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親株の先に子株ができて♪ 

今年収穫した2株のイチゴのうち、ひとつはとても大きく葉を広げて実もたくさんつきました。もうひとつのほうもそれなりに実はできたのですが、やや小ぶりでした。やはりイチゴにも強いイチゴとそれほどでもないのがいるようです。大きい方の株(A株)は収穫を終えたあと次々にランナーを出しました。もうひとつの株(B株)はなかなかランナーが出ず、かなり遅れて出てきたのです。B株が遅かったのか、A株が早すぎたのか、判断に苦しむところですが。
できればそれぞれの株からいくつか来年の株を作りたいと思っていますので、両方からいくつかのランナーを選んで育てています。
まずA株ですが、5月の終わりには収穫が終わって、それと同時にランナーが出始めました。ホームセンターに入って、3号の苗ポットを手に入れて、教科書通りに土を入れ、最初に出たランナーを植えました、いや、土の上にそっと置きました。ランナーの先にできている

    クラウン

が土の表に出るようにしなければなりません。そのためにU字ピンなどでランナーを押さえて、クラウンと土が接するようにしてやるといいのです。しばらくはなおもランナーが伸びようとしてポットの真ん中に子株ができるようにしたいのに、ずれてしまいます。それで少しポットの位置をずらしたりするのです。そして子株から根が出て、さらに葉が出てくるともう一人前にすら見えます。そしてさらにそこからランナーが出てきますので、その子、つまり元のA株から言うなら孫株に当たるものができました。これもしばらくは伸ばしておいて、先に子株と同じようなクラウンの子どものようなものができると、さらに別のポットに植えてやります。親株の先に子株ができて、子株の先に孫株ができて・・と鼻歌のひとつも歌いたくなります。そして6月の半ばごろにはこの孫株も根付いたのです。これをしっかり育てて、

    来年の植え付け用

にします。
ほかにも7~8本ランナーが出ていますので、その中からいくつか選んでまた子株、さらに孫株を作っています。
一方、B株なのですが、収穫のあと、しばらく待ってもランナーが伸びてきません。やはりこちらはダメかもしれない、とあきらめかけたのですが、6月になってやっとそれらしいものが見えてきました。そして中旬には目を瞠るような勢いでいくつも伸びてきましたので、こちらも子株を作るべく3号ポットにそっと置いて、ピンでとめてやりました。
A株に比べると10日くらい遅い感じです。できればA、B両方の株の孫を作ってそれを来年用にしたいと思っています。

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山川登美子(2) 

1901年に結婚した登美子でしたが、もし、登美子の夫駐七郎が健康を維持し続けていたら、優秀だった駐七郎の妻として、彼女の人生は平穏あるいは平凡なものに終わっていたかもしれません。ところが、夫は結核に罹り、あっけなく死別します。これが彼女の人生をまた変えることになります。
彼女の結婚は当初必ずしも望むものではなかったようですが、この人らしく一生懸命尽くしたのでしょう、次第に愛情も芽生えて、夫が亡くなった時はさすがに哀しみにあふれたようです。

  帰り来む御魂(みたま)と聞かば
   凍る夜の千夜も
    御墓の石抱(いだ)かまし

この墓石にあなたの魂が返ってくると聞いたなら、凍てつくような夜であっても、千夜でもこの墓石を抱くことでしょう、というのです。
もともと梅花女学校で英語を学んでいた登美子は、1904年に日本女子大学でさらにその道の勉強をすることにしました。ゆくゆくは教師として生きることで自分の人生を切り開こうとしたようです。
そして1905年、与謝野晶子、増田雅子(のち、詩人で慶應義塾大や日本女子大で教授を務めた茅野蕭々と結婚して茅野雅子となる)とともに合同歌集『恋衣』を刊行したのです。この歌集の巻頭歌が前掲の「髪ながき少女と生まれ」です。
ところがこの『恋衣』には晶子の「君死にたまふことなかれ」も掲載されていたのです。この詩はすでに前年の『明星』に発表されており、そのときはかなり物議をかもしたものでした。それをまたこの歌集に掲載したことは火に油を注ぐようなことになって登美子は日本女子大学を休学せざるを得なくなったのです。

  をみな(女)にてまたも来む世ぞ
   生まれまし
    花もなつかし月もなつかし
  しらたまの珠数屋町とはいづかたぞ
   中京越えて人に問はまし
  くれなゐの蝶のにほひになほも似る
   ありて年経るわが恋ごろも

彼女はその後、病に苦しめられ、故郷の小浜で養生するものの、そのかいなく29年9か月という短い人生を終えました。

  わが死なむ日にもかく降れ京の山
   白雪高し黒谷の塔
  わか棺まもる人なく行く野辺の
   寂しさ見えつ霞たなびく
  父君に召されていなむ
   とこしへの春あたたかき蓬莱の島

近代の歌人としては与謝野晶子がやはり代表的な人だと思います。しかし私は以前から登美子贔屓なのです。

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山川登美子(1) 

昨日、思いがけず山川登美子のことに触れて、この歌人のことを思い出してしまいました。
与謝野晶子(1878年生まれ)より一歳年少で、福井県の竹原村、現在の小浜市の出身です。今も梅花女子大学、女子高校、女子中学としてなかなかいい教育をしている学校が大阪府茨木市や豊中市にありますが、登美子はここの前身である梅花女学校に通いました。与謝野鉄幹は彼女を評価して、雑誌『明星』で活躍の場を与えられました。

  去年(こぞ)の春蝶を埋めし桃の根に
   すみれ萌えいでて花咲きにけり

しかし彼女の前にはいつも輝くような歌を詠む、鳳晶(のちの与謝野晶子)という人がいて、鉄幹はこの人も高く買っていたのです。『明星』の仲間にはほかにも登美子よりひとつ年下の増田雅子(のち茅野雅子)という才媛がいました。
鉄幹にあこがれながら、同じ思いを抱く晶子という自分より優れた人がいる。

  声あげて呼ぶにまどひぬ
   星の世に
    小百合白萩持つ神はひとつ

『明星』では、晶子は白萩、雅子は白梅、そして登美子は白百合と呼ぶ習慣があったらしく、登美子は自分と晶子が神と仰ぐもの(鉄幹)はひとつだと歌います。ひとつしかない、それが悲しい、という気持ちがあるのでしょう。

  髪ながき少女と生まれ
   白百合に額は伏せつつ
    君をこそ思へ
  手作りのいちごよ
   君にふくませむ
    わがさす紅の色に似たれば

これも鉄幹への恋心を詠んだものです。私も、こんな歌を一度くらい詠まれてみたかったものです(笑)。
西暦1900年という年は、登美子にとって人生の転換の年でした。
梅花女学校の研究生として勉学に励みつつ『明星』の社友となった年です。夏には初めて鉄幹や晶子と会い歌会などがあっただけでなく、彼らと一緒に住吉大社に行ったりしています。九月には鉄幹の妻が出産しました。いくら登美子が恋い焦がれても、鉄幹には妻があり、子が生まれ、また晶子という人もいるのです。
私はこのあたりの事情はほとんどわかっていないのですが、登美子は鉄幹に子ができたことで晶子と対等の、しかしどちらも敗者の位置に置かれたもの同士という気持ちになったのではないか、と、思わないでもないのです。いや、これはほんとうに思い付きを書いただけです
十一月にはこの三人で紅葉の美しい京都の永観堂に行き、今はもう跡形もない辻野旅館という宿に泊まりました。美しい紅葉、あこがれの鉄幹、登美子には夢のような一日だったのかもしれません。
しかし、登美子はそれから10日ほど後に、親がかねて勧めていた(というよりは決めつけていた)山川駐七郎(やまかわ とめしちろう。登美子と同じ山川一族の人)と結婚することを決意して晶子に別れを告げました。歌の道からも距離を置くことになったかもしれません。

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giver と takerと matcher(2) 

「自己犠牲型giver」「他者志向型giver」「taker」「matcher」の中で一番うまくいかない人はどのタイプでしょうか。
グラントさんによれば、それは「自己犠牲型giver」なのだそうです。お人好しで、何でも与えればいいと思って「どうぞ、どうぞ」といっているうちににっちもさっちもいかなくなって結局破滅してしまうのだそうです。そして一番うまくいくのは「他者志向型giver」です。「matcher」がそれに次いで、「taker」はやはりあまりうまくいかないのです。
私は、障害の問題もあって、自分なんて価値がないから何ももらえなくてもしかたがない、という考えをする方です。つまり一番成功しないタイプ(笑)。
歌人の

