バイアス
今の世の中、英語の氾濫はおびただしいものがあります。昔からそれは言われていたことではありましたが、せいぜい「カテゴリー」とか「アイデンティティ」とか、日本語にすると却って難解だったり、日本語の単語に置き換えにくかったりする言葉だったように思います。
ところが、パソコンが普及して、一気に難しい言葉が増えたように思います。私もパソコンを触るようになってから覚えた英語はかなり多いのです。ただ、外国語はどうしても無機質に感じられますので、覚えたつもりでも違った意味で解釈していたり誤解のまま使い続けていたりするので困ったものです。また、略語も多いので、それもしばしば誤用、誤解することがあります。インテリの人たちはどこででも平気で英語や頭文字だけの略語を使いますから、それを読まされる私のような非インテリは、はなはだ迷惑です。自分が書く(話す)言葉というのは相手が読む(聞く)ものなので、専門家だけの読む論文ならともかく、啓蒙的な文章では自分の知的レベルで表現しないでほしいと思うのですが、難しい言葉を使ってこそインテリということなのか、容赦してくれません。
パソコン用語だけでなく、
社会問題
を表わす言葉でもどんどん英語のまま使われるようになっています。「ジェンダー」という言葉は、私の場合文学研究に関して出会った言葉なのですが、最初は何のことやらわかりませんでした。そんなときはいちいち英和辞典を引くなり、パソコンで検索するなりしないと手に負えないのです。今やこんな言葉は毎日のように新聞で見かけるようになりました。
「バイアスがかかる」という言葉も今やあたりまえのように使われるようになりました。最初のうちは裁縫用語としての意味しか分からず、裁縫とはほぼ無縁な私のあずかり知らぬ言葉だと思っていたくらいです(笑)。今は何とかわかるようになりましたが、自分ではあまり使おうとは思わない言葉です。
これを「偏る」「偏見を持つ」「差別する」と日本語で言ってはいけないものなのでしょうか。誰かが使い始めると、使わないとカッコ悪いという人が追随してしまうのではないかと思えてなりません。単に英語ができない人間の
ひがみ
かな、とは思うのですが(笑)。
最近読んだ本の中に「AIに関するバイアス」という言葉が出てきたのですが、こういう言葉を見た瞬間、私は先を読みたくなくなるのです(笑)。しかし我慢して読んでみると、人間が人工知能に与えたデータが偏っていると、人工知能の判断も偏ってしまう、ということらしいのです。
ある大手企業が採用試験のために人工知能を開発したのですが、それが応募者の履歴書の中にある「女子(woman)」という単語を低く評価するという傾向が出てしまったそうです。この本では、たとえば「女子大学」「女子チェスクラブ部長」などが例として挙げられています。要するに、その会社では男性社員が多いために、採用者に悪意はないのに、AIが勝手に女性を差別してしまっていたのだそうです。
これが「AIのバイアス」の例なのですね。
幸い私が読んだ本は、わかりやすく説明してくれていましたので問題ありませんでしたが、著者はインテリ、編集者もインテリになると、その人たちにとって当たり前の言葉が一般には通用しない、ということは十分にありうることだと思います。
私自身、古典文学についての文章を書いていますが、この場合も専門用語はできるだけ避けるようにしています。それでも、いいカッコをしてつい難しい表現をしそうになることはしばしばあります。気を付けます。
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- [2022/04/30 00:00]
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株分け
この2月に初めてアスパラガスを掘り出してみました。去年、あまり生育がよくなかったので、そろそろ土を入れ替えた方がいいのかな、と思ったからです。
それで思い切って掘り上げようとしたのですが、これがなかなかの大物で、簡単には動かないのです。根を切らないようにしなければなりませんから、10号の丸鉢プランターに入れた土の周囲(鉢の内側)にスコップを差し込んで、少しずつ中に入れて、その隙間から手を真っ黒にしながら潜り込ませ、土を鉢から離すように掘って行きました。ある程度手が中に入るようになったところで土を引っ張り上げると少し持ちあがり、さらに奥に手を入れて持ち上げると土を付けた大きな塊が出てきました。
種から育てたものですから、もともとはほんのわずかなひとつぶだったのです。それがここまで大きくなったか、と感慨もひとしおです。横に新聞紙を広げていましたのでそこに乗せて、土を優しく払っていきました。すると、株の一部が自然にはがれるようになったのです。
株分け
といえば株分けだよね、と思って、それは別に置いて、もともとの大きな株をきれいにしました。
あらためて、アスパラの姿を眺めてみると不思議な形をしています。ほとんどが根で、上の方に目が出る部分があって平たくなっています。
次に新しい土入れです。プランターをきれいに洗って、鉢底石を入れ、30%くらい培養土を入れました。そしてきれいになった株を宙に浮かせておいてそれを覆うように土を入れていきました。全部埋まったあと、さらにその上から数センチ土をかぶせて、ひとまず終了。
これでいいのかな、と心配になります。
「株分け」した方の小さな株は別の鉢に同じように植えてみました。果たしてこちらは育つのでしょうか。
3月上旬にFacebookが昨年のその日の記事を教えてくれました。「アスパラの芽がかなり
「大きくなった」
と書いていました。ところが今年はその同じ日になっても、まったく変化がありません。ひょっとして土を替える際の私の扱いが荒っぽくて、株が腐ってしまったのではないか、と不安になりました。それから数日たっても何も起こらず、不安はさらに募ります。
ところが、3月17日の朝、鉢を覗き込んだらあのかわいらしい姿が長さ2~3センチの大きさでひとつ見えているではありませんか。どうやら何とか生き延びてくれたようです。去年は桜が咲くのも早かったので、かなり暖かかったということでしょうか。
今年もこれから次々に成長してくれることを願っています。
あとは「株分け」したほうです。依然として何も起こりません。こちらはやはりダメだったみたいです。
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- [2022/04/29 00:00]
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春の関雪邸
以前このブログにも書いたと思うのですが、兵庫県宝塚市売布(めふ)に日本画家の橋本関雪(1883~1945)の別邸がありました。今でもその場所はあって、塀もそのままなのですが、あえて「ありました」と過去形でいうのは、阪神淡路大震災で潰滅的な被害を受けたからです。それ以前は時期によって内部が公開されていたのですが、その後一般人は立ち入ることができなくなったのです。
関雪邸で有名なものに三重塔があります。三重県のお寺にあったものを移築したのですが、個人の邸宅に三重塔があるなんて、不思議ですらあります。これは震災でも倒れなかったようで、今でも塀の外からわずかに九輪のあたりを確認することができます。
私が以前行ったのは昨年の2月のことでした。そのときに、門前にある
枝垂れ桜
が咲く頃にまた来たいものだと思いました。しかしなかなかそういう余裕がないまま昨年のその時期は逃してしまったのです。今年は正直なところ忘れていたのですが(笑)、何かのはずみでふと思い出して、四月の上旬に行ってみることにしたのです。
阪急電鉄の売布神社の駅から5分ほどでしょうか、巡礼街道と称される道を歩いていくと、中国自動車道のすぐ横に立派な石練塀が見えてきました。そしてすぐに目に入ったのは、予想していたよりも立派で、支柱に支えられて横に広がる枝から鮮やかな赤い枝垂れ桜でした。
関雪と桜というと、京都の白沙村荘にも立派な枝垂れ桜がありますし、京都に何か恩返しがしたいと考えた関雪と妻の「よね」さんが、1921年(大正10年)に京都市に300本の桜の苗木を寄贈したこともありました。その苗木は、若王子橋から銀閣寺までの疎水に沿った道、のちに
哲学の道
と呼ばれるところに植えられて春を彩ることになったのです。当時の桜はもうほぼないのだそうですが、植え替えがおこなわれて、代替わりをしたものは、今も「関雪桜」と呼ばれて親しまれています。
さて私は宝塚市の関雪邸の枝垂れ桜に見惚れていたのですが、満足して帰ろうと思ってふと横を見ると、そこにはとても立派な青紅葉があるではありませんか。門に向かって左に桜、右に楓が植えられていて、その対照がとてもすてきでした。
まったく予想もしていなかった光景で、見る角度によっては青紅葉と枝垂れ桜が重なって見えて、鮮やかでした。
秋になると今度はあの紅葉が美しいのだろう、と思い、またその時期に行ってみたいと思ったのです。
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- [2022/04/28 00:00]
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4月の空
この十年ほど、桜の満開は3月が多かったのではないでしょうか。私が子どものころは、4月8日が入学式で、その頃が満開だったような気がします。満開は過ぎていたかもしれませんが、少なくともまだ花はじゅうぶん残っていたと思うのです。ところが、例の「温暖化」とやらで、季節が変になってきて、3月になると暖かい日が増え、桜も季節を勘違いして私の子どものころより1週間から10日くらい早く咲くようになってきたのです。もちろん例外はあって、4月5日を過ぎてから満開という年もこの何年かの間にあったような気がします。
今年もその年と同じように4月になって満開がやってきました。私の居住地では、4月5日前後が満開だったと思います。しかも好天で花散らしの雨が降らなかったので長続きしました。
今年の4月1日は旧暦でいうとちょうど1か月違いの
弥生一日
でした。ということは4月5日は弥生五日。「さくら、さくら、弥生の空は見渡す限り・・」という歌のとおりになったのです。
「さくら」の歌では桜の花を「霞か雲か」と言っています。平安時代になると「霞」は春の景物で、秋の「霧」に対応します(万葉集の時代は春に立ち込めるのも「霧」ということがありました)。科学的には同じものなのかもしれませんが、王朝文化の世界では春は霞、秋は霧です。「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」という後鳥羽院の歌は「霞」を詠んでいますから春の歌、寂蓮法師の「むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ」は「霧」で秋の歌です。
また、桜は雲に喩えられるのも珍しいことではありません。「桜花咲きにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲」(紀貫之)などがその例です。春の青空に漂う雲のように、桜が咲いているのです。この歌は「桜花が咲いたらしいな」と推定するようにいっていますので、山の彼方に見える雲を「あれは雲じゃなくて桜のようだ」と見つめているのでしょう。
この春の桜を見ていてしみじみ思ったのですが、桜の花の背景には
