今年の冬のプランター
朝顔を窓辺において5月の下旬から10月下旬を目安に育てています。しかしそれも終わりとなり、いよいよプランターも冬支度です。以前は朝顔と入れ替わりにニンニクを植えていました。これがなかなかおもしろくて、8~9か月辛抱して、六月になっていよいよ収穫するときは達成感のあるものでした。「長い冬を乗り越えて」というところに共感するものがあるのかもしれません。中にはあまり肥大せずに小さなものしか収穫できないものもありましたが、それはそれでまた人生と同じように「負け組には負け組の生き方があるのさ」(笑)と思わせてくれました。
結局、ニンニク栽培は4年くらい続けたでしょうか。しかし今年はそれをやめることにしました。別に飽きたわけではありません。それどころか、できるものなら続けたいとすら思っているのです。しかし、畑を持っているわけではなく、所詮小さなプランター栽培ですので、植えるにしてもスペースの問題があります。というのも、去年から始めた
イチゴ栽培
をもう少し続けようと思うからです。イチゴを育てるのは初めての経験でしたが、それなりに実をつけて味わうことができました。そして次々に伸びてくるランナー(匍匐茎)から育苗することもかなりできたのです。弱くて枯れてしまったものもありますので最終的には子株、孫株ともに15株くらいが成長してくれたのです。さらにそこから厳選してプランターに植えられるだけを植えてみようと思っています。
子株はあまりよくないという説もありますが、実際はどうなのかを調べたいですし、孫株はもうひとつ大きくなっていないのでそれがうまく成長するのかについてもようすを見たいと思っています。
そして、いよいよ十月下旬に
植え付け
をしました。プランター2つ、鉢が2つ。窓辺と外に分けてその成長の具合を観察します。しばらくはじゅうぶんに根を張って葉茎が成長してくれるかどうかで、これが不足すると結果もよくないようです。そのあとは霜枯れしないように観続けます。去年と同じように、河川敷にでも行って枯れたススキを採ってこようと思っています。うまくいけば来年の春に花が咲いて5月ごろに実をつけるはずなのですが、今年はプロの育てた株ではなくしろうとの私が育苗したものを使うわけですから、成果が挙がるのかどうかまるで見通せません。しかし、それだけにとても楽しみでもあるのです。
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- [2022/10/31 00:00]
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秋の花
世間の常識からはかなり外れているのですが、私は朝顔が咲くと「秋が来る」と感じます。もちろん咲き初めのころは猛暑なのですが、それでも秋の兆しを感じるのです。蝉の声でも聞こえてくればもっと夏らしさを感じるのかもしれませんが、それもないためによけいに非常識なまでに早く秋の訪れを感じるのかもしれません。
立秋は今の暦では8月の初めですが、その時期は「本格的な夏が来た」という認識の人が多いと思います。私は旧暦の感覚で生活していますので「暑いから夏」とは思っていません。夏とか秋という季節の分け方はやはり暦によって考えればいいのだと思っています。私が朝顔の種をまくのはだいたい5月下旬ですので、7月の後半になってやっと最初の花が咲き、本格的に咲くのは立秋以後ですから、朝顔は秋の花と感じているのです。
9月になると世間の常識と私の感覚が一致してきます(笑)。この時期に咲く花としては、まずは彼岸花があります。彼岸のころには必ず咲くとされ、実際、私もその時期になるとあちこちを探し回ります。今年はちょうどそのころに山口県の田園の広がるあたりに行ったものですから、本当にたくさんの彼岸花を観ることができました。家の近くのものはいかにも「咲かせた花」という感じなのですが、あちらは自然に咲いている花という印象を持ちました。
秋の草花というと、彼岸花とともに、
秋の七草
が挙げられます。
以前書きましたが、私はこの七草を「おくり提灯」という創作浄瑠璃に書き込みました。女郎花や撫子はどこかいとしい女性を感じさせ、尾花が揺れる姿は人を手招きするようで、萩は鹿と恋仲だとされ、葛は恨みと結びつけられます。朝顔(桔梗)は「顔」、藤袴は「袴」と人の姿にかかわりがありそうです。ただの野の花ではなく、古来詩人たちは七草に人間の姿や感情を感じ取ることを続けてきたのだろうと思います。
秋が少し深まると、今度は
金木犀
が「花」というよりは「香」でその存在感を示します。私は以前鼻がとても鈍くて香りを感じることがあまりなかったのですが、最近不思議に嗅覚が鋭くなってきたような気がしています。道を歩いていてさっと漂って来る金木犀の香りにはとても敏感になっています。金木犀の香りはトイレの芳香剤のようだという人もありますが、実際はトイレの芳香剤が金木犀を模倣しているのですよね。小林製薬さんも罪深いです(笑)。
今年初めて金木犀の香りを感じたとき、私はなぜか「肩を透かして香り来たりぬ」という短歌の下の句を浮かべました。なかなか詩人です(笑)。あとはこれに上の句をつければ一首出来上がりです。十一月締切の短歌の一つに入れられるかな、と思っています。
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- [2022/10/30 00:00]
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値上げの秋
長らく賃金と物の値段が上がらないというので不景気感が続いていました。学校も「景気」の好不況があり、有名で大きな学校は「学生の質が落ちた」なんてぼやいてはいますが、収入面ではさほど影響を受けていないと思います。問題は中小企業(これは以前私の関わってきたA大学の事務の人が自嘲的に言っていた言葉です)の学校に関しては、定員割れがあたりまえで、教員数、事務職員数はそれなりに確保しなければならないために経営が苦しくなり、そうなるともうほんとうに「みみっちい」という言葉でも使いたくなるような運営をします。以前、やはり貧乏な学校の先生が言っていました。「教室も廊下も汚れていて女子大とは思えない」と。女子大だからきれいでなければならない、とは思いませんが、やはり概して女子学生のほうが清潔を好む傾向は強いと思います。そして教員も事務職員も
「派遣」
の人たちに頼り、既得権のある「正社員」組は何とか自分たちの権利だけは守ろうとします。当然、学内はぎくしゃくして、統一が取れません。ますます雰囲気が悪くなって衰退の一途をたどるという悪循環に陥ります。
景気回復のためには、多少は物価も上がった方がいいらしく(経済のことはさっぱりわかりませんが)、「物価上昇率○%を目指す」などという目標が設定されたりします。
ところがこの秋は、円安、ロシアのウクライナ侵攻問題など景気回復とは関係のない、思いがけない物価の上昇に見舞われました。
実際に買い物に行ってみると、値段が上がっていたり、内容量が減っていたりすることが珍しくなく、私などその分買うのをやめて我慢するということになってしまいます。何と言っても、使えるお金が決まっていますので(^^;)。
電力、ガス、ガソリン
なども既に高くなっているものもあり、今後上がるものもあります。そうすると、また物の値段もそれに比例して上がるのでしょう。
生活はどんどん苦しくなります。さて次は何を節約しようか、と、ついそんなことを考えてしまう日常です。
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- [2022/10/29 00:00]
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知らん顔
おそらく以前書いたことと同じようなことを書きます。時々書いておかないと、自分への励みにならないものですから。どうぞ本日は無視してください。
世の中には知らん顔をしておけば勝てるという現実があるようです。政治家を見ていればそれがよくわかります。権力を持つ者はまず都合の悪いことは知らん顔をするのが一番のようです。権力のない者がどんなに訴えても、その場では誠実に対応するような顔さえしておけばあとはもうおかまいなし。背を向けて舌でも出しているのだと思います。
なんと言っても、権力者には必ず茶坊主のような人がいます。問題があったらその人がもみ消してくれますので知らん顔をして黙っていれば逆風はそのうちに止むと高をくくっているわけですね。そして多くの場合はその思わくどおり逆風が止んでいきますから恐ろしい話です。権力者の誤りを追及するには大変なエネルギーが必要です。何しろ向こうは総力を挙げてきますから、一人一人のエネルギーはたいしたことはありません。そもそも、知らん顔をしようと言う前提でいますので、「総力を挙げて知らん顔」なのです。一方、弱者の側は蟷螂の斧をかき集めてもたいした力にはなりません。特に
孤立無援
の人間にとっては、物言わぬ大きな壁を一人で乗り越えなければならないだけに途中で息切れしてしまうことも珍しくありません。そして不正なことをする者が勝ってしまう、という悲劇的な結末になることが多いのです。その壁はあまりにも冷たい氷の壁なのかもしれません。氷なら熱で溶けそうなものですが、南極の氷にヘアドライヤーを当てて溶かそうとしてもそう簡単には行かないでしょう。
環境保全活動家、とでもいえばいいのでしょうか、あのグレタ・トゥンベリさんはその点ほんとうにたいしたものだと思います。目の前にいるのは敵だらけ、世界の大統領クラスの人間が名指しで彼女を「何もわかっていない小娘」という扱いをしてきました。ロシアの大統領などは「世界の複雑さがわかっていない」という言い方をしていましたが、その本人が
世界一の悪童
になり果ててしまっています。どちらが正しいかなんて歴史の判断を待つまでもないのではないでしょうか。グレタさんの活動は世界に広がってはいるものの、まだ巨大な氷壁を崩すには至りません。しかし彼女の未来はまだ果てしなく長く明るいものです。頑張ってほしいものです。
日本でも、理不尽なことがあちこちでおこなわれて、権力者の「知らん顔」俗っぽい言い方をするなら「シカト」があたりまえのように横行しています。嘆かわしいですが、行動を起こさないと嘆いているだけに終わってしまいます。
私もヘアドライヤーに終わらないように権力には挑み続けたいと思っています。
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- [2022/10/28 00:00]
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どこにでもあるパワハラ
市長のパワハラ発言のことを書きましたが、被害者であることの多い役人の世界でももちろん上司によるパワハラはあります。最近では富山県舟橋村というところで村役場の職員がパワハラを繰り返し、それを十分に𠮟責せずに放置したというので村長の不信任案が可決される(その後村長は議会を解散)という事態に発展したそうです。村会議員6人、村役場の職員30人という小さな村でこんなことが常態化していたそうで驚きました。
この村だけでなく、各地の役所でも同じようなことがきっとあるのだろうと思います。さらに、役場だけではなく、会社であろうと学校であろうと、人が何人か集まるとそれらしきことは起こりうるのだろうと思います。
