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講演の報酬 

今年の11月もあっという間でした。書かなければならない原稿が5つあって、月末におこなった講演会の準備もけっこう大変でした。
よく勘違いされるのですが、こういう講演の場合、知っていることを話せばいいのだから楽だろう、と思われることがあります。もちろん大先生にでもなるとそうなのだと思いますが、何しろ無能の安物教員ですので準備には相当時間がかかります。
私の場合、パワーポイントのスライドと紙資料(今回は10枚でした)を作りますので、それだけでもかなり時間がかかるのです。そして、それらを作成していると調べなければならないことが次々に出てきますので、図書館に行っては確認するということの繰り返し。話の段取りを構成するのもなかなか大変です。この辺で少しギャグを入れようとか(笑)、そういうことも考えます。
こういう場合にいただける

    講演料

は、タレントさんなら何十万円などというのは普通で、さらに著名な人になるともうひとつ上の桁に届くだろうと思います。そんな人が年に三回でも講演したら私の年収を軽く追い越すでしょう(笑)。
年末にはクリスマスディナーショーというのがあちこちで催されますが、あれもけっこういい収入になるのだろうな、とうらやましくなります。私も「ディナーショー 平安時代のトイレのお話」というのをやってみたいのですが、どこも主催してくれないし、そもそも誰も来ませんね。
私がいただける自治体主催の講演会の報酬というのはだいたい相場が決まっていまして、以前なら

    3万円くらい

でした。ところが、自治体が最近文化的なことへの予算は縮小されるのでしょうか、「お金がありませんから」ということでかなり減らされ、今は2万円そこそこです(笑)。90分話して2万円なら時給は2万÷1.5で13,333円。これだけを聞くとたしかに学生アルバイトよりはましなのですが、実際はそのための準備が数10時間かかります。少なく見積もって20時間としたら時給1,000円。30時間なら667円。何のことはない、最低賃金以下ということになります(笑)。
「そんなに文句があるならやめろよ」と言われるかもしれません。しかし、正反対のようなことを言いますが、お金なんてどちらでもかまわないのです。お金だけを考えたらこういう仕事はできません。むしろただでもいいからやりたいと思うくらいでなければなりません。私も本心を申しますならまったく文句はないのです。やりたい勉強をさせてもらって、ひとさまに聴いていただいてわずかでも(まだ言うか!)お金までいただけるというのはありがたいことなのです。
・・なんて謙虚ぶっているからお金に縁のない生活が続くのですけれども(笑)。

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二人で応援 

日本のいたるところで「サッカー頑張れ」「日本頑張れ」という応援が続いています。
応援される方のお気持ちは十分理解しておりますが、好きなものは仕方がないので、私はひとりでドイツをひいきにしています。
昨日(28日)の早朝、たまたま4時過ぎに目が覚めました。日本がコスタリカに負けた試合は観ていませんでしたのでよくわからないままネットを開くとスペイン対ドイツが始まっていました。気になる日本はコスタリカに負けて、勝ち点は3のまま。これは幸先よし。
ドイツも、勝てなくてもいいから、何とか引き分けてほしい、そうすれば決勝トーナメントへの道が開けます。それで、10分に一度くらい様子を見ていました。前半惜しいところで得点が入らず、0-0で後半へ。こうなったらもうゼロでもかまわないのでこのまま時間だけが過ぎてほしいと願っていました。すると後半17分にスペインの

    モラタ

が1点もらった、とばかりに先制ゴール。なんとかしてドイツに先取点を取ってほしかったのでかなり落胆しました。その後はいつまでたってもスコアが動かず、相変わらず6対4くらいの割合でスペインにボールを支配されていました。このまま終了かと半ばあきらめていたら、後半38分、ドイツが

    フュルクルク

のシュートで同点に追いつきました。もういい、勝たなくてもいいから、何とかこのまま引き分けてほしいと思いました。結局そのまま時間切れで同点。ホッとしました。
しかしあまりドイツドイツと言っていたら多くの人から非難を浴びそうです。ひとりこっそりと応援していようと思っていたのですが、なんと、強い味方がありました。このブログに以前よく来てくださった「かしまし娘」さんがドイツ派だったのです。かしましさんのブログでもドイツが日本に負けたときは悔しさいっぱいの記事が書かれていました(⇒こちら)。
かしましさん、よかったですねぇ。せめてふたりで応援しましょう。次はいよいよコスタリカ。これで負けては話になりません。私としては5-0くらいで勝ってほしいと思っています。そうすれば、仮に日本がスペインと引き分けるようなことがあっても決勝トーナメント進出。
日本ファンのみなさんには誠に申し訳ないのですが、スペインには次戦、圧倒的な勝利を期待しています。

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入らなかった11月公演 

文楽錦秋公演(11月公演)は無事に千秋楽となりました。
しかしこの公演はお客さんが入らず、劇場もいろいろ考えなければならないようです。新聞記事(朝日新聞11月17日夕刊)によりますと、2019年度の有料入場者数は約10万9千人だったそうです。それが緊急事態宣言の繰り返しなどもあって、2020年度はわずか2万4千人。つまり4分の1以下になったのです。
2021年度も座席数を減らすなどの影響があって、約5万4千人。ちょうど2019年度の半分くらいです。
そうこうしているうちに、何となく劇場に行こうという人が減ったり、常連客が離れたり、若い人が行くきっかけを失ったりしたのでしょうか、なかなか以前のように客足が伸びなくなってきました。文楽は普通の演劇ではなく伝統芸能で、保護されるべき芸能です。客足が悪くて入場料収入が少ないからと言って公演をしないというわけにはいかないのです。
それでもやはり多くの人に観てもらえるように努力しなければなりません。
この公演の夜の部は『壺阪』と

    『勧進帳』

でしたが、まったくお客さんが入らず、私の想像では300人以下という日があったのではないかと思うのです。そこで劇場も何とか工夫しようというので、仕事帰りの人に見てもらえるように、『勧進帳』のみ2,500円というチケットを販売したようです。一種の幕見ですが、従来の幕見席は隅っこの席が当てられました。それに対して今回は一等席で思い切って半額以下の値段にしたわけです。
これはこれで劇場の工夫として評価されるものだとは思います。それでどれくらいの人が入ったのかは知りませんが、効果はあったことでしょう。
金額のことで言うなら、もっと若い人に気軽に観てもらえるように若者向けに思い切って安い値段を設定してほしいとも感じます。今、一般5,500円の一等席で学割は3,900円です。これは3割引の値段です。でも学生時代はお金がありません。それを半額かそれ以下にはできないものでしょうか。一般5,500円なら

    2,000円

くらいに。確かに安すぎるとは思いますが、学生の生活を思うと、それくらいでないとなかなか足が向かないと思います。逆にシニアチケットもあってもいいかもしれません。70歳以上は3割引とか。高校生以下の子どもさんなら1,000円でもいいと思います。
値段だけではなく、催しもうまく工夫して、解説付き公演なども安く(チケット代のみなど)実施できないものかと思います。公演前にターミナルなどで催しをすることを以前はやっていましたが、あれはあまり効果がなかったのでしょうか。
テレビやラジオ、さらにはTikTokなどを使って宣伝するのもありではないかと思います。浜村淳さんに映画解説のように長々と解説してもらうように頼んだらどうでしょうか。
文楽好きの若者は必ずいます。そういう人たちに運営への意見を求めることも思い切ってやってみたらどうかと思います。モニターとして、チケットを無料にして意見を述べてもらうような。
そんなことくらい劇場は考えてるよ、ということであれば何も申すことはございませんが。

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2022年文楽錦秋公演千秋楽 

本日、文楽錦秋公演(大阪国立文楽劇場)は千秋楽を迎えます。この公演が幕を下ろすと大阪の文楽は一年が終わります。次はもう来年の初春公演。何だか気分が慌ただしくなります。
この公演では、豊竹咲太夫さん、吉田勘彌さんの休演が寂しかったですね。以前、咲太夫さんが「宝引」を語られたとき、たまたま当時の咲甫君と南のおでん屋さんで話をしたのですが、そのとき「宝引」の語り方の話をしてくれたことがあります。今回は師匠口伝の楽しい語りだったことでしょう。
また、勘十郎・玉男のお千代・半兵衛、玉志・玉助の熊谷・弥陀六、清十郎・簔二郎のお里・沢市、玉助・玉志の弁慶・富樫などいい配役もありました。これらのみなさんは今後もますますご活躍なさりそうな方々ですので楽しみです。ただ、何があるかわからないご時世ですので、どうかお身体は大切になさってください。

次は12月の東京公演。国立劇場のサヨナラ公演です。呂勢・藤蔵の十種香などは嶋師匠の面影が感じられる演目になりそうです。

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お話ししてきました 

某所で、平安時代の出産と文学についてお話ししてきました。
私は史料(古文書、古文献など)を扱うのが好きですが、いつも文学や文化に関係づけながら読むようにしています。もともとは文学専攻ですので、文学作品ばかり読んでいたのですが、山中裕先生という日本史の先生に古記録(貴族の日記)の読み方を教わるようになって、読めないながらも史料を使って論文を書くことが苦にならなくなりました。
研究会では、同年代の日本史専攻の大学院生とも切磋琢磨できたことも有益だったと思います。多少私の方が文学は読んでいましたし、一方彼らはわけのわからないような難しい古文書などをすらすら読みますから、お互いに補えたのではないかと思います。実際は私が一方的に教わっていたのですが、何かのはずみで文学の話題になると多少はものが言えたと思います。
あのころの大学院生たちは、一流の学者になった人、高校の教師になって教育に情熱を燃やした人、専業主婦になって子育てに励んだ人などみなさん立派になられました。一介の

    安物教員

として時間を過ごしてきた私から見るとまぶしい存在の人ばかりです。ただ、山中先生も亡くなりましたし、かつての仲間の中にも若くして亡くなった人もいて、少しずつ寂しくなってきました。
あのころの勉強のおかげで、このたびのお話もできたようなものです。山中先生や仲間の人たちから教わったことを思い出しながら、この夏に勉強したことをお話ししたのです。しゃべりながら、平安博物館(今は京都府文化博物館別館)や思文閣会館などでの研究会の風景を思い出すこともありました。
史料は、医学書の