    山川登美子

は、

  それとなく紅き花みなともにゆづり
そむきて泣きて忘れ草摘む

と詠みました。ほんとうは自分だって欲しいのだけれど、その紅い花はそれとなくすべて友に譲って、自分は背を向けて泣いて忘れようとする、というまさに「自己犠牲型giver」の考えのように思います。山川登美子は与謝野鉄幹という憧れの人がいます。しかし彼女には親から言われている山川駐七郎という人物(同じ山川一族の人)との縁談があります。今、目の前には共に歌の道を志し、共に鉄幹に憧れる鳳晶(ほう しやう)がいます。自分はもうあきらめて、鳳晶に鉄幹は譲ろうと思うのです。鳳晶というのはもちろん後に鉄幹と結婚する与謝野晶子のことです。
登美子は結局22歳にして山川駐七郎と結婚するのですが、この夫とは翌年死別してしまいます。登美子は嫁ぎ先から離れて東京の日本女子大学に入学し、新たな人生をスタートさせようとするのですが、3年間在学したのち、病気のために29歳で亡くなっています。晶子も経済的困窮や子どもの夭逝などさまざまな苦難に遭いはしますが、念願通り鉄幹と結婚して歌人として不朽の名を挙げ、多くの子に恵まれます。太陽のような晶子に対して、登美子の人生を見ると何だか切なくなります。
私ももう「自己犠牲型giver」の考えは捨てて、何とか「他者志向型giver」への道を開きたいと思っています(今さら無理でしょうが)。
実は私の周辺にとんでもない「taker」がいます。自分がものを取るためなら

    うそをついてもかまわない

と思っているのです。いや、本人はうそをついていることに気づいていないのかもしれません。それほどあたりまえのように、ウソが出てくるのです。それも誰が聞いてもウソと分かるようなウソなのです。一体こういう人の神経はどうなっているのだろうと思うくらいです。
きちんと議論すれば勝てる自信はもちろんあるのですが、なにしろ議論の入り口に立つことすらできないような人です。ウソをいう、自分に都合の悪いことは黙る、話を拒否する、悪態をついてこちらを罵倒する。「taker」の中でも最悪の部類に入るでしょう。かつての平和ラッパ・日佐丸さんなら「こんなアホつれてやってまんねん」「気ィ遣いまっせェ」といえば済んだのでしょうが、何しろ実害がありますので困るのです。
グラントさんによれば、こういう「taker」に対抗するためには、「自己犠牲型giver」でいるなんてとんでもないことで「他者志向型giver」でもよくなくて、「matcher」になるべきだそうです。しかし私は、それでは生易し過ぎるのではないかとすら感じます。いっそのことこちらも大ウソつきの「taker」になってやろうかしらと思うくらいです。しかしそうもいかないしなぁ、と悩みは尽きません。

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giver と takerと matcher(1) 

私は、啓発本とか、ノウハウ本などは読まないのです。「こうすればこうなる」というような図式を信用しないからです。サクセスストーリーも、その人の伝記としてならまだわかるのですが、自分もそうなれるなどという思いで読む気にはなれません。息子をすべて東大に入れたお母さんの本、とかいうのを広告で見たような気がするのですが、それを読んでどうするのか、とすら思います。書いていらっしゃる方には何の恨みもありませんが。
もう8年前に出た本なのですが、アダム・グラントという心理学者の書いた『GIVE & TAKE 「与える人」こそ成功する時代』(三笠書房)という本があります。これは啓発書でもなさそうで、では学術書なのかというとそこまでガチガチの論文集というものでもないようです。宣言文句ではビジネス書に近いような紹介の仕方でした。
人の性格というか、他人との接し方において、三つに分類することができるというのです。その三つとは「giver」と「taker」と「matcher」です。
グラントさんによれば、「giver」とは「惜しみなく与える人」、「taker」は「自分の利益を第一に考える人」、「matcher」は「損得のバランスを重視する人」なのだそうです。ということは、

    「情けは人の為ならず」

ということわざの解説書かなと思ったのですが、ちょっと気になるものですから覗いてみました。
だいたいどれくらいの割合なのかというと、「giver」はおおむね4人に1人くらい、「taker」は5人に1人くらい、「matcher」は一番多くて55%くらいだそうです。つまり、世の中の人の半分以上は「matcher」で、「もらったら与える」「与えたらもらわねばならない」「もらえないなら与えない」という思考をするわけです。まさに「GIVE % TAKE」、一番普通の考え方なのでしょうね。
「giver」には「自己犠牲型」と他者志向型」の二通りあるとされ、前者は自分なんてどうでもいいと考えるタイプ、後者は与えるけれどもらえるものはもらうというタイプだろうと思います。
私なりに解釈してみます。

    饅頭が3つ

あったとして、それを2人で分けます。「自己犠牲型giver」は「いいよ、私は別に食べたくないから」といって相手に全部与えようとするタイプ。「他者志向的giver」は「たくさん食べたい? じゃあ二つ食べていいよ。私はひとつもらうから」というタイプ。「taker」はどんな方法を使ってでも最低2つ、あわよくば3つ全部取ろうとするタイプ。「matcher」は最初から1つずつ取って残ったひとつは半分に切って分けようとするタイプ。
違うかなぁ?

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女性の力 

人間はいつも同じ気持ちで生きているわけではなく、価値観も次第に変わってくることがあります。私なんて、高校生までは見向きもしなかった絵がほんとうにすてきだなと思うようになりましたが、これなど価値観の転換以外のなにものでもありません。ほかにも、食べられなかったものがおいしいと思えるようになったり、能なんてお年寄りの見るものだと言っていた人が若いうちにのめりこんだりすることもあります。
文楽ファンでもそういう人をしばしば見かけました。ある人は海外旅行馬鹿理にお金を使っていたのに、ある日もらった文楽のチケットで何となく行ってみたらおもしろくてやみつきになったとおっしゃっていました。
以前書いたかもしれませんが、人間は中年期になると価値観が変わることがある、という説があります。
ニューガルテン(読み方はあやふやです)という心理学者の方が半世紀以上前に調べられたものなのですが、こんな絵があります。

               ニューガルテン

「高齢の男性」「高齢の女性」「若年の男性」「若年の女性」の4人が議論している絵ですね。そして、この4人の中でどの人の発言力が一番大きいと思いますか、と直感で答えてもらうテストなのです。若い人は「高齢の男性」と答える人が多く、それが高齢になると「高齢の女性」と答える傾向にあるのです。私は、生涯学習にからめて学生にその話をするに際して、実際に答えてもらうと、たしかに「高齢の男性」と答える人が

    6割前後

いるのです。何年も続けて答えてもらいましたが、判で捺したようにそういう傾向が出ました。
ここまでは、これまでに書いたことがあるかもしれないのですが、もしそうだったとしてもあえてそれを繰り返したのには訳があります。
私のおこなったもっとも新しい意識調査ではおもしろい結果が出たのです。これ以前に調べたものであれば一番多い答えは「高齢の男性」(平均で約54%)でこれに続くのは「高齢の女性」(23%)、そのあと「若年の男性」(13%)「若年の女性」(10%)という結果で、ほとんどの場合、若年の女性は最下位だったのです。ところが、最新の調査では一番多い答えはやはり「高齢の男性」なのですが、それ以下の評価が変わったのです。第2位に入ったのが、圧倒的に

    「若年の女性」

だったのです。サンプル数が少ないうえ、すべて回答者は女性ですのでデータとしての価値はあまりありませんが、それでも意外な結果でした。第3位は「高齢の女性」で「若年の男性」は最下位に沈んでしまいました。
これは、若い女性たちが「自分たちは弱い人間ではない」ということに気付き始めた結果ではないかと想像しています。今、世界で発信力のある人として若い女性たちの名前がかなり挙がります。マララ・ユスフザイさん、グレタ・トゥンベリさん、ナーディーア・ムラドさん、周庭さん、アーダーンさん(ニュージーランド首相)・・。
そういえば最近、サハラ・カリミ監督の『明日になれば  アフガニスタン、女たちの決断』が上映されました。
もちろん、若い男の子たちも頑張っていると思います。しかし、次の時代、世の中の中心にいるのが女性たちであるような予感すら覚えますし、それが新たな時代を切り開いてくれるかもしれない、という希望すら持てそうな気がします。
そう思ってこの絵にある若い女性の姿を見ていると、何だかほんとうにしっかりしたことを言いそうに見えてきました。

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必需品 

以前書いたかもしれませんが、「絆創膏(ばんそうこう)」は全国各地でさまざまな呼び方があります。私がなじんできた言い方は「バンドエイド」なのですが、「キズバン」「カットバン」「リバテープ」などさまざまです。製造会社の使っている商品名が浸透するので、ある地域でのシェアが圧倒的な場合はその商品名が普通名詞のように使われます。以前、熊本出身の人があたりまえのように「リバテープ、ある?」と聞いてきて、私は一瞬意味がわからなかったことがあります。けがをしたから、というのですぐに理解して、その人に「ああ、バンドエイドね」というと今度は向こうがきょとんとします。「リバテープって、全国共通じゃないの?」という感覚のようです。こちらだって同じことで、バンドエイドが共通だと思っているのが間違いです。
先日、歩いていた時に、前から車が来たので避けようと思って道の脇にあったちょっとした柵に手を掛けたのです。すると、とがってはいませんでしたが、金属が針金状にむき出しになっているところがあって、私はそこに指をひっかけてしまい、痛い目に遭ってしまいました。
以前よく使われた言葉に

    女子力

というのがあります。今はもう死語だろうと思っていたのですが、学生さんはけっこう使うことがあるそうです。「じゃあ、どんな人が女子力があるの?」と聞くと、「料理がうまい」「いつもメイクしてる」「けがをした時にさっとバッグから絆創膏を出してくれる」などと言っていました。二つのことに驚きました。今でも「絆創膏」というんだ、というのがそのひとつ。もうひとつは絆創膏を持っていることが「女子力」になることでした。
私は、時々けがをします。とにかく注意力がないので、しばしばけがをすることがあるのです。それで、家の勉強室にも必ず絆創膏を置いています。ちなみに、 私がつかっているのは「ニチバン」の