大学の教員間でも、そういうことはあるようです。特に理系の世界では、教授と准教授、講師、助教の間で上下関係が厳しく、出身大学の先輩後輩というのもずいぶん問題になるようです。私のような文系の人間にはなかなか理解できないことです。例えば恩師の喜寿のお祝いがあるとします。すると、席次が
卒業年次順
にびしっと決まっている、なんていうことが理系ではあると聞きました。一方私もかつてそういう会合がありましたが、あのときは到着順に適当に座っていました。私は少し遅れて行ったのですが、年少者もたくさんいるのに、ほぼ末席でした(笑)。もちろんそんなことは一切気にしませんが。以前勤務していた短大でも、自由席の忘年会で、やたら上席に座りたがる人がいて、隅っこにいる私のテーブルなんて見向きもせずに中央最前列に空いた席はないかと探している人もいました。
筋の通ったことで厳しく言われることは私もありましたし、それはむしろ当たり前でありがたいことだとも思っています。しかし、理屈にも何もなっていないことを押し付けられるのはたまったものではありません。パワハラとまでは言いませんが、年齢が高いというだけで自分はろくに仕事もせずに若い者に押し付ける人も見てきました。「その仕事を逃げるのかよ!」と言いたくなるような人もいました。やりたくない授業を当てられると
屁理屈
をこねて拒否するようなひどい人もいました。でも、「憎まれっ子世に憚る」というのか、案外そういう人がうまく生きて行ったりするものです。ついでですが、「はばかる」というのは本来「相手の強さ、大きさなどに恐れをなしてそれを『自分の行動を阻むもの』と意識する」ことを意味します。そこから「遠慮する」「気がねする」という意味ができたのですが、いつしか「いっぱいに広がる」「幅を利かす」という意味にも使われるようになりました。
周りから見ると見苦しくさえ思えるのですが、「成功する」人(俗にいう「勝ち組」に入る人)ってそういうところがあるのでしょう。
「負け組」の私が言うと単なるいいわけか僻みにしかきこえないのですが、私はやはりそういう生き方を潔しとはしません。
「かっこつけてる」「現実を知らない」と言われても、もう何とも思いません。
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- [2022/10/27 00:00]
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舌禍
世の中には失言で批判される人が多くあります。昔、国会で「バカヤロー」と叫んだ総理大臣がいたそうですが、それとはまたちょっと違って変なことを言う政治家は今もいくらでもいるだろうと思います。「オラァ、選挙で選ばれたからエラいんだ」という摩訶不思議な考え方を持つ人間ですね。
子どものころに「これを着ければパワーが出る」というので私は何かのバッジを安全ピンで胸に留めていたことがありましたが、あれと同じように議員バッジをもらうと自分が特別待遇されるべき人間に思えてしまうのでしょう。
議員になると、役人に対してとんでもない暴言を吐く人がいるようで、その習慣が時々表に見えると「舌禍事件」を起こすことになります。本人はいつもと同じようなもの言いをしているので「いつもこれで通用するのに、何が悪いのか」と言わんばかりの顔をしています。そして世論の批判にさらされると「誤解を生んだのならお詫びをする」という決まり文句で、
「誤解した方が悪いんだからね!」
という言い訳をします。その姿を見ていると駄々っ子のようで滑稽ですらあります。それも、若気の至りなどというものではなく、いい歳をしたおじいさんがそういうことを言うのでこちらが恥ずかしくなるくらいです。
兵庫県明石市の市長が暴言癖のある人で、以前土地の買収がうまくいかない時に役人に対して「火をつけて捕まってこい」などというひどい発言をしたことがありました。この時は辞職に追い込まれたものの、反省の態度を見せて立候補したところ、圧倒的な支持を得て、その後も無投票当選したりして現在に至ります。子育て支援の政策がうまくいっていて、明石市の人口は増えていると仄聞していましたので、私にとってはかなり離れたところにある、よく知らないこの街の市政は順調であるかのように見えていました。ところがこの人はどうしてもその暴言癖がなおらないらしく、独断専行のやり方もあって市議会から問責決議を受け、「もし賛成したら次の選挙で落としてやる」などと議員を脅すようなまねもして、とうとう「次の選挙には出ず、
政界を引退する」
と表明しました。この人はNHKやテレビ朝日の職員から弁護士を経て、民主党の国会議員を一期(いわゆる「復活当選」)勤め、二期目に落選したあと明石市長選挙に出て、きわめて僅差で自民、民主らの支援する候補者を破って当選したそうです。
あまりに頻繁に繰り返される舌禍を知ると、さすがに同情する気にもなれません。しかし以前、東京にもかなり横柄な知事がいましたが、その人の口調は「○○節」などと言って咎めだてされませんでした。また、近畿地方にも同じように口の悪い、役人に対しても議員に対しても下品なものの言い方をする市長が今なおいるのです。ところがどういうものか、その人もそれが「売り」になっているかのようにスルーされてしまっています。何よりも都民や市民がそれを是とするかの如く、圧倒的な支持を与えていた(いる)のですからどうしようもないのです。
明石の市長、もう政治はしないそうですが、アノ街なら当選したら暴言もOKかもしれませんよ。
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- [2022/10/26 00:00]
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鈍足
もう古い話ですからどういう事情でこんなことをしたのかは覚えていないのです(何かの統計を取るためだったのかもしれません)が、大学時代の体育の授業(教養科目)で、短距離走(50mか100m)をおこなうことになって、5~6人ずつでかけっこをしたのです。すると私は1位でゴールしました。そのとき、同級生から「足、速いな」「野球やってたもんな」と言われ、不思議に思ったのです。というのも、私はもともと鈍足で有名で(笑)、小学生の低学年の時にかけっこで上位に入ったことはなかったと思います。自分ではまるで覚えていないのですが、親が撮った写真で、私は堂々の最下位でゴールインしているらしいものを見たことがあります。そこまでひどかったのか(笑)、とあきれたのですが、どうもその写真に写っている私の間の抜けた顔を見ると、あまり一生懸命になっていないというか、走れというから付き合って適当に走っているような感じでした。私の兄はわりあいに足が速かったみたいで、親にしてみればその比較でよけいに私を「鈍くさい子」と思ったことでしょう。
英語教育学者、通訳者の鳥飼玖美子さんがおっしゃっていたのですが、鳥飼さんも小学校の最初の運動会で徒競走に出て、ニコニコしながら走ってビリだったのだそうです。そしてその姿を見たご両親はがっかりしたのだそうです。ビリだったことより、ニコニコしてやる気のないようすにがっかりされたのかもしれません。そもそも鳥飼さんはほかの人より速く走ることを競うという意識がなかったそうです。私はなんだかとても共感してしまいました。そんな鳥飼さんは、小学校時代何かにつけて
やる気がない
と思われていたらしく、しかしご本人はではどうすれば「やる気」とやらが出てくるのかもよくわからなかったそうです。しかし人間というものは何がきっかけで大きく飛躍するかわかりません。鳥飼さんは高校一年生の時にアメリカに行きたいと思い、奨学金で留学できる制度に応募するために猛烈に勉強されたそうです。やる気のスイッチが入ったのですね。そして高校3年生の時に1年間アメリカにいらっしゃって、その後は同時通訳者として名を馳せ、さらに教育学者としてもご活躍になっています。
私も、何やら言い訳がましいのですが、小学校低学年の時は、こんなの勝っても負けても一緒じゃないの、と思っていたふしがあって、最初から負けるつもりで、あるいは勝つ気などなく、もっというならどうでもいいという気持ちで(笑)走っていたこともあったような気がします。ところが高学年になって、何となく自分の身体がわかってきたというか、
「走れるんじゃないの?」
という気になったら、何とかクラスの真ん中くらいには走れるようになりました。ただしそれがせいぜいで、私はその後も目立たない少年のまま中学高校と進み、何をやっても真ん中あたりで、先生からも友人からも「可もなく不可もない生徒」と思われていたように記憶します。
それなら、私は大学生の時になぜ突然足が速くなったのでしょうか。答えはどうも簡単なことのようです。一緒に走ったのが文学部と医学部の学生で、本ばかり読んでいたか受験勉強一筋だったかで、あまり運動と縁のなさそうな連中ばかりだったのです(笑)。相対的に1位だっただけで、きっとタイムはたいしたことはなかったのでしょう。
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- [2022/10/25 00:00]
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おじいさんのありかた
私はもうそろそろ人生の冬をどのように生きていくかを考えねばならない時期に来ています。毎日のルーティンの仕事をすればいいというわけにもいかなくなり、からだの調子と相談しながら少しでも実のある晩年を過ごしたいと願います。
世間を見渡すと、反面教師には事欠かないようです。毎日のように新聞に出てくる困った政治家たちは私より年長の人が相変わらず多くて、そういう人にこびへつらう人もまたいい歳をした人が多いようです。最近ではオリンピック汚職にからんでかなり高齢の人がお金のやり取りで問題になっています。政治家だけでなく、企業の人たちも同じです。
常々首をかしげるのは、総理大臣を辞めた人が相変わらず国会議員を務めたり何らかの役職についてその役職をくれた団体に我々の税金をいかに多く流すかというたぐいの役割を果たしたりしていることです。アメリカの大統領と一緒にはできませんが、重職を終えたらそのまま引退するのが良いのではないかと思います。はっきりいってあとの人たちの邪魔になるばかりです。中曽根内閣のときにその前の総理大臣であった田中角栄氏の影響力が強いというので
田中曽根内閣
と揶揄されたことがありましたが、これは恥ずかしいことだと思います。最近の様子を見ても、総理大臣を辞めたときは「一議員として頑張ります」なんて殊勝なことを言いながら、実際は派閥の長などにおさまって「特別エライ人」という顔をしている人が普通にいます。私はけっして好きな人ではありませんでしたが、小泉さんという人はすっぱり辞めましたし、それ以前には細川さんという人も若くして辞めていきました。ずっとヒラの議員だったのならともかく、もう十分権力をふるったのであれば、せめて最後くらいは潔くやめてほしいと思います。
大学でいうなら、国立大学の教員を辞めた人が私立に
天下り
