球根は球魂
私の家の前の道はあたりまえのように舗装されています。近所を見渡しても土のままの道はありません。しかし、私の幼いころの記憶ではそれらはすべて土の道だったのです。だから、その上に絵を描いたり、字を書いたりして遊ぶことができました。道は人が歩くためのものにとどまらず、子どもにとっては公園でもあったのです。車なんてめったに走りませんので、危険も少なく、たまに自転車が通ると、その人が子どもを避けるようにわざわざ下りて自転車を押しながらゆっくりやり過ごしてくれるくらいでした。
当時はまだ近くの川も川底は土。コンクリートで固められたりしていませんでしたし、浅くてひょいと飛び降りられる土手があって、ここも遊び場になり得たのです。
そのようにして、土はいつも
手に触れるもの
だったと思います。
その一方で、父親が土いじりをしているのを傍観して「あんなことをして何がおもしろいのだろう」とも思っていました。休日になると庭に出てずっと何やらごそごそしていたのを見ながら、もっと自分の生活に役立つことをすればいいのに、花なんて何の役にも立たないのに、手を汚して疲れるまであんなことをして・・とすら感じていました。
しかしこれって今の世の中で「文学なんて役に立たないのに何を一生懸命勉強してるんだ」と言う人がいるのと同じことじゃないか、と気がつきました。子どもの目から見ると、無駄にしか見えなかったものが、実は人にとっては
とても大事
だったりする。こういうことはよくあることです。学生に能の話をすると必ず「あんなの、どこがおもしろいのかわからない」という反応が返ってきます。短歌を詠むなんて自己満足、うぬぼれ、ナルシシズム。そう思われることもしばしばあります。しかし、それらの重要性を知った時、人生とは何なのか、その深みはどういうものか、人を愛するとは何なのか、社会とは何なのか、などが目から鱗が落ちるようにわかるのです。
3月から4月にかけてグラジオラスの球根を植えていて気がつきました。土に触れ、植物に触れるのは自分の魂に触れるのと同じだと思います。球根の「球」は「魂(たましい)」の「たま」、球根の「根(こん)」は「魂魄(こんぱく)」の「こん」。そんな駄洒落すら思いつきます。
勉強に無駄なものはない。勉強すること自体が重要です。掘り上げた球根を土に返す。球根は土に返ることで新たな花を咲かせる。そのことを思いながら植える時の感触はなんとすばらしいものかと思います。
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- [2022/03/31 00:00]
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春の贅沢
毎年春になると、少しだけ贅沢をしています。といっても、私のことですから、せいぜい数千円使うくらいです(笑)。原資としては医療費控除の申請による所得税の還付金を当てるのです。今年も2万円あまり返ってきますので、その中から自分だけのためにお金を使います。
といっても、パチンコに行くわけでも競馬をするわけでも居酒屋に行くわけでもなく、何か植物を植えるだけのことです。
今年は、田舎で色とりどりの、12個入りのグラジオラスの球根を買いましたが、別にグラジオラスにこだわっているわけではないのですが、値段の安さにつられただけです(笑)。それとは別に、家からも同じグラジオラスの黄色の花の球根を2個持って行っていたのです。そして、その2個を含む12個(4個×3列)を植えて、あちらで買ったものから
紫と赤
とを1個ずつ持ち帰りました。こうすると自宅に置いてあるもうひとつの黄色のものと並べるとカラフルなものが楽しめるからです。
プランターの土がずいぶん減ったうえ、質も悪化していましたので、思い切って新しいものに入れ替えました。これまで培養土というと「野菜のための」というものしか買ったことがない(笑)のですが、今回初めて「花の培養土」というのを買ってみました。
そして、鉢底石を徹底的に洗ってリユースし、プランターもしっかり洗ったうえで、グラジオラスの球根を10日置きくらいに植えました。こうすれば咲くのもおよそ10日ずれますから、1か月くらいはどれかが咲いているということになります。一度に全部咲かせるのも見事でいいと思うのですが、こういうところが貧乏性なのです(笑)。
家に置いていた黄色の花の球根は昨年
大風
に遭って花茎がだめになり、花を咲かせることができなかったもので、そのかわり、葉がしっかりと栄養を蓄えてくれたものと見えて、ずいぶん大きな球根を新たに作っていたのです。今回購入したものに比べると二回りくらい大きい感じです。元の球根は萎びてしまって哀れすら感じさせますが、こうやってうまく世代交代の営みを続けていくわけです。人間も見習わねばなりませんね。
今年も、みずから花を咲かせつつ、
次世代
を立派に育てられるように、私も応援したいと思っています。
というわけで、田舎町で買った花の肥料298円、デイジー(2苗)596円、グラジオラス(12球)498円、地元で買った花の培養土659円(いずれも税込み)で合計2,051円。これが私の、春のささやかな贅沢です。
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- [2022/03/30 00:00]
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消えたホームセンター
何度も「田舎の町」と書きますが、けっして蔑視しているつもりはありません。「田舎」というと世間ではなんだか馬鹿にした表現として用いられるように思えるのですが、私の場合、そういうつもりはさらさらありません。それどころか、快適な生活ができる面がいろいろあることをうらやむ気持ちも持っています。ご近所の人が「白菜ができたから」といって分けてくれたり、都会ではあまり見かけない「空き地」というのがあって、子どもたちはそこで自由に遊んだりしています。山の空気はきれいですし、川の土手には春になるとつくしがたくさん生えて、取り放題です。
しかも最近は、昔と違って大きなショッピングセンターができて、買い物にも至極便利です。ほとんどの人は車で行きます。歩いて買いに行く人なんてめったにいるものではありません。それゆえに駐車場は広くて、いちいち遮断機があって駐車券を取って入場するなどという面倒なことはありません。満車でイライラすることもありません。そういえばこの地域には
コインパーキング
も、あまり見かけませんでした。親戚とか友人などが(当然車で)やってきた場合、車はどこに停めるでしょうか。実は、多くの場合いわゆる「路上駐車」をしていますし、正月休みであれば郵便局も閉まっていますので、そこの駐車場に車を平気で停めたりしています。誰も文句を言いませんし、警察が巡回に来るなんて見たことがありません。
さて、くだんのショッピングセンターなのですが、大きなスーパー(本当に大きな、都会のようなスーパーです)があって、食堂街があって、ホームセンターがあって、ほんとうにお客さんが来るのだろうか、経営は大丈夫なのだろうか、と思えるのです。ところが、いつ行ってもそれなりに人が入っていて、年末なんてかなり混雑しています。この街は人口3万人くらいのはずなのですが、こういう巨大ショッピングセンターはほかにはないので、うまくいっているのだろうと思います。ただ、値段はそんなに格安というわけでなく、私の居住地よりも少し高いのではないかと思うくらいです。
最近、このショッピングセンターのすぐ目の前に新たにホームセンターができました。
まだ土地が余っていたのか!
と驚くばかりです。かなり大きな店で、もとからある大きなホームセンターと競合してうまくいくのだろうか、と思っていました。新しい方は早朝から深夜まで営業していて、品ぞろえも多く、駐車場なんて「広大」ということばが当たるくらいです。
この春、そこに行ってみました。すると、元からあったホームセンターが消えていました。建物はあるのですが、完全に閉じられて、廃墟と化していたのです。なくなった理由は知りませんが、やはり競争に勝てなかったのではないかと思えてなりません。
そういえば、もともと近隣にあった小さなスーパーもなくなりましたし、影響は少なくないのでしょう。
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- [2022/03/29 00:00]
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ゴミの収集
田舎の町に言って大量のごみを処分してもらったのですが、ゴミ出しのルールは各地によって異なるのでなかなか面倒なことがあります。この地方はゴミ袋が指定されたもので、事実上有料回収。なかなかいい値段になりました。しかし私が初めてこの街に行ったときは無料で、24時間いつ出してもいいというシステムでした。分別回収なんてかなりいい加減だったような気がします。しかし小さな街でもありますから、予算にも限りがあると思われ、だんだんそれではうまくいかなくなって今のようになっているのだと思います。
私の居住地では無料回収ですが、袋だけが「透明または半透明」と決まっています。昔よく使われていた中味の見えない黒い袋はアウトで、それで出すと「このゴミ袋は
回収できません」
という紙を貼られて放置されてしまいます。出した人はそれを見つけるとすごすごと持ち帰らねばならないのです。
分別もかなり明確におこなわれていて、細かい指定があるため、年に1度届けられる「ゴミの出し方」のお知らせか市のホームページを見て間違わないようにしなければなりません。先日、「紙・布」の収集日だったのですが、この日に玄関マットのようなものを出している人がいました。なるほどこれも布なのかな、とは思ったのですが、やはりアウト。「回収できません」の紙が貼られていました。その理由は「これはカーペットとして粗大ごみとして出してください」と書かれていました。ところがこの持ち主がなかなか持ち帰らないのです。するとどなたが書かれたのかわかりませんが、もうひとつ「お持ち帰りください」という紙が貼られていました(その後、どうやら持ち帰られたようです)。
私が昔、ある短大に勤めるために一人暮らしを始めたとき、やはりゴミは無料回収で、どういう形で出してもOKでした。一人暮らしのため、出るごみは少量ですから、私はいつも
「レジ袋」
に入れて出していました。ところがある日、ごみを出しに行ったら、見慣れぬ袋が並んでいました。ご近所の方が通りかかったのでお尋ねすると、「今日から指定の袋になったんですよ」とのことでした。「○○新聞(地元紙)の折り込みにお知らせが入っていたでしょう」と言われたのですが、私は○○新聞を取っていなかったので(笑)わからなかったのです。この地域の人は必ずと言っていいくらい○○新聞を購読しているので、公報であっても他の新聞に折り込みは入れないのですね。
しかたなくすごすごと(笑)引きあげて、スーパーに売っているというゴミ袋を買って再度出したのでした。
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- [2022/03/28 00:00]
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草との闘い
今月、短期間田舎に行っていました。目的は、また庭掃除です。正月に行ったときに、ゴミ袋が15個くらい満杯になったのですが、それでもまだ全部は詰められないくらいでした。このときはゴミ出し1回につきせいぜい5袋くらいにとどめておいたほうがいいだろうと思って、2回に分けてゴミを出しました。ということは、5袋はそのまま庭に残さざるを得なかったのです。
今回もまた掃除を続け、結局新たにゴミ袋がまたしても15袋くらいがいっぱいになりました。残っていたのと合わせて20袋くらい。しかも今回はごみの収集日とうまくタイミングが合わず、1回で出さざるを得ません。そうはいっても量が多いために全部を出すのはあまりに近所迷惑になります。そこで、回収業者に連絡して特別の方法で処理してもらいました。ゴミを出すところまでがけっこう歩く必要があって、ゴミ出しだけで2,500歩くらい歩きました。
草にも命はあり、「雑草という名の草はない」のですが、だからと言って放置するわけにはいかず、南無草木一切成仏と願っておきました。
こうして庭はさすがにすっきりしたのですが、すっきりしないのは私の身体です。あちこち痛くてたまりませんでした。腕、ひじ、てのひら、指の関節、腰、足などがそれぞれに痛みました。
びっくりしたのは、指ががさがさになって、スマホの
指紋認証
がしばらく使えなかったことです。
以前、花壇をきれいにしようと思って耕したことがあるのですが、そのとき球根がたくさん出てきました。腐っているふうでもありませんでしたので元に戻しておいたのですが、それが芽を出して小さくて黄色い花まで咲かせていました。あれはいったい何という花なのか、いまだにわかりません。
