数ふれば
あっという間に時間が過ぎていきます。今年ももう大みそかになってしまいました。といっても、取り立てて何をするわけでもないのですが、やはりつい一年の反省をしてしまい、毎年のように「今年も何もできなかったな」という気分になります。
このブログには以前も書いていますが、平安時代の歌人である
和泉式部
の歌に
数ふれば年の残りもなかりけり
老いぬるばかりかなしきはなし
があります。美貌を誇ったという彼女にしてみれば、老残の我が身を見るのはつらいことだったのでしょう。その点私は老いを嘆くほど誇るべきものがありませんので幸せかもしれませんが。
昔は年が明けるとまた一つ年齢を重ねるという考えがありましたから、よけいに年の暮れになると自分の老いを感じることになったかもしれません。
ともかくも、本年も何とかここまでやってきました。新年はきっとよい年になることと信じつつ、今日一日を送りたいと思っています。
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2022年
新年あけましておめでとうございます。
世の中の不穏な状況がいつ終わるのか見えないままに2020年、2021年があっというまに過ぎて行きました。
今年はさてどうなるのか、まだ何も見通せませんが、自分の健康を守りつつ、世の中の安泰を願うばかりです。
今年も何卒よろしくお願いいたします。
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- [2021/12/31 00:00]
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2021年 私の十大ニュース
今年もあまりいいことの多くない一年でした。どうも人生が「ジリ貧」になっているようです(笑)。
いつも「十大ニュース」を書いてきたのですが、何があったかな、とこの一年を思い出してもそんなにたくさん書くことがありませんでした。やむを得ず無理やり絞り出して書いておきます。
第一位 創作浄瑠璃を書く
今年もかろうじてひとつだけ完成しました。まだ作曲の師匠にお届けしただけで曲は付いていないのですが、私の手元からは離れました。タイトルは「異聞おくり提灯」です。かねてから考えていた「老女の恋心」をテーマにしたものです。もし師匠が曲をつけてもいいとおっしゃればまたどこかで演奏していただけるかもしれません。
第二位 「源氏物語」のエッセイ、連載を継続
短歌の雑誌に書いている「源氏物語」のエッセイは丸6年になりました。今後も続けたいとは思っているのですが、あまり長期に亙るとマンネリ化しますので、どこかでやめる決断も必要かなと思っています。主宰者の先生は「いつか本にしてね」とおっしゃるのですが、そんなお金はありませんので無理です(笑)。
第三位 短歌の創作を継続する
上記と同じ雑誌に今年は全部で31首の短歌を掲載していただきました。300首くらいになったら、その中から精選して歌集を編みたいところなのですが、これも金銭的な余裕はないので無理だと思います(笑)。
第四位 「名月乗桂木」を活字化する
旧作の「名月乗桂木」を少し整理して活字化しました。これで「江戸情七不思議」に次ぐ活字化で、来年早々にはこれも旧作の「斎宮暁白露」が活字になります。「浄瑠璃集」も余裕があれば単行本にしたいのですが、やはり同じ理由であきらめています(笑)。もっとも今は、印刷は自分である程度きれいにできますから、製本だけをしてもいいと思うのですが。
第五位 居住地の庚申塔を訪ね歩く
江戸時代の庚申信仰が盛んだったころ、供養塔が建てられることがありました。私の住む町にもいくらか残っていますのでそれを踏査してみました。まだ山間部を歩いていないのですが、平野部に関してはほぼ歩き通したと言っていいと思います。大切に保存されているもの、道端のゴミ溜めのようなところに放置されているもの、菜園の脇にぽつんと置かれているものなどいろいろでした。
第六位 2月の歩数、474,055歩
肺機能を衰えさせないために、少しでも歩こうと考えてこの一年はまずまず歩きました。一番多かったのが庚申塔巡りをしていた2月で、一日平均16,931歩。一日の最高は4月9日の28,256歩で、11月末までの一日平均は10029歩でした。12月は少し少なめですが、それでも年間を通しての一日平均は1万歩を確保しそうです。
第七位庭師(笑)になる
この数年、小さなプランターで植物を栽培してきたのですが、今年はわけあってさらに土に親しむことになり、庭師(笑)の仕事をいろいろやってみました。もちろん素人ですからきちんとしたことはできませんが、田舎の家の庭を掃除して何とか人が住んでいるようには見えるかなというところまでできました。
第八位フェルメールの絵を2点観る
流行に乗った形ではあるのですが、にわかフェルメールファンです。今年のはじめと終わりに、彼の作品を2点観ることができました。国立国際美術館でのロンドン・ナショナルギャラリー展と大阪市立美術館でのメトロポリタン美術館展で、それぞれ「ヴァージナルの前に座る若い女性」と「信仰の寓意」でした。
第九位イチゴとの出会い
ここ3年ほどプランターでニンニクを栽培してきました。この秋もそうしようかと思ってホームセンターに行ったら、イチゴの苗があって、しかも一見してなかなか立派な苗に見えたものですから思わず買ってしまいました。ただいま生育中です。うまく実が生るでしょうか。
第十位今年も何とか生き抜く
もういつどうなるかわからないという状況にあって、かろうじて今年も最後まで生きることができました。第10位に置いていますが、ほんとうはこれが一番なのかもしれません。
以上でした。
これ以外に仕事で自分としては一生懸命やったことがあるのですが、もうしばらく公にはできませんのでまたそれは年明けにでもここに書きたいと思っています。
来年はもっといいニュースを作りたいです。
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- [2021/12/30 00:00]
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新世界
大阪市立美術館からの帰り道、すぐに天王寺駅に行かずに、少し遠回りしてみました。
といっても、ひと駅だけで、新今宮を目指したのです。美術館を出て西側に降りていき、動物園の入り口を左に見るようにして、さらに西へ行くとそこは新世界です。
実は、私は天王寺まで行くことはしばしばあるのですが、新世界というところに足を踏み入れた記憶がないのです。ひょっとしたら生まれて初めての場所かも知れません。
猥雑な臭いをぷんぷん漂わせている場所らしいというのは聞いていましたが、どんなところなのか、ドキドキしながら(笑)行ってみました。天下の公道であるはずのところに巨大なビリケンさんを置いている店がありました。以前なら「づぼらや」の大きな提灯が見られたのでしょうが、それはもうありませんでした。そして北を見ると
通天閣
があります。私はもちろんのぼったことがなく、これまでは遠くから見て、おもちゃみたいな塔だな、と軽く見ていたのですが、さすがにすぐそばで見ると大きなものでした。
これもうわさに聞く「二度漬け禁止」の提灯のぶら下がった串カツの店、派手な看板の店、なんとなく薄汚い感じの小さな店。庶民の生活がここにあるのだと感じました。道にはみ出した椅子に座って串カツとお酒を味わっているおじさんもいました。そういう人たちが街に溶け込んでいて、この地域を形作っているのだな、と思いました。
そして堺筋に出たのですが、この道の脇もなかなか活気があって、お酒の匂いがするようでした。やがて新今宮の駅に到着。ここから環状線で帰ったのですが、あとでグーグルマップのストリートビューを見ると、駅の南側は全く雰囲気が違っていて、ごく普通の都会の風景でした。やはり「新世界」は独特の「世界」なのだと感じた次第です。
通天閣にある
ビリケンさん
はアメリカ生まれだそうですが、それもまたこの街で幸せを求める人たちにマッチしているようで、なんとなく新世界をうろついている人たちのお顔がビリケンさんに似ているような気がするから不思議なものです。
この日はちょうどサラリーマンの終業時くらいに大阪の街にいたわけで、人の多さに驚きました。このところすっかり田舎に根付いてしまっていますので、都会の雑踏というものはすっかり忘れていたのです。特にJR大阪駅からグランフロントやヨドバシカメラを左に見て阪急に抜ける高架歩道は「密」もいいところでした。
もうあまり都会には出たくない、としみじみと感じたのでした。
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- [2021/12/29 00:00]
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音楽家たち
