おしゃれ
私はあれもこれも才能がないのですが、その中でも飛びぬけてひどいのがおしゃれのセンスです。
学生さんに話してきたキャッチフレーズ(笑)のひとつに、「私はおしゃれもお化粧もみなさんに教えることはできません。できるのは言葉のファッションセンスを磨くお手伝いだけです」というのがありました。これは自虐でも謙遜でもなく、自分でもあきれるほどおしゃれのセンスはないのです。
とにかく服を持っていません。スーツなんて、かつてNHKに出たときにいくらなんでも恥ずかしいからというので一着作ったのが最後。それもおそらくサイズが合わなくなってきている(笑)でしょう。日常の服装もまるで持っていなくてなさけなくなるくらいです。
Facebookでは「友だち」のみなさんがおしゃれをしたスタイルでご自身の写真を撮って掲載されていますが、私は恥ずかしくてとてもできないのです。そういえば最近誰もがやっている
自撮り
というのも経験がありません。地鶏なら知っているのですが(笑)。
文楽の技芸員さんは、さすがにああいう世界の人ですから着物だけでなく、普段の服装でもおしゃれな人が多くて感心します。いや、そういう人だけでなく、私の周辺の人を見回しても、私以下という人にはひとりとして会ったことがありません(笑)。
そもそも私はおしゃれをしようという意識を持たずに生きてきたというのがほんとうのところです。次男の宿命というか、子どものことはすべて着るものはお下がり。自分の好みなど関係ありません。ただ、高校生の時に兄を背丈で追い抜いてからはそういうことはなくなったのですが、貧しかったこともあって
時すでに遅し
で、服を買うという習慣がそれ以後も身につくことがなかったのです。
最近の若い男の子は、服装はもちろん、靴も帽子もおしゃれですし、化粧水を使ったり、眉をキレイにしたり、とにかくおしゃれのために使う時間とお金が私とでは比較にならないと思います。今の学生さんだってお金はそんなにないでしょうに、よくあれだけで着るものだと感心します。もっとも、私だって学生時代には本はあれこれ買いましたし、文楽にもしょっちゅう行っていたわけで、そういう意味では貧乏なのにお金を使っていたのですけどね。
結局おしゃれのセンスだけはついに磨けないままで終わりそうですが、今さら後悔してもしかたがなさそうです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/30 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
お金もうけ
このごろ、書くことがなくて、以前同じようなことを書いた記憶があるのですが、気にせず(笑)また書きます。
昨今、新聞を購読しない家庭がどんどん増えているようです。私もやめようか、と悩んだことはあるのですが、やはり今なお新聞が好きなのです。ろくにわかりもしないのに、一面はもちろん、総合面、政治面、国際面、文化面、スポーツ面、社会面などほとんどを読んだり眺めたりしています。その中で唯一飛ばしてしまうのが経済面です。あの、株価の一覧表は見たことがありませんし、経済に関する記事もまず読まないのです。ほんとうは関心のないことにも興味を持つことは大事なのでしょうが、経済関係だけはどうにも苦手なのです。
父親が商業系の学校を出た会社員でしたので、経済には当然関心がありました。株にも詳しく、いろんな株を持っていたような気がします。私が大学を受験するとき、「○○大学に行きたい」と言いますと、「経済学部か?」「法学部か?」と期待してくれたのですが、
「文学部」
と言った瞬間にひっくり返ってしまいました。まあそうですよね、自分が堅い会社員ですから、我が子にも堅い仕事をしてほしいでしょうし、そのためには文系なら経済、経営、法学などに進んでほしかったのでしょう。「文学部なんてつまらんところに行ったら苦労するぞ」「仕事がないぞ」と盛んに引き留められたのに、我を通してしまいました。親不孝でした。しかし、もし私が親の意に沿って経済学部なんていうところに行っていたら確実に後悔していたと思います。一番関心のない分野だったのですから。親不孝でも文学部が正解だったのだと無理やり(笑)信じるようにしています。
そんな具合ですので、学生時代も貧しかったですし、今でもお金お受けにはさっぱり縁がなくて、親の心配どおりの生活をしています。
FacebookやInstagramなどを開くと、よくもまあこんなにあるおのだというくらい、お金もうけの話が流れてきます。こういうのは、だいたいお金もうけに成功した人が流す情報なのですが、私は、そういう
成功譚
は聞いてもしかたがないとすら思っています。このごろは、そういう動画が流れてくるとすぐに拒否してしまいます。
また、お金もうけの方法はこちら、という広告画面が出てくることもありますが、これもめったに信用しておらず、拒否しています。なぜかそういう広告には「給給与」の字が中国の簡体字になっていたりして、怪しいのです。
