのですがあまり熱心には通いません。夕顔は彼との間にできた幼い娘をあわれんで
山がつの垣ほあるとも折々に
あはれはかけよ撫子の露
と詠みます。こんなみすぼらしいところに咲いていても、折々にかわいがってやってください、撫子の露を、という歌で、頭中将に「私はともかく、娘をかわいがってほしい」と言っているのです。ここで「山がつの垣ほ」とあるのは、
あな恋し今もみてしか山がつの
垣ほに咲ける大和撫子
(『古今和歌集』恋四・よみびと知らず)
によるのです。この『古今和歌集』の歌はとても有名で、しばしば本歌取りされたのです。『源氏物語』では幼い子のことを言っているのですが、男子ではなく娘であるように、やはりこの花は女性的なものなのです。
「女郎花」も「撫子」も、愛らしい女性をイメージさせる草花だったようです。

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萩、藤袴 

絵巻物で秋の庭を描くことがしばしばあります。『源氏物語絵巻』では「御法」巻は紫の上が亡くなる直前の場面ですが、光源氏、明石中宮(紫の上の養女)に見守られる紫の上の姿を向かって右奥に、そして画面左側には広々と庭で揺れる秋の草が描かれていて侘しさを募らせます。同じ絵巻の「宿木・三」では琵琶を弾く匂宮と妻の中の君が画面右側に描かれ、左側はやはり広く庭の秋草が描かれるのです。平安時代になると『万葉集』の時代とは違って「秋は寂しい季節」でした。「秋」に「飽き」を掛けて、

    人の心の移ろいやすさ

を描くことも多かったのです。そして、庭に植えられた萩や藤袴、すすきなどがわびしさを募らせるように描かれました。
その萩は『万葉集』の時代からとても愛された草でした。
  夕されば野辺の秋萩うら若み
   露にぞ枯るる秋待ちがてに
   (万葉集・巻八・人麻呂)
など、春の代表的な花である梅よりも多く、140首以上詠まれているのです。
平安時代になると前述のように秋は哀しい季節と考えられましたから、虫、雁、鹿などの鳴き声がわびしさを感じさせるものとして詠まれましたが、秋草もまた同じように寂しさを漂わせます。
鹿と一緒に詠まれる植物としては紅葉も有名ですが、萩もよく詠まれたのです。
  秋萩の花咲きにけり
   高砂の尾上の鹿は今や鳴くらむ
    (古今和歌集・秋上・藤原敏行)
などがそれです。
  鳴きわたる雁の涙や落ちつらむ
   もの思ふ宿の萩の上の露
    (古今和歌集・秋上・よみびと知らず)
  秋萩も色づきぬればきりぎりす
   わが寝ぬごとや夜はかなしき
    (古今和歌集・秋上・よみびと知らず)
も雁や虫の声とともに秋のわびしさを感じさせます。
藤袴は香りが歌に詠まれます。また「袴」という言葉から野に脱ぎ置かれた袴という言葉遊びのような用い方をします。そしてそれらを組み合わせて、

    袴にたきしめた香

が漂うとも詠まれるのです。
  なに人か来て脱ぎかけし藤袴
   来る秋ごとに野辺を匂はす
    (古今和歌集・秋上・藤原敏行)
  宿りせし人のかたみか藤袴
   忘られがたき香に匂ひつつ
    (古今和歌集・秋上・紀貫之)
  主知らぬ香こそ匂へれ秋の野に
   誰(た)が脱ぎ掛けし藤袴ぞも
    (古今和歌集・秋上・素性法師)
いずれも香りと袴を詠んでいます。

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尾花、葛花 

秋の七草の中の尾花というのはすすきのことです。今では、お月見に欠かせない草になっています。風になびき、人を招くような姿だと見立てられることがありました。「おいでおいで」をしている、という感じですね。
秋の野の草のたもとか花すすき
穂に出でて招く袖と見ゆらむ
(古今和歌集・秋上)
花すすきは秋の野の草の袂なのだろうか、それで穂が出て人を招く袖に見えるのだろう、という意味です。おもしろい表現ですね。たしかにすすきの穂の部分は手に見えないでもないですから、あれが風に揺れているのは人を招いている姿そのものではないでしょうか。なお、すすきは、根や茎に