メトロポリタン美術館展に出ているカラヴァッジョの「音楽家たち(合奏)」(1597年)という絵は彼の若いころの作品だそうです。のちに陰翳豊かなキリスト教絵画を描く人の、いわば修行時代の作品ということになります。
カラヴァッジョの本名はミケランジェロ・メリージ。「カラヴァッジョ」は出身地で、いわば「ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ」。これはちょうどレオナルド・ダ・ヴィンチと同じようなものでしょう。
近現代の人はそれほどでもないかもしれませんが、フラ・アンジェリコやエル・グレコのように画家の名(呼称)は本名でないことが多いようです。そもそも海外の人は名前を先人、聖人などにあやかってつけますから、あまり個性的でない名前も多く、むしろ呼称の方がわかりやすいのかもしれません。
さて、カラヴァッジョの
「音楽家たち」
は少年四人が描かれています。「合奏」と呼ばれることもあるようですが、演奏しているのではなく、その準備をしている様子です。中央にいる少年はこちらを見ていて、リュートを調弦しているようです。目がどこを見ているのか定まらず、音楽に集中している様子だろうと思います。右手前には歌手らしい少年が背を向けています。手元に楽譜があります。左奥のひときわ美しい少年はカラヴァッジョの美少年好みがよく感じられますが、ブドウを手にしています。そしてもう一人、鑑賞者のほうに目を向けている人物がいるのですが、これはカラヴァッジョの自画像だそうです。なかなかワルそうな(笑)顔をしています。カラヴァッジョは後に人を殺めたり傷つけたりしていますが、かなりの
荒くれ男
だったようです。
この絵はカラヴァッジョの若いころのものですし、後年の宗教画に見られる劇的な要素はありませんので、実はあまり期待せずに観に行ったのです。しかしやはりカラヴァッジョはカラヴァッジョでした。堂々たる存在感があって、多くの観客がしばしそこで足を止めて見入っていました。
栴檀は双葉より、という感じのすばらしい絵でした。
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- [2021/12/28 00:00]
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フェルメールの17作品目
大阪市立美術館にメトロポリタン美術館の作品が来ています。
私もやっと観に行くことができました。
画家の名前はほんとうにもう錚々たるもので、アンジェリコ、ラファエッロ、ティツィアーノなどのルネサンス期の人をはじめとしてエル・グレコ、カラヴァッジョ、フェルメール、レンブラント、コロー、クールベ、モネ、ルノワール・・などの名前が並びます。
ただ、その作品に関しては、カラヴァッジョなら初期の「音楽家たち」ですし、ラファエッロも聖母がらみではなく「ゲッセマネの祈り」です。すべてメトロポリタン美術館の所蔵品ですからしかたがないことで、ぜいたくを言うわけにはまいりません。こんな時期に日本まで運ばれてきたことを感謝して拝見したいと思っています。
ブームに乗せられるようにして観てきたフェルメールの絵もひとつ来日しました。これも初来日の絵で、当然私は観たことのないものです。
信仰の寓意
という変わったタイトルの絵です。こういう寓意を描いたものにはもうひとつ「絵画芸術」と呼ばれる作品もあります。
フェルメールは結婚後にカトリックに改宗したそうですが、この絵もカトリックの宗教観を表すさまざまなものが描かれています。中央に女性がいるのですが、この人がカトリック信仰の化身のような姿になっていて、周囲に描かれたものとともに深い意味を持つものなのです。
イエスの磔刑の絵を背後に、女性は右手を胸に当てて(心に信仰があることを示す)、視線はガラスの球体に注がれているようです。このガラスの球体は天上世界、彼女のつける衣服は青(天上)と白(純潔、光輝)をあらわし、彼女の右足は地球儀の上に置かれ、これはカトリックの世界支配を意味するそうです。
床には蛇が角ばった石(隅の親石)に踏みつけられるようにして血を吐いています。これは
悪魔や邪教
がキリストに抑えつけられているところです。さらにそばには原罪をあらわすリンゴがあります。彼女が左手を置いている机の上には聖杯、聖典、十字架のキリストが置かれており、聖餐の様子が示されるそうです。
この絵を観ておもしろいと思うかどうかは、やはりこれらの寓意性を知っておくことが必要になると思います。見た目が全てだという人もあるかもしれませんが、私はやはりある程度こういう知識を持って観に行く方がいいと思っています。
これでフェルメールの絵を観たのは17作品目です。
「ワイングラスを持つ娘」「マルタとマリアの家のキリスト」「手紙を書く婦人と召使い」「小路」「ヴァ―ジナルの前に座る若い女」「リュートを調弦する女性」「ディアナとニンフたち」「レースを編む女」「青衣の女」「手紙を書く女」「真珠の耳飾りの少女」「水差しを持つ女」「天文学者」「恋文」「取り持ち女」「ヴァ―ジナルの前に座る若い女性」そして今回の「信仰の寓意」ということになりました。
未見のもの(観たいもの順)
「デルフトの眺望」「牛乳を注ぐ女」「天秤を持つ女」「真珠の首飾りの女」「少女」「地理学者」「ヴァージナルの前に立つ女」「窓辺で手紙を読む女」「ギターを弾く女」「士官と笑う娘」「中断された音楽の稽古」「婦人と召使い」「ワインを飲む女」「音楽の稽古」「眠る女」「絵画芸術」「合奏」「聖プラクセディス」「赤い帽子の女」「フルートを持つ女」(20点)
※ただし、最後の2点はフェルメールではないという説が強いようで、私も違うと思います。また、「聖プラクセディス」は彼の作なら模写だそうです。
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- [2021/12/27 00:00]
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まだ見ぬしのぶさんへ
私は俳優の大竹しのぶさんをよく知りません。彼女の舞台はナマで観たことがないのです。天才的でしかし努力家の、情熱的な俳優さんのように感じるのですが、実際のところはわかりません。しのぶさんは私の妹と同じ年のお生まれで、吉永小百合さんと「ひとまわり」年齢が違うはずです。何かで知ったのですが、小百合さんはしのぶさんを「ことりちゃん」と呼んでいらしたことがあると思うのです(おふたりとも酉年。私の妹も)。舞台の記録などでわずかに知っている彼女の演技はやはり根っからの俳優だと感じさせるものでした。
しのぶさんは十八代目中村勘三郎さんと親しかったこともよく知られていて、勘三郎さんのご葬儀の際も弔辞を読んでいらっしゃった、というかほとんど中村屋に話しかけて(怒鳴りつけて?)いらっしゃいました。
十二月五日は中村屋の命日で、その日のことを彼女は朝日新聞に連載している「まあいいか」という連載エッセイに書いていらっしゃいました。このエッセイはなかなかの優れもので、彼女の心の厚みというか、豊かさというか、とにかく
36.8度
くらいの熱が伝わってくるのです。自然体なのに微熱を感じる、そういう熱さがあります。勘三郎さんのことについてのお話もすてきなのですが、私個人はこのエッセイで救われたことがあって、それについてメモしておきます。
私が一番新しく書いた創作浄瑠璃は、作曲のためにすでに歌舞伎三味線の野澤松也師匠のところに渡っています。しかしこれを渡すときにちょっとした不安があったのです。前にもここに書いたとは思うのですが、高齢の女性(といっても江戸時代の話なのでイメージとしては58歳くらい。すでに隠居の身で、名は「おひさ」です)が夫を失い、仕事ばかりの息子ともあまり話もしなくなっていて孤独感に襲われているところから始まります。そしてもう大川(隅田川)に身を投げようと思ったところで、正体のわからない男性に止められるのです。そのあとはここでは内緒にしたいのですが(笑)、最終的に彼女は牽牛と織女の星のちょうど真ん中あたりにある連星(白鳥座のアルビレオ)を見て涙を流し、
「恋しうござる、
吉左殿(夫の名前は吉左衛門)」と訴える場面があるのです。しかし、こんなことをほんとうに言うものだろうか、というのが不安でした。私は作品を書いていて、いつも途中からは登場人物が語りたいことを、こちらが聞き手になるつもりで、人物の声を書き留めるような気持ちでキーボードをたたいているのですが、このときも、この高齢女性が「恋しい」と言っているような気がしましたのでそう書いたのです。でも、「おひささん、ほんとうにそんなこと言うの?」という疑問が残りました。
ともかくも松也師匠に送って、そのまま何となくわだかまりを持っていたのですが、その頃にしのぶさんのエッセイを見たのです。するとそこに、しのぶさんのお母様が亡くなる少し前に早世された夫君(つまりしのぶさんのご尊父)のお名前を呼ばれて「逢いたいですよー」とおっしゃったと書かれているではありませんか。これを読んだ瞬間、私は
「やはりそう言うんだ!