この家は留守宅なのですが、あまり「留守です」ということがわかるようにはしたくないのです。それで、ホームセンターに行ってデイジーの花の苗とグラジオラスの球根を手に入れました。門から近いところに少し歌壇のようになったスペースがありましたので、そこをまた耕して肥料を混ぜ込んで植えておいたのです。デイジーはもうすぐ花期が終わり、そのあとグラジオラスが咲き始めるという計画です。もちろん、目立つところに植えておきました。ものはついでとばかり、昨年250個以上穫れた朝顔の種を(いくら何でも時期が早すぎるのですが)蒔いておきました。もし咲いてくれたら夏の間も「人がいる」というカムフラージュになるかなと思ったのです。五月ごろに行ければそのころに蒔きたいのですが、なかなかそうはいかないものですから。
庭仕事をする前に、朝早く私は散歩するようにしました。ある神社のところまで行こうと思ったのですが、そこまでは
一本道
が続くばかりです。そんなに遠くないと思っていたのですが、行けども行けどもたどり着かず、「近くて遠きは田舎の道」という言葉を思い出しました。そういえば『枕草子』にも「近うて遠きもの」という段があり、「思はぬはらから(仲のよくないきょうだい)」などとともに「鞍馬のつづらをりといふ道」が挙げられています。ちなみに「遠くて近きもの」の段には「人の中」が挙げられており、おそらくこれが「遠くて近いは男女の仲」という言葉のもとになったのでしょう。
結局、(緩やかな登り坂だったこともあって)片道30分近くかかり、これはこれでいい運動になりました。そのあとすぐに庭掃除でしたから、ほんとうに朝から晩までからだを動かしていたことになります。
次は真夏に行く予定ですが、またもや草に覆われているのではないかと今から不安です。
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- [2022/03/27 00:00]
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イチゴの花
去年の十月半ばにホームセンターでイチゴの苗を見ているうちに、これを育ててみようという気持ちになりました。しかしまったく初めての経験ですので、果たして根付くのか、葉は大きくなるのか、冬は越せるのか、花は咲くのか、実は生るのか、鳥に取られないか、害虫は来ないか・・などわからないことだらけです。ネットでいろいろ調べて忠実に教えを守った結果、何とか冬を越すところまでは来たのですが、まだまだ不安は残ります。
十二月に、一度花が咲きそうになりました。しかし、このころに咲いた花は実がつかないし、株を弱らせるので早めに摘み取った方がいいとネットに出ていました。私は正直ですのでこれもそのとおりにしました。またその時期にランナーが伸びることもある(これも伸ばさない方がいいそうです)と書かれていたのですがそれはありませんでした。
そして、二月も終わりのある日、窓辺に置いているイチゴのポットに水をやろうとして覗き込みました。すると、
小さなつぼみ
が見えたのです。暖かくなったら咲いてくれるのだろうかと思ってもうひとつのポットに目をやりました。すると、葉に隠れたところに、まだ開ききっていない花がひとつありました。なんだか少しうれしい気持ちになりました。イチゴの花は白くてとてもかわいいものです。
これが開いたら授粉作業があります。人工的に行うので字としては「受粉」より「授粉」が正しいようです。ほんとうは人が手を下さなくても、ミツバチが来てくれれば済むことなのですが、ミツバチさんにも都合があるでしょうからこちらの思うままにはならないでしょう。となると人工授粉です。気温が15度以上になったころに、綿棒とか、筆の先とか、耳かきの梵天とか、そういうやわらかいもので撫でるようにしてやるといいのだそうです。私は、もう使わなくなって放置していた筆がありましたので、それを授粉用にしました。
ただし、ミツバチのような「プロの仕事」ではありませんので、どうしても
実の形
が悪くなるのだそうです。これもネットで調べましたし、Facebookの「友だち」の人もそんなことをおっしゃっていました。
しかし、別に売り歩くわけではありません(笑)ので、形がどうのこうのなんて気にすることもないでしょう。どんなにでこぼこでも、とにかく実がついてくれることを願っています。受粉したら、それから40~50日くらいで食べられるのだそうで、3月受粉、5月収穫、というのが一般的でしょうか。
その後も次々に花は咲いていますので、何とかなるかもしれないと期待しつつ、次にこのブログにイチゴについて書くときは「収穫出来ました」「残念ながら失敗しました」のどちらかでしょう(笑)。
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- [2022/03/26 00:00]
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土を替える
家は農業をしていたわけではありませんでしたので、子どものころは植物を育てるのに土が重要だというのを知りませんでした。どんな土でも同じように育つのだと思っていました。植物は自然の中で育つのだから、人間が工夫しなくても勝手に育つに決まっている、と思っていたのです。しかし現実は、土の質によって育ちやすいものとそうでないものがあって、植物たちも子孫の育ちやすいところで成長しているわけです。彼らにも生存競争というのはあるはずで、あんなにたくさんの種を作るにはそれなりの理由があるのでしょう。
日本の雨は
酸性
が強いので、放置しておくと土も酸性に偏りがちになるのだそうで、石灰を撒いて中和するということもします。私はそんなことも知りませんでした。幼いころから土に親しんでいれば、親がしていることを見て自然に覚えたのでしょうけれども。
水はけの良しあしも重要な意味を持つようですし、土の粒が変化するので適宜入れ替えた方がいいなんて、教わるまで何も知らなかったのです。
2月の終わりに、グリーンアスパラの土を入れ替えました。根を切らないように全部掘り出して、新しい土に替えてまた植え直したのです。
アスパラの根がどんな風になっているのか初めて見ました。ホームセンターでは成長した根株が売られていますが、私はあれを買わずに、種を手に入れてそこから数年かけて育てたのです。
最近は
「○○専用の土」
というものが売られています。おそらく元肥とか土質などが工夫されているはずで、その植え付けの時期になるときっとよく売れるのでしょう。しかし「アスパラの土」というのは見たことがありませんし、そこまでこだわる必要はないだろうと思っていますので、普通の培養土です。この植物はいったい地下ではどうなっているのか、私は見たことがありませんので、相変わらずネットに頼って調べたりしています。一度自分でやってみたら忘れないと思いますので、最初は信用できる情報に教わることにしています。
さて、すっきりしたアスパラなのですが、うまく芽が出てくれるでしょうか。
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- [2022/03/25 00:00]
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せりふの黄金比
2月21日に東京でおこなわれた野澤松也師匠の演奏会で、飛び入りに近い形で拙作「送り拍子木」のセリフ部分を語ってくださったのは俳優の井田友和さんでした。
井田さんからはその後、Facebookの友だちリクエストをいただき、さらには何度も丁寧なメッセージまで頂戴しました。
役者さんというのは、我々が想像する以上に演劇について、あるいはしぐさやせりふのありかたについて日々お考えになっているものだと思います。井田さんも大変熱心に工夫なさっていることがメッセージの端々から感じ取れました。その中で井田さんは「現代演劇ではますますせりふは日常的な言葉を使うのが主流になってきている」という指摘をなさっていました。たしかに従来の演劇では芝居のせりふは日常語とは少し違った、あえていうなら「ふつうそんな言葉遣いはしないだろ」と言われそうな言い方もしたと思います。少し気取った感じの、いかにも「これは
芝居のせりふ
でございます」という言い回し、と言えばいいでしょうか。翻訳劇の言葉遣いをそのまま日本語の芝居でも用いるような感じです。それでこその演劇だという、そこに演劇人の誇りすら感じることがありました。「生か死か、それが疑問だ」なんて日常的に使う言葉ではありません。日常語なら「生きるのか、ちがうのか、わからない」「生きたらええんか、死んだほうがましか、ようわからへん」とでもいうところでしょう。
井田さんはそういう世界で生きていらっしゃいます。それだけに、浄瑠璃の
七五調
を基礎にしたリズムのあるもの言いは「せりふの黄金比のように思う」という意味のことをおっしゃっていました。
黄金比はおおむね1:1.6です。1.6は厳密にいうと(1+√5)÷2ということになり、ルート5は2.2360679・・ですから3.2360679÷2=1.6180339‥という感じでしょうね。数学は苦手なのでもうやめておきますが。
もともと和歌は自由律に近いところもありました。
大和は国のまほろば
たたなづく青垣
山籠れる大和しうるはし
はヤマトタケルが故郷を思って読んだ絶唱とされますが、57577の定型ではありません。私は初めてこれを詠んだ高校時代、どうにも気持ち悪くて、なぜきちんと定型にしないのだろうと思ったものでした(今はそんなことは思いませんが)。
しかしやがて五七調というリズムが確定し、『万葉集』の時代はそのリズムが主流で、さらにそれが七五調に移って、現代にまで伝わっています。
天の原ふりさけ見れば
春日なる三笠の山に
出でし月かも
は五七調、
あらざらむこの世のほかの思ひ出に
今ひとたびの逢ふこともがな
は、二句と三句が七五のリズムを持っています。その後も七五調は詩の世界で多く用いられるようになり、今様と言われる形式は、75を四回繰り返すものが多いのです。
あの有名な
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ
はその典型です。古いものだけでなく、私などが子どものころに習った
蛍の光窓の雪
文読む月日重ねつつ
いつしか年もすぎの戸を
あけてぞ今朝は別れ行く
だってその形式です。「春高楼の花の宴・・」も同じですね。
さらにその後も能や浄瑠璃で用いられていますし、連歌では575と77を分けるのがあたりまえ、そしてその発句が俳諧として独立しました。今でも
手を挙げて
横断歩道を渡りましょう
と、交通標語にまで用いられます。なるほどいつしか日本語の黄金比のようになっているようです。
もちろん、だからといってすべての芝居のせりふを七五調にするわけにはいかないのです。要するに、浄瑠璃を書くのであれば、七五調の文章を常に意識して、多少外れてもかまわないという程度にするのが正解ではないかと思います。
そんなら旦那さんうちの衆も
さらばおやすみなされませ
お目にかかるも今宵ぎり
(曽根崎心中・天満屋)
のように登場人物の心が昂揚するときのせりふには七五調はやはりよく「はまる」と思います。しかしずっとその調子で書き続けると平板に受け取られるように思われ、私は意図的に外すようにしています。
こんなことを考えて反省することができたのは井田さんとお話ししたからです。現に芝居をなさっている役者さんと話すのもやはり大事だと思いました。
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- [2022/03/24 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
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能の『源氏物語』
瀬戸内寂聴さんは『源氏物語』が大好きでいらっしゃいました。その寂聴さんが書かれた新作能に「夢浮橋」があります。宇治川で花を手向ける女に阿闍梨が誰何すると「主人である姫君(浮舟)が宇治川に身を投げて亡骸も見当たりません」というのです。実はこの女こそ浮舟その人だと阿闍梨は察して、「その姫君を救ったのはわが師の恵心僧都です」と語ります、その恵心僧都が亡くなり、今から墓に行くのだというので、女は同行します。この阿闍梨はかつて浮舟の美しい髪に憧れて心を乱し、寺を出た経験があり、その懺悔を僧都の墓前で行います。浮舟は薫と匂宮という二人の男性に愛され、ついには出家の道を選んだのですが、そのときにその美しい髪を切ったのがこの阿闍梨でした。あまりの美しさにその髪を少し懐に入れてしまい、その後妄執に苦しんだのです。阿闍梨はその髪を師の墓に収めて許しを請いました。
こういう内容の能で、何度も上演されているものです。
黒髪の美しさ
というところが寂聴さんらしい書き方だと思います。
このように、『源氏物語』は能の題材となることがあります。古典では「夕顔」「半蔀」「葵上」「野宮」「須磨源氏」「住吉詣」「玉鬘」「落葉」「浮舟」「源氏供養」があります。もっとも上演頻度の高いのはやはり六条御息所の霊をシテとする「葵上」でしょうか。「野宮」もシテは御息所で、いずれも描かれるのが彼女の妄執ですから、これほど能にふさわしい人物はないかもしれません。