をしてきて大きな顔をするというのがあります。私が短大勤めをしていた時に、やはり天下りをしてきた人がいて、教授会で私たち若い者を罵倒するかのような発言をしていたことがありました。「俺は、おまえたちのような、私立の短大にしか職のないレベルとは違うんだ。国立大学教授様だったのだ」という意識が見え見えの人でした。そしてまたそういう人に媚びる人が多いのも見ていて恥ずかしい気持ちになりました。
そういう人たちを見ていると、おじいさん、おばあさんになったときの生き方をもうちょっと考えた方がいいように思います。私がお世話になっている短歌の雑誌の代表の先生は、大学を定年でお辞めになって、専門書(文学の先生ではありません)はすべて処分されて、短歌一筋に励んでいらっしゃいます。もちろんお金もうけなどはできません。いい歳の取り方だな、とうらやましくなります。
私も、なんだかそのひそみに倣うような言い方になりますが、浄瑠璃作者、短歌愛好家(ついでに、家庭菜園愛好家)として生きられるだけ生きたいと思うようになっています。
生活のこともありますので、なかなか難しそうはありますが。
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- [2022/10/24 00:00]
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哀しい「いいね!」
SNSはさまざまな使い方ができると思います。友人とのやりとり、あるテーマに基づく議論、ちょっとした宣伝、見知らぬ人との趣味を通しての出会い等々。ただし、Facebookのように「共感」がベースにあることの多い「友だち」関係だけでやりとりするものと、Twitterのようにまったく見知らぬ人にまで拡散されるものとではかなり違ったものだと思います。私も一度Twitterであれよあれよという間に拡散されてしまって、私の書いたことにかなり批判的なコメントも入ってきたことがありました。私としては、フォロワーのみに言ったつもりで、見知らぬ人に読まれることを前提としていなかったために、本来なら読み飛ばしてもらえるはずのところを厳しくチェックする人がいたわけです。面倒になって、そのツイートは削除してしまいました。私は現在Twitterのフォロワーさんはわずか14人(笑)。これなら拡散することもないと思っています。
ところが、中には
フォロワー何十万人
という人もいます。いわゆる著名人であれば当然かもしれませんが、それ程でもない人でも驚くほどのフォロワーを持っている人がいます。ただ、そういう人はフォロワーを増やすために、フォロー返しを期待して手当たり次第に自分からフォローしていくようですが。一度そういう人からフォローが来たことがあって、どんな人だろうと思ったらフォロワー10万人、フォロー30万人という感じでした(笑)。自己紹介のところに「フォロワーさんが10万人になりました」と誇らしげに書いていたのはさすがにむなしくさえ感じました。
女性ジャーナリストの方を中傷する第三者のツイートに対して、かねてからその女性を批判したりからかったりしてきた現職の国会議員が「いいね!」を押したことが女性の名誉を傷つけたかどうかということが裁判で争われました。一審では原告(女性ジャーナリスト)の請求は棄却されたそうですが、東京高等裁判所でおこなわれた控訴審では、この国会議員に
損害賠償
の支払いを命ずる判決が出ました。何と言ってもこの議員はこの出来事の当時で11万人ほど(現在は27万人!)のフォロワーがいて、「いいね!」を押すことによって桁外れの拡散をしたのです。政務官の地位についているというこの議員は、時として不規則で差別的な常識外れの発言をしてきたことで知られる人ですが、2代前の総理大臣に目を掛けられていたらしく、選挙では例の比例名簿とかいうのを悪用して絶対に落選しない待遇を受けたということです。
賠償金額は55万円だそうで、国会議員にとっては「はした金」かもしれませんが、もちろん金額の多寡は関係はなく、有罪判決が出たことが大きな問題だと思います。現総理大臣もどういう発想でこういう人を政務官にしたのでしょうか。どう考えても責任は免れません。はなはだきついことを書きますが、こういう議員は価値がないというか、私の目から見ると害悪以外の何物でもないとすら思えます。有権者に選択の余地すら与えずに議員にした責任者の気持ちが知りたいくらいです。
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- [2022/10/23 00:00]
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芥川龍之介の「桃太郎」
桃太郎の話は、地方によっていくらかの異同はありますが、大枠は同じような内容です。桃から男の子が生まれ、黍団子を持って鬼退治に行って、それを果たして帰ってくるのです。出生、親の慈愛、成長、恩返しなどが描かれています。
落語にも「桃太郎」があります。子を寝かしつけようと思った親が適当に桃太郎の話をすると、子はその無内容さにあきれ返って、桃太郎はもっと深遠な物語だと親に教えます。鬼というのは世間の荒波のことであり、三匹の動物は「知(猿)・仁(犬)・勇(雉)」の象徴で、これらの徳を持って社会に出れば成功して親に孝行ができる、という内容だというのです。その話を聞いて親は感心するというお話です。
これも授業では話題にできますね。また、
芥川龍之介
の「桃太郎」(1924年発表)もおもしろい教材になると思います。その内容は次のようなものです。
昔、枝が雲の上に伸び、根が大地の底の黄泉の国に及ぶほどの巨大な桃の木がありました。この木は一万年に一度花を咲かせ一万年に一度実をつけます。そしてその実は美しい赤ん坊を一人ずつ孕んでいます。ある朝、八咫烏(やたがらす)が実の一つをついばんで、谷川に落とし、それは人間の国に流れて行きました。 この桃を拾ったおばあさんはおじいさんと共にその桃の中にいた「桃太郎」を育てます。桃太郎はある日、鬼ヶ島の征伐を決心しました。というのも、彼は畑仕事などのめんどうなことが嫌だったからで、おじいさんもこのわんぱく者を早く追い出したいと思っていたものですから、渡りに船とばかりにきび団子をこしらえて旅立たせました。そこに、飢えた野良犬がやってきて桃太郎にきび団子をひとつねだるのですが、桃太郎は半分しかやらず、それでも犬は家来になりました。猿と雉も同じように家来になりました。道中、犬は意気地のない猿を馬鹿にし、猿はもっともらしい雉を馬鹿にし、雉は頭の悪い犬を馬鹿にするなど険悪な旅でした。
さて、鬼が島は天然の楽土で、鬼たちはそこで平和に暮らしていました。ある鬼は孫のお守りをしながら「いたずらをしたら人間の島にやってしまうぞ。人間というのは、嘘は言うし、欲は深いし、やきもちは焼くし、殺し合うし、火は付けるし、泥棒はするし、
手のつけようのない
ものだ」と教えていました。
桃太郎がやってきて「鬼は一匹残らず殺せ」と命令し、鬼の酋長はついに降参しました。桃太郎は酋長に「宝物をすべて献上し、お前の子を人質として差し出せ」と命じ、それらを手にして帰ったのでした。
ところが、桃太郎はその後幸福な生涯を送ったわけではありませんでした。連れて帰った鬼の子どもが成長して見張りをしていた雉をかみ殺したあげく鬼が島に逃げ去り、また鬼が島で生き残った鬼は桃太郎の家に来て火をつけたり、桃太郎を殺そうとしたりしたのです。そして猿が殺されたのは、どうやら桃太郎と人違いをしたらしいのです。桃太郎は生き残った犬と「鬼の執念深さには困ったものだ」「ご主人様(桃太郎)に命を助けてもらったくせに、その恩を忘れるなんてけしからん奴です」などと話し合っていたのです。
鬼が島では若者が独立するためにヤシの実に爆弾を仕込んでいました。娘たちに恋をすることも忘れたかのようにらんらんと目を輝かせながら・・。
あの桃の木は、今も無数の実をつけています。そしてその中には一人ずつ赤ん坊が眠っているのです。八咫烏はまたいつここに来るのでしょうか・・。
平和な鬼が島を荒らした桃太郎、いつしか鬼も「人間のように」独立戦争に向けて準備をし始めているのです。何とも皮肉たっぷりの、読み終わった時に背筋が寒くなるようなお話です。
私は人間の愚かさを描いたこの話がとても好きで、近いうちに浄瑠璃にしたいと思っています。
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- [2022/10/22 00:00]
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桃太郎
昔話が好きです。
紙芝居を授業で取り上げた際も、幼児向けのもの(「みんなでぽん」「おおきくおおきくおおきくなあれ」など)、童話(「てぶくろをかいに」「ごんぎつね」など)、海外の話(「にんぎょひめ」「マッチ売りの少女」など)よりも、私は日本の昔話を読むのが好きでした。「なんにもせんにん」「たべられたやまんば」「てんにんのよめさま」などです。
そして私の使った紙芝居には「ももたろう」もありました。あくまでも文学の授業としての紙芝居でしたので、昔話との比較もしました。岩波文庫に入っているものを取り上げて、学生の知っている「桃太郎」と同じかどうかを見てもらいました。
青森県三戸郡
に伝わるものは次のような内容です。
お婆さんがかわで洗濯していると、桃が「つんぶらつんぶら」と流れてきて、お婆さんはそれを拾って食ベてみると、とてもおいしいのです。そこでお爺さんにも持って帰ろうと思って「うまえ桃こあこっちゃ来い、にがい桃こああっちゃ行げ」というと、大きなおいしそうな桃が流れてきますそれを持って帰って戸棚に入れておくと、お爺さんが返ってきたので菜盤(さいばん。まな板のこと)に載せて切ろうとすると、桃はじゃくっと割れてかわいい男の赤ん坊が生まれました。その子はどんどん大きくなって力持ちになります。桃太郎は「鬼退治に行くから日本一の黍団子を作ってくれ」というのでお爺さんとお婆さんは、鉢巻をさせ、袴をはかせ、刀をささせて「日本一の桃太郎」という幡を持たせます。すると犬が来て、黍団子をくれたらお供するというので一つ与えて家来にしました。次に雉が、さらに猿が来て同じように家来になります。そうして鬼ヶ島で鬼を退治して、宝物を持って帰ったのです。
青森県西津軽郡
の話ではこんな感じです。
お婆さんが川へ洗い物に行くと川上からきれいな箱が流れてきます。それを拾って中を開けると桃が一つ入っていました。家に持ち帰り、お爺さんに見せるためにたんすの中にしまっておきました。お爺さんもおもしろがったので、またたんすの中にしまっておくと夜中に赤ん坊の泣く声がするので、たんすを開けてみると、かわいい男の子が生まれていたので、桃太郎と名付けました。桃太郎は鬼征伐に行くから日本一の黍団子を作ってほしいと言い、それを腰に下げて出かけると、犬が来て黍団子を一つくれたらお供するというので一つ与えました。さらに猿が来て雉が来て、同じようにして家来になりました。鬼ヶ島に行く途中、大きな川があったのですが、猿が雉の背中に乗ってそこを飛んで渡りました。鬼が一匹来たので桃太郎は「征伐に来た」というと、鬼はかえって仲間に告げました。桃太郎たちはそのあと鬼を退治して宝物を得て帰りました。
どちらも、我々が子どものころに読んできたものとは微妙に違っていると思います。前者では、おばあさんが最初に流れてきた桃を食べていたり、桃が勝手に割れて桃太郎が生まれたりしています。また後者では桃をたんすの中に入れており、桃を切ることなく、桃太郎か自然に生まれています。桃のサイズも、たんすの中に入れられるものだけにさほど大きくはないように思われます。