    利尿作用

があるのだそうです。
葛も七草のひとつです。
葛根湯とか葛湯などで、我々の日常生活にも無縁ではない植物です。私は吉野に親類があって、その関係か、子どものころ吉野葛が家に届いたことを覚えています。葛根湯は落語にも出てきて、「ちしゃ医者(夏の医者)」だったかと思うのですが、そのマクラで、なんでもかんでも葛根湯を処方する医者を「葛根湯医者」と言った、というくだりがありました。
しかし文楽好きにとっては何と言っても「狐葛の葉」。

    『芦屋道満大内鑑』

ですね。大阪府和泉市に行くと今もゆかりの地があります。
恋しくは訪ねきてみよ
和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
ですね。
秋風の吹き裏返す葛の葉の
うらみてもなほうらめしきかな
(古今和歌集・恋五 平貞文)
のように、古くから風が吹くと葉の裏が見えるところから「裏見」⇒「恨み」という言葉遊びで和歌に詠まれました。「うら」には「人の心」の意味がありますから、葉が裏返るときにその人の心が垣間見える、というおもしろさがあります。秋の七草としてはユニークな形の葛の花がもてはやされるのだと思いますが、文学の世界では葉のほうが有名になってしまいました。

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桔梗 

秋の七草というのがあります。『万葉集』に「秋の野に咲きたる花をおよびをり(指折り)かき数ふれば七種(ななくさ)の花」「萩の花尾花葛花撫子の花女郎花また藤袴朝貌の花」(山上憶良)があり、古くから萩、尾花、撫子、葛、女郎花、藤袴、朝貌(顔)を七種の花と言ったようです。
憶良の歌は、一つ目は短歌ですが、二つ目の草の名を列挙するものは

    旋頭歌

になっています。旋頭歌というのは「五・七・七」を二回繰り返す形式の和歌です。春の七草は今では「せりなずなごぎょうはこべら・・」と短歌形式で覚えるようになっていますが、秋のものはあまりうまくいきません。旋頭歌というのは現代人には慣れない形式ですので難しいかもしれません。ネットで調べたら「『ハスキーなおふくろ』と覚える」と書いてありました。「はぎ・すすき・ききょう・なでしこ・おみなえし・ふじばかま・くず」だそうですが、最後の「ろ」はどうなの? 「お好きな服は」と覚えるというのもありました。
憶良の歌に言う朝貌は今の朝顔ではなく桔梗(キキョウ)を指すのだろうという意見が多いようです。憶良の当時は今の朝顔はまだ大陸から来ていなかったと考えられるからです。現代では、先ほどの覚え方にも出てきたように朝顔ではなく桔梗を入れるのがむしろ普通でしょう。
私もこの青紫の花はとても好きで、散歩道にきれいに咲かせている家があって楽しみにしていたほどです。根を煎じて飲むと咳などに効くのだそうです。
『古今和歌集』に
秋近う野はなりにけり
白露の置ける草葉も色かはりゆく
という一首があります。初二句に

    「きちかうのはな」

が隠された「物名歌(もののなのうた)」です。この「きちかう」こそが「桔梗」なのです。しかしこの花はその後の歌には意外に詠まれていません。「朝顔」の地位を牽牛子(けにごし。今の朝顔)に奪われて勢力が衰えたのでしょうか、あるいは「きちかう」という名があまりおもしろいものではないということもあるのでしょうか。

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リッチ 

わたしに縁のない言葉の中でももっとも縁遠いのが「リッチ(rich)」かもしれません(笑)。といっても、それは「お金持ち」ということを基準にした場合のことで、人生で肝心なのはそれだけでないことは申すまでもありません。むしろお金持ちでも心の「プア(poor)」な人はいくらでもいるのです。
先日、資生堂の元社長の福原義春さんの本を読んでいました。資生堂の創業者は福原有信氏。この人が薬局からスタートして化粧品に進み、その子息の福原信三氏が初代社長として資生堂が本格的にスタートしました。もともとはいわば福原家の会社ではありますが、初代と5代目の信和氏(初代の長兄の子)、そして10代の義春氏(初代の弟の子)だけが社長に就いています。
信三氏は画家を目指した人でもあり写真家としても活躍し、会社に意匠部というセクションを作って商品のデザインに工夫を凝らしたそうです。
たしかに、資生堂のデザインは、化粧品にはあまり縁のない私でも目を惹かれるものがありました。
この人の言葉に「ものごとは

