fc2ブログ

浄瑠璃脳 

「浄瑠璃脳」というものがあるのかどうかは存じませんが、要するに「浄瑠璃を作る頭脳のつもりで言っているのです。
私は自称浄瑠璃作者(笑)なのに、このところ新作が書けていません。忙しいから、というのはウソで、集中していないから、というのが正直なところです。こういうことをする場合、とにかく朝から晩まで集中して、調べることを調べて言葉を探っていかなければできません。
まずはどういうものを書くのかという大枠を考える必要があります。何が言いたいのか、そのためにどういう人物を造形すればいいのか。次には、何しろ浄瑠璃ですから、ある程度は時代背景を考えなければなりません。もっとも、江戸時代の作者たちはそんなことおかまいなしで、菅原道真の時代に寺子屋を出してくるし、登場人物が月代を剃っているし、めちゃくちゃと言えばめちゃくちゃなのです。しかしそれは浄瑠璃が現代劇であった時代のことで、21世紀の今、(ほかの人は知りませんが)私が浄瑠璃を書く場合はほぼ江戸時代を基準にします。

    200年から250年

くらい前の江戸時代を前提にしています。そうすると、お金の単位も、着ているものも、住居も、調べないとよくわからないのです。これは「脳」というよりは調べる力でしょう。江戸時代の風俗などは手軽な本でも調べることができるのでまずそういうもので調べて、もう少し専門的な文献で確認することが多いです。そういうことをして殴り書きのようなものをたくさん作って、少しずつ文章を書いていくのです。
ところが、なにしろこの1年ほど新作を書いていませんので、どうもその「脳」というのが

    鈍くなっている

ような気がします。
今(八月下旬現在です)、久しぶりに新しいものを書いているのですが、このさびついた脳がなかなか動き出しません。以前であれば、何でもいいから浄瑠璃を聴くことでイメージが作れたり、節回しが思い浮かんだりしたのですが、今はそういうことができませんので、脳内でイメージを築き、節を考えなければならないのです。
こうなったらもう起きている時間は集中して考え続けることで頭を研磨して錆を取らねばなりません。ほかにもすることがあるのですが、すべて締切ギリギリで出すことにして、もうひと頑張りしようと思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

スポンサーサイト



リール(2) 

リールの中には外国語(多くは英語)の言い回しをネイティブスピーカーがおもしろく説明する、というのもあります。発音の説明もあるのですが、それについては私にはよくわかりません。それを観ていると、私が中高で習った英語はとても硬いもので、あまり会話向きではないのだろうな、と感じます。何と言っても、受験のための英語でしたから、話す練習などしていないも同然でした。そういう意味で、発音はともかく、英語の言い回しを教えてくれるリールは何度か観たことがあります。どうせすぐに忘れる(笑)のですが、一瞬「なるほど、

    そういう言い方ができるのか」

と思えるだけおもしろいのです。
とても目立つものの、「なに、これ?」としか思えないものに、若い女性が出てきて何も言わずに(言ってるのかな?)髪をさっと掻きあげたり、足を組みなおしたり、流し目をしたりする動画があります。いつも「何してるの?」と思ってしまいます。おそらく「美人」をアピールしているナルシス風の動画なのでしょうが、不思議で仕方がありません。私は彼女たちが子どもに見えてしまうので、およそ興味がありません(笑)。
「やらせ」と思われるリールも多々あります。私の目から見ると、海外のものに不思議というか、ちっともおもしろくないものがあります。
盲人のふりをした人(Aさん)が池などにはまりそうになります。するとそこにどういうわけかパソコンを開いている人(Bさん)がいて、その人が慌ててしまってパソコンを(かなりわざとらしく)池に落としてAさんを助けるのです。Bさんは自分のパソコンが池に落ちたために頭を抱えているのですが、Aさんがさっと眼鏡をはずしてカメラを指さし、

    「prank(いたずら)だよ」

という顔をします。そして隠し持っていた新しいパソコンをBさんにあげると、Bさんは喜んでAさんと握手したりハグしたりするのです。そんなわけがないですよね。パソコンは単なる機械ではなくてデータの入ったものですから、喜ぶはずがありません。どう考えても「やらせ」なのですが、こういう動画を作っておもしろいのかなと思えてなりません。あれを日本人が動画としてアップしたら非難されるのではないかとすら思います。
ほかにも、度が過ぎるいたずら(これも多分「やらせ」です)をする動画などがあって、さすがは「トムとジェリー」の国だと思います。
あまりこういうのがエスカレートすると、演出過剰になって、「やらせ」ではなく人に迷惑をかけるような、してはいけないことをしてまで動画に撮ろうという人が出てくるのではないか、あるいはすでに出ているのではないかという不安があります。
・・・なんて、つい観てしまうのがリールの怖いところで、時間が無駄になってしまいます。最近はもう観るのをやめるようにしています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

リール(1) 

最近、なのかどうかは知りませんが、インスタグラムやフェイスブックを見ると、リールという動画が流れてきます。TikTokというのもありますが、私はインストールしていませんから、直接は観ません。
リールの動画の中には、おもしろいもの、罪のないものがいろいろあります。ある、愛嬌のあるかわいい奥さんとそのご亭主が作っているものはほんとうに罪がなく、若いご夫婦が仲良く動画を撮って楽しんでいる様子が伝わり、とてもファンが多いようです。小さな会社の中で女性社員さんが上司(まだ若い人)にいたずらをするような動画もよく流れてくるのですが、その上司がやり込められるようすがおもしろくてとても人気があるようです。いたずらといっても、突然水鉄砲で攻撃(笑)したり、社内でそうめんを湯がいたり、礼儀に外れた挨拶をしたりしているようなことです。上司も怒ったふりをしながらにこにこしているので、上司と部下が和気藹々と楽しそうに仕事をしている、という雰囲気が伝わります。おそらくこういうのは企業のイメージ戦略として作っているのだろうと思います。
かと思うと、「知識人」らしき人がその知識や体験を基にして

    「ほんまかいな?」

というような弁舌を流すものもあります。いつぞや流れてきたものを見ると、どういう人かは知りませんが、さかんに人差し指をこちらに向けて上下させ(つまり「こうなんだよ、君」と教え諭すような身振り)ながら、早口で話しているのです。その内容はこういうことでした。パチンコ、競馬、競輪、宝くじなどの賭け事では、頭のいい人はパチンコをする、というのです。その根拠として、賭けたお金の還元率というのでしょうか、どれくらいが店や主催者の儲けで、どれくらいが賭けた人に返ってくるかの数字を列挙するのです。「競馬は○%、競輪は○%・・」のようにまくしたてます。すると、還元率の高いのはパチンコなので、賢い人はパチンコをする、賢くない人は還元率の一番低い宝くじを買う、というような話に持って行っていました。ひどいなぁ、と思ったのですが、「へぇ」と思いながら聞く人も多いのだろうと感じました。考えればすぐにわかることで、例えば、大学生の時に2,3回友だちに連れられて行っただけでほとんど経験のない私がパチンコをして1,000円勝つ確率と宝くじで1,000円当たる確率なら、どう考えても

    宝くじの方が高い

です。一方、パチンコにしょっちゅう行く人が1,000円稼ぐ確率は宝くじよりずっと高いのだろうと思います(知らんけど)。競馬だってきっと同じでしょう。宝くじならほぼ「運」ですが、パチンコなんてやはり「腕」が必要でしょう。そういうことはおかまいなしで数字だけを根拠にものを言うとこういう詭弁になってしまうのですね。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

あせっています 

書かなければならないものの締切が迫ってきました。
今どきの言葉を使うなら、かなり「やばい」です。二つの原稿を並行しながら書いており、共倒れになるのではないかと心配しています。
ではひとつは諦めたらどうか、と言われそうですが、それはできません。二兎追う者は二兎を得ると言いますよね(言わない)。
明日までにひとつ。それから1週間でもうひとつ。枚数は

    20枚くらい

で大したことはないのですが、能力の限界ギリギリだと思います。
昔、ある偉い先生が、10日で

    岩波新書

一冊を書き上げる計画を立てられ、見事に実行されました。1日30枚だったそうで、大変だっただろうと思います。
それに比べれば大したことはありません。ラストスパート、頑張ります。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

中秋 

もう、猛暑は終わったのでしょうか。このところ、夜などなかなか快適でよく眠れます。
来週あたりは、最低気温が20℃台、つまり、夏日が途切れる日がありそうです。
世間ではこういう気温になると秋の訪れというのでしょう。しかし、旧暦ではとっくに秋。なんと、今日は旧暦の

    八月一日

だそうです。茨城県あたりには、「八月一日」あるいは「八月朔日」と書いて「ほづ(ず)み」と読む姓の方がいらっしゃいますが、これはこの日に稲の穂を摘んで神前に供え、豊作を祈ったからだとか。
いずれにしても、今日から

    中秋>

なのです。あと2週間で中秋の名月。月齢は13.8だそうですが、9月10日がそれにあたります。
だんだん涼しくなります。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