こういう話もしてみると、今まで見ていたものが必ずしも絶対的なものではないことに気付き、学生はかなり面白がっていたように思います。
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- [2022/10/21 00:00]
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写真嫌い
私はひどい写真嫌いです。
子どものころから、写真に写った自分の顔にいつもうんざりしていた(笑)というのが大きな理由かもしれません。自分の写った写真を見ると、「つまらない顔だな」とか「貧相な姿だな」とか「愛想がないな」とか、そんな印象しかありません。平素はあまり自分の顔を観ることはないわけですが、この顔を社会に曝しているのだと想像すると情けないです。
それだけに、自分の写真というものはあまり持っておらず、特にここ20年くらいはめったに写真を撮ることはありません。学生さんが卒業式などで「一緒に撮りましょう」と言ってくれた時は断ることはできませんので撮りましたが、自分ではそういう写真ももらわないので持っていません。
短大教員のころは、毎年
クラス写真
というのを撮ることになっていて、それを必ず一枚もらうのです。それがいやというほど残っていて、そろそろ廃棄しようと思っているところです。それでも昔の写真を見ると「若かったなぁ」という感慨があって、今となってはそれなりに見苦しさを感じない気持ちになることもあります。
最近はもう実物が悲惨なものですから、何かのはずみで自分の顔を見てしまうと悲しみのあまり号泣してしまいます(それはうそですが)。
私の学生のころはフィルムカメラでしたから、どこかに出かけたときとかコンパのときなどはともかく、普段は写真なんて撮らなかったものです。しかし今はスマホなどで簡単に撮れますので、Instagramなどを見ていると、学生さんが毎日のように自分の写真をアップしていて、やはり若くてきれいな人は自信があるよな、と感心しつつ羨んでいます。
今の若者にとっては、写真を撮ることが
日常になっている
のですよね。
写真嫌いは普段は問題ないのですが、ときどき写真をくださいと言われることがあって困ります。狂言風オペラ「フィガロの結婚」の初演のときはプログラムに載せますといわれてやむを得ず古い写真を送りました。幸い、再演の時は私の写真は出ませんでしたのでほっとしました。もっとも、ほかの人たちも最新のものでなく、よく撮れているということなのか、けっこう古い写真をお使いになっていましたけれど(笑)。
このたびある催しのために、「チラシに載せるので写真をください」と言われました。「ありません」というわけにもいかず、「フィガロ」の時と同じ、かなり古い写真を渡しました。ほとんど「詐欺」(笑)のような古さです。
できることなら金輪際写真など撮りたくなくて、遺影(!)にも「フィガロ」と同じ写真か、娘が描いてくれた似顔絵を使ってもらおうかなと思っています。
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- [2022/10/20 00:00]
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おくり提灯
私が最初に野澤松也師匠にお送りした作品は「おくり提灯」でした。江戸の本所七不思議のひとつでした。しかし、まだ習作のレベルで、松也師匠はあまり演奏してくださっていません。自分自身でも納得のいかないところがあって、七不思議が完成してからも、どうも引っかかるものがありました。もちろん、最初の作品ですから、思い入れがなくはないのですが、演奏していただくものとしてはこのままではいけないだろうと思うようになりました。そこで、この作品を少し書き換えようかという気持ちも起こったのですが、思い切ってもうひとつの「おくり提灯」を書いてみようという気持ちが募りました。
私はこの七不思議の中で「父と幼い子」「人と動物」「若い男女」「父と息子」「姉と妹」「夫婦」の情愛を描いてきたのですが、もうひとつ、これについては以前このブログに少し書いたのですが、
老女の恋
というのをテーマにしたいと思っていたのです。それで、「おくり提灯」の主題にこれを持ってこようと決め、書き始めました。主人公の名前は「おひさ」。なぜこの名前にしたのか、実は忘れました(笑)。
彼女は夫を失って息子から疎んじられて、大川(墨田川)に身を投げようとしていたのですが、それをとめてくれた男性がありました。身の上話をしているうちに、どうもこの人は夫の霊魂ではないかと彼女は感じます。やがて男性は姿を消し、あとに提灯が残され、それが自然に浮き上がって彼女を導いていきます。
私は彼女の短い道行を三味線の独奏で表現していただこうかと思いました。しかしせっかくの創作浄瑠璃なので、言葉も入れようと思い直し、こんな文章を書きました。
薄明かり
さす道の辺(べ)にきりぎりす
鳴くや七月(ななつき)七草の
花もかそけき細道を
たどれば浮かぶ夫(つま)の声
わが女郎花(おみなえし)なでしこと
いとしがつたるやさしさに
心は尾花となびけども
今はひとりの寝(い)ねがてに
萩の下葉も色づくや
お前の朝顔見えぬ日も
主(ぬし)知らぬ香(か)の藤袴
うらみはせねど葛の葉の
などか藻屑(もくず)と消えたまふ
歌のような、そうでないようなものですが、
七草尽くし
になっています。女郎花、撫子、尾花(すすき)、萩、朝顔(桔梗)、藤袴、葛です。この歌(?)とともに彼女は歩みを進めることになるのです。
あまり上出来の作品ではなく、ぎこちなかったかな、と思わないでもありません。それでも、松也師匠はこの秋、山口と広島でこの作品を取り上げてくださいました。今後はどうなるかわかりませんが、どこかでお耳に達すればありがたいことと思っております。
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- [2022/10/19 00:00]
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マスクは不要です
最近、政府は盛んに「屋外でのマスクは不要です」と言っているようです。このウイルスが日本に上陸したころは、とにかくマスクだというので、猫も杓子もマスク(猫がマスクしているのを見たことはありませんが)という感じでした。
そのためマスクが深刻なまでに品薄になって、普通の不織布マスクがべらぼうな値段で売られていたことがありました。命には代えられないという心理的パニックにうまく(あくどく?)便乗した商売だったと思います。あれはかなり儲かったのでしょうか。
その後も、政府による布マスクの配布などということも行われましたし、通行人同士が喧嘩するなど、マスクが原因でもめ事が起こることもありました。この3年近く、狂騒状態でした。
政府も、なにしろ初めての経験ですから、どうすればよいのかよくわからず、試行錯誤を繰り返して、やっと屋外では不要というところにたどりついたのでしょう。私は、そういう政府はけしからんとは思っていません。それどころか、やむを得ないことだったとさえ思います。なんといっても正解のないことを模索していたのですから。唯一、あの布マスクだけは「こうすれば支持率が上がる」「ほかの問題から国民の目をそらせる」という下心が見えただけに失敗だったと思いますが。
当初から、専門家の中にも、屋外では不要だと言う人はいました。その方は、ご自身がジョギングされるときはマスクを着けないともおっしゃっていました。
私も理屈から考えて、
田舎の道
でマスクをつけてもしかたがないだろうと思っていました。
私は当初から店に入ったり人と接触したりする場合以外は、つまり外を歩いたり公園のベンチにひとりで座っていたりする時などは、マスクは一切着けませんでした。たまたま私が呼吸器に異常があって息苦しいから、という理由もありました。それと同時に、大阪の梅田とか、東京の渋谷とか、名古屋の栄あたりのにぎやかなところなら道を歩くだけでも必要かもしれませんが、私の場合は人とめったにすれ違うことのないところばかりを歩いていますので、どう考えても必要性を感じなかったからでもあります。
ただ、政府の対策分科会あたりから
お墨付き
がいただけませんでしたから、若干の後ろめたさがなかったわけではありませんし、車が十分すれ違える幅の道の反対側を歩いている人から何やら怒鳴られたこともありました。怒鳴る方が飛沫は飛びそうに思ったのですが、あちらはマスクで完全に防備しているという自信がおありだったのでしょう。
今、やっと政府も「屋外では不要」と言い出していますので、私も安心してこれまでの方針を維持することができます。
これからはまたインフルエンザの季節です。私はもう何年も医者の勧めに背いて(笑)予防接種はしていません。ところが、以前は何度か感染してかなりひどい目にも遭ったのですが、不思議なことに接種しなくなってから感染することがなくなりました。それだけ普段から感染対策を意識していたからだと思います。言い換えると、やはり予防接種以前に自分の意識が重要なのだ、ということでしょう。
私はこのたびのウイルスの流行より前から手だけはしっかり洗うようにしていますが、今後もそれは続けて行こうと思っています。
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- [2022/10/18 00:00]
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今年の墓参り
若いころは墓参りをめったにしませんでした。まず、墓があるのが奈良県で、とても遠いのです。ですから、世間でよく見られるような「お彼岸や命日には必ず行く」などという習慣はありませんでした。それどころか、私は場所すらよくわかっていません。何と言っても、最後に行ったのが学生時代のことですから。そのときは父の育ての母(私から見ると血のつながらない祖母)の33回忌か何かで、私が覚えているのは墓に参ったことより、そのあと親戚のおじいさんおばあさんたち(ほとんど誰が誰だかわかりませんでした)と一緒に会食したことくらいです。なぜ覚えているかというと、跡継ぎのいない親戚から盛んに
「養子に来てくれないか」
と誘われたからです。父の実の姉の嫁ぎ先で、その夫である人(私から言うと義伯父)だったのですが、初めて会った(子どものころには会ったことがあるのかもしれませんが)人なのです。その人の娘(つまり私の従姉)が、私より20年くらい年長で、その人の息子になってくれないかということでした。
「墓さえ守ってくれたらいい」「どこに住んでもいい」というありがたいお誘いだったのですが、どうも養子という感覚がわからなくてとまどったことを覚えています。
ともかく、場所も覚えていないところにある墓ですから、将来もその墓に参るのはかなり難しいだろうと思ったものです。