  すべてリッチでなければならない」

というのがあったそうです。ほかにも「商品をしてすべてを語らしめよ」「ブランドは世界に通用するものでなければならない」という言葉もあって、これらが資生堂の根本精神となったのです。
この「リッチ」という言葉を義春氏は「究極のエレガンス」と言い換えています。また「本物や豊かさのこと」ともおっしゃっています。
昨今、美しいものよりも機能的なものが重視されるようになりました。確かにそれらは便利で効率の良い働きをするものだと思います。ただ、そういうものばかりになってしまうと「殺伐とした社会になってしまうのではないか」と義春氏はおっしゃいます。そして本当にいいものとそうでないもの、本当に美しいものとそうでないもの、これらを判断するには、

    「知」や「教養」

という、ものを測る新しいものさしが必要だともおっしゃいます。
私は文学の勉強をしてきてそれについて学生さんや一般の方々にお話をする仕事をしてきました。大学によっては、自分も専門家になろうと思っている人はいます。しかし私がお話ししてきた人の中に、将来学者になろうというような人はひとりとしていませんでした。それだけに私は「教養」を高めることをお手伝いすればいいのだろうと思ってきたのです。
専門的なこと、あるいは現実生活に役立つことでなければ意味がないというのは大学が大衆化した現代にあっては正しくないと思います。私も教養の重要性を年を追うごとに強く感じるようになっています。

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「ゐ」と「ゑ」 

昔の人は現代人とは発音のしかたが違いました。そのことを示すものに「あめつちのことば」「いろはうた」があります。これはすべての文字を並べて意味のある言葉(歌)にしたものですが、そのうち、より古い形を示す「あめつち」によると10世紀ごろはア行の「え」とヤ行の「え」が区別されていたようなのです。また「いろは」でも「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」ははっきり区別されています。「お」と「を」も区別がありますが、これはわりあいに早く同じような発音になったようです。
今や「ゐ」「ゑ」という字はあまり見なくなりました。わずかに店の看板などにデザインとして用いられることがあるかもしれませんが。若い人に「ゐ」「ゑ」が書けるかと聞いたら「書けない」という人がずいぶん増えたような気がします。また、「書ける」と答えた人でもずいぶんいいかげんな文字を書くことが少なくありません。日常的に使わないのですからやむを得ないとも言えるでしょうが。
「ゐ」は「ウィ」のような、「ゑ」は「ウェ」のような発音だったと思われ、そのためにひと昔前は

    「ヰスキー」

と書いて「ウィスキー」と読ませることもありました。また女性の名前で「よしゑ」「まさゑ」などという方がいらっしゃったものでした。もともと「ゑ」は「恵」の字を崩したものですから、名前にするにはとても縁起のいい字ですね。
ではもう「ゐ」を「ウィ」、「ゑ」を「ウェ」と発音する人はいないのでしょうか。資生堂の社長をなさった福原義春さん(1931年生まれ)は、子どものころ(ということは昭和10年代あたりでしょう)は「ゐ」「を」を使い分けていたとおっしゃっています。「井戸」は「いど」ではなく

    「ウィド」

だったのです。福原さんは資生堂創業者の御令孫で東京生まれ、東京育ちの方です。昭和初期の東京でもそういう発音は残っていたといわれるのです。そして、私が学生のころもまだ田舎に行くと同じような区別はあると教わりました。今はどうなのでしょうか。
発音は微妙に変わっていきます。「ハ行」が次第に「ワ行」に代わっていったのもよく知られるところです。「思ふ」が「思う」に代わったたぐいです。藤原道長の日記『御堂関白記』の古写本(平安時代後期)には「いとほし」という言葉に対して「糸星」「糸惜」という漢字を当てるところがあります。一方は「いとほし」もう一方は「いとをし」と読めます。もうこのころは徐々に発音が変わっていたのです。
現在の我々の発音はけっして不滅ではなく、そのうちに徐々に変わっていく可能性はあります。「店員」を「ていいん」、「原因」を「げいいん」、「延々と」を「永遠と」と発音する若者が増えています。こういうところから、ゆっくりと新しい時代の発音ができていくのかもしれません。