株式 

私はお金もうけに疎く、それが今の人生をわびしいものにしている(笑)のかもしれません。もちろんそれは「お金があればわびしくない」という考えに立った場合のことですが。
「金持ちは投資し、貧乏人は貯蓄する」と言われることがありますが、私などはその「貧乏人」の典型で、わずかに持っているお金は銀行預金ばかりです。
父は、学校は商業系で、商社でサラリーマンとして勤め上げました。若いころから株を買っていましたし、しょっちゅう

    日本経済新聞

を読んでいる、というタイプの人でした。世の中の経済の動向なんて、私にはまるでわかりませんが、父はそういうことに関心のある人だったのです。
以前、と言っても25年くらい前ですが、仕事場によく「マンション経営しませんか」とか「○○の先物取引をしませんか」という電話がかかってきました。あのころはダイヤルインではなかったので、事務の人が取り次いで内線電話につないでくれたのです。もし怪しげな会社名を名乗っていたら不在を決め込むのですが、そういう電話は個人名を名乗ってかけてきますので、うっかり電話をつないでもらってしまったのです。彼らはとにかくこちらにものを言わせずに「お金もうけしなさい」とまくし立ててきました。一種の霊感商法のような感じでした。いつも私は「この学校は給料が安いから無理です」と断り続けましたが、あんまりそっけなく断るので、中にはイタチの最後っ屁よろしく、電話の向こうから「あんた全然家族のこと考えてないんですね」と

    捨てぜりふ

を吐く輩もありました。そういうのが多かったためによけいに投資というものに興味を持つ機会を失っていきました。
実は、私はそれでもわずかながら阪急電車の株を持っているのです。といっても、自分で買ったわけではなく、父親が工夫して私の名前で買って持たせてくれたものです。ですから、年に二回、私あてに優待券を送ってきます。でも「甲子園歴史館の招待券」とか「阪急系列ホテルの割引券」など私が使わないものばかり。今株価がいくらなのかとか、そういうことはまったく知りません。
その株の証券とかいうものはどこにあるのかもわからず(委託している?)、定期的にやってくる株主総会の案内を見てもちんぷんかんぷん。どうすれば追加で株を買えるのか、あるいはどうすれば売れるのかも知りません。
ところが、長男が最近やたら株を買っているらしく、しょっちゅういろんな会社から案内が来たり優待券が届いたりしています。数学が専門なので、数字に強いのは当然。私としては感心することしきりです。
ああ! 隔世遺伝。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

笑顔は見せない 

私は柔道という武道が好きでした。高齢の柔道家が軽々と若い人を投げ飛ばす(試合ではありません)映像を見たときはほれぼれしました。一分のすきもないというか、これが柔道の本質なのだと思いました。1964年の東京オリンピックで競技種目にされて、世界的にもどんどん広がりを見せたのでした。海外に行くと思いがけないところに道場があったりするのだそうです。
普及という意味ではよかったのかもしれませんが、相手を倒すことが目的化してしまって、どこか本質からずれて行ったような気もしていました。
何度かここに書いたことがあるのですが、私は国民的な人気があるとされたある柔道選手がオリンピックで決勝戦で勝った(つまり金メダルを取った)瞬間に相手選手をまたぐ(もっとひどい言い方をするなら「踏みつける」)ようにして喜びを爆発させたのを見て、一気にこの競技への関心が薄れました。
まだ礼もしていないのに、大はしゃぎでした。
それ以後、何度か見たことはあるのですが、やはり似たり寄ったりで、勝てば両手を突き上げたり飛び跳ねたりして喜ぶ、負ければふてくされたような顔でろくに

    礼もしない

という選手がたくさんいたのです。
オリンピック競技はスポーツなんだから、勝ち負けを重視するのは当然なのかもしれませんが、柔道だけはそれ以上に大切な品格を失ってそれでいいのか、という考え方を持ってしまうのです。そんな古くさい考え方をしてどうするのか、と言われるかもしれませんが、いまさら「新しい考え方」に宗旨替えをするつもりはありません。世界に配信されるテレビ映像としてはああいう派手な動きをする方が都合がいいのかもしれません。しかしいつのまに映像としてどう映るかということが重視され過ぎるようになってしまったのでしょうか。
先日の新聞に、

    中村美里さん

という柔道家の記事が出ていました(あえて「柔道家」と呼びました)。中村さんは試合中いつも柔道着をきれいに整えていて、乱れた姿を見せないのです。そしてその理由については「きれいに柔道着を着て、きれいに投げる、というのが魅力」「(柔道着の乱れを)直すのは自分の美学」と言っています。実際は、少し乱れた方が勝負には有利になる(相手が道着を持ちにくくなる)ようなのですが、それを潔しとしないのだそうです。
そして彼女はさらにこんなことも言っていました。「(自分が勝った場合)負けた相手に笑顔を見せるのは失礼。喜ぶのは畳を下りてからでいい」。
この記事を読んで、私はすぐにYouTubeで彼女の試合の映像を見ました。たしかに「待て」がかかるとさっと帯の中に道着を差し込んできれいな姿で「始め」の声を待つのです。勝負に勝っても、そのままの表情で礼をして畳を下りていきます。こんな人がまだいるのだ、と少しうれしくなりました。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

珍しい木 

私の家(といっても親の家で、私は居候ですが)のささやかな庭には親の趣味でいくらかの木が植えられています。
この時期目立つのは百日紅の木です。当分は赤くてかわいい花を見せてくれますので夏から秋にかけては飽きません。金木犀もあります。これはまたもうすぐ香りで存在感を出してくれます。もうひとつ、実に変わった姿の低木があるのです。地面から上の部分が丸っこく膨らんでいて、少し上からはほそくなって伸びていくのです。その部分だけを見ると徳利のような形をしています。葉はとがっていて南国の雰囲気があります。少し調べてみると、こういう感じの植物にトックリヤシという名前のついているものがあるのですが、どうもそれとは違うみたいです。トックリヤシは葉が羽のようになっているのですが、家にあるものは一枚ずつ噴水のように付いています。
トックリヤシは名前のとおりヤシ科の植物でマスカリン諸島原産だそうです。そのマスカリン諸島というのはどこにあるかというと、インド洋の南西部で、マダガスカルの東に位置します。トックリヤシは日本ではあまり流通している植物ではないそうです。
ではこれはいったい何なのか、というと、よく似た名前で

    トックリラン

というのだそうです。こちらはリュウゼツラン(龍舌蘭)科の植物で、メキシコ南東部原産。徳利部分には水分を蓄えているのだそうで、土が乾燥しても平気なのです。
どちらにしてもちょっとトロピカルな感じがして、珍しいものを植えてるんだな、と思っていました。観葉植物として鉢植えで室内に置くこともできるようですが、私の家のものはすでに2メートルほどの高さになっています。
花はめったに咲かないのだそうで、

    数年から数十年に一度

しか咲かないと言われています。私もまったく観たことがありません。
ところが、このところ、その2メートルほどの幹の上に何やら新しい枝が伸びてきたように思っていたのです。しかし枝にしては奇妙な姿をしているとも思いました。どうやらこれが花らしいのです。なんとも不思議な形で、1メートル近く上に伸びています。ネットで調べてみたら、「トックリランの花が咲いた」という新聞記事がいくつも見つかりました。やはり、それくらい珍しいものらしく、何かいいことの前触れか、はたまた悪いことの前兆かと期待と不安を抱いているところです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

大原の甑 

出産は女性にとって大変な仕事で、痛みに耐えつつ必死に子を産み落とします。今は出産のあとに命を落とす人は少ないですが、昔はそうはいかなかった、ということは以前書きました。子を産むときのみならず、後産がうまくいかずに苦しむ人も多かったのです。そんな時にはやはりおまじないをしたようです。
『彦火々出見尊絵巻』の出産の絵には土器を踏み割っている女性が描かれます。裾をまくり上げて足を思いきり上げて割っています。その場面全体は今まさに出産しようとするところらしく、後産にかかわらず土器を割っているようにも見えます。ただ、絵巻物では

    異時同図法

といって、ひとつの場面に別の時間に起こっていることを描く方法があります。もしそれが適用できるのであれば、出産の場面を描きつつ、後産のために土器を踏み割っていると見ることは不可能ではないと思います。
ほかにも後産の無事を願うおまじないがありました。『徒然草』に「御産のとき甑落とすことは、さだまれることにはあらず。御胞衣(えな)とどこほるときのまじなひなり。とどこほらせたまはねば、このことなし。下ざまより事おこりて、させる本説なし。大原の里の甑を召すなり。古き宝蔵の絵に、賤しき人の子うみたるところに、甑落としたるを書きたり」とあります。(皇族の)お産のときに甑(こしき)をおとすことがあるがそれは決まったことではない。後産が滞りなさった時のまじないである。滞らなかった場合はしないのだ。庶民から起こったことでこれという根拠はない。大原の里の甑を取り寄せるのだ。古い宝蔵の絵に、身分の低い者が子を産んだところに甑を落とす様子を描いている・・というわけです。
甑を落とす、というと、『平家物語』「公卿揃」に有名な場面があります。清盛の娘徳子が高倉天皇の子を産みます。生まれたのは皇子つまり男子でした(少なくとも男子ということになっていました)。そのとき、男子であれば甑を南側に落とし、女子であれば北側に落とすのがきまりだったのに、なぜか北側に落としてしまった、のです。慌ててやり直したらしいのですが、これが

