合併
昨年末に行った山口市徳地は平成の大合併で山口市に編入されたのです。それまでは徳地町でした。合併にはメリットがあるからそれをするわけで、徳地町も経済的な面などを考えるとその選択がふさわしかったのかもしれません。いつぞやその合併をしなかった町として山口県の一番端っこにある和木町のことも書きました。あの町はおそらく合併のメリットが少ないと考えたのでしょう。
私が広島市で暮らしていた時、佐伯区というところにいました。実はここももともと佐伯郡五日市町だったところなのです。私はそんなことを知りませんから、佐伯区といえども広島市、大きな町なのだろうと思っていました。行ってみるとJR五日市駅と廿日市駅の間で、広島電鉄の宮島線が通っていましたので交通の不便はあまり感じませんでしたが、広島市の中心部のような華やかさはなくて、夜になると真っ暗という地域でした。
佐伯区の隣の
廿日市市(はつかいちし)
というのは小さな街で、もともとはやはり佐伯郡廿日市町でした。それが市制を敷いたのですが、何だか頼りなげな街だと思っていました。
ところが、私が広島を離れた後、やはり平成の大合併でとても大きな街になったのです。
廿日市市と広島の南西の端の大竹市の間には佐伯郡大野町があり、また海には佐伯郡宮島町がありました。ご存じ、
厳島神社
のある街です。
実はこの二つの町は大竹市と合併するという話があったのだそうですが、大野町議会も宮島町議会もそれに同意せず、北東側(広島市側)の廿日市市と合併してしまったのです。
宮島には世界から観光にやってくる人がいるわけで、大野町はその本州側の玄関口にも当たります。これらの町を合併できれば、かなり大きなメリットがあると思われ、廿日市市は一気に市域が広がったのみならず、宮島を持つ市として認知度も高まっただろうと思います。一方、大竹市は大魚を逃がしたようなもので、がっかりしたのではないか、と想像しています。そもそも大竹市は海辺に三井石油化学の工場があるものの、観光地としては特に何もなくて、錦帯橋の岩国市と宮島の廿日市市に挟まれて観光文化的には寂しい街になっているように思えます。実は私は広島にいたころ、短期間大竹市のアパートに住んでいたことがあって、思い入れがないわけではないのです。
合併がもたらした廿日市市との明暗が感じられてなりません。
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- [2022/01/31 00:00]
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ありがとう、幼稚園
旧知の方が結婚されて男児お二人に恵まれました。そのうち弟さんが幼稚園の時に、このかたは園の役員をなさったそうです。そして、何か催しをしたいという次年度の役員さんから「昔雑誌の編集者をなさっていたそうですから何か面白いことをご存じありませんか」と聞かれたそうです。そうです、彼女は『上方芸能』という雑誌の編集者だったのです。そのとき彼女はふと私の活動を思い出してくださったそうで、「ひょっとしたらできるかも」と、私に声をかけてくださったのでした。
それが、奈良市立富雄第三幼稚園における文楽人形劇のきっかけだったのです。なにしろ奈良という遠いところですし、演じてくれる人が必要なので難しいと思ったのですが、何とか学生の協力を得て実現しました。その後は学生ではなく地元のボランティアの方、園児の保護者の方が参加してくださってあれよあれよというまに
9年間
続けて実施できたのです。園長先生は2度交代されましたが、「おもしろいから」と引継ぎをしてくださったみたいで、後任の先生も実施してくださったのです。市立幼稚園ですので少しなら予算を計上できるとのことで、交通費プラスアルファくらいはいただいて、その都度4~5回奈良まで通ったのです。人形は2体しかありませんのでそれでできる劇を作り、子どもたちに楽しんでもらう工夫をしました。新聞やラジオに取り上げてもらったこともありました。
その幼稚園にも
少子化
の波は押し寄せました。最初の頃は2学年(2年保育です)あわせて100人以上の園児がいたのに、最終的にはその半分以下になってしまいました。今後も増加する見込みはないらしく、残念ながらこの3月をもって閉園されることになりました。今後は保育所と一体になって「こども園」として再出発するそうです。
文楽人形劇もこれで終わりということになり、ひそかな楽しみであった奈良への小旅行も行けなくなってしまいました。午前中は幼稚園、午後は国立博物館の正倉院展、ということもできなくなり、まことに残念です。
しかし、9年間、私なりに精一杯できたことは人生の良き思い出になります。今は幼稚園、代々の園長先生、地元のボランティアのみなさん、保護者のみなさん、園児たち、メディアのみなさん、教育委員会の方々、そして私を呼んでくださったT.T.さんに心からお礼を申し上げます。
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- [2022/01/30 00:00]
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呂太夫、錣太夫、千歳太夫
文楽太夫の豊竹呂太夫、竹本錣太夫、竹本千歳太夫のお三方が「切語り」に昇格なさいました。これで文楽太夫の「切語り」は豊竹咲太夫さんを含めて四人になり、まずは体制が整ったことになります。やはり最低でも時代物の通しをしたときに序切、二段目切、三段目切、四段目切が揃っていないとまずいと思うのです。「寺子屋」を「奥」の人が語るのはがっかりしてしまいます。切場を語ることを認められた人(つまり切語り)こそが語るべきで、同じ人が語っても違うものがあると思うのです。
今の世の中では、上演時間に限りがあることもあって、一日に時代物を通すのは難しいでしょう。しかし仮にそれができると考えた場合、この四人の方が責任をもって切場を語れば芝居は
充実したもの
になると思います。やはり年功もありますから、『菅原』であれば千歳太夫「筆法伝授」、錣太夫「丞相名残」、咲太夫「桜丸切腹」、呂太夫「寺子屋」、『忠臣蔵』なら千歳太夫「殿中刃傷」、錣太夫「判官切腹」、呂太夫「勘平腹切」、咲太夫「山科」、『千本』なら千歳太夫「堀川御所」、咲太夫「大物」、呂太夫「すしや」、錣太夫「河連」などのイメージがあります。ゆくゆくは千歳さんが三段目で呂勢さんが四段目という日も来るでしょう。
さて、新たに切語りとなったお三方は私にとって思い入れのある方々です。呂太夫さんは申すまでもなくこれまで一番お世話になった太夫さんです。本も書かせていただきましたし、創作も「ルター」「フィガロの結婚」の台本執筆に配慮してくださいました。野澤松也師匠とともに呂太夫師匠は私が
浄瑠璃作者
を自称することを可能にしてくださった方々です。
錣太夫さんはどういうきっかけだったかあまりよく覚えていないのですが、親しくお話しすることが多くなって、こちらが気がつかなくてもあちらから声をかけてくださることもあるのです。とてもお人柄のいい方で、いつも笑顔で迎えてくださいます。
千歳太夫さんはあまりお話をしたことはないのですが、実は私が書いた能勢町の『名月乗桂木』という若気の拙作を初演してくださったのはこの方で、この演奏がお手本になって能勢で受け継がれているのです。
お三方ともに今も年賀状の交換はしています。
なお、錣太夫さんはこのお名前が最後かもしれませんが、呂太夫さんと千歳太夫さんはまだ襲名の可能性を残していらっしゃいます。というより、ぜひ襲名してほしい方々です。
呂太夫さんはおじい様の若太夫というお名前がありますので、喜寿の頃にでもぜひそれを名乗っていただきたいと思っています(呂太夫さんは今年75歳)。このお名前は義太夫とともにきわめて由緒のあるもので、義太夫の名がもう誰も名乗れそうにないことを考えると、ぜひ継承してほしいのです。今この名前を遺族として持っていらっしゃる呂太夫さんが継がれないとこのまま消えていく可能性もあると思います。そしてさらにその後はお弟子さんが継いでほしいものです。
千歳さんは師匠の越路太夫の名前を名乗れるのかどうか、デリケートなことは存じませんが、叶うものなら摂津大掾も名乗られたこの由緒ある名前を継いでほしいものだと思います。芸風としては染太夫の雰囲気ではあるのですが、どのお名前になってもきっとそれをさらに大きくしてくださると信じます。
これからもご健康にご留意の上長くご活躍いただきたいと願っています。
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- [2022/01/29 00:00]
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冬の健康管理
脱水症状というのは夏がよく知られますが、冬も怖いのだそうです。水分が欠乏しても、暑くないのであまり水分を摂ろうとしないために隠れ脱水というか、本人が気づかないうちに水分の欠乏が起こるようです。
年末から年始にかけて、かなり歩いたり動いたりしましたので、それでなくても体調が不十分でしたから、水分の欠乏にはかなり苦しめられました。意識して飲んでいるつもりでもやはり十分には摂れていなかったのだと思います。
特に、庭掃除をしているときは夢中になってしまって、気がついたらずいぶん時間が経っていた、ということがありました。そして何だかからだがぎくしゃくするというか、
思い通りに動かない
感じになっていました。
だからといって一度に大量に飲むのはよくないようですので、少しずつ時間を空けて飲んで、何とかなったと思います。