    ケアリーヴ

という製品です。別にこれが一番いいから、というわけではなく、近くのドラッグストアに置いてあるから、というだけの理由ですが。
ただ、あいにく女子力がないために、先日けがをしたときには慌てて家に帰ったのです。家から差ほど離れていなかったのが不幸中の幸いだったのですが、今後は私も女子力を発揮してかばんには入れておこうかな、と思っています。

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肘が痛い 

実はこの春、ずっと肘の調子が悪かったのです。少し離れたところにあるものを、手を伸ばして持ちあげようとすると、ビビッと痛みが走りました。たとえば少し分厚い辞書を取ろうとしたときなどです。
図書館に行って大きな歴史辞典などを持ち上げようとするとうまくできず、両手でかかえてやっと用をすませることがほとんどでした。
最初のうちは打ち身だろうかと思っていました。ところが、どうも何か違うような感じがしてきてこれはもう整形外科のお世話にならないとどうしようもないのかもしれないと思ったのです。
変化球を投げ過ぎたのかな(そんなわけはありませんが)、と思うような、経験したことの内容な感覚で、もし整形外科に行ったら

    「トミー・ジョン手術

が必要です」と言われそうで(笑)、二の足を踏んでいました。
 ※トミー・ジョン手術は側副靭帯
  再建手術でジョーブ博士が考案
  したもの。メジャーリーガーの
  トミー・ジョンが受けたことか
  らそう呼ばれています。大谷選
  手も受けました。
実際は、整形外科なんかに行ったら「レントゲンだ」とか言われて「高そうだな」(笑)と思ったのです。
しばらくはあまり気にしていなかったのですが、どうもよくなる気配がありません。やはりこれは何かおかしい、と思って、しかたなく整形外科に行ってみようかと思いました。
ところが、そのまままた日が過ぎていって、あるときふと辞書を持ち上げたところ、

    何の抵抗もなく

持ち上がりました。そのときは気付かなかったのですが、あとになって「あれ? さっき持ち上げたよね」と思って、ためしに別のものを持ちあげたのです。するとほとんど痛みがなくてひょっとしたら自然治癒したのだろうか、と思ったのです。もうしばらく放置して、それでも何でもなければもういいだろうと思ったところ、まったく痛みがなくなっていました。
結果オーライで、とりあえず今回はなんともなかったようですが、放置していたのはあまりいいことではないとは思いました。これから徐々に体のあちこちが痛んだりするだろうと思われますので、そのときは整形外科にお世話になる方がいいだろうなと思っています。

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予習は終わった 

5月から、架蔵の遊楽筆『伊賀越道中双六』の床本をご一緒に読みませんか、というSNSのグループを始めてみました。24人の方が参加してくださったのですが、そうはいってもみなさんがお付き合いくださったとは思えず、実際に読んでくださっているのはせいぜい5~6人の方だろう(笑)と思っています。もちろんそれでも十分ありがたいことで、こんなことででも人さまとつながっているという気分を味わえるのは精神生活上とても有意義なのです。
「平作内」の「お米は始終物思ひ」から始めたのですが、参加してくださっている方より私自身がおもしろくなってしまって、いい勉強をさせていただきました。
文楽の某太夫さんはかなりのワグネリアン(ワグナー信奉者)でいらっしゃるそうですが、文楽はワグナーの楽劇に通じるものもあるのだろうと思います。私はオペラ、楽劇というと、どちらかというと軽めの方が好きで、

    『フィガロの結婚』

や『コジ・ファン・トゥッテ』など喜劇的な要素の濃いものは特に楽しくて大好きです。ウィーンの喜歌劇もいいのですが、モーツアルト好きはもう肌に合うとしかいいようのないものです。
ところが、『伊賀越道中双六』を細かく読んでいるうちに、なんとなくブラームスの交響曲(特に第1番)を連想するようになったのです。組み立てとか音の厚みとか、終曲の壮大さとか。何の根拠もない主観的なことに過ぎないのですが、浄瑠璃作者としての半二の大きさを思い知らされたような気がしました。
私は「沼津」の語りを完全に記憶しているわけではありませんからかなりいい加減なのですが、「千本松原」の終盤あたりはつい語りながら読んでしまいました。すると、何とも言えない昂揚感があって、恥ずかしい話ですが、

    涙があふれそう

になるのです。その気分が、ちょうどブラームスの1番交響曲のフィナーレとかぶってきたのだと思います。晩年のカール・ベームが来日して振ったこの曲を私はFM放送で聴いてどんなにしびれたことかわかりません。今でもまざまざと脳裏に浮かんできます。
半二には、ただ本文を読むだけだったのに、それに似たすばらしい体験をさせてもらいました。私がSNSにアップするものの予習は6月初めに終わりましたが、この経験を糧にしてまた創作浄瑠璃を書きたいと思うようになりました。もちろん、半二のような壮大なものはとても書けませんし、その需要もありません。しかしたとえ短いものであっても、浄瑠璃への情熱を高めてくれるだけのものがこの作品にはあったと思います。

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2022年の朝顔 

今年はどうしようかと思いつつ、やはり山のように種があるので、朝顔を播種してみました。
SNSでは、みなさんゴールデンウィークのころに蒔くとおっしゃっていましたが、私はスペースの都合もありますし、ネット上の栽培教科書(『サカタのタネ』のHPなど)では五月下旬ころでよいと書かれていましたので、安心して5月20日過ぎに蒔いてみました。
芽が出なかったら諦めてもいいかなとすら思っていたのですが、やはりきっちり出てきます(笑)。朝顔はタネがとても硬い皮で覆われているので発芽率は必ずしも良くはないと聞いていたのですが、まったくそんなことはありません。種まきポットに少し蒔いたら全部発芽して、ともかくもプランターに移しました。諦めてもいいと思ったのには訳があります。今年も夏にまた家を空ける可能性があり、そうなるといくらおもちゃみたいな

    給水くん

とやら(ペットボトルの先に付けるとんがり帽子のような器具。小さな穴が開いていてそこから少しずつ水が出ていく)を設置したところで枯れてしまうのではないか、とかなり不安なのです。2リットルのペットボトルを2、3本使えばそれなりに日持ちもするでしょうが、枯らせてしまうくらいなら蒔かない方がいいかもしれないと思ったのです。もちろん、植物の生命力がたくましいことはわかっていますが、さてどうなることやら。何しろ場所がありませんので、3株だけ植えています。自然交配しているだけなので、種がだんだん弱くなる可能性があるらしく、今年は花をつけたら二種類の花の種を

    人工授粉

してみようかなと思っています
朝顔のためのネットは一年間張ったままです。というのも、春の間はイチゴの実を鳥から守るように用いたからです。
今年は土を花専用の培養土にしましたので、うまく育ってくれるのではないかと思っています。
朝顔はともかく旺盛な力で伸びていきますので楽しみです。ぜひ大きな葉をつけて少しでも陽ざしを緩めてほしいと思っています。もちろんきれいな花を咲かせてくれることにも期待しています

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根付いたイチゴ 

イチゴの収穫を終えて、かなり満足しています。何しろ初体験で、実が生るのかというレベルの心配をしていました。それだけに、何十個も食べられたのは望外の幸せというほかはありません。
スーパーに行くと、パックに入ったイチゴがたくさん並んでいましたが、それはもう大きくてきれいで、さすがにプロの仕事はレベルが違うと思いました。しかし私はプロと同じ仕事をしようと思っているわけではなく、観察がてら小さなプランターで育てているわけですから、何も気にすることはありません。早い話が草野球のようなものなのです。
何度か書きましたように、イチゴは子孫を増やすためにランナーを次々に出してきます。だいたい一つの株から10本くらいは出るのです。5月の終わりから私はこのランナーを育て始めました。これも、実際に体験すること、どのように根付いてどのように成長するのかを観察することが目的といってもいいのです。
蔓がどんどん伸びてきて、地面にくっつこうとします。「土はどこだ」と探している意思を感じます。こうして伸びてきた蔓が一定の長さまで来て先端にクラウン(王冠のような姿をしたイチゴの株の基幹となるところ)の初期段階のものが見え始めたと思ったら3号ポットに培養土を入れて、その先端を受けてやるのです。蔓を土の上に置いただけではふらふらしますから、

    U字ピン

などでとめてやります。私は小さなクリップを使いました。こういうクリップは全部もらいものというか、仕事場で会議資料などをとめるものとして書類についてきたものなのです。すぐに捨ててしまう人もいるのですが、私はこういうものを取っておく癖があって、何十個(!)も確保していたのです。こんなの、置いておいても仕方ないよな、と思わないでもなかったのですが、まさかこんなところで役に立つとは思いませんでした。
だいたいポットの中ほどに蔓の先端を置くようにしたのですが、ひとつめのランナーはうまく根付かないうちに切れてしまって失敗しました。ふたつめは慎重に土に触れるようにしてやって毎日様子を見たところ、しばらくすると少しさわっても動かなくなっていました。うまく根付いたのです。ところが、うまく固定できていなかったために、蔓が真ん中からさらに伸びていてポットの端っこに根付いてしまいました。しかし茎も太いものですし、何とか大丈夫だろうと思っています。こうして、三つ目、四つ目と育てているのですが、これがすぐに来年のイチゴの株になるわけではありません。
イチゴに限らず、栽培のしかたを調べるためには、いつもネットの情報を使っています。たとえばNHKの

