風鈴
夏の風物詩と言われるものにはいろいろあります。花火大会などはその典型でしょう。「大会」とまではいかなくても、今どきはプロ野球でホームランが出たら花火を打ち上げられることもあるくらいです。
私自身はもうまったく口にしなくなりましたが、かき氷なんていうのも風物詩に含まれそうです。最近は豪華なものもあって、1000円以上のものも珍しくないそうですね。
ほかにもいろいろありますが、一時あまり見かけなかったのに最近よく出会うのが風鈴なのです。なぜ見かけなかったのかはわかりませんが、風鈴は
騒音
をもたらすといわれたことにひとつの原因があるのではないかと思うのです。いまどきは幼稚園の運動会の声が騒音であり、犬が鳴いたら騒音であり、なんでもかんでも神経質になっているような気がします。それで、団地などでは風鈴を鳴らすのはご法度のような雰囲気ができたようです。いえ、団地だけでなく、一軒家でも「隣の風鈴がやかましい」と言い出す人がいるらしく、そんなこともあってあまり見かけなかったのかな、と思うのです。
風鈴は、青銅などで作られた風鐸がその元祖のようなもので、魔よけの意味があったようです。音を立てると魔物は嫌いますから、家の軒や寺院の堂塔などに下げておくとよかったのです。風によって音が出ればエネルギーを必要としませんから便利だったと思います。
古くは「風鈴」と書いて
「ふうれい」
と読まれたようで、たしかにその方が正しい読み方に思えます。それがいつしか「ふうりん」となって、江戸時代にはガラスの風鈴が作られるようになりました。今ではガラスのみならず南部鉄の風鈴や富山・高岡の真鍮製も有名です。
東京・浅草寺のほおずき市や各地の夏祭りでも風鈴はよく売られています。地域によっては電車に風鈴を吊って走らせたり、駅のホームに飾ったりするところもあるようです。
私の家の近所の神社でも、この時期になると境内にいくつも風鈴が吊るされています。そして風鈴の舌(ぜつ。風を受ける紙などの小片)にはやはり風鈴が邪気を追い出す働きを持っていることが記されています。
私はもうあの軽やかな音色はわかりませんが、風に揺れている姿を見るだけでも夏の暑さがいくらかやわらぐような気がします。
隣の芝が青く見えるのとは逆に、隣で鳴っている風鈴は騒音に聞こえるのかもしれません。でも、涼しい風の音だと聞きなせば風流でもあると思います。聞こえるだけでも幸せと思ってほしいのですが。
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- [2022/07/31 00:00]
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よほどの理由が
私は昔から法律というのが苦手で、文系に進んだものの、経済や法学の道に進む気はさらさらありませんでした。
法学部というのは中世ヨーロッパの大学でも神学部、医学部とともに大切な学問でした。マルティン・ルターは、優秀な人でしたから、父親から法学の道に進んで出世するように期待されていました。法学は最高のエリートコースだったのです。しかしルターは修道院に入る道を選び、やがて宗教改革と呼ばれる大きな役割を果たしたのでした。余談ですが、今でもカトリックとプロテスタントの人と話をしていると、お互いをあまりよく言わないのでびっくりします。認め合っているのかと思ったらそうではなさそうです。
それはともかく、私はあまり好きではないというだけの理由で大学の教養科目でも法学関係をとるつもりはなかったのです。しかし教員免許を取るつもりでしたからそのためには
日本国憲法
という科目が必修で、やむを得ず受講したのです。この担当の先生がかなりいい加減な(笑)、そのくせどこか憎めない人で、何の連絡もせずに授業をサボったりして、次の週に「先週はどうもどうも」みたいな感じでごまかす、何とも天下泰平な人でした。そんなこともあって、この先生の授業がどんなものだったのかなんて、ほとんど覚えておらず(試験があったのかどうかすら忘れました)、単位はもらったから良しとするという感じの、形だけの必修だったのです。ところがたった一つ覚えていることがあります。それは尊属殺人のを規定した刑法の違憲判断についての話でした。昔、刑法200条に「自己または配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す」という条文がありました。ところが、昭和48年に最終審の判決の出た裁判でこの条文は違憲とされたのでした。
この裁判は、娘が実父を殺害した事件のもので、刑法の定めに従えばこの被告に対しては死刑か無期懲役しか判決はあり得なかったことになります。しかし、この女性のあまりにも特殊な事情(ここに書くのもおぞましいので、もしご存じなくて関心のある方はネットで調べてください)を斟酌すれば、とてもそんな刑罰を与えることはできないと考えられたのです。そして弁護側は、この条文は憲法第14条の法の下の平等に反するもので、適用されるべきではない、という主張をしたのでした。結局この裁判は、一審の地裁で「刑法200条は違憲、過剰防衛」、二審の高裁で「合憲、減刑をして懲役3年6月」、そして最高裁で
「違憲、懲役2年6月執行猶予3年」
という判決が出されたのでした。
その説明をしてくれた憲法の先生は「みなさん、考えてください。親を殺すなんてとんでもない重罪だというのが明治以来の尊属殺人の考え方だけれど、そもそもよほどの理由がないと親を殺すなんてことはありえないでしょう」とおっしゃっていました。
儒教倫理の時代の『夏祭浪花鑑』の団七だって、義父の義平次に「親ぢやぞよ」といたぶられても、最後の最後まで我慢しました。「悪い人でも舅は親」とも言っていました。
結局、この刑法200条の「尊属殺人」の規定はそれ以後適用されることはなくなり、ついに1995年には条文が削除されてしまいました。
尊属殺人とは関係ありませんが、「よほどの理由がないと」という点で、私はつい、先日奈良市で起こった国会議員の殺害事件と重ね合わせてしまいました。この事件については、「言論の自由の冒瀆」「民主主義の破壊」などといった言説が多く出ましたが、あの容疑者だって普通ならあのような暴挙を起こすことはなかったでしょう。彼が人生において相当苦しい思いをし、それが特定の宗教団体への非常識なまでに莫大な「献金」に関する問題であり、その団体に近い議員だったからこそ、つまり「よほどのこと」があったからこそあのような蛮行に出たのだと思います。飛躍しているかもしれませんが、私は豊田商事事件すら思い出してしまうのです。
彼のおこないが許されることではないのは当然ですが、事件の背後にあったことを、政治の関与なしに調べて、公正な裁判をしてほしいと思います。容疑者は必ずしも悪の権化だとは思いませんし、まして殺されたからと言ってあの議員が善ということにはならないでしょう。
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- [2022/07/30 00:00]
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一億円の献金
オウム真理教という団体が大きな問題を起こした時、お金を吸い取られた人や悪事に加担した人たちは、なぜこんな「宗教」に自分の人生をダメにさせられていることに気がつかないのだろう、と不思議に思いました。
犯罪の実行犯だった人たちの多くはかなりのインテリでした。理系の、理屈を言わせたら誰にも負けないというようなエキスパートのような人が、ころっと騙されたのです。あとになって目が覚めた、という人もありました。
彼らは教団内での地位が高かったのですが、そうではない人たちも、本来は何らかの苦悩を抱えて救いを求めたはずなのに、いつの間にか拷問のようなことをされたり財産を奪われたりしたことが知られ、あげくには命まで失った(あるいは行方不明の)人がたくさんいました。
cult
という単語を英和辞典で調べると、「宗教的な儀式」「礼拝」という意味が出てきます。これだと穏健なイメージがあるのですが、今ではそういうニュアンスで用いられることは、少なくとも日本語として使われる場合はほとんどなくなってきました。英和辞典にはこのほかに「(非科学的な)治療術」という意味が書かれていて、こうなるといささか怪しくなってきます。そして、我々が最もよく知っている「狂信的集団」「狂信的宗教の信者」という意味が書かれているのです。
随分前に、私は仕事がらみで、ある新興宗教の施設に入ったことがあります。そこには若い人たちが何も言わずに額づいていたり、じっと坐っていたりしていて、何とも不思議な空間でした。その教団についてはよく知りませんので悪口を言うつもりはありませんし、深い悩みを持つ人が自分や社会を見つめ直す気持ちを持っているなら立派な姿なのかもしれません。
以前から霊感商法などで問題視されていた団体の政治家との関係が、思いがけない形でクローズアップされました。みなさんご存じの通りの、国会議員を射殺した事件です。この事件の容疑者の母親が宗教団体に
1億円以上
を献金した、という報道があってびっくりしました。私なら1億円稼ぐのに30年はかかり、「生涯賃金に匹敵するじゃん!」と目が点になり(古い言い方!)ました。この母親は夫の生命保険や不動産の売却で得たお金をほぼそっくり寄付してしまったようです。夫の保険というのが何と5千万円だったそうで、ずいぶん多額です。何となく、生命保険というのは2千万円くらいのものと思い込んでいましたので、それは単に私が貧乏人だからなのでしょうか。いずれにせよ、自己破産するまで献金を続けるというのは異様な感じがします。
容疑者はその宗教団体に強い恨みを持ったらしく、その団体と関係が深いと見なされるあの議員に銃を向けることで報復しようとしたようです。
人間は思いもよらないことをしてしまいます。宗教にのめり込んで破産してしまうことはけっして珍しいことではなく、宗教以外でも、つまらない男にお金を貢いだとか、賭け事に桁外れのお金を費やしたとかということがあり、これらも根は同じではないかと思います。
殺人はもちろん犯罪ですからダメです。しかし、そんな重大な罪を犯す根本的な原因を見のがしてはならないように思います。問題の宗教団体はとぼけた顔をして、政治家も触れられたくない人が多いので口ごもり、そこで警察・検察やメディアが立ち向かうのかというと今や信用できない。政治にからんでいるからこそ追及すべきなのに、逆に政治にからんでいるがゆえに及び腰になるとしたらこの世は真っ暗だと感じます。
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- [2022/07/29 00:00]
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割愛(3)
かなり前のことになりますが、私がテレビに出たとき、その直後に何通も見知らぬ人から手紙をもらいました。もちろん、中にはとても心の温まるものもあり、今でもお付き合いの続いている学校の先生がいらっしゃいます。また、どこかのおばあさんが是非読んでくださいと言って、経本を送ってくれました。これも善意だと思いましたので、何も文句をいうこともないわけで、お礼状だけは書いておきました。
しかし、たくさん寄せられた手紙の中で一番多かったのは
新興宗教
の団体からでした。
そのうちのひとつには、有力な政治家と教祖のツーショットを載せた目を瞠るほど立派なパンフレットや何千人も収容するような会場を満員にして世界中の「信者」に語りかける教祖の写真などが入っていました。こんなに多くの人が信じているのです、といいたいのでしょう。DVDも入っていたのですが、どうせ教祖様の晴れ姿や教祖様の祈る姿に随喜の涙でも流している「信者」の姿などを大げさに、しかも美しく写しているプロパガンダ映像だと思って観る気にはなりませんでした。
また、別の宗教団体からは、私と同じ苦しみを持っていた人が、信仰のおかげで今はすっかり良くなったという、なんともわざとらしい「体験談」(でっち上げ以外の何ものでもないと思います)を掲載したパンフレットも送ってきました。
あとで挨拶に来てくれたNHKのディレクターさん(女性)が心配そうな顔をしながら「何か変な反応などはありませんでしたか」と聞いてきました。それで私が宗教団体からの勧誘の話をしたら、彼女は
「やっぱりね」