やはりきちんと意識して、肉体労働をする場合はペットボトルを横に置いて、時々少量の水分を摂るべきでした。今後は気を付けます。
もうひとつ、私は田舎の町に住んでいますが、行ったところはさらに鄙びた感じのところでしたので、向こうの土地の人は「たちの悪いウイルスを運んできたんじゃないか」と思われるかもしれません。あまり人は歩いていませんから、気にしなくてもよかったかもしれませんが、最低限のマナーとして
マスク
をしっかり着けるように意識していたのです。ところが、そのかっこうで長い距離を歩くとやはりしんどいのです。長い距離といっても5㎞くらい、つまり1時間ほど歩いただけだと思うのですが、その間マスクをすると途中で気分が悪くなってきます。宿に着くと、しばらく横にならないとまずいくらい息切れがしました。
水分は足りない、酸素は足りないという状態では掃除もままならなくなり、結局最終日は午前中だけ働いてギブアップでした。
冬の健康と言えば高血圧もあるでしょうが、私はもともと血圧は低い方ですので、あまり気にしたことはありません。しかし運動すると血圧は上がりますからこれも注意した方がいいそうです。
いやぁ、何だかこんなことばかり気にしなくてはならない日が来ようとは思いませんでした(笑)。
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- [2022/01/28 00:00]
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ローカル電車
私は電車の一人旅が大好きです。といっても、猛烈なスピードの新幹線は何のおもしろみがないと感じます。特に、未知のところに行くときは、JRの在来線で行くのが最高です。広島に住んでいた時、用があって関西に戻る場合、よく在来線ばかりを使いました。広島から糸崎(三原の隣?)というところまで行く電車があり、さらにそのあたりから岡山か姫路まで行くのがあったと思います。岡山~姫路という列車もありました。正確なことは忘れましたが(笑)。そこから先はつまらなくて新快速に乗ってしまうとあっという間に神戸に着いてしまいます。それでもだいたい4時間以上かけて全部在来線を使ったことがあり、けっこうそれが楽しかったのです。
トンネルを掘るには多大な費用がかかりますから、山をぐるりと回るように走るところなどがあると、時間がかかることはともかく、その
ぐるりと回る
感じがおもしろかったのです。山陽線の広島県の駅には「瀬野」「八本松」というところがあって、ここは「瀬野八越え」という難所で、かつての蒸気機関車ではのぼりきれなかったそうで、気動車で押して行ったそうです。私が乗った時はすでに電化されていてそれを経験することはできませんでしたが。
年末の防府行きでも山陽本線を使いました。何しろ防府には新幹線の駅はありませんのでやむを得ないのです。しかしこういうローカルな在来線は大好きです。防府に行こうと思ったら、新幹線を徳山(山口県)でおりて西へ行くか、新山口まで行って少し戻るかのふたつがあります。
私は以前、広島に住んでいましたので、岩国(山口県)までは在来線に乗ったことがあるのです。岩国から先はしばらく海岸線に沿って走るのが山陽本線、徳山まで山側を走るのが
岩徳線
で、おそらく時間的には岩徳線が早いのだろうと思うのですが、本数が少ないはずで(調べていません)結局は山陽本線に乗るほうが早く着くことが多いと思います。またいつの日か、徳地に行くことがあったら、広島まで新幹線で行って、そこから延々と山陽本線で行くのもおもしろいだろうなと思います。何時間かかるのかはわかりませんけどね。
そんな感じで防府駅に着いたのですが、びっくりしたのはこの駅の立派できれいだったことです。高架になっていて、長いエスカレーターで昇り降りします。駅の外もきれいで、北側なんてちょっとした公園のようになっています。そして「ふるさとの水をのみ水をあび」の句とともに種田山頭火の托鉢像が建てられています。乗降客はさほどでもないのに、たいしたものだと思いました。これも山口県ならではでしょうか(笑)。
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- [2022/01/27 00:00]
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2022年文楽初春公演千秋楽
文楽初春公演が本日千秋楽です。
以前なら、寒いですね、と言いながら文楽ファンの集まりでお話をしたものでしたが、そういうこともなくなってしまい、ほんとうに「寒い」感じがします。
2月はまた東京で、それが終わると春の足音が聞こえてきます。
こういうご時世ですから、文楽もあまり華やかな話題がないような気がします。少し前には咲甫さんが織太夫を、津駒さんが錣太夫を襲名され、文字久さんが藤太夫に改名されましたが、きちんとした襲名披露口上というのは太夫では呂太夫さん以来ありません(織さんも綱太夫師の追善のついでのような感じでした)。派手なことを好まない方がいらっしゃるのはわかりますが、お客さんのためを思うと、にぎにぎしく口上をなさるのもいいことだと思います。
さて、2月もどうぞ無事に公演が行われますように。
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- [2022/01/26 00:00]
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幸せます
山口県のネタをかなり書きました。本州の西の端にある、人口140万人ほどの県です。人口は京都市よりも少ないのですね。ところがこの地域の人たちが明治維新のときに武力を使いつつうまく立ち回って権力を握りました。するとその後も長州出身というだけで強力な「閥」を築いて権力を保持してきたように思います。たしか、松下村塾のあるところに「山口県出身の歴代総理大臣の像」という、正直言って不気味で
悪趣味
としか言えないようなものが置かれていたはずです。最近では山口出身といっても、選挙区が山口というだけで、実際は東京生まれの東京育ちという人も少なくないわけで、それは今の総理大臣(広島の選挙区)だって同じことではありますが。そして、今も山口県の選挙区の人が「次の総理」を目指していると聞きます。山口県には何の恨みもありませんが、いささか辟易しています。
私が行った山口県防府市は、小さな港町でした。かつては山口市に吸収合併される話もあったそうですが、それをはねつけたのはやはりこの町の人のプライドがあるのでしょう。
この町に行ってびっくりしたのは、至るところに
幸せます
ということばが掲示されていることです。山口県と言えば「おいでませ」という言い方がある、と、旅館か何かのCMで観たことがありますが、これは「おいでなされませ」の略でしょうね。それと何となく似た感じもあるこの言葉ですが、どうも防府独得のようなものらしく、山口県でもほかの地域では使われていないようです。「幸せです」という意味なのでしょうが、語法としてはおかしなものです。「うれしいます」「不幸ます」とは言わないみたいで、語感がいいからというので無理やり(笑)用いられているのではないかと疑っています。
防府市が観光政策のひとつとして「幸せますの街」のようなキャッチフレーズに用いているようなふしもあり、それはそれでおもしろいとは思います。
防府市はどこかほかの地域とは違うというプライドがあって、「山口県」ではなく「防府市」として自慢できる街にしようという気概があるのかもしれません。
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- [2022/01/25 00:00]
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残念ながら
大変残念ですが、狂言風オペラ『フィガロの結婚』は上演できなくなりました。
代わって、シューベルトの『魔王』が呂太夫さんの演奏で、人形入りで上演されるようです。
お知らせまで。
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- [2022/01/24 00:00]
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政治家の道路
子どものころ、細かいところは忘れましたが、「田舎のバスはおんぼろ車。デコボコ道をがたごと走る」とかいう歌がありました。私自身田舎町の出身ですが、この歌を聴いた時には、もっと田舎では旧式のボンネットバスがうなりをあげて走っているのだろう、というイメ-ジを植え付けられました。
たしかに、田舎のバスはあまり上等なイメージはありません。長年使わないともうけにならないでしょうから、かなり古くなったものでも新車に替えたり内装をリニューアルしたりはできないでしょう。都会のバスなら車内広告が(最近はバスのボディを広告塔にする「車外広告」も)たくさんとれますが、田舎ではそうはいかず、収入源も限られます。また、今どきはみなさん自家用車をお持ちですからめったにバスには乗らないはずで、満員になることもほとんどないと思います。
私が正月に行っていたところはまさにそんな感じで、まずバスが走っているのに出会うことがありません。新幹線のドクターイエローに出会うよりも難しいのではないかと思います。自家用車の普及率はとても高くて、一軒の家に車が3台も4台もあるなんていうところもざらにあります。1人に1台ずつ、でしょうか。そりゃ、通勤だって買い物だって全部車でしょうからね。ただ、駐車スペースの関係でしょうか、あまり大きな車ではなく、軽自動車が3台に普通車(コンパクトカーくらいの大きさ)が1台という感じのところが多かったように思います。軽自動車といっても今は性能はいいですから、タイヤさえ冬用に交換しておけば問題ないのでしょうね。