    安徳天皇女性説

につながっていきます。『義経千本桜』「渡海屋」でも安徳天皇は世を忍ぶ仮の姿の「娘お安」として登場します。
『平家物語』では後産云々というよりも、生まれた子の性別を知らせるかのような行為に見えます。実際は後産のためだったのかもしれませんが、生まれた子の性別によって落とす方角が決まっていたために思わぬ過ちを生んでしまったことのほうが重い意味を持ったのでしょう。
ところで、『徒然草』に「大原の里の甑」と書いてあったのはどういうことでしょうか。実はこれは「大原」=「大腹」、「こし(き)」=「腰」のことで、それを落とすということは大きな腹にある胎盤などを早く外に出す意味を持っているようなのです。
江戸時代の明和八年(1771)刊の『女芸文三才図会』には屋根から甑を落とそうとしている人物の絵が描かれています。そこには「はやくあとざんのをりるやうに(早く後産のおりるように)」と書かれていて、やはり後産のためのものという認識があったようです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

入道雲 

夏の風物詩というと、風鈴とかスイカとか夏祭りとか水泳とか、そんなものを思い出します。浴衣姿なんていうのも夏ならではですね。広島の圓隆寺の稲荷大明神祭は「とうかさん」と言われます。私が当地の短大に勤めた一年目に女性事務職員さんに「とうかさんに行きませんか」と誘われ、何のことかと思いました。「どういう意味ですか」と聞いたら「6月におこなわれるお祭りで、この日から浴衣を着るのです」と教わりました。「とうかさん」のいわれは「稲荷」の音読みが「とうか」だからですが、それを6月10日にひっかけて、その時期におこなわれたこともあったようです(今は違います)。
もうひとつ、入道雲というのも夏らしいものです。しかしどうも最近入道雲というものをあまり見なくなったような気がします。私の気のせいなのか、気候の変動なのかは知りません。昔はよく

    夕立

も降って、そのために気温が下がってしのぎやすくなったものですが、最近はそういうわけにもいかないようです。
8月12日に久しぶりに入道雲を見ました。西の空にもくもくと立ちのぼるような雲でした。この日は、37年前に群馬県の山に日航機が墜落した日でもありました。私はあのころは毎夏恒例の京都での1週間の研究会に参加していました。翌日の13日の昼の食事をしているときに、研究会仲間の人がテレビでも観たのか、「生存者があったらしいですよ」と言いました。そうでした。ほとんどの人が亡くなったのですが、たしか女性ばかり4人が生存されていたのです。空中分解の場合はまず生存者はありませんが、不時着しましたから「生存者がいる可能性はある」と予想されていて、そのとおりだったのです。
あの事故は、ちょうど

    お盆

に入るときで、何か特別な気持ちになったものです。6日は広島の原爆の日、9日は長崎の日、12日が日航機事故、15日は終戦の日。3日ごとに鎮魂の気持ちを心に持つのが毎年のことになりました。
私が今年初めて見た入道雲は、何ごとかを語りかけてくるような、何か特別な意味のあるような、そんな雲に見えてきました。もちろんそんなことは思い込みに過ぎませんが、少なくとも私はあの雲をしばらくじっと見上げながら魂の鎮まりを願わずにはいられませんでした。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

へその緒 

夏の象徴的な虫は蝉でしょう。私が子どものころはアブラゼミ全盛で、蝉を見つけると4つのうち3つはアブラゼミだったような気がします。わずかにニイニイゼミが木の外皮にまぎれるように止まっていて、さらにまれにツクツクボウシやクマゼミがいました。昆虫採集でクマゼミを採ろうものなら自慢できたものです。今はクマゼミ全盛だそうで、若い世代の人はアブラゼミの方が珍しく感じるようです。蝉という虫は、幼虫時代は土の中で暮らして地上に現れるとあっけなく命を終えてしまいます。地上での活動は、

    子孫を残すため

だけのためにあるようにも感じられます。
蝉は木に卵を産み付け、その卵は翌年孵化するのだそうです。やがて地上に降りて土の中にもぐっていきます。種類によって違うそうですが、土の中で1~5年くらい過ごしてからもそもそと出てきて羽化するわけです。
蝉と一緒にするわけではないのですが、人の子は、母親のおなかの中で9か月くらい過ごして大きくなり、やがて姿を現します。私はその現場にいた経験がありませんが、きっと感動的なのでしょうね。
平安時代は膝をつくようにして座産しました。人や柱にしがみついて、後ろから支えてくれる人がいて文字どおり「産み落とした」のです。新生児は乳付けをしたり産湯を使ったりしますが、それとともに重要なのは臍の緒(ほぞのお)切りという儀式でした。要するにへその緒を切ることです。『日本書紀』「神代下」に木花開耶姫(このはなさくやひめ)が三柱の子を産んだ時に「以竹刀截其児臍」(竹刀を以てその児の臍を截る)とあり、竹の刀(「竹刀」で「あをひゑ」と読みます)で切ったことがわかります。中山忠親(藤原氏で、京都の中山で晩年を過ごしたので中山内大臣と呼ばれ、それが家の名にもなった。故実に詳しい)という人の日記『山槐記』治承二年(1178)十一月十二日条によれば、高倉天皇の皇子(後の安徳天皇)が生まれたときにも「内大臣殿取竹刀奉切之」(内大臣殿、竹刀を取りてこれを切りたてまつる)とあり、やはり竹を使っています。ところが、『医心方』では中国の『産経』を引いて「凡児断臍法以銅刀断之吉」(およそ児の臍を断つ法は、銅刀をもつてこれを断てば吉なり)とありますので、

    銅の刀

も用いられた可能性があります。前述の『山槐記』にも「或用銅刀、今度用竹也」(或は銅刀を用ゐる。今度は竹を用ゐるなり)」とあり、今回は竹を用いたが、銅を用いる場合もあるとしているのです。
どちらにしてもナイフとしての機能だけでなく、縁起の良いものを使おうという姿勢が感じられます。へその緒を切るタイミングは、現代では早く切る方が黄疸が出にくくなると言われたり、少し待つほうがいいと言われたりしているようです。『紫式部日記』の敦成親王誕生の際の記事に「御臍の緒は殿の上、御乳付けは橘の三位(中略)御湯殿は酉の時とか」、『御堂関白記』では「御乳付け、切臍緒」とあり、どちらが先かわかりませんが、前後しておこなわれたようです。ちなみに道長は「臍緒」を「齊結」のように書いており、これも彼の興奮ゆえの誤字かもしれません。『医心方』には「先浴之然後断臍裹之吉」(まづこれを浴せしめ、しかるのちに臍を断ちてこれを包めば吉なり)とあって、湯あみをさせたあとで切るとよいと書かれています。ただしここでいう湯浴みは儀式としての御湯殿の儀ではなく、出産直後に新生児のからだを浄めることを言うのでしょう。『医心方』に引かれているのはあくまで古代中国の文献であって、日本の貴族社会の儀式と完全に一致するわけではないと思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

草刈りは延期 

お盆の時期には、例年田舎の家に行っていました。あちらでは、僧による読経もさることながら、墓参りが重要な行事で、独特のお盆燈籠というのを墓に立てる習慣があります。まして、近くの広島では原爆の日の直後だけに、町全体に鎮魂の雰囲気が漂うようになります。それだけに関西以上にお盆に対する意識は強く、本来なら今年も行かねばならないのですが、仕事が忙しくてどうしようもなく、中止することにしました。
田舎の家に行くもうひとつの理由は庭掃除です。とにかく、初夏を過ぎると庭が雑草に埋もれてしまうのです。特に、セイタカアワダチソウの存在感が圧倒的で、大げさに言うなら森を形成している感じなのです。昨年、徹底的にきれいにしたのですが、どう考えても植物の生命力の方が上を行きます。除草剤はあまりよくないともいいますし、防草シートもいまひとつで、私ごときがちょっと手を入れた程度ではあっという間に

    元の木阿弥

になるのです。
それでも、荒れ果てさせてしまうわけにはいかず、今年もささやかな抵抗をしようかと思っていました。また、家は人が住まないとどうしても荒れます。玄関がうまく開かなくなったり、雨戸が朽ちそうになったり、門がさびついたり。ただ、去年の夏に朝夕(昼間は暑くてとても仕事になりません)2時間ずつくらい草抜きをした結果、相当ばててしまい、今年は去年以上に仕事が忙しいので無理はするまいと考えたのです。
私は原稿の締め切りが8月下旬と9月上旬ですので、それを過ぎるといくらか自由になります。そこで、お盆ではなく

    お彼岸

に行くのはどうだろうか、と思っています。それなら暑さも収まっていて、庭仕事もはかどるでしょうし、墓参りをするのにも適当な時期だろうと思います。
お盆に親戚などの人が集まる、ということはありませんので、今後は毎年彼岸に行ってもいいかな、と思っています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