という顔をして「人の弱みに付け込んで、という感じですね」と言っていました。どうやらそういうことはよくあるらしいのです。
私は学生に宗教の話もしてまいりました。そのときに、宗教は生きていく力になるすばらしいものもありますが、お金目当てとしか思えないようなものもあります、ということも力説しました。このたびの出来事のあと、SNSで何人かの人のよく似た体験談を聞きましたので、それについても話しました。
街を歩いているときにきちんとした格好ですらりと背の高いイケメンのお兄さんなどから声を掛けられた。「話だけでも聴いてください」といわれて、ふらっとついていったら、長い時間ビデオ(DVD)を見せられて盛んに勧誘されて住所や名前を聞かれて・・
このような形で教団に取り込まれて、ひどい場合は身ぐるみ剥いでやろうとする団体もあるのでくれぐれも気を付けてくださいと話しました。
「割愛」という言葉から、いろんなことを考えたのでした。
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- [2022/07/28 00:00]
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割愛(2)
仏教では、出家するときには愛着を捨てることを大事にします。『源氏物語』の主人公である光源氏は何度も出家したいと言いながら、この世への未練が「絆(ほだし)」となって遂げられないまま人生の晩年に至ります。彼は多くの女性を愛しますが、藤壺、朝顔、朧月夜、女三宮、空蝉らは出家し、紫の上も光源氏に繰り返し出家したいと願い続けます(葵の上と夕顔は不慮の死を遂げます)。精神的には光源氏より上の悟りの境地に至っているようです。
光源氏の愛した女性たちの「出家する姿」は、潔く、さっそうとしているといってもよさそうです。藤壺中宮という女性は光源氏の義母ですが、光源氏が強引に言い寄って二人の間には子ができてしまいます。そのことで藤壺は苦しみ、それ以後は光源氏を近づけないようにします。そして、夫である帝亡きあとになおも言い寄ろうとする光源氏の裏をかくように、誰にも打ち明けることなく髪を下ろしてしまうのです。ほかにも、何人もの女性がお先に失礼とばかりにスパッと出家します。そんな彼女たちを目の当たりにしながら、光源氏は現世への執着を捨てきれずに苦悶することになります。この人物はなまなましいまでに人間の弱さを体現しているようで、実はそういう姿を描いていることこそがこの物語の魅力なのだろうと思います。
繰り返しますが、「割愛」は、
愛着を断ち切る
ことを意味します。出家するということは、肉体はこの世にあっても、心は浄土に向いていることです。精神的にはこの世から離れていることが必要なのです。地位も名誉も財産も家族も忘れてこその出家でしょう。
地位や名誉はそこから離れれば済むことです。大納言であった人が出家するなら上表すれば(辞表を出せば)いいのです。家族はなかなか忘れられません。しかし、子どもが一人前になっていれば、忘れるというより離れることはできるでしょう。では財産は? もうこういうものにも見切りをつける必要があります。子や親しい人に譲っていけばいいのです。
そして身軽になって念仏三昧。写経三昧。食べるものは最低限で、人と会うこともあまりしないのです。『源氏物語』の光源氏の最後の妻である女三宮は、光源氏より25年くらい年少の人ですが、若い男性に無体な恋を仕掛けられてその男性の子を産み、出家します(この出家は、かつて生き霊、死霊となって葵の上や紫の上を苦しめた六条御息所の仕業ということになっています)。出家後の女三宮はひっそりと生きて、光源氏にもほとんど会いません。か弱くて意志の弱い女性でしたが、何やら悟り澄ましたような日々を過ごすのです。
翻って現代です。いかがわしい、というか、たちの悪い宗教では、「あなたの愛着を捨てなさい」ということを「あなたの財産を私たちに
寄付しなさい」
ということにすり替える場合があるようです。「愛着を捨てる、割愛するのは仏の教えです。だからお金など持っていてはいけません」などと、もっともらしく説いたうえで、財産没収。「おい、教団! あんたらこそ愛着を捨てんかい!」と言いたいです。本来なら子どもたちに財産を譲って自分が生きていくのに必要なだけのものを持って、からだ一つで仏の道に入ればいいのです。
ところが怪しげな教団ではそれでは許されません。仏様(あるいは神様)に寄付するのだ、とでもいう理屈ですべてを奪おうとするようです。
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- [2022/07/27 00:00]
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割愛(1)
「割愛、ってどういう意味ですか」と学生さんから聞かれたことがあります。そのときに話したことが今とても重要な意味を持つような気がして、長くなりますが書くことにします。
大学教員がA大学からB大学に移る場合、B大学はA大学に仁義を切らねばなりません。教員を引き抜く形になりますので、「申し訳ないけどそちらの籍から外してください」というような書類を送るのです。「除籍願」とでもいえるこの書類は、実際はそうは呼ばれません。なんとも勿体ぶった大げさな言い方で、
割愛願
というのです。
「割愛」というのはもともと仏教の言葉で、愛惜のあるものを思い切って捨て去る、切り取る、というような意味です。「すばらしい先生をこちらがいただくことになります。そちらはこの先生に愛着をお持ちでしょうが、まことに申しわけないのですが、除籍してください」という感じです。実際はどれくらい「すばらしい先生」なのかはわかったものではありませんが(笑)、建前上、挨拶としてはこのように言っておくのです。私も異動するとき、現任大学の学長から「次の大学から割愛(願)が届いたよ」と言われたことがあります。私など、邪魔者を放り出せてよかったと思われたかもしれませんが、一応こういう形でけりをつけるのです。
現在、「割愛」という言葉は、例えば何かの発表をする場合に「この点はもう少し深く述べるべきですが、本日は時間の都合で割愛いたします」のように使われることがあります。これも「本当はお話ししたい愛着のある話なのですが、やむを得ずカットします」ということです。
前述のように、「割愛」はもともと仏教の言葉です。人は、出家するときには、この世への愛着は捨てねばならないのです。未練を持っていては心に迷いが起こってしまうのです。
『源氏物語』を読んでいると、登場人物の皇族や貴族たちは出家願望が強いようです。当時は
浄土思想
の盛んな頃で、極楽往生を遂げることこそが今生きている意味、それだけに彼らの強い願望だったのです。『栄花物語』に、藤原道長が北枕西向きになって阿弥陀如来像とつながるようにして往生を遂げたと書いているのも、それが人生の終末の理想の姿だったからです。実際の道長はかなり苦しんで亡くなったようですが、それでは道長の栄華を描かねばならない『栄花物語』の歴史観には合致しないのです。
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- [2022/07/26 00:00]
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選挙と視聴率
選挙があると、公示後に政党の党首討論などの番組が作られます。そういう場合、特定の党の人ばかりに発言させるわけにはいかないというルールがあるようです。たしかにテレビ局が勝手に政党を選んで一部の政党を締め出すのは、放送倫理上なかなかしにくいことでしょう。少数派を排除するのはよくないという考えですから、理解できます。しかしその一方で「あの党はもういいから、重要なことを大政党に聞いてほしい」とイライラしている人もおそらく少なくないのだろうと思います。実に難しい面があります。
選挙とテレビというと、選挙当日の夜の
選挙速報
も、どんちゃん騒ぎをするような感じで放送されるようになりました。各放送局が独自の調査をして、いち早く、1分でも1秒でも早く、当選確実の報を出すことが求められているようです。極端な場合はゼロ打ちとかいって、8時に投票が締め切られるとその瞬間に当選確実になる人が出てきます。続々と当選の方が入ると、各局が当選者などにばらばらにインタビューするので、同じことを何度も言わされるはめになります。そのため、うっかり「先ほど言いました」などと口を滑らすこともあり、時間の無駄になることも多いようです。昔、ある「大物」(と本人が思っている人)が当選インタビューを受けたとき「何回も同じことを言うんだけどね」と実に不機嫌そうにしゃべっていました。
今回の選挙の日は、私の住む居住地ではNHK教育を除くすべての局が何らかの特番を組んでいました。今やこれは当たり前の風景です。神戸のテレビ局でもおきまりの阪神タイガーズの野球中継ではなくて選挙番組でした。
そもそもテレビをあまり観ないので記憶違いかもしれませんが、昔は多くの局では普通の番組をしながら文字情報だけで当選者の名前がちらちら画面に出てくる形だったような気がするのです。違ったかな。ただし、NHKだけは今と同じように陰気な(笑)記者が「解説」しながら当選者を紹介していました。このところは、各民放がメインキャスターに
「視聴率が取れる人」
を据えて、硬軟とりどりの演出で独自性を出そうとしているようです。ひと癖あるタレントさんとか元放送記者とか、もはやバラエティショーの様相です。ゲスの勘繰りをしますと、相当ギャラが出るのでしょう。
昔は翌日開票というのがありましたのでその日の内には結果が出ず、番組としては消化不良の感を否めず、作り手とすると番組の盛り上がりに物足りなさがあったかもしれません。
今はテレビ向けに(というのは違うかもしれませんが)すべて即日開票で、8時から午前0時までワイワイガヤガヤやっているのではないでしょうか。ほぼ最終決着まで放送され、視聴率争いは放送内容をヒートアップさせることにもつながっているのではないかと何の根拠もなく想像しています。それがおもしろい、と思う人が多いから番組は作られるのでしょうが、私は翌日の新聞を見るから、もういいよ、という気持ちになって、今回の選挙でもまったくそういう「特番」は見ませんでした。
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- [2022/07/25 00:00]
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不満だけれど
参議院議員の選挙がありました。
今は十八歳から選挙権があるため、高校3年生の年齢のほぼ4分の1の人も選挙に参加する資格があったわけです。私の十八歳のころを思い出すと、多くの同級生が政治には関心を持っていました。もちろんまだ考え方は幼くて、立候補者個人の資質なんてまるでわかりませんでした。あのころは、自民党、社会党、共産党、民社党、公明党あたりが主要政党でしたから、その中からどこを選ぶか、という感じだったと思います。政党政治が続く限り、それは今後も大差ないと思われますが、ほんとうは候補者個人の声を聴いてから投票したいものです。長らく、学生さんに選挙に行きますかと聞いてきたのですが、その答えはあまり芳しいものではありませんでした。「親の言うとおりに入れる」「どの政党がいいのかわからないから選挙には行かない」「どんな党がどんな主張をしているのか知らない」「○○さんというタレントが出ているので興味がある」「選挙の日の夜はテレビが選挙に占拠されてしまうので憂鬱」云々。
それでいて、学生さんは
国民年金の請求書
が来るようになってびっくりするとも言っています。「なんでこんなに払わなあかんの」「払うだけ払わせて将来年金がもらえないということはないの」と不満の声を挙げます。特に、将来への不安はかなり大きいようで、「払わなかったら罪ですか」などと聞かれることもありました。「毎月1万円以上払えって言うなら、それを貯金して将来に備えるほうがまし」と、確かにそうだと思わせることを言う人もいます。
じゃあ、どういうお金の使い方をするつもりなのかを監視して、自分の考えに合わないことに莫大な予算をつぎ込むような政党には投票しない、納得できる意見の政党に投票する、というのかと思うと「そこまで勉強する気はない」と尻込みしてしまいます。で、結局は
年寄りの思うつぼ
ということに?