父親はそういう、あまり顧みられないのが嫌だったのか、現在、私の暮らす家のある街の高台にできた墓地の一区画を買いました。私は墓を買うお金もなく、できることなら同居(笑)させてもらおうかと思っています。今、そこには父の育ての親(両親)と父が入っています。それ以前の先祖はもうよくわからなくなっています。父の実の親の家はわりあいに遡れるのですが、やはりこういうのは系図でも書いて残しておかなければならないのでしょうね。
今年は山口県に行ったあと、あまり体調がよくなかったので、彼岸の間はお参りすることができませんでした。
それで、少し元気になった10月初めに行ってきたのです。先ほど書きましたように、高台にありますので、晴れた日は見晴らしがよいのです。大阪湾が見えて、大阪の街もぼんやりと分かります。双眼鏡を持っていえば、
大阪ドーム
などは手に取るように見えます。
私が行った日は晴れていたので、なかなかよく見えました。大阪市あたりがぼんやり霞んだように見えるのはいつものことです。やはり都会は空気が悪いのかな、と思ったりしています。
墓に行ってもただ手を合わせるだけで、特に何もしません。お経の一節でも知っていれば読むところですが、それもできません。
帰りに、ぶらぶらと周りの墓を見て回ることがあるのですが、昔なら怖かった墓地がなんだかとても自分になじんでいるような気がしています。まだあまりあそこに行きたくはないのですが、あちらから招かれたらしかたがないかな、と思っています。
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- [2022/10/17 00:00]
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QRコード
美術館、博物館などの入場券が次第に電子チケットになりつつあるようで、私もそのお世話になっています。その場合は先日神戸でも使ったQRコードを用いるのが便利なようです。
はじめてQRコードなるものを見たのはいつだったでしょうか。思い起こせば、私がこれを意識するようになったのは20年くらいまえかもしれません。ところが実際にこれが開発されたのは1994年だそうで、もうすぐ30年になるようです。びっくりです。
何だかよくわからない形のものですが、あれを読み込めば長ったらしいURLなどを書き込む必要がなく、まことに便利なものです。私は最初のころはあまり使う機会がなかったのですが、最近は何かとよく使っているような気がします。
ただ、
IT音痴
をさらけ出しますが、あれは何か秘密の意味が隠されていて(笑)、自分では作れないものだと思っていた時期がありました。ところが、仕事場でも自分の情報を学生に伝えるために使っている人がいて、そんなに簡単にできるものなのか、と驚いたことがありました。
QRコードの「QR」はquick responseのことで、すばやく読み取れるコードということでしょうね。バーコードよりも多くの情報を埋め込むことができるようで、画期的な発明とも言えそうです。
このブログの私のペー専用のQRコードもあります。パソコンでこのブログをご覧の方は、左側の下の方に出ています。こういうブログです、一度見てください、などと言う時にいちいち検索してもらうのは面倒でしょうから、このQRコードを
名刺
などに印刷しておけばすぐに見ていただけることになります。もっとも、今私は名刺というものを持っていません(笑)のでどうしようもないのですが。
今はビジネスの世界で名刺ってどうなっているのでしょうか。相変わらず紙のものを使っていらっしゃるとは思うのですが、徐々にでも脱ペーパーの方向に進んでいるのでしょうか。ついでながらそれも気になりました。
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- [2022/10/16 00:00]
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何でもスマホで
携帯電話の最初のころは、文字どおり携帯する電話で、トランシーバーのような形のものをバッグの中に入れておいて、使うときはアンテナを伸ばして通話に使うものでした。自動車電話というのもあって、自動車の中に電話がついているという「とても便利な」ものでした。あっという間になくなりましたけどね。
その後、携帯電話はどんどん小型化して、一時は手のひらに隠れるくらいの大きさになりました。
そして電話は機能の一部になっていきました。スマートフォンになってさらにそれが極端になり、私なんて電話機能は一切使わないのに、持っているくらいです。
スマホとパソコンとどちらを使うか、と言われたら、若者はきっとスマホだと思うのです。いや、若者に限らず、スマホ漬けになっている人は多いはずです。私はものを書くのが仕事みたいなものですから、今でも圧倒的にパソコンが重要です。といっても私が使う機能は、インターネットをのぞくと、ワード、エクセル(の一部)、パワーポイントという、お決まりのものに過ぎませんが。
スマホは携帯できるパソコンという感じですから、今やあれもこれもスマホでこと足りるようになってきました。
神戸市立博物館の特別展「スコットランド美術館展」は、今回は
予約優先
でした。感染対策で、できるだけ観客を分散させたいという事情もあって、大阪市立美術館も以前予約が必要なことがありました。まず予約をスマホでおこなうと、メールが送られてきて、そこにQRコードがあります。当日は、そのQRコード画面をスマホで提示すれば中に入れて、あとは必要に応じてお金を払えばよく、ほんとうにこの機械だけで済んでしまうのです。紙のチケットは支払いのところでくれるわけですが、絶対に必要なものではなくなってくるでしょう。ただ、行った記念というか、きれいに印刷されたチケットの半券は欲しいという人は今も少なくないでしょうから、すぐにはなくならないかもしれませんが。ただ、こういう場合、スマホを使わない人、使い慣れない人にとっては逆に不便だろうとも思います。
買い物に行っても現金はもはや不要なところが多くて、QRコードか
バーコード決済
で済みます。私が通院している病院は今も現金なのですが、それ以外は小さな店でも電子決済が多くなりました。決済と言えば、銀行の振込だってスマホで済んでしまうわけで、銀行に行く回数が激減したという人も多くなっているはずです。私もそのうちの一人です。
SNSはほとんどスマホという人も多いでしょうし、パソコンでは使えないものもあります。LINEも多くの人が使うようになってきて、「LINE使ってるなら教えて」ではなく「LINE教えて」で済むようになってきました。使っていないと「ええ!」と怪訝な顔をされます。
こうなってくると、もはやスマホは生活必需品。それだけに家に置き忘れたとか、故障した、行方不明になったという事態になるとやっかいです。私はまたよく忘れるものですから、注意しなければなりません。
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- [2022/10/15 00:00]
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ハーブティ
仕事場で、以前同僚だった方はいわゆるグルメで、いろんなお店をご存じでした。こういうものはあの店、こういうお茶はあちら、という具合で、高級店とは限らないのです。そういう方でしたので、仕事場で召し上がるお茶ひとつをとってもいろいろと凝っておいしいものを召しあがります。水はすべてミネラルウォーターで、時独宅配の人がケースを運んできます。おそらく2ℓのペットボトルを一度に20本くらい買っていらしたと思います。コーヒーはもちろんインスタントなどではありません。共同の部屋でよくそれをご馳走してくださったので、70歳になったらカフェでも開くのですか、と冗談を言ったりしていました。残念なことに、まさにその70歳の誕生日の直後に亡くなったのですが。
私はこの方とは全く逆で、食べるものにほとんど執着がありません。最近少しはわかるようになってきましたが、例えば家でカレーを作るとすると、材料とルーを買ってくるのですが、このルーなんて何でも同じだとすら思っていたくらいです。箱には「まろやか」とか
「コクがある」
などと書いてあるのですがよくわかりませんでした。スーパーで食材を買う時にも、同じようなものなのに、なぜこちらが安くてこちらが高いのか、などということもよくわかりませんでした。
そんな人間ですから、仕事場で飲むものにもこだわりはありません。以前はお茶のティーバッグを置いていたこともあるのですが、しょっちゅう賞味期限切れまで放置してしまうものですからもったいなくてやめてしまいました。粉末の昆布茶のときもありましたが、値段が高いのでこれもやめました。インスタントコーヒーを置いていたこともありますが、あまり飲みたいと思わないので賞味期限寸前に家に持ち帰ったりしました。結局、最近飲むのは水道水を沸かしただけの
白湯(笑)
でした。文楽の太夫さんじゃあるまいし、こんなものを飲んでいる人はおそらくほかにいないと思います。カロリーゼロで、しかも水分はきちんと摂れるのでいいかもしれない、と思っているのですが、傍目にはきっと貧乏くさいか、と思われていることでしょう。
これからは家でちょっとしたハーブティでも飲もうかなと思っています。安いものでかまわないので、やはりティーバッグになっているものなら手軽ですし。これで多少でもリラックスできればいいかな、と思っています。
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- [2022/10/14 00:00]
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クレーンゲーム
私には兄がいるのですが、この人と私はまったく似ていないというか対照的な人間なのです。兄は理系で数学とか物理とかその手のものが好き。人当たりが良くて性格は明るく、やや小柄。私は文系で孤独を好み、性格は陰気で兄よりかなり背が高いのです。自分ではわかりませんが、顔などはいくらかでも似ているところはあるかもしれません。しかしほんとうにタイプが違います。
もうひとつ、まったく違うのが器用さです。兄は車の運転もうまく、自動車学校には行かずに免許を取った人です(たぶん友だちの車で練習したのでしょう)。手先も器用で、大工仕事などもうまかったと思います。私はまるで逆で、不器用そのもの。
技術職というのか専門職というのか、そういう仕事であった兄はかなり高収入で、私とはその点でも比較になりません(私が超貧乏な学校に勤めたからよけいに目立ちます・・笑)。
兄は遊ぶのも好きで、うまく遊べるタイプです。競馬やパチンコもしていたと思うのですが、そんなに深入りはしないので、損をしていてもたいしたことはないはずです。
遊びの中でも子どものような遊びもうまいのです。
クレーンゲーム
というのでしょうか、UFOキャッチャーというのでしょうか、クレーンのおもちゃのようなもの(あるいは「くの字型」の二本足のようなもの)を操作して景品を取るゲームがありますよね。ああいうものもとてもうまいのです。私はほとんどやったことがない(数回あるかも)ので、損をするだけで、おもしろくもなんともないのです。ところがあれは大変な人気のようで、少し調べてみると、子どもが家で遊べる(笑)クレーンゲームというのも売っているみたいでした。「トイザらス」などに行けばあるのでしょうね。景品の取れるものは、大きなショッピングセンターなどにあるのを見たことがあり、そういう場所では、子どもに500円くらい渡して「しばらく遊んでおきなさい」と言って親は買い物をする、ということもあるようです。ゲームセンターには当然あるのでしょうが、私はこの「ゲームセンター」というところにも行ったことがなくて、そもそもそういうものがどこにあるのかも知りません。