と感激しました。
登場人物はウソをつかない。もっと耳を澄まして人物の声を聞けばいいんだ、と思いました。
大竹しのぶさんとは何のご縁もありませんし、私が舞台に行っていないのですからお目にかかることすらできません。でももし、街で偶然(笑)で会ったら、いや、さすがにそれは無理ですのでこのブログを通して「しのぶさん、ありがとうございました」とお伝えしておきます。
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- [2021/12/26 00:00]
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話すスピード
AMラジオのことで思い出したのですが、子どものころ、病気をして昼間寝ているときなど、親がラジオを貸してくれてそれを聴いていることがありました。当時はまだ出演者が弾丸のようにしゃべりちらすのではなく、一語一語かみしめるような話し方をする人が多かったような気がします。アナウンサーがニュースを読む速さはあまり変わっていないのだろうと思うのですが、くわしく調べてみると微妙に早くなっているような気もしています。スポーツ中継などはきっと早口の度合いを増しているはずです。
ラジオパーソナリティのひな型の一つだと思うのが浜村淳さんで、御歳80を過ぎられた今でも毎朝2時間の番組を続けていらっしゃるようです。私も一時よく聴いたことがあるのですが、ほんとうに切れ目なく話されて、立て板に水そのものでした。浜村さんには失礼なのですが、時々中味のないこと、おかしなこともおっしゃっていたと思うのです。しかしそれを
まことしやかに
聞かせてしまうのがこの人のテクニックなのだと思います。ただ、浜村さんのようないわば「フィクションの世界」に生きる人には問題ないのですが、べらべらとしゃべることで事実でもないこと、正しくないことをあたかも正論のようにごまかしてしまう政治手法を持った人が出現するようになって、虚構と現実が混在した困った現象をもたらすことになってしまったようにも思うのですが。浜村さんは政治家になってはいけないし、ならなかったのは賢明だったと思います。ところが、弁舌が巧みなのを悪用して平気でうそをつくような政治家が増えてしまったのは疑いようもない事実だと私は思っています。
話を元に戻します。
中田ダイマル・ラケットという兄弟の漫才コンビがいらっしゃいました。私がまだ子どものころ、この人たちがラジオ番組を持っていらっしゃったことがありました。当時おそらく50代くらいでいらっしゃったのだと思うのですが、私には老人に思えたおふたりの番組は、その何年か後に出現する、深夜放送で猛烈なスピードで話す笑福亭仁鶴さんなどに比べるとけだるくなるような退屈さを覚えました。ところがそのテンポは、現代の慌ただしい世の中とは比較にならない、ゆったりとした昭和40年代ごろの
生活時間
にぴったり当てはまって心地よくすら感じられることもありました。今もかすかな記憶にあるのですが、子どものころに駅前にあった「市場」(スーパーではなく個人商店の集まったところ)では、ずっと朝日放送のラジオを流し続けていました。ざわざわする市場でBGMのように流すおしゃべりでは、息も継がせずしゃべりまくるのではなく、ゆったりと話すのがよかったのだろうと思います。病院に入院している人も、昔はラジオをお聴きになっていたのではないでしょうか。そういう場合もがなりたてるようなパーソナリティの番組は受けなかったでしょうね。
ただ、ダイラケ(ダイマル・ラケット)さんのコンビは、それまでの漫才師とはまったく違った「テンポよく話す」ことで絶大な人気があったのだそうです。深夜番組の喋りと比べるとはるかにのんびりした感じに聞こえたのに、あのダイラケさんのテンポが速かったのだな、と思うと話すスピードの感覚というのはずいぶん主観的なものなのだなと感じます。
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- [2021/12/25 00:00]
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AMラジオのカーペンターズ
私はカーペンターズのレコードは一枚も持っておらず、ラジオで聴くばかりだったのですが、当初はAM局でした。音などお粗末で、オーケストラの番組もステレオではなく、こもったような音ばかり。FM放送は聴かなかったのか、と言われそうですが、実は聴けなかったのです。私の持っていたラジオがAM受信専用の、今思えばおもちゃのようなものだったからです。立派なラジオを持っていてFMとやらいうものを聴いていると言っていた友だちを羨望のまなざしで見ていました。
やがてAM、FM両方が受信できるラジオを持ったときはFM局の音質に驚愕しました。学生の頃、クラシック音楽ばかり聴いていたのですが、ほんとうに桁外れの美しさでした。
AM時代に当時大ヒットしたBee Geesの「マサチューセッツ」を聴いた時、「これが世界的に有名な曲なの?」と不思議に思いました。私に理解力がなかったから、ということが大きいのですが、後に生で聞いた時には「こんなに素敵な曲だったのか」と感じましたから、やはり音質の問題は大きかったのだと思います。それでもなお、そんなAM放送でも、カーペンターズのカレンの歌声ははつらつとして美しいものだったのです。
話がそれるのですが、深夜放送で聴くラジオは朝日放送がアナウンサー中心の穏やかで「正統派」といった雰囲気の内容。毎日放送は無名の噺家などを使ってまだ「芸の真髄」などわからない
若者のハート
をぐっとつかむ最先端の行き方、ラジオ大阪も噺家が多く出ていて、彼らにとっては話の訓練をする絶好の機会になったことだと思います。
カーペンターズに話を戻しますが、なるほどカレンの声の美しさはAMでもよくわかりました。しかしわかりにくいのは歌詞なのです。私が英語を理解できないというのが一番大きな理由でしたが、それとともに音がはっきりしないので、オブラートで包んだようなもどかしさがあり、わかりにくさに拍車をかけたのでした。
ただ、のちに彼らの曲の歌詞を知ると、実にわかりやすい英語で、中学生でも少し勉強すればかなりわかるもの、高校生なら辞書さえ持っていれば大筋はつかめるようなものでした。
むずかしくない歌詞、軽快で弾むような音楽、しっとりと聞かせる歌声、どれをとってもあのカーペンター兄妹は当時の若者にとってはかつて聴いたことのなかったような魅力を持っていたと思います。
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- [2021/12/24 00:00]
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カーペンターズ
12月11日(土)の朝日新聞の夕刊になんとあのリチャード・カーペンターのインタビュー記事がありました。さすがに高齢になっています(現在75歳)が、ひとなつこい笑顔など、かつての面影はうかがえます。リチャードは、妹のカレン(32歳11か月で拒食症からくる急性心不全のために早世。健在なら71歳)とともに主に1960年末から70代に活躍したデュオでした。
カレンはもともとドラマーとして素晴らしい才能を示したのですが、歌もまた優れていたのでいつしかボーカル専門になったようです。60~70年代というと、今よりはるかにラジオが愛されていて、高校生たちはラジオのない生活は考えられないというくらいでした。勉強する時もそばにはラジオ、聴きながら勉強するので
ながら族
などと言われました。私もラジオが欲しくて、やっと使わなくなって古くて小さなものをもらって喜んでいました。カーペンターズはそんな日本の若者の中に彗星のように現れて、駆け抜けていきました。
カレンはもともとぽっちゃりした体形だったそうですが、それを気にかけて摂食障害になって、私が記憶する彼女はほっそりしていたと思います。その結果、体を悪くしてあまりにも早く亡くなったのですが、その歌声は見事なものでした。驚くのが彼女のブレス(息)です。真似して歌っても、彼女がひと息で歌うのを私は必ず一度どこかで息を盗まないと歌えませんでした。高い声がよく伸び、低い声もよく響き、軽く歌ったりしんみり歌ったり、不思議なほどの能力を持った人でした。
「遥かなる影」「愛のプレリュード」が70年ですが、私はこのころはまだ知りませんでした。私が覚えている一番古いものは「Sing」だったと思います。これが73年。そして同じ年には「イエスタディ・ワンス・モア」「トップ・オブ・ザ・ワールド」があり、その翌年には「ジャンバラヤ」「プリーズ・ミスター・ポストマン」など。このあたりが私のもっともよく聴いていた頃だと思います。実は私はカーペンターズの
日本公演
に行ったことがあるのです。大阪フェスティバルホールだったと思います。お金がありませんから、二階席の隅っこのようなところでしたが、まだ日本ではレコードが発売されていなかった曲が演奏されたりして、いい思い出になっています。
私は最近、カーペンターズの歌を鼻歌交じりに口ずさむことがあるのです。リチャードの新聞記事が出るよりずっと前からです。特に歌っているのは「イエスタディ・ワンス・モア」と「トップ・オブ・ザ・ワールド」で、もう歌詞は丸暗記しています。とはいえ、歌うのはなかなか難しく、音程は多分めちゃくちゃ。人には聞かせられない歌です。特に「トップ・オブ・ザ・ワールド」は息継ぎがとても難しく、YouTubeを見ながら口ずさんだりするのですが、本当にカレンという人はいったいどこで息を盗んでいるのだろう、と不思議なくらいです。
もう聴くことのできないカーペンターズの音楽ですが、心の中では生き続けると思います。
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- [2021/12/23 00:00]
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ある日のひとりの夕飯
私は自分でもあきれ返るほど不器用な人間で、中学生の時の「技術」の時間(当時は男女が別の授業で、女性は「家庭」でした)に本立てを作ることになって、切ったり組み立てたりやすりをかけたり塗装したりするのがまったくうまくできずに、金づちを持たせると打つ方向が不安定で釘が材料の横にはみだしたり、なめらかな曲線になるようにやすりをかけているとでこぼこになったりして、ひどいものでした。ブックエンドも作りましたが、金属を曲げるのがうまくいかず、くねくねしたものが出来上がりました。もっとも、本立てやブックエンドですから、美的には大問題でも、実用的には何とか使い物にはなりました。