不満はあるのだけれど、どのように投票すべきなのかはわからない、政党の考えがわからないと言うなら、最近は各新聞社が政党との意見の一致度を簡単に測れるというテストをネット上で公開しているからそれを試してみるのもいいかもしれません。もちろん、そこで出てきた党名が自分のほんとうに支持する政党と一致するかどうかはわかりませんが。
私の教育方針はこれまで一貫して「自分で考えてください」ですし、また立場上からも、若い人たちに向かって「この党はダメだ」「この党がいいよ」ということはひとことも言いません。もちろんブログなどで思うことは書いていますので、それを読んだら私の考えはわかりそうではありますが。
ちなみに、私もこのテストを、毎日、朝日、読売、NHKなどで試してみました。すると、一致する党として出てきた第一位も第二位も、これまで一度も投票したことのない政党で、びっくりしました。さらに、選挙区でもっともよく意見が一致する人物が、よりによって絶対に投票するとは思えない「何をしているのかよくわからない党」の人でこれまたびっくりしました。逆に、一致しない政党は予想どおりというか、もっとも一致しない方から自・維・公の順でした。「一致しない」を基準に考えると、自分ではまったくそんな自覚はないのですが、ひょっとしたら私の考え方は「ウヨク」のみなさんから毛嫌いされる「サヨク」なのでしょうか(笑)。
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- [2022/07/24 00:00]
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読書の習慣(2)
今年3月に発表された(調査がおこなわれたのは昨年10~11月)全国学生生活協同組合連合会による全国の国公私立大学の学部学生を対象とした「学生生活実態調査」(30大学から、10,813の回答を得る)があります。これは学生の収入と支出、アルバイト、サークル活動、就職活動、勉強時間などを調べたもので、その中に「読書時間」の項目があります。
それによると、電子書籍を含めた数で、1日に読書する時間が0分(つまり読まない)という大学生は50.5%(前年比3.3ポイント増)、1日に読書する時間の平均は28.4分でした。0分と答えた人を除いた平均なら58.9分(前年比4.1分減)でした。この10年の調査結果を見ると、0分と答えた人が一番多かったのは2017年の53.1%で、一番少なかったのは2012年の34.5%でした。
読書時間を30分ごとに比較してみると、
0分 50.5%
30分未満 9.6%
30分~60分未満 11.4%
60分~120分未満 18.6%
120分以上 7.2%
だったそうです。
「私の学生時代と比べて今の学生の読書時間が少ない」と言って、「私は彼らより読書家だ」「彼らは私より劣っている」なんて優越感を持っても意味はありません。それを言うなら、彼らの方が電子機器の使い方には長けていて、私の学生時代とは比較にならないほど優れています。そういうことではなく、小中学校では無理にでも読書させている(自発的な楽しみとは言えない)のに、その反動なのか、自主性に任される高校で一気に読まなくなり、その習慣が大学生にまで続いている現実がいささか気になっているのです。
いったい彼らは古典的な名作をいつ読むのだろう、というのが一番気になっています。たとえば『ソクラテスの弁明』『若きウェルテルの悩み』『ハムレット』『罪と罰』。あるいは鷗外、漱石、芥川、谷崎、川端、三島。こういうものはまったく読まないのでしょうか。全部とは言いませんが、ある程度は大学生になったら古典を読んでほしいのです。
勉強に関して、例えばレポートを作成する場合もあまり本には頼らない傾向があると思います。私もWikipedeiaを写しているだけのレポートにかなり出会いました。また、
ネットで得る情報
は断片的になりがちで、行間というか、さほど重要でないところはあまりよく見えないと思うのです。しかしその重要でないところをチラチラと垣間見ながら読書することも必要です。辞書でも、電子辞書なら調べた言葉が明確に出てきますが、その前後の言葉にまでは目が届きません。しかし紙の辞書の場合はその言葉の周りにある漠然とした仲間たちも目に入り、結果的にその言葉がよりよくわかることもあり得ます。
また、図書館の利用も限定的で、本を自分で探す能力がいささか落ちているのではないかと危惧することもあります。ピンポイントで「この本」を探せばもう用はなく、その周辺の本をざっと見渡すということには興味のない人が多いのではないか、と思うことがあります。もちろんこれはすべての人に当てはまるものではなく、たまたま私の知る人たちがそうだというだけかもしれません。それにしても、背表紙を眺めているうちに本の調べ方がわかる、というアナログ的な考え方はもう時代遅れなのでしょうか。
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- [2022/07/23 00:00]
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読書の習慣(1)
私はいわゆる「読書家」ではないのです。小中学生のころは芥川龍之介こそ好きでしたが、ほんとうに読んだと言えるほどは読んでいません。高校時代も自慢できるような読書はしていませんでした。それでも文庫本を買っては、わかっているのかわかっていないのかはともかくとして、好きな作家の作品を読むことはありました。一番好きだったのは古典の『伊勢物語』(講談社文庫で読みました)でしたが、新しいところでは中島敦とか大岡正平とか武者小路実篤とか志賀直哉とか。それでも読書量はまったく話にならないほど少ないものでした。勉強もろくにしませんでしたから、ずっと
視力は1.5
を維持していました(笑)。一番たくさん読んだのは大学生の時で、恩師が「毎日一冊、『主婦と生活』でもいいから読みなさい」とおっしゃったのを真に受けて、とにかく活字を追い続けました。それまで敬遠していた海外文学、近現代の日本の著名作家をひととおり、谷崎潤一郎などは『全集』でかなり細かい作品まで読みました。それまでほとんど興味のなかった理系の本も、たとえばアインシュタインの相対性理論に触れたのはこのときです。古典は、専門にするつもりでしたので、平安時代を中心に手当たり次第に。そんなことをしていると、毎日1冊には届きませんでしたがそれまで経験したことのない量の本を読んだものでした。内容などはもうすっかり忘れてしまっていますが(笑)、人生の糧となったと確信しています。何よりも
読書の習慣
が身についたのが大きかったと思います。
もうずいぶん前から言われていることですが、今どきの若者は、本をあまり読まないのだそうです。2021年の学校読書調査(全国学校図書館協議会)では、同年5月の1か月間に読んだ本の数は、小学生12.7冊、中学生5.3冊、高校生は1.6冊だったそうです。また、1冊も読まなかった人の割合は、小学生5.5%、中学生10.1%、高校生49.8%でした。実は、高校生の読書数の少なさはこの30年ほどの間、さほど大きな変化はないのです。1991年からの調査では最高で1.9冊、最低で1.0冊だったそうですから。ところが、小中学生は30年前に比べると倍増しているのにもかかわらず(読書教育が進んだのでしょう)、高校生だけが取り残されているのです。ただし1冊も読まなかった人は高校生でもいくらか減ってきていて、一番ひどかったとき(1997年)は、ほぼ70%が「読まなかった」と答えていたのです。私も高校時代は勉強だ、受験だといわれて、読んだ数は多くはありませんでしたから、そんなものなのかな、と思わないでもないのです。ところが、大学生になると、そういう面倒なことから解放されますので、その時間をどういう使い方をするかで歴然とした差が出てくるのだと思います。
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安産のためには(3)
『医心方』には安産の方法も書かれています。西暦400年前後に書かれた『産経』(徳貞常・撰)という書物からの引用では、
○妊娠七月になったら、「丹参膏」を常に服用すると、気がつかないうちに出産できる。
とあります。今でも「丹参膏」という薬はあって、ネットで調べてみると、中国の某HPに「主要用月経不調、経閉、痛経」とありました(原文は簡体字)。用いる量については「一次9克、一日2次」とありますので、一回9グラム、一日2回ということでしょう。ウチダ和漢薬のHPでも「丹参」は月経不順、月経困難、産後の腹痛などに効果があると書かれています。「丹」は赤い色のことですから、「丹参」は赤い人参ということになります。実際はサルビア(「salvia」は無病息災の意味だとか)の仲間だそうです。安産の効果があるとは記されていませんが、婦人病や痛みに効くようです。
『源氏物語』「葵」巻には出産直前の葵の上が薬湯を服する場面があります。これが「丹参膏」だ、などと安易なことは申しませんが、安産のために服用する薬というのが決まっていたらしいことはわかります。
それにしても、この薬を常用すると安産になる、なんて実際はそうはいかなかったはずです。それでもこれはまだ薬のことですから、そういうこともあるのかな、くらいには思えるのです。しかし、中には「それは単なる
迷信でしょ」
と言いたくなるものもあります。
四世紀の『葛氏方』からの引用の、
○馬のたてがみの毛を切って、衣の中にかけて人に知られないようにすると安産になる。
『小品方』(陳延・撰)からの引用の、
○蛇の抜け殻を絹の袋に家入れて、陣痛の際に腰に巡らせると安産になる。
などがそれにあたります。しかし、現代人も今なお「天満宮のお守りを持って受験をする」とか、「中山寺の腹帯やお札をいただいて安産を願う」ということをしているわけで、精神衛生上は有意義なものとも言えそうです。
逆に、難産についても書かれています。
七世紀初めの『諸病源候論』からの引用です。難産になるのはいろいろな原因があるとして、次のような例を挙げています。
○破水によって子宮が乾いた
○禁忌を犯した
○陣痛前に驚いたり動いたりして、悪露が早く下り、産道が乾いた
○産婦が痩せていて体力がない
驚くのはよくないというのは、やはり精神的に不安定な妊婦さんですから、今でも避けなければならないのではないでしょうか。強い地震などがあったら、お腹の中の子を守ろうという本能が働いて大きなストレスになるかもしれません。