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あと50字 

最後の詰めというのは肝心ですねぇ。
『竹取物語』の求婚譚(かぐや姫に対して貴公子たちが求婚する話)を学生さんと読むと必ずこういう感想が出てきました。たしかに、求婚者たちはみんないいところまで行くのですが、最後に失敗してしまうのです。
それは普段の自分自身のことについても思い当たることです。これまで詰めの甘さのために何度後悔したことか(笑)。
最近、新しい創作浄瑠璃を書きあげて、作曲してくださる師匠に送ろうとしたのですが、どういうわけかパソコンに不具合があったようで送れませんでした。すると師匠が「そんなにあせらないから」とおっしゃったものですから、私も何となくのんびりとかまえていたのです。
それで念のためにもういちど見直しているうちに何とも

    気になるところ

が出てきました。
こうなるともうじっとしてはいられません。
わずか50字くらいと思われる言葉を書き加えたいのです。しかしこれがなかなか思うようにいきません。浄瑠璃というのは散文ではありません。また、意味さえ分かればどんな言葉を使ってもいいというわけにもいかないのです。言葉を選ぶのにさんざん悩むのはいつものことですが、今回も結構苦労しました。
ウォーキングするときもプリントアウトした原稿をバインダーに挟んで持って行って、思いついたことを書き込むようにしています。こういう場合、公演の周辺を歩くと、ベンチが近くにあるので便利です。うっかり持って行くのを忘れた時は歩きながら考えて気づいたことがあると携帯のメモ機能のところに書いておくようにしたり、ポケットに入っていた

    スーパーのレシートの裏(笑)

にゴチャゴチャっとメモしたりもしました。
そうやって家に帰っては原稿を書き直し、また全体を眺めてみるのですが、やはり不満があってまたウォーキングに出る(笑)という始末でした。
このブログの記事であればわずか50字ならあっという間に書いてしまいます。しかし、浄瑠璃は詩であり音楽でもあります。となると、音の響きまで考えておかなければなりません。実際のところ、聞き手の方々がそこまで気にされるかどうかはわからないのですが、私としてはできる少なくとも自分の納得のいくところまでは工夫したいと思うのです。
そして、やっとそれができました。今度はパソコンが言うことを聞いてくれますように。

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靴のひも 

私は何をしても不器用で、ネクタイもきれいに結べません。結び方は何種類か教わったのですが、かなり忘れていて、今はプレーンノットとウィンザーノットの2種類しかできないかもしれません。ただ、ウィンザーノットについては、偶然できたものだったのです。適当に結んでいたら何となくそれらしく見えたのでそれを続けていたら、実はその結び方がウィンザーノットそのものだったのです。この結び方はイギリスのウィンザー公(エドワード8世)の発案という説もあるようですが、実のところはよくわからないようです。
だいたい私はネクタイをほとんどしないので、結び方を忘れてもどうってことはないのですが(笑)。
結ぶ、というと靴ひももあります。私はずっと簡単な

    蝶結び

をしてきたのですが、やはりどうしてもほどけてしまいます。特に最近はなぜかよくほどけるのです。しかも右足ばかりがほどけるのが不思議でなりません。歩き方が悪いのでしょうか。しっかり結んでもダメ、結んだところを靴の中に押し込むようにしてもダメ。そこでこのところ、スポーツ選手が愛用しているという結び方にすることにしました。
便利なもので、これもインターネットですぐに調べられます。

    イアンノット

という結び方だそうですが、ちっとも難しいことではなく、私のような不器用な人間でもすぐに覚えられました。これでもうひもがほどけることはないと安心していたのですが、ふと気が付くとまた右足だけがほどけそうになっていました。どうもこれは結び方の問題ではないな、と考えるほかはありません。
ネットで調べてみると、左の靴ひもがほどけるのは片思いで、右の場合は両思いだという話があるそうです。また左足のひもがほどけるのは恋人と別れる予兆だとも。これは関係ないな(笑)。ほかにもこういうジンクスのようなものがいろいろあるのだそうですが、私なそんなのはどっちでもいいので、ほんとうにほどけない結び方が知りたいです(笑)。