    「みんなの園芸」

や「サカタのタネ」のホームページなどの「ネット上の教科書」があるのでとても便利です。それらによると、この株からさらに出てくるランナーを育てなければならないのです。まずは根付いたランナーをしっかりしたものに育て、さらに次のランナーが出てくる日を待とうと思っていたら、あっという間に出てきました。前日はまるでそれらしいものは見えなかったのに・・。たくましいものです。
イチゴ栽培記録はまだ続きます。

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池添の視点 

『伊賀越道中双六』「沼津」の後半にチョイ役のように池添孫八が出てきます。池添は和田志津馬の家来で「円覚寺の段」で志津馬を助けて奮戦しました。忠実で腕っぷしも強い好漢です。池添は、「平作内」の段切で突然登場し、瀬川(お米)と一緒に平作のあとを追います。「千本松原」では木蔭にお米と一緒に潜んでいるだけで、当然人形遣いさんもベテランがなさるわけではありません。
私は初めて「沼津」を見たときは、ミドリで、しかもあまり予習せずに観ましたので前後の脈絡がわからず、「平作内」の最後になってちょろっと出てきた池添に対しては「この人、何?」という感じでした。
「千本松原」での池添は
○あとよりうかがふ池添、瀬川かたづ
をのんで聴きゐたる
  ○驚く娘。声に手当てる池添が泣く音
   とどむる轡虫
  ○始終うかがふ池添が小石拾うて白刃
   の金、合はす火影は親子の名残
という三か所でわずかな動きがあるくらいです。
「通し」で見れば「円覚寺」で主人の志津馬を救った忠実な人物がここでまた沢井股五郎の居場所を聞く役割を与えられたのだ、とわかるのですが、初めてミドリで見たときは、「何をしに出てきているのだろう」「この人がいなくてもこの場面は成立するのではないか」と思ったくらいでした。
しかしよく考えると、「沼津」という段は、志津馬の敵討ちという大きな主題から外れた

    脇筋

で、世話の世界なのです。その脇筋を本筋と結びつけるように登場するのが池添です。『義経千本桜』「すしや」でも権太と弥左衛門、お里らで繰り広げられる悲劇のあとに時代も時代、大時代な梶原平三という人物が登場して本筋に引き戻していくようです。
「千本松原」で池添が主に動くのは前述の3つの場面のうちあとの2つです。平作が自害したと知ったお米が声をあげて駆け出そうとしますが、その口を押さえて引き留めるのが池添です。泣き声を上げようとするお米の口に「轡(くつわ)」をはめるようなしぐさなので、「泣く音とどむる轡虫」と言っているわけです。中心になっている人物(ここでは平作と十兵衛)とそれを見守る人物(お米と瀬川)を配置して、情と理、世話と時代を同時に見せているかのようです。妙な思い付きなのですが、同じ半二の『新版歌祭文』「野崎村」の家の中で、久作、久松、お光の三人が話をしていて、家の外にお染がやってきます。お染はしばらく外から中の様子をうかがっているのです。あるいは『奥州安達原』「袖萩祭文」では袖萩とお君が雪の降りしきる家の外にいて家の中の父・傔仗に祭文を語って親不孝を詫びる場面があります。こういう、舞台の中央と端(下手側)でのやりとりを半二はよくもちいたのだ、と感じます。
そして池添がもう一度動くのは段切で、平作が命を終える瞬間に小石を拾って刀に打ち合わせ、

    光を出す

のです。平作と十兵衛はお互いの顔が見たくても真っ暗闇で見えません。そこで池添が火打石のように刀と石で灯り出して二人の顔を浮かび上がらせるのです。この場面、今の舞台では平作たちが舞台中央、池添は下手の隅にいますが、もう少し近い方がよそさそうにも思えます。
そして、「沼津」の最後は
  小石拾うて白刃の金,合はす火影は
  親子の名残。あとに見捨てて別れ行く
です。
世話の悲劇が結末を迎えると、それを見届けた池添が「股五郎の在所」を手土産に時代の世界に戻っていきます。

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2022 文楽若手会 

本日と明日(19日)は「文楽若手会」です。
演目は次のとおり。

絵本太功記 (夕顔棚 、 尼 ヶ 崎)
摂州合邦辻 (合邦住家)
二人禿

「尼崎」は小住・清公から希・友之助。「合邦」は咲寿・燕二郎、芳穂・寛太郎、靖・清𠀋です。
光秀は玉翔、皐月は玉誉、操は簑太郎、初菊は勘次郎、十次郎は玉彦、久吉は勘介。合邦は文哉、玉手は(お辻)は紋吉。
どうぞめいっぱい語り、弾き、遣ってください。

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壊れたスマホ 

長年使っていたスマートフォンがついに壊れました。すでにバッテリーがかなり弱っていてほかの機能でも時々おかしなことが起こるようになっていたので、そろそろ時間の問題かなと思っていたのですが。
私にとってのスマホは、電話機能は一切無縁で、使っている機能の大半はカメラとネットだと思います。最近は歩いていて思いついた短歌を記録するためにメモ機能を頻繁に使うようになりましたが。
FacebookやInstagramへの投稿はスマホで写真を撮ってそのままアップするわけですから、実に便利です。今はほかにも多くの機能をこの小さな機械に入れていますから、これ一台あればいろんなことができるのです。歩数も測れるし、電子決済もLINEもスケジュール表も地図も・・・。
しかし、それだけ便利なものだけに、壊れてしまうと

    かなり不便

になってしまいます。
Facebookはしばしお休みしました。時々使えるパソコンで思いついたように書き込むだけでした。見知らぬ道を散歩する時にも、地図が大いに役立ってくれましたので、ときどき迷いました(笑)。調べたいこともすぐには調べられないので、昭和に戻って紙の資料を探すほかはありませんでした。LINEはパソコンでというわけにはいかないので山のように未読が積み重なりました。そしてしみじみ感じたのは私の友人関係がいかに文字情報のみで成り立っているかということでした。リアルに会って話をするということがありませんので、SNSという小さな画面の中での交流がほとんどすべて。それがなくなってしまうとほんとうに友だちがいないな、と感じてしまいます。
しかし、その一方で心にかなりのゆとりができたのも事実です。3日スマホを持たないでいると妙に時間がたくさんできたような気になるのです。ミヒャエル・エンデの『モモ』のように、

    時間どろぼう

に追い回されていた生活を顧みることができます。心の花が取り戻せるような感じです。
それにしても現代人はいかにスマホに毒されているのかがよくわかったような気がします。
時々家に置き忘れた時など何となく幸せな気分(笑)になったことはありますが、何日も使わないというのは初めての経験です。20世紀はこうやって生活していたんだよな、としみじみ感じます。思い出します。生まれたときから携帯、スマホのある若者が言っていたことを。
「一度スマホのない時代に行ってみたい」

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2022 文楽鑑賞教室千秋楽 

本日、文楽鑑賞教室が千秋楽を迎えます。
未来の文楽ファンは育ったでしょうか。

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ニンニクの結末 

昨秋、少しだけニンニクも植えてみました。ただ、以前も書きましたように、イチゴに気を取られて、植え付けの時期が遅くなってしまったり、土の準備を怠ったりしたため、昨年内にはあまり成長せずに年を越してしまったのです。
それでもそのままにしておいたのですが、どうにも茎が太くなりません。葉はかなり出てきたのですが、貧弱さは否めませんでした。
そこにこの春の不純な気候が追い打ちをかけました。SNSで農家の方の投稿を見ていると、「今年のニンニクはあまりよくない」とお書きの方が目立ちました。タマネギもよくなくて、値段が高騰していますが、ニンニクもどうなることか。スーパーに置いてあるニンニクは、国産のものと中国産など外国のもので極端に値段が違いますが、今年はどうでしょうね。
私の家のニンニクはゴールデンウィークの頃にできるはずの薹がついに立ちませんでした。花茎、いわゆる

    ニンニクの芽

が出てこなかったのです。もう何から何まで全然ダメでした。
そして5月の中旬ごろに大雨になったことがあって、そのときの風で1つが倒れてしまっていました。茎が折れた状態でしたからもうそれ以上は育たないことは間違いありません。やむを得ず「収穫」したのですが、やはりかなり小さく、なんと