痩せるのがよくないというのも今の若い女性には耳が痛いかもしれません。七夕の笹飾りにかける短冊を見ると、若い女性は「痩せたい」と書く人がとても多いのです。でも、妊婦さんが無理に痩せようとしてそのために体力がなくなるのは本末転倒でしょう。
前掲の『産経』からの引用では、
○禁忌を破る
○神霊に触れたり犯したりする
○飲食を節制しない
○くよくよする
○性生活の節度を守らない
が難産の原因として挙げられています。
さきほどは痩せすぎが問題になっていましたが、ここでは節制のない飲食を戒めており、これは昨今の妊婦さんにとってやはり気になるところではないでしょうか。悪阻のときに動くのが億劫になって、そのまま安定してからもゴロゴロしているうちに太り過ぎるなどということもあり得るでしょう。
体重の維持
はいずれにしても肝要なのだと思われます。
七~八世紀の人である許仁則の『子母秘録』には、これを唱えるとよいという呪文が書かれています。
耆利闍羅 抜施羅 抜施耆利闍羅 河沙呵
音読みすればいいのだと思うのですが、それにしてもどう読むのかよくわかりません(笑)。「ぎーりーざーらー ばっせらー ばっせーぎーりーざーらー かーさーか」??
『医心方』には、出産に関することはまだまだ書かれています。読み解くのは大変ですが、内容はなかなか面白いと思います。またいつかこの続きを書くかもしれません。
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- [2022/07/21 00:00]
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安産のためには(2)
この晩秋に吹田市でお話しすることを少しずつ準備しています。11月ですからはるか先のことですが、夏にはほかにしなければならないことが目白押しですので、できる時にしておこうと思っています。そして、備忘録としてここに記録しておくものです。
七世紀の医書
『千金方』
を『医心方』が引用している「産婦の用意」についての記事を見ますと、
○産婦は陣痛の時や出産の前後には亡くなった人の出た家(喪中の家)の人を家に入れてはならない。その人が産婦を見たら難産になる。
○出産するときは多くの人が見てはいけない。二、三人がそばにいて、生まれるのを待ち、すべて(新生児の出産、後産など)が終わったら生まれたことを告げるべきだ。もし人が多く見ていると難産になる。
○生まれたとき、母親もほかの人も、生まれた子の性別を尋ねてはならない。また、母に穢れたものを見せてはならない。
○産婦は熱いものを食べることも、熱い薬を飲むことも慎まねばならない。飲食は人肌の温かさのものにするべきである。
などと書かれています。
人肌がよい、なんていうのはいろんな場合に言われることですよね。お酒も人はだかそれより少し熱めがいい、と言われますし。
昨今は配偶者の男性が産室に入るのも珍しいことではありませんが、人が多く見ているのはよくないというのも、産婦さんの精神的な負担を考えるともっともなことだと思えます。以前、学生さんに一緒にいてほしいかを聞いてみたところ、意見は半々でした。いてほしくないという人は「きっとすごい顔をしてると思うから見られたくない」とも言っていました。
『紫式部日記』
に「人げ多くこみては、いとど御心地も苦しうおはしますらむとて、南、東面に出ださせたまうて、さるべきかぎり、この二間のもとにはさぶらふ。殿の上、讃岐の宰相の君、内蔵の命婦。御几帳のうちに、仁和寺の僧都の君、三井寺の内供の君も召し入れたり」とあります。およその意味は次のとおりです。人(女房など)がたくさんいては、(産婦である)中宮様のご気分も一層悪くおなりだろう、というので、(中宮の父である道長が女房たちを)南面、東面に出させなさって、そこにいなければならない人だけがこの二間(産所となった場所)の中宮様のところに控えている。道長さまの奥方(倫子)、讃岐の宰相の君(中宮の女房)、内蔵の命婦である。几帳の中には仁和寺の僧都の君(済信)と三井寺の内供(永円)もお呼び入れになった。・・。あまり人がいるといけないというので、祈祷僧のほかは三人だけがそばについているのです。『医心方』の引用する『千金方』の内容とよく合うと思います。道長の奥方というのは産婦の実母、讃岐の宰相の君は藤原道綱の娘で中宮の女房の中ではかなり格上の人です。もうひとりの内蔵の命婦という人は、実は助産師としてなかなか腕がよかったらしいのです。
「喪中の人を家に入れてはいけない」というのはかなり迷信の側面が色濃いようですが、実際にそういう人がお見舞いに来たら、当時は死の穢れがかなり厳密に守られていたわけですから、そういう人に見られたら縁起でもないというので精神的に難産になることもあり得たかもしれません。
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- [2022/07/20 00:00]
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安産のためには(1)
平安時代には「家」によって専門分野がある程度決まっている場合がありました。藤原氏北家の嫡流であればその家柄だけで出世できるのですが、藤原氏であっても傍流だとそうはいかなくなり、まして弱小氏族とももなると、何か特別な分野で力を発揮してそれを子々孫々に伝えないと生きていくすべがなかったのです。菅原氏や大江氏なら学問(漢学)を必死で勉強しなければなりません。文章博士(もんじょうはかせ)などの地位に就いて古代中国の文献に通じて自らも難しい文章を書かねばならないのです。例えば、当時は貴族が辞表を書くとしても今のように「一身上の都合により」なんていうのではなく、工夫を凝らした美文で書かねばなりません(もちろん文体は漢文です)。それの代筆を文章の専門家である文章博士らが依頼されることがありました。その他、漢詩の会で序文を書くとか、高貴な人の子が生まれたら名前を付けるとか、新しい元号の案を漢籍から抜き出して提示するとか、そういうことが自在にできないと務まりません。今でも、天皇や皇太子の子が生まれると学者さんが案を出します。愛子内親王の 「敬宮愛子」という名も『孟子』「離婁」の「仁者愛人、有礼者敬人、愛人者、人恒愛之、敬人者、人恒敬之」から取られています。
そのほかにも、賀茂氏なら暦学とか、安倍氏なら天文学とか、清原氏や中原氏なら明経道(経書を研究する)とか、家業ならぬ「家学」のようなものがあったのです。
そして丹波氏は
医学の家柄
でした。医学の基本はやはり中国伝来のものでした。病気になると祈祷ばかりしていたように思われることがあるのですが、そんなことはなく、医師の診察によって薬を出したり外科的に治療したりすることは当然あったのです。それらのことをしたうえで祈祷もおこなった、と理解する方が正しいと思います。
平安時代の医学書
『医心方』
は、永観二年(984)に朝廷に献上された、丹波康頼(たんばのやすより)の撰述になるものです。康頼は丹波国の出身で、この功績が認められて丹波宿祢の姓を賜り、医術の家丹波氏の元祖になった人です。医博士、鍼博士、典薬頭などを歴任しており、官位は従五位上にまで達しました。『医心方』は30巻という大部の書物なのですが、その内容も多岐にわたり、「風病」だとか「出産」だとか、果ては性生活に至るまで、古代中国の医書から整理、抜粋しているのです。何だ、ほかの本の引用なのか、あまり価値はないな、などと考えてはいけないのです。何と言っても、どの項目をどのように記すかという編集には相当な知識が必要ですし、ここに引用されている中国の医書はかなり失われており、『医心方』が書き残してくれていることはそういう意味でもとても貴重な資料なのです。
科学的なことも多く書かれていますが、今読むと迷信の類としか思えないこともいろいろ書いてあります。しかしこれが当時の医学の最先端であったなら、迷信といっても現実にはかなり信じられ、実行もされたことが推測されます。科学的なことにしか関心がなければつまらないことも多いかもしれませんが、人々の生活に関心のある私としましては、とてもおもしろいのです。
当時の出産についてどんなことが考えられていたのかにいささか興味がありますので、チラチラとではありますが読んでみました。
- [2022/07/19 00:00]
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濡れネズミ
今年は雨にたたられることが多いのです。
大雨が降っていたら、外に出るのを少し遅らせるとか、外出そのものを諦めるということができます。でも、それほど強くもない雨なら、そもそも天の恵みでもありますし、傘さえあれば大丈夫、という気分になります。そんな軽い気持ちで外に出て、今年だけで3回もずぶ濡れになりました。
最初は少し長い距離を歩かざるを得ない時でしたので、曇り空のときに「今だ」とばかりに出たのです。するとポツポツと降ってきたのですが、まあこれくらいは仕方がないと思って傘をさして特に何も気にすることなく歩いていました。すると突然
車軸を流すような雨
に見舞われました。その雨はまたたく間に激しく地面をたたく強さになり、デコボコした道では水たまりができて、川のように側溝に流れたかと思うと、今度は逆に側溝から水があふれだしたのです。頭は傘でカバーできますが、かばんは濡れるし、腰から下は傘がほとんど役に立っていません。やっと駅に着いた時には靴の中がぐっしょり濡れていました。たまたま、人気のない田舎の駅でしたので、隅っこのベンチに腰を下ろして靴を脱ぎ、あたりに誰もいないのを再確認したうえで靴下まで取って、ぎゅっと絞ってみました。するとドボドボと水が落ちるではありませんか。こうなったらもう恥ずかしくもなんともなく、その靴下で靴の中の湿り気を拭い、また絞り、何気ない顔をして(笑)また履いたのでした。電車で腰を下ろした時に座席が濡れるとまずいので、持っていたハンドタオルでズボンからしっかり水気を取りました。手がひどく汚れましたので、駅のトイレで(最初からトイレに入ればよかったのですが)きれいに洗い、やっと人心地がつきました。
あとで雨の様子を見たらかなり局地的なものだったらしく、いわゆる
ゲリラ豪雨
だったのでしょう。
2回目と3回目はほとんど同じような濡れ方でした。15分ばかり歩く道で、小雨の中を歩き始めたら、またもや途中からザーッと降り出し、1回目ほどではなかったのですが、膝から下はぐっしょり濡れました。