青空
にまさるものはないでしょうね。雲に喩えられるのも、青空があればこそだと思うのです。そんなことを思いながら空を見上げてみると、4月の青空は3月のそれよりも深い色をしているような気もしてきました。実際はほとんど変わらないのでしょうが、これも科学とは別のところで、桜には4月の、あるいは弥生の青空が似合う、と私は認定しました(笑)。
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- [2022/04/27 00:00]
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床本を読みませんか
以前から、文楽で太夫さんがお使いになる床本が読めるようになりたいというお声をSNS(ほぼFacebook)で見かけることがありました。
今、私にとって「友だち=Facebook友だち」といっても過言ではありませんので、何かそういう方のためにできることはないかと思っていました。ひとつ考えられるのは、そういう講座を持つことです。しかし講座を実施してくれるところなんてそうそう簡単には見つかりません。自分で場所を借りてということになると、赤字になりそうです(笑)。そもそも、対面講座だと近隣にお住まいの方に限られてしまいますので、Facebook友だちの方の需要には応えられません。
それならいっそFacebookそのものを使って何かできることがあるだろう、と考えました。
ちょっと苦しいやり方なのですが、
グループ機能
を使って、希望される方だけにご覧いただけるようなものを書いたらどうだろう、と考えるに至りました。床本ならいくつか持っていますし、古いものですから画像を挙げても著作権侵害に問われることもありませんので早速ページを作ってみました。あまりきれいにはできないのですが、そういうことを気にされる方は少ないだろうと勝手に決めつけて(笑)います。
私は平安時代文学を勉強してきましたので、鎌倉、室町あたりに書写された和歌や物語、あるいは注釈書などは学生の頃から相当読まされてきました。大学院の授業では、大阪府立中之島図書館にある『古今和歌集』の古い注釈をいくつも撮影してそれを製本したものが教材になったのです。何が書かれているのかを解読するためにはかなり読み慣れないと歯が立ちません。新入生が入ってくると、まずは読み方から先輩が手ほどきするような感じでした。ほかにも、自分の研究のために
宮内庁書陵部
や神宮文庫、静嘉堂文庫などに行ったり写真撮影を依頼したりして古い文献を読むのは当たり前になっていたのです。京都の陽明文庫の持っている藤原道長の日記『御堂関白記』の注釈に際しても、実物や写真版で原文を確認しながら書き進めました。しかし、文楽の丸本や床本の文字は似て非なるものです。また、床本にはゴマ章とか譜という朱色の書き込みがあります。これらについても何と書いてあるのか、どういう意味なのかなんて、平安時代の勉強ではわかりません。それで、四代竹本津大夫師の
「熊谷陣屋」
の床本をテキストにして勉強したことがありました。また、岩波書店の日本古典文学大系『文楽浄瑠璃集』には八代竹本綱太夫の朱が翻刻されていますので、それも教材にしました。また、ひどい字ではありましたが、自分でも『曽根崎心中』の床本を書いてみたことがあります(笑)。
そうこうしているうちに、仮名の崩し方は古典の写本と共通するところも多いですから、何とか読めるようになってきたのです。しかし文楽を愛好するのに床本なんて読めなくてもかまわないわけで、耳と目で楽しめばそれでいいのです。ただ、私のような好奇心のあるかたは少なくないようで、「床本を読む講座があったらいいのに」とSNSに書き込む人が何人かいらっしゃって、それがいささか気になっていたのです。
という経緯でそんなグループを始めてみたところ、20人ばかりの人が参加してくださいました。中には、淡路や能勢で浄瑠璃を語っていらっしゃる方もあって、なんだか畏れ多いような気がしてきました(笑)。そういう方のご参加はもちろんうれしいのですが、私が始めた当初もっとも強くイメージしていた参加者は「興味があるけどまったく読めない」という方でした。すると、そういう方から「読めるようになってきた」という反応をいただくことがあり、とても嬉しい気持ちになります。
興味のおありの方は、どうぞFacebookに登録のうえ、「床本を読む」のグループを探してください。
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- [2022/04/26 00:00]
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エアコンなしの生活
3月のある日、関東地方で電力が逼迫するというできごとがありました。もう極端な寒さはないだろうという時期でしたが、冬のような気温になったらしく、暖房の需要が一気に増えることが予測されたのです。関西ではそんなに気温は下がらなかったのですが、気候が半日遅れになる関東ではまったく事情が違ったようです。
今は原子力発電がほとんどできない状態で、太陽光発電は天候次第です。そこに東北地方の海で起こった地震の影響があったそうで、かなり危機的な一日だったとニュースが伝えていました。結果的には節電のアナウンスが行き届いたこともあったのか、停電という事態は免れたようですが、電力事情の脆弱さを思い知らされました。
と、まあ、ワイドショーのコメンテーターのようなことを言ってしまいましたが、私はこのニュースを知った時にまったく別のことで驚いたのです。「家庭でのエアコンの設定温度を下げてください」という呼びかけがあったらしいのですが、その程度で節電になるのか、疑問に思ったのです。つい、自分の生活を基準にしてしまって、エアコンなんて
日常の暖房
に使う人ってそんなにいるのだろうかという疑問です。
すると、SNSで関東地方の「友だち」の人が「一斉に」といってもいいくらい、「うちはどれくらい下げた」「これ以上低く設定するのは無理だ」などとおっしゃるではありませんか。私の家にもエアコンはまったくないわけではないのですが、この冬、私は一度として使ったことがありません。また、私が勉強する部屋はエアコンそのものがありませんので、夏も冬も
自然の温度
の中(笑)にいるのです。それだけに「エアコンで節電」という発想が実感として理解できなかったのです。
やはり、世の中は進んでいるようで、みんなそんなにエアコンを使っているんだ、とうらやましいくらい感心してしまいました。
それではもし関西地方で同じような出来事があったら、私はどうやって節電すればいいのでしょうか。
テレビは観ない、音楽は聴かない、暑さ寒さは我慢、早寝早起きで電灯の消費も少ない、私が使う電力というと、せいぜいパソコンのバッテリーでしょう。電力危機が来たら、その日はパソコンを使わない、というのがせいぜい私にできることかと思います。
それにしても、今の世の中、余計なことに電力を使いすぎていないでしょうか。テレビなんて、あんなにチャンネルが必要なのか、多くのチャンネルで連日24時間近く放送する意味があるのか、エアコンは使いすぎていないのか。その他、あれこれ言い出したらキリがないのですが、普段からもっと節電できることはあるはずです。
実は、意地悪な神様が地中に石油を隠しておいて、これを見つけたら人間は喜ぶが破滅の道も歩むぞ、と思っていたのかもしれません。
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- [2022/04/25 00:00]
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2022年文楽四月公演千秋楽
本日文楽四月公演が千秋楽を迎えます。
日によってはかなりお客さんの数が少ないこともありましたが、すべての公演がおこなわれたことはよかったというべきでしょう。
次は五月東京公演で、7日が初日、24日が千秋楽。
四月と同じく
豊竹咲太夫文化功労者顕彰記念
文楽座命名一五〇年
としておこなわれます。
東京地方はまた感染者が増えているような話もあります。
無事におこなわれますように。
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- [2022/04/24 00:00]
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都会が怖い
大槻能楽堂に行った日、帰り道は谷町4丁目から地下鉄に乗ればいいのですが、たまたま能楽堂を出たところの信号が西側に渡れる状態になっていたものですからそちらに渡ったのです。そこから谷町4丁目に向かうのに、わたしはそのまままっすぐ西に向かって歩きました。谷町筋まで行ってそこから4丁目まで北上しようと思ったのです。そしてその心づもりのとおりに歩いたのですが、谷町4丁目交差点まで行くとまた西向きの信号が「進め」になっていました。何となくそれに誘われるように「今日は本町まで歩いてみよう」という気になったのです。谷町4丁目から本町までは地下鉄中央線の駅2つですから、歩くのが好きな私にとってはさほど長い距離というわけではありません。
中央大通りを、まっすぐ西へ歩いて、農人橋(東横堀が本町あたりで少し曲がっている、いわゆる「本町の曲がり」のあたり)を渡って、もうすでに店じまいしていた長い船場センタービルの脇を歩いていきました。土曜日の夜でしたのでほとんど人通りがなくて、
都会ならではの寂しさ
を感じました。特にセンター街の外廊の部分は不気味さすら感じました。たまたま私の10mほど前を同じようなスピードで若い女性が歩いていたのです。つまり私が後をつけるような感じになったのですが、彼女は後ろから怪しげな人が来るというので怖くなかったかな、と心配になるくらいでした。自宅の近所なら、夜になると人通りのないのは当たり前で別に何とも思わないのですが、雑踏のイメージのある都会だと何かぞっとするものがありました。
本町に着いて、地下鉄駅に降りて御堂筋線の電車に乗ると当然ながら人の数が増えて、あとはいつもの都会です。車内では特に何も感じることはありませんでした。ところが梅田駅に着いてからは別の怖さに襲われました。
何しろ久しぶりの大阪です。人々の歩くスピードが私の暮らす田舎のそれとは違います。私も何かにあおられるように歩みの速度をあげていました。すると、周りの人たちに「ここは大都会だ。お前なんかの
来るところじゃない」
と言われているような気になるのです。「さっさと帰れ」とも言われているようで、私はわき目もふらずに一目散に家路についたのです。こうして、人の少ないところでも多いところでも、都会に身を置くことの違和感、とでもいうようなものに付きまとわれて、この夜はとても疲れました。
しかしあの、能楽堂前の信号で私が西向きの道を選んだのは、その直前に「文楽人形がわからない」という気持ちになったことが大きかったかもしれません。梅田駅で一目散に帰路についたのとは逆に、まっすぐ家に帰りたくなかった、少しでも遠回りをして帰りたかったのではないかと思うのです。
あの「さっさと帰れ」という声は、ひょっとすると魔王の言葉だったのだろうかとすら思えます。
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- [2022/04/23 00:00]