    直径3㎝

しかありませんでした。それでも、ニンニクの種球は4つできていて、まあ何とか「収穫」と言えたかもしれません。
残りは3つなのですが、やがてそのうちの1つの葉が枯れてきて倒れそうになっていたのでこれも慌てて採りました。これも直径は4㎝ちょっとでかなり小さいです。
結局、残った2つがいくらかニンニクらしい(笑)姿をしていた、という程度でした。
さて、今秋はどうしたものでしょうか。もしうまくイチゴのランナーが多めに発根したらそれを中心にしてニンニクは諦めようかと思うのですが、そこはなにしろ諦めの悪い人間ですから、ホームセンターでばら売りされているのをまた1個だけ買ってくるかもしれません。
ほんとうはタマネギにチャレンジしたいのですが、玉ねぎは100本単位くらいで苗を売っていますので、私は「そのうちの10本だけちょうだい」といいたいところなので、いつもそれが問題で諦めています。
ニンニク栽培、本年は不調でありました。

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真っ暗闇(2) 

『伊賀越道中双六』「千本松原」の段切は平作と十兵衛の別れの場面です。親子でありながら敵同士の立場にあることを知って、お互いを精一杯思いやりながら死別せざるを得なくなります。平作は敵として十兵衛に殺される形を取り、その代わりに股五郎の行方を漏らしてもらうのです。
武士の義理のために貧しい町人が苦しい最期を遂げねばならない、まことに理不尽な悲しい場面です。どうして庶民は苦しめられなければならないのでしょうか。
十兵衛は平作に言う形を取りながらも、木陰で聴いているお米(瀬川)と池添孫八にも聞こえるような声で

    「股五郎が落ち着く先は九州相良」

と告げてやります。
今のやり方ではこの場面、かなり入れごとがあって、たとえば十兵衛が「親仁様、平三郎でござります」と名乗って「段々の不幸の罪お赦されてくださりませ」と詫びたり、「お念仏をおつしやりませ」と促したりしますが、それは原作にはありません。多くの上演を重ねる過程で工夫されて定着したものです。十兵衛が名乗るのはおかしくないか、死んでいく平作だけにいう心だからかまわないのだ、といろいろ考えたあげくの入れごとでしょう。平作が繰り返し「なまいだ」と唱えるところも、「十念」(十回念仏を唱える)は十兵衛がすることですから、平作は一回だけという解釈もあります。しかしだんだん消えていくような声で「なまいだ」と唱えるところが今では聞かせどころにもなっています。住太夫師の名演はまだまだ記憶に残っていますよね。
この場面も真っ暗闇ですから、平作が十兵衛の刀を抜き取った場面も十兵衛にはよく見えていないのでしょう。今の上演では「あぶないぞや」「気をつけて行かつしやれ」などと十兵衛が言います(原作にはこれもない)がいかにも暗闇でよくわからない、という感じがします。平作が「(十兵衛の)顔が見たい」というのも、腹を切って断末魔で見えないということもあるでしょうが、そもそも暗闇でよく見えないのです。
木蔭で聴いているお米と孫八は、平作たちを見ているのではなく、

    聞き耳を立てているだけ

のはずです。何しろ、実際は平作と十兵衛がどこにいるのかさえ見えていないのですから。十兵衛が「今が親仁様のご臨終」(これも原作にはない)と教えてやるのも声で意思の疎通をするほかはないからでしょう。
この段の最後の場面は意外にも孫八の行為で終わります。すなわち「始終うかがふ池添が小石拾うて白刃の金、合わす火影は親子の名残。あとに見捨てて別れ行く」なのです。池添がそばにある小石を拾って刀の刃に打ち合わせることで発火させて、その光で親子に最後の対面をさせてやるのです。ほんの一瞬、光に浮かんだ平作と十兵衛の顔。しかしそれもはかなく消えて平作の命もあえなくなります。
この場面はぼぉっと親子の顔が明るくなるような照明がなされているはずですが、本来舞台がもっと暗いと効果的でしょう。私は初めて「沼津」を観たとき、発火して火影で二人が顔を見合わせる、というところまで気がつきませんでした。
舞台で闇を表現するのはとても難しいと思います。

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真っ暗闇(1) 

最近は真っ暗闇を体験することがほとんどありません。たいていの場所には街灯があって、足元が見えないということはめったにないでしょう。万一そういう場所があっても、スマホさえ持っていればライト機能がありますから、バッテリーが有効でさえあればかなり明るく道を照らしだしてくれます。
私は田舎に行ったときに、夜、星空を眺めようと思ってふらふらと外に出たことがあります。路地があって、そこを抜ければ広い川原に出られることを知っていましたので、昼間と同じ感覚でその路地に足を踏み入れました。すると見事に真っ暗闇で、最初の何歩かはそれでも進んだのですが、途中で恐ろしくなって引き返したことがあります(以前ここに書いたような気がします)。
真っ暗闇で

    ウシガエル

が鳴いていたりするのは風情もあるのですが、なまじ都会生活をしていると意気地がなくなります。
平安時代などの夜も相当暗かったはずで、夜、内裏の中で歩いていた貴族が何者かに殴られたというできごとがありました。いくら夜でも内裏の中ですよ。ところがよく見えなかったようなのです。『紫式部日記』によると、寛弘五年(1008)の大みそかの夜に内裏で女房が裸にされるという事件が起こったことがあります。その出来事で悲鳴が上がったので紫式部たちが見に行ったのですが、当分の間誰も来ないで、やっと灯台にさし油をする者が来たので安堵したのでした。やはり相当暗かったものと思われます。
江戸時代とて同じようなもので、夜になれば道は真っ暗です。誰かが歩いていると提灯の灯だけがゆらゆら揺れていたことでしょう。
文楽では場面が本来真っ暗闇という場面があります。

    『曾根崎心中』の道行

では、お初と徳兵衛が天満屋のあった堂島新地(蜆川と堂島川にはさまれて島の状態になっていたところ)から梅田橋を超えて蜆川の北側を曽根崎のほうに歩いていきます。おそらく何も見えないような闇だったでしょう。月は出ておらず、空に輝く星が明るいくらいの闇です。しかしだからといって舞台では真っ暗にするわけにはいかないので、かなり明るくなっています。リアルにすればいいわけではなく、あくまで芝居ですから当然のことです。それだけに登場人物の動きも、手探りで何かをすると言うのではなく、相手役の姿もよく見えているような動きです。

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背嚢 

主に小学生が使うランドセルは、明治20年に学習院に入学する際、大正天皇が伊藤博文から贈られて使い始めたのが起こりだという説があります。それ以前から背負い袋はもちろんありましたが、今のような箱型のものはこのときからできたと言われるのです。オランダ語でランセルと呼ばれたので、そこからランドセルという名になったといわれます。今ではおじいちゃんおばあちゃんの名誉にかけて(笑)「いいものを買ってやる」ようになったようです。
私の小学生の時は兄のお古だったのかもしれません(まったく記憶にありません)が、妹がきれいな赤いランドセルを持っていたのはなぜかよく覚えているのです。次男は損です(笑)。ランドセルはいわば日本語で日本独自の文化とも言えるのでしょうね。
昔の小学校にしばしば見られた

    二宮金次郎(尊徳)像

が薪を背負っていますので、似た感じもあって、一生懸命勉強するんだぞという励みにもなりました。
しかし学年が上がるとランドセルは使わなくなり、中学生ともなると最初から通学カバンという学校指定のものがありました。勉強しない連中は教科書などは学校に置きっぱなしで、ぺちゃんこのかばんを持ち歩くのがおしゃれだったみたいです(笑)。
私は、その後はもう背中に背負う形のかばんを使うことはなく今に至っています。ところが最近は学生生徒はもちろんのことサラリーマンも

    リュックサック

を使うようになっています。リュックサックというと、私などは小学校の遠足に持って行くもので、弁当と少しのおやつ、あとはハンカチとかチリ紙(ポケットティッシュなんてなかったはずです)などを入れるだけのものでした。しかし今の通勤用のものはもっと効率よくたくさんのものが入り、強度もよく考えられている、とてもよくできたもののようです。
パソコンがすっぽり入り、勉強(仕事)道具はもちろん入り、外側にはペットボトルや小さな折り畳み傘が入るようになっています。
私は以前からあのリュックサックが欲しいと思っているのです。そこでネットに出ているものを調べてみたのですが、「これがいい」と思ったものは5万円とか3万円とか、さすがに高価なものでした。もっと安い、5千円程度のものもありましたがすぐにダメになってしまわないか、若干心配です。あの3万円くらいのものが手に入る方法はないものかと考えるのですが、あるはずもありません。何かの懸賞で当たらない限り(笑)手には入らないだろうと思っています。

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日傘 

「最後の晩餐」の絵には13人の人物が描かれますが、どの人物がどこにいるでしょうか。素人目にはイエスくらいしかわかりません。しかしちょっと気を付けるとわかるものがあります。イエスの横にいて寄りかかっているように見えるのはヨハネ(レオナルド・ダ・ヴィンチの絵では逆方向に体を枉げていますが)で、これはとても簡単です。それ以外の人もいろいろ研究がなされて、レオナルドの絵はヨハネに耳打ちしているのがペトロ、左端で机に手をついているのがバルトロマイなどと、全員が特定されています。イエスを裏切るユダは銀貨の入った袋を握りしめてのけぞっていますのでこれも容易に判別できます。しかし、レオナルド作品以外の多くの「最後の晩餐」の絵を観ると別の方法でユダを判別することができます。イエスと弟子たちの頭の後ろに「輪」がついていますが、ひとりだけついていないのがユダなのです。この「輪」は神聖さを表しますので、裏切るユダにはついていないのです。レオナルド作品はそういう従来の常識を描かないところもおもしろい点です。
キリスト教に限らず、仏教でもヒンズー教でもイスラム教でもよく似たものが描かれ、やはり神聖な人である証になっています。この「輪」は「光輪」などと言われますが、英語では

    halo(ヘイロウ)