    『医心方』

を筆頭に、古記録(藤原道長の日記)や絵巻物も使いました。そして文学作品としては特に『うつほ物語』『紫式部日記』『栄花物語』にお世話になりました。『落窪物語』『源氏物語』『浜松中納言物語』『夜の寝覚』『狭衣物語』『とりかへばや物語』なども勉強していたのですが、時間がなくてあまり詳しくは触れられませんでした。
海外のものも少しだけ触れてみました。このブログで如月さんからヒントをいただいて、マリー・アントワネットの生涯を描いたカンパン夫人の著作も使いました。1世紀のローマのレリーフに描かれた出産の様子や、17世紀イギリス貴族の出産用のイスなども写真で紹介してみました。
てんこ盛りで「何の話なのか分からない」とお感じになった方もいらっしゃるかもしれませんが、どうも私が話すとこうなってしまいますのでご容赦いただくほかはありません。
今度は「平安時代のトイレと文学」なんてどうかな、と思っています。

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紅葉がしみる 

若いころは紅葉なんてあまり関心はありませんでした。だいたい植物に関心が薄くて、桜でも特に観たいと思ったことはありませんでした。まして草花なんておよそ視野に入らず、花の名前もまったく知りませんでした。
秋の七草なんて、全部言えたわけでもなく、ただ和歌を勉強していましたので、萩と言えばこういうもの、女郎花はどんなふうに詠まれるのか、などあくまで机上の勉強の材料にしか過ぎなかったように思います。
絵を観ても、風景がなんてあまり興味がなく、桜を描く日本画でも「ふ~ん」という程度で終わっていたかもしれません。
しかし最近はあらゆる植物が美しく見えます。

    三十年早く

この美しさに気付いていれば人生が豊かだっただろうな、と思います。
古来、晩秋から初冬にかけては紅葉が愛されて、時雨が降ることで色が変わる、というロマンティックな考え方もあったようです。
  初時雨降れば山辺ぞ思ほゆる
    いづれの方かまづもみづらむ
(後撰集・よみびと知らず)
初時雨が降ると山辺のことが思われる。どのあたりがまず紅葉するのだろうかと。時雨が紅葉と結びつけられています。
こういう歌を読んでも、学生のころの私はただ頭で理解するだけで、ほんとうの紅葉の美しさを実感するに至っていなかったのだと思います。情けない話です。
この15年くらいでしょうか、四季を彩る植物がとてもいとおしくなってきました。それは、私が音の美しさを理解できなくなったことと無縁ではないと思います。
素通りしていたところで立ち止まる機会が最近とみに増えています。それは金木犀の香りだったり、カワラナデシコの一輪であったり、さまざまな植物に心惹かれるようになったからでしょう。
そして紅葉もこの時期の大いなる楽しみになりました。「紅葉」と書きますが、実際は黄色く色づくものもあって、さらには常緑樹もあるわけですから、まさに

    もみじの錦

なのです。今年も十月の終わりごろから徐々に色づいていく木の葉を見ながら時の移り変わりを味わっていました。その色は身にしみるように迫ってきます。
もうひとつ私が植物に関心を持つようになった理由としては最近また始めた短歌の影響があると思います。短歌を詠もうと思って公園に行くと、そこに集う人たちとともに植物が歌を詠ませてくれるからです。
十一月に詠んだ歌を少し書き留めておきます。
虫喰らふ桜わくら葉汝(なれ)もまた
もみづることのなき生(よ)なりしか
早朝の陽にかがよへる緑葉は
金色帯びて濃くも淡くも
ぶらんこに乗りたきことのある夕べ
さりとて座板はさらに冷たし

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農業試験場 

が通った大学には農学部がありました。もちろん今もあるのですが、私が学生のころに廃部になるかもしれない、という噂がありました。「農学部の役割は終わった」という意見があったそうです。しかし、終わったどころか、21世紀になってますます重要な役割を持っているのではないかと思うのです。私など、農学部というと先ず思いつくのは「コメの品種改良」ですが、実際には農業化学、農業経済学、生物学、昆虫学、など多岐にわたります。しかも今後の世界の食糧事情がさらに悪化しそうな情勢では、何を食べればいいのか、というのは文字どおりあらゆる人にとっての死活問題です。例の遺伝子組み換え食品に関する問題もあります。地域振興や環境問題を扱うところもあるようです。花形とまでは言えないかもしれませんが、重要な学部として、これからも存続するのではないかと思います。関西の国立大学では京都大、神戸大に農学部があり、ほかにも学部名は異なりながら、農学に関わる学部はいろいろあります。公立の滋賀県立大学環境科学部、京都府立大学生命環境学部などもその例だと思います。
大学でない研究施設には

    農業試験場

などもあります。例えば兵庫県には県立農業水産技術総合センター(加西市)というのがあり、これが農業試験場の役割を持っているようです。
ちょっと調べてみると、兵庫県の農業試験場の歴史は、明治27年にできたものが昭和25年に県立農業試験場になって、やがて県立中央農業技術センターから今の農業水産技術総合センターになったようです。
なぜこんなことを調べたかというと、私が去年から作っているイチゴの由来が知りたかったからなのです。兵庫県農業試験場にはあちこちに「分場」というのがあって、そのひとつに宝塚市小林(おばやし)のものがありました。阪急電鉄小林駅から少し東に行ったところにあったようです。兵庫県のイチゴ栽培は明治32(1899)年に西宮市鳴尾(なるお)で始まったとされ、兵庫県は戦前にはイチゴ栽培では日本一の規模を誇った時期もあったのです。そして、農業試験場宝塚分場もイチゴ栽培には重要な場所なのです。昭和35年(1960)にこの場所で収穫量の多い新しい品種が開発されました。「八雲」と「タホー」という品種を交配したもので、これが私の育てている

    宝交早生(ほうこうわせ)

という品種のはじまりなのだそうです。この品種は、一時は日本全国に広がり、1984年には日本一のシェアだったそうです。しかし、その後はさらにさまざまな品種が開発されて、有名なものだけでも「女峰」「とよのか」「とちおとめ」「あまおう」「さちのか」などいろいろとありますね。今や宝交早生は日陰の存在で、商業栽培としてはおこなわれていないようです。ちなみに、「とよのか」は「ひみこ」と「はるのか」を交配したものに起源があるそうですが、その「ひみこ」は「久留米34号」と「宝交早生」の交配なのだそうです。いわば「とよのか」は「宝交早生」の孫にあたるのですね。
というわけで「過去のもの」のようになった「宝交早生」ですが、さすがは「生まれ故郷」で、宝塚小林農園というところでは今もこの品種を育てて、たくさん苗が育った場合は販売もしているのだそうです。また、近くのホームセンターでも苗は売られており、この地域ではまだまだ愛されているのです。

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国際試合は東京ドーム 

今月上旬に日本代表の野球チームとオーストラリアの試合がおこなわれました。会場が、何と札幌ドーム。今年限りで日本ハムファイターズが本拠地から撤退する球場です。なぜそういう球場が選ばれたのかは知りませんが、球場の規模としては国際大会をするに不満はないかもしれません。日本で観客の収容人数もあってフィールドが狭くない球場というと、札幌、名古屋、大阪などのドーム球場があるでしょう。逆に窮屈な球場としては横浜、神宮、東京ドームという球場が思い浮かびます。セ・リーグの球場は概して小ぶりです。甲子園はファウルグラウンドが広いのであまり窮屈には思わないのですが、外野までの距離は短いですから、大きな球場とは言えないと思います。福岡ドームやロッテのマリンスタジアムは、以前は広かったのですが、テラスとかいう場所(いわばラッキーゾーン)を作ったために、やはりふくらみのない球場になってしまいました。なお、来年オープンする日本ハムの新しい球場(エスコンフィールド)は屋根が開閉式だそうですが、ホームベースからバックネットまでの距離が短すぎるとかで問題になりました。外野もそんなに広くはないようです。
以前、シアトル・マリナーズが日本でメジャーリーグの開幕試合をおこなったとき、使われた球場が何と、東京ドームでした。

    いびつな形

の球場で、およそメジャーの試合には向かないと思ったのですが、あちらの選手には何も言われなかったのでしょうか。この球場は、左右中間のふくらみがなくて、6mくらい前にせり出している感じなのです。いわば目に見えないラッキーゾーンがあるのです。また、球場の特質でグラウンドから内外野に緩やかに風が吹く傾向があり、日本一ホームランの出やすい球場とも言われます。他球団の監督も東京ドームで試合をするときは「ホームランが出やすいことに注意している」という意味のことをよくおっしゃいます。
外野までの距離でいうなら横浜や甲子園の方が狭く、また両球場は屋外ですから風が吹きます。特に甲子園では「浜風」という、右翼から左翼に向かって吹く風が特徴的ですので、右打者にとってはホームランを打ちやすいのです。それでも東京ドームの方がホームラン数が多いのは、やはりふくらみの問題が大きいのでしょう。左右翼100mというのも怪しいと言われることもありますが、さすがにその言い分は

    眉唾

ではないかと思います。ただ、元の後楽園球場が両翼90mと称しながら、実際は2~3m少なかったという話もあって信用されていないのかもしれません。
一方、日本一ホームランが出にくいのはナゴヤドームだそうです。中日ドラゴンズにホームランバッターがいないからじゃないの、という悪口もあるかもしれませんが、それにしても少ないのです。
それなら、日本のプロ野球はこんなに広い球場でやってるんだぞ、というアピールのためにも、ナゴヤドームで国際試合は行えばいいのではないかと思うのですが、世の中ままならないものです。観客収容人数では東京ドームが第1位で、46,000人、ナゴヤは36,370人だそうで、約1万人の差があります。興行する立場から言えばどう考えてもナゴヤではダメですね。ほかにもおそらくいろんな力が働いて、結局は来年おこなわれるWBCの日本会場もすべて東京ドームだそうです。OMG!