先日Facebookで「リール」というのを見ていたら、クレーンゲームを映しているものがいくつか出てきました。商品を獲得した場面を映しては「こうすれば取れます」という解説が入っているようでした。あのゲームの景品というのは、いろいろあるみたいですね。たとえばボックスのお菓子。あれなら取れたら食べられるのでいいかな、と思ったりします。よく見られるのが
ぬいぐるみ
ですね。アンパンマンとか、ポケモンなどのぬいぐるみを子どもたちが喜んで取っていました。私の兄も、子どものためによく持って帰っていました。自分は遊べば満足で、子どもはお土産で満足、というわけです。家族円満の秘訣だったのかもしれません。
ところが、ほかに、ほとんど意味の分からないもの、何とも説明のしようのないものを取っている映像もありました。小さなプラスティックかゴム製のおもちゃというか飾りというか、そんなものを取っていたのです。あれって、取ること自体の達成感はあると思うのですが、取ったものはどうするのでしょうか。よけいな心配(笑)ですが、およそ役に立ちそうにないと思うのです。家に置いて眺めていてもしかたないし、食べるわけにもいかない(笑)し。もっとも、子ども時代は何でもないものを集めて喜ぶものです。小学生の時、牛乳ビンのふたを集めていた同級生もいました(メンコ代わりにしていたと思います)。ああいうものでも「自分が取ったもの」として宝物になるのかもしれませんね。
いずれにせよ、私は今後もまるで縁がなさそうなゲームです。
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- [2022/10/13 00:00]
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500円硬貨
子どものころ、500円と言えばお札でした。岩倉具視の肖像画でした。岩倉具視が何をした人なのかわからなくても「紙幣の人」として有名でした。実はこの人は明治維新の時に活躍した薩摩、長州、肥前、肥後の人たちとともに「維新の十傑」に数えられることがあります。ただし岩倉は名前からもわかる通り公家の人です。もとは堀河家(藤原北家高倉流)の人で、岩倉家(村上源氏久我家流)に養子に行ったのです。「岩倉使節団」のリーダー(全権)としてアメリカやヨーロッパに行ったことで知られますね。この人が1951年発行(さすがに私も生まれていません)の500円札に肖像画を使われたのですが、当時、千円札は聖徳太子、100円札は板垣退助でした。どういう選択だったのでしょうか。
しかし時は流れ、500円札が硬貨になりました。1982年だったそうです。当時は銅75%、ニッケル25%のもので、白っぽい硬貨でした。次に2000年に銅72%、亜鉛20%、ニッケル8%の金色っぽいものが出ました。今もっとも流通しているのはこれでしょう。そして昨年から三代目の
バイカラー・クラッド
という、さらに偽造しにくい硬貨が発行されています。
しかし私はこの三代目の硬貨をまだ見ていないのです。まだあまり流通していないですよね。
しかし、自動販売機などは二代目が使えますから特に問題はありません。
ところが、ところが、私は初代の500円硬貨をなぜか後生大事に20枚くらい持っているのです。別に集めているわけではないのですが、何となく置いてあったのです。
先日、ある店に行ってこの初代500円硬貨を自動支払機に入れると
弾かれて
しまいました。さすがに初代はもうダメなのですね。しかも、店の人から怪しげな顔をされてしまって、ひょっとしたら偽造硬貨を使ったと思われたのかもしれません。以前学生さんが初代の500円硬貨が欲しいと言っていたことがあって、どうしてそんなものが欲しいのだろうと思っていたのですが、もはや古銭扱いなのでしょうね。
さて、たくさん残っている初代500円硬貨、どうしようかな(笑)。
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- [2022/10/12 00:00]
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山口市
兵庫県で一番人口が多いのは神戸市、愛知県では名古屋市。県庁所在地だから多いに決まっているでしょ、と私はたしは何となく思っていました。ところが山口県は違いました。一番は下関市で27万人くらい、山口市は第二位で19万人あまりだそうです。
私の住む兵庫県でいうと、下関市は加古川市より少し少なく、山口市は伊丹市より少し少ないくらいです。ところが山口市の面積は1,023 km²で、伊丹市は24.97 km²。つまり人口密度はまったく違うのです。では山口市の中心部というのはどういう町なのだろう、と思って興味津々でした。
JR山口駅から北北西に行くと山口市役所、山口市消防本部、山口県立美術館、山口県立博物館、山口県立図書館、さらに少し北には県庁、県警本部などがあり、文化と政治の中心地という感じがします。私がこのたびお邪魔した洞春寺は県庁の少し北にあり、最寄りのバス停も「県庁前」です。国立の山口大学、県立山口大学(以前は女子大)も山口市内にあります。
しかし山口市は県全体から見るとたしかに中心あたりに位置し、それなりに広い街なのですが、山陽道からは大きく外れた山あいにあるのです。また、旧周防国の国衙があったのは今の防府市でした。ではなぜここが県庁所在地になったのかについては、歴史を調べないとわからないのですが、幕末に
山口藩の藩庁
を萩からこの地に移転したことが大きいのだと思います。この藩庁のあったところが今の県庁です。
私が山口市に行ったのは、洞春寺が目的でしたが、時間があったので、お隣の瑠璃光寺五重塔も久しぶりに尋ねました。とにかくこのあたり一帯は古いものと新しいものが一体になった、文化の香る街と言えそうに思いました。
それだけに、JRの山口線にはいささかびっくりしました(実は初めて乗ったのです)。新山口から島根県の益田駅までの路線で、津和野や湯田温泉があります。ところが、前線単線だそうで、電化もしていませんでした。私が乗ったのは2両連結のワンマン列車でした。車内には「整理券」の機会が設置されていて、おそらく無人駅がいくつもあるのでしょう。
電車、じゃなかった、列車の本数も少なくて、帰りは駅で30分近く待ったと思います。切符はすべて自動券売機で、近郊用のものが一台とみどりの販売機(遠距離、新幹線の切符など)が一台あっただけでした。一日の乗降客数は、山口県で
第14位
らしく、3,000人程度。やはり一番は下関駅で、続いて徳山、新山口、岩国、新下関、防府の順だそうです。先ほど比較した伊丹市の伊丹駅が約5万人だそうで、ずいぶん違います。
やはりあの地域ではほとんどの人が自家用車を利用するのだと思います。
山口県は東から岩国、徳山、防府、宇部、下関という山陽道沿いの町が便利委ではありますが、何か少し前の時代を思わせる、ゆかしい奥座敷のような位置にある山口市もなかなか魅力がありました。
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- [2022/10/11 00:00]
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初めて観た徳地人形浄瑠璃(2)
徳地人形浄瑠璃の舞台はさほど間口のあるものではありません。何しろ小さな人形を一人の人形遣いが遣いますから、幅があっては困るのです。人形遣いさんは舞台の下の狭い空間に隠れるようにして遣われます。徳地人形浄瑠璃保存会のMさんは「遠路、無理に来なくても映像がありますよ」と言ってくださったのですが、実際の姿を見ないと感覚的に理解できない面があります。文楽だって、映像なんていくらでもありますが、初めてナマの舞台を観たら「こんな感じなのか!」とびっくりするでしょう。どう考えてもライブに勝るものはありません。
徳地の人形は小さくて動きも派手ではありません。ですから、こういう人形ならここまではできる、とか、これ以上は難しい、というようなこともナマで観てこそわかってくると思います。或いはこの小さな人形を生かすにはこういう工夫がおもしろいのではないか、ということも考えられます。演出家でもないのに、そういうえらそうなことを勝手に思案するのもおもしろいものです。
さて、私が拝見したのは『傾城阿波の鳴門』
順礼歌
で、野澤松也師匠の語りと三味線で、徳地人形浄瑠璃保存会のMさんがお一人でお遣いになりました。ただ、順礼歌のときの鐘はMさんのお母様が補助なさっていました。
とても失礼なことを申しますが、小さな人形だけに、それほどはおもしろくないだろうと思っていたのです。ところが、とんでもないことでした。確かに動きはぎこちなく、文楽人形に比ぶべくもありませんが、これはこれで十分に楽しめるすばらしいものでした。
ひとことでいえば
感動
しました。
お客さんは10人くらいだったのですが、中には涙を流す方もいらっしゃったのです。「順礼歌」はたしかに「泣かせる」演目ではありますが、だからといってどんな演技でも泣けるかというと、そんなことはないでしょう。実は、この演目をなさるのは久しぶりのことだそうで、Mさんは、人形の動きは「当代桐竹勘十郎さん(お弓)と桐竹勘次郎さん(おつる)のそれを参考にしたのです」とおっしゃっていました。Mさんのお持ちだった台本には人形の動きがびっしりと書き込まれていたのです。相当練習なさったことと思います。
こういう伝統的なことについては、ご多分に漏れず、後継者がなかなか見当たらずにお困りのようですが、せっかく地元に伝わったものですから、これからも若い世代の人が興味を持ってMさんに教えてもらって、また徳地の方に愛されるように願わないではいられません。
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- [2022/10/10 00:00]
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初めて観た徳地人形浄瑠璃(1)
広島にいたとき、山口県にはほとんど縁がありませんでした。学生さんの中には「山口から広島という都会に出てくる」という感覚で来ていた人もいたのですが、だからと言って私が山口県に行くことはありません。かろうじて岩国の錦帯橋を見物に行ったことはありましたが、せいぜいその程度だったのです。
それが、ひょんなことから徳地人形浄瑠璃の方とお知り合いになって、一度人形を見せてください、とお願いして昨年末にうかがったのでした。徳地は重源上人が東大寺大仏殿を再興するときに材木をこの地に求めたことで知られています。そして当地の人は重源上人を「重源さん」と親しげに呼んで、敬愛しているようなのです。その空気を味わいたいというのも徳地に行った理由のひとつでした。
徳地は山口県防府市の北にありますが、今は山口市の一部になっています。山あいのとてもすてきなところです。道路が立派で、これはもう、どう考えても山口出身の
利益誘導型政治家