道はずいぶんよくなっています。たいていの道は
舗装
されていて、「がたごと道」ではありません。
いつぞや書きましたが、年末に行った山口市徳地の道はなかなか立派なものでした。徳地に限らず、山口県の道はほんとうによく整備されて、広々としています。広さ以外にも、快適に車が走れるような工夫(高架化しての立体交差など)もあって、こんなに立派にする必要があるのかな、と思うくらいのゆったり感があります。
政治権力を持つ者が出た地域にはたくさんのお金がばらまかれ、
公共事業
がおこなわれ、政治家は「これは私の力で実現したものです」と自慢するわけですね。あわよくば銅像でも建ててもらおうかという魂胆が見え見えです。新幹線の駅なんてまさにそれではないでしょうか。広島県には新幹線の駅が5つもありますが、そのうち3つまでが備後地方にあり、しかも駅の間はきわめて短いのです。いくら東西に広いからと言っても、なぜこんなに駅を作るのかと不思議なほどです。古くは池田勇人、山陽新幹線ができたころは宮澤喜一といった人があのあたりから出ていますけどね。山口県も新幹線の駅はたくさんあって、「新岩国」「徳山」「新山口」「厚狭」「新下関」の5つです。大阪や京都は南北に長いからではありますが、駅は1つだけ。ずいぶん違います。
声の大きい政治家が地元びいきをして利権を持って行き、「○○(政治家の名前)ロード」なんて通称される道を作ったりしているという話も聞きます。
山口県出身の政治家というと、なにしろ幕末以来大きな顔をしていた人間がたくさんいましたし、戦後にも岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎などという、有力な人が多く出ています。しかし税金を払っているのは国民全体ですから、特定の県ばかり手厚くするのはいかがなものかと思いますけどね。
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- [2022/01/23 00:00]
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シルバー人材センター
高齢者の働く場には、警備員があります。最近は物騒な出来事が多いので、会社にしても学校にしてもたいてい警備員さんを雇っていると思います。門の開閉、不審者の侵入の監視、来客の誘導、夜間の見回りなど、さまざまな仕事があります。誰もいなくなった(はずの)見回りはなかなか不気味なもので、肝っ玉も要求される仕事でしょう。
またシルバー人材センターに登録して派遣される形で仕事をされる方もあります。公園の植物の管理や河川の清掃作業などの仕事をなさっているのをしばしば見かけます。なかなか体力のいる仕事ですし、適当に草引きをすればいいのではなく、きれいにしなければならないので、これまた簡単ではありません。私なんて仲間に入れてももらえないだろうと思います。
田舎の家の庭が荒れているのでいっそそういうところにお願いすればいいのではないか、とも思います。わざわざ遠方から出向いて自分で掃除をするくらいなら、楽ですし、また費用もかえって
安上がり
になるかもしれません。
しかし、留守中にお願いするのも奇妙な感じですし、私がそちらに行っている時なら自分ですればいいことだし、と考えると何となくお願いできないままでいます。また、いざ自分で掃除をしてみると、できないなりになかなか面白い面もありますし、体力を使うので健康にも役立つかもしれません。何しろ普段まったく使わない腕や手のひらの筋肉を酷使しますので、筋肉痛もあってけっこう心地よいのです。仕事をしたあと、昼寝なんてしようものなら実に快感です。
そんなわけで、今年は新年早々、田舎の家に行ってひたすら庭掃除をしていました。なにしろ「ほったらかし」ですので、荒れ放題。木の枝が伸びて道にはみ出しては通行人の邪魔になっている、伸びた草がそのまま枯れている、落ち葉が何年分もたまっている・・。
何の因果で正月からかかる難儀のあるものぞ、と、愚痴を浄瑠璃風に語りながら働きます。
現地は、ごみの回収が有料で、指定の袋を買わねばなりません。10枚450円だったかな。これがいくらあっても足りないのです。
あちらの人は「やっぱりシルバー人材センターに頼んだら?」と言います。しかし私もいささか意地になって、
「私自身が
シルバー人材センターから来たようなものですから」と言っているのです(笑)。
ともかくも、「今回はこれくらいにしといたろ」というわけで、いったん引き上げはしましたが、またそのうちに同じことをするために来なければならないのでしょう。
ため息が出ます。
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- [2022/01/22 00:00]
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庭の整備
正月に田舎の家の庭掃除をしたのですが、呼吸が苦しいこともあって、十分な働きができませんでした。伸びすぎてお隣の家や道路にはみ出している木の枝を切ったりすると、すぐに息切れしました。休んでは働き、働いては休みというのんびりした仕事ぶりで、何とかまともにできるのは使わなくなって庭仕事用に下ろされている「風呂の腰掛」を使って庭の草をきれいにすることくらいでした。そんなのろのろした働き方ではあったのですが、それでもかなりの成果があって、16のゴミ袋がいっぱいになりました。
ただ、外回りをしていると、家の中などはあまりきれいにできず、掃き掃除はともかく、換気扇の掃除とかトイレやふろの手入れなどが不十分だったと思います。特に、
窓ふき
はおろそかになってしまって、まったくきれいにはならないままでした。1か月くらい滞在するつもりでないと、この家はまともにはならないと思ったくらいです。
外回りの話ですが、庭がありますので、なんとか見た目にきれいにしたいという気持ちが起こります。ちょっとした花壇のようなところもあるのですが、背の低い草花を植えっぱなしにするのがいいのかな、と思います。しかし真冬ですから、こんな時期に植えると言うと何がいいのでしょうか。
パンジー
あたりがすぐに思い浮かぶのですが、少し時期が遅いでしょうか。
春ごろにもう一度来て、植え込みにからまって伸びるように朝顔の種を蒔いておくのもいいかもしれない、と思ったりしています。10月頃に来られたらタマネギを植えられるスペースもあります。マルチをして、植えておいて、正月に雑草を除き、初夏の頃にまたきて収穫する・・言うは易く、しかしおこなうのは難しそうです。水は天からもらい水でも行けそうなのですが、普段まったく世話ができないので・・。
梅雨以降になると、思いがけない草がぐんぐん伸びできそうで、去年はセイタカアワダチソウなどがびっくりするほどの背の高さになっていて困り果てたものでした。
人が住まないと家は荒れます。庭もまた目も向けられないような惨状になることがあります。
年々体力が低下して仕事がはかどらなくなっているうえ、呼吸器の状態が思わしくないのでよけいに困っています。
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- [2022/01/21 00:00]
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重源上人の浄瑠璃
昨年末に行った山口市徳地というところは「重源上人の町」という感じです。銘菓に「石風呂」というのがありますが、これは重源上人が教えた蒸し風呂をイメージしたお菓子です。製紙業も重源上人が教えたと言われますので、単に材木を伐り出しに来た人ではなかったのです。地元の人は今も「重源上人」ではなく「重源さん」と親しみを込めて呼んでいらっしゃるようです。
「重源さんを素材にした創作浄瑠璃ができればいいな」というのが徳地人形浄瑠璃保存会の方のお考えでした。大人たちがあまり熱心に参加しようとなさっていないようで、子供浄瑠璃という感じになるのですが、わかりやすく
地元愛
にあふれたものができればいいと私も思います。
重源上人は徳地にやってきて、空腹を覚えたときに、地元の子どもたちが栗の実を取ろうとしているところに出くわしました。しかし実が高いところについているため、なかなか苦戦しているのです。その様子を見た重源上人は「私はお腹が空いているのだが、栗を少しもらえないかな」と頼みました。すると、子どもたちは喜んで持っていた栗をくれたのです。上人は感謝して、これからは、高いところに手を伸ばさなくて済むような栗の木にして上げようと言いました。そうして重源の験力で栗の木が低木になったと言われ、これが
臼谷の芝栗
なのだそうです。
ほかにも重源が不思議な力を発揮して木片に「鯖」と書いたものを池(川)に投げ込んだらそれが魚の鯖になり、そのあたりの地名が「鯖(佐波)」と言われるようになったとか、村人のために茶畑を開いたとか、協力してくれた農民の農地には雑草が生えないようにしたというような話が伝わっているのです。こういう素朴な話を浄瑠璃にして子どもたちに語ってもらうのもいいのではないでしょうか。
それと同時に、重源と地元の人の心のふれあいをテーマに何か浄瑠璃ができないものかとも考えています。私が今まで作ってきた物語のように、野澤松也師匠に差し上げる短編浄瑠璃の形にすることも考えられるのですが、もっと簡単に、子ども浄瑠璃として語れるような「道行」の作品を書いて、これなら人形の動きもさほど複雑にしなくて済みますので、いつか徳地の町で上演できればと思うのです。