いがいが 

日本では、犬の鳴き声は「わんわん」です。しかし英語では「bow-wow」「ruff-ruff」「woof-woof」などと鳴くといわれます。こういう擬音語は「聞きなし」の仕方で変わってくるのが当然ですから、犬の種類によって、あるいは犬の感情によっても鳴き声は違って聞こえるでしょう。また、言語によって発音そのものが違うので、聞こえ方は類似していても人間がそれを表現するときには変わったものになるのも当然でしょう。
ロシア語では「ガフガフ」、フランス語では「ワフワフ」「ウアフウアフ」のような感じ、ドイツ語では「ハフハフ」、イタリア語では「バウバウ」のように言うそうです。
それでは日本では昔から「ワンワン」だったのかというとそうでもないのです。
山口仲美さんという国語学者がいらっしゃるのですが、この方が

    『犬は「びよ」と鳴いていた』

という本(光文社新書)をお書きになっています。歴史物語の『大鏡』の中に犬が鳴いているのを「びよ」と書いているのです。何だか不思議な鳴き声に聞こえます。
では、赤ん坊は何と泣くのでしょうか。現代の日本語では「オギャー」でしょう。英語では「mewl」という言い方があるようです。それでは日本では昔から「オギャー」だったのか、というとこれも違います。『うつほ物語』「国譲下」(10世紀)に、「寅の時ばかりに(赤ん坊が生まれて)、

    いがいが

と泣く」とあります(この泣き方については「いかいか」と清音で読む説もあります)。『栄花物語』「月の宴」(11世紀)にも「御子、いがいがと泣きたまふ」、『今昔物語集』巻二十七の四十三(12世紀)にも「児ノ音ニテ『イガイガ』ト哭(なく)ナリ」とあり、平安時代には「いがいが」だったようです。今とは違うとはいえ「オギャーオギャー」に近いとも言えそうですよね。
赤ちゃんが生まれて五十日目には「五十日の祝い」というのをおこなったのですが、この「五十日」は「いか」と読みます。つまり「いかの祝い」と言ったのです。それで『うつほ物語』に赤ちゃんの泣き声の「いが」を掛詞にして歌を詠んだ例もあります。さきほど「いか」と清音で読む説があると言いましたが、それは「『五十日の祝い』に掛けているのだから『いか』と読むのだろう」という考えによる説なのです。しかし、たとえば『古今和歌集』の物名に「うぐひす(鶯)」を詠み込んだ歌が「心から花のしづくにそほしつつ憂くひずとのみ鳥の鳴くらむ」とあるように、「うぐひす」と「憂くひず」は同じものと読む感覚があった時代ですのであまり気にしなくてもいいかもしれません。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

平らかに 

平安時代の出産について調べているうちに、当時の人の気持ちがいくらかわかったような気がします。
何といっても出産は大事業です。産婦さんにとっては命がけの仕事です。今と違って出産で亡くなる人はかなり多かったと思われます。特に後産がうまくいかなくて、という人が多かったように思います。
出産で亡くなった人の例を少し挙げてみます。村上天皇(10世紀)の中宮であった藤原安子は選子内親王を出産した時に亡くなりました。一条天皇中宮であった藤原定子も媄子内親王を産んで、後産のときに亡くなりました。和泉式部の娘で「大江山いくのの道の遠ければ」という歌でも知られる小式部内侍は滋野井の頭中将と呼ばれた藤原公成の子を産んで亡くなりました。
出産はこのように大変厳しいもので、まだ若い二十代の女性がこうして命を落としてしまうことがあり、それだけに当時の

    女性の平均寿命

はとても短いものだったと考えられます。ただし、出産を乗り越えるとやはり女性は長生きする人があり、藤原道長の妻倫子という人は、最後の子を四十四歳の時に産み、自身は数え年の九十歳まで生きたのです。
もちろん今でも出産があった場合「母子ともに健康です」という言い方はしますが、昔は今よりはるかに深刻に「母子の健康」が気になったことでしょう。
平安時代の物語を読んでみると、「いと平らかに男皇子産まれたまへり」(うつほ物語)「いと平らかにをのこ産みたまへれば」(落窪物語)「平らかに女にておはします」(夜の寝覚)「悩みわづらひたまふけしきもなくて、ただ袖の内より産まれたまへるやうにて(中略)男にてぞおはする」(浜松中納言物語)「いたうも悩みたまはで女御子産みたまへり」(狭衣物語)「いたくも悩みたまはず(中略)若君産まれいでたまへるを」(とりかへばや物語)など「無事に生まれた」という意味のことを盛んに書いています。それくらい無事であることが喜びだったということでしょう。
藤原道長の娘彰子が一条天皇の子を産んだときの道長の喜びは半端ではなかったでしょう。男子だったことでこの子は将来の春宮(皇太子)、さらには天皇になる、ということは、自分は天皇の外祖父になれるのですから。この日の道長の日記『御堂関白記』はどれくらいの記述があるのかというと、実はあまり多くないのです。この前後数日も何も書いていない日も少なくなく、どうやら相当興奮していた(あるいは慌てていた)ようです。当日の日記の一部を前日の日付のところに書いてしまうという間違いも犯すくらいだったのです。
その道長の日記にも

    午時平安男子産給

とあります。「午の時(お昼ごろ)、平安に男子産まれたまふ」と読めます。やはり「平安」という言葉が使われていて、無事の出産であったことで安堵しているのです。
安産のためには事前に生活の注意をすることも大事です。妊婦さんはからだを冷やさないようにしなさい、と今でも言われると思いますが、昔もそういうことが言われていて、平安時代の医書『医心方』にも、中国の『養生要集』を引いて「勿飲氷漿、令胎不生」とあります。「氷漿(氷菓の類か)を飲んではならない。胎児が生まれない(流産する)」というのでしょう。『うつほ物語』「国譲中」には、女一の宮が食事をせずに削り氷(ひ)を食べたというので、夫の仲忠が「あな恐ろしや。いみじく忌むものを」と言って咎める場面があります。当の妊婦さんは存外平気なのに、夫が神経質になる、というのも何となく今でもありそうな場面ではないでしょうか。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

おぼつきません 

昔から、若者言葉というのはあったはずです。若者は既成の言葉を崩したくなるものです。詩人というのも既成の言葉を破壊する面があります。おもしろい若者言葉は、その意味では詩のような趣を感じることもあります。そしてそういう言葉は割合に長く生き残るエネルギーを持っているように思えます。
「私は英語が書けません」のように、「書くことができない」というのを「書けない」と表現するようになったのは古いことではなく、おそらく江戸時代くらいからでしょう。それ以前なら「書かれず」とでも言ったはずです。これは当て推量ですが、「書ける」「書けず」のような表現は若者言葉だったのではないかと私は考えています。「書かれず」という言い方が言いにくくて、「書けず」と言い出した人がいて、それは便利だというので若者が飛びついた。きっと当時のおとなたちは眉をひそめて「それは正しくない」と言ったと思うのです。しかし便利な言葉は一気に広がり、伝統的な表現はむしろ影をひそめてしまいました。今でも「書かれない」「読まれない」という人はいないわけではないでしょうが、やはり少数派になってしまいました。この「書かれない」⇒「書けない」の変化と同じ現象が、いわゆる

    ら抜き言葉

として通用するようになってきたのだと思います。今の若者は「受けることができない」の意味なら「受けれない」というのが当たり前で、「受けられない」とはまず言いません。もっとも、大阪の若者は「受けられへん」という言い方をするようで、「受けれへん」とは言わない人が多いようです。方言は概して古い形を残しがちです。
もう、いくら高齢者が口を酸っぱくして「『受けれない』なんておかしい」と言い続けても手遅れで、やがて「受けれない」は正しい日本語として教科書にだって載る日が来るはずです。もっとも、可能以外の、尊敬や受け身の意味で用いられる「受けられる」は今後もそのまま用いられると思いますが。「先生はどこの大学を受けられたのですか」(尊敬)「力いっぱいスマッシュをしたのに見事に受けられた」(受け身)などです。
最近驚いたことがあります。高齢ではなさそうでしたが、それなりの知識人と思われる人が、

    おぼつきません

という言葉を使っていたのです。文脈から考えると「おぼつかないことです」ということらしいのですが、「おぼつかない」という語を動詞の「おぼつく」に「否定語の『ない』」が付いたもの、と意識しているようです。これは言葉の歴史から考えると間違いなのです。「おぼつく」という動詞はありません。また「ない(古い形では『なし』)」は「いとけない(幼い)」「はしたない」の「ない」と同じで、形容詞を作って意味を強めるもの、つまり否定の意味はないのです。
私は「おぼつきません」という言葉を初めて見たものですから、若者に浸透しているのかどうか、知りませんでした。それで、ネットでいくらか調べると、出てくる、出てくる。かなり使われているようでびっくりしました。
私は「受けれない」という言い方は表現の工夫だと思っており、否定はしないのです(私自身は使いませんが)。ただ、「おぼつきません」に関してはどんなものだろう、と思っています。少なくともこの言葉を公の場(若者が就職の際の小論文に書くとか面接のときに使うとか)で用いるのは、少なくとも今のところは
よろしくないように思います。また、あくまで誤用からきている表現なので、もし人から問われたら、私の立場としては「これは感心しない言い方です」と言うつもりです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