上村松園の「焔」という絵も六条御息所がイメージされていると聞きますが、御息所という人は後世の芸術家に芸術的な霊感を与えるものがあるのですね。この人物について学生に聞いてもあまり悪評が出てこなかったことを覚えています。私の話し方がそうなっていたのかもしれませんが、彼女たちも御息所にはどちらかというと同情的でした。能の世界も彼女を妄執にとらわれた人としては描きますが、だからこそ
救いたくなるヒロイン
なのではないでしょうか。能というのは、過去に生きた人たち(歴史上の人物でもフィクションの中の人でも)の「救ってほしい」という声を聴いて手を差し伸べて鎮魂する芸能でしょう。
ほかには夕顔(光源氏十七歳のときに出会いながら物の怪に襲われて頓死)、落葉宮(朱雀院の皇女でありながら柏木に降嫁し、その柏木が落葉宮の異母妹である女三宮と密通したあげく悶死、落葉宮は柏木の親友の夕霧から迫られる)、浮舟(宇治の八宮の娘でありながら、東国に育ち、帰洛ののち、薫と匂宮という二人の男性に愛されて苦悩の果てに出家する)など、はかない女性たちがヒロインとして取り上げられているようです。私は残念ながらすべての作品を見たわけではありませんので何も言えませんが、もう少し謡曲の本文だけでもきちんと読んでみたいと思っています。
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- [2022/03/23 00:00]
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官僚の支配(2)
学校の事務職員が大きな顔をしている、というレベルの小さな世界のことならまだ社会への影響は少なくて済むのですが、これが政府などというところになるとやっかいです。
最近の日本の政治家は「偏差値の高い大学を出た『優秀な人』」ではなく、政治家の御曹司か子分が多いですから、その「優秀な人」である官僚には能力的には太刀打ちできないことがあるようです。いきおい「官僚支配」ということになりかねません。いつぞや週刊誌で「○○省の高級官僚の覆面対談」とかいうのを読んだことがありますが、政治家のことを「ばかみたい」とか「何もわかってない」とか言ってぼろぼろにけなしていました。大臣なんて「あんたはえらい」といっておけばあとは官僚の思うままに動かせる、ということなのでしょう。もちろんそう思わせてしまう「何もわかってない」政治家が悪いのですが、こうなると
責任の所在
というのがかなりあやふやになりそうです。
そういうことが言われ過ぎたために、「脱官僚」を旗印に「官邸で決める」ということを言いだした人もありました。ところがこうなると政治家が自分たちの意に沿うような官僚を囲い込むことになって、人事権を乱用するようにさえなりました。いきつくところは「官僚が権力者の顔色を窺って、どんなことでもする」「まじめに物事を考える人は重用されない」ということになります。そして政治家がいつぞやの首相のようにけちな不正をすると必死になって官僚がもみ消しに走るという情けないことも起こります。
官僚支配はダメ、官僚を意のままに動かして政治家が暴走するのもダメ、そこをうまく差配できる政治家が必要なのでしょう。
一昨日ハンナ・アーレントのことを書きましたが、彼女には大作『全体主義の起源』があります(このタイトルについては彼女自身あまりよくなかったと思っているらしく『全体主義の諸要素』とすべきだったと言っています)。この書物の中の第二部「帝国主義」では、官僚制支配が顕著になって、法や政治ではなく、役所内の
匿名の支配
がおこなわれることを指摘しました。このような「誰でもない者」の支配は人種主義とも結びついて非人道的な人権の軽視、人の尊厳の無視を導いてしまうことになります。アーレントはこうして反ユダヤ主義、帝国主義、人種主義があのナチの悲劇を生んだことを『全体主義の起源』の中で検証し続けたのです。
私は、熱心に働いているであろうほとんどの官僚や事務職員さんには何の恨みもありません。ただ、一部の心得のない者が「匿名のままに」勝手なことをして、これがとめどなく拡散することを恐れるのです。
国家レベルではもちろんのことですが、狭い世界でも似たり寄ったりの場合があります。
学校では何よりも「差別」することは許されないはずです。ところが現実にはそういうことがないとは言えず、概して差別に疎い事務方が暴走してこんなことがまかり通るようでは、学校の致命傷になると思います。
そういう学校は必ずあるのです。
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- [2022/03/22 00:00]
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官僚の支配(1)
いささか悪口っぽくなるかもしれないのですが、ずいぶん昔の話なので、もう書いてもいいかなと思うのです。
私は広島市にあった短期大学(すでに廃学)から関西の学校に移ってきました。学校によっていろんな習慣の違いがあることは覚悟しなければならないのですが、それにしてもいろいろびっくりしたことがありました。
まず、この学校では私が赴任する直前まで教授会というものが存在しなかった、というのにひっくり返るような驚きを感じました。先輩の先生に聞くと「ここでは事務が決めて教師は『会議』という名前の集まりがあって、そこで指示されたことにハイハイと従う習慣だった。はっきり言って
教員はお客さんだ」
というのでした。それはだめでしょ、と思いましたが、そもそも創立の事情などが複雑で、他大学の教授を辞めた高齢の著名人を集めることでかろうじて文部省(当時)の認可を得て発足したらしく、ほんとうにお客さんのような教員が多かったらしいのです。
そういう流れがあったのでしょう、私は事務職員さんにひどく叱られたことがあります。
わずかながら教員が自由に使える個人研究費というのがあって、私はそれである冊子を作ろうとしました。研究書ではなく、参考書のようなものでした。これを研究者に配って少しでも役立ててもらえば、という程度の気持ちでした。主任教員の印鑑ももらって事務に出して、さあ印刷所に頼もうかと思ったら、事務の人が飛んできて「せんせこんなんあきまへんで。これ売ってもうけるつもりでっしゃろ(先生、こんなのはだめですよ。これを出版して印税で儲けようとしているのでしょう、の意)」と猛然と食ってかかられたのです。私は唖然としました。この学校では主任の承認印までもらっているものを
事務職員の判断
でくつがえすことができるのか、と驚いたからです。私も思わず大阪弁で「ええかげんにさらせ」と喧嘩したかったのですが、これはこの学校の習慣なのだろうと思って、とりあえずその人に「こういうものは売るものではないのだ」「送料は自腹で結局赤字になるのだ」という事情を説明し、その人は「ほんまでっか。うそちゃいまっしゃろな(ほんとうのことですか、うそではないでしょうね、の意)」と言いつつ、しぶしぶという表情で引き下がりました(この話、どこかで書いたかも)。
その後も同じようなことで「こんなの承認できません」と言われたことがあり、「またかよぉ」と同じようなことを説明させられました。
あるときは、入試関係のことでちょっとした問題が発覚したことがあるのですが、その担当者だった教員が「しまった。たいへんなことをした。事務の○○さんにあやまってくる」と言い出したのです。ええ? 入試の責任者は学長でしょうが。ほかにも何か企画を出した時に「事務の○○さんがOKをくれるかどうかで決まる」と言われたこともありました。まったくこの学校は、誰が責任者なのやら、と思うようになりました。
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支配する愚者ども
ロシアのプーチンがウクライナに侵攻した時、二代前の総理大臣であった男や大物気取りの関西地方の市長など日本国内の一部の政治家やそれらを支持する人たちが、日本も原子爆弾をアメリカと「共有」しようと言い出しました。非核三原則なんて昭和のものだとまるで頓珍漢な発想でものを言ったりもしていました。SNSで見ただけですが、こういう意見を支持する人たちも「核を持たないといつ攻められるかわからない、そんなことはないと考えている『頭がお花畑の左翼連中』が反対しているだけだ」という言い方で追従していました。
私は彼らの言う「左翼」ではありませんが、だからといって核を持てば平和が続くという不可解な意見に与するはずもありません。
プーチンは「ロシアは核保有国であり、いつでもそれを使える」と、脅しをかけるような卑劣なことまでやってのけました。しかしそれにのっかって「自分たちも核保有国になろう」と主張する発想にはとてもついていけません。何が悲しくて
プーチンの親類
にならねばならないのかと思います。
ヨーロッパでの第二次世界大戦終結はドイツの無条件降伏(1945年5月8日)で終わり、そのあとポツダム宣言が出されました。そしてその直後の8月6日に広島に、9日に長崎に原爆が落とされたのはいうまでもないことです。
ユダヤ人で、ナチの台頭から逃れて亡命生活を送った政治哲学者のハンナ・アーレント(1906~75)は、ナチが占領下にあったポーランドにアウシュビッツなど6か所の「絶滅収容所」という大量殺戮施設を作った時、とても信じられなかったそうです。彼女はそのことについて「奈落の底が開いた」という言い方をしています。そして「けっして起こってはならなかった」こととして、もう折り合いのつけられる話ではないと感じたのです(ハンナ・アーレント「何が残った? 母語が残った――ギュンター・ガウスとの対話」)。
そのアーレントはアメリカにあって、広島、長崎への原爆投下を知り、どんなことを感じたのでしょうか。彼女は夫(アーレントは二度結婚しており、ここでは二人目の夫)のハインリヒ・ブリュッヒャーへの手紙でこう言いました。
「原子爆弾の爆発このかた、これまでよりいっそう不気味で恐ろしい気持がします。なんという危険なおもちゃを、世界を支配するこの
愚者ども
が手にしていることか」(『アーレント=ブリュッヒャー往復書簡』より)。
スタンフォード大学教授のS・セーガン氏によれば、1945年9月にアメリカの世論調査機関「ローバー」が行なった調査では、「広島、長崎に原爆投下すべきだった」が53%、「日本が降伏する前にもっと多くの原爆を急いで使用すべきだった」が23%、「日本に威力を示すため人の住んでいない地域にまず原爆を落とすべきだった」が14%でした。これらを合計すると、アーレントが「愚者ども」と言ったのは、原爆投下を肯定的に見ている人が90%を占めていた時期にあたります。ちなみにこのときの調査で「原爆を使用すべきではなかった」という意見はわずか4%でした。
アーレントが心の奥底でどう考えていたのかは知りませんが、少なくとも原爆を持つことや、まして使うことが
いかに恐ろしいものか
は見通していました。そして「支配する愚者」が手にしていることに限りない不安を抱いているのです。
原爆という巨悪でなくても「支配する愚者」にむやみに大きな力を持たせることは危険だと思います。
日本では二代前の首相が「友だちのため」というほんとうに「けちくさい不正」を繰り返しました(本人は認めないでしょうが)。また憲法についても遵守する責務はどこへやら、まず改憲という姿勢でしかものが見られない人でした。自分が原因となっている事件なのにそのために命を失った人や家族の不幸を顧みないような人物でもありました。情けないことに、その後の首相もそんな「愚者」を守ることに汲々としています。
大阪では議会の多数派という一政党の考えだけでカジノの誘致が進められています。実施すれば負けるとわかっている住民投票には持ち込まないという悪辣な手段も辞さないようです。そして歯向かったら選挙に負けるというこれまたケチな理由でそれに追従する政党もあります。
さらに小さなところでも、おそらく同じような悲劇が起こっていることだろうと思います。
私はアーレントのような優れた人物とは桁が違いますが、志だけは同じように持ちたいものだと思います。
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- [2022/03/20 00:00]
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モグラたたき
ロシアのウクライナ侵攻のさなかには盛んに情報合戦が行われていました。ロシア国内では、「ロシアはウクライナを攻撃したりはしていない」「きょうだいであるウクライナをネオナチから守るのだ」というような情報が盛んに流され、これは戦争ではなく「特殊作戦」だと喧伝して、ロシアの人の多くはそれを信じているようです。国連でも、ロシアの国連大使は「アメリカが支援してウクライナで生物兵器が作られている」という主張もしていました。
日本にいると、それらはどう考えてもウソに思えるのですが、そういう情報しか知らされていない人たちは納得することになるのでしょう。いや、日本にも、昨今流行している(?)