の力でしょう。票が入るわけです。
少し前に書きましたが、9月に山口県を訪ねたのは山口市の洞春寺が最終目的地だったのです。
山口市の中心部には20年以上ご無沙汰していました。前回は瑠璃光寺の五重塔を見るのが目的でしたので、街の様子は道路の立派さ以外あまり記憶にありません。この街には椹野川(ふしのがわ)という川が流れていますが、それも初めて知りました。
洞春寺や瑠璃光寺には山口駅からバスで行けます。徒歩であれば上山口駅から歩けそうに思います(30分もかからないでしょう)。
山口市には600年の歴史を持つという湯田温泉があります。「ユタ」ではなく「ユダ」。でも、キリストの弟子とは関係ありません(あたりまえ)。今回は行っていませんが、やや気になるところです。
さて、洞春寺は臨済宗建仁寺派。ここで、このところ野澤松也師匠の浄瑠璃の会が行われているそうです。今回は創作浄瑠璃が『送り拍子木』の予定でしたが、変更になって「おくり提灯」、そして徳地人形とのコラボが
『傾城阿波の鳴門』
です。特に『鳴門』に関しては初めて徳地人形が遣われているところを拝見できるとあって、楽しみにしていました。
徳地人形はひとりの人形遣いが複数の人形を遣うもので、人形自体は小さく、動きも文楽のような細かいものではありません。この保存会のMさんという方が後継者として現在奮闘なさっています。この方は弾き語りをなさり、人形もお遣いになるのです。
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- [2022/10/09 00:00]
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肖像(2)
議員に限らず、会社の創業者とか、地元の発展に尽くした人とか、銅像はけっこうあちこちに見られます。まあ、自分たちのお金で社内のロビーあたりに創業者の像を立てるのは自由ですからそれはそれでけっこうだと思います。
各地には、その土地の名士を顕彰して土地の名前をアピールをするため、あるいは観光客誘致のため、という意味もあるのでしょうが、歴史的な人物の像が建てられることもあります。防府には種田山頭火の像がありました。高知には坂本龍馬、仙台には伊達政宗などがあります。
亡くなって数百年経った頃に建てられるなら、その人物が
歴史的に評価
されているということになるのでしょうが、1940年に亡くなった山頭火はギリギリかな、と思います。しかし山頭火は銅像を建ててほしいなんて思わなかったでしょうから、防府の人がそれだけ愛していたり誇りに思っていたりするならかまわないと思います。
最近、オリンピックの委員長か何かをしていた人の銅像(?)を建てる計画があると新聞で見ました。各地に「おらが村のセンセイ様」ということで、ほかの地域では誰も知らないような人の銅像が建てられているのに遭遇することはありますのでその類と思えばどうってことはありませんし、お友達がお金を出し合って造るのに口を挿むつもりもありません。私はその記事を見て、ただ
「好きだなぁ」
という印象しか持ちませんでした。
あの銅像というのは、ネットで簡単に調べてみたら、どういう作家に依頼して建てるかによって値段は全然違うそうです。著名な人に頼んだら数千万円かかることもあるそうで、作家にこだわらないなら500万円から1000万円もあればできるようです。台座の立派なものを作った場合、おそらく碑文に大げさな表現でその人物の「功績」を並べ立てて書くのでしょうね。「こんな悪いことをした」「こんな失言をした」とは書きませんよね。
どうせお金持ちの人から寄付を募るのでしょうから、それくらいはすぐに集まるのでしょう。どうぞご自由にお建てください。業者の人、作家の人の仕事が増えて景気対策にもなります(?)。
そんなことを思っていたら、ひとつ前の総理大臣をした議員さんの胸像というのも造られているという新聞記事を見ました。来年お披露目される予定で、
800万円くらい
のものだそうです。胸像ですから、まあまあの値段でしょうか。ただ、生前に建てるのは、これもご自由ではあるのですが、私から見ると何とも不思議な感じがします。自分の姿をした像を建ててそれを見るって、ご本人は気持ち悪くないのでしょうかね(笑)。私なんて写真すら撮らないのですから、銅像なんて絶対に嫌ですけどね(心配しなくても誰も建ててくれませんが)。
そういえば、7月に撃たれた議員さんの銅像が台湾に建てられたという話もニュースで知りました。日本でもそのうちどこかに(やはり山口の方でしょうか)建てようという話になりそうですね。いや、もうすでに計画があるかもしれませんね。
しかし、こんなことを書いていると、私がいかにひがみっぽい嫌味な人間か(笑)が、よくわかります。
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- [2022/10/08 00:00]
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肖像(1)
「肖」という字は「似」と同じような意味で、「肖似」という言葉もあります。「不肖の子」というのは、親に似(肖)ない愚かな子、「不肖の弟子」は師匠に似ないダメな弟子のことです。わかりやすく言うと私のような人間のことです(笑)。
ということは「肖像」というのはその人物に似せた絵や彫刻のことですね。
ベラスケス、レンブラント、ゲインズバラ、ヴァン・ダイク、レノルズなどは肖像画家(自画像を含む)として有名です。写真のない時代の宮廷画家という人は、君主やその家族、あるいは貴族の肖像画を描くことが重要な仕事でした。もちろん、実物そっくりに描けばいいというものではありません。実物らしさをきちんと残しながらも、男性の国王などであれば英雄的に、王妃だとか王女であれば皺もない美しい姿にしないとまずいのです。いつだったか、画家の
ゴヤ
の映画を観た時、ゴヤが王妃の肖像をかなり「正直に」描いたために王妃がふてくされたという場面がありました。写真のある今でも、どう考えても美男美女すぎる肖像があります。典型的なのは北朝鮮の大将の肖像画(笑)です。あれって、かえって恥ずかしくないのかな、と思うくらいです。
ナポレオンの肖像画もいくつも残っていますが、ダヴィッドの『サン=ベルナール峠を越えるナポレオン』(アルプスを越えるナポレオン)はやけにかっこいいのですが、同じアルプス越えでもドラローシュの描いたものはくたびれたラバに乗っており、今ひとつ冴えない感じです。同じドラローシュの描いた『フォンテーヌブローのナポレオン』に至っては敗残の英雄が小太りで生気のない姿に描かれます。
以前は、衆議院議員を50年つとめると名誉議員とやらいう称号を与えられて胸像を建ててもらえるという慣例がありました。尾崎行雄(咢堂)、三木武夫の二人がそれに該当して国会に胸像が建てられているようです(見たことはありませんが)。このお二人に続いて三人目の50年に達した人は、銅像を建ててもらえると大喜びしていたのに、財政難とかで実現せず憤慨していたように思います。そしてそれ以後も、中曽根康弘とか小沢一郎とかいう人たち(尾崎らを含めて全部で6人)が50年議員を務めたようですが、今はこの慣例はなくなったようで、まことに結構なことだと思います。どうでもいいですが、プロ野球東映フライヤーズで活躍した尾崎行雄選手はたまたまこの国会議員と同姓であったため、親御さんはこの議員にあやかって名前も同じ「行雄」にしたのだとか。
兵庫県明石市から淡路島に
明石大橋
橋が架けられたとき、まさにその憤慨していた政治家(この人は明石大橋に執念を燃やしていました)の像でも建てるんじゃないかと思っていたら案の定でした。ご本人はきっと国会の恨みを晴らしたように満足なさったことでしょう。私などは、あんなものに高いお金を使うことはないのに、と思うのですが、本人はそれが嬉しいのでしょう。
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- [2022/10/07 00:00]
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文楽人形劇の行方
私が奈良市の幼稚園で文楽人形劇を始めたのは奈良市在住の方のお誘いによるものでした。9年間毎年実施して、とても楽しかったいい思い出になっています。私の手元の人形は娘首とツメ。どう考えても主役は娘になりそうなのですが、あえてツメ首をタイトルロールにしました。「ごんべえさんシリーズ」の誕生でした。田舎の山の麓に暮らすごんべえさんがいろんな体験をするお話ですが、途中からモグラのモグリンが加わり、さらに娘人形も「おそめ」「おはな」などの名前で登場させました。
子どもたちはよく観てくれましたし、地元の方ももの珍しさがあったのか、けっこう来てくださいました。参加してくださったボランティアの方も、最初は観客席にいたのに、演ずる側に回りたいと思って加わった、という方もありましたし、いつも実施していた反省会でも、多くの人(20人くらい)で仕事を分担してひとつの芝居を作ることの楽しさを話してくださる方が多くて、中には感極まって
涙ぐむ
人もあったくらいです。自分で演技をしろと言われてもできないけれども、人形に託して演ずることのおもしろさがわかった、という人もありました。
しかし、この人形劇は二つの理由でなくなってしまいました。ひとつは言うまでもなくCovid-19の蔓延です。これは致命的でした。当初奈良ではあまり感染者がいなかったので、比較的感染者の多い地域に住んでいる私が入ることは特に警戒されました。それに離れては演技できませんからね。せめてあと1回、10周年で終わりたかったという思いもあるのですが、ウイルスには勝てません。
実はもうひとつの理由ももっと切実なものでした。少子化がひどくて、毎年どんどん入園者が減っていき、ついにその幼稚園は
廃園
となったのでした。
それ以後は、地元の教育委員会に少しお話だけはしたのですが、関心を持ってもらえなかったようです。お役所が「考えておきます」といったら「無理です」の意味だと『お役所用語大辞典』(そんなもの、ありませんけど)に書いてあるでしょう。
でも私ももういつまでもこういうことはできず、あと5年が限度だろうと思っています。もう無理かな、といささか残念です。
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- [2022/10/06 00:00]
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浅はか
私は物事を常識的に考えるのがどうも苦手です。「ふつう、こうだろ」と言われるようなことをなかなか理解できないというか、非常識なことをしがちだと思うのです。致命的なこともしかねないので、注意していますが、我ながら心配です。
例えば、平気で人を悪く言っているような気がするのです。いや、本当に悪口を言っているのではなく、あくまで自分では冗談のつもりなのですが、人はそれを「それはふつう、冗談では済まないだろ」と思うわけです。発達障害の気があるのではないかと自己診断しているのですが、医者に相談したこともなければ心理学の勉強もしたことがありません。少しずつ大人になって来たかな、と思うことはあるのですが、なかなかうまく治りません。
こうしておけば
もっとうまく