外国の女優さん 

先日、テレビで『ひまわり』が放送されていました。ひまわりの種の大好きなハム太郎のアニメではありません。ソフィア・ローレン、マルチェッロ・マストロヤンニ主演のあの映画です。
民放ですからCMが入り、それがどうにも興ざめなのですが、こういう映画を放送してくれるのはなかなかいいものだと思います。もちろん、映画チャンネルなどならもっときちんと観ることができるのでしょうが、私はそういう類の契約は一切していませんので観ることはできません。
ソフィア・ローレンという人は1934年のお生まれで、今も現役ですから、ずいぶん長らく活躍されています。出演された映画には『ふたりの女』『黒い蘭』、最近では『NINE』『これからの人生』などがあり、日本でもとても人気のある方です。ただ、「好みのタイプ」という意味では私はあまり好きではないのです。
女優さんで伝説的な人には

    マリリン・モンロー

がいますが、あの人も私はイマイチなのです。色っぽすぎるというか、仮にこの人と同世代で話をする機会があったとしてもどうにも接点がなさすぎるという感じがするのです。
ほかに、古い人でいうとヴィヴィアン・リー、キャサリン・ヘップバーン、イングリッド・バーグマン、グレース・ケリー、ジュディ・ガーランド、デボラー・カーなどなど、たくさんの魅力的な女優さんがいらっしゃいますが、この中で好みのタイプはといわれても、特に名前が挙がりません。じゃあどういう女優さんが好きなの、と聞かれたら

    オードリー・ヘプバーン

と即答します。この人は、どういうわけか仲良くなれそうな(もちろんあちらは私のようなものを相手にする気はないでしょうが)気がするのです。あれだけの美貌の女優さんでありながら、どこか身近な気がしてなりません。
私が映画をいくらか見るようになってからの女優さんなら、カトリーヌ・ドヌーヴ、フェイ・ダナウェイ、ジュリア・ロバーツ、エマ・トンプソンら、もっと最近ではサンドラ・ブロック、ニコール・キッドマン、ケイト・ウィンスレット、
アンジェリーナ・ジョリー、ナタリー・ポートマン、スカーレット・ヨハンソン、ジェニファー・ローレンスなどの名前も思い浮かびますが、こういう世代なら私は

    ペネロペ・クルス

が好きなタイプです。
あまり話題にはならなかった映画ですが、『エレジー』という作品ですっかりファンになり、『抱擁のかけら』もおもしろく観ることができました。実は、この『抱擁のかけら』で、ペネロペ・クルスは『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘプバーンのような姿を見せる場面があります。どうも私はこの系統の人が好きみたいです。 
ペネロペはスペインの人ですから、ハリウッドから見るとエトランゼであり、どうしても評価されるのが難しいはずです。それが次第に注目されるようになって、ついにはアカデミー賞助演女優賞を受けるまでになりました。あの授賞式の際のペネロペの嬉しそうな顔は忘れられません。ちょっとした『マイ・フェア・レディ』なのです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

77年目の8月15日 

今年もこの日がやってきました。
「戦争を知らない子供たち」という歌が流行ったのは、ちょうど吹田市で万国博覧会が催されたころでした。北山修さんのやや甘ったるい詩と杉田二郎さんの曲で、ジローズ(杉田二郎、森下次郎)が歌いました。

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った
おとなになって 歩きはじめる
平和の歌を くちずさみながら
僕らの名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ

「戦争を知っている人たち」がまだまだたくさんいた、というか、世の中の大人たちの大半が戦争を知っていたころでしたから、この歌の甘さが反感を買うこともあったそうです。
当時はまだベトナム戦争が続いていたころで、70年安保闘争もあり、「学生運動」ということばがまだまだ力を持っていた時期でしょう。少し年の離れた私の従兄も

    ゲバ棒

を持ってデモに参加していたと聞いたことがあります。
そういう時代に、

青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら
誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
きれいな夕陽が かがやく小道を

という歌詞(3番の歌詞)を持つ歌は、反戦歌というよりも軟弱な逃避的な歌と思われたのかもしれません。
私は大体甘ったるい言葉が好きで、この歌を聴いた時もとてもいいと思いました。
台湾の危うい状況、北朝鮮や中国のミサイル発射など、東アジアの状況は平穏とは言えないでしょう。
今、青空や花びらを愛する者として、戦争を知らない子どもたちが今後も続いていくことを願わずにはいられません。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ななめ読み 

速読という読書術があるそうです。私は具体的にどういう感じなのか知らないのですが、あれはたとえばビジネス書などの、内容さえわかればそれでよいという場合の読み方なのでしょうか。速読によって文章を味わうことはできるものなのでしょうか。
たとえば和歌を読む場合、書かれていないことを読むことも重要ですから、速読なんてしても意味がないと思います。和歌に限らず、文学作品を読むのに、早く読んだからいい読み方ができた、ということは、普通はありえないと思うのです。
もちろん、私が初めて

    『源氏物語』

を読んだときはかなり時間がかかりましたが、二度、三度と読んでいるうちにかなりスピードは上がるようになりました。また、最初の50頁くらいはなかなか進まなくても、そのあとは徐々に速く読めるようになります。マニュアルトランスミッションの自動車を運転するときのギアの入れ方に似ているかもしれません。
『源氏物語』というのは、分厚い注釈書などで、だいたい2,500頁くらいあります。一日100頁読んでも1か月くらいかかるのです。しかし何といっても昔の文章ですから、最初のうちは100頁というのはなかなかしんどいのです。ところが、終わりのほうになると1日に200頁くらい何の苦痛もなく読めてしまいます。
だからといってこれは速読には入りません。速読というのはもっと、けた外れに速く読むわけですから。
速読というわけではないのですが、私はしばしば

    ななめ読み

をします。あることが調べたくて、その
『源氏物語』には総索引がありますので、この単語を調べたい、という場合は、あっというまに見つけることができます。しかし、「こういう感じの内容が書かれているところはないだろうか」、という、かなり漠然としたことを調べたい場合は、やはりざっとでも全体を読んでおきたいのです。こういう場合は本当に「ななめ読み」で、内容を味わうことをせずに読んでいきます。そうすると、2,500頁でも3日くらいで読めてしまいます。
この夏は、こんな読み方でいくつもの物語を読みました。内容はおかまいなしではあるのですが、それでも、めったに読まない物語についてはおもしろくなってななめ読みをやめて停滞することもしばしばでした(笑)。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

自分の都合のための権力 

権力は、自分が保護すべきもののためにこそ使わねばなりません。仮に、親が子を叱るのを親の権力としますと、親は保護すべき自分の子の将来のためにその権力を行使するのでしょう。ところが、自分の子だから何をしてもいいんだとばかりに暴力をふるったり食事を与えなかったりするのは権力の行使とは言いません。子どもへの虐待は本当に許しがたいものがあります。
警察には人を拘束する権力があります。もちろん逮捕状が必要ですが、それにしても人の自由を奪うものですから、大変な権力です。そんな権力が認められているのは、その人物を拘束しないと社会の治安に問題が生ずるからでしょう。つまりは警察が守るべき市民のために権力が使われていると思うのです。
ひとことで言ってしまうと、人を

    不幸にする

ような、あるいは権力を持つ者のご都合主義による権力の使い方はダメということです。
しかし人間は弱くて愚かなので、権力を持ってしまうととにかく使いたくなるのだと感じます(持ったことがないのでよくわかりませんが)。そういう場合の彼らの口癖は「法的に問題ない」です。彼らは法のお墨付きをもらったら突如として強気に出ます。
私は大阪の市民でも府民でもありませんが、どうしても気になることがありました。大阪にカジノを誘致することに関して反対する市民が住民投票を求めて署名を集め住民投票条例を求めました。しかし、府議会は一日、というか、半日以下の時間を使っただけであっさりと退けてしまったのです。何しろ、議会ではカジノ推進派が多数ですから、多数決をとれば反対派がどうあがいても勝つ見込みはありません。反対派としては、個々の議員の

    良識

に賭けるしかないのですが、おそらく賛成派議員は市民団体の演説などほとんどまともに聴いていなかっただろうと思います。「さっさと言いたいことを言えよ」「どうせそんな条例はできないんだから」というのが本音だったのではないでしょうか。もし住民投票をおこなったら負ける可能性が高いので、何としても阻止しなければならなかったのです。若い人に意見を聞いても「万博はいいけどカジノはいらない」という人が多く、カジノへのアレルギーは根強いものがあります(もちろん若い人でもカジノに賛成する人はいます)。
早い話が、市民団体の代表に話をする場を与えただけで、法的に何の問題もないのだから住民投票の必要はない、ということでしょう。
こういうやりくちはブラック企業と同じことですが、本来ブラックであってはいけない学校でも政治の世界でも同じことをしてしまうのですね。
なんとかそういう連中にひと泡吹かせたいとすら思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