電車では人から離れたところに座り、少しでも乾くのを待ちましたが、靴を脱ぎたい、靴下を脱ぎたいと思いながらの小一時間でした。自宅の最寄り駅に着いた時は何もなかったようにやんでいたのが妙に悔しいのでした。
いったい、今年に限ってどうしてこんな目に遭わねばならないのでしょうか。日頃のおこないの悪いことは自覚していますが(笑)、それなら今年に限ったことではありません。
今後は、もし雨が降りそうだったらズボンに洗剤を振りかけてから歩いたら、家に帰るころにはきれいに洗濯されているのではないかと思うのですが。
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- [2022/07/18 00:00]
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今夏の美術館、博物館
昨日から、各美術館、博物館で新しい特別展が始まったところがあります。
大阪市歴史博物館では「和菓子、いとおかし ―大阪と菓子のこれまでと今―」という、(大阪らしい?)ちょっと人をくったようなタイトルの特別企画展が始まりました。鶴屋八幡の協力だそうです。
菓子は茶と切っても切れない縁があります。その茶の湯を愛した人に、大阪では今なお人気があるという
豊臣秀吉
がいます。茶道の発展は菓子の発展にもつながり、いつしか食べものというより、茶の湯を彩る芸術品のようになりました。
鶴屋八幡は、江戸時代の大坂の虎屋伊織の伝統を継ぐ会社で、菓子に関する資料もお持ちですから、その協力を得ておもしろい展示が行われていることと思います。
同じ大阪の市立美術館では、「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」が始まりました。修復されてクピドの姿が現れたフェルメールの
「窓辺で手紙を読む女」
をはじめ、ヤーコプ・ファン・ライスダール 「城山の前の滝」、ハブリエル・メツー「レースを編む女」、レンブラント・ファン・レイン 「若きサスキアの肖像」など、ドレスデン国立古典絵画館所蔵の作品展です。
神戸市の神戸市立博物館では「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」です。
アンドレア・デル・ヴェロッキオ 「幼児キリストを礼拝する聖母」、ディエゴ・ベラスケス 「卵を料理する老婆」、ジョシュア・レノルズ 「ウォルドグレイヴ家の貴婦人たち」などを観ることができます。
是非出かけたいと思っています。
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- [2022/07/17 00:00]
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2022年文楽夏休み公演初日
文楽の夏の公演が初日を迎えます。
演目は次のとおり。
第1部 【親子劇場】 午前11時開演
「鈴の音」
解説 文楽ってなあに?
「瓜子姫とあまんじゃく」
第2部 【名作劇場】 午後1時30分開演
心中天網島(天満紙屋内、大和屋、道行名残の橋づくし)
第3部 【サマーレイトショー】 午後5時30分開演
「花上野誉碑(志渡寺)」
「紅葉狩」
大阪で錣太夫さんが「切」としては初お目見え。紙屋内をお語りになります。ところが、千歳さんが「瓜子姫」。どうせなら、千歳「河庄」、錣「紙屋内」、咲「大和屋」にすればいいのに。
みなさん、どうぞ暑い夏を乗り切ってください。
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- [2022/07/16 00:00]
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この夏の課題
夏になると課題がたくさん出てきます。
それはありがたいことで、今年もいろいろ勉強できる喜びがあります。
3か月に一度、短歌の雑誌に連載している
源氏物語
の原稿は、この夏にも書かねばなりません。
短歌も詠み、短歌の評も書かねばなりません。
浄瑠璃の活字化は「フィガロの結婚」の原作版の予定です。
平安時代の出産と文学についても書きます(秋に、講演会でお話しもします)。
浄瑠璃作品
を最低一つ、できれば二つ書きたいと思っています。
ほかにも雑用というか、やりたくない仕事があります。
この、やりたくないものが唯一お金になるので悲しいです(笑)。
暑いですが、頑張ります。
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- [2022/07/15 00:00]
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継続
大学受験のとき、よく言われたのが「継続は力」という言葉でした。コツコツと勉強を続けることが肝心だと言われたのです。
この言葉を最初に使ったのは久留島武彦だとか住岡夜晃だとか平松折次だとか、いろいろ言われているようです。
しかし、継続することが大事だというのは特に教育者なら言いたくなる言葉だと思います。前述の3人もみなさんどこかで教育に関わりを持っている人たちです。
雨だれが
石を穿つ
ように、少しずつ繰り返していけば、大願も成就する、と教えるのは、教育の定石といっても差し支えないでしょう。
しかし私は、長らく教育の場にいたのに、自分自身がこれを実行できませんでした。
ついつい逃げてしまう、弱い心の持ち主なのです。
そんな私が、このところずっと続けていることがあります。
いくつか悩みというか、願いというか、自分の力ではなかなか動かせないことがあります。それで、毎日は無理なのですが、行けるときは必ず、たとえ悪天候であっても、神社に
参詣
しているのです。
私は宗教を持ちませんので、「神」なるものにすがるという気持ちはないのですが、自分の願いを明確にするためにも頻繁に参詣しています。だいたい、月に20日以上は行っているはずです。
そんなことをしても無駄だという気持ちも持っています。しかし、何かしないではいられず、できることはしつつも、まだしばらくは神頼みも続けそうだと思っています。
神社では、ふるめかしい口調で声も出して思いを述べています。ほんとうに「神」なるものがあるなら聞いてくれてもいいと思うのですが。
一念が岩を砕くことはできるのでしょうか。
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- [2022/07/14 00:00]
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水もしたたる
4月に、猛烈な雨に遭いました。
小雨だったので安心して少し長い距離を歩き始めたら、途中でいきなりどっとばかりに強い篠突く雨になり、瞬く間に道路は水浸し、川のように流れた水が側溝に溢れ、水の行き場がないくらいでした。おかげで私の腰から下は傘が役に立たないくらいに濡れ、特に靴はひどい状態になりました。かろうじて電車の駅にたどり着き、隅っこの、ひとけのないベンチに腰を下ろして靴を脱いだら水がぼたぼた。靴下は洗濯機に入っているもののようでした。あたりを見回して誰もいないのを確認し、靴下を脱いで思いきり絞ったら
ジャーッとばかりに
水が落ちます。二度、三度と絞って、やっと水が出なくはなりましたが、履き直すのは気持ち悪いです。しかしどうしようもなくて靴下、靴を履き、歩くたびにグチュグチュと音を立てるのを気にしながら帰りました。
その後、6月後半に一度、七月第一週に一度、同じ道で同じくらいの
車軸を流すような雨
に見舞われ、やはり靴の中がぐっしょり。なぜこんな目に遭うの? と思っていたら、昨日の朝、またひどい雨に遭いました。
何だか悪いものに取り憑かれたかのようで、またまた靴下を脱いで乾かす羽目に。
「梅雨は明けました」とかなり早くに言っていたのに、今は「梅雨の戻りです」だそうです。
水もしたたるいい男、なんて言っている場合ではありません。もうこれ以上祟られたくありません。
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- [2022/07/13 00:00]
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出産の話をします
少し前に書きましたが、秋に講演会があります。「いのち」とか「はぐくみ」などが全体テーマらしいので、「私は和歌の話をします」というのもどんなものかな、と悩んでいました。それで考えたのが「病める藤原道長」という話でした。道長という人は何となく豪放で血の気が多くて元気はつらつみたいな印象を持たれるかもしれないのですが、実はわりあいに病気をしているのです。食あたりと思われるような激しい苦しみを日記に書き残したりしていますし、中年以降はどうやら糖尿病になったらしく、やたら水を欲しがったり、晩年は目が不自由になったりしています。よく知られる「このよをば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という歌を詠んだ時(道長五十三歳)は道長の栄華の絶頂で元気はつらつたる権力者のように思われがちなのですが、実はこのころには心臓を悪くしたり目が見えにくくなったりして病状はよくなかったのです。その後も、体のだるさがひどいとか、夏には氷水を飲むために何度も座を外したりしたとか、そんな記録がその現場を目撃した貴族の日記にも出てくるのです。また彼は臨終に際して西向き北枕にして阿弥陀仏を拝しながら穏やかに極楽に赴いたかのような記録が『栄花物語』に出てくるのですが、実際は
のたうち回る
ようにしながら最期を遂げたらしいことも記録に残っています。
いくら身分が高かろうと、権力を保とうと、生老病死の苦しみは誰しも同じなのですね・・・なんていう話をしようかと思ったのです。ところが、この話をする場合、ほとんど文字の史料を用いることになります。しかも変体漢文と呼ばれる漢字だらけのもので、ひょっとしたら難解で退屈に思われるかも知れないな、と不安になってきました。そこでもうひとつ「平安時代の出産」というテーマを思いついたのです。こちらなら、絵画史料がありますので多少なりとも関心を持っていただけるかもしれませんし、「はぐくみ」というテーマにも合いそうに思ったのです。私が親しく読んできた『紫式部日記』『源氏物語』などにも出産の場面は出てきますので、多少は知っていることもあるように思うのです。