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ファックス 

電話機が平べったく横長になって、ファックスというのが使える、というので家庭に普及したのは今から30年ほど前でしょうか。ファックスそのものが登場したのはもっと前でしょうが、確かそれくらい前に私の家にはなかったファックス機能を付けた電話を買った人が自慢げに(笑)話していたのを覚えています。あの当時は今のように鮮やかな文字が受け取れたわけではなく、何とか読める、という程度のものが届いたものでした。また、受け取った後しばらく放置しているとさらに読みにくく文字が薄く変化していきました。それもそのはず、なにしろ紙自体が

    感熱紙

でしたから。思い起こせば、私が初めて家で使ったファックスは、ロール状の感熱紙をセットしておいて、ファックスが来たらそのロールがくるくる回ってその紙に印字されて出てくるというものでした。ロールがうまく回転しないと紙詰まりが起きたりして、発明した方にははなはだ失礼な言い方ですが、なんだか「工作の時間」に作ったような使い勝手の悪いものでした。
私が『上方芸能』誌の「文楽評」を頼まれたとき(1999年に依頼されました)は、もう普通にパソコンで文書を作っていましたが、たしかあの頃はまだメールに添付して送るのではなく、郵送していたように思います。ファックスでは文字がわかりにくいということもあったのかもしれません。あの頃はまだ手書き原稿も多かったのだろうと思います。その後、誰もがメールを使うようになり、文書の添付もあたりまえのようにおこなわれる日が来ましたので、私もすべてそのようにしていました。
そうなると、ファックスの

    役割は終わる

のかな、という気がしないでもなかったのですが、やはり今でもたまにはファックスが届くことがあります。
今はもう普通のA4の紙を入れればきれいなものが届き、それに書き込むこともできるようになり、便利な時代になりました。
最近記憶に残るファックスは、ある仕事がらみのものでした。A氏からB師匠のところに届いた「新作浄瑠璃」が1か月後に演奏するべく作曲されるはずだったのです。ところがこれを書いた方は浄瑠璃についてはあまりご存じではなかったそうで、B師匠はあわてて私に「何とかこれを浄瑠璃の文章に直してくれ」というメールをくださったのです。しかしその時師匠は愛知県で公演中。どうにもならないのでホテルからファックスで送るので受け取ってほしいということでした。なんと、約20枚。これを全部に作曲して演奏していたら3時間ほどかかるのではないかというもので、私は拝見した瞬間に絶句してしまいました。
家やオフィスでパソコンや周辺機能があればPDFにしてメールで送ってもらうことができますが、緊急の場合はそれがかないません。ファックスがあったおかげで何とかその仕事をこなすことができたのでした。

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空いたプランター 

今年の秋はイチゴを植えてみました。途中で何かやらかして枯れさせてしまうのではないかと心配ですが、今のところは、昨年ニンニクを植えていたポットに緑色の濃いイチゴが鎮座しています。イチゴは乾燥を嫌うそうですが、あまり土をドロドロにするのは根を腐らせる可能性もあるようで、そのあたりのバランスも難しいところです。肥料も元肥は与えましたが、今後どうするのか、ネットでもいろんな情報がありますので信頼のおけそうなものを選んで育てたいと思っています。私の選んだ苗は

    宝交早生(ほうこうわせ)

ですが、これはあまり大粒の実はならないのだそうで、かわいらしいのがいくつか採れればいいな、と今は思っています。そして、来年の秋にはもっと上手になって再来年にたくさん収穫できるように、という、なんとものんびりとした遠大な計画を立てているのです。
さてそんなことをしているうちに初冬になりました。ふと見ると、今年は、プランターが二つ余ってしまいました。
別に無理に使う必要はないのですが、なにか植えておきたいと考えるようになりました。何かと物寂しい冬を過ごすために、寒さに耐える花を植えるのも気分が温かくなっていいかもしれない、と思います。そういえば何年か前に枯れかけた