そんな人間ですから、いくら大人になっても器用にものごとを作れないし、まして美的にはひどいものしかできません。
しばしばひとりで夕飯を食べることがあります。最近の言葉なら
一人飯
というのでしょうか。といっても居酒屋に行ってお酒を飲みながら、というような優雅なものではありません。何か自分で作っては食べるのです。ところが前述のような不器用な人間ですから、まともなものは作れません。先日の「一人飯」のときは、仕事で遅くなったので、スーパーに閉店ギリギリで飛び込んで「値下げシール」付き(笑)の食品を中心に買い物をして帰りました。豆腐とひき肉と葱があれば中華食材のコーナーで「麻婆豆腐の素」を買えばそれなりのものができます。ついでに餃子とかシュウマイがあればもう十分です。少し手を加えればできるものばかりで、シュウマイなんてほとんど加熱するだけですよね。
これが寒い時期になると、私の定番は
おでん
なのです。最近はひとり用のパックに入ったものも売っているのですが、好みがあるのでそういうのは買ったことがありません。
ついこの間は、これまた時間がなかったので、しょうが天、ごぼう天(ごぼてん)などの揚げ物をいくつか、魚のコーナーでつみれ、野菜は長ネギ、こんにゃく、豆腐、しらたきなどを買いました。最近は関西でもちくわぶも売っていますが、私は入れません。何か忘れているな、と思ったのですが、まあいいや、というわけで帰宅してすぐに料理開始。卵をゆでながらこんにゃくは切り目を入れて揚げ物はお湯をくぐらせて、あとはもう適当にだしの中に突っ込むだけ。あ、ジャガイモがない! タマネギもトマトもない! 変わり種ですが、私はこれらも入れることがあるのです。特にジャガイモはホカホカするので大好きなのですが・・。何かないかと冷蔵庫を開けたら、前日のコロッケがひとつ残っていました。これもジャガイモが入ってるよね、というわけで投入。
何とか出来上がったのを食べようとすると、コロッケの姿が頼りなげです。崩れてしまっていて、ほとんどジャガイモスープになっていました。
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- [2021/12/22 00:00]
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トランプ
まったく変な大統領でした。
いや、その話ではないのです。カードのトランプ(Playing card)。
正月には今どき福笑いをする家も少ないでしょうから、テレビゲームを楽しんだり、家庭マージャンを楽しんだりする人もいるのでしょう。しかしトランプも小さな道具一つでさまざまに遊べるために重宝されているのではないでしょうか。昔は、友だちと旅行に行ったりするとたいてい誰かがトランプを持って行ったもので、長い距離を走る列車の中などで遊んだものです。とはいえ、私はあまりトランプゲームを知りません。ババ抜きと神経衰弱くらいはわかりますが、あまり複雑なものはたとえ教わって経験してもすぐに忘れてしまうのです。これは花札でも同じことで、あれも何度教わっても忘れてしまいます。センスがないとしか言いようがありません。だからいつもカードゲームの勝負は
ビギナーズラック
頼みです。
ただ、興味があるのはあのカードゲームの作り方で、誰が考えたのかは知らないのですが、よくもみごとなカードを作ったものだと感心します。
なんとなくトランプの元祖かなと思われるものにタロットカードというのがありますが、あれはトランプから派生したものだという説が有力だそうで、トランプのもとになったものは中国やインドの発生だとも言われます。1にあたるのがエース(ずばり「1」とする国もあるそうです)で、10までが数字札。それ以上は数字ではなくJack,Queen,Kingという絵札。不思議な構成です。
私は子どものころ、Jackというのは王子なのだろうと思っていたのですが、実は召使いのことだそうです。これらのカードに描かれた人物にはモデルがいるのだそうで、それは次のような人たちです。
King
ハート=フランク王国のカール大帝
ダイヤ=ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)
クラブ=アレクサンドロス大王
スペード=ダビデ王(ダビデとゴリアテのダビデ)
Queen
ハート=ユディット(ホロフェルネスの首を切った)
ダイヤ=ラケル(旧約聖書の人物)
クラブ=アルジーヌ(女王を意味するラテン語で固有名詞ではない)
スペード=アテナ(ギリシャ神話の神)
Jack
ハート=ラ・イル(ジャンヌ・ダルクとともに戦った)
ダイヤ=ヘクトゥール(トロイアの英雄。アキレスに敗れる)
クラブ=ランスロット(円卓の騎士のひとり)
スペード=オジエ・ル・ダノワ(カール大帝に反逆した英雄)
もちろんこんなことは私の知識の中にはなく、ネットでチョイチョイと調べただけのことです。それにしても、ちゃんといわれがあるのだと目からうろこが落ちました。
トランプは4種類のカードに13枚ずつが配置され、全部で52枚、それにJokerが加わると53枚ということになります。なぜ1から13なのか、なぜ4種類なのか、というのも不思議なのですが、どうも何かわけがありそうです。
算数に弱い私ですが、1から13までの数字をすべて足すと、えーっと、どうやって計算するんだろう・・。(1+13)×6+7=91でいいのかな。これが4種類あるので91×4=
364
です。正しいですかね。この364という数字を見ると、どうしても1年=365日を思い浮かべてしまいます。Jokerを1として加えたら見事に365になります。
そういえば4種類というのは四季に該当しますし、52枚というのは一年にある週の数に当たります。
これは偶然なのか、そのように作られたものなのか、実はよくわかりません。これもネットで調べたら何か書いてあるのだろうと思いますが、面倒になってきました(笑)。
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2021今年の漢字
この何年か、ずっと一年を振り返って自分にふさわしい漢字を考えています。例年12月20日ごろに決めていますので、今年も本日ここに記しておきます。漢字検定協会が案を募集したうえで決めているものは世相を問題にしますから、私個人のものとはほぼ確実に一致しません。
あの「今年の漢字」は一般から募集するので、どうしても簡単な文字になりがちで、しかも偏りを感じることがあります。いつぞや「虎」という字が選ばれたときは、国民のほとんどは納得しなかったと思います。もちろん阪神タイガーズが優勝した時のことです。しかしそれが広く世相を表しているか、ということになると、私には一部の人の熱狂に過ぎないと思えるのです。
さて、私のこれまでの「今年の漢字」は、2016年「耕」、2017年「繋」、2018年「忍」、2019年「静」、2020年は
「黙」
でした。もっと言うべきことを言わなければならなかったのに、できなかったからこんな字を思いついたのでしょう。
正しいと思ったことは言おう、と今年は誓ったのですが、まだあまりできておらず、しかし昨年のこの漢字を思い出して自らを奮い立たせています。
さて、今年一年を振り返って、自分にとって一番ふさわしい文字は何だっただろう、と考えました。
その結果、
星
はどうだろう、と思っています。
この字を思いついたきっかけは、今年書いた創作浄瑠璃が白鳥座のアルビレオを素材にしたことにあります。星の浄瑠璃を書きたい、アルビレオを書きたいとずっと思っていましたので、とりあえずそれを成し遂げたことでこの字を選んでもいいだろうと思ったのです。
しかしそれだけでは取ってつけたような感じも否めません。そこで、かなり厚かましい話ではあるのですが、真っ暗闇の中にほんのわずかに輝くものを自分に当てはめてみようと思ったのです。私は所詮、太陽や月になれるはずもない人間です。それだけに、人を照らし、喜びを与え、「なくてはならぬもの」と言ってもらえるわけではありません。仕事場では「お前なんていなくてもいい」という軽い扱いをされています(笑)。しかし、せめて自分を裏切ることなく、かすかな光を放とう、それだけの誇りは持とうと思うのです。・・と書いてみると、やはり厚かましいですね(笑)。
はい、それでも今年の漢字は「星」であります。
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- [2021/12/20 00:00]
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隠れ蓑
大学生相手に紙芝居の話をしてきました。主に昔話で、『かさじぞう』『たべられたやまんば(三枚のお札)』『ももたろう』『さるとかに(猿蟹合戦)』などをその深層にある考え方も含めて、実際に紙芝居を演じながら話してきたのです。
『てんぐのかくれみの』
も取り上げました。
天狗を騙して隠れ蓑を自分のものにして悪さをする若者の話です。
最終的には、おっかあに隠れ蓑を焼かれてしまい、その灰をからだに塗って姿を消したのに、濡らすと灰が落ちるためばれてしまうのです。
アホやなぁ、と思った次の瞬間に我が身をかえりみるとぞっとします。我々も往々にして同じようなことをしかねないからです。
法律は弱い者、正しく生きる者を守るものでなければなりません。しかし現実には
権力を持つ者の横暴
を助けるものになることがあります。
近畿財務局にお勤めだった赤木さんの奥様が訴えを起こしたのに札束でほおづらを叩くような決着をつけようとした政府は法律を隠れ蓑にしてしまった。自分の懐が痛むわけではないお金を払って終わり。必ず天罰が下ることでしょう。
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- [2021/12/19 00:00]
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こんな時、くやしいです
耳の障害はもう諦めねばなりません。それはわかっているのですが、時々ほんとうに悲しく、あるいは悔しくなることがあります。