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サッカーワールドカップ 

アメリカでは、アメリカンフットボール、野球、バスケットボールがスポーツの人気ベストスリーのようです。また、意外にもアイスホッケーもかなり人気が高いのだそうです。日本とはかなり違っていますね。
日本では野球とサッカーが双璧なのではないでしょうか。バスケットボールもプロリーグができましたが、新聞での扱いはまだまだ小さく、私なんてどういうチームがあるのかということすら知りません。アメリカンフットボールもコアなファンはいますが、ラグビーの方が人気は高いのではないでしょうか。
サッカーは、私が子どものころは

    「日本リーグ」

というのがあって、東洋工業、古河電工、日立、ヤンマーディーゼル、三菱重工などが加盟していました。
アマチュアチームだけだったあのころは、ワールドカップなんて夢のまた夢で、オリンピックを目指すのが日本のレベルだったと思います。私は1964年の東京オリンピックは出場したことも知らなかったのです、銅メダルを取ったメキシコオリンピック(1968年)は明確に記憶しています。釜本、杉山、横山、鎌田らが出場していました。あの「メキシコの銅」がサッカー人気を一気に高め、私も中学時代はボールを蹴っていました。
その後、Jリーグができてさらに人気が沸騰し、プロだけに日本リーグ時代に比べると実力もついて、ワールドカップに出場できるまでになり、今では常連になりつつあるといってよいでしょう。
いよいよ始まった今年の

    カタール大会

にも日本は堂々と出場しています。スペイン、ドイツ、コスタリカと同じ組で、グループリーグ突破が先ずおおきな目標になります。
私は最近のサッカーについてはあまりよく知らず、世界にどういう選手がいるのかもあまり詳しくはありません。
今年10月6日発表のFIFAのランキングでは、1位がブラジル、2位がベルギー、3位がアルゼンチンで、以下フランス、イングランド、イタリア、スペイン、オランダ、ポルトガル、デンマーク、ドイツ・・と続いています。やはり南米とヨーロッパが圧倒的に多いですね。日本は24位で、コスタリカは31位。ランキング通りであれば、日本がグループリーグで勝てそうなのはコスタリカだけです。しかし実際の試合では必ずしもランキングどおりになるわけではありませんから、日本が1位で通過することもあれば、最下位で敗退することもあるでしょう。
それでも、ランキング7位のスペインはどう考えても通過しそうで、残り1枠をドイツ、日本、コスタリカが争う構図になるのではないかと思います。
その意味では初戦の日本対ドイツはかなり大きな意味を持ちそうで、この勝者が予選通過に大きく前進しそうです。キックオフは23日午後10時(日本時間)です。
実は、私は中学生のころから大のドイツ贔屓。それだけに、日本は予選落ちしてほしいと思っています(笑)。ドイツ、頑張れ。

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今年の冬のプランター 

朝顔を窓辺において5月の下旬から10月下旬を目安に育てています。しかしそれも終わりとなり、いよいよプランターも冬支度です。以前は朝顔と入れ替わりにニンニクを植えていました。これがなかなかおもしろくて、8か月くらい辛抱して、六月になっていよいよ収穫するときは達成感のあるものでした。「長い冬を乗り越えて」というところに共感するものがあるのかもしれません。中にはあまり肥大せずに小さなものしか収穫できないものもありましたが、それはそれでまた人生と同じように「負け組には負け組の生き方があるのさ」(笑)と思わせてくれました。
結局、ニンニク栽培は4年くらい続けたでしょうか。しかし今年はそれをやめることにしました。別に飽きたわけではありません。それどころか、できるものなら続けたいとすら思っているのです。しかし、畑を持っているわけではなく、所詮小さなプランター栽培ですので、植えるにしてもスペースの問題があります。というのも、去年から始めた

    イチゴ栽培

をもう少し続けようと思うからです。イチゴを育てるのは初めての経験でしたが、それなりに実をつけて味わうことができました。そして次々に伸びてくるランナー(匍匐茎)から育苗することもかなりできたのです。弱くて枯れてしまったり、葉があまり大きくならなかったりしたものもありますので、最終的には子苗、孫苗合わせて20株くらいが成長してくれたのです。さらにそこから厳選してプランターに植えられるだけを植えてみようと思ったのです。残念ながら植えられなかったものがあり、それは当初ご近所の人で植えてくださる方があったら差し上げようと思っていたのですが、結果的に葉が小さかったり弱々しかったりしたものばかりで、とてもひとさまに差し上げられるものではありませんでした。
子苗は親の病気を引き継ぐことがあるのであまりよくないという説もありますが、実際はどうなのかを調べたいですし、孫苗はもうひとつ大きくなっていないのでそれがうまく成長するのかについてもようすを見たいと思っています。
そして、いよいよ十月下旬に

    植え付け

をしました。小ぶりのプランターが3つ(×3株)、鉢が4つ(×1株)で、併せて13の苗を植え付けました。これらを窓辺と外に分けてその成長の具合を見守ります。しばらくはじゅうぶんに根を張って葉茎が成長してくれるかどうかで、これが不足すると結果もよくないようです。そのあとは霜枯れしないように観察し続けます。去年と同じように、河川敷にでも行って枯れたススキを採ってこようと思っています。うまくいけば来年の春に花が咲いて5月ごろに実をつけるはずなのですが、今年はプロの育てた苗ではなくしろうとの私が育苗したものを使うわけですから、成果が挙がるのかどうかまるで見通せません。しかし、それだけにとても楽しみでもあるのです。

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スケボー 

私の家の近所に歩行者専用の幅の広い散歩道があります。自動車がすれ違えるくらいの幅で、普段はそんなに人通りは多くないのです。
そこをよく歩くのですが、私と同年配か、ひょっとするともっと上ではないかと思われる人がスケボーの練習をしているところに出くわすことが多いのです。ずいぶん前からあぶなっかしいようすで道に沿って設置されている手すりを持ちながらそろそろと滑っていました。1m進んでは板から降りるようなありさまで、歩いた方が早いでしょ、と思うくらいだったのです。でも、何か新しいことに挑戦しようとしている姿だ、と思えばうらやましくもほほえましくもありました。そうすると、何でもやってみるものですね、この人、お姿を見かけるたびに上達していて、いつのまにやらその手すりを持たずにうまくバランスをとって滑れるようになっていました。そして先日は、驚いたことに、普通に滑っていたかと思うといきなり腰をかがめ、ジャンプしてボードを一回転させてまたその上に乗るという

    離れ技

をなさっていました。思わず「お見事」と言いかけたのですが、何となく恥ずかしくてやめておきました。おそらく仕事をリタイアされた方だと思うのですが、そういう年齢からでもあんなことができるのですね。
スケートボード、略してスケボーはいつの間にか大流行していて、老いも若きも男も女も関係なく愛好する人が増えているようです。漫画などでも、スケボーを使って鮮やかに滑ったり、スピードを出して犯人を追いかけたりするようなものがあるようで、とにかく「かっこいい」ことこの上ないのでしょう。最近は冬にはスキーではなくスノウボードを楽しむ人も多いですし、夏の海ではサーフボード。どれもこれもかっこいいものばかりで、それらに夢中になる気持ちは私にも何となくわかります。
そのこと自体はかまわないのですが、公園内で何やら障害になるものを置いてそれを飛び越えるような技を繰り返しているグループがあると、

    公共の場

では危険じゃないだろうか、子どもが走り回っているところではやめたほうがいいのではなかろうか、と老婆心を発揮してしまいます。そういえば、ローラーシューズというのもはやりましたが、店の中などをそれですいすいと滑る子どもがいて危ないと思ったことがありました。実際、事故が頻繁に起こったそうで、今では下火になったように思います。しかし、危険だからといって彼らを公園から追い出せばいいというのも非情だろうと感じます。今のところこの流行はそう簡単には収まらないような気がします。かなりの予算がかかることはわかるのですが、公園で滑ることは遠慮してもらって、小学生以下は無料でいいので、多少の使用料を取ってでもスケボー専用の場を作って開放した方がいいのではないだろうか、と思います。愛好者の人数が多すぎて無理なのかもしれませんが。
こんなことを書いているうちに、少しネットで情報を得ようとしたら、なんと、スケボーは今やオリンピック競技なのですね。昨年の東京で初めておこなわれたらしく、日本の選手が何人か優勝したそうでびっくりしました。新聞にも出ていたのでしょうね。オリンピックに興味がなくなったとはいえ、ほんとうに時代遅れな人間です。

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年の差 

私はずっと20歳前後の女性に話をする仕事をしてきました。当たり前の話なのですが、最初のころは私も若かったので「少し年の離れた妹」くらいの年齢差でした。それがいつしか姪くらいになり、子どもくらいになり、やがては子どもより年少というところまで行きました。ところが私が幼稚だからかもしれないのですが、自分が年齢を重ねたことがあまりわかっていなくて、実感としては初めて教員になったころとあまり変わらないのです。しかし学生は私をいつまでも「年の離れたお兄ちゃん」とは思ってくれません。私は学識もなければ人間としての貫禄もないので「老大家」のような教員にはなれませんでしたが、老いてきたことだけは確かです(笑)。
子どものころの年齢差というのは1歳違えばまったく

    別世界の人

のようでした。小学校1年生の時に、近所の悪ガキに「お前1年生か、俺は2年生。ハハハ」となぜかそれだけのことで馬鹿にされたことがあります。ひとつ年長というだけでも大先輩のような感じだったのですね。
中学、高校でも、1つ違えばかなり差がありました。部活では特に先輩後輩の序列が厳しく、言葉遣いも(下手な)敬語を使わねばなりませんでした。
兄弟でも、私は3つ年上の兄には運動も勉強も何もかも太刀打ちできなくて、3年の年齢差はとてつもなく大きなものでした。
しかし大学生になって、同級生に26歳で入学した人がいて考え方が変わりました。最初はこの人とどのように距離をとればいいのかわからなかったのですが、次第にうちとけると、さすがに経験豊かでいろいろ教わることばかりでしたが、変に遠慮しなくてもいいんじゃないかと思うようになったのです。名前は最後まで「さん付け」で呼んでいましたが、先輩とはやはり違う感覚でした。
それ以後は2つや3つの年齢差なんて何でもないことだと思うようになり、今では

    20や30の年齢差

でもどうってことはなくなってきました。子どもに近い年齢の同僚というのが出現してきたわけですが、教員(特に文系)の場合は上下関係がありませんから、私は若い人に対してもずっと敬語を使って話してきました。私が30代のころでも、上の年代の先生は敬語で話してこられましたから、私が下の人に敬語を使うのもごく当然のことだと思ってきたのです。
何と言っても私は世間のことをよく知らないので、年少の人からいろいろ教わることが多いのです。SNSを見ていても、年少の「友だち」にはほんとうにお世話になっています。もう、何十年の差があっても気にしません。

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ほぼほぼ 

今どきの若者がどんな言葉を話しているのかについては興味があるのですが、残念なことに現実に彼らがどんな言葉を話しているのかはさっぱりわかりません。
実は、若者言葉にも世代があるようで、何年前のことだったか、当時の学生さんが「私たちの言葉は若者言葉で何を言っているかわからないと批判されますが、私も今の中学生の言葉が謎です」と言っていました。
わずか数年の年齢差で何を言っているのかわからないことがある、というのです。
10年以上前から「雰囲気」を「ふいんき」と読んでいる人がいましたが、そのころは学生の中でも「正しくは『ふんいき』だよ」と訂正していた人が少なくありませんでした。今は「ふんいき」と読むことは知っていても「発音するときは『ふいんき』です」という人がいるくらい、この発音は定着してきたようです。ひょっとしたら、将来的には正しい発音として認められる日が来るかもしれません。
「独壇場」という言葉がありますが、これは本来