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こんなにもわからないのか
3月19日の大槻能楽堂での催しでは、かなり大きなショックを受けました。
狂言「仏師」と仕舞「笠之段」はしっかり予習していきましたので、それなりにわかったような気がしますし、おもしろいとも思いました。問題は文楽『艶姿女舞衣』「お園のクドキ」でした。
豊竹呂太夫、鶴澤友之助、桐竹勘十郎というメンバーですから、悪かろうはずはありません。ところが私はあまりおもしろいと思わなかったのです。
床については、私の場合はもうイメージだけで受けとめるわけですから、何もわからないのは先刻分かっていたことです。しかし人形なら感じるところはあるはず、と思って観ていました。文楽の舞台と違う、という問題はありました。緩やかに傾斜する客席(見所)からはやや見下ろす形になります。また、主遣いは船底がない舞台ということもあって下駄を履きませんので、人形はかなり低く見えます。左遣いはいつもより低い位置で差し金を持ちます。足遣いは膝をついたり腰をかなりかがめて移動したりします。そういう問題もあったとは思うのですが、お園の哀しみに
胸を衝かれる
ような瞬間がありませんでした。私は8列目にいたのですが、勘十郎さんの人形がとても小さく見えました。もちろん、団七や光秀ではないのですからむやみに大きく見える必要はありません。しかし、何やら人形が縮こまったような印象を持ちました。やはりアングルの問題だろうか、と責任転嫁していたのですが、後日いろいろな人の感想をSNSで見るとまったく悪評は見えないのです。それどころか、絶賛する声が多く、天下の勘十郎さんの演技ですから、どう考えてもそういう方々の意見の方が普通でしょう。やはり私にはもう人形浄瑠璃を楽しむことができなくなったのかもしれない、という不安がふつふつと湧いてきました。
それが尾を引いたのか、「魔王」でも人形がおもしろいと思えませんでした。勘十郎さんはご自分で馬の人形をお作りになって人形がそれに乗るような形で演じられたのですが、それがどうにもぎこちなく感じられ、そのために父親がわが子を案じる
切羽詰まった気持ち
が伝わってきませんでした。もちろん義太夫でそれは表現されているはずですからそれを理解できない私に責任があるのでしょう。しかし責任なんてどちらもいいので、要するに私と文楽をかろうじてつなぎとめていてくれた人形の魅力がもうわからなくなっているのだという点に大きなショックを受けたのです。
公演が終わると、能楽堂の外は雨でした。春の冷たい雨でした。
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- [2022/04/22 00:00]
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魔王
大槻能楽堂での催しについて、文楽『艶姿女舞衣』については別に書こうと思います。
小学生のころ、シューベルトが好きでした。日本語では「わらべは見たり野中のばら」と訳される「野ばら」(D=ドイチェ番号=257)に接したのが最初だったと思います。といっても、その音楽性がどうのこうのというようなことは何もわからないままで、ただ彼の歌曲を聴いては喜んでいただけです。そもそも「わらべは見たり」「あしたの野辺に」の意味もよく分かっておらず、「わらべ」は「わらしべ」だと、「あした」は「朝」ではなく「明日」だと思っていたような気もします(笑)。それでもなぜか、わずか31年という若さで亡くなったあの作曲家に哀れを感じていたこともあって、興味を惹かれたのだったと思います。その後も「未完成」(D759)や「グレイト」(D944)と通称される交響曲、ピアノ五重奏の「ます」(D667)、弦楽四重奏の「ロザムンデ」(D804)などにも接しましたが、やはり彼の場合は歌曲が好きでした。「美しい水車屋の娘」(D795)「冬の旅」(D911)「ます」(D550)「子守歌」(D498)等々の作品はいろんな歌手で聴きました。特に
ペーター・シュライアー
の「美しい水車屋の娘」やディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの「冬の旅」などは記憶に残っています。
ゲーテの詩による「魔王」(D328)はシューベルトが18歳のころの作品だそうで、これを聴いたのはおそらく中学生の時で、かなりショッキングだったことを覚えています。病気の子を連れて父親が馬を走らせていると魔王が子どもを誘います。子どもは怯えますが、父親には魔王の姿が見えません。そして子どもは父の腕の中で亡くなります。
この作品を聴いた時、私自身も登場人物の子どもと同じような不安を抱いたように思います。そしておそらく、シューベルトもそうだったからこそこの曲をつけようと考えたのではないでしょうか。
この作品を
六代豊竹呂太夫さん
はバリトンの河野克典さんと、歌曲と素浄瑠璃という形で何度か上演されています。今回大槻能楽堂では、河野さんと穴見めぐみさんのピアノによる歌曲と、呂太夫さん、竹澤団吾さんによる浄瑠璃に能の赤松禎友さん、文楽人形の桐竹勘十郎さん、吉田簔紫郎さんらが演ずるまったく新しい形での上演でした。この歌曲はもともと魔王、父、子、語り手の四役を歌い分けるものですから、なるほど義太夫節にはなりやすいと言えるでしょう。歌曲としても、4人で歌うこともあるようですが、基本はひとりの歌手が歌い分けます。
子どものころ憧れを持ったシューベルトの名曲を河野さんの声で聴きたかった、そして呂太夫さんの浄瑠璃も聴きたかった。ほんとうに聴きたかったです。
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- [2022/04/21 00:00]
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笠之段、仏師
一か月前の話です。
3月19日に大阪の大槻能楽堂に行ってきました。狂言風オペラ『フィガロの結婚』が、スイスの楽団が来日できず中止になったため、その代替公演としておこなわれた催しがあったからです。
演目は狂言の「仏師」、仕舞「笠之段」、文楽「お園のクドキ」、シューベルトの「魔王」の歌唱版と義太夫+能+人形という上演でした。
文楽ももちろん興味はありましたが、能狂言に疎い私としては「仏師」と「笠之段」は興味津々でした。
「笠之段」は能『蘆刈』の中のシテの舞です。津の国日下(草香)の左衛門夫婦が貧しさのためにいったん別れ別れになります。妻は都に上って貴人の家で乳母となり、安定した生活ができるようになりました。妻は夫がどうしているかを知りたくて日下に戻るのですが夫は行方不明でした。妻のお供をしてきた者が元気を取り戻してほしくて里の人におもしろいことがあれば教えてほしいと頼みます。すると里人は蘆を売りに来る男はおもしろいと教えます。妻と従者が見に行くと、蘆刈の男があらわれ、笠尽くしの舞を見せます。妻が蘆刈の男に蘆を見せてほしいというと、男は近づいてきますが、彼女の顔を見て驚いて隠れます。蘆刈男は夫の左衛門で、
零落した我が身
を恥じて隠れたのです。しかし妻は一緒に都に上ろうと誘い、左衛門は喜びの舞を舞って都に上ります。
この中で、シテの蘆刈男が難波の春をほめそやしながら舞うのが「笠之段」です。このたびは大槻文蔵さんの舞でした。現在能で、能の形式でもシテは面を付けないのですが、仕舞では能舞台での装束も着けずいわば「素」のままの姿で、それだけになかなか難しいのではないかと思いました。今年80歳になられる大槻さんですが、さすがのたたずまいで、若い地謡のみなさんに支えられつつ舞い納められました。
狂言の「仏師」は「すっぱ(詐欺師のこと)」と「田舎者」によるお話です。「田舎者」が御堂を建てたので、本尊にする仏像を造ってもらおうと都にやってきました。そして「仏像を買います」と言いながら歩いていると「すっぱ」があらわれて、自分が仏師だから明日までに造ってやるとだまします。翌日「田舎者」が見に行くと、
等身大の仏像
があるのですが、どうも姿が変なので、仏師(すっぱ)に印相を換えてくれと依頼します。実はその仏像は「すっぱ」が面をつけて立っていただけです。変更を頼みに行くと「すっぱ」はすばやく面を取って仏師のふりをして「田舎者」に応対し、またすぐに仏像の姿に戻って姿を変えて立っています。それを見てなおも不満な「田舎者」はまた換えてくれと頼み、それを何度も繰り返します。その「見に行く⇒不満⇒変更依頼⇒見に行く」の循環はしだいにスピードがあがり、その結果、あわててしまって仏師から仏像に姿を変えるのに失敗した「すっぱ」は、ついに正体を見破られてしまいます。
今回は「すっぱ」に善竹隆平さん、「田舎者」に山本善之さんという配役(東京公演では野村又三郎さんと高野和憲さん)でした。『フィガロの結婚』もこれまでは茂山あきらさん、茂山茂さんが参加していらっしゃいましたが、今回はこの4人になる予定だったのです。
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- [2022/04/20 00:00]
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違反ギリギリ
この2月におこなわれたオリンピックで、スキージャンプの選手がスーツの規定違反に問われて続々と失格になったことがありました。細かい経緯は知りませんが、ルールではあのスーツを風を受けるようにゆるく着てはいけないということなのですね。ジャンプは向かい風を受けて下から煽られるようにすると遠くまで飛べます。それと同じ理屈で、スーツの表面積を広くすることで下からの空気抵抗を得ると少しでも長く飛べるようになるわけです。ジャンプの選手が着地したあと、ゆっくりと足を広げて退場する場面が映ると、股の下がだぶついているのを見ることがあります。仮に二本の足を指だと見れば、あの部分がちょうど水かきのようになっているのです。そうすることで表面積を広げているのですね。
なんだかずるいなぁ、と思うのですが、あるコーチに言わせると「これはだれもがやっていることで、
ルール違反ギリギリ
のところで競い合っているのだ」とのことです。その人は「それくらいしないと勝てないのだ」とも言っていました。規定を作らないと野放図になる、ところが規定を作ると、そのギリギリのところまではいかがわしくても迫ろうとする、という状況です。その結果、違反と認定されてしまうと結局はすべてが水の泡になってしまいます。誰もがやっていることだから、というのはそういう場合の言い訳の決まり文句だと思います。
奈良選出の国会議員が公職選挙法違反の疑いで在宅起訴されました。この人も「誰もがやっていることで、違反ではない」という主張をしていました。「自分だけが起訴されるのは差別だ」とも言っていました。
兵庫県西宮市の市長選挙で、ある候補者が選挙違反にあたる運動をしていたのがツイッターなどで拡散されていました。選挙運動は8時から20時までですが、本人が7時前に名前の入ったたすきをかけてチラシを配っていたようです。私は法律には疎いのですが、これは明らかな違反なのだそうです。その場で指摘された本人もさすがに「ごめんなさい」と言ったのかと思ったら、現場の動画を見てみると指摘されながらなおもチラシを配っていました。多くの通報が選管に届いて、選管は厳重注意をしたそうです。公職選挙法があるのは承知のうえでそういうことをするのは「違反ギリギリ」の範囲を超えていますからまったく許容できません。本人は違反を承知で「8時と7時くらいの