夢は少しずつ膨らみます。
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- [2022/01/20 00:00]
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ビジネスホテル
めったに外泊しないのですが、昨年末は山口県防府市のビジネスホテルに一泊しました。
東京に行くときは、以前は親がいましたのでそこに泊まればよかったのですが、私が広島に行ったころに引き払ってしまいました。そこで、それ以後は品川にある一泊5000円くらいのホテルを定宿にしていました。現在のアワーズイン阪急、当時はホテル阪急と言いましたっけ。最上階に大きな浴場があったはずです。その後はあまり定宿を決めることなく、池袋のあまり環境のよくない(笑)ホテル、半蔵門の安く泊まれたホテル、上野のいかにも下町といった感じのホテルなどなど。そして一昨年は初めて錦糸町のホテルを使いました。半蔵門は国立劇場に近いという理由で、池袋も意外に便利だったうえ、池袋演芸場も近いという理由もありました。上野は何と言っても美術館に行くのに便利。東京国立博物館にレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」が来たときには何度も通いましたので上野のホテルは便利でした。錦糸町は私が書いた創作浄瑠璃「置いてけ堀」の舞台になったところを歩くために選んだもので、私が泊まったホテルがまさに「置いてけ堀」の現場だったのです(置いてけ堀は両国の江戸東京博物館付近とする説と錦糸町のいわゆる「錦糸堀」だとする説があるようです)。
全部出張旅費でまかなうわけですから、まあまあ文句のないクラスでしたが、高級というわけにはいきません。典型的なビジネスホテルです。
防府市でホテルを探した時、ネットにすぐ出てくるのはやはりよく見かける
ホテルチェーン
のものばかりでした。そして私が泊まったところもそのひとつで、錦糸町で使ったホテルと同じものでした。ここは、値段は普通ですが、チェックアウトの際まったく手続きが要らないのが私にとっては嬉しいことなのです。できるだけ会話が少ない方が気が楽なのです。チェックインの時に支払いをして、あとはほぼスタッフさんと話をすることはありません。チェックインのスタッフさんは若い女性で、とても
きびきび動いて
いて、好感が持てました。
朝食は付いていて、バイキング形式ですので、しっかり食べられます。私はご飯に納豆に味噌汁というパターンが好きで、必ずそれらを食べます。しかし、パンもなかなかおいしいので、少しだけいただきます。あとはミニハンバーグとか、スクランブルエッグとか、野菜サラダとか、お決まりの副菜がいくらかあります。これらをたくさん(笑)取っていきます。この日も満腹になるほど食べました(笑)。風呂は部屋にもあるのですが、もうひとつゆったり入れる風呂が用意されていて、こちらにも行きたかったのですが、ほかの人が入っていたらどうしても話さなければならないだろうと思いますので億劫になってやめておきました。
意外だったのは水がおいしいこと。このホテルは「エコ」「オーガニック」などを標榜していて、お茶のティーバッグなどは置いていないのです。ところが、お湯を沸かしてそのまま飲んでもまったく水道臭くなくておいしく、何杯も飲んでしまいました。連泊した場合は2日目の朝に「掃除不要」の表示をしておけば、タオルなどを入れたバッグをドアに引っ掛けておいてくれて、おまけにペットボトルの水をサービスしてくれます。
ビジネスホテルもなかなか競争が大変でしょうから、工夫を凝らしているのですね。私はもうあまりこういう外泊をすることはないと思いますが、またこの系列のホテルを使ってもいいな、と思っています。
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- [2022/01/19 00:00]
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雪の降る街を
この冬はかなり厳しい冷え込みがやってきます。年末に大寒波があったのは珍しいことのように感じました。ただ、私の住む町では雪が降ることはなく、だいたいい一年に1度か2度降ることがある、という程度です。もちろんそれも積もるほどではない場合が多く、積もっても陽がさせばそれで終わりです。
この年末に行った徳地というところは、それでは済まないところでした。私は何とも思わずに訪ねようとしたのですが、地元の人形浄瑠璃保存会の方に
「雪が降る
可能性があるので、名所見学は難しいかもしれない」と言われました。そうか、雪が降るのか、とその土地柄を知らない者にとってはびっくりするようなお話でした。一生懸命予定を立てても、雪で行けないなんて、思いもよらなかったお話だったのです。
幸い、私が行ったときは比較的気温の高い時でそういう目には遭わずに済んだのですが。
ほかにも旧友が秋田県のお孫さんのところに行くと言って出掛けられたことをFacebookで知っていたのですが、その人がアップする写真は一面雪景色でした。そうだよな、日本は広いよな、と改めて感じました。
雪国へ行くと、家の玄関のところには
風除室
があります。吹雪があると、ドアを開けたときに玄関から家の中に吹き込みますから、それを避けるためにドアの外側に空間を置くわけです。そしてこの風除室があるおかげで玄関が外気に曝されず、凍り付くことがないのです。これがないと、室内の温かさのために玄関ドアに結露が生じ、それが夜のうちに凍って、朝、玄関を出ようとすると開かないことがあるのです。そこで風除室を作って外気と家の中の温度差を極端なものにしない「クッション」のようになっているのですね。うまく考えられたものです。
それにしても、雪のない街に住むと、雪への警戒感が薄れてしまいます。外を歩くときに道が凍結すると必ず転ぶ人が出てきます。とても危険なので注意が必要です。交通事故も増えるだろうと思います。私も以前、凍った道を走ってスリップしたことがありますが、ほんとうに恐ろしいものです。
地球の気候変動がはなはだしく、夏は暑く、冬は寒くなる傾向にあるようで、カナダではマイナス50度以下という気温もあったようです。
世の中が便利になっているのは事実ですが、それを追求するあまりにマイナスの効果が生じていることも否めません。難しいものだと思います。
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- [2022/01/18 00:00]
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再再演できるか
2018年に初演された狂言風オペラ『フィガロの結婚』は翌年再演されました。これで一段落と思ったのですが、もう一度上演しようという機運が高まったようです。その大きな理由は、演出をなさった藤田六郎兵衛さんが初演の年の夏に亡くなったことでした。実は稽古の時点で入院されていたりして、ご本人は余命が長くないことをご存じだったのです。三回忌となる2020年に追悼公演を上演しようと計画されたようでした。しかし、ご多分に漏れずあのウイルスのしわざでそれは叶いませんでした。
これでみなさんのモチベーションが下がるかな、と思ったのですが、そうではありませんでした。今年の3月に、もう一度という計画ができたようです。
ただ、演奏家がスイスの方ですので、
オミクロン株
のこともあって、来日できるのかどうかという問題があります。それどころか、日本国内の状況を見てもまた緊急事態になる可能性だってありそうで、悲観的になってきますね。さらに、これまでは企業の協賛も得て実施してきたのですが、不況のためにそれがなくなったのだそうで、予算の問題も大きいのです。ひょっとすると近いうちに、あるいはぎりぎりになって「やはり中止します」という話になるかもしれません。しかし、六郎兵衛さんの追悼としてぜひとも上演したいという制作者や演者のみなさんのお考えは強いもののようで、そういう不安の中でも準備は着々と進んでいます。
これまでは、赤松禎友、野村又三郎、茂山あきら、茂山茂、山本善之、桐竹勘十郎、豊竹呂太夫、鶴澤友之助のみなさんがご出演でしたが、このたびは狂言の方がお二人交代されます。新たに参加される方のうちお一人は、実は知らない方なのですが、平均年齢はいくらか若返るもようです。
そして、せっかく上演するなら少しでもいいものにしようと、これまで気になっていた点を改めることになりました。ただ、肝心の演出家(六郎兵衛さん)がいらっしゃらなくなりましたし、みなさんそれぞれにお忙しいので、作業をする人がいません。それで、年末になって芸術監督の大槻文蔵さんから私に
「少し考えてみてくれ」
とご指示があり、またもや無能を棚に上げて思案したのです。
要するに台本を書き換えるわけですが、追悼公演なのでできるだけ六郎兵衛さんのお考えを生かすようにというお話で、変えたいけれども変えられない、変えられないけど変えねばならぬというジレンマがありました。そもそも私は劇作家じゃないし・・。
昨年末は体調がすぐれなかったうえ、ほかにも仕事があったのですが、そこに突然舞い込んだお話で、年末はかなりバタバタとしてしまいました。
とりあえず、おもに結末部分の処理を私なりに工夫して、それをお送りしました。書き換えに際しては演者のお一人である若い狂言師の方と何度かお話しすることができて、いいご意見をいただきました。この案が採用されるかどうかは芸術監督などのお考え次第で、「これはダメだから採用しない」と言われても、私は何も文句を言うつもりはありません。ただ、狂言師の方とお話しして意見が一致したところを中心に書き換えることはできましたし、短い時間でほかの仕事と並行しながら最善を尽くした、ということだけは自負を持っています。その点だけはわかってもらえたらありがたいな、という気持ちです。