    「独擅場(どくせんじょう)」

でした。ところが「擅」の字が「壇」と間違われて、「どくだんじょう」と読まれるようになり、いつの間にかそれが定着して、今では「独擅場(どくせんじょう)」は駆逐されて「独壇場(どくだんじょう)」が正しい言葉として通用しています。NHKでも普通に使われます。あわれ「独擅場」は「から見出し」(見出しとして挙げていても説明がなく、「○○に同じ」「→○○」などと書かれている)にされたり、見出しそのものから外されたりすることもあるようです。私はずっと「独擅場」を使ってきましたので残念です。
「敷居が高い」も本来は「不義理をしたところに行きづらい」というような意味ですが、今では能舞台や高級レストランのように「高尚過ぎて、あるいは高価過ぎて入るのがためらわれる」場合に用いられるようになりました。住太夫師匠も文楽が難しくて敬遠されがちなことについて「敷居を低うしてお待ちしとります」とおっしゃっていたことがありました。
誤用に始まった言葉の変化については、ある程度までは「それはおかしい」といって私のような守旧派は抵抗もできるのですが、あまりに一般的になると、その変化を認めざるを得なくなります。
最近若い人から聞いたのですが、「ほぼ」という言葉を強めて言う形として

    「ほぼほぼ」

というのが普通に使われるようになったそうです。へーッ、と思って調べたら、実はかなり古くから用いられていたらしく、ネットに記されているところでは、それが顕在化したのは6、7年前だという意見がありました。実際、三省堂の辞書編纂者が選ぶ「今年の新語」では2016年に「エモい」「ゲスい」などをおさえて「大賞」に輝いたのだそうです。全然知りませんでした。
どうして重ねて言うのか、実は今も私はよくわかっていません。強調したいから、というのが常識的な考え方なのでしょうが、「ほぼ」をもう少しぼやかしたような言い方にも思えます。また私は、単なる当て推量なのですが、音の響きのおもしろさというか、印象に残りやすさが影響しているのではないかとも考えています。テレビタレントさんなどが使って、それを聞いた人が「ほぼほぼ」という音をおもしろがって広げるようになったのではないか、と、これは何の根拠もないのですが想像しています。すでに辞書でも「俗語」として載っているものがあるらしく、こういう言葉もやがて普通になってくるのかもしれません。
何年か前に大学生に「謎」と言われた言葉を使っていた中学生も今では大学生になっています。彼女たちも今の中学生の言葉を聞いて「神秘」とでも思っているのでしょうか。

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ミーハー 

語源のはっきりしない言葉ですが、たいして興味もなかったのに、世間の流行に左右されて飛びつくタイプの人のことを「ミーハー」と言っています。そういう人たちを揶揄するような響きが感じられる言葉でしょう。
最近は「にわか」という言葉もよく使われて、例えば日本でラグビーのワールドカップが行われたときに「にわか」が多数出現しました。ルールもよく知らないのに、突然ファンになるのですね。もちろんそれは本人の自由ですから批判されるようなことではありません。私の知り合いの女性もまったく興味がなかったのにどこかのラグビー場まで観に行ったと言っていました。
私も他人事ではなく、明らかにミーハーです。その代表が絵画。美術の才能なんてまるでなくて、中学時代に小学校低学年レベルの絵を描いていたくらいです。構図なんて考えたこともなくて、ただそこにあるものを写そうとするのですが、ろくに線も引けませんでした。それなのに、大学生の時に

    コロー

の絵に出会ってコロッと変わり、美術館に行くようになりました。特に耳の病気をしてからは、それまで圧倒的に好きだった音楽や演劇の代わりに美術を観るようになったのです。用があって東京に行くと国立西洋美術館、国立博物館、都美術館、国立新美術館、サントリー美術館、出光美術館などに行くのがあたりまえになって、本来の目的が何だったのか忘れるくらいでした。ところが、専門的なことはわからず、色彩感覚もおそまつで、美術のよさなんてわかっているのかわかっていないのかすらわかっていません(笑)。その証拠に、観るものと言ったら評価の高い有名な絵が中心で、掘り出し物を探すような眼力はありません。好きなのは概して物語性のあるもので、特にキリスト教関係(聖書に出てくる逸話など)のものには目がないのです。ところが、風俗画もおもしろいと思うようになり、オランダの画家、特に

    ヨハネス・フェルメール

が大流行すると、早速それに乗って、この人の絵を観るのが楽しみになりました。もっとも、フェルメールで最初におもしろいと思ったのは「マルタとマリアの家のキリスト」(これも聖書の一場面)でしたから、やはり題材の好みもあったのだと思いますが。
かつて大好きだった音楽もバッハ、モーツアルト、ブラームス、ベートーヴェンなどオーソドックスなものばかり聴いていました。それ以外でも有名どころの曲が多くて、現代音楽なんてあまり聴かなかったなぁ。
大阪の国立国際美術館は現代美術の展示も地下二階の展示室でよくおこなっていますし、私も観ないわけではないのですが、まだどうもしっくりこないのです。
そもそも、私は文楽や平安時代についていろいろ書き散らかしてきましたが、これもつまるところミーハーなのでしょうね。

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180度の転換 

昨日書いたお医者さんの本(岩田健太郎『食べ物のことはからだに訊け!』)には続きがあります。岩田さんは、学問において何か論争が起きたときに大切なのは対話だとおっしゃっています。
古来、対話形式の著作というのはかなりあります。代表的なのはプラトーンでしょう。その著作はたいてい対話の形で書かれています。孔子もいつも弟子と話し合って、彼の話をまとめた『論語』は弟子との対話が軸になっています。ガリレオ・ガリレイも『天文対話』で天動説、地動説の主張者と良識派の人物が4日間話し合う形で、地動説がすぐれていることを唱えました。
岩田さんはヘーゲルの弁証法にも触れています。「エライ人」の言うことが正しいわけではないし、多くの人が言うことが正しいわけでもない。人は、自分の考えが正しいのか、反対側の意見が正しいのかをいろいろ考えて止揚していくのです。止揚はドイツ語のAufhebenのことで、こちらの方が通りが良いかもしれません。あるものを否定しつつ、それを契機として保存しておいて、より高度な段階で生かそうとすること。哲学の言葉は難しいですね。
ここで岩田さんは、哲学者の

    鷲田清一さん

のおっしゃる「相手の言葉を受けて自分が変わるような覚悟ができているような」コミュニケーションこそが大切だとお書きになっています(ただし、これは鷲田さんの言葉かどうか、確認できていません。鷲田さんが引用されているだけではないかと疑問を持っています)。
今どきの、何でも自分の言うことが正しいという前提でしかものの言えない人たちはここをよく弁えてもらいたいのです。
人の言うことを頭から否定することが目的で、そのためには多少の詭弁などものともせずに振り回し、言い負かしたら「ざまあみろ」という顔をする人たちは最近とても目立つように思うのです。昔からこういう人はいくらでもいましたが、そういう人が跋扈していることはあまりなかったのではないでしょうか。品がない、言葉が乱暴だ、人を侮辱する、という、それだけのことでも軽んじられたはずです。
ところが最近はどういうわけかこのたぐいの人たちがメディアで活躍し、政治の世界でもやたら目立つようになったのです。そうなると

    悪貨は良貨を駆逐する

のです。まともなものの考え方の人が単に訥弁だとか権力を持たないとか、それだけの理由で取り入れられず、とんでもない考えがはびこってしまいます。
岩田さんは前述の「自分が変わる覚悟」の考えをもとにして、坂本龍馬の例を挙げています。龍馬は勝海舟を殺害しようとしていながら、実際に勝に会った時、自分の考えを180度転換したとされます。誇張されたエピソードになっているのかもしれませんが、少なくともこういう姿勢こそがほんとうに求められる賢者の考え方なのではありますまいか。
私はこの方の本を、まったく違う興味から読み始めたのに、こういうところで立ち止まったのは思いがけない収穫だったように思います。

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議論は苦手 

日本人は議論することが苦手だといわれます。私もその一人だと思います。
議論とひとくちに言いますが、この日本語にあたる英語にはけっこういろいろあります。和英辞典を見てみると、自分の考えを主張するのはargument、話し合うのはdiscussion、論争するのはdispute、討論はdebate・・などと出てきます。こういう具合に細かく区別するのは、やはりあちらは議論が日常的でいろいろな形を区別しないわけにはいかないからでしょう。
賛成派と反対派に分かれて論じ合うことを練習するのはdebateで、アメリカ人などはこういうことが得意だとされます。小さいころからこういうことを訓練していているからだといわれます。だいたいアメリカというところは(って、よく知らないのですが)、何でも裁判で、

    正か邪か

の決着をつけないと気が済まない国民性があると思います。日本人は比較的そういう点では妥協案、落としどころに持ち込んで白か黒かを決めつけずに何とか灰色で済ませようという風潮があるのではないでしょうか。
最近、あるお医者さんの本を読んだのですが、私が読み始めた目的とは別に、この議論に関することが書かれていました。この方はかなり前から医学以外の面でも意見を発信されていて、さらにこのたびのウイルスのことで一般の人にもよく知られるようになった方で、岩田さんとおっしゃいます。
岩田さんによれば、医学の世界でも日本人は議論が下手で、自分の言いたいことは言うけれど、他人の言葉には耳を貸さないことが多いのだそうです。では、例えば学会などで意思を決定するときはどうなるのかというと「エライ人」の

    鶴の一声

などで物事が決まったりするのだそうです。岩田さんは「意思決定の方法としてはあまり優れた方法とはいえません」(岩田健太郎『食べ物のことはからだに訊け!』)と書いていらっしゃいました。
岩田さんが紹介されているアメリカの競技ディベート(competitive debate)では、2つのチームがある命題について賛成派(affirmative)と反対派(negative)に分かれて交互に自説を主張し、審判が優劣を決めるのだそうです。こういうことを子どものころからおこなっているのでアメリカ人は議論のテクニックに優れているそうです。ところが岩田さんはおもしろいことをおっしゃいます。このレベルの高い議論が生み出す結論はあまりぱっとしないというのです。この方はなかなか皮肉なことを歯に衣着せずおっしゃるのですが、健康に関するアメリカの議論はとてもロジックとして優れているのに、アメリカ人が際立って健康になったという話は聞かない、とのことです。なるほど、説得力がありますね。どうもそこには、議論が目的化してしまって「勝てば正義」という現実があるからのようです。
それで思うのですが、アメリカの議論は素晴らしいと思っているのか、うまくメディアを使って「相手を言い負かして喜んでいる」日本人もいますよね。なるほどロジックとしては高級なのかもしれませんが、そういう人の結論はやはり「ぱっとしない」ような気がしてならないのです。