    ビオラ

を植えたことがありました。とても強い植物で、あれほど枯れかけていたのに、植え替えて世話をすると見事にたくさんの花をつけてくれました。ああいう苗をいくつか買ってくるのもいいかもしれません。
というわけで、この文章を書きおえたらホームセンターに行ってこようと思っているのです。

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選挙の日の風景 

10月31日の選挙の日は朝起きるとあまり天気は良くなかったのです。投票は朝の7時から始まりますが、私は7時30分を過ぎたころにそろそろ行こうかと思って外に出ました。するとぱらぱらと雨が降っていて、もう少し待つことにしたのです。しかし結局大降りにはならないものの小降りの雨が続くのであきらめて出かけました。会場はビルの3階にあるのですが、そこに上がるエレベーターはまったく人が並んでいるわけでもなく、それどころか、停止していて、私がボタンを押すとすっと開き、一人で乗っていったのでした。会場でも投票する人は誰もいなくて、係の人は雑談中でした。そこに私が入りましたので、あわてて応対してくれました。
まず小選挙区のコーナー。そこでさっさと名前を書いて投票箱に入れると、今度は比例区。政党名を書くところです。今回話題になったのは

    「民主党」

と書いたら立憲民主党と国民民主党のどちらとも理解されるため、票が案分されるということでした。こういうのはわかりやすくしてもらえませんかね。法的には問題ないということなのでしょうが、「法的」なんていうのは物事の是非を判断する方法の一つに過ぎませんから。おまけに「民主」とだけ書くと、社会民主党や自由民主党も可能性があるのでよけいにわずらわしいことになるようです。しかしまあ、なんとかそれも終えて、さあおしまいと思ったら最高裁判事の国民審査がありました。はっきりいってあまり関心がもたれていませんが、選択的夫婦別姓についてどういう態度を示しているか、その他過去の仕事が公報に出ていましたので、それで判断して投票しました。
というわけで、三段階の投票が何とか終わったのです。おしゃべりしている立会人に、それでも一礼だけはして出て行きました。すると出口に愛想のよい女の人が立っていて、近づいてきました。差し出されたものはタブレット。ははあ、これが噂の

    出口調査

か、と分かりました。おそらく彼女は「NHKですが、出口調査にご協力いただけませんか」とでも言っているのでしょう。実は私はこれまで経験がなく、ものは試しと協力することにしました。だれに投票したか、何党に投票したかのほかに、内閣を支持しますか、憲法改正に賛成ですかなど9項目に答えて返しました。何しろ私が行ったときは朝早かったので他に人がおらずゆっくり答えることができました。
外に出ると少し雲が切れていましたが、まだ細かい雨が降っていました。そのあと遠回りをして散歩してから家に帰ったのでした。

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期日前 

総選挙で期日前投票が始まったのは2005年だそうで、そんなに古いことではないのですね。そのときはまだ10%に満たない人しか参加しなかったそうですが、今回の選挙ではその2倍以上の人が期日前に一票を投じたのだそうです。
普通に考えたら、選挙運動が始まって候補者が自分の政権を明らかにして、それを有権者が吟味して投票するというのが王道のように思えます。しかし、全体の投票率はいくらか下がっているのに、期日前投票率はぐんぐん上がっているというのが現実のようです。
実は私はこの期日前投票というのをしたことがありません。これはあくまで投票日が仕事などで都合が悪い、たとえば選挙のおこなわれる日曜日が

    稼ぎ時で休めない

人たちのための制度だと思っていたからです。あるいはたまたまその日は旅行しているとか、手術のためにあらかじめ入院していることがわかっているという人もいらっしゃるでしょう。いずれにせよ、当日行けない人が利用する制度という認識だったのです。しかし最近はどうもそうではなくなっているようです。公示前から「絶対的な支持者がいる」場合には演説も何も必要ないのでしょう。どんな悪いことをしてもあるいは疑惑の塊でも「おらが先生」に入れるのはあたりまえ、という場合もあるでしょう。団体で支援している場合、党員でほかに選択肢がない場合など、その人に投票することを前提に演説を聴くことも珍しくないはずです。逆に「あの党には入れない」「あの党の候補には入れない」「結局こっちに入れるほかはない」という