陰謀論
に与する人は少なくありません。ロシアのしてきたことについても、「プーチンがこう言っているのだから、ロシアは間違っていない」という人がいることを私も知っています。SNSを少し見ればなかなか威勢のいい(笑)人たちがそういうことを言っているのに出会います。
先日もある人がFacebookに書いているものがシェアされて回ってきたので少し読んでみました。そこに書かれていたのは「プーチンがこれは戦争ではないと言っているじゃないか。だから戦争じゃないんだ。ウクライナに巣くうネオナチを追い払っているのだ」という、まことに危ういものでした。ここは言論統制のされたロシア国内なのかと思うほどです。
彼らは、日本人のほとんどはわかっていないが私はわかっている、として優越感に浸っているように思えます。
アメリカの前の大統領のトランプが好きだったことばに
フェイクニュース
というのがありました。自分の意見に合わないものは偽物だとするわけで、「自分たちだけが真実を知っている」という優越感を誇示して、それがまた支持者を熱狂させるという効果があるのでしょう。日本にもそういう例があると私は思っています。
こういう人たちのやっていることを見ていると、モグラたたきに熱中している子どものように見えてなりません。「これはうそだ」「これもフェイクだ」といっては、自分にとって都合の悪い真実が表に現れると必死になってそれを叩き潰そうとするからです。モグラたたきはおもしろいのです。なぜならモグラは攻撃してこないから。一方的にこちらが叩くだけだから。
モグラたたき愛好家の愚かな知恵者の増長をとめるのはなかなか厄介なものだと思います。
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- [2022/03/19 00:00]
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霊(3)
光源氏の正妻(葵の上)とは出自の高さは変わらず、しかし自分はかつて春宮妃だったのだ、さらにあらゆる貴族女性としてのたしなみは持っている、ということですから、六条御息所は葵の上には劣等感を持つことはなかったと思います。ところが、光源氏二十二歳、六条御息所二十九歳の初夏、賀茂の斎院の禊の行列があった時、光源氏が警護の役を務めて馬上で付き添うことになりました。これは見ものだというので都の人はもちろん、各地から見物にやってくる人があとを絶ちません。葵の上も女房たちに勧められて出かけたのですが、車を停める場所がありません。しかし何といっても左大臣の娘ですから、その権威でそのあたりにいる車を排除したのです。ところがどうしても動かない車が一輌ありました。なんと六条御息所の車でした。葵の上の家来はライバル心をたぎらせてかなり暴力的なことをして排除したものですから、御息所の車は傷つけられ、それ以上に彼女の
プライド
は踏みつけられたようなものです。
それ以後、御息所は鬱屈した日々を送り、ある日気がつくと、自分の身体からなぜか芥子のにおいがするのです。髪を洗っても消えません。芥子と言えば祈祷に使うものですから、そういう場所に自分の魂が抜け出ていったのではないかと苦しみます。そして彼女が霊となって行くところと言えば、出産間近でさまざまな霊が取り憑いている葵の上のところにほかならないのです。
光源氏は初めての子ども(実際は藤壺女御との間に秘密の子がいますが)が生まれるとあって、少しずつ葵の上への愛しさが増しているところです。そして見舞いに行っては(当時の常識として夫婦は別居です)世話を焼いたりしています。葵の上も、初めて夫のやさしさに触れるような気がしました。そんなとき、彼女に取り憑いた霊が恨み言を言いました。その声はまさしく六条御息所のもので、光源氏はあまりのことに驚愕します。
自分がこれまでしてきたことの結果として起こっているできごとなのに、その霊に向かって
「あなたは誰だ、名乗れ」
と言います。霊は「またそうやってしらないふりをするのですね」と嘆くばかりです。なりたくてなっているわけでない生霊の姿で、「私は六条の・・」なんて名乗れるわけなどないでしょう。それがわからずに、この若者は霊に「名乗れ」と呼びかけるのです。
この話の結末は残酷です。葵の上は無事男の子(夕霧)を産むのですが、そのあとまもなく亡くなってしまいます。二十六歳でした。光源氏はやっと愛情が湧いてきた妻にこうして先立たれます。これできっと六条御息所が光源氏の正妻になるだろう、という世間の噂もあったのですが、御息所はそれどころではなく、光源氏も霊の正体を知ってしまったからにはもはやそんな気にはなれません。御息所は、折しも娘が伊勢斎宮として下向することになったので、それに同行してしまいます。伊勢斎宮は天皇が交代するまではずっと伊勢にいるのがきまりですから、都に戻れるのは5年後か10年後か、はたまた20年、30年後かわからないのです。おそらく御息所は、生きているうちに都に帰れない覚悟で下向してしまうのです。二人の女性が争うつもりもないうちに争うことになり、しかも一人は命を落とし、一人は生きながらにして都を離れることになってしまったのです。
霊というのは存在するとかしないとかではなく、何かしら運命を左右するような力を持つ「不思議」そのもののように感じます。
私がかつて仕事場のエレベーターホールで見た(感じた)「霊」は私に何を告げたかったのでしょうか。
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- [2022/03/18 00:00]
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霊(2)
こういう話は枚挙にいとまがありません。あえて一つ付け加えるなら、浄瑠璃ファンの方ならすぐに思いつく菅原道真でしょう。藤原時平によって大宰府に左遷された道真は不遇のまま亡くなりました。その後、醍醐天皇の周囲に不幸が重なったため、天皇は道真の怨霊だと恐れて道真の官職を右大臣に戻します。しかし時すでに遅く、内裏清涼殿に落雷があり、何人もの人が亡くなったり大けがを負ったりしたのです。そして天皇自身もこれらの出来事に苦しんだあげく病が重くなり、落雷の3カ月後には亡くなっています。落雷は道真が雷神となったのだとか、雷神を使って恨みを晴らしたのだとか言われますが、内裏の天皇の日常の居所である清涼殿に落雷するというのは実にショッキングな凄まじいできごとでした。
このように、権力を持つ者が人のプライドを傷つけ、実害をも与えたあげくその霊に苦しめられるというパターンが多いのです。今の政治家諸君の何人かも胸に手を当ててよく考えた方がいいと思います。「法律に従っておれば何をしてもかまわないのだ」と息巻いて平気で
人の尊厳
を傷つけているあなたたち。いつかひどい目に遭うことは覚悟しておいた方がいいと思います。
『源氏物語』にも霊が時々出現します。中でも恐ろしいのが六条御息所の生霊、死霊です。
彼女はもともと大臣家の娘で、春宮(とうぐう。皇太子)の女御として入内していました。ということは、その春宮が天皇になって、さらに彼女が男子を産むとその子は次の春宮となり、彼女は間違いなく中宮(皇后)になれたでしょう。押しも押されもせぬ、誰からも敬われ、尊ばれる、天下第一の高貴な女性への道が開けていたのです。
ところが彼女が産んだのは女の子。そしてその後肝心の春宮が亡くなってしまうのです。こうなると一気に彼女の将来は閉ざされてしまいます。結局六条という、都の中心地から離れたところで暮らすほかはなくなりました。書の名手で、和歌もうまく、当時の高貴な女性の教養を身につけた人でした。そんな人でさえ幸せな生活を送れるかというとそうでもないのです。『源氏物語』はここがおもしろいのです。どんな貴人であっても、美人でも、有能でも、
だれもが苦しい思いをして
生きているのです。そういう苦しみを描くから不朽の名作なのだと思います。
この人には、夫である春宮亡き後、光源氏が通ってくるのですが、まだ若い貴公子は7つも年長のこの気の置ける貴婦人がどうも煙たくなってきます。若者のわがまま、未熟なところです。しかし、もし彼女が光源氏の第一子を産んだら、彼女の立場は変わったでしょう。光源氏は親の決めた妻(葵の上)がいましたが、この人もまた光源氏とはあまりうまくいっておらず、結婚して10年なのにまだ子どももいません。つまり、六条御息所は光源氏の正妻を超えるチャンスがあったのです。身分についても、御息所も葵の上も大臣の娘で、文句のつけどころのない甲乙つけがたい出自です。ところが、なんということか、葵の上が先に懐妊してしまったのです。
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- [2022/03/17 00:00]
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霊(1)
私は幽霊というものを信じないのですが、そのくせ霊的なものを感じることがしばしばあります。
ある日、夜遅くまで仕事で残っていたことがあります。誰もいない建物で何らかの仕事をしていました。一段落したのでもう帰ろうと思って電気を消すと真の闇です。外からの光もあまり入ってこず、あまり気持ちのいいものではありません。エレベーターに乗るためしばらくエレベーターホールの電灯だけをつけて、箱が昇ってくるのを待ちます。扉がさっと開いて光がホールに射しこんだときにホールの灯を消します。そして扉が閉まる前に急いで乗ろうとした瞬間に、後ろから誰かが一緒に乗ってくるのです。「誰?」と思って振り返ると誰もいません。確かにすっと影が動いたのに・・。そんな経験を何度かしたことがあります。
そんな話をしたら、学生さんが「他の先生もときどき
『出る』
とおっしゃっていました」と教えてくれました。今こんなことを書いているだけでも、あのときのことを思い出して背筋がぞくぞくします。いわゆる「学校の怪談」でしょうか。
昔から、霊に関する話はいろいろ伝えられています。何しろ世の中が今とは桁違いに暗いわけですから、そういう話は当たり前だったでしょう。
高校時代の日本史で藤原広嗣の乱というのを習いました。あの当時は入試に出るから覚える、というだけでしたが、大学生になっていろいろ勉強していると、この事件にも霊の話がまとわりつくことを知りました。藤原広嗣(?~740)は橘諸兄、吉備真備、玄昉らと対立して九州大宰府で兵を挙げたのですが、反乱とみなされてあえなく斬殺された人です。
吉備真備や玄昉は反藤原氏だったために、広嗣は彼らが台頭することで邪魔者扱いになり、大宰府に左遷されまていました。当然恨みに思いますね。そこで、真備と玄昉の二人が厄災のもとになっているとして、排斥するように朝廷に訴えたのです。ところが、右大臣橘諸兄は逆に広嗣を謀反人として捕らえようとしました。広嗣はこれに対して九州で挙兵して、結局官軍に敗れたのです。歴史のことはそのくらいにしておきますが、その後日談が『今昔物語集』巻十一に見えるのです。広嗣がその後、悪霊となって玄昉の前に現れ、玄昉をつかんで空に舞いあがり、玄昉の身をばらばらにした、というのです。恨みの度合いがわかるようなおどろおどろしい伝承ですね。なんともすさまじい霊です。