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くだもの 

以前も書いたことがあると思うのですが、「あき(秋)」という言葉は「あきな(商)う」の「あき」と同じことだといわれます。「~なう」というのは「ともなう」「おこなう」の「なう」と同じで、あることをする意味を持ちます。ですから「あきなう」は「あき」ということをするのです。それはつまり、この季節になって収穫したものを取引することです。
やはり秋という季節は収穫の季節なのですね。
一番大事なものはやはり米でしょう。ほかにも秋の味覚はさまざまです。「くだもの」というのは「木のもの」という意味で、木に生った実を言います。「だ」は「な」と同じく「~の」の意味です。「な」が「~の」の意味で用いられる言葉には「まなこ=目の子」などがあります。「だ」は「けだもの=毛のもの」ですね。
子どものころ、大阪府豊能郡能勢町に「栗拾い」に行ったことがあります。なぜ能勢町なのかというと、やはり近隣では栗の名産地だからだったと思います。
能勢の栗は

    「銀寄(ぎんよせ)」

と言われます。江戸時代に、広島から栗を移して植えたのが能勢の栗で、飢饉のときに飛ぶように売れたのだそうです。当時の大坂は「銀」本位でしたから、高値で売れて「銀をたくさん集めた(寄せた)栗」というので「銀寄」「銀寄栗」と言われるのです。
能勢町は米をはじめとする農産物、炭、建築材などの資源があって、なかなか豊かなところです。浄瑠璃が発達したのもゆえなしとしないと思います。
私は、くだもので一番好きなのは梨です。柿のような実の詰まった感じのものよりあの水っぽさがたまらなく好きなのです。畏友松平盟子さんの

  梨の名は幸水豊水
    しらたまの歯はさくさくと
      その水をかむ


という歌が大好きで、梨を味わうと必ず思い出します。
栗も好きですが、何と言ってもあの皮むきが面倒です(笑)。最近は専用の皮むき器があるらしいですが、そういうものを手に入れるほどこの果物に思い入れはありません。
ほかにも、桃、ぶどう、いちじく、柿、ざくろ、りんごなどいろいろありますが、私は出されたらおいしくいただきますが、みずから好んで食べることはあまりありません。
平安時代の人たちももちろんよく食べました。柑子、桃、柿、びわ、なつめ、ぐみ、ゆず、あけびなどなかなか多様だったようで、貴族の宴会の場にもよく出されたようです。

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どんぐり 

昨日書きましたように、今月のはじめに保育士さんと園児がどんぐり採りに来ていたところに出くわしました。子どもたちは夢中になって拾い続け、保育士さんはずっと付き合っていました。
私も小さいころにどんぐり拾いをした経験があると思うのですが、記憶が定かではありません。おそらく幼稚園あたりでどんぐりをコマにして遊んだりしたのではないかと思います。
『義経千本桜』三段目口は通称「椎の木」ですが、小金吾や六代君が採ったのは「機嫌とるかや栃の実を」でした。「とるかや」は「取るかや」に「カヤ(榧)」を掛けているのでしょうから、「カヤの実」「トチの実」の名前を挙げて、特にこれと特定せずに漠然と木の実を言っているのかもしれません。それがいつしか「椎の木」に代表されたとも思えるのですが、その「いつしか」についても調べていませんので、今はそれ以上のことはわかりません。若葉の内侍はこの実を採って何かしようとしたのでしょうか。単に六代君の身に起こった疳の虫(胃腸の不調)による不機嫌を、木の実を拾うことで紛らわすだけだったのかもしれません。事実、内侍は六代に

    「拾うて遊ぶ気はないか」

と言っていました。公園で出会った子どもたちが夢中になっていた姿を思い出すと、拾うことそのものが遊びになって気が紛れるのは間違いないと思います。一方、カヤもトチもシイもすべて食用になるものです。権太はそれゆえに「下に落ちているのは虫食いだから枝に生っているものを採ればいい」と言ったのでした。ここに若葉の内侍と権太の生活習慣の違いを見ることもできるかもしれません。権太なら木の実と言えば食べるものというのが日々の常識だったかもしれません。
椎の実はまさに「どんぐり」のことですが、わたしはこれを食べたことはほんの一二度あるくらいです。
どんぐりにはナラ、クヌギ、カシなどがありますが、椎の実がいちばん食べやすいものだそうです。どんぐりを食べるときの大敵は、何と言っても

    アク

で、しっかりあく抜きしなければならないのですね。ところが、比較的タンニンが少なく、あく抜きをしなくてもいいマテバシイやスダジイなら普通に食べられるそうです。リスがどんぐりを食べる場合も、やはりアクのないものを好むようです。縄文時代の遺跡からもどんぐりが貯蔵されていたことがうかがわれ、昔は今よりはるかに多く食べられていたことがわかります。
私が食べた経験のあるのは、やはりマテバシイやスダジイのように食べやすいどんぐりだったのだろうとは思うのですが、詳しくはわかりません。いずれにしても、クッキーか何かの焼き菓子に入っていたものだったと思います。
試みにネットで「どんぐり」「レシピ」で検索すると、いろいろ出てきました。単に炒てかじるだけというのもあれば、炊き込みご飯に入れるとか、どんぐりパン、どんぐりクッキーにするというのも出てきました。これは初耳だったのですが、どんぐりコーヒーというのもありました。殻を割って粉砕したどんぐりを焙煎してミルで挽き、煮だすのだそうですが、こういうの、どなたもご存じなのでしょうか。
公園のどんぐりはシラカシでしたからアクもかなり強く、簡単には食べられません。園児たちはやはりおもちゃにして遊ぶのでしょうかね。

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小春日和 

初冬、旧暦十月は神無月と言われましたが、「小春」の名も知られています。『心中天網島』の紀伊国屋小春はまさに十月に治兵衛と心中を果たしました。「こはる」「しょうしゅん」と読まれて、俳句では冬の季語にもなっています。
冬とは言え、春のように暖かい晴れの日が多く、それが名前の由来となっているようです。「小春日和」と熟した言葉がよく用いられます。
今年の旧暦十月は今の暦では10月25日から11月23日までです。
さすがに寒い日も少なくありませんが、ポカポカするような日もあります。今月2日、つまり

    旧暦十月九日

はまさに小春日和、風もあまりなく、上着が要らないくらいでした。この日、私は短歌の材料を探すために近くの公園に行っていました。早くも木々がとてもきれいに色づいていました。
普通ならこの紅葉を題材にして詠みたくなるのですが、なかなか言葉が湧いてきません。そこで公園のベンチに腰を下ろして、雲の動きを眺めていました。いかにも「リタイヤした初老の人物が家にいるのも寂しくてすることもなく公園に来ている」という図だったと思います。思わず『ゴンドラの歌』を口ずさもうかと思いました(笑)。
さて、しばらく雲を見ていると、刻々と変わる形が、一瞬「花束を贈る人」に見えました。また別の雲は「犬の接吻」にも見えたのです。あとでFacebookにその時の写真を載せたら、「花束」のほうは賛同者があって「(花束に)見えます」と言っていただきました。一方の「犬」はまるでわかってくださるかたはなく、どうやら私の偏見のようでした。だいたい絵のセンスのない人間ですから、私の見立てがおかしいのだと思います。
それでもこれでひとつの歌ができました。
するとそこに鳩が一羽「何か食べ物を持っているのではないか」という顔をして(?)近づいてきました。これも何かネタにならないかと思ったのですが、ダメでした。
今度は、どこかの保育園の先生と園児と思われるグループが「お散歩」にやってきました。何をするのかと思ったら、子どもが地面にしゃがみ込みます。私はまったく気がつかなかったのですが、そこには白樫の木が植えられていて、

    どんぐり

がたくさん落ちていたのです。上ばかり見ていてはいけないのですね。
園児が次々に拾うと、先生はそのつど腰をかがめてビニール袋の口を開けてその中に入れさせてやっています。ごくろうさまです。ひとりあたり何十個も採ったのではないかと思います。まだ木から落ちていない実をみつけた保育士さんが「あそこにあるよ」と指さすと、「だっこして」と子どもがせがみます。ここでも保育士さんはいやな顔ひとつせずひょいと抱き上げて見せてやっていました。
これがとてもいい雰囲気で、何か詠めそうだと苦吟した結果、これまた一首できました。結局この日は五首の短歌ができて、気持ちよく公園を離れることができました。小春の詠ませてくれた短歌でした。

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ブサイクな光源氏 

『源氏物語』の主人公光源氏と言えば、頭脳明晰、芸術の天才、学問優秀でおまけにいつまでも衰えぬ美貌を兼ね備えたスーパー貴族です。そして、これは当時の美徳でもあったと思うのですが徹底した「色好み」でもありました。
そのために、ドン・ファンのように女から女へと飛び回るどうしようもない男、というイメージが付きまとうようです。学生に聞いても「とんでもない浮気者」というイメージを持っている人が少なくありませんでした。
しかし光源氏の恋愛はたいてい何らかの失敗を伴い、うまくいかないことも多いのです。さほど美人でもない年長の人妻には一度の逢瀬のあとは徹底的に拒否されてしまいますし、せっかく親しくなった女性は頓死してしまいますし、シンデレラのような落魄の姫君と出会ったと思ったらとんでもない醜女で和歌のセンスもない人でした。
正妻の葵の上はいつもツンと澄ました感じの人で、折り合いが悪く、子どももできないままの

    仮面夫婦

のような感じでした。ところがこの人が結婚10年にして初めて懐妊するのです。しかし彼女はおそろしい物の怪に襲われて、出産してまもなく亡くなってしまいます。この物の怪は、謡曲「葵上」にもなっているように、六条御息所という人の生霊なのでした。光源氏はその物の怪の正体を知ってしまって、御息所との関係ももう終わりだと感じたようです。一方の御息所も娘が伊勢斎宮として下向するため、それに随行して光源氏のいる都から離れる決意をします。伊勢斎宮は実際に伊勢に下るまでに長い潔斎の期間があります。先ず宮城内で初斎院と言われる潔斎をおこない、その後さらに野宮と言われるところで一年の潔斎を続けます。この野宮は平安時代になると嵯峨野に作られました。一代限りのもので、常設されていたわけではないようです。今、嵐電嵐山駅から北北西に進路を取って5分ほど歩くと野宮神社があり、神社では野宮の名残と伝えています。
御息所は野宮で潔斎する娘と一緒にいるのですが、光源氏は別れのためにこの野宮を訪ねます。とても美しい情景描写もあって、さすがは謡曲になるだけの名場面だと思います。
近松門左衛門『傾城反魂香』の又平は実在の絵師、