必要があって、なんと、楽譜を読んでいます。しかし絶対音感があるわけでもなし、それどころか生来の音痴。うまく音にならないのです。ひとつ音は捉えても、メロディになりません。
いくら私が音痴でも、楽譜にある音をそのまま
昔取った杵柄
の楽器で鳴らせば、普通の人なら何とかなります。私の場合、それも意味のないことです(何と言っても、自分の声すらわからないのです)から、かなりイライラしてしまいます。
まだしも幸いなのは漠然とではありますが曲を知っていることです。こういうメロディだった、ということは何となくわかるのです。しかし、正しい音をつかむのは至難の業。しかし何度か繰り返して音をつかんでいって、そうだこのメロディだ、と正しい音を見つけた時はちょっとした喜びを感じます。
電車の中でそういう作業をすると案外はかどるかもしれない、と思うのですが、A3の楽譜を広げて、楽譜を指でたたいて「フンフンフン」なんて言ったら、カッコつけた
えせ音楽家
と思われるに違いありません。
私は下手をすると、鼻歌を歌って気が付かないことがあるのです。鼻歌でなくても、電車の中で考えごとをしていて「あ、そうか」と思いついた時、周りの人の目がこちらに向くことがあります。ひょっとしたらその「あ、そうか」をそのまま声に出してしまっているのかもしれません。だとしたら「変な奴」だと思われているでしょうね。
どこかに自由に弾けるピアノがあったら、それを探してたたいても・・やはり手には伝わってこないだろうなぁ。
ちょっと悔しいお話でした。
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- [2021/12/18 00:00]
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2021年文楽十二月東京公演千秋楽
本日、文楽東京公演が千秋楽を迎えます。無事ゴールされましたこと、お慶び申し上げます。
次は大阪で2022年の初春公演。
文楽の皆様、この一年もお疲れさまでした。来年もどうかご奮闘くださいませ。
- [2021/12/17 00:00]
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歴史的仮名遣い
私はしょっちゅう歴史的仮名遣いを使います(読む、書くどちらも)ので、時によっては現代仮名遣いだと不自然に感じることがあります。
たとえば、浄瑠璃の創作で「思えば」と書くところはやはり「思へば」でなければしっくりこないのです。
いちいちそんなことをするのは面倒でしょう、と思われるかもしれませんが、実は正直なところ面倒なのです。もし、歴史的仮名遣いでスラスラ文章が書けるソフトがあればはかどるだろうな、ということです。具体的に申しますと、「あはれを誘(さそ)ふ晨朝(じんてう)の寺(てら)の念仏(ねぶつ)の切(き)り回向(ゑかう)」(『曽根崎心中』道行より)という文をそのままローマ字入力して変換してみますと「あはれを去祖父仁てうの寺の値物の切りうぇかう」と出てきました。これが何の苦もなく歴史的仮名遣いを用いた和漢混淆文に変換されたら
爽快だろうな
と思うのです。
しかしいくら面倒でも、昔の文体で文章を書く場合は歴史的仮名遣いに限ります。
「いずれの御時にか女御更衣あまたさぶらいたまいける中にいとやんごとなききわにはあらぬがすぐれてときめきたまうありけり」(『源氏物語』桐壷より)などと書かれるととても変な文章に見えてしまいます。
私が仲間に入れていただいている短歌の雑誌は、作品は原則として現代仮名遣いで書くこと、と決まっているのです。私は苦手だな、と思いながらも、なにしろ新米ですから言われたとおりにしてきました。
ところが、最近その雑誌の代表の先生から、仮名遣いについての意見を求められました。なんでも、現代仮名遣いと歴史的仮名遣いを混用する人がいて、どうすればよいかということでした。
短歌というのは現代に生きる文芸であらねばなりませんから、現代仮名遣いを用いることは
大いに結構
だと私は思っています。その一方、古典和歌の伝統を引き継いだジャンルで、今でも「~けり」とか「~かな」とか「~すれども」などという古めかしい言葉を用いる人は少なくありません。その場合も、現代仮名遣いが合うのかどうか、ということには疑問を覚えるのです。古い言葉に「~とふ」(「~と言ふ」の略)という言葉があり、これも今なおしばしば使う人がいるのです。ところがこれを現代仮名遣いで「とう」と書かれると、意味が解らなくなることがあります。何かを「問う」のかな、などと思ってしまいます。もちろんきちんと読めばわかることなのですが、つっかえながら読むのがどうも私は気に入らないのです。
そういう意味で、私としては作者の考えに任せて、ただし混用しないように留意してどちらかの仮名遣いに統一すること(まれに混用する方が効果的なこともあるでしょうが)にしてもらったらどうかと思うのです。
もしそうなったら、私は確実に歴史的仮名遣いを多用すると思います。
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- [2021/12/16 00:00]
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若手と女流の素浄瑠璃の会
豊竹呂太夫さんは研修から入門なさったお弟子さんとして希太夫、亘太夫のお二人がいらっしゃり、その後、住太夫門下でいらした竹本小住太夫さんと嶋太夫門下でいらした豊竹芳穂太夫さんが加わり、さらに今年からは新人の豊竹薫太夫さんが研修を終えて入られました。
なかなかお弟子さんの多い師匠だと思います。
また、女流義太夫の育成にも力を入れられて、豊竹呂秀、呂響、呂眞、呂萬、と四人の人がお名前をもらっていらっしゃいます。呂太夫師匠ご本人を入れると一門は10人になり、なかなかの大所帯ですね。
女流の方々はあちこちで素浄瑠璃の演奏をなさっていて、大活躍なさっています。またそこからお弟子さんが出てくるようになると関西の女義さんはますます発展しそうで、喜ばしい限りです。あとは、三味線弾きさんがいくらか増えるといいですね。これは呂太夫門下というわけにはいかないのですが。
さて、その一門は活発に素浄瑠璃の会をなさっていて、
栞呂会(かんろかい)
という女義さんの会と「田螺の会」という文楽のお弟子さんの会があり、このところ同じ日に続けて会をなさっています。
今月25日には大阪・下寺町の心光寺本堂でもおこなわれ、まず13時半からは栞呂会です。呂眞さんと三味線の駒清さんによる『忠臣蔵』「裏門」のあと、呂秀さん(光秀)、呂響さん(皐月、四王天)、呂萬さん(操、十次郎、軍卒)にやはり駒清さんで『絵本太功記』「妙心寺」という番組です。そして、15時からは田螺の会で、薫太夫さんが本格浄瑠璃のデビューとして竹澤団吾さんの三味線で
『絵本太功記』「尼崎」
をお語りになります(操のクドキまで)。
私は薫さんがどんな語りをなさるのかまるでわかりませんが、存じ上げている方のご子息ということもあって、応援しております。若いうちから古典の大曲をきちんと身につけておくのは大事なことで、それを基礎にして年齢を重ねるにしたがって厚みや深みのある浄瑠璃が語れるようになるのだと思います。
こういう機会に聞き巧者のみなさんに聴いていただいて、勉強なさるのはいいことだと思います。どうか勉強の成果が出ますように。
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- [2021/12/15 00:00]
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英太夫・松也
私は文楽の技芸員さんには何かとお世話になりました。人形遣いの吉田勘彌さんには大学の講師もしていただいて、人形遣いの手ほどきをお願いしました。竹本南都太夫さんには初めて「楽屋に来てください」と言われてお邪魔したことがありました。竹本津国太夫さんには以前勤めていた短大に公開講座の講師として来ていただきました。他にも細かいことを言うならたくさんの方に何らかのご厄介になっています。
そして、六代豊竹呂太夫師匠には新作のお手伝いもしましたし、何と言っても本も書かせていただきました。
一方、文楽はお辞めになりましたが、歌舞伎に行かれた三味線弾きの野澤松也師匠にも大変お世話になっています。私はどういうわけか三味線弾きさんとの交流がなくて、かろうじて鶴澤清介さんと何度かお話したことがあるくらいです。その意味では松也師匠は珍しい存在なのです。
先日、その松也師匠が、「昔、英太夫(現呂太夫)さんと、「花渡し」だったか「妙心寺」だったかを
先代呂太夫さん
に稽古をしてもらって演奏した‥」というようなお話を伺いました。松也さんが文楽にいらしたのは短い期間でしたから、そんなことがあったとは思いませんでした。そこで、以前英さんの演奏記録を作った時の資料をひっくり返してみると(エクセルで整理していますので、ひっくり返すこともないのですが)、たしかに、昭和52年(1977)に「英太夫・松也」という記録がいくつか出てきたのです。そして、「花渡し」「妙心寺」を、若手素浄瑠璃の会である
若葉会
で演奏されているのを確認しました。この資料を作っていた当時は「英太夫」さんのことばかり考えていたこともあって、松也師匠のお名前が出てくることをほとんど意識していませんでした。そういう意味もあって、今やご両人ともに斯界の大御所的な存在ですが、まだ二十代でいらしたお二人が同じ舞台で演奏なさっていたことには一抹の感慨がありました。そのころ私はお二人のことなどお名前も存じませんでしたし、平安時代の勉強に精一杯でまだ文楽にはそこまで強い関心を持っていない頃でした。それが40年以上の時を経てご縁をいただくようになるなんて・・。縁というのはまことに不思議で、しかもありがたいものだと思います。
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- [2021/12/14 00:00]
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足がなくて
足がないといっても、まだ幽霊になったわけではありません。