また、今と違って当時は
座産
でしたから、いつごろまで座産は行われたのか、とか、海外ではどうだったのか、とか、そんなことにも触れたらどうだろうかと思いました。
そして、タイトル提出の締め切りが来ましたので、「ええい!」とばかりに出産の話に決めてしまいました。
この夏には、史料を整理しておこうと思います。
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- [2022/07/12 00:00]
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『日吉丸稚桜』のはずが・・
Facebookで『伊賀越道中双六』「沼津」の解読を終えたとき、今度は平安時代の物語の写本を写真で出してみようかなと思ったのです。しかし私はそんなものは持っておらず、写真版になっているものはありますが、それは著作権の事を考えると勝手に使うことはまずいのではないかと思うようになりました。
そんな折、淡路の女義さんから「また次の外題をよろしく」というようなお言葉をいただきました。お世辞でおっしゃってくださったのだとは思うのですが、それを真に受けてしまうのが私の悪癖(笑)なのです。
そうは言っても、私はそんなにあれこれ床本を持っているわけでもなく、また、持っているものの中には、失礼ながらあまり上手な字とは言えないものもあるので、そういう本は表に出すのはいささかためらわれるのです。
比較的いい本だと自分では思っているものに、「○勝」という人の書いた『日吉丸稚桜(ひよしまるわかきのさくら、ひよしまるおさなざくら)』
「駒木山城中」
がありますので、これはいいかもしれないと思ったのです。この作品なら、私もこれまであまり熱心に読んでいないので自分の勉強にもなります。堀尾茂助とその妻お政(お酒の大好きな人)、お政の父五郎助らによる悲劇です。
ではさっそく調べてみようと、床本を置いている書架を見たら、この本がないのです。この作品の床本は、二種類持っているのですが、どちらも見当たらないところを見ると、きっと何かの事情でどこかにまとめて持ちだして、それをまたどこかに置きっぱなしにしているのだろうと思います。それで、思い当たるところをいろいろ探したのですが、見当たりません。古い本ですから、縦に立てて保管することは考えられず、背表紙があるわけでもないので、見つけにくいということもあるかもしれません。どこかの箱に入ってしまったのかもしれないのですが、今のところ行方不明です。
ちょっとがっかりして、改めて書架を見ると、これは印刷されたものではあるのですが、『菅原伝授手習鑑』
寺子屋
がありました。「寺子屋」なんて、もうどなたもご存じなので、今さら読まなくてもいいだろう、と思ったのですが、よく考えると、あまりにも有名なだけに、私自身、細かく読んだのかと言われたらまるで自信がなくなってきました。この際、「寺子屋」をもう一度読み直してみようかな、という気持ちがにわかに沸き上がりました。
そんなわけで、またまたご迷惑を顧みずに「床本を読む」シリーズ第二弾を始める予定です。
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- [2022/07/11 00:00]
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夏越の祓
少し前に6月30日が過ぎました。一年の半分が終わったことになります。ただ、「年度」ということであれば4月1日からが一年の始まりですから、まだ3か月しか経っていないことになります。私はいつもそう思うようにしているのです。
旧暦で言いますと、六月晦日は夏の終わりです。今年は7月28日が旧六月三十日にあたります(年によって異なります。旧暦六月は二十九日で終わることもあります))。ですから、昔の人の感覚ではだいたい今の7月終わりから8月初めころが一年の半分の終わった日という感覚だったことになります。まだ暑さは続くのですが、今の8月7日頃が立秋ですから、そろそろ秋を感じ始める日が出てくるのです。
学生時代、毎年8月10日ころから1週間、ほぼお盆の時期に研究会で京都に通っていました。何しろ京都ですからとても暑いのですが、16日に会場になっていた出版社のホールの屋上に上がって
五山の送り火
を見ると、ああ、夏が終わった、と感じたものでした。
「秋は涼しい季節」と簡単には言えず、「暑さが次第にやわらぐころから朝晩冷えてくるころ」というのが実際の季節感だったと思います。それに準じていうなら、夏は「日が長くなって寒さを感じなくなったころから日暮れが早くなったと感じ始めて暑さも峠に達したころ」というくらいでしょうか。
私は今年、初めて近くの神社で6月30日におこなわれる
大祓
の行事に参加してきました。夏越の祓とも言われます。これまではそんなものどうでもいいと思っていたのに、人間は歳を重ねると変わるものだ、としみじみ思います。行事は夜の7時から始まったのですが、まだ空は明るく、行事が進むにつれて少しずつ薄暗くなる、という感じでした。神社の総代の方が参詣者に人形(ひとかた)と「大祓詞」の印刷された紙を配り、宮司さんの声に合わせて唱和するのでした。それが終わると、「みなさん、お配りした人形で身体を拭ってください」という案内があって、一同、その小さな人形で身体のあちこちを拭います。そして茅の輪くぐり。宮司さんを先頭に、ぞろぞろと境内を大回りします。人数が、ざっと見たところで130人から150人くらいでしたので、途中で神主さんが最後尾の人とぶつかってしまうくらいでした。宮司さんはあの装束ですから、あまりの暑さに何度も汗を拭っていらっしゃいました。来年からはやりかたを考えた方がいいかもしれません。
旧暦なら今年の場合7月28日におこなうわけですから、一日の最高気温はあまり変わらないかもしれませんが、日は落ちているでしょうから多少なりとも涼しく感じられないだろうかと思いました。
こういう行事は今の暦に合わせるのが普通になっていますが、ほんとうは旧暦で実施すべきものだと思います。
京都ではこの日にその名も「水無月」というお菓子を食べるのが習慣になっていて、最近はあちこちで売られているのですが、私は食べたことがないのです。同じ関西でもやはり違いを感じます。
余談なのですが、この神社は戦前までは無人だったのだそうです。ところが戦後しばらくして(もちろん私が生まれるよりずっと前のことです)Nさんという若い宮司さんが来られ、私が子どものころも宮司をなさっていましたから、きっとN家というのは代々この神社の宮司さんなのだろうと思い込んでいました。ところが、おそらくまだ50代くらいの若さで亡くなり、娘さんしかいらっしゃらなかったので、跡を長女の方がお継ぎになりました。この長女さんは私が子どものころに一緒に百人一首をした思い出のある方です(以前書きました)。ところが、次女の方が結婚なさって男子が生まれ、その人が成長して新たな宮司さんになられたのだとか。次女さんの結婚相手の方の姓ですから、お名前が違っていてわからなかったのですが、そういう形で跡継ぎができたのだそうです。
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独立
イチゴのランナーが次々に根付いてきて、新たな苗となって成長しています。イチゴは暑さが苦手ですので、これを元気なまま秋の植え付けまで管理しなければなりません。そこで次なる作業は適切な時期に子株を親株から切り離して、さらに孫株を子株から切り離すことです。いつそれをすればいいのか、実はネット上の「教科書」にはいろんなことが書いてあります。こういう場合はやはり信頼の置けそうなところの記事に頼ることにしています。
根付いたということは自分で土から栄養を取れるようになったことなので、親から切り離してもいいようです。いよいよ独立、
親離れ
の時がやってきました。七月のはじめに、その切り離し作業を始めました。子株も大きさや葉の数がさまざまで、しっかり根付いて葉が3,4枚出ているものから鋏を入れました。こうして切り離したものをあまり暑くならないところ、つまり明るいけれども直射日光が避けられて風通しの良いところにおいておけばいいようです。あとは水やりをしながら弱っていないか観察することだと思います。子株は病気を持っていることがあってあまり育たないかもしれないらしく、孫株の元気なものを来年の収穫用にするといいようです。ただし、子株をそのまま用いることも問題ないという意見もありますので、迷うところです。切り離してしまうと、どれが子株でどれが孫株かわからなくなりますので印をつけて別々に置くようにしました。
親株はずいぶん大きくて立派な姿をしています。イチゴは多年草ですから来年も生き延びるのですが、何しろ子株を育てるためにエネルギーを使いつくしているらしく、収穫を期待する株としては、来年はもう使えないらしく、すべてのランナーを切り離したら抜いてしまうほかはありません。
世代交代は
無常観
すら示しているように見えます。
これらの子株、孫株がどれくらい秋まで無事でいてくれるのかがわかりません。枯らせてしまうのではないかという不安はぬぐえず、ある程度の数を確保しておいて、できれば来年は3~5株を育てたいと思っているのです。もし順調に秋まで元気でいてくれたら子株、孫株あわせて20株ほどできますので、そうなると逆に困ってしまいます。家の前に箱を置いて「ご自由にお持ち帰りください」って書いておこうか、とも思っていますが、それは捕らぬ狸の皮算用。ともかく今は無事に育つように観察、育成に注力します。
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汚い食べ方
学生さんがこんなことを言っていました。「韓国のアイドルが好きなのですが、あの人たちが物を食べるときに口を開けてクチャクチャ音を鳴らしている様子を見るとがっかりします」と。
確かに日本人の感覚で言うと、こういうのは品のない食べ方と言われてもしかたがないでしょう。私も中学時代に経験があります。給食を食べるとき、机を四人が向かい合わせにくっつけて食べるのですが、そのときに真正面に食べたものを口に入れたまましゃべる癖のある同級生がいて、いささか閉口しました。やはり飲み込んでからしゃべるか、どうしてもしゃべらなければならないなら手を口に当てるかのどちらかでしょうね。この友人はとても成績優秀で一流高校に進学しましたし、性格もさっぱりしたいい人だっただけに惜しい欠点でした。