    岩佐又兵衛

をモデルにすると言われますが、この又兵衛が野宮を訪ねる光源氏の絵を描いています。一度見たら忘れられないような絵です。この光源氏の容貌は、学生に言わせると「ブサイク」で「幻滅した」ということになります。たしかに、現代風の美男子からはかけ離れた風貌の光源氏です。
しかし、都から離れた嵯峨までやってきた光源氏の、六条御息所に会いたいような会いたくないような複雑な胸中がにじみ出ている絵だと思います。画中の光源氏からは「ほーっ」というため息のような声が聞こえてくるようです。
漫画に出てくるような美男子ではなく、悩める貴公子光源氏が見事に描かれた絵だと思います。

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七五三とハロウィン 

秋祭が終わると、神社は七五三です。いちおう十一月十五日ということになっていますが、その日だけに限ってしまうと希望者があふれますし、平日なら親が参加できないこともあるでしょう。そんなわけで、十一月であれば随時受付というところが普通で、しかもここ数年はさらに人が一日に多く集まらないように十月の終わりごろから始まっているようです。今年はたまたま十月三十日が日曜日でしたから、その日も神社ではお参りする人が見られました。私は夕方の4時ごろに神社に行ったのですが、ちょうど一組の親子がお祓いを終えたところで、巫女さんに写真を撮ってもらっていました。今や、巫女さんにとってこういうサービスはあたりまえのことのようで、手際よく写真を撮るスポットに案内しながらスマホのボタンを押していました。
境内にはソーシャルディスタンス(何だか懐かしい言葉です)を確保した形でベンチが置かれていて、前の組がお祓いしているときはそこで順番待ちをするようでした。
子どもたちはきちんとした衣裳でしたが、あれは借りているのでしょうか。神社の社殿の中に、何着もの

    七五三装束

が吊ってあったのですが、あれは貸してくれるものなのかな。これはちょっと調べてみようと思ってネットを探ったら、あっけなく(笑)出てきました。衣裳のお店と神社が結託して、じゃなくて、共同企画して神社で着替えて祈祷を受け、希望すれば写真を撮れるみたいです。さらに女の子はヘアアレンジもできるそうで、至れり尽くせりですね。最近は神社もほんとうによく考えていると思います。
話は変わるのですが、この日の前夜、韓国でハロウィンを祝う若者が大群衆となって、多数の人が折り重なるように転倒し、多くの命が失われるという何ともいたましい事故がありました。最近、日本でもハロウィンの夜になると大勢の若者が街に繰り出して大騒ぎすることがあるようですから他人事ではないように思いました。ホラー風の仮装をすることで悪を演ずることに後ろめたさがなくなり、さらに自分の姿を半ば隠すこともできますから、開放的になって

    羽目を外す

のだろうと思います。エネルギーを持て余した若者がそれを発散しようとする気持ちはわかりますが、群集心理も相俟って大きな事故につながりかねないと、かねがね危惧されていたはずです。韓国の実情はよくわかりませんが、他山の石として日本でもこういうことに注意を払わねばなりません。特に、一部の狭い地域に集まろうとする傾向があって、危険がいっそう増幅されると思います。
私が神社から帰ろうと道を歩いていると、なんと、女子小学生がどうやらハロウィン装束らしきものを身に着けて、顔にも少しペイントを入れ(あるいはシールのようなものを貼り)、たむろしているところに出会いました。狭い生活道ではありますが、車が通る道路の真ん中でうろうろしていて、自転車が近づいてきても邪魔になるから道を開けようというそぶりも見せず、まったく動こうとしなかったのです。からだの大きな私が近づくと何となくまずいと思ったのか、やっと散り散りに道の端に寄っていきましたが。私は何も言わずに通り過ぎたのですが、「お兄ちゃんお姉ちゃんたちの真似をするのもいいけど、けがだけはしないようにね」と声をかけるべきだったのかもしれません。
七五三の子どもたちを見たあとで、なんだかちょっと妙な気持ちになりました。

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かつての名選手たちが・・ 

野球のことをいろいろ書いています。もうシーズンが終わったので当分は書くことがないと思い、つい連続して書いてしまいました。
村上選手はいつかメジャーリーグに行きそうですが、それより前にチャレンジする選手もいそうです。今年はソフトバンクの千賀選手が大きな期待を背負っています。すさまじいストレートとフォークボールを持っていて、それはじゅうぶんあちらでも通用しそうです。ただ、時々故障する人で、アメリカで登板過多になったら大丈夫かな、という心配があります。
オリックスの吉田選手も行きたがっているようです。ただこの人はあまり足が速くなく、守備もとくにうまいわけではないので、イチロー選手のような活躍はできそうにありません。私は日本野球向きの人だと思うのですが、本場でやってみたいという気持ちになるのは当然でしょうね。同じオリックスの山本投手もいつかは行きたいようです。彼もすばらしいコントロールと切れ味鋭いボールがありますので相当活躍しそうですが、やはり過酷なアメリカのシーズンに耐えられるのかが心配です。日本から行った名投手で、ダルビッシュ、大谷、前田らは肘を痛めて手術をしてしばらく出場できなかったことがあります。

    選手寿命

を縮めないかやはり心配もあります。昔は肩が強いとか弱いとか言いましたが、肝心なのは肘でしょうね。
それにしても、日本の往年の選手がもしメジャーに行っていたらどうだったのでしょうか。例えば金田投手。ストレートとカーブだけでどんどん投げ込んでくるタイプで、日本では無敵。何しろ空前絶後の400勝投手ですから。私は金田さんの現役のころはあまり覚えていませんが、160㎞/h以上の速球を投げていたとも言われ、もしそうならまちがいなく通用したでしょう。それにあの頃は中四日で投げるのが日本でもあたりまえでしたから、かなりの成績を上げられたのではないかと思います。王さんはどうでしょう。あの当時もよく言われましたが、球場が狭く、後楽園は左右翼が

    公称90メートル

でしたが、実際はそれ以下だったという噂もあります。川崎、ナゴヤ、神宮、広島などの球場も当時は似たり寄ったりで、甲子園だってラッキーゾーンがありました。それで800本ホームランを打ってもメジャーではそうはいかなかっただろうといわれます。しかし王さんは選球眼もよく、中距離ヒッターとしてかなり活躍できたのではないかとも思います。福本さんはどうでしょうか。あの人は日本でもそもそも外野にボールが飛ばないくらい非力だったといわれますが、次第に力をつけてヒットメーカーになり、さらにフォーボールもよく選び、あとは投手の癖を盗んでの盗塁。速いボールについていければ、あちらに行ってもそれなりの活躍ができたかもしれません。
ほかに、投手では350勝の米田さん、317勝の鈴木さん、284勝のサブマリン山田さん、鉄腕稲尾さん、マサカリ村田兆治さん、野手では野村さん、落合さんなどはどうだったでしょうか。
そんな空想をめぐらしています。

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むらかみさま 

今年のプロ野球は、ヤクルト、オリックス、横浜、ソフトバンクなど実力のあるチームが上位を占め、ヤクルトとオリックスがそれぞれのリーグチャンピオンになりました。これらのチームを見ていると、監督の采配がよかったところが強かったという印象があります、たとえば、オリックスの中島さんはリリーフ投手の使い方がとてもうまく、あれがあったからこそ優勝できたと言っても過言ではないと思います。もちろん各チームの個々の選手もすばらしかったのです。オリックスの山本投手、ヤクルトのマクガフ投手、阪神の青柳投手、中日の大島選手、西武の山川選手等々、ちょっと思い出しただけでも何人もの名前が思い浮かびます。
しかし今年特筆されるのは、圧倒的にヤクルトスワローズの

    村上宗隆選手

の活躍でした。アメリカに行った大谷選手に次ぐ新たなヒーローが生まれたと言ってよいと思います。
村上選手のレギュラーシーズンの成績は、打率が0.318、本塁打が56本、打点は134でした。パ・リーグの本塁打王、打点王の山川選手が41本、90打点ですから、はるかに上を行くレベルでした。九州の出身で、入団2年目に開花して新人王、3年目に最高出塁率のタイトル、4年目に本塁打王、そして5年目の今年は三冠王(+最高出塁率)となったのでした。ほかにも最多塁打、最多得点、最多四球を記録しています。22歳にしてこれだけの仕事をするなんて、ただただ「すばらしい」というほかはありません。
からだが大きく、力もありそうです。バットコントロール、選球眼、スイングスピードなど、おそらくすべてが揃っているのでしょう。あえて言うなら、去年も今年も夏を越えるあたりから打てなくなるのが気になるところで、それを克服できると

    60本

も夢ではないでしょう。
また、村上選手は「ここで打ってほしい」というところでよく打ちますので、ファンの方からはさらに信頼され、「村神様」とまで呼ばれているようです。私は、もう少し三振が減って、これはかなり難しいのですが、出塁率が5割を超えることも期待しています。かつて、王貞治さんは二度5割以上の出塁率を記録して、通算でも4割5分近い記録を残しています。しかも驚くことに、歴代の出塁率ベスト20(単年度)を見ると、王さんがその半分を占めているのです。村上選手は何年か後にはハイレベルのアメリカに行くでしょうから、通算ホームランの数は王さんに届かないかもしれません。またアメリカで出塁率5割もかなり厳しいと思いますので、ぜひあと数年のうちに日本で達成してもらえないものかと思っています。
私はあまりセ・リーグに興味はないのですが、彼だけはやはり特別という感じがします。