平安時代中頃の書道の名人に藤原佐理(944~998)も霊になっています。彼と同じく三蹟と称せられた(もうひとりは小野道風)人に藤原行成がいます。行成がある場所の額を揮毫するように勅命を受けたことがありました。このとき行成は佐理という先達がいる(だから佐理に譲る)ことを帝に言わずに引き受けて書こうとしたために、佐理は先輩の面目をつぶされたというので生霊となって現れて行成を苦しめたのです。この話は『江談抄』巻三にあります。名人ならではの
プライド
が霊になったのでしょうね。
藤原朝成(917~974)は若いころから藤原伊尹に対してライバル意識が強かったのです。伊尹が参議という官職に就くに際して、いかに彼がその職に不適切かを述べ立てたことがあったほどです。しかし家柄に差もあって、朝成はかなり出世が遅れます。伊尹が時の第一人者にまで出世した時、朝成は大納言になることを伊尹に願ったのですが、冷たくあしらわれました。そのため朝成は生霊となって伊尹を殺したという話があります。『十訓抄』ほかの諸書に見られます。これも、家柄ゆえに出世できない人物の悲哀でしょう。
生前藤原道長から馬鹿にされたり娘の入内争いで煮え湯を飲まされたりしたことのある藤原顕光(944~1021)は、道長を恨んで一夜にして白髪になったという話(江戸川乱歩の世界ですね)が『十訓抄』にあります。顕光は、敦明親王(三条天皇皇子)にわが娘の延子を先に入れていたのですが、道長が娘の寛子を入れると、親王は延子を省みなくなったとされます。その寛子が危篤になったときに、当時の常として髪を下ろして尼になったのですが、その瞬間、彼女に取り憑いていたさまざまな霊が「し得たり(やったぞ!)」と言って、さらに顕光と延子の霊が「今ぞ胸あく(やっとすっきりした)」と大声で言ったという話もあるのです(『栄花物語』「みねの月」)。顕光はそのために「悪霊左府」という異名を取ったといわれます。
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- [2022/03/16 00:00]
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日本酒を少し
冬の寒い時期、夜に帰宅した時など、どうしても温まりたくなります。そんな時に日本酒があれば、と思います。私はもうお酒はあまり飲まなくなりましたが、それでも「少し飲みたい」という気持ちはいつも持っています。
学生の頃も強くはありませんでしたが、飲み始めはビールで、途中で日本酒にしたりしました。いわゆる「ちゃんぽん」ですね。今はもうそんなことはしません。というか予算の都合上できません(笑)。スコッチもワインもバーボンも、先生と、先輩と、友人と何度も何度も飲みました。
ときどき、牛乳を買いに酒屋さんに行く(笑)のですが、そのときはやはりお酒のコーナーを無視するわけにはいかないのです。最近は新製品がたくさんあって、以前ここに書きましたが、チューハイなんて、「○○味」というのがどんどん出てきます。そういうことは酒屋ウォッチングで知るのです。
ワインは微妙な味わいについてはよくわからないのですが、言い換えると何でも好き。スコッチも違いは分かりませんが好きです。ビールは好きですが、発泡酒や第三のビールは苦手なので一切飲みません。そして日本酒は得意も苦手もなくて、辛口であれば何でもいいのです。
いいかっこして「日本酒は
白鷹
が最高です」と公言しているのですが、果たしてほんとうに味がわかっているのかどうか、自分でも定かではありません。
白鷹の大吟醸などを尻目に、紙パックのコーナーに行ってみます。値段がピンからキリまであるのにいささか驚きます。1.8リットル1,300円くらいのものから2リットル600円くらいのものまでさまざまですね。聞いたことのない銘柄のものがとても安いです。定価を調べてみると1,600円くらいのものが800円くらいで売られていることもあるのですが、あれはどうなっているのでしょうか。カップ麺もメーカーの希望小売価格は200円あたりなのに98円なんてこともありますが、そういう世界のことは私にはさっぱりわかりません。
お酒にはサトウキビ由来の醸造アルコールを用いるものとそうでない(あるいはわずかしか用いない)ものがありますが、醸造アルコールは「余分なもの」という悪いイメージがつきまといますが、味をすっきりさせる効果があったり香りが増したりするなど、悪いところばかりではありません。「大吟醸」などという高級酒にだって醸造アルコールは用いられます。私は「純米酒でないと飲まない」などということはありませんので、あまり気にしない材料です。また、ブドウ糖や水あめなどを用いる「糖類」「酸味料」「調味料」などが添加されていることもあります。こういうものが入ったお酒は
「普通酒」
で、米もさほど高級なものでない場合が多いと思います。
私が飲むとすれば、「純米大吟醸」などではなく、はるかにレベルの低い「普通酒」です(笑)。今のところ、糖分を控えているということはありませんし、普段から甘いものはあまり食べないので気にしなくてもよさそうなのですが、この「普通酒」の中にも「糖類」の少ないものがあり、何となくそちらに目が行ってしまいます。普通酒の中には「糖質ゼロ」を謳っている(実際には糖類を添加しなくてももともと糖分はあります)ものもあり、この間は
「管理栄養士推奨」
というものも見つけました。ただ、お酒を飲むのにあまり健康志向に走り過ぎるのもどうかという気持ちがあります。それなら飲まなければいいので、少し酔いたい、温まりたいというときに、普通酒でもいいから少しだけ(1合くらい)飲むのが今の私には精一杯です。
なんて御託を並べている場合ではありません。さっさと買えばいいのです。しかしいつも牛乳だけ買って帰ります(笑)。
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- [2022/03/15 00:00]
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歩く2月
昨年の2月、私は体調がまずまずでしたので、近辺にある庚申塔をめぐりつつウォーキングしました。1度だけ登り坂の多い地域に行くのに電車を使った(片道だけ)ことがありますが、他はすべて二本の足を互い違いに出して歩いてきたのです。今はグーグルマップをあらかじめ見ておくということができますので、どこをどう歩けば目的地に着くか、画像として頭に入ります。地図だけなら道路や建物の実体のイメージがありません。しかしグーグルで見ておけば、まったく行ったことのない土地でも、派手な広告のクリーニング店の角を左に曲がって赤い屋根の家の三軒ほど隣に行けば着く、というところまであらかじめわかってしまいます。それでも、グーグルの撮影車が入れないようなところに目的地がある場合は、その最寄りまで行ってあとはうろうろして探し求めることになります。そんなこともあって、一日最高28,256歩(これは昨年4月のことです)も歩いたことがあります。1歩を0.7mとすると、20㎞近く。4時間くらいはかかったでしょうね。
結局、昨年の2月は28日間で
474,055歩
でした。1日平均16,931歩ということになります。よくも毎日あんなに歩けたものだと思います。1日に11.85㎞くらい、28日で331.85㎞歩いたのです。神戸からだと京都名古屋を超えて静岡県の中ほどまでは行けそうです。
しかしその後は徐々に歩数が減って、秋以降は体調不良で歩くこと自体が苦痛でした。3か月ほどそんな憂鬱な暮らしをしていたのですが、やはりもう少しQOL(生活の質)を高める必要があると感じ、この2月に久しぶりに少し強めの薬を使って体調をよくしました。ほんとうに怖いくらい(実際怖いのですが)薬は効きます。背中がピンと伸びるような感じがして呼吸苦が減りました。多少の距離なら歩けるようになったのです。そして、2月6日からは連続して
1万歩以上
歩けるようになりました。
このところは、私の居住市から隣の市との境界あたりまでは何の苦もなく歩けます。距離にして片道4㎞くらいです。途中、ホームセンターがありますので、たいした用もないのに(ほとんど何も買うことはありません)覗いたりすることがあり、午前中はそれで終わってしまうこともあります。ただ、何もせずに歩くだけなら時間がもったいないので、スマホのメモ機能を使ったり、バインダーに紙をはさんで持って行ったりして、浄瑠璃や短歌の思い付きを書いたりしています。どうしても浄瑠璃などを考えていると、歩きながら怒ったり笑ったりすることもあって(笑)、かなり怪しい散歩者だと我ながら感じます。
2月は昨年に引き続きウォーキング月間になりました。
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- [2022/03/14 00:00]
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俳優さんの語る浄瑠璃(2)
1975年生まれの(ということは、私の兄の子と同い年だ!)井田友和さんは175㎝のすらりとした男前で、それでいて優男で終わるのではなく、剣道やスノーボードなどをなさるたくましさのある俳優さんです。ニヒルな雰囲気もあって、アクション系もお得意という方です。私はお会いしたことはないのですが、松也師匠の浄瑠璃の会によくいらっしゃいますので、写真で何度も拝見しています。やはりひときわ目立つ方で、身長ももっと高い方かと思っていました(それくらいスタイルがいいのです)。
役者として鍛えた演技力、声の出し方は、当たり前の話ですが、一流でしょう。そしてこのたび、初めて創作浄瑠璃のセリフを担当されたのです。それだけでも注目なのに、昨日も申しましたように私の書いた
送り拍子木
を語ってくださるというので興味津々でした。
ただ、私の場合、実際にお聴きするわけにはいかず、また会場が東京・銀座でしたので、語っていらっしゃるお姿を拝見することもかないませんでした。
それで、実際に聴いていらっしゃった方のSNSでのコメントを待っていたのです。
ある方が、俳優さんで声が出るだけに、全体的に
強くなってしまったようだ
という感想を書いていらっしゃいました。また、悪人の表現が難しそうだ、とも。
役者さんが普段なさる表現とはやはり似て非なるものだったのでしょう。
でも、井田さんには感謝しています。
また語ってくださいね。
・・と書いていると井田さんからメッセージをいただきました。
先生が書かれた世界を描ききれず申し訳ございません。
さらに稽古を絶やさず精進します。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
「先生」とあるのはどうやら私のことみたいです。
何という謙虚で真摯な姿勢でしょうか。
すてきな役者さんですね!