おさな妻 

富島健夫という作家がいました。この人は芥川賞候補になった作品も書きましたが、青春小説も書き、その作品「おさな妻」はいろんな意味でブームになりました。保育園でアルバイトをする女子高生が、保育園に来ている女児(母親を亡くしている)から慕われ、やがてその父親と結婚するのです。映画にもなって、関根恵子(現在は高橋恵子)さんが主演、相手役は新克利さんでした。関根さんは何となく大人っぽい印象の人でしたが、当時15歳という、信じられないような若さでした。
しかし、平安時代の人は十代で結婚するなんて当たり前でした。「令」と呼ばれる当時の規則によれば、男子は十五歳、女子は十三歳から結婚できました。もちろん数え年ですから、今でいうなら男子は中学2年生、女子は小学6年生から結婚できたことになります。しかし、規則なんてお構いなしなのは権力者の常です。そんなものは庶民を縛るためのものであって、我々上級国民は何をしてもかまわないのさ、という考えの持ち主は現代の(一部の)政治家だけではないのです。
藤原道長はわが娘を一日も早く入内させたいと思っていました。それは、娘が皇子を生んで、その皇子が皇位に即けば、自分は天皇の

    外祖父

になって名実ともに時の第一人者になれるからです。
そして道長は長女の彰子がまだ十二歳の時に入内させたのです。今なら小学校5年生。すぐに子どもができるはずがないことは道長にもわかっていたはずです。まずは自分の娘を天皇の妃の中で最上位に置くこと、つまり中宮にすることが最初の目的でした。しかし実際はすでに中宮はいたのです。それは道長の兄で亡くなった道隆の娘でした。道長は強引に道隆の娘を皇后、自分の娘を中宮とするという、離れ業をしてのけたのです。しかも道隆の娘に男子が誕生しても、道長はおざなりなまともに祝う姿勢すら見せません。この男子はなかなか優秀な子だったらしいのですが、結局は即位することはかないませんでした。
数年のうちには子供ができるだろう、と道長は思ったかもしれませんが、結局道長の娘に天皇の子が生まれたのはそれから

    9年後

のことでした。
架空の人物でいうと、『源氏物語』の光源氏は十二歳の時に四つ年上の女性と結婚しています。そしてこの女性(葵の上)が出産直後に亡くなると、すぐに八歳年少と思われる女性(紫の上)を強引にわがものにしてしまいます。光源氏二十二歳、ということはこの女性は十四歳くらいです。紫の上は、これまでは光源氏を、いつも一緒に遊び、筆や和歌の指導をしてくれる「おままごとの夫」のように感じていたようで、それだけに突然男の欲望をむき出しにしてきた光源氏のやり方に強い不満を感じました。
世間では、葵の上がなくなったら六条御息所という、光源氏より七歳も年長の女性が正妻の地位に就くだろうと予想していたのですが、そうではありませんでした。
葵の上の、物語での役割は光源氏の子を残すことで終わり、その退場の直後に、
読者も驚くほどに一気に新たなヒロインが作り出されました。紫式部という人の、物語作者としての冷徹なまでのすさまじさを感じます。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

マリー・アントワネットとカンパン夫人(2) 

カンパン夫人(Jeanne-Louise-Henriette Campan 1752~1822)の『マリーアントワネットの私生活についての回想』(Mémoires sur la vie privée de Marie-Antoinette)は、英語でなら無料のe-bookで読めることがわかり、ホッとしました。しかし、それもつかの間、私は英語も苦手だったことに気が付いたのです(笑)。なんといっても隅から隅までアルファベットで、日本語の注などどこにもついていませんから、出産の話がどこに出てくるかすらわからないのです。
こうなったら見当をつけてそれらしい言葉を探すほかはありません。最初の子であるマリー・テレーズ・シャルロットが生まれたのは1778年ですから、王妃となった4年後。これが一つの目安になるだろうと思って、探したところ、意外に簡単にわかりました。そして1788(年)という数字にも出会えたのです。
ここからはもう簡単でした。マリー・テレーズ・シャルロットが生まれたのはその年の12月ですので、Decemberという言葉もヒントになりました。英語が苦手の割にはうまくいったものです(笑)。
まず「マリー・テレーズと呼ばれる女子が生まれた」ということが書かれていて、そのあとに

    出産の場

の記録が続いていました。
そこに書かれていたことから少し抜き書きします(原文を相当崩しています)。ただし、私の英語力ですので、間違いはかなりあると思います(笑)。
まず「王の娘が12月19日の正午より前に誕生した。これがマリー・テレーゼ・シャルロット(1778-1861)である」といったうえで、実際の様子を次のように書き留めています。

あらゆる人が、女王の出産の瞬間に無差別に部屋に入ることが許されるというしきたりがあった。
産科医が「王妃は間もなく出産なさいます」と大きな声を上げると、産室になだれ込んできた人があまりに多かったので王妃はほとんど卒倒した。
女子が生まれた。
王妃は頭に血が上ったので産科医は「窓を開けて換気してください。お湯を持ってきてください」と言って、瀉血することにした。
お湯の準備がはかどらなかったので、産科医はそれを待たずに瀉血すると、王妃は目を開けた。

瀉血は中世ヨーロッパではよく行われた「治療法」で、通常腕から血を抜いたようです(瀉血の場面を描いた絵もいろいろ残っています)が、ここでは足から抜いています。実際の効果については科学的には

    疑問符が付く

ようですが、当時は有効な手段と思われていたようです。しかし、血を抜く際に切ったところから感染症を引き起こすこともあるようでむやみにおこなうと病状が悪化するばかりか、死に至ることもあるようです。モーツアルトも亡くなる直前に瀉血をおこなったのが死期を早めたのではないかと言われています。
マリー・アントワネットはともかくも意識を取り戻して赤ん坊を抱くことができました。当時のフランスでは女子には王位継承権はありませんでしたが、マリー・アントワネットはむしろそれゆえに喜んだようでした。この子は国のものではない、私のものだ、と。しかし王位継承権のある子を産むことが王妃には求められ、王妃の実母であるマリア・テレジアは早く次の子を産むように努力しなさい、と忠告もしています。
それにしても、カンパン夫人が残してくれたこの詳細な記録は、マリー・アントワネットの生涯を知るための一級史料となったのでした。
マリーアントワネットの伝記として有名なものにシュテファン・ツヴァイクのものがありますが、ツヴァイクもカンパン夫人には感謝しているのではないでしょうか。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

マリー・アントワネットとカンパン夫人(1) 

宝塚歌劇の有名な作品に『ベルサイユのばら』があります。オスカル、アンドレは架空の人物ですが、マリー・アントワネット、フェルゼン、ルイ16世などは、18世紀のフランス史など知らなくても聞いたことがある歴史上の人物です。
この作品は、もともと池田理代子さんの漫画でしたが、これを植田紳爾さんが脚色して、長谷川一夫さんの演出で1974年に宝塚歌劇月組が初演しました。オスカルを榛名由梨、アンドレを麻生薫、マリーアントワネットを初風諄、フェルゼンを大滝子が演じました。
その後も、安奈淳、汀夏子、一路真輝、涼風真世、稔幸、水夏希、安蘭けい、朝海ひかるらがオスカルを、麻実れい、瀬戸内美八、杜けあき、柚木礼音、水夏希らがアンドレを演じてきました。
私も一度くらい見ておけばよかったのですが、どうしても文楽に頭が行ってしまってその機会がありませんでした。もったいないことをしました。マリー・アントワネットは神聖ローマ帝国のフランツ1世とオーストリア大公マリア・テレジアの子としてウィーンで生まれました。1755年のことで、あのモーツアルトより1歳お姉さんです。モールアルトは6歳の時にマリア・テレジアの御前で演奏しており、そのとき転んだ彼を助け起こしたのがマリア・アントーニア、のちのマリー・アントワネットだったそうです。この話にはおまけがあって、モーツァルト少年は助けてくれた少女に

    「将来僕のお嫁さんにしてあげる」

と言ったという話が伝わっています。ところが少女はやがてフランスとオーストリアの同盟を進めるための政略結婚として1770年にフランス王太子(のちのルイ16世)の妻となったのです。
しかし二人の間に最初の子ができたのは8年後の1778年で、これはマリー・テレーズ・シャルロットという女子でした。次に生まれたのが待望の(フランスでは男子しか王位の継承はできなかった)ルイ・ジョセフという男子(7歳8か月で早世)、次がルイ・シャルルという男子したが、彼もまたフランス革命の混乱の中で10歳にして亡くなりました。もうひとり、マリー・ソフィーという女子もできたのですが、彼女も病気のために1歳の誕生日を迎えることもできませんでした。
実は、このところ、日本の貴族に関する出産について調べていたのですが、このブログに時々コメントを下さる如月さんからフランスの公開出産の話と比較するのも面白い、というヒントをいただいて、がらにもなくマリー・アントワネットの伝記類を読んでいました。有名なものにはツヴァイクのものがあり、これは翻訳されて岩波や角川の文庫本にもなっています。それで、彼女の結婚から出産について書いてみたのです。贅沢な生活とか、首飾り事件とか、フェルセン(漫画や宝塚歌劇ではフェルゼン)との恋愛とか、悲惨な最期などはざっと読み流すくらいでした。
その出産の様子について一番お世話になったのはカンパン夫人の