昔、まだ電話が私にとって重要なツールであった頃、よく勧誘の電話がかかってきました。今でも覚えているのがマンション経営とトウモロコシの先物取引でした。どちらもまったく理解できず(する気もなかったのですが)、もちろん一切お断りしましたが。だいたい私のような貧乏教師にどういうつもりでそんな勧誘をしてきたのか、意味不明でした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/29 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
阪急対阪神
ときどき野球の事を書きます。
かつて兵庫県西宮市にはふたつのプロ野球球団の本拠地がありました。ひとつは今も大人気の甲子園球場、もうひとつは閑古鳥の鳴くことの多かった阪急西宮球場でした。この二つの球場は直線距離にしたら3㎞と離れていなくて、歩いてでも行ける距離でした。
西宮球場を本拠地にしていたのが阪急ブレーヴズ。私が贔屓にしていた球団です。阪急は弱くて昔はお荷物球団だったのですが、昭和50年前後にめざましい強さを誇るようになり、今70代の福本さん、山田さんらの時代にはよく優勝していました。外国人も昭和60年前後にはブーマーという大砲を得て、彼は三冠王まで取りました。阪神もダメ虎などと言われてなかなか勝てない時期がありましたが、1985年には日本一を達成しました。
両者ともにそれなりに優勝したのですが、なかなか相まみえることはなくて、ついに「西宮シリーズ」というきわめてローカルな日本シリーズは実現しなかったのです。
阪急ブレーヴズはずっと赤字で、やがてオリエントリースに買収され(時を同じくして同社はオリックスと社名変更)、球場は神戸グリーンスタジアムに移りました。この売却が決まった翌日、阪急本体の株が上がったといいますからかなりの「負債」だったのでしょう。力はあっても人気商売ですからね。神戸に本拠を置いたものの、オリックス本社は大阪に移転したいと思っていたようで、やがて大阪ドームを本拠とすることになったのでした。
そのオリックスと阪神が今年の日本シリーズで顔を合わせることになり、かつての「西宮シリーズ」に似たものがやっと実現することになりました。私の頭の中では、
阪急対阪神
の対戦です。
この2チームは人気面では圧倒的に差があって、関西では人気ナンバーワンはもちろん阪神、二番目は読売で、三番目にオリックスがくるようです。「野球は巨人」という昭和のファンたちがまだ健在ですから、どうしてもしかたがないことです。今後、オリックスが第2位に昇格する日が来るのでしょうか。
さて、この2チームは似たところがあって、どちらも投手王国。両リーグの防御率第一位投手がこの両球団にいます(山本と村上)。そのほかにも、好投手が多く、その力で勝って来たと言ってもよいくらいです。打撃はホームラン王がいるわけではなく、さほど爆発的なものがなさそうで、これも似ています。
監督がなかなかのくせ者。しかしメンバーを固定する岡田さんに対して、打順などコロコロ変える中嶋さんという具合に、
対照的なところ
もあります。
日本シリーズの初戦は28日。どこで勝負が決するかはわかりませんが、熱戦を期待しています。
私は兵庫県民なので阪神を応援したいところですが、それ以上にパ・リーグファンですので、やはりオリックスを支持しています。
勝敗はいかに・・・。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/28 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2023年の十三夜
今年の十三夜(旧暦九月十三日に出る月)は本日10月27日です。「後の月」「栗名月」「豆名月」などともいわれます。「後の月」は八月十五夜に対して二度目の名月というくらいの意味です。十五夜だけを観て十三夜を観ないのは「片見月」になる、とも言われます。
十五夜(旧暦八月十五日)は中国から来た風習ですが、十三夜は日本のもので、平安時代に宇多法皇が「今夜月無双」と言ったとされたのが起こりだと言われることがあります。とはいえ、平安時代にずっとこの月が愛され続けていたということではないように思います。晩秋と言えば圧倒的に紅葉、そして菊。鹿の声というのもありますが、いずれにしても、十三夜はさほど話題になることはなかったようです。それでも、平安時代末期の西行法師は、
雲消えし秋の半ばの空よりも
月は今宵ぞ名に負へりける
(山家集)
と言っており、明らかに彼は十三夜の月を称賛しているのです。少し後の14世紀には兼好の『徒然草』239段も、九月十三夜を八月十五夜とともに「月をもてあそぶに良夜となす」と言っています。
十三夜は、樋口一葉の名作(文楽にもなりました)もあって、私の大好きな月です。それで調べてみると、私は十三夜については、毎年とは言いませんが、かなり頻繁にこのブログに書いています。それほどに十三夜に心が惹かれるのだと思います。