です。
この「halo」は気象の世界でも用いられる術語で、太陽の周りに出現する虹のような輪を意味し、発音としては「ハロ」または「ハロー」と呼ばれます。日本語では「日暈(ひがさ、にちうん)」とも言われます。太陽にこの暈がかかると天気が下り坂である証拠だそうですね。昔の人はいろんなことで天気予報をしていたはずですが、これもそのひとつとして用いられたでしょう。「日暈」は別名「白虹」とも言われました。「白虹日を貫く」といえば古代中国の考え方で兵乱の兆候とされ、これは『源氏物語』「賢木」にも出てくる言葉です。浄瑠璃の『蘆屋道満大内鑑』「大内」では「日」の代わりに皇太子を意味する「月」を用いて「白虹が月を貫く」という現象があったことが発端となります。
話は大きく変わって、暑い日が増えてきました(変わり過ぎ)。梅雨の間は、それでも陽が射すことが多くはないので苦痛はさほど感じないのですが、晴れた日には肌を刺すような暑さを感じることもあります。こんなときに日傘をさしている人を見るとあれはきっとかなり涼しいのだろうな、と羨望の眼差しになります。日陰に入ることを想像すればいいのでしょうから、絶対に涼しいはずです。
でも、何となく日傘というのは

    女性専用

のイメージがあって、男性がさしている姿は以前ならほとんど見かけませんでした。しかし昨今はそんなことを言っていられないような気温の高い日がありますし、ジェンダーフリー時代でもありますから、男だの女だのと言う必要はないのです。実際、暑くなるとけっこう多くの男性が日傘をさすようになってきました。
私はよく歩くものですから、真夏になるとほんとうに我慢できないくらいになります。帽子は使いますが、腕などは覆えません。
そんなわけで、今年は日傘デビューしたいと思っているのですが、なにしろ手許不如意ですので、二の足を踏んでしまいます。ふと思いついたのは誕生日のプレゼントにもらおう、ということでした。しかしよく考えてみると、私の誕生日は晩秋なのでした。

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係り結び 

福井県にある曹洞宗永平寺さんの土産物がなぜか家にあります。とてもかわいい和紙で作った人形の掛物なのです。そこにはこんな歌が書かれています。

  身をけづり人につくさん
   すりこぎのその味知れる人ぞ尊し


擂粉木(すりこぎ)のようにゴリゴリと身を削るように働くことで味わいのあるものを生み出す。そんな「すりこぎ人生」は尊いものだというのでしょう。いかにも禅寺のものらしく、含蓄のある歌でしょう。私も華やかな舞台で脚光を浴びるというよりは黒衣を着けて「すりこぎ人生」を送ってきましたので、共感するところがあります。もっとも私の人生なんて「尊し」と言われるには値しませんが。
・・などと考えているうちに、この歌、なんか変だぞと気がつきました。「人ぞ尊し」って、古典文法に照らせば変ですよね。「人ぞ尊き」が本来の形のはずです。いわゆる

    係り結びの法則

です。「ぞ」という助詞を用いた場合、連体形で結ぶ、というものです。ところがここでは終止形で結ばれているのです。細かいことを言うなら正しくない用法なのですが、係り結びはだんだんその意味が解らなくなっていって使い方もあやふやになりましたからあまりうるさく言うこともないと思います。
江戸時代にもなるとほんとうに怪しいもので、古典学者ならともかく、そうでもない人は「ぞ」「なむ」などは連体形で、「こそ」は已然形で結ぶと厳密に考えていたわけではなさそうです。
浄瑠璃の言葉を読んでみても係り結びの原則を外すものは珍しくありません。
もちろん、「身をもみ嘆くぞ道理なる(新口村)」のように伝統的な書き方をするものも多いのですが、江戸時代には終止形と連体形の区別がなくなっていき、次第に連体形が終止形の役割を持つようになりますから。終止形で終わっても連体形で終わるような意識があったのかもしれません。
「根ざしはかくと知られける」(判官切腹)「声をあげて泣きゐたる」(土佐将監閑居)「神の恵みと知られける」(桜丸切腹)「湯殿をさして入りにける」(尼崎)などは文の終わりですから終止形のはずなのに連体形で結んでいます。連体形で終わると何か言葉があとに続くような印象があり、そのために余韻が響きます。そういう効果を狙っているのでしょう。
中には「その三勝が言の葉をここに写してとどめけれ」(酒屋)のように

    已然形で終わる

ものもあります。已然形は「心地よくこそ見えにけれ」(二つ玉)のように「こそ」の結びで用いられるのが伝統的な用法ですから、「こそ」がないのに已然形で終わるのは、本来は破格なのです。
逆に「こそ」があるのに已然形で結ばないこともしばしばあります。
「伏し沈むこそ道理なり」(酒屋)
「一間へこそは入りにけり」(楠昔噺)
「心地よくこそ見えにけり」(先代萩・御殿)
「慇懃にこそ述べにける」(平太郎住家)
などがそれにあたります。終止形で終わったり連体形で終わったりしていますよね。
現代でも係り結びの法則は残っていて、「好きこそものの上手なれ」(ことわざ)「今こそ別れめ」(「蛍の光」の歌詞)などに見られます。
高校時代、係り結びの法則を習って四苦八苦した覚えがありますが、江戸時代の人もかなりいい加減だったと思うと親近感が湧いたりしませんか(笑)。

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頭巾の形 

私は文楽の人形遣いさんの着ける頭巾をいくつか作りました。作り方は人形遣いさんに教わりました。私のように不器用を絵に描いたような人間でもできるわけですからまったく難しいものではありません。
ロール状になった麻の黒い布を購入して、それを適当な大きさで切ります。「適当な」といっても「いいかげんな」という意味ではありません。かぶった時にきちんとさまになる程度の大きさということです。あとはもう、形を決めてチョイチョイと縫って裏返せば出来上がりです。
学生さんに使ってもらうためにかなり作ったと思います。頭巾を付ける前には人形遣いさんは必ず「面」と呼ばれるものを着けます。
手ぬぐいでもいいのですが、ここはきちんと教わっておなじようなものを作ろうと思ったのです。わざわざホームセンターで

    ヘチマ

を買ってきて、それを平たく切って黒い布で包んでおでこに当てるようにします。そしてクリーニング店でつけてくれる針金ハンガーを細工して顔の前の部分を覆うようにします。このヘチマと針金ハンガーを合体させて「面」の出来上がりです。
手袋は、白か黒を使いますが、ものを持つときに滑らないように親指を出したものを使いました。これは車の運転用の安物の手袋でいいのです。それを買ってきて親指の部分を切り取れば終わりです。
黒衣はさすがに作れません。これは京都のこういうものを作ってくれる店がありますのでお願いしました。いい値段だった(笑)と記憶します。
申すまでもないと思いますが、これらの費用はもちろん私費ではありません。
私が教わった頭巾の形は先のとんがったものでしたが、それに対して頭が平たくなっているものがあり、桐竹一暢さんなどがお使いになっていました。桐竹姓の人がこちらを使うようでした。
先述の人形遣いさんは、この二種類の頭巾のとがった方を「イカ型」平たい方を「ネコ型」と言っていたのですが、これはいろいろ言い方があるようです。あのとがった方は、吉田姓の人がもっぱら使うものですが、もともとあんなにとがっていなくて、もっと丸っこくて両耳が飛び出したような形だったようでこちらが「ネコ」だと言われていたとも伝わります。桐竹流の方は、それに対して

    ズンギリ

と言ったようなのです。どちらにしても俗称であって、これという決まりがあるわけではないでしょう。
「ネコ」「ズンギリ」の俗称は、斎藤清二郎さんの「栄三 文五郎 舞台のおもかげ」という小さな絵(絵葉書として使えそうなもの)に記されています。吉田栄三師は「ネコ」、吉田文五郎師は「ズンギリ」だったそうです。文五郎師は吉田姓ですが、桐竹亀松時代があるからでしょうか。
私がこういうことを知ったのは早稲田大学演劇博物館「近松半二 奇才の浄瑠璃作者」の資料に掲載されていたからです。
こういうちょっとしたこともわかるのがこういう展示のおもしろいところだと思います。

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近松四分の一 

今、江戸時代の浄瑠璃作者のような大作を新たに書いて上演するというのは難しいだろうと思います。なんといってもプロの浄瑠璃作者というのがいません。井上ひさしさんにしても三谷幸喜さんにしても、すぐれた劇作家ではあっても浄瑠璃作者というわけではありません。橋本治さんも短い作品を書いていらっしゃいますが、「長編時代物」というわけにはいかなかったのです。もし橋本さんに依頼していたらお書きになったのでしょうか。
劇場の側からすると、仮に新作を作るとしても子ども向けのものや景事ならともかく、長大な作品を上演することは困難でしょう。当たればいいのですが、ハズレてしまったら目も当てられません。せいぜい30分とか、長くても1時間程度でしょうか。三島由紀夫が