わずかな差
なら問題ないだろう」という意識があってこういうことをしたのではないでしょうか。あるいは政治家は特別なのだ、バックには強い政党があるのだ、という特権意識も働いたのかもしれません。
勝つためならなりふりかまわない、ルールを逆手に取って自分の思うままにしようとするというやりかたは、至るところに見受けられる醜い姿だと私は感じています。スポーツの世界も例外ではなく、さきほどのジャンプの場合はまだ誰も傷つけることがないだけましなのですが、「『かちあげ』は違反ではない」という理屈で、サポーターを巻いた肘で相手の顔を殴るという行為を繰り返した横綱もいました。学校でもそんなことがあります。「法律に何ら違反していない」という言い方で人を平気で傷つける、
非人道的なこと
をする学校を私は目の当たりにしてきました。そんなことをして「勝った」としても、あなたは何も後ろ暗いことはないのか、と問いたくなります。「きれいごとを言うな」という「お叱りの言葉」が聞こえてきそうではありますが、教育に携わるものが「きれいごと」を言わなくなったらおしまいです。
結局、西宮の市長選挙はその「違反候補」が惨敗しました。
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- [2022/04/19 00:00]
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高所恐怖症
私はビジネスマンのようにしょっちゅう乗っているわけではありませんが、飛行機はそんなに怖いと思ったことはありません。いつだったか、羽田~伊丹の飛行機が激しく揺れたことがあって、客席は騒然として悲鳴も出ていましたが、私は別にその場で遺書を書こうとも思いませんでしたし、「飛行機は飛ぶように作られているんだからめったに落ちないし、落ちたら海の藻屑だから騒いでもしかたがない」「ちょっとくらい揺れるのはよくあること」と思っていましたので平気でした。
しかし、もし飛行機の床の部分が透明ガラスだったら、下を見ることなどできませんし、ずっと目を閉じているしかないと思います。
同じように、地下鉄も怖くはありませんが、電車が地面の下の深いところを走っているようすを想像したら怖くてたまらないと思います。
要するに私は
高所・閉所恐怖症
なのです。ビルの窓から顔を出して下を見るなんて御免蒙りますし、いくら観光地でも鍾乳洞に入りたいともあまり思わないのです。
あの、高いところから下を見る時のぞくぞくする感じはほんとうにいやなもので、後になってその瞬間の情景を思い出しただけでも恐ろしくなります。
以前も書いたかもしれませんが、幅100mほどの川に架かっているとても幅の狭い橋があって、先日私はそこを渡ってきました。なにしろ幅は1mもないくらいで、もし前から人が来たらお互い
背中合わせ
になってすれ違わねばなりません。そのときは当然90度回転して川を真正面に見なければならず、恐ろしいことこの上ないのです。何しろすぐそばに人がいるわけですから「怖いよぉ」と声を出すわけにもいかず、じっと我慢の数秒間なのです。
欄干は私の腰くらいの高さで、強風が吹いたら飛ばされて7~8m(?)下の川に転落するかもしれません。もう怖くて怖くて、とにかくまっすぐ前を見て、「ここは橋じゃない、普通の道だ」と念じながらさっさと歩ききってしまわねばなりません。一番恐ろしいのは6割くらい渡った時です。もうこんなに歩いたのにまだあんなに残っている、という気持ちになり、だからと言って引き返すと余計に長い距離になります。誰があんな橋を作ったのかと思うのですが、何か事情があったのでしょうね。これで渡るのは3度目くらいだと思うのですが、まったく慣れません。もう渡りたくないです。
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- [2022/04/18 00:00]
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叱られました
このところ、いろんな夢を見ます。多くの場合は目が覚めた後に夢を見たことだけは覚えているのに、内容が何だったかわからなかったりします。覚えていたとしても、2,3日もすると忘れる程度の夢も多いのです。また、単に空を飛んでいるだけとか、どこかから落ちたとか、その程度の漠然とした夢もあります。夢にはおそらく意味があるはずなので、覚えているものは記録してみるとおもしろいかもしれません。
私の学生時代の恩師は平安時代の和歌文学の研究者でした。研究書はもちろん、一般向けの本もお書きになっています。ちょうど親の世代で、第二の父親と言ってもいいかもしれません。私はできの悪い弟子でしたから、いろいろご心配もご迷惑もおかけしたことだと思います。忘れられないのが、この先生と一緒に本を書いたことです。背表紙に
先生と名前が並んだ本
は宝物です。
定年を前にしてご実家に帰られたため、その後はほとんどお会いすることのないまま、永遠のお別れをしました。
実は先日この先生の夢を見たのです。以下は夢の中での話です。
私は大学院のかなり上の方の学生で、後輩の面倒を見るような立場にいました。その先生のゼミで私が発表をすることになっていたのですが、本来なら後輩の前で模範的なプレゼンテーションをしなければならないのです。ところが、文章を読むときに私がいいかげんな予習しかしていなくて、突然先生が怒り出したのです。「君は勉強しているのか」「どういうつもりなんだ」(言葉の詳細は思い出せません)という感じの、かなり
きつい言葉
でのお叱りでした。私も後輩たちもびっくりして言葉が出ません。「君たちはこういう発表をしていていいと思っているのか」と先生のお怒りはやみません。
・・夢はこのあたりで終わりました。ほんとうに震え上がるような夢でした。
私は最近、重源上人の事績を知るために、漢文体の文章を読むことが多いのですが、大事なところだけつまみ食いするような読み方になっていたことが否めないのです。ひょっとしてそのうしろめたさが深層心理にあって、こういう夢を見たのではないか、と思います。この夢のおかげで、やはりきちんとした読解をしなければならないぞ、と肝に銘ずることになりました。
それにしても恩師というものはありがたいものです。夢にまで現れて注意してくださるのですから。
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- [2022/04/17 00:00]
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表札
私の父は表札を作っていました。姓名を書いたもので、いかにも「一家の主」という感じで、私もいつかあんなのを作れるかな、と思いながら見ていたものです。しかしそんな機会はついぞなく(笑)今に至っています。父が作っていたのは木製の、かまぼこ板の親玉のようなものに黒々と名前が書かれた古風なものでしたが、最近はもっとさまざまな種類のものができています。実は、私の兄が最近父と同じような表札を作ったのです。さすがは長男、かっこいいな、と思いながら眺めています。おそらく兄も私と同じように、いつの日か自分の名前を書いたものを作ろうと思っていたのだろうと想像しています。それを実現するところは長男の貫禄(?)です。
あれひとつはいくらくらいするものなのでしょうか。やはり
福沢諭吉
が飛んで行くのでしょうね。・・と思ってネットで少し調べてみると、格安のところで8千円くらい、ちょっと立派なものだと2万円くらいのものがありました。どちらにしても私はとても手が出ませんし、そもそも私は親の家に居候していますので、そんなものを勝手に造ったら怒鳴られるかもしれません(笑)。
私のところは、表札はなくて、郵便受けに家族の名前が列挙されているだけのプレートです。私は当然親の下。いまだに「一家の主」にはなれません(笑)。
ところが、これが最近かなりぼろぼろになって、何が書いてあるのかわかりにくくなってきました。郵便屋さん泣かせ(郵便屋さんは完全に覚えているでしょうけれども)のプレートです。いくら貧乏人の家でもこれでは恥ずかしいだろうと思って、何とかしようと立ち上がりました(おおげさ)。この際、思い切って福沢さんを使って・・・というのはもちろんありえません。
まずは、世間ではどういうものを使っているのかを知るために、散歩のついでに途中の家々の表札を見て回りました。改めて眺めてみると、古風な木の表札は今や完全に少数派ですね。みなさんとてもしゃれたものをお作りになっています。私はいろいろ考えた末に、表札屋さんではなく、
ホームセンター
に行って、手軽にサンプルを見てこようと思いました。3,000円くらい出せば白い板状のものに名前を書いてくれるごく安っぽいものがありました。こういうのを作るのもいいかも、と考えたのですが、そのすぐ横に無地のプレートがあって、それに字を書けばそれなりのものができるかもしれないと思いました。しかし私の字ではあまりにもブサイクですし、そのプレート専用の色落ちしない塗料やペンは売っていませんでした。
そこでホームセンターの中をうろうろして、何か使えるものはないかと探し回ったのです。店内の万引き防止カメラがあったら、かなり怪しい人物として追いかけられていたのではないかと思います。そこで見つけたのが、ツルツルのものの表面にならきれいに貼ることのできるというテープ状のものです。表札にも使えると書かれていました。それに工作をして名前を刻み、プレートに貼ればそれなりに見えるのではないかと思いました。小学生のとき、図画工作が大の苦手だった私のすることですからかなり怪しげなものではあるのですが、ともかくそれらを手に入れて作ってみました。
出来栄えは・・やはりブサイクでしたが、福沢さんどころか、野口英世さんでもお釣りが来ました。
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- [2022/04/16 00:00]
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3,600人の歌人
短歌に関心のある方なら角川書店の『短歌』、短歌研究社の『短歌研究』という雑誌はご存じだと思います。私も学生の頃はよく買って読んでいましたが、なかなか短歌の世界に入りきれずにいつしかやめてしまいました。
ここ数年、短歌の同人誌に入れてもらって、また少し気になってはいたのですが、定期購読するというところまではいかないのです。
その『短歌研究』という雑誌は年に一度、その年を振り返る特集と歌人の動向(歌集の出版など)や歌人名簿を掲載する
「短歌年鑑」
を出しています。
それを、私の同人誌の主宰者のN先生が私に一冊送ってくださいました。「私たちの同人誌もいくらか記事にしてもらっているから」ということで見せてくださったのです。N先生の短歌も少し載っていました。たいしたものです。私の名前も一か所だけ小さく書いてもらっていましたが、これはN先生が尽力してくださったのだろうと思います。
第一線で活躍する人たち――佐佐木幸綱さん、栗木京子さんら――による座談会もありますので、読んでいるととてもためになり、またおもしろいのです。
圧巻、といってもよいのは
歌人名簿
でした。その数、なんと3,600人!