この2年間、行動範囲が著しく狭くなったのには二つ大きな理由があります。ひとつはいわずもがなのウイルスです。感染したら終わりだと思いますので、何よりも人のいるところに行かないに越したことはないという強迫観念があって、どこにも行っていないといってもいいくらいです。
神戸や大阪に行くこと自体、かなり決断が必要です。京都に行くとなるとかなりの遠足になりますから、生半可な決断では行けません。
もうひとつの理由は、車がなくなったことです。長年乗っていた車が壊れてしまって再起不能になり、新たに買う能力は持ち合わせていませんので、それ以後の移動手段は
ほぼすべて電車
です。以前ならちょっとどこかへ行くと言えば車で出かけたのですが、それができなくなりました。呼吸器が弱いものですから、こうなると歩くことの苦しさが募り、おのずから行動範囲が狭くなったのです。
思い起こせば、どうにもしんどい時に(当時は文楽の仕事をしていましたので)文楽劇場まで車で行ったこともありました。あのあたりの駐車料金は高いですから、かなり堪えました。帰り道は、高速は使わずに時間をかけて帰ったものでした。
今も外出するときにしょっちゅう
「車があれば
楽だろうな」と思います。
調子が悪い時は、歩くこと自体いやになるのですが、とくに坂道と階段はこういう持病を持つものにとって憂鬱なのです。いつも昇り階段を見るとうんざりした気持ちになります。
このところ、ウォーキングのときも、つい平坦な道を選んでしまうことが多いのです。下り坂も、「帰りは上りになるのだから」というのでいやなのです。
無理だとはわかっていますが、かつての健康が欲しいです。
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- [2021/12/13 00:00]
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播磨屋
テレビをあまり観ないので、『鬼平犯科帳』をまったく知りません。とてもおもしろいエンターテイメントだったようで、ファンも多いようです。
二代目中村吉右衛門丈にはとてもよく映る役だということは想像できます。
11月28日にその吉右衛門丈が七十七歳で亡くなりました。当世、まだこの年齢は若いとすら思えますが、心臓の急病で倒れられてから、意識が戻ることなく旅立たれたようです。
私がきちんとした歌舞伎の劇場で播磨屋を観たのはまだ学生だった頃で、場所は京都の南座。顔見世でした。
十三代目仁左衛門などの「野崎村」、十七代勘三郎の「身替り座禅」などもあったのですが、私にとっての圧巻は『元禄忠臣蔵』の
大石最後の一日
でした。そして大石を演じたのが当時まだ三十代であったはずの播磨屋さんでした。私は当時二十代ですから、かなり年長で、貫禄があるのも当然だと思っていたのですが、では私があのときの播磨屋の年齢になった時にあの貫禄があったかと言われたらまったく別次元と言ってもいいくらいでした。もちろん実生活と芝居では異なりますが、たいしたものでした。たっぱがあって、姿勢がよくて、声がよく通り、セリフが鮮やかで、最後に花道に立った時の姿などほれぼれするようでした。それまであまり歌舞伎には興味がなかったのですが、私は播磨屋によって初めて歌舞伎とはこういうものなのか、と知ったように思います。それ以後、江戸の歌舞伎のひな型は播磨屋でした。一方、上方歌舞伎は風前の灯火になり、味のあった河内屋(實川延若)さんや十三代目が亡くなって、上方にいる上方らしい役者さんが数えるほどになってしまいました。
片岡秀太郎丈
がかろうじてその香を伝えてくれましたが、秀太郎さんもやはり今年亡くなり、これで私にとっては東西の代表的な役者さんがいなくなってしまったような気がします。
中村吉右衛門の名跡は二代目。男子がいらっしゃらないので、当面この名を名乗る人はないでしょうが、止めてしまってもいいと思いますし、また何十年か経ったときに三代目が出現してほしいとも思います。
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- [2021/12/12 00:00]
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頼れない法律
日本は法治国家ということになっています。とてもすばらしい言葉の響きです。けっして独裁者がいてその人物の言うことが何でもまかり通るような国ではないというわけです。
しかし裏を返せば、法律に基づいてさえいれば何をしてもかまわないということにもなりかねず、そこには人としての道、あるいは「倫」(みち)がないがしろにされかねない危険性をはらんでいると思います。
先日も、昨年のウィルス禍のさなかの「勝負の3週間」と言われた時期に多くの政治家が資金集めパーティをしていたという報道がありました。
その言い訳は、もう聞かなくてもわかっているようなことで、「法的に間違ったことはしていない」「感染対策は万全に行った」でした。その一方で、いくら対策をしても満足に商売をさせてもらえない人たちもいたわけです。こういうときはまず自分たちが我慢することだろうと思うのですが、今の政治家はそういう意識はないようです。
Start from small thing.
という言葉があるそうです。小さいことから始めなさいというのでしょう。このことばは『戦国策』の「先従隗始」の意味らしいのですが、「まず隗より始めよ」というのは、本来は郭隗という人が「人物を登用するならまず私のようなつまらない者を登用されるといいでしょう。そうすればもっと素晴らしい人が集まります」と言ったことに始まるのですが、そこから上記の英語のような意味に発展していったのです。
政治家のみなさんもまず自分という小さな存在がやってみることを大事にすべきだと思うのですが、彼らのことですから、自分を「小さな存在」などとは思っていないのでしょう。
それにしても、法律というのは、こういう人のこういう行為をも守ってしまうという副作用があります。法の限界、法の無力さが示されていると思います。けっして法は万能ではないのです。そこに足りないものは、やはり古代中国の思想を借りるなら
「仁」
だと思うのですが、そんなものは当世そっちのけになっているようにおもえてなりません。
ちょっとしたことがあって、弁護士や役人とやり取りをしました。
そのときに改めて感じたのは、法律なんてほんとうに方便に過ぎないということでした。弱い者を守るためにあるというよりは、強いものが利用して自分の思いのままにする小道具のようにも見えてきました。少なくともそういう一面があることは疑いないものと思いました。そのために悲しい思いをする人がたくさんいて、間違った行為が平然とまかり通ることがあるのだと思います。残念極まりない話です。
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- [2021/12/11 00:00]
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ハガキのデザイン
私が子どものころはハガキや切手は決まりきったもの(通常ハガキ、通常切手)を使うのが普通で、年に何度か記念切手のようなものが発行されていたように思います。私は広重の「東海道五十三次」などの切手が好きでした。永谷園のお茶漬け海苔のパックに入っている絵が切手になっていたのです。『信貴山縁起絵巻』の「護法童子」(剣の童子)のデザインも忘れられない不思議さがありました。後にこの絵巻を一生懸命読むようになるとは夢にも思いませんでしたが。
最近は切手の種類がとても多くて、そうでもしないと郵便離れが進む一方なのかと、日本郵便のご苦労をお察しします。
ご当地切手
もよく使いました。各地の郵便局で売っているので、それを集める人もいるのだと思います。
ハガキのデザインはあまり経費がかけられないでしょうからなかなかそこまではいかないでしょうが、それでも年賀状などでは毎年工夫されているようです。通常ハガキも値段が変わるたびにデザインも変わります。今のハガキはやまゆりが描かれていますが、インクジェット用というのもあるそうで、これは山桜です。また、喪中欠礼などに使う胡蝶蘭というのもあるそうです。62円ハガキも52円ハガキもやまゆりで、最近はやまゆりが定番なのでしょうかね。日本郵便も、通常ハガキにはあまり力が入っていないのかな(笑)。
50円のときは「オシドリ」や「トキ」、41円も「オシドリ」、40円は「鳳凰」、30円は「麻布(まふ)菩薩」、20円は「駅鈴」、10円は「土器」、7円は「飛天」、5円は「夢殿」・・・。
こうしてみると、以前は
文化財
をデザインすることが多かったようで、最近は鳥とか花に変わってきているような感じです。やや重々しい感じのする文化財から、明るく華やかな感じのものへと変わっているとも言えるでしょうか。
私が少しずつハガキを使うようになったのは7円か10円のときくらいだろうと思います。5円ハガキも覚えているのですが、自分で使うことはあまりなかったような気がします。5円ハガキでかすかに覚えているのは国会議事堂がデザインされたもので、夢殿のデザインより古いものかもしれません。あのころの「なぞなぞ」で「5円で日本中どこへでも行けるのはなぁに?」というのがありました。
ハガキのデザインも値段とともに変わりますが、封書に比べて簡易なものというので値段が安いようですが、日本郵便にしてみれば配達するのにそれほど手間は変わらないでしょうから、本音を言えばハガキも封書も同じ値段にしたいのでしょうか。
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- [2021/12/10 00:00]
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最後の審判
以前、クリスチャンの人から、真顔で言われたことがあります。「あなたも悔い改めてイエスの教えに従わないと最後の審判で地獄に落とされますよ」と。だけどさあ、紫式部も紀貫之もお釈迦さんも空海もイエスの存在を知らなかったんだから、それだけで地獄に落とされるとは思えませんけどね、と言いたかったのですがやめておきました。
キリスト教の教えでは、最後の日に我々すべての人間は魂の重さを量られて罪の重い者は地獄に落とされてしまうのです。最近はどうか知りませんが、少し前なら「くたばれ!」などという罵り、あるいは呪いの言葉として
Go to hell!