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十三代目市川團十郎白猿 

10月31日と11月1日の「十三代目市川團十郎白猿襲名披露記念 歌舞伎座特別公演」に続いて、今日から東京東銀座の歌舞伎座で「十三代目 市川團十郎白猿襲名披露 十一月吉例顔見世大歌舞伎」が「八代目 市川新之助初舞台」のお披露目とともにおこなわれます。
劇場はこの2年あまり客の入りが滞り、松竹としては、このあたりで何としても起死回生の一打を放ちたいところでしょう。仮に2年前に襲名披露をしていたら、せっかくのドル箱が(蔓延防止のため)半分を空席にせざるを得ないという状況でした。それだけに、満を持してというか、全席の販売が可能になる時期を待って、2カ月連続大入り満員を狙って開催することにしたのでしょう。伝統の継承と共に利潤追求を無視できない興行会社としては当然の考え方だと思います。
私は十一代目團十郎の舞台を知りませんし、亡くなった時(1965年)のことも記憶にありません。まだ小学生でしたので歌舞伎にほとんど興味がなかったからでしょう。私が最初に知った歌舞伎役者は子どものころにテレビに出ていた中村鴈治郎(二代目)か片岡仁左衛門(十三代目)か、江戸なら尾上松緑(二代目)あたりだろうと思います。
そして、十二代目が襲名する(1985年)までは、團十郎の名前は空白期間だったわけですから、何となく坂田藤十郎と同じように「歴史上の人物」の名前のようで、あまりなじみはなかったとも言えそうです。もう少し上の世代の人なら十一代目をご存じでしょうし、もう少し下の世代なら十二代目の「海老様」時代をあまり記憶にとどめていらっしゃらないことでしょうけれども。
十二代目が新之助時代に、尾上菊之助(現菊五郎)、尾上辰之助(三代目松緑を追贈)とともに

    三之助

と呼ばれていた(新之助の海老蔵襲名は1969年)のはほんのわずかに記憶がありますが、江戸の人でもありますからやはりあまり関心はなかったように思います。
さて、十三代目です。週刊誌やワイドショーに追われるほど何かとお騒がせな人ですし、最近は歌舞伎なのか何なのかわからないことに「挑戦」し続けているとも言われ、大名跡に「ふさわしくない」という声がかまびすしく聞こえてきます。
しかし、代々の團十郎の中にも名人もいればさほどではなかった人もいるわけですし、歌舞伎が世襲を守っている以上、この人以外に團十郎を名乗れる人はいないのでし、まさか次世代まで放置することもできないでしょうから、どうしようもないでしょう。
歌舞伎ファンの人の反応を見ても、新團十郎を絶賛する人あり、まるで相手にしない人もありで、最近流行の

    世論を二分する

状況になっているようです。
私はもう歌舞伎の舞台を観ることは不可能ですのでどちらに与する気持ちもないのですが、せっかくこういう家に生まれ、背も高く(176㎝だとか)親から引き継いだ立派な容貌を持っているのに、何だかもったいないな、という気がしてなりません。お山の大将でいたいのかもしれませんが、三十代のころから先輩役者に揉まれるのではなく「海老蔵歌舞伎」のようなものに軸を置きすぎたのはいかがなものだったのでしょうか。
ほとんどの若者は歌舞伎役者といってもテレビに出る人しか知らないので、舞台中心の仁左衛門は知らなくても、息子さんと一緒にテレビに出ている新團十郎はよく知っています。その人が襲名すると言ったら好意を持って見られるでしょうし、そもそも新團十郎には歌舞伎の愛好家でもコアなというか熱狂的なファンがいらっしゃいますから、襲名披露は好評裡に進むかもしれません。チケットは高額ですが、おそらくそれなりに売れているのでしょう。
しかし、だからと言って新團十郎の前途は明るいかどうかはわかりません。なるほど歌舞伎も時代に応じて変化することはあり得ると思います。当初はさほどドラマ性の強いものではなかった歌舞伎を劇作者たちがその性格の色濃いものに変え、人形浄瑠璃からの移入も増え、一方役者も工夫を重ねていろいろな型を作ったりしました。近代でも『元禄忠臣蔵』や『ぢいさんばあさん』のような作品が生まれています。江戸時代の古典がすべてではありません。新團十郎はそれの延長としてスペクタクル性の強い「アニメの歌舞伎化」のような仕事をしているという意識なのでしょうか。若者に訴えるためには何でもするということなのでしょうか。團十郎の名を継いだものとしてこれまでと変わらない舞台を続ける場合、歌舞伎を愛する人たちはどういう反応をするのでしょうか。
もはや門外漢となった私はぼんやりと眺めていようと思います。

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夜の日本シリーズ 

私が学生のころ、プロ野球のパ・リーグというと西武ライオンズがとても強いころでした。人気もあって、西宮球場に阪急対西武の試合を観に行くと、三塁側(西武側)のほうが観客が多かったくらいです。オーナーが堤さんという人で、この人は世界長者番付で第1位になったこともある富豪でした。それだけに、選手の給料もどんどん出していたような、ちょうど今のソフトバンクのような感じだったと思います。その後西武はいろいろ不祥事などもあって堤さん自身も身を引いて、今は表に出てこられることはないように思います。
最近は、パ・リーグも様相が変わって、かつての南海ホークスが九州に移ってダイエーホークスになり、さらにソフトバンクホークスになって、パ・リーグを代表する球団になりました。西武は人気も落ちて、なんと観客動員数は

    12球団で最下位

だそうです(2022年の動員数は、1位が阪神で、以下読売、ソフトバンク、中日、広島、横浜、ヤクルト、ロッテ、オリックス、楽天、日本ハム、西武)。ちょっとびっくりです。
パ・リーグはやはり観客動員の面ではまだセ・リーグにはかないませんが、それでもずいぶんよくなってきていると思います。もうひとつ驚くのはヤクルトがセ・リーグでは最下位であることです。やはり東京に2球団あるのはよくないのかもしれません。しかしそのヤクルトは、チーム自体は強くなり、今年も見事に優勝しました。
日本シリーズは二年連続でオリックスとの対戦で、メディアではあまり盛り上がりを感じませんでした。関西にいると、ネットのニュースに流れてくる話題はむしろ阪神の新監督のことが多かったように思います。
ところで、日本シリーズで驚くのは、試合がすべて夜間であったことです。大阪ドームはまだしも、神宮は

    寒すぎる

のではないでしょうか。日本シリーズは普段の試合に比べて試合時間が必ずと言っていいくらい長くなります。18時30分開始なら22時を過ぎることは十分想定できたはずです。あれでは選手のコンディションが悪くなりそうで、実力が十分に出せないのではないかとすら思いました。もちろんプロですからどんな条件でも文句は言えないというのはそのとおりなのですが、私はどうも気に入らないのです。そのほうがテレビの視聴率がいいという事情があるのかもしれませんが、神宮は土日だったのですから昼間でもよかったのではないのかと思うのです。寒いのは選手だけではなく、お客さんもたまったものではないでしょう。
だいたい、セ・リーグは、神宮、横浜、甲子園、広島の4つの球場がドームではありません。一方パ・リーグは札幌、西武、大阪、福岡がドームです。しかも球場の広さと言ったら神宮、東京、横浜あたりは狭くて中でも横浜球場は完全に昭和の球場そのものという感じです。人気があるリーグなら、もっと球場も整備できないものでしょうか。
来年仮に楽天対横浜で日本シリーズがあるとしたら、どちらも屋外球場です。それでも夜に実施するのでしょうか。

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2022 文楽11月公演初日 

11月文楽公演が初日を迎えます。
大阪本公演では一年納めの本公演です。
演目は次のとおりです。

第1部 午前11時開演
心中宵庚申(上田村、八百屋、道行思ひの短夜)
第2部 午後2時開演
一谷嫰軍記(弥陀六内、脇ヶ浜宝引、熊谷桜、熊谷陣屋)
第3部 午後6時開演
壺坂観音霊験記(沢市内より山)
勧進帳

今回、太夫さんで「切」の字がつくのは呂太夫さん、錣太夫さんのおふたりだけ。千歳さんは「上田村」。この場は切場ではありませんが、なかなか面白く語りがいのあるところですから、切場語りが語ることはありうると思います。咲さんは「宝引」。この場は完全な端場でまたチャリ場でもありますが、こういう場は咲さんのお得意の場です。以前も拝聴したことがありました。
陣屋は玉志さんの熊谷と玉助さんの弥陀六だそうです。玉助さんは「勧進帳」の弁慶も。

※咲太夫さんは休演。「宝引」は織太夫

プロ野球のプレイオフ 

昨日も書きましたように、今年のプロ野球はパ・リーグがおもしろかったです。オリックスかソフトバンクか、最後の最後までどちらに転ぶかわからない優勝争いでしたから。
そのパ・リーグは、関東地方には2球団ありますが、ほかは札幌、仙台、大阪、福岡に散らばっており、いきおい地元意識が強いと思います。セ・リーグは半分が関東で、あとは名古屋、西宮、広島。かなり地域が固まっています(北海道、東北、四国、九州のどこにも球団がない)。昔ながらの「都会的なセ」「人気のセ」という意識はメディアでは相変わらずですが、ファンはもっと地元に密着した球団を求めているのではないかと思えてなりません。私は、新潟か愛媛あたりに球団があればと思っています。ヤクルト、横浜、読売のうち、どこかのチームがひとつ移転するといいと思うのですけどね。横浜は神奈川県ですから、移転するならやはり東京都の2チームのどちらかがいいと思いますが。
もっと大胆なことを言いますと、プロ野球は

    16球団

にして、北海道1,東北2、関東3、北陸1,東海2、関西2,中国2、四国1、九州2くらいになればいいと思っています。そして、パ・リーグ東地区、西地区、セ・リーグ東地区、西地区に分けて、それぞれの地区から優勝チームを出すのです。そして東西優勝チームでプレイオフをおこなってリーグ優勝を決めたうえで日本シリーズに突入するのがいいと思うのです。
具体的にはパ・リーグ東地区が日本ハム、楽天、西武、静岡マリーンズ、西地区がオリックス、岡山と愛媛(か徳島)のそれぞれ新チーム、ソフトバンク。セ・リーグ東地区は秋田の新チーム、ヤクルト、横浜、新潟ジャイアンツ、西地区が中日、阪神、広島、宮崎の新チーム。
もちろん、人口の少ない地域では観客を動員できないという

    経済的な事情

がありますし、「おらが地元の球団を勝手によそに移すな」という声も上がりますから、簡単に実現するとは思っていませんが、将来の野球人口拡大を狙うならそれくらいのことがあればいいのにな、と思います。
そんなことを思う最大の理由は現行の「クライマックスシリーズ」のありかたです。いつぞやはパ・リーグ3位だったロッテが日本一になりましたし、今年の阪神はリーグ戦で負け越しているのに最終シリーズまで行きましたから、どうもしっくりこないところがあるのです。やはりリーグで優勝してこそ日本一を争えるのだということを徹底するのが本来のありかたです。アメリカのメジャーリーグのように30球団もつくることはできるはずもありませんから、せめて最低限のプレイオフができるくらいにはしたほうがいいのではないかと思います。
以上が、私がコミッショナーに立候補する際の公約なのであります(笑)。