もちろんすべての方が歌人をなりわいとしていらっしゃるわけではありませんが、それなりのキャリア(受賞している、歌集を出している、同人誌を主宰しているなど)をお持ちだと思います。これだけの人数の人が短歌の世界を牽引し、その周辺にはさらに多くの愛好家(私もその一人)がいらっしゃるわけですから、この文芸も簡単に滅ぶものではありませんね。こんなに多くの人が毎年何十、何百という歌を詠んで、よくも言葉がなくならないものだ(笑)と思います。高校時代の数学の授業で、唯一覚えているのが数列の話のときに俳句の文字の組み合わせがいかに数多くありうるかというものでした(詳細は失念)。短歌ならなおさらでしょうね。
ただ、この人数ですから、知らない人がほとんど。歌人と言えば歌人なのでしょうが、世間に知られた人ばかりではありません。N先生や畏友(と勝手に思っている)松平盟子さんのお名前はもちろん載っていました。ちょっとうれしかったのは、奈良市の幼稚園で文楽人形劇をするようにと誘ってくれたKさん(短歌の世界の芥川賞にあたる賞の最終選考まで通過し、歌集も出している人です)のお名前を見つけたことです。Kさんには、私の学校に非常勤講師として短歌を教えに来てもらったこともありました。そのとき、書類の上で「本職」を書いていただく必要があったらしく、ご本人が迷われたのです。「主婦」と書くのはおかしいだろうか、元の職業(雑誌編集者)を書くのもいかがなものか、と。それで私に相談してくださったのです。私は「それならいっそ
歌人
でいいじゃないですか」と言ったのです。このかたはとても謙虚な人ですから「私は歌人だ」などと吹聴なさるようなかたではないので少し驚かれたようですが、『炸』という同人誌で長年活動されて短歌についてのエッセイもお書きになっていました(歌集を刊行されたのはそのあとのことでした)ので、まちがいなく立派な歌人だと思ったのです。結局そのように書いていただいて何も問題はありませんでした。
私はまだ新米ですし、もちろん歌集も刊行していませんので「歌人」への道ははるか遠く(笑)、そうこうしているうちに時間切れ(笑)になると思います。
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- [2022/04/15 00:00]
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宴のあと
この間、夕方の5時過ぎにスーパーに行ったのです。どうしても欲しいものがあったので時間を気にせずに行ったのですが、どういうわけかまったく混雑していませんでした。レジなんてがらがらで、手持無沙汰のレジ係の人は一生懸命タフレン(薄い透明のポリ袋)を、肉や魚にさっとかぶせられるように準備していました。あの姿を見ていると、日本人は(といっていいのかどうかわかりませんが)まじめ、片時も休まないなぁ、と思います。もちろんそうするように指導されているのでしょうが。
それにしても、5時台って混まないのでしょうか。けっして小さなスーパーではなく、駐車場が(ホームセンターと共用ですが)数百台もあるような大規模店なのです。4時台は夕食準備のための人で混み、6時台になるとまた割引狙いの人が増えるのかもしれませんが、いささか拍子抜けしたのです。必要なものを買って並ぶことなくレジも済ませてふと気がつきました。その日の前日は月に一度の
大安売り
の日でした(いまどき「大安売り」って言わないか・・)。前日にまとめ買いをした人は、この日は買い物に出なかった、ということもあるかもしれません。いわば「宴のあと」だったのです。
バーゲン(そうだ、「バーゲン」っていうんだ)になると目の色が変わる人は少なくありません。かく申します私もバーゲンは好きです。ただ、大混雑でレジは長蛇の列というのは、それだけで疲れてしまいます。しかしそんなことはものともせずに一日に二度も三度も行く人もあるようです。「おひとりさま1個かぎり」などという場合は買ったものを車に積んでまた戻って同じものを買う、という人もいるようで、その
たくましさ
には感心してしまいます。
そして、バーゲンという宴のあとはなんともけだるい物悲しさのようなものがあります。それがあの夕方の閑散としたスーパーの風景だったのでしょうか。
文楽ファンの方々と一緒におこなっていた「だしまきの夕べ」という懇親会がありました。これはもうたいへんな盛り上がりになるのです。普段おとなしそうな人が饒舌になったり、普段からよくしゃべる人はさらに機関銃のようにしゃべったりして、飛沫の飛ぶことといったらありませんでした(笑)。今、あれをやったら店を追い出されそうですね。
私はぼんやりとみなさんの楽しそうなお顔を眺めていることが多かったのですが、それでも楽しかった記憶しかありません。しかしあの会ももうおこなわれておらず、なんとなく悲しい気分になります。
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- [2022/04/14 00:00]
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弱い者を笑い飛ばす世の中(2)
昨日書いたようなことを考えていてもうひとつ気になるのが、笑いのプロという人たちも権力にすり寄っているように思える場合があることなのです。
中世ヨーロッパには「道化」という人たちがいました。ご主人を楽しませるのを主な仕事としましたが、原則として何を言ってもかまわないとされたので、ご主人に対して批判的なこともあからさまに言うことがあったのです。彼らはおろか者扱いされたがゆえに常人とは異なる神聖さすら感じさせる存在だったようです。シェークスピアの『十二夜』には、伯爵家の道化であるフェステについて、主人公ヴァイオラが「利口だからこそ阿呆のまねができる」「阿呆をつとめるにはそれだけの知恵がいる」(小田島雄志の訳による)と言っています。道化というのは必ずしもほんとうに愚かな人であったわけではないのですね。そもそもフェステの弁の立つことと言ったら半端ではありません。そのフェステがおもしろいことを言っています。「知恵の神様よ、どうかおれにりっぱな阿呆をやらせてくれ! おまえさんを自分のものだとうぬぼれている利口者が実は阿呆だったなんて例はいくらでもある。だからおまえさんと関係ないはずのおれが、けっこう利口者で通るかもしれん」。自分は「阿呆である」という前提に立って、知恵があると思い込んでいる者が実は阿呆だったということが世の中にごまんとあるというのです。早い話が、人間はみな愚かなのです。
道化の言いたい放題は、さすがに度が過ぎると処罰の対象にもなったのでしょうが、権力者が身近にこういう人を置いていたのがおもしろいことだと思います。まじめくさって批判されるとプライドを傷つけられたと思って頭にくるでしょうが、批判するのが道化であれば
つい気に留める
という効果もあったのではないでしょうか。今でも、子どもの言うことにハッとさせられる、という場合があります。誰の話も聞かないような傲慢な人間が、幼い子どもの言葉には弱い、ということはありうるでしょう。少なくとも道化は「権力者にすり寄る存在」というのとは違うと思います。
メディアも同じようなことをしがちで、権力者を持ち上げるような番組を作る傾向にあるように思えてなりません。正月に大阪の知事と市長をテレビに出して話をさせる番組を作った局があったと新聞で読みました。両者ともに同じ政党の人で、しかも言いたい放題を得意にしている人たちです。これは
偏向的
ではないかというので局自身が問題にしていたようです。正月の関西のテレビ局の座談会であれば、各府県の代表者を招いて話をするなら問題ないでしょう。ところが、放送エリアは関西一円なのに、さも大阪だけが関西であるかのように扱って、その政治家たちをスター扱いしている姿勢はおかしいとしかいいようがありません。もっともディレクターの気持ちはわからないでもないのです。地元でしか知られていない実務派の知事さんだっています。正月の華やかな雰囲気の中では悪い意味で浮いてしまうかもしれません。しかし、民放だからといって「視聴率さえ取れればOK」というのではメディアの責任を果たしたことにはならないと思います。
最近亡くなった石原慎太郎氏も人をバカにする人でした。この人の戦法として、若手の記者をバカにする(あえて言うなら鼻で笑う)ことがありました。そうやってメディアを委縮させればこっちのもの、ということでしょう。その結果、多くのメディアは彼のもの言いを「石原節」と言って甘受していたと思います。石原氏は作家としても一流とは言えず、おそらく次の時代になれば彼の作品は消えていくでしょう。また政治家としても夜郎自大が過ぎたのではないかと思います。
強い者が弱い者を笑う。そのとき弱者がどんな気持ちでいるのか、強者にはわからないでしょう。
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- [2022/04/13 00:00]
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弱い者を笑い飛ばす世の中(1)
狂言風オペラ『フィガロの結婚』の仕事からはほんとうにいろいろなことを学ぶことができました。雅楽・能・狂言・文楽・歌舞伎の中で、私が一番実際の舞台を観ることが少なかったのは、自分でも意外なのですが、狂言でした。能と狂言という組み合わせの公演ももちろんありますが、昨今は解説と能一番、ということも多いと思います。かつて学生を引率した大槻能楽堂での能もまさにそれでしたし、それ以外でもわりあいに能単独のものを多く観たような気がします。狂言は独立して「狂言の会」という形も多いですね。
しかし『フィガロ』で狂言師の方と間近に接することで、これまで見のがしていたようなことを知ることができました。テキストを読むことで理屈ではわかりきっていることでも、実際に演技を作っていく過程を目の当たりにすることで、頭で理解するのではなく、感じ取ることができたのだと思います。
とにかく力のある者を
笑い飛ばす
のですね。この「飛ばす」という感じがほんとうによくわかりました。『フィガロ』の中で、狂言師さんはアドリブを入れて現代の傲慢な権力者をネタにして客席から大笑いをとっていました。これです。強い者、権力を持つ者を笑い飛ばすのです。「哄笑」ということばがありますが、まさにそれ。庶民にとっては権力者なんて哄笑の対象なのです。
「フルシチョフはばかだ」と叫んで
赤の広場を走り回った男が逮捕され、
23年の労働刑に処せられました。そ
のうち3年は侮辱罪、あとの20年は
国家機密漏洩罪による刑罰でした。
というアネクドートがありました(人物がフルシチョフでなくブレジネフだったり、場所が変わったり、よく似たいろんなパターンの話があります)。アネクドートは政治風刺を内容とする小話のことです。これはもともとフルシチョフが自虐ネタで使ったジョークだと言われますが、庶民の笑いに通ずるものがあると思います。今、ロシアではどんなジョークがささやかれているのでしょうか。
笑いというのは、こうやって権力を笑い飛ばしてこそ健全なように思います。もちろん今でも堂々と権力者を茶化すような芸人さんはいらっしゃるでしょうが、逆に強い者が弱い者を笑い飛ばす傾向もあるような気がしてなりません。権力のある(と本人は思っている)地位に就くや否や、さんざん文楽をバカにしたり児童文学館を縮小して府立図書館に統合したりした人物もいました。そして反論する者には
嘲笑や侮蔑の言葉
を繰り返していました。こういう人物のように発信力の強い者が弱者を笑い飛ばすということはややもすると虐待につながります。学校で教師が学生を嘲笑したらどういうことになるでしょうか。政治家が弱い者の味方にならないで身内だけを大事にしていてまともな仕事ができるでしょうか。