とか単に「Hell!」というのがありました(受験勉強で覚えたような気がしますのでかなり古い知識です。今でも使われているのかな?)。アメリカでもどんどん若者言葉やネットスラングのようなものが広がっているようで、私が習ったような英語はどこまで通用するのでしょうかね。それはともかく、「Go to hell!」というのは地獄に落ちろ、とでもいうことでしょう。あるアメリカ映画で、子どもが「地獄へ落ちちゃう」と言って罪を告白する、という場面も見たことがあります。やはりクリスチャンにとっては最後の審判で地獄に落とされるのは恐ろしいことなのでしょう。
最後の審判はキリスト教だけのものではなく、ユダヤ教、イスラム教などにも見られる考え方です。
キリスト教では、イエスを認めないとか、殺人などの悪行を犯した者が悔い改めないと許されることはないとされるのですね。甲冑に身を包んだ大天使ミカエルが魂の重さを測る場面は
ハンス・メムリンク
などの絵に描かれています。
フェルメールの「天秤を持つ女」も画中画に「最後の審判」があり、天秤を持つ女はちょうど魂を量っている大天使ミカエルの前に立っています。彼女は天秤でこの絵を観ている鑑賞者の魂をミカエルに代わって量っているかのようです。この絵を観て「何を量っているのですか」と問いかけたら、次の瞬間に女がこちらを見て「あなたの魂よ」と言いだしそうな気がしてぞっとするのです。こんな見方は誰も賛成してくれませんが(笑)。
犯すべからざる罪には、殺人の外にも、結婚していない者との性交渉なども含まれます。浮気しちゃダメなんですね。歴代の天皇や貴族、大金持ちのおっちゃんなんてどうなるんでしょうね。
また同性愛もいけないとされているのはやはり時代を感じさせます。現代にあっては、性的少数者として同性愛者は認められるべきだという風潮になっていて、学生に意見を聞いても、同性愛者の結婚は認められるべきだという人がかなりいました。そもそも、古今東西を問わず同性愛者はいくらでもいるのです。今、クリスチャンの人たちはこの点をどう考えているのでしょうか。
それにしても、もし私がいつの日か最後の審判の場に行ったとしたら、地獄と天国のどちらに行かされるのでしょうか。イエスは認めるけれども信仰の対象にはなっていなません。殺人は犯したことがありませんが、それなりによからぬこともしてきました(笑)。婚外交渉、婚外恋愛は、したいと思ったことはありますが(←こら!)、経験はありません。何だか微妙なところで、イエスさんも判断に困るでしょうね。でも多くの人はこんなものだと思いますけどね。
「最後の審判」というと、真っ先に思い出される絵はやはりミケランジェロ・ブオナローティがシスティナ礼拝堂に描いた壮麗な壁画です。私はバチカンには行っていないので実物は知りませんが、徳島県鳴門の
大塚国際美術館
で見たことはあります。彫刻が本職のミケランジェロらしく筋骨たくましいイエスは若々しさを持ち、それ故に威厳がないと批判されたこともありました。それでも、地獄に追いやられる人々を見ているとあのイエスに向かってつい懺悔したくなるような力強さを持っていると思います。
落語家の露の五郎師は晩年クリスチャンになられました。私はもはやそんな真似をするほどのエネルギーもありません。
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- [2021/12/09 00:00]
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ど忘れ
どんどん物忘れがひどくなります。「あ、あれをしておこう」と思ってそのための目的の場所に着いた瞬間「えっと、ここに何をしにきたんだっけ」とわからなくなってしまいます。やむを得ず元の場所に戻ったら「あれだった!」と思い出すのです。
文楽の演目のことを考えていた時に、その演目名が思い出せずに、本を調べ始めたら、見つける直前に思い出します。あるいは本を見るまでわからないでいて、発見したら「どうしてこのタイトルが思い浮かばなかったのだろう」となさけなくなります。
時間の無駄をしていますね。でも、こういうことがしょっちゅうあるのです。
私は服装にかまわない人間で、
おしゃれ
とは縁がないのです。服に合わせて靴を変えるなんてことはあり得ません。だって、靴はひとつしか持っていませんから(笑)。マフラーもひとつ、手袋もひとつ、何でもひとつしかなくて「着たきり雀」状態なのです。以前恐ろしいことが起こりました。靴がぼろぼろになってるな、とは思ったのですが、仕方がないのでそれを履いていったら、途中で靴が裂けてしまいました(笑)。さすがに仕方なくてすぐそばにあった靴屋で新しいものを買いました。靴を見ればその人の生活がわかる、と言われますが、私などその典型だと思います。
先日、ズボンがかなり皺になっているのに気づき、さすがにこれはまずいというレベルでしたので(笑)、替えようと思いました(いくらなんでもズボンは複数持っているのです!)。
まず、やはりひとつしか持っていない(笑)
ベルト
をはずして横に置いて、ポケットに入っているものを取り出して、ハンカチは洗濯に回し、必要なものは新しいズボンに移し、きちんとはき替え、これでOKというわけで出かけました。一時、かなりウエストがきつくなっていたのですが、このところ少し楽になっています。やはりこの一年間よく歩いたからでしょうか、多少のダイエットになったのかもしれません。
一時間余りで目的地に着いてあれこれしたあと、ああくたびれた、と腰に手をやってハタと気づきました。
ベルトをするのを忘れている!
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- [2021/12/08 00:00]
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源氏見ざる歌詠み(2)
光源氏と朧月夜がお互いを思いつつ苦悶の日々を送っているころに右大臣の家で今度は藤の宴が行われ、光源氏も招待されます。
光源氏は右大臣のところにはあまり行きたくないものの、彼女に会えるかもしれないというかすかな望みもあって出かけます。そして適当な時間に酔いつぶれたふりをして「ちょっと失礼」とばかりに座を外します。
そして女性たちのいる寝殿の東の戸口に行って「酔っぱらっているのにみんながお酒を無理強いするのです。このあたりで休ませてください」と言って勝手に御簾(みす。部屋の中を見せないための簾)を持ち上げて中をのぞきます。するとどうやらこの家の娘と思われる人たちがいるのです。光源氏は
扇を交換した
ことをそれとなくにおわすようなことを言いました。すると、几帳(室内に置かれた仕切りのための道具)の向こうからため息が聞こえてきたのです。こうなると光源氏の鋭い勘とすばやい行動が発揮されます。几帳越しに女の手を取って歌を詠みかけます。そして女が返歌を口にしたのを聞くと、まぎれもなくあの朧月夜の女だったのです。この巻は、そのあとどうなったかを書かずにここで終わっています。危険な恋愛に進みそうな光源氏を予想させた書き方です。
平安時代末期から鎌倉時代にかけての歌人に藤原俊成がいます。彼が判者(勝負を決める人)をつとめた歌合に
六百番歌合
がありました。西暦1193年のことです。このときに詠まれた藤原良経の歌についての判詞(勝敗の理由を説明する言葉)の中で、良経の歌の言葉を批判した人に対して、俊成はその言葉が『源氏物語』「花宴」の朧月夜の歌に出てくることを念頭に、「花宴巻に出てくる歌を知っていればそんなことは言えないはずだ」という意味のことを言い、さらに「紫式部、歌詠みのほどよりも物書く筆は殊勝也。其の上、花宴の巻は殊に艶なる物也。
源氏見ざる歌詠みは遺恨の事也」
と述べています。「花宴巻は優艶な巻だ」として「源氏物語を見ていない歌人は残念なことだ」というわけです。
この言葉は歌合から離れて有名になりました。今でも古典文学を愛する人にとってはおなじみの言葉とも言えます。
昔の歌人にとって、『源氏物語』の歌を知っておくことは大切なことだったのです。では現代ではどうなのかというと、今の一流の歌人は古典に通暁している人ばかりではありませんし、詳しい人でもジャンルが古典短歌に限られることも多いと思います。つまり『源氏物語』を知ることはそれほど重要なことでもないのかもしれないのです。ただ、私はこの連載を短歌の雑誌に載せているわけで、心のどこかで、短歌を詠むなら『源氏物語』もいくらかは知ってください、という思いも持っています。
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- [2021/12/07 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
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源氏見ざる歌詠み(1)
『源氏物語』に関するエッセイを連載すること、24回になりました。季刊の雑誌で年4回発行ですから、丸6年ということです。まともな研究者でもない私の書くものをこんなに長く続けることをお許しいただいたことについてはありがたく思うばかりです。
最初は、数回書くだけで終わると思っていたのです。ところがこの短歌同人の代表者の先生にうまく乗せられて(笑)、あれよあれよというまにここまで来てしまいました。毎回4000文字足らず書いており、400字詰め原稿用紙でいうなら約10枚分です。24回ということは240枚ほど書いてきたことになります。有名な作家ならそろそろ本にしましょうと出版社が言ってくる頃です。もちろん私の場合はそんなことはあり得ません(笑)。それにしても、塵も積もれば山となるものです。
桐壷巻から順に、話の大筋をたどりつつ、必ず何かひとつ歴史的な背景や研究史の中でおもしろそうなことを書き込むようにしています。