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おもしろかったパ・リーグ 

昔、まだ兵庫県西宮市に阪急ブレーブズというチームがあったころ、あれだけアクセスに便利なところ(阪急電車で神戸、大阪、宝塚からそれぞれ10分余りの西宮北口駅から徒歩数分)なのに、お客さんがさっぱり入りませんでした。私が西宮球場で満員の観客の中で野球を観たのは2回だけ。阪急対ヤクルトの日本シリーズとオールスター戦でした。この球場にこんなに入って、壊れるんじゃないかと思った(笑)くらいです。
昭和50年ごろの阪急はとても強かったのに、山田、福本らの大スターがいるのに、それでも、それでも観客は入りませんでした。山田投手の美しいピッチングフォーム、福本選手の走塁などはほんとうにすばらしかったのにもったいないと思いました。
当時は、ほかにも南海、近鉄、ロッテなどあまりお客さんは入らず、残りの西武、日本ハムの首都圏組もたいしたことはありませんでした。ところがパ・リーグは日本ハムが北海道に移り、楽天が仙台にできて、北から南までチームがばらつくようになって、地域密着の楽しさが生まれました。観客動員も以前に比べるとかなり良くなっています。
そして、野茂、イチロー、ダルビッシュ、大谷という、メジャーで活躍した(している)代表的な人たちがすべてパ・リーグ出身であることからもわかるように、選手の能力もかなり高いものになりました。
そうやって発展してきたパ・リーグですが、今年の白熱した試合は誠に見事だったと思います。
そして今年は、(昨年もそうだったのですが)一度も

    マジックナンバー

がつかなかったオリックスが最終戦でまさかの逆転優勝を果たすという、驚くような幕切れとなりました。オリックスの優勝条件は最終戦で勝利して、しかもソフトバンクが敗れなければならないという極めて難しいものでした。私も、いくらなんでもそううまくは行かないだろうと思いました。ところがその「まさか」が現実になったのですからびっくりでした。オリックスの最終戦は、先発が田嶋、相手の楽天は田中。オリックスは田中の力投の前に3回までパーフェクトに抑えられ、4回にはて楽天が先取点をあげました。この時点で何となくダメなんじゃないかと思いました。ところが5回に4安打を集中して3点をあげて逆転すると、最終回にはダメ押しの2点。6人の投手をつぎ込んでの執念の勝利でした。一方、ソフトバンクは2点を先行して前半を終えたのに、中継ぎ投手が打たれて逆転負け。まさかこんなことがあるなんて、と思いました。ソフトバンクの中継ぎ投手もいい選手ですが、結果的には中継ぎの明暗が優勝を決めたことになりました。
そしてクライマックスシリーズではふたたび相まみえたオリックスとソフトバンク。初戦の山本の好投が方向を決めて、杉本、吉田らも活躍して最後は

    中川圭太選手

のサヨナラヒットという劇的な幕切れでした。
二軍監督だった中島さんが一軍監督代行になるとき、二軍でくすぶっていた杉本選手を「一緒に一軍に行くぞ」と言ったという話は有名ですし、「俺は無敵の(中川)圭太を知っている」と言って打率1割台だった中川選手をいきなり4番で起用したこともありました。それ以前は鳴かず飛ばずだった二人がその後ほとんど一軍に定着して、さらにこうして期待に答えて活躍したのもすばらしいことだと思います。
改めてパ・リーグファンでよかったと思う今年のプロ野球でした。

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最後にコケる 

私は、野球は長年パ・リーグのファンですので(今でも一番好きなのは阪急ブレーブズ)、セ・リーグ球団はあまり関心がないのですが、今年もヤクルトの強さが目を瞠るようでした。何と言っても村上選手の三冠王という圧倒的な成績がチームを優勝に導いたと思います。あの人は数年後にはアメリカで何十億円という報酬を得て活躍するだろうと期待しています。もちろん村上選手だけでなく、先頭の塩見選手や村上選手のあとを打つオスナ選手の活躍もすばらしく、また投手陣もよく頑張ったと思います。
今年注目されたのは横浜ベイスターズでした。最後は息切れしたようですが、佐野選手がほんとうに確実なバッターになりました。牧、宮崎、桑原、ソト、大和らも役割を果たしたと思います。ピッチャーでは今永、濱口らの先発もよく、入江、エスコバー、伊勢、山崎らの中継ぎ、抑えの選手もとてもよかったと思います。
比較的好きな広島はちょっと残念な一年でした。規定投球回数に達したのは森下ひとりで、九里、大瀬良、床田らはもうひとつでした。野手でも坂倉、マクブルーム以外はあまり目立たなかったように思います。
関西に住んでいると、それらのチームはやはりあまりテレビ中継がないので実は選手の名前と顔はあまり一致しません。私は特にファンではありませんが、

    阪神タイガーズ

だけは、地上波でもしょっちゅう放送していますから、知らず知らずのうちに選手の顔も覚えてしまいます。青柳、西という防御率1,2位の先発投手がいて、ほかにもイキのいい若手投手が目白押し。特に湯浅、浜地あたりの活躍は目覚ましかったと思います。先発左腕の伊藤投手は、往年の能見さんを思い出さないでもない左投手で、私はいささかのシンパシーを感じます(私が草野球で左利きのピッチャーをしていたので)。野手でも盗塁王の近本をはじめ、有能な選手がそろっていると思うのです。佐藤選手は本塁打の数が減りましたが、その分、二塁打がかなり多くて、リーグ第2位。三塁打も第2位、打点は第4位、塁打は第5位、安打数も第8位なのです。それなりに頑張っているのですが、ここぞというときに三振する印象が強いように思います。ほかにも大山、中野、梅野らもいて、今年は島田選手が成長したようでした。
これらの選手を擁しながら、チームとしてはなかなか勝てなくて、開幕9連敗が最後まで響いて、ついに負け越して終わってしまいました。ところが、規定によって日本シリーズに進めるチャンスが与えられ、なんと、最初のステージでは上位の横浜に勝ちました。といっても圧倒的に打ち勝ったという試合ではなく、何とか少ない点を守り切ったという感じでしたが。
ここまでは

    なかなかやるじゃないか

と思わせてくれたのですが、このチームらしいところは最後の最後に「コケる」ところではないでしょうか。
王者ヤクルトが赤子の手をひねるように打ち負かし、あっというまの3連敗で、はい、おしまい。
矢野監督はずいぶんファンの人から悪口を言われていましたが、自分のやりたいことをやったという意味ではいい監督だったのではないかと思います。
来年は岡田さんが監督になるそうで、雰囲気はやや「陰」になりそうな(笑)予感がします。選手の使い方もきっと変わると思われ、先発しそうなのは近本、中野、大山、佐藤、梅野のほかはかなりの競争になりそうな気がします。来年もまたコケるのかなぁ?

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すさまじかった日本シリーズ 

私はパ・リーグファンですので、日本シリーズはいつもパ・リーグ優勝チームの応援団です。とは言いつつ、この10年くらいはソフトバンクが多かったのでいささかうんざりしていました。しかし去年と今年はオリックスでしたのでかなり新鮮な気持ちで楽しむことができました。
ただ、相手は強敵ヤクルト。昨年も負けていますし、今年は村上選手の成績が昨年以上ですからいっそうパワーアップしたような感じです。しかし、それに対抗するオリックスの投手陣は先発、中継ぎは天下一品。絶対的なクローザーがいるかと言われるとちょっと危ういのですが、それでも投手陣全体はかなりの力を持っています。さていったいどうなるか、興味津々で観ていました。
私は、このシリーズでカギを握る選手、いわゆる

    「キーマン」

は、は野手ではオスナ(ヤクルト)と紅林(オリックス)、投手ではマクガフ(ヤクルト)と山崎颯一郎(オリックス)だと思っていました。
これらの選手が活躍したらきっと優位だろう、という意味です。
初戦の先発は山本でオリックスの勝ち、と思っていたら、いきなり怪我というのでしょうか、わき腹を痛めたとかで失点を重ねたうえでの早々の降板。これで私は一気に元気がなくなりました。
第2戦は完全にオリックスだと思ったら、最終回にまさかの同点弾を打たれて引き分け。ますます元気がなくなります。第3戦はボカスカとホームランを打たれて完敗。もう白旗を上げるところでした。ところが第4戦でピッチャーが踏ん張って1-0でかろうじて初勝利を挙げると、第5戦は宇田川、山崎颯をベンチから外すという、まことに中嶋監督らしい無理をさせない選手起用がありました。評論家の多くは、「短期決戦なんだから無理してでもベンチ入りさせるべきだ」と言っていましたが、中島さんはそういう批判は覚悟のうえで自分のやり方を通したのだと思います。ベンチ入りさせても投げさせるつもりはなかったはずで、短期決戦だからこそ投げさせるつもりのない選手をベンチ入りさせるなどとんでもないということでしょう。結果的には逆にチームを引き締め、それが最後の大逆転につながりました。

    吉田正尚選手

のサヨナラホームランという劇的な幕切れは球史に残る一戦となったように思います。
第6戦はまたもやオリックスの投手陣の大健闘。山崎福、宇田川、平野、山崎颯、ワゲスパックという完璧なリレーで1安打に抑えました。
第7戦はオリックスが先制して相手のミスもあって5-0と有利な試合運びをしましたが、私がキーマンだと思っていた山崎颯一郎投手が打たれてしまい、5-4に迫られました。しかし最後は私の見立てとは違って「ほんとうのキーマン」だったワゲスパックが押さえて見事4勝2敗の成績で日本一に輝きました。私が予想していたキーマンのオスナ、マクガフ、山崎颯一郎、紅林の中ではオスナに関しては当たったかなと思うのですが、まあしろうとの考えることはこの程度です。
ただ、シリーズMVPが杉本、優秀選手が山崎福、吉田正、塩見、敢闘賞がオスナというのはちょっと合点がいきません。私ならMVPはワゲスパック(1勝3セーブ)、優秀選手に山崎福、宇田川、オスナを選びたかったです。外国人に厳し過ぎますし、投手の力をもっと評価してほしいとも思います。杉本選手はいいところで打ったことはありますが、あっけなく倒れたことも少なくなかったように思います。
それにしても、本当にすさまじかったと思います。敗れはしましたが、ヤクルトも投手陣が頑張り、野手もホームランの数ではオリックスを圧倒し、どちらに転んでもおかしくないような7試合でした。
今年のプロ野球の最後を存分に楽しませてもらいました。ありがとうございました。
(このあと、続けてプロ野球ネタを書きます)

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