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- [2022/04/12 00:00]
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曙の春
『枕草子』を講座で読んだのはこのウイルスが騒動になるまでの2年間でした。それまで私は何度か通読しているのですが、すべての段がおもしろいとは思わなかったのです。しかし細かく読んでみると、どの段もなにがしかのおもしろさがあって、いろいろ想像をめぐらすことができました。『紫式部日記』もそうなのですが、こういう内輪話を多く含む作品は、当時の貴族にはよくわかったでしょうが、現代人にとってはやはり解説してもらわないとわからないことがあると思います。ただ、私の立場は解説する方ですので、それなりに勉強しなければならず、かなり悪戦苦闘しました(笑)。しかし、先人の研究業績を読んで行くにつれて、それらに導かれつつ史料を駆使することで何とかお話しできるところまでは持って行けたかな、と思っています。
『枕草子』で、多くの人が暗記している一節というと
春は曙
でしょう。このあとは「やうやうしろくなりゆくやまぎはすこしあかりてむらさきだちたるくものほそくたなびきたる」と続きます。ところで、この文はどこで切るのかによって解釈が分かれます。一般的には「やうやう白くなりゆく山際少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」と読まれ、私も高校時代にはそのように習いました。次第に白んでいく山際が少し明るくなって紫がかった雲が細くたなびいているところ」というような意味です。しかし、文章の構造から言えば、「白くなりゆく」「紫だちたる」で切ることもできるのです。「春は曙」と言っておいて「次第に白んでくるところ」「山際が少し明るくなって紫がかったところ」「雲が細くたなびいているところ」と三つの情景を並べているとみるわけです。「紫だちたる」が「雲」を修飾するかどうかでかなり印象が変わってきます。いずれにせよ、高校の授業で習ったことが唯一の正しい解釈というわけではなく、さらに考察すれば別の理解もできることがあります。こんなお話などをしてみると、受講者の方は「ほう」というお顔をなさいます。
ところで、この「春は曙」の「春」というのはどういう季節感なのでしょうか。現代人は「春」といえば3月から5月のイメージで、特に桜の季節を思い浮かべるでしょう。ですから、「春は曙」というのは、ポカポカと暖かい、桜の咲くころに次第に夜が明けていく頃が魅力的だと清少納言が言っている、と受け止められがちだと思います。しかし、当時の「春」は旧暦の一月から三月、言い換えると
睦月から弥生
で、今の暦なら2月から4月頃にあたります。氷がとけるかどうかという時期から、やっと暖かくなったころまで。藤の花が咲く頃は春の終わりです。やはり一か月くらいは季節を戻して理解しないといけないでしょうね。曙は夜が白々とし始める頃ですから、何か新しいことが始まるような感覚があります。新年になって、少しずつ冬の暗さが晴れていくような、そんな季節感で清少納言は書いたのかもしれません。
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- [2022/04/11 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
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パチンコ・スロット
この間、たまたま歩いていたところに、とても大きな駐車場がありました。3階建てだったのですが、横幅は100m以上あるだろうと思われる長さで、一台について横幅2.5mとしても40~50台、しかも縦幅も長いのでワンフロアだけで数百台停められるのではないかと思います(かなりいい加減な計算です)。
一体何があるのだろう、と思ったのですが、その駐車場の反対側にはコンビニがあり、さらに何やら巨大な建物が建っているのです。たしかに、車がけっこう出入りしていて、にぎわっている感じがありました。ホームセンター? 複合商業施設? それにしては窓が見当たらないな、などといろいろ考えていたのですが、そうではなく、
パチンコ・スロット
とありました。いやもうびっくりでした。パチンコってこんなにたくさんの人が愛好しているのか、という驚きでした。私は大学生のときに友だちに連れられて2,3回行ったことはありますが、それ以後は皆無。スロットについては未経験です。ああいうギャンブル系の遊びは好きではないというのが大きな理由ですが、それとともに落ち着かない雰囲気がまったくダメなのです。連れていかれたときも、早く出たいという気持ちでいっぱいでした(笑)。
それにしても、数百台から1000台くらいの車が止められそうな大きな店で、ほんとうに満杯になったりするものなのでしょうか。社会勉強のために入ってみようかと思わないでもなかったのですが、なにしろ臆病者ですので、見知らぬところに入るのはためらわれ、駐車場だけ塀越しに覗いてみました。なるほど多くの車が停めてあり、このスペースは伊達ではないと思いました。。
今、大阪ではカジノを作ると言って大騒ぎしています。私の知り合いの女性はアメリカに行ってラスベガスで少し遊んだと言っていましたが、旅行中のことですし、彼女は雰囲気だけを見に行ったということでしたのでお小遣いが少し減ったくらいで問題はなかったそうです。しかしそれを目的に行く人はかなりのお金をかけることになるのでしょうから、勝ったり負けたりの額も町のパチンコ屋とは比較にならないのだろうと思います。
そういうこともあって、一部の政治家は
住民投票
をして世論に問おうという意見を出したようですが、そこは多数派のアノ党とその言いなり状態のアノ党によって否決されてしまいます。
では、もし住民投票をしたらどうなるのでしょうか。私は、賛成意見は少数派になるのではないかと思うのです。私の知る限りでは「アノ党は支持しているけれど、万博は賛成だけれど、カジノはいらない」という若い人がかなりいました。それに、横浜で賛成派の現職市長が惨敗したことも記憶に新しいところです。「博打場」というイメージはやはり強いものがあって、そんなものをそばに作られたら中毒になる人がさらに多くなる、という危機感もあるはずです。そうならないように手は打つと言っていますが、そうなることが明らかだから手を打たざるを得ないのでしょう。マッチポンプの典型例のように思えます。
あの巨大パチンコ屋を見たときに、これがもしカジノであれば、一獲千金を夢見て敗れていく人たちがこういうところからぞろぞろと出てくるのかもしれないな、と想像してしまいました。
そもそもカジノを作るための費用は、土地の整備の時点で当初の想定よりはるかに巨額なものになっているようです(そうなるだろうなとは言われていましたけどね)。いずれ回収してお釣りがくるんだ、という皮算用なのでしょうが、大阪はほんとうにこれでいいのでしょうか。どんどん変な方向に行ってしまわないか、気になっています。
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- [2022/04/10 00:00]
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折れた桜
三月半ばの日曜日のことでした。私は、いつものように朝や夕方に徘徊していました。ご近所にミモザの立派な木を植えているお宅があり、これがもう見事に満開でした。以前なら桜ならともかく、それ以外の木の花なんて目もくれなかった私ですが、特にここ何年かの間、命の大切さを真剣に思うようになって、きれいだな、という気持ちがこれまでとはまったく別次元のものとして湧きあがるのでした。息をのむような美しさに、つい写真に撮ってSNSにでも上げたい、という衝動すら起こったのですが、このお宅はお付き合いもありませんので、そういうことは遠慮しておきました。
同じころ、もう何年も空き家になっているお宅の梅の花も実に見事に花を咲かせていました。紅梅で、なかなか大きな木なのです。あるじなしとて春は忘れずに咲いているのでした。
それらの花盛りを横目に見るようにして、そのほかの木々にも新芽が出ていました。街路樹として植えられている紅白の
ハナミズキ
も枝のいたるところに花芽がのぞいていました。まだまだ硬いようすでしたが、しっかり季節をわきまえていました。
学校があるところを歩いたのですが、その道には桜の木がたくさん植えられています。昔からある大きな木とともに、比較的最近植えられたと思われる木もありました。その中に、よく見ると枝がぽきりと折れてだらりと垂れているものがありました。高いところでしたので、いたずらなどではなく、強風にやられたのではないかと思います。かわいそうに、この枝には花がつかないのだな、と思ってじっと見ていると、なんと、枝に
つぼみ
があったのです。そして、枝に触れるとまだみずみずしさが残っていました。あるいはわずかに幹とつながっている部分から水分などが運ばれていたのかもしれません。
ついいとおしくなって、何かひものようなものはないかと探しました。手遅れかもしれませんが、もとのようにつなげて強く縛っておいたら、ひょっとしてくっつくことはないだろうか、と思ったのです。しかしそんなに都合よく見つかるはずもありません。しかたなく半ばあきらめながらしばらく歩いたところ、なんと、使えそうなひもが道端に落ちていたのです。矢も楯もたまらず、それを拾って引き返し、はかない望みとは知りながら元の姿に戻したうえで縛っておきました。ただ、意外に枝先が重くて、きちんとくっつかなかったかもしれません。夕暮れ時でしたので、あたりは薄暗くなっていて、うまく確認できませんでした。あれ以来その木は見ていないのですが、ダメだったかな・・。
ふと思ったのですが、昨今、至るところに
防犯カメラ
というのがあるようです。これのおかげで犯罪が減ったり犯行現場が映って犯人の逃走のようすが知られたりしているでしょうから、有益な面が大きいのだろうと思います。しかし、ひょっとしたら、「怪しげな人物が桜の木にいたずらをしている図」というのが付近のどこかにあるカメラに映ったのではないか(笑)と、心配になったのでありました。
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- [2022/04/09 00:00]
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Youtuber
今やYoutuberを称する人はずいぶん多くなりました。文楽の人でも鶴澤清介さんや豊竹藤太夫さんらがYoutubeで活動されています。
特にここ数年のウイルス騒動でオンラインでの自己表現が盛んになり、芸術の方面のみならず、さまざまな分野の人が参入しているように思われます。
最近、うちの長男(数学教師)も始めたらしいのですが、それは教え子のためのものだそうです。何しろ記号や数字ばかり出てきますので、私などが見ても何のことかわかりませんけどね。
公務員ですので、お金もうけをするのはいけないだろうと思いますが、趣味として使うのであれば大丈夫でしょうし、まして教育の一環として無償でおこなっていることですから非難されるいわれはありません。ためしに覗いてみたのですが、実に
整然とした板書