私のアイデアがどうなろうと、何とかして再再演が実現するようにと願っています。
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- [2022/01/17 00:00]
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松崎天神縁起絵巻
既述のように、年末に防府に行ってきました。
目的はさらにその奥にある徳地でしたが、徳地に伝わる重源上人の伝承を考えるためには防府の街も見ておく必要があると思いました。これもすでに書きましたが、防府にはその名のとおり「周防」の「府(国府、国衙)」がありました。今、山口県の県庁所在地は少し山に入った盆地にある山口市です(もっとも、山口市は合併で周りの町村を取り込んで海辺から島根県境までずいぶん広いのです)が、もともとは防府こそが周防国の中心地だったのです。聞いたところでは、防府も山口市に編入される話があったようなのですが、それは実現しませんでした。勝手な想像ですが、防府の人たちのプライドがこの話を断る力になったのではないでしょうか。
この地には、奈良時代に、
国分寺
が建てられ、前述のように国府も置かれました。そしてなんといっても10世紀のはじめに大宰府に流された菅原道真がこの地を通り、そのために松崎天神(防府天満宮)が建てられたことがこの街をさらに有名にしたのです。そして街は、天満宮から南側に門前町(鳥居前町)として発展することになります。
私がまだ30代の頃、すでに大物として知られていらっしゃったNHKの女性アナウンサー(私より4,5年上の方でした)とちょっとしたことで二人きりで(笑)お話したことがあったのですが、なんとその方のご出身が防府だったのです。「松崎天神の街ですね」と言ったらとても喜んでくださいました。
現在の人口は11万人くらいで、大都市というわけではありません。市内をいくらか歩いてみると、朽ち果てた家、明らかな空き家も見られ、やはり若い人が出ていって帰ってこないのかな、と思わされました。山口県内では下関市(約25万人)、山口市(約19万人)、宇部市(約16万人)、周南市(約14万人)、岩国市(約13万人)に次ぐ人口第6位の街です。しかし面積が広くありませんので、人口密度で言えばやはり狭い下松市(くだまつし)に次いで第2位です。
私がこの町を知っていたのは、やはり道真が没した翌年に創建されたという防府天満宮のおかげで、これまでに一度だけ尋ねたことがありました。天満宮自体はそれ以前から知ってはいましたが、鎌倉末期の応長元年(1311)にできた
『松崎天神縁起絵巻』
を読んだことがあるという点もこの神社に強い関心を持つきっかけになったことは否めません。
現在重要文化財に指定されているこの絵巻物は、
○天才的な学才を持つ幼児が菅原家の子になる
○出世するが、藤原時平に妬まれ、左遷される
○大宰府で自らの潔白を訴え、天満大自在天神になる
○道真の怨霊が都で大暴れする
○怨霊を鎮めるために道真は太政大臣を追贈される
○天神は人々のさまざまな願いを叶える
○道真は大宰府下向の際、防府に住みたいと言った
○その結果防府に天満宮が建てられた
という内容を持っています。
この絵巻物の神社建立中の場面で、子どもの喧嘩に親が入り込んできて喧嘩相手の子どもをけ飛ばす部分があります。これは『伴大納言絵巻』(平安時代末期)に見える子どもの喧嘩の場面とそっくりの描き方で、おそらく絵師は先人を真似たのだと思います。『伴大納言絵巻』を直接見てまねたのか、絵手本のようなものに喧嘩の場面が描かれたものがあったのか、よくわかりませんが、どちらにしても基になったのは『伴大納言絵巻』だと思います。蹴る男、蹴られる子どもの態勢などほんとうによく似ています。
この絵巻物を納めているのは防府天満宮歴史館なのですが、今はウイルス感染防止の観点から閉館となっていたのがとても残念でした。
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- [2022/01/16 00:00]
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感染とのニアミス
全国的に感染者の数が増えていますが、ワクチン接種による無症状の人も少なくないでしょうから、現実には表に出ている数字以上の人が感染しているのでしょう。
ただ、今回は沖縄県と山口県岩国市でクラスタが発生するという意外な現象がありました。しかしこれは実のところ意外でも何でもない必然であったともいえます。なにしろ、日本でありながら日本のルールの通用しない米軍基地のある街での出来事だからです。あの時期はパーティが盛んな頃で、このあいだも書きましたが、アメリカの人ならクリスマスと新年へのカウントダウンの大騒ぎをするころでしょう。それが原因になっているのかどうかは知りませんが、そんなざわついたところにアメリカ本国からウイルスを持ってきた人が一人加わったらどうなることか、目に見えるようです。
私は年末から年始にかけて山口県や広島県には行きましたが、
岩国市
の海側(基地のあるあたり)には行っていません。あえて言うならJRに乗って岩国駅を通過したという程度です。それでも、あまりにもぴったりのタイミングでしたから、しばらくは気が気ではありませんでした。
幸い、何の症状もなく終わりました(今回の変異型は潜伏期間が短くて、3日前後で症状が出るという特徴があるそうです)ので感染はなかったものと安心しました。
しかし、一難去ってまた一難、です。
無事に家に帰ったと思ったら、長男が「同僚が陽性になった。濃厚接触ではないが、同じ日に仕事場にいたのでしばらく出勤停止になった」というのです。もし長男が感染していたら、同じ車に乗ったこともある私もかなり危ないのです。すると「明日にでも職場で
PCR検査
を受けるので、その結果を待ってから行動してほしい」と言ってきました。特に外出する必要のないころだったのは不幸中の幸いでした。その連絡があってから三日後に結果が届き「自分を含めて職場の全員が陰性だった」とのことでした。またまたホッとしました。
しかし、私のようにあまり街中に出ない者であっても、目の前までウイルスは来ているのです。たとえばこの記事を書いている時点では何ともありませんが、ブログにアップされるころには、ひょっとしたらどこかからウイルスをもらってきて寝ているかもしれないのですね。
このたびのオミクロン株というのは感染力が非常に強いと言われます。その反面、重症化しにくいともされますが、あくまで「しにくい」のであって「しない」のではありません。油断はできません。
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- [2022/01/15 00:00]
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和木町
山口県玖珂郡和木町。
玖珂郡というのは、以前はとても広い地域だったのですが、その中の町村はことごとく合併するなどして「市」になってしまいました。その代表が岩国市です。とても広い市域を持っていて、山口県東部の中では有名な街だと思います。岩国城という山城があって、錦帯橋があるのがこの市です。JR岩国駅の駅前はそれなりに小都市の雰囲気を持っています。『心中天網島』「紙屋内」にもその名が見えるように、製紙の歴史も持っています。
ほかに玖珂郡からは柳井市という市ができました。これは岩国より南側にあります。ところがたったひとつ玖珂郡のままで残っている町が和木町なのです。
実はこれまでにこの町は再三「岩国市と合併しませんか」と言われていたのですが、頑なにそれを拒んできました。この町は、人口約6000人で面積10.58㎢という小さな規模なのですがなぜ合併に応じないのでしょうか。
町の名前は
小瀬川の『脇』
の意味ではないかと思うのですが、正確なところは知りません。中心部は小瀬川下流で、東は海に面しています。こんな小さな町がなぜ独立したまま残っているのか不思議ですらあるのです。実はこの海辺には三井石油化学の工場があって、そこから入る税収がとても多いのだそうで、町は裕福なのです。聞いたところでは、小中学校の給食は無料で、「子育てしやすい街」を謳っているようです(ただし高校はありません)。おそらく高額のお金を取られるであろう著名人の講演会などを催したりしているとも聞きました。町役場の建物もとても瀟洒なもので、黒川紀章さんに設計してもらったそうで、これは何度か前を通ったことがあるのですが、感嘆するようなものでした。さらに十年余り前には、JRの駅を
請願駅
の形で実現しました。もちろん建設費用は町が大半を出しているのでしょう。大きな買い物は岩国まですぐに買いに行けますし、総合公園という広大な公園も持っていていろんな施設があるため、近隣からの来場者も少なくないのでしょう。
こうなると、町民の方々は何の不満もなく暮らせるわけですから、わざわざ岩国市と合併する理由がないのでしょうね。合併といっても要するに吸収されるわけですから、行政サービスは確実にこれまでより低下するでしょう。「何を好んで合併なんか」というのが本音ではないでしょうか。
隣の岩国市は872㎢あまり。和木町の90倍近くあります。その岩国市の先っぽにくっついているような町ですが、実力はなかなかのもののようです。