    「回想録」

でした。この女性はマリー・アントワネットの侍女で、のちには女学校の校長になるという経歴からもわかる通り、かなりの教養人でした。
ところがこの本、日本語訳がないようで、フランス語の本もどこにあるのかわかりません。というよりも、フランス語の本は最初から探す気がありませんでした。なぜなら私はフランス語が読めないからです(笑)。すると、free ebookに英語版があるのを見つけました。
これなら辞書さえ持っておれば(笑)ある程度は読めるのではないかと思ったのです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

大谷さんはすごい 

日本人がメジャーリーグベースボールで活躍するのは並大抵ではないようです。何と言ってもからだの大きさが違いすぎます。いきおいパワーも違います。これまで多くの選手が挑んできましたが、成功したと言える人は数少ないでしょう。もっとも成功したのはイチロー選手だと思います。この人は身長が180㎝しかなく(私より小さい)、体重も74㎏(ただし体脂肪率は驚くほど低い)だそうです。しかしその小さなからだを生かしてヒットを積み重ねるという道を進んでメジャーリーグだけで3089安打という金字塔を打ち立てました。
しかし今や、大谷選手という、日本人離れした体格の選手が大活躍しています。この人は身長が193㎝、体重は100㎏前後あるそうで、まったくあちらの選手にひけをとりません。
投手としては

    160㎞/h超

の速球を投げ、打者としても大きな本塁打を放ち、塁に出ると盗塁までしてしまう稀代の名選手です。今年に限ると、20本以上のホームラン、二桁の盗塁を記録しており、勝利数もすでに二桁に王手をかけています。投球回数が多くないのに三振は150個以上奪っています(奪三振率は約13!)。打率だけが主力選手としてはもうひといきというところでしょう。
味方であればこんなに心強い選手も珍しいですが、敵に回すと厄介きわまりないでしょうね。
これだけすごい選手になると新たな契約を結ぶための給料が高額になり過ぎて現在の所属チームでは出せないのだそうで、来年は移籍するのではないかと言われています。
来年の年俸は数十億円らしく、それがどの程度のお金なのか見当もつかない私などはあきれるばかりです。
彼の「人気の秘密」のひとつが、

    愛想がいい

ということです。塁に出ると相手の野手ばかりか、審判にまで声をかけ、インタバルがあると何やら楽しげに話したりしているのです。日本の場合、選手と審判では審判が大きな顔をしていて、選手は頭を下げる方なのですが、あちらでは対等に話している感じです。敬語というものが希薄な国ですから、上下関係があまり強く意識されないのだろうと思います。
イチロー選手という人は「孤高の人」というイメージがありましたが、大谷選手の場合はずいぶんフランクな、親しみやすい選手に思われているようです。
ただ、この夏はチームの状態がひどいし、彼自身トレードの噂が絶えず、あまり笑顔が多くないのがちょっとっ残念です。
来年はどのチームにいるのか、今はまだわかりませんが、末永く活躍してほしいものです。

追記 日本時間8月10日の対アスレチックス戦で、大谷選手は10勝目を記録しました。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

簔助師匠のいない文楽 

今日は8月8日。
文楽の吉田簔助師匠のお誕生日です。89歳になられました。
私が簔助師匠を始めてみたとき、師匠はまだ40代の前半でいらっしゃいました。
それでももう主役をお遣いになるような方で、ちょっと今では考えられません。今なら40代前半というとまだ若手で、端役の主遣いがせいぜいでしょう。
あのころはすでに玉男(先代)・簔助というコンビができていました。もちろん、玉男・清十郎(先代)とか玉男・文雀というコンビもあり得たのですが、舞台に登場されるやパッと華やかな感じがするのはやはり玉男・簔助コンビだったと思います。
玉男師匠もまだ50代でしたから、動きも若々しかったと思います。玉男師匠は昔はかなり動きは大きかったのです。いがみの権太とか勘平のようなかなり動きの派手なものはほんとうによく動かれました。
簔助師匠はけっして

    女遣い

と言い切ってしまってはいけないと思います。二枚目もよかったですし、奴のようなきびきびした人形もよかったです。玉男師匠が亡くなった時の東京での『忠臣蔵』で大星を遣われたのは、正直に申しましてあまりよくなかったのですが、源太、検非違使ならほんとうによく映りました。
それはそうなのですが、やはり簔助師匠と言えば女形のイメージが強いのは言うまでもありません。その場合、玉男師匠とのコンビがとてもすばらしく、梅川と忠兵衛、お初と徳兵衛、小春と治兵衛、お園と六助、おかると大星、お千代と半兵衛などなど、いくらでも思い浮かびそうです。
もう舞台で簔助師匠のお姿を拝見することはできませんが、心の中には私が生きている限り残っています。
満年齢で89歳ということは、数え年でいうなら

    卒寿

というお歳になります。あの若々しかった簔助師匠がそんなお歳になられたとは信じられないくらいです。
最近はどのようにお暮らしなのか、私はまるで存じませんが、どうかお元気で、文楽を見守っていただきたいと思っています。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

女子野球 

先日、神戸のテレビ局が野球中継をしていました。例によって阪神の試合だろうと思っていたらたしかに片方のチームは「阪神」でした。ところがもう一方は「エイジェック」。エイジェック? よく見ると、「阪神」も「阪神タイガースWomen」でした。
つまりこれは女子野球の試合だったのです。
私の高校時代、男子の体育はサッカー、ラグビー、剣道などがありましたが、女子はダンスなどをしていたような気がします。「気がします」なんていいかげんなことしかわからないのは、男子がグラウンドだったのに対して女子はいつも体育館だったからです。あの当時、女子がサッカーをするなんてイメージがまるで湧きませんでした。しかし今やあらゆる競技で女性たちが活躍するようになりました。
このブログのどこかに書いたことがあるのですが、私には

    幼稚園から大学まで

ずっと一緒だった女性が一人いるのです。小学校時代、同じクラスになった覚えがなく、当然仲良くしていたわけではありませんが、中学校(公立)に上がっても、高校(公立)に上がっても、「あれ、またあの人がいる」の繰り返しだったのです。あるとき、幼稚園の写真を見たら、そこにも彼女が写っていて、「え、同じ幼稚園だったの?」とまたまたびっくり。確か、お父さんが学者さんで、彼女もとても勉強のよくできる人でした。大学はどこに行ったのか知らなかったのですが、キャンパス内の食堂でばったり出会ってびっくりのまたびっくり。。私は文学部で彼女は白衣を付けた理学部。生物か化学の専攻だったような気がします。きっと彼女も学者さんになったんだろうな、と思うのですが、さすがにそれ以後のことは知りません。
この人は声もきれいでコーラスをしていたような気がするのですが、運動もよくできる人で、足が速くて器械体操をさせるとため息が出るほど見事。
球技は見たことがないのですが、きっとセンスが良かったことだろうと思います。小柄な人でしたので力は強くなかったかもしれませんが、世の中には何でもできる人というのがいらっしゃるものです。
まさかと思っていた女子マラソンという競技ができて2時間20分ほどで走るそうです。サッカーで日本の女子代表が

    世界一

になったことがありました。女子ソフトボールも日本のお家芸のようです。野球の独立リーグ・神戸9クルーズに投手として入団した(つまり男性と一緒にプレーする初めてのプロ女子選手になった)「ナックル姫」と呼ばれた選手がいました。彼女はその後アメリカの独立リーグでも活躍しました。
家の近所の河川敷で練習しているラグビーチームには女の子も参加しています。アメリカンフットボールのチームにもいました。
昔は「女性にはできない」と決めつけられていたことが、今やあたりまえのように行われていると言ってもいいでしょう。高校野球でも女子の大会があり、昨年初めて甲子園で決勝戦もおこなわれました。そして、ついに女子プロ野球チームもできて、テレビで放送されるに至りました。
今後、女子野球がもっと盛んになってくれることを願いつつ、いつか球場に足を運んでみたいと思うようになりました。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

不妊治療など 

少し前に平安時代の医学書『医心方』から出産関係の記事を抜き出したことがありました。今回もまた少し書いておきます。
『医心方』の巻二十四は子どもに関するものです。その中に「治無子法」という項目があり、これは要するに不妊治療についての記事です。
「病源論」を引用して、
〇子どもが生まれないのには三つの原因がある。ひとつは墓を守らないこと、次に夫婦の生まれた干支が

    相剋

であるとき、もうひとつは夫婦に病気があるときである。墳墓と干支の相剋については、薬は役に立たないが、病気の場合は薬や食べ物が効果がある。妻が熱病になると子はできない。それは熱によってからだが疲れたり傷ついたりして血気の冷熱が不調になる。すると冷たい風がからだに入って、それが子宮にとどまると胞内に病気が生じる。月経が滞ったり終わったりする、多く出血する、おりものが続くなど、陰陽の気が乱れ、経血の異常が起こって子どもができないのである。
さすがに墓を守らないとか干支の関係が悪いというのは薬では治らない、と言っています。まあ、そうでしょうね。干支の相剋というのは、たとえば水と火に属する干支は相剋になる(水は火を消すから)ということでしょう。
ほかにも男性側に原因がある場合についても書かれています。
また、「千金方」を引用して
〇子ができないのは夫婦に内臓疾患があって、生殖器に症状が出ているからだ。そのときは、男性は七子散を、女性は紫石門冬丸を服用しなさい
と言います。内臓疾患は「五労」といって、心、肝、脾、腎、肺の五つの臓器の疲労によるものと考えられています。
さらにいろいろ見ていると