をしていて、いつの間にこんなことができるようになったのだろうと驚きます。本人曰く、「自慢になるけど、生徒からもわかりやすいといわれている」とのことでした。親がいいかげんでも子は育つのですね。数学というのはとかく難解なイメージがあって、特に文系の生徒からは嫌われやすい科目だと思います。だからこそわかりやすく、こういう形で何度でも観ることのできるやりかたは効果がありそうに思います。私は、高校時代の数学はひどい成績で、それでも受験のためだからというので、ただ過去の入試問題を解いていくだけのほんとうにおもしろくない授業を受けたものでした。もちろん、得意な人にとってはたまらなくおもしろいのでしょうけどね。あのときYoutubeがあって、Youtuberの先生がいてくれたらもう少しできたのかな、あまり変わらないのかな、と今ごろになって思っています。
今後は、もし余裕があったら
「社会人のための数学再入門
なんてやってみたら?」と言っているのですが、「考えておく」というだけでした。ところで、そんな兄の姿を観た娘が私に「同じようにやってみたらどうか」と言いうのです。つまり私にもYoutuberになれと勧めているのです。
まったく思いもよらないことを言い出しましたのでびっくりしたのですが、私に何ができるかな、とふと考えてみたのです。
おとなの『源氏物語』
写本で『伊勢物語』
浄瑠璃の文字が読める
日本語の魅力とおもしろさ
う~ん、あまりおもしろくなさそうだな。閲覧者は1日に2~3人で、サムダウンのマークをクリックする人が続出、なんてことになるかな。
しかし、もしまだいくらかでも命永らえることができるなら、ここまで生かせてもらった今生への恩返しとしてこういう活動をするのもいいかもしれないな、と思わないでもないのです。
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- [2022/04/08 00:00]
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SNS依存症
私は多分SNS依存症だと思います。
このブログも、Facebookも、Instagramも、Twitterもアカウントを持って、ブログは毎日、Facebookは週に4~5日、InstagramとTwitterは月に2~3回、何かしら書いています。
マメだとかそういう話ではなく、何か書いていないと不安になるというのが正直な気持ちです。完全に依存症ですね。私生活についてはかなり隠しているというか、言わないことの方が圧倒的に多いのですが、それでも日常のつまらないことや愚痴を延々と書いているのです。
何しろ人とのコミュニケーションがほとんどないので、常に
「私は誰ともつながっていない」
という不安と背中合わせの状態です。
授業をしていればまだ声を出すだけましなのですが、今はほんとうに話すことが少ないのです。ましてこのご時世ですから人と会うことはさらに減り、目の前に人がいるということ自体が珍しいことになってしまいました。気晴らしというとせいぜい散歩ですので、歩いている間は誰とも話などしません。
このあいだ、「幸せな人はSNSをしない」という、意見をネット上で見つけました。わりあいによく言われていることなのかもしれませんが、私は初耳でした。そんなことはないでしょう、と思いつつ、(他の人は別として)自分に当てはめてみると真っ向から
否定できなく
なってしまいました。
たしかに、人と対面して話したり笑ったりできないというのはあまり幸福なことではないような気がします。
広島の人が、正月には大笑いをする習慣があると言っていました。「今から笑うぞ」といって、全員が意味もなく大笑いするのです。私はその現場にいたことがあるのですが、実のところあっけにとられたというか、最近の言葉でいうなら「引いて」しまいました(笑)。でも、見ていてとても幸せそうに思えたものでした。そこまで極端な笑いでなくても、私はもう20年くらいは声を出して笑うということをしていないような気がするのです。
笑いはやはりコミュニケーションから生まれるもので、それが証拠に、電車の中でひとりで笑っている人がいると異様な感じがするはずです。
私はもともとあまり感情をあらわに出す方ではないのですが、笑いの感情は出せるものなら出した方が幸せですよね。そんなわけで、SNSではしょっちゅうくだらないことを書いては「(笑)」というのを入れているのかもしれません。
「幸せな人はSNSをしない」というのが仮にいくらかでもあたっているとしたら「あまり幸せでない人はSNSで幸せな気持ちになっている」ともいえそうで、その意味では私もけっこう幸せ者かもしれません。
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- [2022/04/07 00:00]
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同級生の家
家の近くをある程度長い距離歩くことが多いのです。先日は私が行った幼稚園、小学校、中学校の前を歩きました。どちらもまだ健在で、平日でしたので子どもたちの姿も見えました。
小学校では体育をしている子どもたちを見かけたのですが、みんなマスクをしていました。今は子どもにも感染が広がっているそうですからしかたがないのかもしれませんが、何ともすっきりしない気持ちになりました。
体育をするということは平常より激しい運動をするわけですから、より多く酸素を必要とします。それなのにマスクをして走っていたのです。あれはやはり必要なことなのでしょうか。格闘技をするのはやめた方がいいかもしれませんが、走ったりドッジボールをしたりするならマスクを外してもよさそうな気がします。そんなことをしてクラスタが発生したら責任問題だ、ということになるのでしょうけれども・・。
その次に中学校に行きました。ここは山の上なのでかなり急な坂を上ります。よくあんな坂を毎日歩いたものだと思うくらいです。今はそういうことはないみたいですが、私が在学していた頃はかなり
ワル
の生徒がいて、暴力やいじめはしょっちゅうあったところです。教師は逃げ腰で、相談にも乗ってくれないような雰囲気でした。今は校舎の位置が少し変わっているだけでなく、その周辺の家が目覚ましいばかりに新しくなっていました。ひとことでいうと高級住宅街のようになっていて、こういうところの子どもたちが行くようになったら学校も変わるだろう、と思いました。
最後に幼稚園。少子化で、まだ存続しているのか心配でもあったのですが、今なお立派に維持されていました。子どもの姿は見えなかったのですが、あまりじろじろ見ると不審者に思われそうで、覗いたりはしませんでした。
この日、各学校の周辺も歩いたのですが、何しろすべて公立学校ですから、近所の人が通うところで、なつかしい
表札
にいくつも出会いました。同級生本人が今も住んでいるのかどうかは知りませんが、確かこのあたりに○○くんの家があったはずだ、と思ったら実際その人の姓の表札があったのです。それがもうすべて立派な家になっていて、今なお自分の家を持たない私はなんだか恥ずかしくなりました。中には同級生の名前が表札の筆頭になっているのもあって、あのぼんやりしていた▽▽くんがこんな家を建てるなんて・・と、より懐かしさを覚え、思わずピンポンを押してお茶でもごちそうになろうか(笑)と思ったくらいです。
みんなそれぞれに歓びと哀しみを経て今に至り、何とか元気に生きているのだろう、と思って少し心が温まったまま帰ったのでした。
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- [2022/04/06 00:00]
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ノートの使い道
私は『上方芸能』という雑誌で文楽の仕事をしているとき、芝居を見ながら気がついたことを手元に置いたノートに走り書きするのが常でした。隣の席の人が気にすると申しわけありませんから、あまり手許を見ずに目は舞台、耳は床という姿勢を守って、そのうえで手だけを出来るだけ小さく動かすような感じでメモしていたように思います。使っていたノートは、できるだけ安物の、5冊まとめて200円とか、その程度のものでした。当然表紙にはスヌーピーの絵も描かれていませんし、中もカラフルなものではなく罫線が引かれているだけというものでした。こういうのに殴り書きをするものですから、時には後で読みなおすときに何を書いていたのかわからなくなることが少なくありませんでした。某大先生はもっと綿密なノートを作っていらっしゃって、すばらしい集中力で浄瑠璃を聴きながらぎしぎしと音がするような勢いで書き込みをなさっていたのを劇場で拝見したことがあります。やはり大先生ともなると違うものだと感心したのでした。
そのノート、捨てた記憶はないのですが、今手許には十数冊だけ残っていて、ほかのものはどこかに眠っているのかもしれません。そして『上方芸能』の仕事をやめることになったとき、多めに買っていたノートが余ってしまいました。私は何しろ始末屋ですので、それは
普段の勉強
に流用することにしました。あちこちの図書館に持って行って、いろんな史料から抜き書きしたりするのです。ですから、表紙に「藤原道長の○○」などというタイトルが付いていたりするのです。
それでも今なお白紙のものがいくらか使いきれないまま残っています。もったいないですから何とか使いたいのですが、昨今、図書館に持って行くのはむしろパソコンで、その方がきれいに整理できるというのが正直なところです。短歌を書こうとしたこともあるのですが、これも思いついたことはスマホのメモ欄に入れればいいですし、あとで整理するのはやはりパソコンが便利です。
考えてみると、
手書き
でデータを整理することがほんとうに減ってしまいました。こうなるとあまのじゃくな人間ですから、このノートを使って何とか手書きで勉強したくなってきます。昭和への回帰でしょうか(笑)。
手書きは、書きながら考えるのにうってつけですので、勉強としては効果があるかもしれません。また、一冊にまとまっていますから、パソコンのデータを眺めるより見やすいのは明らかです。書き込んだり消したりする場合も、どこが後から書き込んだものかがわかり、消したものも斜線を引いてしまったとしてもそこに残っていますから、自分の思考の経路が見渡せます。自分が何を考えてどう見直したのかが一目瞭然なのです。パソコンならきれいに整理され過ぎて、頭の中を往来した複雑な回路が見えません。さらに、持ち運びが手軽ですし、うっかり落としてもデータが壊れることはありません。
昭和人らしく、残っている白いノートをしっかり使い切りたいと思います。
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- [2022/04/05 00:00]
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ウイルス禍での文楽
2019年、中国でコウモリ由来のコロナウイルスが人間に感染しました。2009年の新型インフルエンザのときに、押谷仁さんにインタビューする形の『パンデミック』(岩波新書)という本が出ましたが、その中で押谷さんがコウモリが発生源となるとおっしゃっていて、「コウモリ?」と思ったら、ほんとうにそうなったので驚きました。