ここまでで「桐壷」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」という8つの巻を終えました。次回からは「葵」に入ります。
この秋に送った原稿では「花宴」巻の
優艶な情緒
を話題にしました。主人公の光源氏が朧月夜(おぼろづきよ)と呼ばれる女性と出会う巻です。桜を見る会(といっても現代のあやしげな会ではありませんよ)のあとの、幻想的なおぼろ月の夜に誰にも見られずに内裏の後宮で劇的な出会いをするのです。おぼろ月は何とも不思議な力を持っています。大江千里の歌に「照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくもぞはなき(照りも曇りもしない春の夜の朧月夜に及ぶものはない)」があります。また『伊勢物語』に伊勢の斎宮(恋愛はご法度)とひそかに通じた主人公の話がありますが、斎宮が
「月のおぼろなるに」
つまりおぼろ月の夜に主人公の男のところに行って夢のような一夜を過ごします。斎宮は翌朝に「君や来し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てか覚めてか」という歌を送ります。あなたが来たのか私が行ったのかもわからない、夢だったのか現実だったのか寝ていたのか目が覚めていたのか・・、と、幻のような一夜を詠んでいます。
この朧月夜という女性は実は光源氏をあまり好ましく思っていない弘徽殿女御(こきでんのにょうご)の妹で、父はやがて最高権力を持とうかという右大臣です。さらにこの人は父右大臣の考えによって春宮(皇太子。母は弘徽殿女御。光源氏の異母兄)のもとに入れられる(入内させられる)予定になっており、常識的に考えると光源氏にとってはアンタッチャブルな人です。
人に見つからないように扇を交換して二人は夜明け前に別れたのですが、一度だけの過ちで済めばまだ何とかごまかすこともできたかもしれません。しかし危険なアバンチュールというのはよけいに心が燃えるのかもしれません(経験がないのでわかりません)。お互いに相手を忘れられないままに時が経ち、思いが募るばかりでした。
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- [2021/12/06 00:00]
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日本シリーズ
野球を少しだけかじったことがあって、やはりわずかに経験のあるサッカーとともに好きなスポーツです。サッカーは日本のチームより海外のほうがおもしろくて、Jリーグはあまりよく知らないのです。最近は川崎が強いというのは知っていますが、私の地元の神戸もまあまあ頑張っているようで、もし神戸の試合がテレビで放送されれば観てもいいかなという程度です。
野球については、アメリカのメジャーリーグも好きですが、日本のプロ野球(NPB)も好きです。
何度か書きましたが、私はセ・リーグよりもパ・リーグのファンで、どこのチームが優勝しようと日本シリーズではパ・リーグを応援するのです。しかしこの2年はあまりにもチーム力に差のある対戦で、応援するまでもなく
ソフトバンク
の勝ちだろうな、と予想でき、また実際そうなっていました。ところが今年のペナントレースはまるで想像もできなかった結果になって、しかも日本シリーズの試合が全て白熱戦で、観ているものにとっては久しぶりにおもしろいシリーズだったような気がします。
結果はヤクルトの4勝2敗でしたが、ほんとうにもう最後の最後までわからないいい勝負でした。
私は今年も当然パ・リーグ、つまりオリックスを応援していましたが、何ともすがすがしくさえある敗戦でした。選手は悔しいでしょうが、ヤクルトと同じくらい
称賛されてもいい
戦いぶりだったと思います。
打線が爆発力に欠けたことで、点の取れないシリーズでしたが、全員野球の醍醐味を味わわせてもらいました。
思い出すのは1995年の「がんばろう KOBE」のとき。あの時もレギュラーシーズンでは優勝したのですが、日本シリーズで今年と同じヤクルトに負けてしまいました。しかし翌年は読売相手にその雪辱を果たし、日本一になったのです。どうか来年もいい試合を見せてください、と願うばかりです。
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2021年文楽十二月東京公演初日
東京国立劇場で文楽12月公演と鑑賞教室が初日を迎えます。
今月は「国立劇場開場55周年記念」と銘打って
『仮名手本忠臣蔵』 (桃井館本蔵松切、下馬先進物、殿中刃傷、塩谷判官切腹、城明渡し、道行旅路の嫁入)
という番組です。
一方、文楽鑑賞教室は
解説 文楽の魅力
『新版歌祭文』(野崎村)
文楽公演も今年最後の本格的な公演となりました。つつがなく千秋楽まで幕が開きますように。
- [2021/12/04 00:00]
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郵便業務
以前学生が言っていました。「父が郵便局に勤めているのですが、民営化されたときにかなり怒っていました」と。公務員だったのに、突然そうではなくなったことへの怒りだったようです。
あの郵政改革とやらのときに、全国一律のサービスは維持することを約束して民営化されましたが、その後の郵便事業の低迷のために、サービスは徐々に悪くなってきたような気がします。
郵便で送るべき案内はメールで済みます。会社もHPを作ればいろんな情報を安価に流せます。いちいち紙に印刷して何千部も郵送するようなことはしなくて済むようにもなったでしょう。今でも旅行会社からカラフルなパンフレットが届いたりしますが、私の家ではほんとうに
DM
というのが減りました。娘が二十歳を迎えるときはこれでもかというほど着物の案内が来ていましたが、それももちろん一年きりのことです。
チラシとかDMというのは、反応率はそんなに多くは期待できないものだそうです。ある会社のチラシの反応率が1%を超えたことについてすばらしいことだとおっしゃっている方がありました。そんなものなのですね。
さて、郵便はついに土曜日の普通便の配達がなくなりました。経費節約のためにアルバイトへの依存率も高くなっているのではないでしょうか。この間郵便局に行ったら「窓口業務のアルバイト募集」の紙が貼ってありました。思わず応募しようかと思いましたが、よく考えたら、私には対面業務は無理なのでした。
今年も十一月一日から
年賀状
が販売されています。局の窓口でも買えますが、局の表に台を置いて販売しているところもあります。以前、大阪中央郵便局で制服を着た人が販売していて買ったことがあります。あの人は正規職員だったのかな。
私の家の近所では数人のおばちゃんが売っていました。どこからどう見てもバイトの人です。この方たち、お友達なのか、「初めての経験です」という空気を醸し出していて、客のいないときはおしゃべりに夢中。客扱いも下手で、愛想もありません。もうちょっと人を選べなかったのかと思います(笑)。まあ、買えたらそれでいいのですけどね・・。
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利息
銀行はもうほとんど利息をつけてくれません。預金するなんてばかばかしい話になってきました。あやふやな記憶で間違っているかもしれませんが、最高利率は定期預金で8%というときがあったと思うのです。1万円預けたら800円の利息です(間違ってませんかね)。今は半年の定期なら年率0.002%だそうで、もし私の記憶が正しければ、8%の4000分の1くらいということになるでしょう(しかも昔は金利に税金はかからなかった!)。今は1万円預けても利息は0.2円。つまり実質はゼロです。以前似たようなことを書いたら、元銀行員という方が、今後はお金を預けると預かり代をとられる時代が来るかも、というようなコメントをくださいました。
その点、
私立学校共済組合(私学共済)
の積立貯金は利率がずっと高いのです。店舗を構える必要がありませんし、給与天引きで自動的に振り込まれるのでそういうことができるのでしょうね。今はどれくらいの利率なのかわかりませんが、まあまあそれなりに増えているな、と思えるくらいはあるのです。そんなわけで、私はいつのころからか、銀行はお金の出し入れをするだけの財布代わりで、貯蓄するのは私学共済にシフトすることにしました。ですから、毎月給与から多めに天引きしてもらって、赤字の分は銀行から引き出すという形にしていたのです(もうすっからかんですが)。
利息に戻りますと、仮に800万円持っているとして、それをポンと半年の定期で銀行に預けたとしたら、年0.002%の利息に2割の税金がかかりますので、年間の利息は160円×0.8で128円。ペットボトルのジュース一つ分もありません。半年だと64円です。
で、ふと気づいたのですが、銀行は(今はどうなのか知りませんが)半年後に
ハガキで
あなたの預金が満期になりましたという通知を出します。このハガキ代って、63円ですよね。「64円の利息がつきました」というお知らせに63円使う。なんだか不思議な話だなと思えてきました。ハガキの印刷代に1円かかったとしたらずばり利息と通知代が同額ということになります。
ケチな私は、ハガキはいらないから利息を上乗せしてほしいと思ってしまいます(笑)。今後は銀行も通知はメールで済ませるシステムを作ってさらに節約するのでしょうか(すでにしているのかもしれませんが)。
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- [2021/12/02 00:00]
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