    「知胎中男女法」

というのがありました。胎児の男女を知る方法、ということですね。まだお腹にいるときにその子が男か女かを知る方法があるというのです。エコーがあるわけでもないのに、どうするんだろう、と思ったら、ちょっと怪しげでした。
「病源論」からの引用で、脈が、左手が沈であれば男、右手が浮であれば女、左右ともに沈なら双子の男子、左右ともに浮なら双子の女子だそうです。沈というのは、軽く指を触れても感じないが、強く圧すと感じる脈。浮は、軽く触れると感じ、強く圧すと弱くなる脈だそうです。
もっと怪しいのは、やはり「病源論」からで、産婦さんを南に向かって行かせて、読んで振り向かせると、左に回ったら男、右に回ったら女だそうです。どういう根拠なのでしょうね。統計的なものかもしれません。
それにしても、古代の中国医学ではいろいろなことを考えたものですし、それをまめに勉強して書き残した日本の医師丹波康頼というのもたいしたものだと思います。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

頭を下げる 

ある著名な思想家の方が、一生懸命武道を稽古なさっています。この方は、人間はだんだん頭を下げなくなるので、人から教わることを続けるべきだというお考えがあるようです。武道では必ず頭を下げてから競技に入ります。競技が終わったらまた勝者も敗者も頭を下げます。この姿勢が失われたら、その時点でその武道は武道ではなくなると言ってもいいと思うのです。
とかく勝敗にこだわり過ぎだというので、柔道の世界では小学生の一部の全国大会を中止しました。これも、本来の武道の精神が失われることを恐れてのことなら、私は賛同します。何度か書きましたが、オリンピックの柔道で勝ったら飛び上がって礼を忘れたり、負けたらうずくまって立ち上がろうとしなかったりする姿を見かけました。日本の柔道選手が決勝戦で勝ったときに相手の選手を踏みつけるようにして歓喜していたことがありました。柔道はいつしか武道ではなくなったのだな、と思って興味が薄れました。相撲でも、勝敗ばかりに関心が行って、姿の美しさがあとまわしになったように思います。ずいぶん前の話ですが、ある哲学者がNHKの大相撲のゲストに呼ばれたことがあって、その時その人は「貴ノ花(若貴兄弟の父親)の

    足の裏を見に来た」

というようなことをおっしゃっていました。四股を踏むとき、高々と足を上げるのが美しい、とのことでした。そういう楽しみ方はとてもおもしろいと思いました。「負けたら相手を小突く人、ふてくされてきちんと礼をしない人がいます」と、亡き哲学者さんに伝えたらどんなに悲しい思いをされるでしょうか。
私は最近趣味のように神社に行くのですが、最初のころは二礼二拍手一礼の「礼」は、何となく恥ずかしい気持ちがあって、ほとんど

    首を曲げる

くらいでした。あるとき、そんな自分の姿が、きちんと礼をしない武道家に重なってしまって、自分の傲慢さに気づいたのです。それ以後、しっかりからだを折って礼をするようになりました。ほんとうは九十度の角度に体を折るようですが、バランスを崩しそうですので(笑)、六十度くらいにとどめています。
今は人からものを習うことの困難な身の上で、それでいて人にものを教える仕事をしてきたために偉そうにするようになってきました。
私が趣味のように神社に行くようになったのは、こういうことも大きな理由なのです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

2022 文楽夏休み公演千秋楽 

本日、文楽夏休み公演が千秋楽を迎えます。
暑い日々で、しかも感染拡大で大変な状況の中での公演でしたが、ともかくも千秋楽を迎えられたことをお慶び申し上げます。
次は9月3日から東京公演です。こちらもいささか心配です。
東京では咲太夫さんの場が「奥」で、依然として切語り4人勢ぞろいというわけにはいかないようです。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

だしを取る 

子どものころから麺類が大好きで、特にあのだしのうまみがたまらなくて、飲まない方がいいと言われながらも最後まで汁を飲み干していました。
何も知らない頃でしたので、色だけから判断して、醤油を薄めているのだと思い込んでいました。それで一度自分でも作ってみたいと思って、小学生の時に醤油を適当な分量で薄めたものにうどんを入れて食べたことがあります。おいしくありませんでした(笑)。そういえば、味噌汁も味噌と水だけを混ぜて作っているのだと思っていました。
今でも粉末のうどんスープというのがありますが、あれが出始めたころに「これはいったいどうやって作っているのだろう」と魔法の粉のように思いました。
やがて、醤油も使うけれど、だしが肝心なのだ、ということを知るようになりました。
だしは鰹、昆布などのエキスだということもわかるようになり、湯豆腐の煮汁に必ず昆布を入れる理由もわかりました。そうなると今度はあの湯豆腐の汁を飲みたくて仕方がなく、

    少し醤油を落として

飲むのが好き、という実に奇妙な子どもでした。それで思い出しました。子どものころ、昆布だしがおいしくて、だしを取るために置いてあった乾燥昆布をひとかけらちぎってくちゃくちゃとかじっていたこともありました。
うまみ成分のグルタミン酸は昆布、野菜、発酵食品などに、イノシン酸は魚や肉に、グアニル酸は干しシイタケなどに含まれるのだそうで、これらをうまく組み合わせるとさらにおいしさがまさるのだそうです。そもそも、母乳にはグルタミン酸が多く含まれていますので、人間は生まれたときから「うまみ」を知っていることになります。そして、離乳食を食べるようになっても、野菜スープのようなグルタミン酸を含むものを好むのです。
このうまみ成分を明らかにしたのは

    池田菊苗博士

で、この人はずばり「うまみ」という言葉を用いましたので、この言葉は国際語になり、英語でも「umami」です。
「うまみの父」とも言えそうな池田菊苗さんはその後、日本の十大発明家の一人とも言われるようになりました(ほかはビタミンB1の鈴木梅太郎、豊田織機の豊田佐吉、真珠養殖の御木本幸吉、アドレナリンの高峰譲吉など)。私は管理栄養士を目指す学生さんに歴史と文化の話をしたこともありましたので、そういうときにはできるだけ彼女たちの関心のある話にしようと思って、「食文化」ということで池田菊苗さんも話題にしたことがあるのです。
最近は粉末のだしのみならず、そのまま(あるいは少し薄めて)てんつゆやうどんつゆなどに使えるものもたくさんスーパーに並んでいます。昔は家に鰹節を削る「かんな付きの箱」みたいなもの(鰹節削り器というようです)があって、早起きのお母さんは鰹節を削るところから一日が始まる、という話を聞いたことがあります。
今では紙袋を破って粉末をお湯に入れたら出来上がり。横着な、いや便利な世の中になりました。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう

ビールのCM 

夏はビールがおいしくなる季節です。
私は初めてお酒を飲んだのが高校生の時で(←違法)やはりビール。大学時代からは本格的に飲み始めたのですが、当時は日本酒の良さがまるで分らず、ビールかスコッチというバタ臭い(笑)もの専門でした。その後、特に理由はないのですがウィスキーとはご無沙汰してしまって、ビール専門の時代があり、家でも毎晩のように500㏄の缶を一つ(家ではそれ以上は飲まないのです)空けていました。生活が苦しくなってからも、発泡酒や、第三のビールというのがまるでおいしいと思えず(発泡酒は若干マシでしたが)、飲むならビールと決めていました。
ところが、節約を重ねているうちにビールの値段がやけに高く見え始め(笑)、あるときにパッとやめてしまったのです。それ以来この飲み物にはすっかりご無沙汰してしまっていて、正直なところ、もうどんな味だったか忘れてしまったくらいです。今飲んでおいしく感じられるのかな?
先日、なんとあの

    吉永小百合さん

がビールのCMに出ていらっしゃったのを観てちょっとした驚きを感じました。吉永さんがああいうCMに出られること自体も驚きだったのですが、もうひとつ、あの人がビールを少し口にしてほほ笑まれると、何だかとても上品な飲み物のように感じられたことにも驚いたのです。
だって、ビールのCMというと、のどを鳴らすようにごくごく飲んで、顔をくしゃくしゃにして「プハーッ、うまいっ!」というのが定番じゃないですか。
しかし吉永さんは「プハーッ」とはおっしゃいません。「うふ、おいしい」という感じでしょうか。ビール飲み方はけっして「プハーッ」だけではありませんよ、という

    制作者さんの意図

が感じられるようなCMだったと思います。
それにしても、ほんとうに吉永さんは何をしても絵になる方ですね。お歳を言うのは失礼ではありますが、吉永さんは昭和二十年のお生まれですから、今年77歳。いくら美貌を維持するために努力をなさっているとしても、まったく信じられません。吉永さんと同年代、あるいは少し上の昭和10年代、昭和ひとケタの方には「サユリスト」と言われるファンがいらっしゃるようですが、そういう方にとっては吉永さんはきっと今も変わらぬアイドルでいらっしゃるのだろうと思います。
ますますお元気でご活躍いただきたい方です。

にほんブログ村 演劇・ダンスブログへ
にほんブログ村
↑応援お願いします
KatayamaGoをフォローしましょう