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- [2022/03/13 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
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俳優さんの語る浄瑠璃(1)
私が野澤松也師匠に差し上げてきた創作浄瑠璃は、当然ながら松也師匠が演奏しながらお語りになるのです。いわゆる「弾き語り」ですね。今でも女義さんなどはかなり弾き語りをなさることが多いようで、淡路の「鶴澤」の名をお持ちの(ということは、本来は三味線弾き)方はたいていご自分でも語られます。私がFacebookで「友だち」になっていただいている鶴澤友吉さんとか鶴澤友球さんなどがそういう方々です(友路師匠のお弟子さんです)。文楽でも三味線弾きが語る「蝠聚会」というのが鶴澤清介さんらによって始められて人気がありますが、三味線弾きさんは語れる人が多く、太夫さんに稽古をおつけになる時など弾き語りしながらお教えになることも珍しくありません。「蝠聚会」のような催しも実は昔からあったのです。
松也師匠の師匠である
野澤松之輔師匠
は多彩な方で、ご存じのように作曲を数多くなさっていますし、また豊本豊輔を名乗られて、豊本節として「創作浄瑠璃の会」のようなこともなさっていました。松也師匠が作曲や語りをなさるのも「あの師匠にしてこの弟子あり」という自然の成り行きだったのかもしれません。
そんな松也師匠ですが、おもに東京公演ではご自身が語られない形で上演されることもたまにあるのです。
いつぞや、朗読家、女優、声優の駒塚由衣さんが私の書いた「無灯蕎麦屋」を語ってくださったことがありました。
こういうのは松也師匠の演奏とは違った意味で、作者としては楽しみでまた嬉しいものです。
2月にはやはり俳優の
井田友和さん
が「送り拍子木」を語ってくださったそうです。私は俳優さんの語りを想定せずに、というよりはあくまで義太夫の専門の方が語ってくださるように書いています。たとえそれが節(ふし)のないセリフであっても、義太夫の奏者のイキや間(ま)を意識しています。
それだけに、俳優さんの語りがどうなるのか、とても興味がありました。俳優さんの場合は通常何人もの声を出す必要はありませんし、男性が女性の声を出すことも、若い人が高齢者の声を出すことも少ないでしょう。しかし義太夫節ではそれがあたりまえで、しかもかなり大げさな表現をします。さらに台詞といえども七五調が基本になっていて、そのリズムも普段のセリフの使い方とは異なるでしょう。現在46歳で中堅からベテランに近づいた役者さんである井田さんですが「新しい挑戦」とまでおっしゃっていて、一生懸命稽古をしてくださったそうです。
義太夫節のようで義太夫節でない(ベンベン)、そんな語りでもいいかなと思っています。
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- [2022/03/12 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
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私の能体験
テレビではありましたが「関寺小町」を堪能できたことで、能に対する思いが強まりました。
私は大学に入ったときに、何かサークルに入るのもいいだろうなと思っていたのです。そして、能楽の「観世会」「宝生会」(名称は不確かです)という二つのサークルの説明会に行ってみようと思いました。宝生のほうはなぜか実現しなかったのですが、観世には行ったのです。しかし勧誘というよりは「我々のサークルはこんなことをしている」という程度の説明で、あまり熱を感じなかったのです。きっとそれは私の言い訳で、先輩たちは誘ってくれたのに私にこそ熱情が不足していたのだろうと思います。結局私は入部せず、のちになって激しく悔いることになります。
それでも、能には関心があって、映像ではよく観ましたし、能の会があると出かけたりもしました。大学院のフランス文学専攻の友だちが能に関心があるというので
「大坂城能」
というのにも一緒に行きました。そのときは「隅田川」だったこともよく覚えています。国文科の教員になってからは大阪市の大槻能楽堂で学生のための能楽鑑賞のような場が設けられていて、甲南女子大学と一緒に何度か拝見しました。当時は学校も金銭的に余裕があって、歌舞伎鑑賞教室、文楽鑑賞教室にも毎年行くことになっており、私がそういうのが好きだというと引率者に任命していただいたのです。ただ、見所にいるのは、9分9厘が女子大生。解説のときはおしゃべりし、本番が始まると終わるのを楽しみにして(?)寝ていました(笑)。引率者としてはそちらに気を取られて落ち着いて観られなかったのですが、それでも十分に楽しめました。この会は、費用の問題か何かで中止になってしまったのでとても残念でした。
その後は耳の問題で次第に離れていって、最近はすっかり能舞台から遠ざかっています。ただし、授業ではいつも能は取り上げることにしていましたので、「葵上」「船弁慶」などで説明したり、DVDを使って授業中に鑑賞したりする機会はありました。
2019年の大槻能楽堂での狂言風オペラ
『フィガロの結婚』
は実に久しぶりの能舞台でした。そのときはスタッフ側でしたので、楽屋にも入りましたし、稽古では芝居が次第に出来上がっていく様子も見学出来ました。
舞台での能体験はそんな感じできわめて少ないのですが、やはり仕事柄、謡曲を文章として読むことは必要で、それなりに接したことがあります。最近では「うはなりうち」(本妻が、夫の新しい妻に対して憎しみをこめて暴力行為に及ぶこと)の歴史を考えるにあたって、稀曲を含めて能の作品を読みました。
今は、『源氏物語』と能について考えたいことがありますので、できればDVDを買うなりYoutubeで観るなりしようと思っています。
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- [2022/03/11 00:00]
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関寺小町
文楽『花競四季寿』は「万歳」「海女」「関寺小町」「鷺娘」から成ります。
その中で、「関寺小町」といえば吉田文雀師匠の専売特許のようなものでした。今はお弟子さんの吉田和生さんに受け継がれていますが、文雀師匠の演技はほんとうにすてきでした。
はなはだ失礼なことを申しますが、私は文雀師匠という人形遣いさんに「うっとりする」という感じを持ったことは少ないのです。『曽根崎心中』でお初を持たれたときも、「酒屋」でお園を演じられた時も、たとえば簔助師匠に感じたような「恍惚」という域には届きませんでした。しかし「感銘を受ける」とうことはしばしばありました。それが文雀師匠のいいところだと思っていたのです。しかし感銘を受けてしかもうっとりしたものもありました。それは『ひらかな盛衰記』「笹引き」のお筆であり、この「関寺小町」でした。
かつて誰からも美しいとたたえられた(そして後世の人からはさらに偶像的に扱われた)小野小町という女のプライドと
老いの哀しみ
がにじみ出て、確かにそこに小町がいました。そして小町が老いたらこうなるであろうという姿を観ることができました。若い人形遣いさんがどんなに技術を使いこなしても表現できないような奥深さがありました。私たちが小野小町の人物像を語るとき、すでにそれは伝説の像だと言っても過言ではないでしょう。実物なんてあまりよくわからないわけで、むしろそれ以後の美女伝説や零落伝承がさまざまな文学、演劇で誇張されたものこそが我々の小野小町なのです。
2月27日にNHKで能「関寺小町」のノーカット放送がありました。横浜で今年1月29日に上演されたものです。100分の大作を演じきったのは金春流の本田光洋師。金春流では宗家だけが一子相伝として舞う大役とされており、宗家以外では桜間弓川師が昭和31年に勤められて以来のこと(山井綱雄師のブログより)で、
「古式」
という形では初めてのようです。
この夜は家に誰もおらず、テレビを使うことができたものですから、ちらっとだけでも観ようと思ったのです。最初の5分くらいは、せっかくテレビをつけたのだからすぐに切ることもあるまいと思ってぼんやり眺めていたのです。ところがそのうちに画面から目が離せなくなったのです。
七夕の日、老女を訪れたワキ(関寺の住僧。森常好)との和歌についてのやりとり、子方(稚児。中村千紘)の舞、そしてシテ(小町。本田光洋)の静謐な序の舞。大鼓、小鼓、笛による演奏が聴けたらどんなにすばらしいだろうと夢を見るような気持ちでとうとう最後まで観てしまいました。
「槿花一日の栄」ということばも出てきますが、まさに「花の命は短くて」なのですね。小町は「あら来し方、恋しや」としきりに過去を振り返ります。こんな気持ちは若い人にはなかなか分かってもらえないだろうと思います。というより、若い時には若い時の見かた、年齢を重ねたらまた老境の見かたがあるわけで、だからこそ伝統芸能はおもしろく、何度観ても価値があるのでしょう。私というものが毎日成長し、やがて老いていくのですから受け止め方が変わるのがあたりまえなのです。
能についてはほんとうに何も語れない素人で、国文科の教員時代に学生を連れて大槻能楽堂に行って以来、二十年以上観ていないと思います。若い時にもっと見ておけば、そして稽古もしておけばと悔いることしきりなのです。
私は正直に言って、もう能舞台に行こうという気力がありません。しかしこれからは、字幕も出ることですし、テレビで能が放送されるときはぜひ観ようという気持ちになっています。
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- [2022/03/10 00:00]
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忘れていた誕生日
3月1日はこのブログの誕生日でした。すっかり忘れていました。今さらですが、記録しておきます。
このブログの誕生は、
2006年3月1日
でした。つまり今から16年前です。この日に生まれた子どもは16歳、つまり高校1年生になっています。このブログもそろそろ高校生レベルのことは書かないといけないのですが、むしろ幼児化しているような気がします(笑)。
本年2月28日現在、つまり15歳が満了する日の時点で、書いた記事は
5849本
でした。毎日1本ずつで365日×16年+4日(うるう年4回)=5844なのですが、2006年8月26日に3本、同27日に2本、2016年4月21日に2本、2018年8月19日に2本書いていましたので5日分多くなっています。よって5844+5で5849本ということになります。こういう数字を出してみると、年月の長さを感じます。
当初はなかなか人気があって(笑)多くの方が見てくださったのです。毎日コメントをたくさんいただくのでお返事もけっこう大変でした。「ブログ村」というところが作っているランキングでは演劇部門第一位をずっと続けていました。しかしそれは所詮過去の栄光なのです(笑)。時勢は移ろいます。諸行無常です(笑)。それでもアクセス数ゼロにはなっていませんので、まだ書き続けているのです。総アクセス数は100万を超えることができました。