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- [2022/01/14 00:00]
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蔓延防止特別措置
このタイトルはすっかりおなじみになった言葉ですが、普通はひらがなを使って「まん延防止特別措置」と書かれます。「蔓延」の「蔓」の字は常用漢字でないためにひらがなが用いられるのです。しかしこれくらい漢字で書いてもいいのではないでしょうか。どうしても読み方が難しいというならルビを打てばいいので、私は「まん延」などと書かれるとかえって意味が解らなくなるように感じます。
このあいだ市役所に行ったら「障碍者」と書いて「碍」の字に「がい」とルビが振ってありました。これも常用漢字でないのでこうせざるを得ないのでしょうね。私は別に「障害者」と書いてもらっても平気ですけどね。
さて、感染の第6波がやってきて、またまたその「蔓延防止特別措置」とやらが出されるようになりました。沖縄県とか、山口県岩国市とか、要するに
米軍の基地
のある地域に目立つので、おそらくそのあたりから広がったのでしょう。クリスマスとか、カウントダウンとかいって、大騒ぎする習慣があるでしょうから、アメリカから持ち込まれたウイルスが一気に広がって街に出る、という図式かと思います。あるところではALT(Assistant Language Teacher)つまり外国人の英語補助教員の人たちが年末年始にパーティをして一気に広がったところがあるらしい、という話を聞きました。
油断は大敵ですね。
ところで、山口県岩国市、和木町、広島県大竹市、廿日市市、広島市などというと、私が正月に行っていた地域ではありませんか。もっとも、私はほとんど街中には出ていませんので
感染する可能性
はいたって低いと思います。なにしろ、めったに人に会わないのですから。なるほど正月に私が散歩していたのはこの地域ではありますが、山の中でしたから、それでなくても人が少ないのです。あまっさえ正月とあって、みなさん家の中で宴会でもなさっているでしょうから、車の姿すらめったに見えないのです。まして歩いている人なんて、1時間歩いて3人とすれ違ったら多い方でした。というわけで、あまり心配はしていないのですが、何だか嫌な感じではあります。
ところで、上に書いた街の名前で、唯一「町」であるのは和木町です。周りはすべて「市」なのに、なぜここだけが「町」なのでしょうか。
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- [2022/01/13 00:00]
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徳地人形浄瑠璃(5)
中国縦貫道徳地インターを横目に奥に入っていくと、佐波川が整備されていない昔ながらの姿になってきます。
脇道に入ってそしてその一画に
史跡 佐波川関水
と書かれた石碑が建てられています。
重源は部分的に水を堰き止めることで幅3mほどの深い水路を作り、そこに材木を流したそうです。今は上流はダムになり、下流は整備されていますので、こういう場所が残っているのは一か所だけになってしまいました。
そのあと、野谷の石風呂(こちらは岩風呂ではなく石風呂)に行きました。これはもう、自然のままで、車でそばまでは行けません。
入口のすぐ横には、
念石(念仏石、拝み石)
というのがあって、これに向かって念じたあとに入ったようです。
ほんとうにいろいろ見せていただきました。そしてそのあと、Mさんのご自宅までお邪魔して、かわいらしい、と言えばいいのか、小さな人形を拝見したうえでいろいろ教えていただきました。
見せていただいたのは、『絵本太功記』「尼崎」に用いる光秀、皐月、操、初菊と、『鳴門』のおつる、三番叟でした。ウナヅキの仕掛けがあり、光秀は眉が動き、三番叟は目がひっくり返りました。こういう、目のひっくり返るのは、大分の北原人形でも用いられていたのを見ました。
後継者がいないのが今の問題だそうです。徳地の人形浄瑠璃を発展させるためには、地元のお話を浄瑠璃にしたもの、つまりオリジナル作品を持つことも必要ではないかと感じました。
大阪府能勢町の人形浄瑠璃は、能勢三番叟という、どんな演目の前にでも上演できる短い定番の作品を持っています。ああいうものがあってもいいでしょう。
そういう、地元愛を感じさせる作品を持つことで浄瑠璃に誇りを持っていただくことができるのではないか、という期待が持てそうに思うのですが・・。
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- [2022/01/12 00:00]
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徳地人形浄瑠璃(4)
山あいの村への交通手段というとほとんどみなさん自家用車をお使いになると思います。しかしこの地域にはわずかにわずかに防長バス(「防長」は周防と長門のこと)というのがあって、これで徳地総合支所というところまで行けます。ここが元の町役場だったのでしょう。
この近くに徳地の名産を販売する「南大門」という店があります。
米、野菜、果実などのほか、紙製品もありました。
さて、このたびは
徳地人形浄瑠璃保存会
のMさんにいろいろ教えていただくお約束をしていて、年末のお忙しい時にあちこちに連れて行っていただきました。
驚いたのは、徳地に行く道、さらに奥に入る道の立派だったことです。Mさんも「総理大臣がたくさん出ていますからね」とおっしゃっていました。
徳地からは防府側に戻った、県道24号を脇に入ったところに
岸見の岩風呂
というのがあって、これも重源上人ゆかりの場所です。
石室を作ってその中で柴木を燃やして石室を熱します。そして燃やした木の灰を取り出して中に濡れ藁を敷き、その上に筵を広げてそこに横たわるのです。サウナのようなものですね。木材の伐り出しをする人が疲れた時などにはまたとない癒しだったでしょう。
その岩室が残っていて、今でも使われるそうです。
こういうものを、重源はあちこちに作らせたようで、今も何ヶ所も残っています。
徳地に行く道の途中には筏に乗る重源上人像があって、何とマスクをなさっていました(笑)。
そして奥に入っていくと、関水の跡があるとうかがいました。
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- [2022/01/11 00:00]
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成人の日
昔は一月十五日、今は一月の第二月曜日が成人の日です。大学の祝日授業でさんざん迷惑をこうむりましたので、月曜日ばかりを祝日にするのはやめろと言いたいのですが、成人の日だけはまんざら反対でもありません。
今や大学に進む人は18歳人口の56%くらいにのぼり、20歳の多くは大学生です。彼らの中には実家から出て都会の大学に進む人も少なくありません。以前のように一月十五日が成人式で、仮にその日が水曜日だったら、実家に帰ることは難しいでしょう。火曜日と木曜日に授業があるからで、しかもこの時期は後期試験の直前ですから、授業を休みにくいと思われるのです。しかし「第二月曜日」が祝日なら3連休になりますから、金曜日に実家に帰れば3泊できることになります。ただ、成人の日の翌日が授業の可能性は高いですから、月曜日に式を終えてゆっくりする暇もなく帰らねばならず、その点はいかがなものかと思います。それならいっそ一月の
第二日曜日
を成人の日にして、月曜日は振替休日にしてあげた方がいいかもしれません。そうすれば式を終えて少し遅くまで騒いでも翌日ゆっくり帰れば済むからです。もちろん、そんな面倒なことはしなくても、各自治体が成人式を日曜日に設定すれば済むことですが、そのように自主的に動いてくれるものでしょうか。私が文部科学大臣になったら前者にしますし、市長になったら後者にしますが、どちらも可能性はゼロですので(笑)実現しそうにありません。
成人式と言えば、式のセレモニーを荒らすために出席したとしか思えない
悪ガキ
がいました。「私は悪ガキです」という看板を背負うかのような服装や髪型をしてが、ヤジを飛ばしたりして式の進行の邪魔をして、市長あたりとにらみ合うなどということもあったと思います。最近はどうなのでしょう。さすがに若者たちもあんなことは恥ずかしいとわかるようになってきたのでしょうか。
私の成人式のときは、まだそういう連中は式に来たりはしませんでした。式に出ること自体が「だせー!」という感じだったのでしょう。ですから、式自体は実におとなしいもので、ありきたりの挨拶などしかないものでした。今もあまり変わらないと思うのですが、結局成人式というのは、小学校、中学校の同級生がどんな具合に成長、変化しているかを見たい、というのが大きな目的ではないのでしょうか。そして、きれいになった女の子を見つけては声をかけて「にわか同窓会」をすることもあるのではないでしょうか。残念ながら、私の場合はそういう懐かしい人とは会いませんでした。いや、実際は会っていたのでしょうが、変化しすぎてわからなかったのかもしれません。惜しいことをしました(笑)。
今年成人式を迎える若者のみなさん。世の中はあまり明るくありませんが、あなたがたの未来は妙な大人に騙されることなく、自分の力で切り開いていきましょう。そして、右肩上がりの拝金主義を信奉するのではなく、心の豊かな明るい世の中を作ってほしいのです。
今の私は、ただみなさんのご多幸を祈ることしかできませんが。