蕎麦屋やうどん屋に行くと、今でも多くの日本人は麵を音が出るのをいとわずにすすって食べます。落語でも蕎麦やうどんを食べるしぐさというと左手で器を持つ格好をして右手に扇子を持って箸の代わりにして
「ズズズッ」
と音を立てるのがお決まりです。あの音がないと何をしているのかわからないくらいです。
ところがパスタになるとそうはいかず、フォークで巻き上げてスプーンに乗せて、長い麵を丸くして食べます。あれをフォークで持ち上げてズズズッと音を立てて食べると途端に顰蹙を買います。そんなこともあってか、、海外の人が初めて日本の蕎麦屋に来ると、あの「ズズズッ」という音が不快だという人が多いのだとか。
やはりお国柄というか、文化の違いはいろいろあるものです。
私はお箸の持ち方は普通なのですが、物を食べるときのしぐさに
品がない
のです。食事をなさるお姿を見ているだけでほれぼれするような人がいらっしゃいますが、私にはとても真似ができません。せめて人並みのマナーくらい守れるといいのですが、それも怪しいのです。恥ずかしいから何とかしなければならないことはよくわかっているのですが、無頓着な性格が災いしてか、食い意地が張っているからか、いまだに直りません。一度にガバッと食べ物を取って口に放り込んで飲み込むまで時間がかかったり、レンゲを使わずに麺の汁を飲もうとしたり、見るに堪えないぶざまな食べ方なのです。ひどいときには肘をついたりしていてハッと気づくこともあります。
女性と丼とか麺類を食べに行ったりしたら絶対にダメだと思います(そんな機会はないですが)。
このところ、外食そのものをしなくなりましたので恥をかく機会がないのが不幸中の幸い(?)なのですが、そのうちに子どもの結婚式か何かがあったらテーブルマナーの復習をしないと大変なことになりそうです。
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- [2022/07/08 00:00]
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箸の持ち方
私は左利きですので、小さいころは左手で字を書いていました。あのころ、左利きは肩身が狭くてからかいの対象にすらなったのです。小学校1年生の時の担任が右手で書くようにと言ったのかもしれないのですが、そのころから私は苦しみながらその訓練を始めました。2年生の時に、とても優秀な同級生がいて、彼はまた小学2年生とは思えないようなきれいな字を書いたのです。あるとき、担任が「○○君、あなたのノートをみんなに見せてあげなさい」というので、何しろ2年生ですから素直にみんなに見せて回りました。私はなるほど上手だと思ったのですが、何だか寂しい気持ちにもなりました。自分はあんなきれいな字は書けないという強いコンプレックスが明確なものとなった瞬間でした。この同級生は人柄も穏やかで、誰からも嫌われることがなく、私も実はとても親しくしていたのです。しかし、成績が良かった彼は有名な私立中学校に行き、公立組の私は小学校卒業以来会うことはありません。
私はその後も悪筆のまま中学、高校と進み、気がついたら大学生になっていました。しかも国文科! 将来は高校の国語教員になる可能性が高かったので、このままこの字で教員になれるだろうかという恐ろしさから、大学生の時に
ひらがなの書き方
を勉強し始めたのです。遅すぎではありますが、しないよりはまし、ということで、古典の写本を勉強しつつ、仮名の書き方を覚えていきました。その結果、見事な達筆・・にはなりませんでしたが、高校の非常勤講師をしたときも悪筆で生徒から訴えられることはありませんでした。
もうひとつ右手で持つように言われたのがお箸です。スプーンやナイフは今でも左手で持とうとしてしまうので、公の場ではいつも右手に持ち帰るようにしています。
ただ、これに関しては、あまり苦労は多くありませんでした。幼稚園くらいの時はお箸の持ち方の変な子なんていっぱいいたわけで、私のように無理やり「矯正」させられたものは、自分で言うのもどうかと思いますが、むしろ持ち方はきれいなのです。だって、きれいな形で教わったので変な持ち方をすることすらできなかったわけです。これは鉛筆も同じことです。
今、若い人を見ていると、字もお箸も左手のままという人は少なくありません。「右手で持たせる意味がわからない」と正論も言います。たしかに、
自然のままでいい
というのは私も正しいと思います。私が右手で字を書くようになってよかったと思うのは、昔の文字を解読する場合、その字の墨の流れを追うのに便利に感じるときです。それにしても、昔の人も左利きはそれなりにいたはずですが、今残っている字はどうも右利きの人が書いたように思えます。あるいは彼らも私と同じように強制的に直されたのでしょうか。独特の文字を書いた藤原定家あたりはひょっとするともともと左利きだったのではないかな、と思ったりします。
ところで、箸の持ち方ですが、これもいろんな人がいます。俳優さんなどはきっと稽古してきれいに持つようにしているのだろうと思うのですが、タレントさんなどはそうでもないのでしょう。ある学生さんが「テレビのグルメ番組を観ると、タレントさんのお箸の持ち方が気になる」と言っていました。ペンの持ち方も、こういう厳しい視聴者には見られているかもしれませんね。
昔は、お見合いというのが多かったようですが、そんな時にお互いの親が相手の息子、娘の箸の上げ下ろしを見ていないとも限りません。
私のような、何事にも無頓着な礼儀知らずは、せめて箸の持ち方だけでもきれいに教わっておいたのはよかったと感謝すべきかもしれません。
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- [2022/07/07 00:00]
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虐待(2)
福岡での事件は何とも痛ましいものでした。
たしかに我が子を餓死させるというこの母親の行為は行き過ぎで信じがたいものではあります。衰える子どもの姿を見たらほかの誰かに相談するという判断があってもよかったでしょう。
これとよく似た事件は過去にも大阪であったのだそうです。仕事に忙しいシングルマザーの子を「世話してあげる」という「ママ友」が、子どもの母親に嘘を吹き込んでその子を不登校にさせたうえで、狭い部屋に監禁して食事をろくに与えず死に至らしめたというのです。
このように、「嘘で固めた心理的な支配」というのは想像を絶するほど恐ろしく強い力を持っているものです。詳しいことは(少なくとも今の時点では)言えませんが、私はこれとよく似た話を最近目の当たりにして、その恐ろしい力を実感しています。「嘘しか言わないような人を徹底的に信じるようになる」という不思議な人間心理は確かに存在するのです。
一見世話好きのように見えながら、必死になって人の金銭やものを、そして何よりも
人の幸せを奪う
ことに熱中するという、常軌を逸した人間なんて珍しくないのですね。
政治家にもそういう連中がごろごろといそうではありませんか。「これをすれば街の経済は安定します」と言って莫大なお金を投資してうまくいかなくても知らん顔。「文楽を、一生観ることのないあなたのお金で保護しなくていいんです」と言って喝采を得て文化を破壊しようとする。ところが信用している人は魔術にかかったようにそれを咎めることもしません。
面倒なのは支配されている人をこういう人から引き離そうとしても、何しろ信じていますので、「離れたくない」と言い張ることです。そもそも事件が起こらない、実害がない時点であれば、今のままで本人が幸せならそれでいいのかも、と遠慮してしまうこともあるでしょう。警察だって何も起こっていないのなら動いてくれないのが普通でしょう。
しかしこんなことを言う人がありました。「子どもがアル中で、このままお酒を飲み続けたら命はないと言われているとします。もしあなたがその子の親で、子どもが欲しがるからと言ってお酒を与えたら、それは
『虐待』
にあたります」。
なるほどそうですね。もちろん例外はありますが、本人が望んでいるからと言って必ずしもそのとおりにしてやればいいというわけではないのです。力づくでも引き離すというのはなかなか難しいところですが、それくらいのことをしなければさらに悲惨な結末が待っている可能性は高いのだと思います。
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- [2022/07/06 00:00]
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虐待(1)
「虐待」を辞書で調べてみると「ひどい扱いをすること」「ひどくいじめること」「残酷な待遇」とありました。いずれも単なる「いじめ」「いやがらせ」のレベルではなく「ひどい」「残酷」という言葉が入ります。
人が人をいじめるというのはあってはならないことですが、現実にはいくらでもあります。規律の厳しいところでは、上司に当たる人が時として残忍なことすらするようです。そして権力側の人間は、あたかもそれを楽しんでいるかのように、自分たちの行為が権力欲を満たしてくれるようで喜んでいるかのように見えることもあります。その姿のなんとみっともないことか、と思いますが、本人は意外に英雄気取りだったりするようです。ただ、残忍なことをする人はほんとうに極悪人なのかと言うと、実は凡庸な人であったりします。言葉は悪いですが関西弁で言うなら
「あほみたいな人」
ということです。以前書きましたが、ヒトラーの下で残忍なユダヤ人虐殺を遂行したアイヒマンという人は政治哲学者のハンナ・アレントから見ると拍子抜けするほど凡庸な人だったようです(『エルサレムのアイヒマン』)。
子どもに対する虐待のニュースは目をそむけたくなるほどかわいそうなものですが、これだけ社会問題になっているのになおも途絶えないようです。
今から2年前に、母親が5歳の子を餓死させたという痛ましい事件がありました。この事件に対する裁判の判決の第一弾として、この6月に母親に言い渡しがありました。このとき注目されたのは、この母親が100%自分の意志でそのようなことをしたのではなかったことです。いわゆる「ママ友」という人物が、「あなたの夫が浮気している」「ほかのママ友が悪口を言っている」などと、ありもしないことを吹き込んだあげく、この母親を心理的に支配してしまって、家計まで管理するようになり、子どもの食事を制限させて、とうとう悲惨な結末を迎えてしまったのです。「判決の第一弾」と言ったのは、まだ第二弾としてこの「ママ友」の判決があるからです。