総コメント数は19,420。そのうちほぼ半分は私がお返事として書いたものですが、それでも9,700ほどのコメントをいただいたことになります。
あと151本の記事を書けば6000本の大台に乗ります。ということは、3月が31本、4月が30本・・・と数えていくと、7月29日まで毎日書けば到達することになります。コメントはあと580で20,000。そのうち半分は私が書くとして、みなさまには290のコメントをお願いいたします(笑)。
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- [2022/03/09 00:00]
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機能しなかった「過去問題の共有」
大学入試もそろそろ終盤となります。
定員割れを恐れる学校によっては四月以降に入学を認めるところもある(すでに授業は始まっていますから、補講をしてでも学生を受け入れる)ようで、なりふり構わず学生を集めようという時代になってしまいました。学校というのは本来お金もうけをしてはならない「NPO」です。利潤の追求を目的としない組織なのです。ここは企業とまったく違うところです。しかしそんなことを言っていると学生が集まらず、廃学の憂き目を見ることになります。
私が以前勤めていた短期大学は四年制にする力がなかったようで、短期大学はなくなり、同じ学校法人の経営していた高校は別の法人に移されてしまいました。
とにかく、学生の取り合い、つまり生存競争ですから、必ず負ける者があるわけで、きれいごとなど通用しないとばかりに、無名の弱い学校は醜い姿すらさらすことすらあります。そういうことを目の当たりにしてきただけに学校教育の基本とは何なのかがほんとうにわからなくなってきます。
とにかく不要な教員を減らしたいので、そうなると入試問題の作り手がなくなります。例えば、入試に欠かせない科目に「国語」「英語」がありますが、理系の大学なら作れる人がありません。そこで私はいっそ
入試屋
のバイトでもしたいのですが、どこにバイト登録したらよいのかわかりません(笑)。困っていそうな大学に「入試請け負います」というDMでも送ろうかしら、と思うくらいです。昔なら郵便代がかかりましたが、今なら大学の入試課なんてアドレスがわかるわけですからメールですぐですもんね。
そんなことがあって、以前「ほかの大学の過去の問題を使ってもかまわない」という取り組みがありました。
こういうのは、数学とか理科の科目なら有効かもしれません。実は私はある理系の教員から「化学の問題を作った時、過去に自分が作ったものを数字だけ入れ替えた」という話も聞きました。おそらく理系ならそれで行けるのだろうと思います。自分の過去問題のリユースなら誰に断る必要もありませんしね。
では私が関わる国語ではどうでしょうか。私は、大学側に「もう問題を作るのをやめたい」と言ったことがあるのですが、あちらは「命令だ」と言ってきかず、やらざるを得なくなったことがあります。そのとき、大学は過去問題再利用のメンバーになっていましたので、それならと一度試したことがあるのです。つまりこの加盟メンバーになっている大学の問題を取り寄せてみたのです(もちろん自腹は切りませんが)。
その結果・・言葉が悪いですが、ひとことでいうと
使いものにならない
ものばかりでした。数十の大学の問題を集めてみましたが、まったくと言っていいほど役に立たず、購入したいわゆる「赤本」は無駄になってしまいました。役に立たない理由は、大学によって癖があり過ぎることが一番大きいのですが、それとともに首をかしげたくなるような不思議な問題がいくつも見られたこともあります。それはやむをえないことで、各大学とも自分のところの問題をよそに提供したいわけではなく、まともに問題が作れないから「提供してほしい」と思って加盟しているからだろうと感じました。「助け合い」ではなく「助けてちょうだい」の精神で加盟しているのだろうと思うのです。私だってそんな色気があって調べたわけですからね。まれに文学部の、つまり国文学の教員が何人もいる大学が作っている問題があると、それはほとんど記述、論述式で、そんな問題を出したら受験生が集まらないような、選択式の問題を作っている弱小大学にはやはり役に立ちません。
数学や理科では有効だったのかもしれません(まったく実情は知りません)が、少なくとも国語に関しては、あの「過去問題共有」がじゅうぶんに機能したとは思えず、今現実にどれくらい利用されているのかも不明です。何しろ、私が作った問題が他の大学で使われたという話も一切ないくらいですから。
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- [2022/03/08 00:00]
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酸素飽和度98
この冬の間、ずっと呼吸が苦しく、こういう症状になるといつも「もう長くはない」と人生をはかなんでしまいます。これはもう冗談ではなく、深刻な話なのです。最近よく知られるようになった動脈血酸素飽和度はかつて80を下回った時ほどではありませんが、この冬も90を下回ったことがありました。
のぼり坂やのぼり階段を見るとうんざりし、登り切ったらしばらく呼吸を整える時間が必要です。電車の乗り換えではしばしばエスカレーターを使いました。
のどから手を突っ込んで肺のあたりを探ってみたくなります。飲み薬はまず胃に行きますので、胃薬は実に効果的だと思います。ところが、それ以外の臓器に届いてほしい薬は、胃を経由すると副反応がこわいのです。ステロイドホルモン剤なんて、飲み薬だと大半は患部に届かないので、消化器系の潰瘍を引き起こしたりするそうです。
酸素飽和度が90を切ると
酸欠状態
で、金魚がアップアップするように酸素を求めてしまいます。これくらい悪化すると入院しなければならないほどの症状なのです。
どうにも薬効がないので、医者もやはりQOLが低すぎるのはよくないだろう、という考えで強めの薬をしばらく使いましょうということになり、さすがに症状が楽になりました。
2月の半ばにチェックした時は酸素飽和度が98にまで上がっていました。これはもう健康な人の数値ですから、かなり楽なのです。
こうなると歩くのもかなり自由ですし、駅でもエスカレーターなど見向きもしません。しかしあくまで薬のおかげでよくなっているだけで、やめればまた悪化する可能性はあります。ではやめなければいいかというと、やはり副反応がこわいのです。
ただ、
つかの間の健康
だとしても、気分はいいわけですから、そのときは贅沢をしてお酒などを飲んでみました。といっても高級酒ではなくスーパーで2リットル800円台(笑)のものです。それを1日150㏄という、実にしみったれた(笑)飲み方をしました。飲み干すのに13日かかりました。いつも計って飲んだわけではないのですが、2000÷13=153.846・・見事に連日150㏄ずつでした。この冬のお酒はこれで終わりです。実に質素な生活です(笑)。
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- [2022/03/07 00:00]
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選択肢
最近鶴澤清治師匠はどんな熱演をなさっているのでしょうか。私はとんと「清治に疎く」なりました。いやそんな話ではないのです。私は「政治」に疎いということでした。それでも引き続きウクライナのことについてぼやきます。
権力者がよく言います。「やむを得ないのだ」と。
こういう言葉に騙されてはいけないと思います。ウクライナ侵攻についてロシアの大統領は「ほかに選択肢がなかった」と言ったそうです。同じことでしょうね。こんなことはしたくなかったのだが、ほかに手段がない、断腸の思いでおこなうことなのだ、と権力者は勝手なことを言います。広島、長崎に落とされた原爆もそうだったのではないでしょうか。その遠因になった日本の真珠湾攻撃も同じことだったように思います。
先に結論があって、それに向かって進むためにどういう理屈をこじつけるか、彼らが考えるとしたら、せいぜいその程度のことだ思います。最初から選択肢を探すつもりなど毛頭なく、
一番手っ取り早い
方法を取ろうとするのです。それが「やむを得ない」「選択肢がない」という乾ききったことばで片付けられてしまうのではないでしょうか。
そして結局は弱い者が苦しむだけで、苦しめられた人のことを問われた厚顔な権力者は、
「気の毒だと思う」
とでも言って終わり。そこには何の慈悲心も人の道もありません。権力者のあなた! あなたがそういう「気の毒」なことをしたのでしょう。爆弾が勝手に人を殺めることなどしないのですから。
日本にいるロシアの人たちが、すべてではないでしょうが、ロシア政権のすることに抗議しています。こういう健全な考えがあることを忘れてはなりません。ロシア人が誰しもウクライナは今もロシアのものだなどと思っているわけではないのです。おそらくロシア国内でも政府への反対意見は少なくないようです。にもかかわらず、今の大統領は勝手にルールを捻じ曲げてでも終身大統領になるつもりのようで、しかもそれが現実になることが有力視されてもいるようです。
核を持っていることをちらつかせることも含めて、このような幼稚な政治手法がまかり通ることは巨大国ロシアにとって悲しむべきことだと思います。もちろんそれは他山の石とすべきことで、今の日本も大差ない幼稚さを持っていることに私たちも気づかねばならないでしょう。
日本の総理大臣は「核で威嚇したり使用したりしてはならない」とアメリカに倣ってロシア批判をしています。その姿は、番長の陰に隠れて、いじめられている子に舌を出しているだけのように見えてしまいます。あなただって国内では自分(たち)を守るためなら法律という「核」を使って弱い者いじめをして平気な顔をしているじゃないですか。
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- [2022/03/06 00:00]
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権力者はしらをきる
「権力者はうそをつく」でもいいのです。ロシアのやっていることを見ていると、どうしてもそんなことを考えないわけにはいかなくなります。いや、ロシアだけの話ではありません。日本でもまったく同じこと。要するに権力をもっている者は似たり寄ったりなのだと思います。
日本の政治家が、それも権力の中枢にあるものほどうそをついていることは誰もがわかっていることです。それでもしらをきりとおせば通用するので奴らは相も変わらずうそばかりつくのです。裁判で事実を確かめようとしてもそれを逃れて事実を隠そうとするのがあの人たちです。誰もがわかっているうそが通用する世の中を悲しく思います。この国がいかに
未熟
なのかがよくわかるだけにますます悲しくなります。
私のそばにもいます。とにかく自分を守るためなら、うそをつく、しらをきる。まったくもって情けない人たちだと思います。
戦争が始まるときというのは、たいてい権力者がうそをついて自分たちの正統性を主張しては人々を扇動し、メディアがそれにのっかるようにして騒ぎ立てるのではないでしょうか。そして戦争を始めたら、政府もメディアもこぞって戦いがいかに正しいものかを自画自賛して、勝った勝ったとうそをつき、そのうそを追及されたらしらをきる、というのがパターンなのではないでしょうか。