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- [2022/01/10 00:00]
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徳地人形浄瑠璃(3)
私は何とも思わずに徳地に行こうと思ったのですが、あちらの方におうかがいすると、この時期は雪が降るかもしれないとのこと。自分が住んでいる地域が先ず雪が降らないためにうっかりしていました。徳地は佐波川沿いの山あいの地ですから、雪が降るのはむしろ当たり前だったのです。
また、バスを使ってあちこちに行こうと思ったのですが、「田舎のバスをなめてはいけない」とあちらの方に言われました。
早速時刻表を見ると路線によっては年末年始は運休というところもありました。また、運行しているところも土日ダイヤで、本数はかなり限られるようでした。なめてはいけませんでした。
でもさあ、天下の防府市じゃないですか。防府とは周「防」国の国「府」があったところということですから、もともと山口県の東側の中心地であったはずです。立派な天満宮もあるわけですからね。
ただ、
防府駅前
は、南側に大きなスーパーがあって、北側(天満宮側)はバスターミナルになっているなどそれなりに街の雰囲気がありました。そして佐波川はなかなかりっぱな川で、これなら農業も盛んになるだろうと思えました。
さて、翌日は朝からホテルを出て、まずはホテルから2kmあまりの国衙跡に行きました。かつて周防国の役所だった地域で、今は広大な公園になっています。ただ、私が行ったのは冬の朝早く。誰も、ほんとうに誰もいませんでした。
そして、北側の旧山陽道まで行ってそこを西へ。今は宅地化しているところも、かつては国衙だったらしく、やはり山陽道に面して国衙は作られていたのです。これも行って初めてわかったことでした。
佐波神社というのがありました。ほかにも、昔を偲ぶよすがはいろいろ。防府天満宮の宮司さんの屋敷だったというところもありました。
もうひとつ、せっかく防府にきたので、
種田山頭火
の生家跡も訪ねました。「生まれた家はあとかたもないほうたる」の句の石碑がありました。
山頭火(1882〜1940)についてはあまりよく知らないのですが、
へうへうとして水を味ふ
まつすぐな道でさびしい
などの自由律の俳句で知られる放浪の俳人です。かれが小学校に通った狭い道は「山頭火の小径」としてファンが歩けるようにしてあります。
さて、午後はいよいよ徳地を目指します。
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- [2022/01/09 00:00]
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徳地人形浄瑠璃(2)
というわけで、年末も押し詰まったある日、山口県防府市に1泊して徳地に行ってきました。私にとって、仕事がらみで外泊するのはほぼ2年ぶり。2020年の2月に東京に行って以来のことです。
一日目は、周防国(山口県東部)の海の玄関口というほどではないのかもしれませんが、三田尻という海岸部となんといってもこの地域の顔ともいうべき防府天満宮にも行きました。
JR防府駅からバスで南に行くと三田尻港があるのですが、時期や時間帯が悪かったのでしょう、ひっそりとして寂しいところでした。
防府天満宮は、駅の1㎞ほど北にあります。ここは「松崎天神」とも言われて、数ある天満宮の中でも「日本最初の天神さま」(防府天満宮HP)としてとても有名なところです。
私の場合、応長元年(1311)に製作された
松崎天神縁起絵巻
という絵巻物(重要文化財)でもなじみの深いところです。この神社には、以前一度だけ行ったことがあるのですがもうすっかり忘れてしまっていて、改めてその立派な社殿に圧倒されました。ここには「歴史館」(宝物殿)という、『松崎天神縁起絵巻』などを納める資料館があって、これもなかなかの見ものです。あいにくウイルス禍で休館でしたが。
興味深かったのは、一の鳥居(石の鳥居)、二の鳥居(青銅の鳥居)をくぐったところの右手にあった
酒垂神社
でした。
なんでも、重源上人が、大仏殿再興の材木を伐り出せたのは天満宮のお力のおかげだと神社を寄進することにして、その工事で疲れた人たちが飲んでいた岩水が美味な酒の味がするようになり、これも天満宮の御威徳というので、その岩を酒垂れ岩、神社を酒垂神社というようになったそうです。
この神社は、以前訪ねた時は別の位置にあったようで、今回初めて知りました。
やはり行かないと気づかないことはあるものですね。
この日はさらに、その北西側を流れる佐波川も観て、800年以上前に奈良の僧侶がこの地に来て、この川沿いに山の中に入っていった様子を思い浮かべていました。
日が暮れるのが早いためにこの日はあまり移動できませんでしたが、まずは重源上人の足跡の第一歩をたどった感じでした。
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徳地人形浄瑠璃(1)
山口県の山あいに徳地(とくぢ)という地域があります。2005年に山口市に編入されたのですが、もともとは佐波郡徳地町という町だったようです。佐波郡というのは徳地町のみでしたので、郡自体も消滅したことになります。防府天満宮で知られる山口県防府市のほぼ北側で、天満宮のそばを流れる佐波川(さばがわ)の上流にあたります。
この町はもともと佐波川の水の恩恵を受けて農業の外に木材を伐り出して産業としていたようです。しかし住民の生活はあまり豊かではなかったらしく、かといって何か新たな産業を始める知恵もなかったようです。そんなとき、時は鎌倉時代の初めなのですが、奈良からひとりの僧侶がやってきました。名を
重源
といいました。というとお分かりの方も多いように、平家東大寺焼き討ちの際に焼亡した大仏殿の再建に尽くした人です。この人は徳地の木材がすばらしいと知って、ここにやってきて土地の人たちと協力して伐り出すことに成功したのです。このとき重源は町にさまざまな財産を残していきました。伝承によれば、紙や茶の製法を伝えたとされ、これが地域の産業として発展することになりました。特に紙の製造はやはり佐波川の恩恵もあったのでしょう、良質なものができて、全国にも知られたのだそうです。
そもそも佐波川の名も重源に由来するという伝承があります。山に住んでいるために鯖を食べたことがないという土地の人々の話を聞いた重源が、木片に「鯖」という字を書いて川に投げ込んだらそれが魚の鯖になって、人々がそれを喜んで食べたというのです。後付けの話だろうとは思いますが、それほど重源という人はこの土地にとって大事な人だったのだとわかります。
そしてこの地には
人形浄瑠璃
が伝えられています。といっても文楽のような大きな人形で大規模に演ずるものではありません。舞台の下から操作するもので、繊細な動きはないのです。しかし土地の人はこの素朴な人形を愛して今まで伝えてきたのです。ところがご多分に漏れず、この芸能も後継者不足。なかなか運営が難しいようで、演目も『絵本太功記』ひとつという感じで、将来が案じられます。山口市に編入されたことで、徳地独自の文化が色あせてしまうことになるとしたらまったくもったいない話ですし、合併の悪しき副作用ということになるでしょう。私としては、山口市にもぜひ応援してほしいと願わないではいられません。
最近、この人形浄瑠璃の後継者の人とSNS上でお話をする機会がありました。この方は何としてもこの芸能を継承したいと強い意気込みをお持ちなのです。私も、今後はできれば地域に継承されている人形浄瑠璃と関わる仕事をしたいと思ってきましたので、その点で意気投合し、この年末に一度徳地にお邪魔してどういう芸能なのかをこの目で確かめることにしました。そしてもしお手伝いできるものなら、その発展のためになにかしたいと考えるに至っています。
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- [2022/01/07 00:00]
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新年は田舎で
昨年末、私は用があって山口県まで行ってきました。山口県というと、昔は周防と長門の国がありましたが、それをまとめてひとつの県にしています。
県民性ということになると東と西では違うのではないかと想像するのですが、よくはわかりません。しかし兵庫県の播磨と摂津、広島県の安芸と備後を考えると言葉も違いますし、別の地域という感じが強いと思います。その意味で、山口県も同じではないかと思っているのです。県庁所在地の山口市は周防国の西の端で、長門と言えば萩とか下関などの地域です。
私が行ったのは、周防の方で、防府市の山側にある徳地という地域です。これについては明日以降また詳しく書くことにいたします。
そのあと、正月に私は家の者と一緒にまた
広島県
の田舎に行っていました。
徳地というところはかなりの田舎なのですが、私が正月に行ったところもひけをとらないほどの山の中です。どちらの地方も、地域によっては、年末年始はバスはありません。
広島には何をしに行ったかというと、また庭掃除です。人が住まない家は荒れると言いますが、ほんとうにそのとおりで、夏にかなりきれいにしたのに、またも無残な姿になっていました。ただ、時期的に枯れ草が増えているだけなので、夏ほど一気にきれいになるという感じではなく、かなり地味な仕事体力仕事でした。
これについてもまた後日書くかもしれません。
連日の体力仕事で、腰、腕の筋肉、関節などがかなり痛みましたが、最終的には何とか庭らしい姿にすることができたように思います。正月風の時間は持てませんでしたが、こういう新年もまた一興です(←負け惜しみ)。