このたびのウイルスの発生からすでに2年以上が経ったのに、今なお変異株のウイルスが世界中に蔓延し、それが勢いを失ったとしても、また新たな姿を見せて跳梁跋扈するかもしれません。このウイルスのために教育や文化の面でも多くの影響が出ました。学校はリモート授業になりましたが、やはり教育効果は低いでしょうし、特に実習系の授業ではどうしても対面でないとできないこともあります。体育の授業なんてリモートでは事実上できませんし、そもそも家にいるとだらだらとゲームばかりしている子どももいたはずで、健康面での問題も大きいのではないかと思います。子どもの成長にとって体育というのは重要なものです。
芸能も、お客さんの前で演ずるからこそ意味があるので、オンラインでの上演というのは
テレビ以下
のものではないでしょうか。
文楽に限って言うとほかにもいろいろ気になることがあります。まず、上演演目です。ギリギリ許される範囲として3部制で時間を短くして上演していますが、これではどうしても演目が限られてくると思います。たとえば来月(2022年4月)の本公演は第一部が『義経千本桜』(伏見稲荷、道行、河連館)、第二部が『摂州合邦辻』(万代池、合邦住家)、第三部が『嬢景清八嶋日記』(花菱屋、日向島)『契情倭荘子』(蝶の道行)です。それぞれ2時間半くらいの上演時間を目安に番組を作っているのではないでしょうか。その場合、どうしてもお客さんを呼びたいでしょうから名作をプログラムに入れようとします。そうなると、珍しい演目が入る余地がなくなってしまうと思うのです。4時間の上演なら、これらの名作に加えて1時間から1時間半くらいなら久しぶりの演目、あるいは地味な演目を入れても時間内に収まるでしょう。でも2時間半だったら名作だけで終わってしまいます。端場を、文字どおり「端折って」しまうのも危険だと思います。
二部制でも三部制でも一日の総上演時間はあまり変わらないかもしれません。しかし端場が減って、演者さんに役が当てにくいという問題もあるかもしれません。重鎮に大きな場を当てるのは当然として、それ以下の人が経験する場が減ってしまわないか、という不安です。掛け合いもいいですが、それでは身につかないものもありそうです。人形も主遣いをしなければわからないことがあると思います。
また、
通し上演
がしにくいのも困りものです。いつぞや『仮名手本忠臣蔵』を一年間で全部上演するという企画がありましたが、「刃傷」「切腹」「腹切」「一力」「山科」という山場がたくさんある、どこをとってもおもしろい『忠臣蔵』なればこそできることでしょう。それでもあんなに時間をおいて上演したのでは「通し」の名が廃ります。やはり一日で腰が痛くなるくらい座席に座って観るのが本来の通しだと思います。
こういうことができにくくなっている「ツケ」がいつか回ってきそうな不安はないでしょうか。
私は以前から思っているのですが、公演期間中に裏番組として小ホールで何か企画できないものでしょうか。たとえば、四月公演の第一部のように『千本桜』(「伏見稲荷」「道行」「河連」)を上演している場合、それが終わった後にでも小ホールで「椎の木」「すしや」あたりを、あまり役のつかない人による素浄瑠璃で語ってもらうとか、その中で「お里のクドキ」「権太の引っ込み」などは人形も入れる(大道具なしでかまわない)とか。『千本』の観劇を終えた人がふらっと立ち寄れる時間帯にワンコインくらいで。「そういう例はありません」と一蹴されそうですが、シミュレーションくらいしてもいいんじゃないかな、と思っています。
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- [2022/04/04 00:00]
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番付の「切」の字
四月文楽公演はまた三部制です。
第二部の『摂州合邦辻』、第三部の『嬢景清八嶋日記』はおおむねいつもの形で上演されますが、何よりも第一部の『義経千本桜』が中途半端で、消化不良になってしまいます。それでもこのご時世ですから上演していただけるだけでもありがたいと思わないではいられません。
このたびの人形の配役では、簔二郎さんが静御前で狐忠信の勘十郎さんと火花を散らすのが楽しみではないでしょうか。簔助師匠引退のあと、簔二郎さんの役割はさらに大きくなったと思います。そのほかは、和生さんの玉手、玉男さんの景清、玉也さんの合邦などは順当なところですね。ところが、若手の多くはダブルキャストになってしまいますし、糸滝(清十郎さん)や義経(勘彌さん)はもう少し下の人でもいいかな、と思いますし、玉助さんの助国、一輔さんの小巻もいささか物足りなさを感じます。床でも中堅以下にあまりいい場が付かず、やむを得ないとはいえ、三部制の影響はボディブローとして将来に悪影響を及ぼさないか、と案じられなくもありません。
一方、番付を見て何よりうれしいのは
切
の字が増えたことです。呂太夫さんが「合邦」、千歳太夫さんが「日向島」でのお披露目です。まだ六十代前半の千歳さんは名実ともにこれからの文楽を支えていく人として名乗りを上げた感じです。今回は、咲太夫さんの「河連館」とともに三人の「切語り」が揃います。残念なのは錣太夫さんで、「道行初音旅」に出られますので「切」の字はつきません。三部制で時間が取れず、切場が三つしか出せないというのがネックになってしまいました。制作の方もどうしようもなかったのでしょう。
従来の上演形式なら、第一部と第二部でふたりずつ登場する形がとれるのですが。たとえば『忠臣蔵』が通せたら「刃傷」「切腹」「腹切」「山科」で四人ですし、ミドリでも四人のそろい踏みはできるでしょう。
異論を承知で申しますと、今回に限っては咲太夫さんに道行に回ってもらって、
錣さんの「河連館」
というのもありだったのではないかと思います。異論、つまり咲太夫さんを差し置いて、と言われるのももっともですし、そもそも咲さんの「河連館」はお得意の演目ですからこれはやはり咲さんで聴きたいとお思いの方も多いはずです。それでも錣さんのせっかくの「切場語り」昇進を番付の上で確認できないのはどうにも寂しく感じられてならないのです。
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- [2022/04/03 00:00]
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2022年文楽四月公演初日
本日、文楽四月公演が始まります。
2月の東京が半分になってしまいましたが、今回はそんなことになりませんように。東京ではかなりの技芸員さんが感染されたようですが、わりあいに軽く済んだのでしょうか。ウイルスの性格なのか、やはりワクチンが重症化を防いでいるのか。今後もまだどうなるかわかりませんが、つつがなく公演が進みますように。
この公演の番組は
第一部 義経千本桜(伏見稲荷、道行、河連館)
第二部 摂州合邦辻(万代池、合邦住家)
第三部 嬢景清八嶋日記(花菱屋、日向島)
契情倭荘子(蝶の道行)
です。
4月と言えばやはり桜の出てくる公演がふさわしいのですが、今回はその中でももっとも有名な『義経千本桜』が出ます。といっても、忠信関係の段のみの上演です。本来の通し上演はいつになったらできるのでしょうか。二段目から四段目に行くのはわかりやすいようではありますが、実際はおかしな上演のしかただと思います。何らかの理由で長い旅をしなければならなくなった男女がいったん姿を消して、三段目で
悲劇の頂点
が描かれた後、道行となって、ふたたび姿を見せます。ああ、この人たちは今起こった悲劇の間もずっと旅をしていたのだ、と思わせるところがいいのだと思います。この上ない悲劇があってお客さんも疲れたところで、一面の桜と美しい男女の幻想的な舞。うまくできていると思います。
桜の演目というと「金閣寺」「清水寺花見」などもありますが、これらもまた上演してほしいものです。
2年前に、「ウイルスは半年や1年で消えてしまうというものではない」と専門家の人が言っていたのですが、私は「そんなことはないだろう」と高を括っていました。しかし今なお鎮静化の様子はありません。まだ何年もこういうことが続くのかと想像するといささかうんざりですが、そういうこともありうるのだと思って演者のみなさんはじめ、裏方さんもどうかお気をつけて。
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- [2022/04/02 00:00]
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影の薄い皇族
ずいぶん前の話ですが、2月23日は天皇誕生日でした。今上は62歳になったのだとか。「なるちゃん」と言われていたあの人も高齢者に近づいてきました。しかし今は「一般参賀」ができませんので、国民が祝っているという雰囲気がなく、国民代表のつもりと思われる「三権の長」とやらいうおじいさんたちが祝っているニュースと記者会見の様子などが流れるくらいです。あんな人たちの祝詞なんて嬉しいでしょうかね(笑)。
今上は、その記者会見で「寛容な社会を」ということをずいぶん言っていたようです。ほんとうにそうだと思います。なんでもかんでも「許さない」世の中はあまりにぎくしゃくしています。おそらくここ数年の眞子さんのことが念頭にあるのでしょう。ネット上で匿名による誹謗中傷を繰り返すのは、ほかに手段がないのでしょうけれども、やはり情けないと思います。私も以前、仕事場に匿名の電話がかかって、およそ根拠のないことで
中傷された
ことがあります(いまだに電話の主はどういう人物なのかわかりません)が、ああいう人は今の世の中から生まれるべくして生まれたのだろうと感じます。
それはともかく、2019年に今上が即位して、同年の秋にかろうじて即位の儀式はできたものの、その直後に中国でウイルスが確認されてあっという間に世界中に蔓延し、今上もそれ以後はあまり表だって我々の前に姿を見せることがないように思います。全国を回るのは天皇の仕事として重要ですが、それができないのが、今上の姿が見えない大きな理由でしょう。また新年の一般参賀も、誕生日の参賀もなく、何かの催しに参加するとしてもオンラインで、現場には行かないのがあたりまえになりました。今上自身、国民が旅行を控えているときに自分が出かけるわけにはいかない、という思いがあるようです。確かにあの人が動くと個人旅行と言わけにはいかないですからね。私もあまり動いていませんが、今上も
引きこもっている
状態ではないかと気の毒になります。愛子さんも東京の大学ですからなかなか対面授業ができず、ずいぶんオンラインで我慢しているように伝わります。入学以来ずっとですからかわいそうです。
他の皇族になるとさらに注目度は低く、秋篠宮家についても眞子さんの結婚が一段落して国民の関心も一気に薄れたかもしれません。他の皇族たちはもっと動向がわからず、かろうじて「○子女王がウイルスに感染した」というニュースがあったのが目を引いたくらいでしょうか。
私は、こういう時期にこそ今後の皇室の在り方についての議論を深めておけばいいのではないかと思います。ある新聞社の調査では、女性天皇を認める人は7割もいるとのことです。女系天皇についても半数くらいの人はかまわないと思っているそうで、今や主権者たる国民の意識はずいぶん変わってきているようです。単に「有識者」と言われるほんの数人の意見だけでなく、もっと多くの人の意見を聞いて国民に知らせ、ほんとうに女性天皇、女系天皇は認められるべきなのかどうかを国民の多くが考えてほしいものです。ちなみに、私個人は女性天皇も女系天皇も問題ないと思っています。
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- [2022/04/01 00:00]
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