    消極的支持

の場合もあらかじめ決まっているわけですね。
我が身を顧みると、やはり今回の選挙でも早々と消極的支持をする人が決まっていました。ですから期日前に行ってもよかったわけです。
ではなぜ行かないかというと、ひとつには投票所が遠いということが理由なのです。もうひとつはやはり慣れないことをするのがどうしても億劫になっている昨今の健康状態にあります。知らないところに行って変に話しかけられたらさっぱりわからないですから、しり込みしてしまうのです。
しかし、一度体験すればそっちも慣れてくるとは思っています。いつか誰かの後ろについて行ってみたいなと思っています。

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比例復活 

今の選挙では小選挙区で落選した人が大きな顔をして国会に出ていくことがあります。申すまでもなく比例区で名簿上位に記載された人が救われるという摩訶不思議なシステムによるものです。
誰がこんなことを考えたのか知りませんが、理不尽この上ない制度だと私は思っています。小選挙区に出たら比例に重複立候補はできないということを明確にすべきだと思えてなりません。
しかし我が身がかわいいですから、候補者はきっとそんな意見には耳も傾けないのでしょう。
今回の選挙ではせっかく(笑)与党の幹事長が小選挙区で落ちたのに、比例で復活当選したようです。そういう人がぞろぞろいて、「落選しました、でも当選しました」ってどういうことなのでしょうか。
プロ野球のクライマックスシリーズでも「優勝を逃しました、でも日本一になりました」ということがあり得ますので、似たようなものかもしれません。
弱者救済というのはそういうことではないのです。これは

    強者救済

の一種だと思います。
おそらくなんだかんだと理屈をつけてこれはこれで意味があるのだとか、妙な言い訳をするのでしょうが、どうにも納得がいきません。
勝つか負けるかが明確になるからというのが小選挙区の利点でもあり、二大政党制を生むとも言われてきました。しかしばらばらの野党がばらばらのままではどうにも意味がないような気もします。
先祖返りみたいですが、中選挙区に近い、

    すべて定数2の225選挙区

などにはできないものでしょうか。
もっとも、比例代表というのは、政党政治をする限りではある程度やむを得ない方法だろうとは思います。それならすっきり全部比例にしてしまってもいいような気もします。いずれにしても今のままでいいのだろうかと思えてなりません。
ついでですが、落としたい人にマイナス1票を入れる制度も作ってほしいです。もっとも、そんなことをしたら各党の党首クラスにマイナス票が集まってしまうでしょうから無理に決まっていますが。

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複雑なうれしさ(2) 

西宮から神戸の時代は兵庫県のスマートな球団でしたが、大阪に行ってまた「いてまえ打線」の復活などという言葉が生まれるようになって、何だか球団のカラーが変わったと思った私は、もともとセ・リーグが好きではなかったこともあって、好きな球団がなくなるような感じで、野球全体にも興味が薄れて行きました。
そもそもオリックスのオーナーである宮内さんという人の商売のしかたやものの考え方にはあまり共感するところが多くなく、それは今も続いているのです。カジノに手を出すんですよね・・。
ただ、このところのオリックスは最下位かせいぜいBクラスという感じで、かつての

    阪急を思い出す

ことがあるのです。そして絶対的なエースやシュアなバッター、俊足の選手が目立つようになり、私にとっては好感度が少しアップしてきました。いい選手がいるのに勝てない、というのはまさに私がプロ野球に興味を持ち始めたころの阪急時代そのもので、何となく自分自身のふがいなさと重なるような気もしてまた少し関心が強まりました。
山本といういいピッチャーが出てきました。吉田というシュアなバッターも登場しました。さらに監督がOBで阪急時代から選手だった

    中嶋さん

ということで、去年は「やっぱり忘れられないチーム」という感じで観ていました。そして今年、交流戦での好成績があって、そのあとぐいぐい成績が伸び、ついに優勝までしてしまったのでした。
今はクライマックスシリーズという、今ひとつわけのわからない決定戦がありますので、まだ何とも言えませんが、もしヤクルト対オリックスになったら、あの阪急時代の因縁の試合の再現というか決着をつけてもらいたいものです。もう阪急ではなく、兵庫県の球団でもなく、宮内さんの球団になり、名前もバッファローズになってしまったために何だか複雑ではあるのですが、やはり応援したいと思っています。