そういう事情で、実は
年賀状
を拝見したのもかなり遅かったので、こちらから出さなかった方へのお返事は遅れてしまいました。ご容赦くださいませ。
田舎はとてもいいです。庭掃除はしんどいですが、のんびりゆったりした雰囲気はとてもすてきで、本当はそろそろあちらに引っ込んでしまいたいとすら思うのですが、誰も一緒に行く人はいないと思われ、一人ぼっちで山の中で暮らすとなるとかなり不便だろうと思います。
もちろん車は必需品です。買い物ひとつ満足に行けないのですから。
もしあちらに自由に使える畑があったら、勉強して農作業をしたいと思うのですが、浮世の義理などもあってそうもいかないのが実情です。
しかし、まずまず納得のいく正月を送ってきました。
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- [2022/01/06 00:00]
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ときどき筆ペン
もっぱらキーボードで文字を書くのはご多分に漏れません。
今の若い人は案外キーボードが苦手な人が多いのです。いつぞや学生さんが「10分で380字(?)入力するのが情報処理のテストで、そんなに打てる自信がない」と言っていました。なんて、いささかえらそうに言いましたので、私も今試みに380字の文章を写してみました。6~7分かかりましたが、とりあえず合格でした(笑)。
文字を書くのは今ではキーボードがほとんどではあるのですが、それでも私はできるだけ手紙は自筆で書くようにしています。といって使っているのは安物のボールペンですが。私の年代なら、
万年筆
になじみのある人は多いはずです。私も中学生になった時に親に初めて万年筆を買ってもらいました。しかしものを大事にしない私はすぐにペン先を曲げてしまい、使えなくなったのです。そんなこともあって、私はもうかなり前から万年筆は使っていません。扱いが乱暴なことに加えて、筆圧がかなり強いので、どちらにしてもすぐにダメにしてしまうのでやめたのです。
大学生の頃、「将来は高校の国語の教師になるだろうから黒板に字を書かねばならない」と自覚するようになって、悪筆を何とかしたいと思いました。そしてとにかくひらがなの練習を一生懸命するようになりました。また書道の授業も受けたのですが、これはもう先生に匙を投げられるほどのひどさで、周りの人たちがいい成績を取っているのに私は「良」だったような気がします。そんな折、私に救いの神が現れました。それが
筆ペン
でした。これなら筆のようでもあり、しかし筆ほど扱いが難しくないので、不器用な私にはぴったりだったのです。
そこで年賀状も「謹賀新年」に該当する文字だけは筆ペンで書くようになって今に至るのです。
しかし、私にとっては難題がありました。私の本名はとてもバランスのとりにくい文字なのです。面倒だから「富小路藤十郎」という名前に変えてそれらしく書きたいと思うのですが、家庭裁判所が認めてくれないと思います(笑)。
豊竹呂太夫さんの本を書いた時に、何人かの人が私にもサインをしろとおっしゃいました。私はたいてい筆ペンを携行していますので、書くことは書いたのですが、やはりあまりうまくは書けません。今後は何かいいお手本を探して書き慣れるようにしたいと思っています。
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- [2022/01/05 00:00]
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2022年の年賀状
年々数の減っていく年賀状です。もっとも、今の若者は「小学校のときに書いたのが最後」という人も珍しくなく、このままでは日本郵便さんも年賀状で稼ぐことは考え直さなければならないでしょう。
個人的に数が減る理由のひとつは、私がそろそろ終わりにしたいと思っていることがあります。もうひとつは喪中の人が以前より毎年増えていることです。
ご両親が亡くなったというのは減ってきたかもしれませんが、配偶者に不幸があったとか、ご本人が鬼籍に入られたとか、何だか身につまされるような事情が書かれていることが多くなったのです。
それでも、やはり書こうかなと思っていたのですが、昨年の十二月は体調があまりよくないことに加えてバタバタと仕事が増えたため、年賀状を買いに行く機会を失ってしまいました。
まあそのうちに、と思っていると、
あと1週間で新年
という時期になっていました。
それで家にいる日で郵便局まで行けそうなときにやっと入手し、書き始めたのでした。
Exelで住所録を作っているのですが、やはり昨年よりは少し少なめでもう50枚を切る数になってしまいました。以前は、12月に入ったらすぐに購入して、毎日のように手書きしてやっと間に合わせていたのです。そのころの枚数に比べると、
激減
したという言葉がぴったり当てはまります。その分、ハガキ代が助かるのでありがたい話なのですけどね。ただ、このところそのハガキ代がどんどん上がっているので、少し前に52円だった時なら60枚買えていた金額で、今は(63円ですから)50枚も買えないことになります。毎年、年末の出費はなかなか痛いものがあります(笑)。
というわけで、頑張って書きましたが、このところ毎年「これが最後かな」と思うことがあります。そう言いながらもまた書けたことは幸せというべきなのかもしれません。
そういうつもりで、いただいた年賀状は感謝しながら拝見することにしています。
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2022年文楽初春公演初日
今年も文楽が始まります。
ひとりでも多くの新しいお客様が増えますように。
第1部 午前11時開演
寿式三番叟
菅原伝授手習鑑(寺入り・寺子屋)
第2部 午後2時15分開演
絵本太功記(二条城配膳・夕顔棚・尼ヶ崎)
第3部 午後5時30分開演
染模様妹背門松(生玉・質店・蔵前)
戻駕色相肩(廓噺)
という演目です。
『菅原』は昨年正月が三段目でしたので、今年は四段目なのですね。『絵本太功記』はやはり時節が違うかな、と感じます。
錣・藤蔵から咲・燕三で、和生、玉男、勘彌の寺子屋、呂勢・清治から呂・清介で、勘十郎、簑二郎の尼崎、千歳・富助で玉也、清十郎、勘彌の妹背門松。
織太夫がお休みで、代役は藤太夫。
千秋楽までどうぞご奮闘ください。
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新年にやってみたいこと
年が明けると一年の計を立てる人がありますが、どうせできっこないのだから、と私はあまりそういうことをしてこなかったように思います。
しかし、今年は少し考えておこうと思って5つばかりここに書いておきます。あくまで「やってみたい」ということで、以下に書くものは「強い決意のもの」と「できれば実行したい」という程度のものがあります。
1 短歌をもっと頻繁に詠む
これは以前から思っていることなのですが、短歌というのは毎日詠んでこそその中からまれにいいものができるように思います。平素から、幼稚なものでもかまわないので31音の詩を作るようにすれば、ひょっとしたら恥ずかしくないものがいくつかできるかもしれません。雑誌に載るのは年に28~31首なので、少なくともその5倍は詠んでいないといけないと思うのです。現実にはなかなか時間がないのですが、そういっているといつまでも進歩がありません。
2 創作浄瑠璃は最低2つ
創作浄瑠璃は、まずどういうことを言いたいかを考えて、どんな設定にしてどんな人物を出すかなど、いろいろ考えないと書き始められません。さらにそのあと言葉の工夫が必要ですので、菲才の私にはどうしても時間がかかります。またほかにもしなければならないことがないわけではありませんので、何とか2つは、という目標を立てておきます。これまでのように本所七不思議を素材にしていればよいわけではありませんので、新たなネタ探しもしなければなりません。
3 論文と言えるものを書く
世の中には星の数ほど論文があります。学生の頃、毎年200ほどの『源氏物語』関係の論文が出る、という話を聞いたことがあります。『源氏物語』だけで2日に1本以上! しかし、その大半は読み捨てられるというか、ほとんど評価を受けないまま消え去って行きました。私が書いたものもたいていそういうものばかりで、学界の役に立ったと自信を持って言えるものなどほとんど(ひとつも?)ありません。やはり骨のあるものを書きたいです。
4 一般の方を対象にしたお話をしたい
私は、生涯学習のサポートをするのも大事な仕事だと思ってきましたので、これまで長らく一般の方対象にお話をしてきました。しかし今はまったくそういう機会がありません。いくらか声はかけているのですが、私のような者には需要がないようです。しかし何とかやってみたいと思っています。
5 まったく新しい創作に挑む
自称「浄瑠璃作者」(笑)ですので、この「(笑)」という字が不要になるような、新たなジャンルを開拓したいと思っています。ひょっとしたらできるかもしれないという目算はないわけではないので、ぜひ自分でそれを引き寄せるくらいの気持ちを持ちたいと思っています。
このようにあれこれ書きましたが、ひとつでも多く実現しますように。
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- [2022/01/02 00:00]
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