    椿説弓張月

を書きましたが、もし未完に終わらなかったらどの程度のものになったのでしょうか。
私は浄瑠璃作者を歴史的に研究するということは(専門外ですから)していませんが、近松門左衛門以降は、並木千柳(宗輔)、竹田出雲、三好松洛と続いて、やはり近松半二が大きな存在でしょう。現在上演されている作品でスケールの大きさというとこの人が最高ではないでしょうか。『本朝廿四孝』なんて、スケールが大きすぎて、横蔵の話と八重垣姫の話がひとつの作品の中にあるなんて、うっかりすると忘れてしまいそうです。
半二という人は、おそらくかなりの勉強家で、『伊賀越道中双六』などは各地の地理なども何らかの形で勉強してから書いているのではないでしょうか。土地の伝説、能の作品などもうまく取り入れますし、さすがは

    儒学者

の血筋だと思います。
私はいくら浄瑠璃作者を気取ったところで、立派なものが書けるわけでもなく、それは文才だけでなく、彼のような教養や学問がないから、という問題が大きいような気がしてなりません。
私は以前、ペンネームを作ろうと思ったことがあって、そのとき「近松小半二」とか「近松四分の一」(笑)というのを考えたことがあるのですが、やはり恐れ多くてやめました。
早稲田大学の展示とその資料集を送ってくださった方のご厚意によって、改めて近松半二という人の偉大さをかみしめています。

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近松半二 

人形浄瑠璃の作者として、エポック(新時代)を作ったのは近松門左衛門(承応二年~享保九年)だったと言えるでしょう。
その近松が亡くなった翌年の享保十年(1725)に儒学者穂積以貫の子として生を受けた男子がいました。以貫というのは珍しい名前ですが、あるいは『論語』「里仁篇」の「一以貫之」から採られたのかもしれません。この『論語』の一節は平安時代の歌人紀貫之の名前の由来にもなっています。「一以て之を貫く」とは、「ひとつのもので万事を貫く」というほどの意味です。ここでいう「ひとつのもの」は「仁」で、仁を何より重んじてそれを貫くことが重要だという孔子の考えがうかがわれます。以貫は儒学者の家柄だけに、こういう名を付けられたのでしょう。
以貫の息子の名は穂積成章と言いました。これも『論語』「公冶長篇」の「斐然成章」から取ったのかもしれません。「斐然」は文章や衣服が美しいようす、成章」は「あやを成す」。昔の人はキラキラネームではなく(笑)、古典から名前を採ったのです。
さて以貫は学者であると同時に『難波土産』で近松門左衛門の

    「虚実皮膜(きょじつひにく)」

の論を紹介しているように、浄瑠璃界と親しい関係にありました。その縁で成章は浄瑠璃作者を志し、二代目の竹田出雲のもとで修業します。
そして彼は自分の生まれた直前に亡くなったと聞かされた近松門左衛門にあこがれを抱きます。あるいは門左衛門の生まれ変わりという思いがあったかもしれません。そこで成章は浄瑠璃作者としては近松の姓をもらって

    近松半二

と名乗ったのでした。
私がこのところ読んでいる『伊賀越道中双六』はこの半二の絶筆となった作品です。半二にはほかにも『極彩色娘扇』『奥州安達原』『本朝廿四孝』『太平記忠臣講釈』『関取千両幟』『傾城阿波の鳴門』『近江源氏先人館』『妹背山婦女庭訓』『新版歌祭文』などの名作を書いています。当時のやり方として、ほとんどは合作ですが、最初は補助的な役割であっても、次第に立作者になっていきました。
半二は門左衛門の作品の改作も作っており、『往古曽根崎村噂』『心中紙屋治兵衛』などの作品があります。
また、『崇徳院讃岐伝記』『昔男春日野小町』など、今は上演されないものも多くの作品を書いており、ほんとうに旺盛な執筆活動だったと舌を巻きます。
四月二十六日から八月七日まで、東京都新宿区の早稲田大学坪内博士記念演劇博物館では

    近松半二 奇才の浄瑠璃作者

という企画展が行われています。観たいなぁ、と指をくわえているのですが、東京まで行く予算がなく(笑)、あきらめていました。すると、いつもお世話になっている方が、その展示目録というのか、立派な資料集を送ってくださいました。ほんとうにありがとうございました。

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歴史の教科書(3) 

毎日放送のディレクターさんのインタビューの中にこんなことが書かれていました。この方が「君が代口元チェック」問題のときに当時の大阪市長に「一律に歌わせるのはどうか」と聞いた時に、市長と30分くらい言い合いになったそうです。そのときにディレクターさんが受けたふたつのリアクションについてです。
ひとつはネットでの匿名による罵詈雑言、もうひとつは同じ記者会見場にいた記者たちの無気力な態度でした。
ネット民は力のある者の言葉に乗っかって、その権力者と同じような言い方で攻めてきます。親分(権力者)が非常識な物言いをする人であればあるだけ、子分(ネット民)も同じような態度を取ってきます。しかし、

    「弱いものたたき」

に参加する連中が数千人いたとしても、たかが数千件とも言えるわけです。大きな声を出すから多く見えるだけで、たいしたことはありません。それでも、雨後の筍のように出現する連中は我も我もと攻めてきますから、いいかげんそういう虚しい無責任な意見を読むのもくたびれるだろうと思います。このディレクターさんはそれを全部読んだそうですからびっくりです。これが「記者魂」でしょう。
それよりも情けないのは、適当に引っ込んでおけばよかったのに、という態度を取る記者たちです。いったい何のために記者になったのか、権力者の言うことを垂れ流すだけで給料はもらえるからそれでいいのか、という疑問が湧きます。
昨日少し触れましたが、ディレクターさんが監督をなさった『教育と愛国』というのが公開されているそうです。映画といっても役者さんが演ずるものではなく、ドキュメンタリー映画です。私は残念ながら見ることはできませんが、教育の現場に手を突っ込んでくる権力の無知、横暴が描かれているのかな、と想像しています。
政治家や

    金銭の亡者

の思い込みによって教育の現場が狂って来ることは私も目の当たりに体験しましたのでよくわかります。教育で一番大事なのは、目の前にいる子どもたちが自分の生き方を自分で考えるようにすることです。教師ごときが安易に自分の考えを押し付けることではありません。もちろん、自分の生きざまをさらすことも必要です。そしれそれを子どもたちに批判してもらえばいいのです。教科の内容を教えるのは当然ですが、その精神的な背景に教師が何を持っているかが重要になってきます。教えても押し付けない。
おかしな教育が人や国をダメにすることくらい歴史を見れば学べます。もっとも、そういう理屈は「歴史から学ぶ必要はない」と言っている人には通用しないのでしょうけれども。

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2022 文楽鑑賞教室初日 

本日、文楽鑑賞教室が初日を迎えます。
演目は次のとおり。

二人三番叟  
解説 文楽へようこそ
仮名手本忠臣蔵 (二つ玉、身売り、早野勘平腹切)

「二つ玉」では、以前竹本相生太夫さんがなさっていたように、入れごとをする時間はないかな?
高校生中心ですから、あそこで少し笑わせてもいいと思うのですが。
高校生活を少し取り入れたりして。

なお、6月5日(日)は大人のための文楽入門で、
解説 文楽入門
仮名手本忠臣蔵

です。「二人三番叟」はありません。

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歴史の教科書(2) 

朝日新聞と言えば一部の右翼思想の持ち主から「反日新聞」のレッテルを貼られています。私はいまだにこの「反日」という言葉の意味がよくわかりません。たとえばこういう人の考え方なら私も「反日」と思われるのでしょうか。私は朝日新聞が絶対に正しいとは思いません。それと同じように保守派とされる読売も正しいとは思いません。そもそも、新聞に限らず、論文だろうが何だろうが、人が書いたものは敬意を持ちつつ

    批判的に読む

のがあたりまえだと思っているのです。そうすることがすなわち勉強だと考えています。
毎日放送のディレクターさんのインタビューの中で、東京大教授という人の話が出ていました。この人は例の育鵬社の歴史教科書の代表執筆者です。ディレクターさんによると、この人は「(育鵬社の歴史教科書が目指すものは)左翼でないちゃんとした日本人を作ること」「歴史から学ぶ必要はない」と言ったそうです。また、これはやたけたの熊さんから教わったのですが、この人は「日本が戦争で負けたのは弱かったから、ただそれだけ」とも言ったそうです(映画『教育と愛国』より)。歴史の教科書によって「ちゃんとした日本人」を作るというのは単なる夢想だと思いますし、あまりにも歴史教科書の本分から逸脱しているようにも感じます。学問の蓄積によって裏付けられてきたことを基に記述するのが高校の教科書であって、自説を押し付けるのは甚だしい