生きられただろうに、と思ったこともしばしば、いや「しばしば」では済まないくらいです。
今もなお、どうすればいいのだろうか、と悩むことは多いのですが、何しろ人に相談することも不自由なのでひとりで考えては行き詰っています。
「あのとき浅はかにあんなことを言うんじゃなかった」とか「あのときこういえばよかったのだ」と気付くことも頻繁で、すべてがあとのまつり、後手後手という感じがします。
そんな私が、今の総理大臣を見ていると、何だか自分を見ているようで恥ずかしくなってしまうことがあります。いつまでぐずぐずしているのだろう、と思うこともあれば、とんでもないことを「速やかに決断」してしまうこともあります。「機を見るに敏」であろうとして早とちりしてしまうわけです。悪人ではなさそうですが、不器用な人だと思います。私と違うのは、権力のある人とうまくやっていこうとする姿勢です。私はまるでそんな意識がないので、そういうところが総理大臣になる人と
超安物教員(笑)
で終わる人間との違いだと思います。
それにしてもあの人は、国葬問題ではほんとうに浅はかなことをしてしまったものだと思います。どうしても自分がしたいと思ったのであれば、シモムラとかアソウなどという人に脅される前に、内閣改造なんてしていないであの撃たれた議員が亡くなった直後に、いささかひどい言い方ですが「どさくさまぎれに」やっておいてすぐに忘れ去られればよかったのでしょう。こういうところはやはり「機を見るに敏」ではないのでしょうね。ある方が、2か月以上も後で実施するなんて、それではまるで「偲ぶ会」じゃないか、とおっしゃっていました。たしかにそうなんですよね。時間が経つと一時の感傷が薄れて、批判の声が挙がることは自明のことで、かえって亡くなった議員に恥をかかせるようなことをしてしまったと思います。
もっとも、すぐにやってしまっていたら、そのあと宗教団体との関係の問題がどんどん出てきて、「国葬なんてしたのは誰だ」という話になっていたでしょうから、どちらにしても批判は免れなかったでしょう。今の総理大臣は、「国葬をした人」としてしか記憶に残たないとすると残念な話です。
もう、早いうちに「明治の遺物のような国会議員の国葬は金輪際しない」ということを決めた方がよさそうに思います。
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- [2022/10/05 00:00]
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旅行の不安
私はひとりで鈍行列車に乗って窓の外を眺めるというのが好きでした。広島にいたとき、京都の研究会から帰るのに、新幹線を使わずに帰ったこともありました。姫路までは新快速という、とても便利な電車がありますのでそれで行けばあっという間に着きます。大阪から姫路まで1時間で行ってしまうのです。ただそこからが面倒で、姫路から岡山に行く電車はさほど多くなく、またあったとしてものらりくらりと山の周囲をぐるぐる回りながら(トンネルを掘るとお金がかかりますから山を迂回するように線路が敷設されました)走るので、今西向きに進んでいたと思ったらいつの間にか南に向いたりしていました。ひどい時には少し東に戻るようなところもあって、進行方向に向かって右列の席に座っていたら、右側に太陽が見えるという不思議なこともありました。昔、東海道(電車ではなく街道)で、京に上る場合、富士山は右に見えるわけですが、一時的に左に見えたことがありました。それも道がくねっていたからです。それと同じなのですね。
新幹線なら1時間半くらいで行けるところを、待ち時間も含めると5時間くらいかけて広島まで帰ったような気がします。
新幹線にも以前はしょっちゅう乗っていました。東京国立劇場に行くこともとても多かったので、さすがにビジネスマンの出張のように頻繁ではありませんが、年に数回、少なくとも
文楽東京公演
の回数だけは行っていました。2,5,9,12月ですね。
もう今はそんなことも夢のような話で、今後はますます旅行に行く機会は少なくなるでしょう。切符の取り方もどんどん変わってきて、今はスマホひとつで予約もできる時代になっているようです。「ようです」というのは私がそれをしたことがないからです。それはちょっと特殊な事情があるからなのですが、今後仮に長旅することがあっても、相変わらず駅まで行って買うのではないかと思います。時代遅れもいいところです。
今は、長距離の電車に乗るのもいささか怖いのです。2年前に東京に行ったときも、新幹線の中で「何か間違ったことをしているのではないか(列車は合っているか、席は間違っていないか、など)」という不安があって、ずっと心が落ち着きませんでした。あえていうなら、私などは電車に乗ってはいけないのではないかという、
漠然とした恐怖感
なのです。芥川龍之介は「将来に対する唯ぼんやりとした不安」(『或旧友へ送る手記』)があると言っていたそうですが、何やらわかるような気もしてきました。
この秋、山口県まで行きましたが、そのときも山陽新幹線でした。新山口という、まったく見たこともない駅まで行ったのですが、その間はずっと緊張していた
ように思います。
新山口から山陽本線の上りで防府まで少し戻るのですが、何となく在来線の方が安心するような気持ちになりました。日に日に田舎者になっていきます(笑)。
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- [2022/10/04 00:00]
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もうひとつの新作浄瑠璃
実はこの夏はもうひとつ別の新作浄瑠璃を(完成させないまでも)書くつもりだったのです。そこに突然別の話が舞い込んで、短期間のうちに書きあげてほしいと言われました。
今どきの言葉ならプライオリティというのでしょうか、優先度ですね、それを天秤に掛けなければなりませんでした。片や以前から依頼されているもの、こなた突然舞い込んできたもの。考えようによっては、後者はお断りすべきだったのかもしれません。しかしこんな珍しいことを頼んでくださる方のお気持ちを無視することはできず、前者については少し遅らせる決断をしました。
何とか後者ができましたので、次は前者に戻ります。私は、書き始めたら一気に書くのが常で、今はまだどういう内容にしようかを考えているところです。そして、おおむねアイデアがまとまってきました。これも時代ものに当たる内容で、それに世話の要素を入れるつもりです。
時代ものを考えるときは、やはり
史実
をないがしろにすることはできません。『義経千本桜』でも史実はそれなりに守られているのです。知盛が生きていて尼崎で船問屋をしているといっても、最終的に義経を倒して知盛の幕府を開いた、などという話にはできません。『義経記』や『船弁慶』の内容(これは史実ではなく本説)も、知盛は幽霊なのか幽霊と名乗る生きた人間なのかの違いはありますが、最低限守っています。史実や本説を守りながらどう変えるか、というところが大事なのだと思います。
換骨奪胎
という言葉があります。この言葉はしばしば人の作品に少しだけ手を入れてあたかも自分が考えたかのようにごまかすという、悪い意味で用いられます。盗作に近い考えですね。しかし本来は、先行する作品をうまく利用して自分独自の作品を作ることを言い、悪い意味ではありません。『義経千本桜』は換骨奪胎をうまく成し遂げたものだと思います。
私には並木千柳たちのような能力はありませんが、史実はできるだけ調べて、それをベースにして自由な発想で書いていきたいと思っています。そのためには歴史上の人物のみならず、新たな登場人物を作ることは必要で、田舎の可憐な娘を造形する予定です。しかしこれはどこか「すしや」のお里の焼き直しのように思えなくもないので、換骨奪胎ではなく「パクリ」になってしまわないか、いささか心配です(『千本』のパクリなら著作権侵害にはならないでしょうが)。
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- [2022/10/03 00:00]
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二度目の防府市
山口県の東側は、昔は周防国でした。その国府のあったところが周「防」の国「府」で防府。今は山口県防府市です。菅原道真を祀る防府天満宮という実に立派な神社があります。わたしはこれまでに3度行きました。所在地が防府市松崎町であることからもわかるのですが、もともと松崎天神と言っていたようで、松崎天神縁起絵巻(鎌倉時代)という絵巻物があります。防府と言えばまずこの神社が思い浮かぶくらいです。
防府市の周辺は平成の大合併のときにどんどん合併が進み、私は昨年防府に行って地元の方に伺うまでは「徳山市」というのは今もあると思っていました。しかし新南陽市、熊毛町、鹿野町との合併で、今では周南市というようです。
防府市も山口市と合併する話があったようにうかがいました。山口市は県庁所在地とは言いながら少し奥まったところにあり、人口では長門の下関市にかなわないという町です。だからということなのか、市域を拡張していったようで防府が加われば名実ともに周防の中心地になれたのかな、と感じます。もしそうなったら新しい市の名前はやはり山口市でしょうから、防府市が嫌がったのではないでしょうか。
昨年末の慌ただしい時に、この防府からかつての徳地町、今の
山口市徳地
に行ってきました。徳地人形浄瑠璃のお話を伺うためでした。ただ、そのときは年末でもありましたし、人形そのものは拝見できしましたが、舞台を目の当たりにすることはできなかったのです。
最終目的地は山口市だったのですが、あえて防府で一泊したのは、防府天満宮や徳地地域などをもう一度訪ねておきたかったからです。天満宮は、前回は新年の準備で雑然としていたうえ、歴史館(宝物殿)がウイルス感染防止の観点から閉館になっていたのです。今回はあの時より感染はひどいかもしれませんが、開館していました。さほど興味はなかったのですが(笑)、山縣有朋没後100年記念特別展示「山縣有朋と防府天満宮」展がおこなわれていました。また、徳地の方までバスで移動し、これまた前回見られなかった二の宮の石風呂に行きました。
そして翌日、午前中に天満宮をずっと東の奥に行ったところにある阿弥陀寺という紫陽花で有名なお寺に行きました。ここに石風呂があると知って行ったのです。そしていよいよ山口市水の上町にある
正宗山洞春寺
に行ったのです。このお寺は1572年に安芸国吉田(今の広島県安芸高田市)に創建され、それが山口県の萩城内に移り、さらに明治になって現在地に移されたものだそうです。現在地は国清寺の跡地で、その寺の山門(重要文化財)が残っています。また同じ重要文化財の観音堂は山口市滝町の観音寺にあったものを移築したのだそうです。
この日のメインイベントは野澤松也師匠の創作浄瑠璃と、徳地人形浄瑠璃とのコラボで『傾城阿波の鳴門』でした。
その記録はまた後日書きます。
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- [2022/10/02 00:00]
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