大本営発表
というのも、早い話がうそですよね。
私はもうそういう世の中にほんとうに辟易しています。ごまめの歯ぎしりに過ぎないことはわかっていますし、暴力に押さえ込まれたらひとたまりもないことも予想されます。しかしどちらにしても残り少ない人生です。子どもに迷惑をかけないようにだけは留意して、喧嘩してやろうと本気で思っています。いや、ロシアの大統領と喧嘩する気持ちはありませんし、そもそも喧嘩をしにいく旅費がありません(笑)。日本の、厚かましい政治家たちへは最低限のレジスタンスとしてあの党とあの党とあの党には投票しない、という姿勢を貫きます。というわけで、もっとも手近な権力とまともに(今の言葉でいうと「ガチで」)やり合ってやろうと思っています。
ウクライナの出来事を知って、また怒りがこみ上げてきました。
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- [2022/03/05 00:00]
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ウクライナ、台湾
ロシアのウクライナ攻撃が現実のものとなったのはほんとうに悲しく酷いことだと思います。ロシアの大統領は「世界で最も強力な核保有国の一つだ」といって脅しをかけたそうですが、そんなことは何の自慢にもならない。それどころか、むしろ恥ずべきことでしょう。アメリカだって同じことですし、核を持とうと息巻いている人が多くいる日本だって今後愚かな方向に進んでいかないとも限りません。
ウクライナには首都キエフという大都市がありますが、案外日本人にとって最もなじみの深いのは南部の港湾都市オデッサかもしれません。プーシキンやゴーリキーの作品の舞台となり、エイゼイシュテインの映画
『戦艦ポチョムキン』
における「オデッサの階段」の場面はあまりにも有名です。
大横綱大鵬さんはお父さんがウクライナの人でした。私がクラシックを一生懸命聞いていたときに「巨匠」と言われていたピアニストのウラディミール・ホロヴィッツ(キエフ生まれ)、スビャトラフ・リヒテル(ジトーミル生まれ)、エミール・ギレリス(オデッサ生まれ)はウクライナ出身で、また作曲家のセルゲイ・プロコフィエフはウクライナ東部で親ロシア派が多いというドネツィク(この地域の独立をロシアが「承認」したのでした)の生まれでした。ウクライナ国立バレエ、ウクライナ国立歌劇場があり、キエフ国立フィルハーモニー交響楽団もあります。もともとキエフ公国としてロシアの中心的な位置にあった文化の薫りあふれる国がこんな悲惨なことになるなんて、やはり残念です。私は政治的なことはほとんど知らないのですが、ロシアとアメリカの今も底辺に流れる
冷戦意識
がこういうことを産むのだろうか、と想像しています。
もちろんロシアに与するつもりはないのですが、アメリカだって正義のようなことを言いながらも、こういうことがあると政権浮揚に役に立つという思わくもあるのではないでしょうか。これまでの歴史がそんなことを教えてくれるように思います。悪者を懲らしめる勇敢な大統領、という偶像を打ち建てられるからです。逆におとなしくしていようものならここぞとばかりに攻撃してくる反体制派もいるはずで、アメリカの前の大統領なんてさっそく「私ならあっという間に解決できる」と大口をたたいていたようです。
この情勢を見ていると、虎視眈々と台湾を狙っている大きな国のことも思わずにはいられません。「習さんよよく見ておけとプーチンさん」という川柳(正確ではないかもしれません)が新聞に載っていたのを見ました。「なによりもよき前例と習近平」という返事も聞こえてきそうです。
強くも弱くもない、そのくせ何とか強くなりたいと思っている者を味方にして、弱い者いじめをするのは強権を持つ者の常套手段。今の日本にも見られますし、私の周囲にもあります。いつの日か地獄に落ちるつもりなのでしょうか。
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- [2022/03/04 00:00]
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団体競技
カーリングの日本対ROCの試合を観た時のことです。試合終了後に一人の日本選手が泣いていて、他の選手に囲まれていました。勝ったのですから、喜んでもよさそうなのにその選手はずっと泣いていたのです。
なぜ泣いていたのか、よくはわからないのですが、私が観た限りでは、試合の中の「ここぞ」というところであまりいい仕事ができていなかったのは覚えています。セカンドの選手でしたが、ショットミスがあったように思うのです。それが理由かどうかはわかりませんが、「チームに迷惑をかけた」という思いが終わった瞬間に一気に噴き出したのかな、と思いました。他の選手は「なに、泣いてんのよ」という感じで励ましていたのですが、いつしかみんなもらい泣きをしていました。自分のミスでみんなに迷惑をかけた、自分だけがへたなことをしたから、結果がよくなかったのだ、と内向的になってしまい、他のメンバーから見たら、「あんなの、私だってやっちゃうよ」と思うようなことで、団体競技の場合よくある状況でしょう。
これは新聞で見たことなのですが、スキージャンプ団体で日本の選手のみならずスーツの
規定違反
があったとかで、失格になった選手が続出したそうです。その結果、日本を含む有力なチームが軒並み成績を落としたのだとか。あのスーツはだぶだぶにすると表面積が広がるために迎え風を受けやすく、風に煽られる形で遠くまで飛ぶことができるそうです。たかが数センチの違いであっても何メートルもの飛距離の差となってあらわれるそうです。
跳ぶ前に検査したらそれでいいじゃないか、という人もあるかもしれませんが、その検査のあと、実際に跳ぶまでに何か違反行為が行われるのではないか、という疑いが出るのもあり得ないことではありません。跳んだあとにもう一度調べないと公平さが保てないということでしょう。
団体競技だけに、失格を告げられた選手は「自分だけが悲しめばいいのではない、みんなを悲しませてしまった」という気持ちに責めさいなまれてしまったのでしょう。また、応援していた人(スタッフのみならず、ファンの人も)にも顔向けができないと思い詰めて、極端にいうと、
国民を裏切った
ような気持ちにもなったかもしれません。
もちろんチームのメンバーは「そんなことはない」といって慰めたのだと思いますし、彼女を責めようというメンバーは絶対にいなかったと思います。
今の時代は、何かちょっとしたことがあると、自分が迷惑を掛けられたのでもないのに、失敗した人を責める傾向にあります。それを肌で感じているからこそ彼女は怯えてしまった、という面もあるかもしれません。かつて東京オリンピックのマラソン(当時は男子のみ)で銅メダルを取った人が次のメキシコオリンピックで活躍できそうにないこと(手術をしたこともあり十分に走れず、また公私ともに多くの出来事が彼を苦しめたらしい)を思い詰めて自死されたことがありました。とても責任感の強い人だったと言われており、それゆえか「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書が残されていたそうです。この人は昭和15年生まれでしたから、どうしても昔気質だったでしょう。しかも自衛隊員でしたから「お国のために」という思いもあったかもしれません。そのプライドと現実のギャップに耐えられなくなったのでしょうか。
マラソンは団体競技ではありませんが、メディアが過剰な期待をかけて報道するという意味では同じでしょう。こういうことが起こってから、「選手は悪くない」という報道が繰り返されますが、それより前に「金メダルへ!」「今度こそメダル!」などと煽っているのはほかならぬそのメディアです。トップ選手といっても、ほとんどがまだ十代、二十代。精神的には安定していない、こういうと語弊があるかもしれませんが「未熟な人たち」です。そこをよく考えないと選手を苦しめるだけになってしまいそうだと感じた出来事でした。
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- [2022/03/03 00:00]
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カーリング
冬のオリンピックがおこなわれました。
前回が韓国で今回は北京ということで、アジアの大会が続いています。これで当分アジアはないのでしょうね。それにしても、冬の大会ができる場所が少なくなっているそうで、いつの日か南極オリンピックなどという日が来るのではないかと不安になります。このたびの北京もずいぶん人工雪を使っているそうで、無駄なエネルギーを消費しつつの実施だそうです。いつまでこんなことを繰り返すのでしょう。なんでも、札幌がまた立候補を考えているのだそうです。東京オリンピック、吹田万博、札幌オリンピック、という、あの昭和の一時期を再現したいのでしょうか。札幌がオリンピックを実施したいのであれば、なぜ夏の大会に立候補しなかったのでしょうか。今や夏の大会なんて日本ではもう北海道あたりでしかできないのですから。
南半球では今は夏ですから、あちらの人は不思議な気持ちで観ているのでしょうか。その南半球での大会というのはあまり聞いたことがないのですが、実施できるところはないのでしょうか。8月に冬のオリンピック、というのを観てみたい気もしますが。
私は例によって熱心なオリンピックウォッチャーではありませんので、開会式とか閉会式がどのように行われていたのかなどまるで知りませんし、競技もあまり観ていないのです。フィギュアスケートの羽生選手が転んでしまったというのはFacebookの「友だち」の記事で知ったくらいです。
その中で、私は観てみようと思った競技がありました。それは、
カーリング
なのです。北海道の常呂のチームがにこにこしながら頑張っているというくらいは理解していますし、前回のオリンピックで3位になったことも知っています。しかし、ルールはまったくわかっておらず、そのために何がどうおもしろいのかも理解できないままでいたのです。そこで今回、一度最初から最後まで観てみようと決めたのです。私が観たのは「日本対ROC」で、試合自体は日本が10‐5で勝ったものでした。
解説が入り、その解説が初心者向けと言っていいものでしたので、私はかなり速やかにルールを知り、どうすれば勝てるのかという駆け引きについてもいくらか納得出来ました。
ゆっくり投げて掃除して(笑)、
という一見誰にでもできそうなスポーツなのに、実はかなり技術も頭脳も必要で、繊細な神経戦も含む競技だと思いました。「おはじき」ではあるのですが、相当高等なもので、前回のオリンピックのときに話題になった「おやつの時間」が必要な理由も納得のいくものでした。
天井からのカメラを観ていると、試合に参加しているような気持ちにもなり、彼女たちの技のすばらしさもよくわかりました。
ほかの競技はあまり関心がありませんでしたし、世間の反応がわからないので、日本でどのように盛り上がっていたのかは知りません。ただ、このオリンピックはカーリングの面白さを知った、ということで記憶に残りそうです。
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- [2022/03/02 00:00]
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