    偏向

だと思います。ほとんどの歴史教科書には左翼的な内容が書かれていると言ってこの人は批判しているそうですが、だから右翼的なことを書く、というのは理屈としても合わないでしょう。まして、一部の政治家の考える「道徳」なるものに若者を導く役割を歴史教科書に求めるなど、異常に感じます。
先の戦争について「弱いから負けただけ」で片づけてしまうのは理屈にも何にもなっていません。歴史学者がこういうことを言うのは学問の誠実さを放棄するようなものです。
よく、東大教授なんて言うと知性の塊、良識の権化のように思う人があるのですが、そんなことはありません。私は著名大学の教授の中に非常識な人が何人もいるのを見てきました。他人の苦しみに心が及ばない人、自分の考えのみが是であるとして凝り固まって批判を許さない人、自分の子分だけがかわいくてほかの人には不利益があっても平気な人・・。何らかの研究業績を持っている人ということで若くしてポストを得ているのでしょうが、何しろこの業界はいったん得たポストはよほどのことがない限り奪われることはないのです。
こういうキョージュの弟子などが文部科学省の役人になってお師匠様の教科書を検定するとどうなるか。考えたらぞっとします。もっとも、こういう人までを教授にするほど東京大学は懐が深いのだ、とも言えるのかもしれませんが。

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歴史の教科書(1) 

私は高校生の時、歴史の教科書なんてどこの会社のものを使っても同じじゃないかと思っていました。入試問題に出るのは「645年」とか「藤原道長」とか「寛政の改革」などの単語が多いので、文章の細かいところなんてどっちでもいい、というような気持ちがありました。まだ「歴史観」という言葉の意味を明確には知らなかったお粗末な高校生だったのです。これで「将来は歴史を勉強したい」なんてよくも思ったものだ、と今になってあきれ返っています。
大学生になって、歴史の見方というものがさまざまであることは徐々にわかってきました。「○○史観」という言葉にもなじむようになりました。
私の通った大学の日本史の先生は古代の土地制度史、江戸の文化史などの方で、どちらの専門にも私あまり関心を持っていませんでした。今思えば江戸の文化史の先生にもっと近づいておけば、と後悔されてなりません。昭和史の専門家の新進気鋭の先生もいらしたのですが、今ひとつ熱心に話を聞くことがありませんでした。心がかなり文学に傾いていたからだと思います。
昨今、政治家が学問の分野に

    口出しする

ことが多くなりました。学術会議問題も今なお不明瞭なままです。「道徳」の「教科化」ということもありました。
だいたい政治家がこういうことに口をはさむようになると不穏な空気が漂います。
私の知り合いに東京都立高校の教諭だった人がいるのですが、この人は卒業式での君が代斉唱や日の丸掲揚に反対していました。裁判まで行ったのではないかと思うのですが、詳しくは知りません。こういう人は当然ブラックリストに入りますので、定年後の講師としての任用にも不利な扱いをされたようでした。
大阪では卒業式で君が代を歌っているかどうかを口の動きで判断するというような

    滑稽で且つおぞましい

ことがありました。「見張っていたヤツ(教頭?)は君が代を心を込めて歌っていたのかよ」と言いたいくらいです。『伊勢物語』に、浮気するために家を出る男が、妻があまりにも快く送り出してくれるので「妻は別の男と浮気しているのではないか」と思って庭の植え込みの陰に隠れていたという話があります。自分が浮気しているのに、妻を疑って、庭の草木の陰に隠れて見張っているのです。なんとも滑稽な姿ではありませんか。人間は時としてこのようなばかげたことをして平気でいられるのです。
第三者の目から見ると明らかにおかしいことでも、本人はいたって真剣にしているのですね。ずいぶん昔、先代桐竹勘十郎師が「芸というのは唇のそばについた飯粒みたいなもんや」とおっしゃっていました。周りから見たらすぐにわかるほどおかしなことでも、本人は何もわかっていない、というわけです。頑なに誰にも教わろうとせずに自分を通すだけでは周りが見えなくなります。独裁者は大体そういうものだと思います。
こんなことを思ったのは、5月19日の朝日新聞に毎日放送のディレクターさんのインタビュー記事が載ったのを読んだからです。

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ぴかちゅう 

今でも姿を変えて流行は続いているようですが、今から20年以上前に「ポケットモンスター」というゲームが爆発的に売れました。いわゆるロールプレイングゲームで各地を回ってポケモンと呼ばれる不思議な生物を「ゲット」していくものでした。同じポケモンが敵にもなり味方にもなるところがまたおもしろいのではないでしょうか。
その中で一番人気があったのが「ピカチュウ」でした。強烈な電気を発するネズミのような動物で、黄色い肌の色もかわいいというのでぬいぐるみなどもよく売れたようです。
幼稚園児に「大きくなったら何になりたいですか」と質問すると、まじめな顔で「ピカチュウ」と答える子があとを絶たなかったというのはほんとうの話らしいです。
そしてとうとう「DQNネーム」というのか「キラキラネーム」というのか、「個性的」な名前の一つとして

    光宙(ぴかちゅう)

というのがあったとかなかったとか。
今の日本の法律では役所に届けても拒否される理由がないために受理されるのですが、本人が嫌がる日が来るのではないかと余計な心配をしてしまいます。もしどうしても名前が嫌になったら家庭裁判所に行って変更を願うことはできるようです。もちろんどんな名前でも買えられるわけではなくて、それ相応の理由がなければなりません。私が、自分の名前が嫌で「文麿」にしたいといってもだめでしょうね。しかし「ぴかちゅう」なら受け付けてもらえるかもしれません。

ぴ「すみません、家庭裁判所さん。名前替えたいんですけど」
裁「どういうお名前ですか」
ぴ「それが、親が『ぴかちゅう』を名付けたのです」
裁「『ぴかちゅう』! それはいくらなんでもねぇ。わかりました。で、あなたはどういう名前にしたいのですか」
ぴ「はい、私ももう成人です。いくら何でも子どもみたいな『ぴかちゅう』なんて嫌なんです。ぜひ『らいちゅう』にしてください」

・・これは私が考えた小話です(笑)。
ところで、最近こういう名前をどこまで認めるかという議論が始まっているようです。新聞記事を見ただけですが、「光宙(ぴかちゅう)」は認められるだろう、とのことですが、

    「七音(どれみ)」

はダメではないか、と書かれていました。
どちらかというと「どれみちゃん」のほうがあり得るような気もするのですが、法律というのは何とも融通の利かないものだと思います。
海外では、先人、聖人、先祖などにあやかって名前をもらうということが多いようです。Johnというと聖ヨハネから来ていますし、Markは聖マルコでしょう。イギリスの王なんてジョージとかヘンリーとかエリザベスとか、同じ名前が「○世」という形で続いています。翻って日本ではできるだけ珍しい、個性のある名前を付けようとする傾向にあります。それはそれでかまわないと思うのですが、その結果いささか羽目を外し気味になってキラキラネームが生まれたということでしょうか。

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小学生ぶり 

「こんにちわ」と「こんにちは」のどちらが正しいのですか、という質問を学生から受けたことがありました。なかなかよく勉強する学生の言葉でしたので驚きました。しかしこういうときに頭ごなしに「バッカじゃねぇの、『こんにちは』に決まってんだろうが、コンニャロー」なんて言ってはいけないのです(無理に東京弁にすることもありませんが)。教育の目的は叱ることではなく、理解させることです。
こういう場合、いくら正解をいっても学生はまた同じように「あれ、どっちだっけ」と分からなくなるのです。「今日はいいお天気ですね」という「いいお天気ですね」を略したのが「こんにちは」なのです、と具体的に説明すれば、必ずわかってくれます。「『いわれる』と『ゆわれる』はどちらが正しいですか」と聞かれたり、「『原因』をスマホで打とうとして『げいいん』と打ったら出てきませんでした」と不思議がられたこともありました。
私が最終的に教えた学生は理系が多いので、私にとっての常識は通用しないと思っておいた方がいいくらいでした。「文学を勉強して何に使うのですか」と聞かれたこともありました。

    「使う」??

まずその言葉に私は首をかしげてしまいました。どうしても功利的な考え方が先行するために、「使えないものは意味がない」と考えるのだと思います。こんなときも「テヤンデェ、文学なんざ使うってしろもんじゃねぇんだよ」(また東京弁になった!)と言いたいところですが、ここも隠忍自重。「三分間待つのだぞ」と自分に言い聞かせて、「自分が興味あることに関して疑問があった場合、何とかそれを解き明かそうというのが学問の姿勢だと思うのです。だから、『使う』という発想で勉強しているわけではなく、また『使えない』ものは学問ではないというのは大きな間違いです」と話しておきました。
彼女たちの若者言葉にもかなり苦しめられました。「フロリダ」は「風呂に入るのでチャットから離脱する」の意味、「カメレス」は「亀のように返事が遅い」の意味。ただ、若者言葉には、それなりに面白さはあると思っています。
15年くらい前の学生さんが言っていた

    小学生ぶり

というのも不思議な言葉でした。「小学生以来久しぶり」を略したような言い方なのですが、それを誰もが理解している日本語であるかのように使われるので、最初はとまどいました。
同音異義語もいろいろ間違いが起こり、「爪が甘い」という言葉にも出会いました。何だか「爪を噛んでみたらおいしかった」と言っているみたいで、笑いそうになったのですが、本人はいたって真面目にそう書いているので、何とかしてやらねばなりません。
女子大教員というのもなかなか肩の凝る(笑)仕事なのです。

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