その母親への判決として、6月17日に福岡地方裁判所は「数々の噓によって経済的に搾取され、心理的に支配され、生活全般を実質的に支配されていた被害者としての側面があり、これが犯行に及んだ要因となっていた」と認定したうえで、
懲役5年
の判決を言い渡しました。検察の求刑は懲役10年でしたから、実刑ではありますがかなり事情を斟酌されたことになります。今後、刑務所での生活次第では、もっと早く社会復帰できるのではないでしょうか。
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- [2022/07/05 00:00]
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社会人のための講座
私は自分の仕事として社会人の皆様に対する講座を実施することを重視してきました。大学というのは、基本は学生への教育ですが、同時に社会人への奉仕もしなければならないのです。これはたいていの大学の学則に書かれています。私が初めて仕事をした短期大学では講座がなく、まだ若造ではありましたが、私は積極的にやりましょうという意見を出してその企画に関わりました。そのあとに勤めた短期大学でもやはり講座はなくて、私は学長にも直接談判したことがあったのですが、やる気がないようでした。小さな短期大学なんて、やがて消滅する可能性が高いのに、なぜ社会にその存在をアピールしないのか、不思議ですらありました。地元の人から「学生がくわえたばこをして溝に吸殻を捨てる」「学生の登下校の際のおしゃべりがうるさい」などという不満がいくつも届いたことがありました。もちろん学生にも責任はあります(特にくわえたばこ)が、大学が地域の住民に開かれていないから嫌悪される面もあったと思うのです。だからこそもっと大学を開放したらどうですか、と学長に言ったのですが、知らん顔をされてしまいました。この学長は天下りの人で、「私はインテリですから」といわんばかりのとりすましたような感じがあり、そんな安っぽいことをしてどうするという気持ちだったのかもしれません。いや、案外、
隠居仕事
なのだから、面倒なことはしたくない、というのが本音だったのかもしれませんが。当時はまだ学生がたくさん来ていた頃でしたから、何もしなくても学生は来るという驕りがあったのではないかとすら思います。天下りの人は危機感がないので困ります。
その後、案の定というか、短期大学がつぶれて、四年制になりました。そして、やっと講座が開かれるようになると、私は自主的にずっと担当していきました。「文楽の女性たち」「『日蓮上人御法海』講読」「百人一首の古注釈」「紫式部日記講読」「伊勢物語講読」「枕草子講読」「源氏物語講読」などを二十年ほど続けました。ところがこれは「儲けにならない」というので、中止になってしまいました(表面上の理由は「コロナ禍のため」)。講座で儲けようなんてもってのほかだと思うのですが、貧乏な学校ですから「貧すれば鈍する」ということなのでしょう。結局また昔の短期大学に戻ってしまったのです。
私は学外でもできるだけお話をするようにしたいと思っていたのですが、幸い、広島市、宝塚市、箕面市、吹田市、大阪市などの講座に呼んでいただきました。
ところが最近は
文学や歴史
の講座というのがあまり流行らないのか、こういうことがめっきり減ってしまいました。著名な偉い先生たちは相変わらずなさっているのでしょうが、私のような者には声がかからなくなってしまいました。
今年の秋、久しぶりに1時間だけ講座をすることになりました。まだはっきり決まってはいないのですが、「病める藤原道長―平安時代の病気と医療」というような話にしようかなと思っています。「なんでまたそんな話を?」と思われるかもしれませんが、主催者がテーマを決めていて、そのテーマに沿う話にするためにこんな内容を考えたのです。
吹田市ですのでいささか面倒かもしれませんが、どなたでもご参加いただけますので、皆様どうぞお越しください。詳細はまた後日。
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- [2022/07/04 00:00]
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靴の苦痛
セクシャルハラスメント、性的虐待などの被害を告発する「#MeeToo(私も)」運動が主に女性の声としてTwitterなどで展開されました。「泣き寝入りはしない」という意識の高まりはとても重要なことだと思います。あたかも「泣き寝入りすることが大人の分別だ」といわんばかりの従前の世の中の風潮なんて、とんでもないことです。どんどん告発すべきだと思います。私は学生にも、世の中の理不尽なことに対して黙っていてはだめだ、と言い続けてきました。私自身も理不尽にはうるさがられるくらいに立ち向かうことにやぶさかではありません。
この運動は日本でも被害は被害と言おう、という空気を生み出すようになり、フリージャーナリストの女性が報道記者から受けた準強姦被害を告発しました。さらに写真家や官僚、映画監督など強い立場の人から被害を受けた人たちも告発するようになりました。
そんな折、ある女性が「女性が仕事で
ヒールやパンプス
を履かなきゃいけないという風習をなくしたいと思ってるの」(2019年1月24日のTwitterへの投稿から)と言って、これが大きな反響を呼びました。この人は、ホテルでアルバイトをしたときに、ずっとパンプスを履くように強要され、足がダメになった経験からこういう発言をしたそうです。そしてこれが「#KuToo」運動として広がりを見せました。「#KuToo」は「#MeeToo」の「もじり」ですが、実は「靴」に「苦痛」を掛けた言葉でした。
ハイヒールはおしゃれな靴として今でも好む人は少なくありませんが、こういうものを長時間履いていると足が痛くなるというのもよくわかります。そしてその結果として
外反母趾
になってしまう人も少なくないようです。外反母趾は指の形が変形するだけでなく進行すると激しい痛みもあるようで、好まない人に無理やり履かせるのはやはりおかしいと言わざるを得ません。
私はこの数年、特によく歩くようになったのですが、安っぽい靴しかありませんので、いささか外反母趾の症状が現れています。痛みはないので特に気になるほどではないのですが、進行しないようにしようと思っています。靴は移動する時だけにして、勉強するときなどはスリッパに履き替えたりしています。安い靴を履いたために外反母趾になって治療費がかかって結局は高くついた、なんて本末転倒です。
夏の散歩は下駄とか草履なんていいだろうな、と思っているのです。
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- [2022/07/03 00:00]
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アカハラは続く(2)
6月に、東京の私立大学で、ある教員が異性の学生を国内外の研究旅行(?)や私的な旅行に連れて行き、同じ部屋に宿泊するという行為を繰り返したというので、停職6か月という処分を受けたというニュースがありました。教員と学生のどちらが女性でどちらが男性なのかなどはプライバシーの観点から非公開でした。そしてこの人は処分を受けた直前に退職しています。これは私の「ゲスの勘繰り」ですが、懲戒解雇にすべきところ、退職すれば処分は軽くするというような約束があったのかもしれません。こういう例は私もかつて目の当たりに見たことがあるので、つい勘繰ってしまいました。
また、同じ大学で男子大学院生が女性の准教授に愛人のように扱われて何度も性的な関係を迫られたと告発したことがありました。しかし大学が
「問題はなかった」
という結論を出したために、この学生さんが今年の3月に訴えを起こしたというのです。
こういう事例は過去にもいくつもありました。
★国立大学の教授が大学院生の研究を自分と共著で発表するように言って、もし拒否したら留年させると伝えた
★国立大学の教授が学生らに懇親会に参加することを強要したとして停職3か月の処分を受けた
★国立大学の大学院生が本来研究したかったことをさせてもらえなかったことなどを苦にして自殺した
★公立大学の教授が17人の学生にアカハラをおこなったことを大学が認定して停職3か月の処分を下した
などの例がいろいろ出てくるのです。上席の研究者の傲慢がこのようなことを生むのではないでしょうか。特に気になるのは、一般的に「一流大学」と言われる大学の教員がこういうことをしがちだということです。人間は驕り高ぶると逆に弱さを露呈するものです。処分を受けた人たちは心から反省をしたのか、「処分を受けたのだから文句はあるまい」という高飛車な態度でその後もあまり変わらなかったのか、それは知りません。
私はこういうハラスメントが被害者に精神的、肉体的苦痛を与えるのみならず、
研究、学習への意欲を失わせる
ことを問題にしてこれまで学生に話をしてきました。教員というのは、誰からも「先生、先生」と呼ばれて天狗になってしまうことがあり得ます。私はそんな価値のある人間ではないので、以前から、学生以外の人には「『さん付け』で呼んでください」とお願いしているのですが、それは自分の中に傲慢さが生まれないようにという気持ちからです。それでも、心のどこかで「人よりエライ」と思い込んでいることはないだろうかと常に自戒します。
私は専攻の特質から、幸か不幸か「研究室の部下」というものを持ちませんでしたし、人に偉そうにするような業績もあげることができず、アカハラに当たることはしたことがないはずです。女子大学ばかりに勤めてきましたのでセクハラは可能性があったのですが、それもおそらくしていないと思います。何も自慢できない教員人生ですが、それくらいは間違いないだろうと思っています。
アカハラは、今後も続くのでしょうか。
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- [2022/07/02 00:00]
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