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複雑なうれしさ(1) 

プロ野球パ・リーグでオリックスが優勝しました。
私は子どものころから阪急ブレーヴズのファンで、巨人・大鵬・卵焼きと言われた時代でも、弱くても、人気がなくても阪急でした。パ・リーグというだけで人気がなかったのに、さらにそのうえに近鉄と阪急は弱いことで知られた時代がありました。ただし、あれだけ弱かったのに、不思議なことに350勝投手の米田さんとか300勝投手の梶本さんとか、すごい選手がいたのですけれども。そののち、昭和50年代には山田、今井、福本、簑田、加藤、中沢、マルカーノ、ウィリアムズらを擁して、黄金時代も築きました。私はあの時代に一番熱心に球場に行きました。ヤクルトとの日本シリーズでは大杉選手のレフトへの大飛球をめぐってホームランという判定を不服とした上田監督が猛抗議。79分も中断するという前代未聞の出来事もありました(今なら上田さんが手で四角を作って審判にアピールすればビデオ判定であっという間に裁定が下るのですけどね)。東京発のスポーツニュースは巨人だ、ヤクルトだ、西武だとあっちの方の球団を重視して、阪急の試合になると何だかめんどくさそうに放送していたような気がします(ひがみかな)。
そうこうしているうちに、人気がない=もうからないということで、阪急電鉄は球団の身売りを決めました。相手は

オリエントリース

という、世情に疎い私は聞いたこともない企業でした。球団名はオリエントリース・ブレーヴズになるのだろうかと思ったら、この会社がオリックスの名を変え、オリックス・ブレーヴズになったのでした。やがて本拠地が西宮から神戸に移り、球団名はオリックス・ブルーウェイブになりましたが、神戸といっても中心地からは離れたところで、私は観に行くこともできませんでした。そうなると、どうしても阪急時代に比べると心は離れていきます。ただ、旧阪急の選手がたくさんいたわけですから、興味は持ち続けていました。
そんな時に起こったのが阪神淡路大震災でした。そして、選手たちも何らかの被害を受けながら、その春からは

    「がんばろうKOBE」

を合言葉にイチロー、田口、星野、中島、藤井らが頑張り、優勝もしたのでした。さすがにあのときは嬉しかったのを覚えています。
イチロー選手は本当に素晴らしくて、私は彼の二塁打がとても印象に残っています。あのまま日本にいたら、4割バッターになっていただろうと思います。
そして近鉄が球団を支えきれなくなり、オリックスと新球団の楽天に合流し、オリックスはやがて近鉄時代のバッファローズを名乗るようになってしまいました。さらには本拠地も大阪市に移ってしまい、阪急を母体としていたはずなのに、いつの間にか近鉄になってしまったようで、また少し心が離れました。

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えらぼーと 

昨日は(おもに若者は)ハロウィンと選挙と両方楽しまれたのでしょうか。
選挙結果は予想されたものとさほど変わらないということのようで、私はあまうれしくありません。
毎日新聞がインターネット上で選挙の時期になると

    えらぼーと

という企画をしてくれます。
政治家へのアンケートと同じものを25問回答していって、どの政治家、どの政党と合うかという結果を出してくれます。
私は、今年は山本太郎氏の政党が一番近いと言われました。実は山本氏の考えていることはあまりよく知らないのですが(笑)。
反対に一番合わないのは思った通り、あの大阪の政党でした。
私の選挙区では立憲の候補者が合います、と言われ、まあ、そんなものかな、という感じでした。
実は、若い人からよく

    「誰を選んだらよいかわからない」

という声を聴いてきました。
政党の区別もつかない人はかなり多いのです。でも、年金問題とか憲法問題とか、将来あなた方の人生に関わってくるかもしれませんから選挙には行ってみたらどうですか、とお話ししています。
それでもわからないからどうしようもない、というので、では一度「えらぼーと」をやってみたらいかがですか、とお話ししました。もちろん若者は「えらぼーと」なんて誰も知りませんでしたが。
さて、彼ら彼女らは選挙に行ったのでしょうか、「やっぱりわからない」と棄権したのでしょうか。

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