一葉の『十三夜』の中の「今宵は旧暦の十三夜、旧弊なれどお月見のまねごとにいしいしをこしらへてお月様にお供へ申せし」という一節は初めて読んだときから心の琴線に触れました。
「いしいし(団子)」
という言葉も明治の作品とはいえ、何となく江戸時代の風情があるように思います。いうまでもなく、「いしいし」はいわゆる女房言葉で、もともとは宮中の女房たちの使った、いわば京ことばです。ところが、この作品では江戸の風情の残る東京の女性言葉として深い味わいを感じさせてくれるようです。
以前もここに書いたことがありますが、拙作浄瑠璃『異聞片葉の葦』はこの日の出来事です。十五夜とは違った晩秋の風情が、美しいのに悲しさを感じさせるように思えて、この夜の話にしてみたのです。
晩秋というのは平安王朝の
もののあはれ
を感じさせる季節のように思います。
今年の立冬は11月8日ですので、秋もあと2週間足らずです。
今夜の天気はどうでしょうか。少し寒いですが、観に行ければ近くの川まで足を向けて、少し欠けた月を眺めてみたいものです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/27 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
アイスブレイキング
最近は職場ができるだけ快適になるようにと働く人たちの間で親しくなれるようにいろいろ工夫もあるようです。それは小さな店でも同じです。コンビニなどでは「パートのおばちゃん」も「バイトの学生さん」もいるわけですから、近くで顔を合わせることになるのに、いわゆる「シフト」があって毎日会うわけではないためにどこかぎこちない関係のまま何とも言えない微妙な空気が流れることもあるようです。
先日流れてきたTiktokの動画に、スーパーで働くおばさんたちの日常を描いたシリーズがありました。ろくに働かないくせに文句ばかり言う恐ろしい「お局さま」のおばさんがいるかと思うと、その逆の派閥の怖そうな人がいる。逆にまだ小さい子どもさんのいる若い主婦の方で、そういう先輩たちに何も言えずにいじめられている人もいました。さらにわがままなクレーマーのような客も登場し、気の弱い店長が
右往左往する
という感じでした。
数本の動画を見ただけなのですが、皆さん達者に演技されていますので、プロの方なのかもしれません。しかし、いかにもありそうな関西のスーパーの風景(関西弁をお使いでした)で、ちょっと吹き出しそうになるものでした。若い主婦の方はとても美人なのですが、女優さんなのでしょうか。
こういう、人間関係の面倒なことを和らげるために、最近ではアイスブレイキングをおこなう店もあるのだそうです。アイスブレイク、アイスブレイキングは、文字どおり氷を解かすことで、冷えた人間関係をちょっとした話し合いをしてうまく温めるための工夫です。
「でも、具体的にどういうことをすればいいでしょうか」と聞かれたことがあって、私もそんなに詳しいわけではないのですが、
Two truths and a lie
などはどうでしょうか、と話しておきました。これは3つのことを言って、そのうち2つはほんとうのこと、1つはうそ。そのうそを当てるゲームのようなものです。言い換えると、ゲーム感覚で自己紹介をすることなのです。
たとえば、私が話すとすると、
「私は高校の教員免許を持っています」
「私には孫があります」
「私は野球をしていました」
という3つの短い自己紹介をします。そのうえで「さてうそが1つありますが、それはどれでしょう」というわけです。これで多少の自己紹介ができると同時に、うそを当てる楽しみもあって、「あれじゃない?」「いやこっちかも」と話し合えます。「へー、そうなの」と話が少し広がることもあるでしょう。これを参加者が順に言って行けば、何を言うかのおもしろさもあって盛り上がりそうな気がします。
ちなみに、私のさきほどの自己紹介の正解(つまり「うそ」)は「私には孫があります」でした。「教員免許は持ってるよね」「えー、野球やってたの。どこ守ってたの」「孫っていないの。孫のいる同級生はいない?」などとにぎやかに会話が広がるかもしれません。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/26 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ともに学ぶ
『源氏物語』の講座をしてほしいと言われたとき、私は一も二もなくお引き受けしました。月に一度なら何とか予習する余裕もありそうですし、頭が錆びつかないようにするにもいい機会だと思いました。要するに自分の勉強のためにお引き受けしたも同然でした。
私はけっして学識豊かな人間ではなく、本当の意味での学者さんのような「何でも知っている」という大先生ではないのです。本当はそれくらいになっていなければならないのですが。
10月の会でもご質問をいただいたのですが、私はその場で答えられませんでした。そこでは保留して、帰宅してからあれこれ調べてLINEの
グループ機能
を使ってお返事しました。次の会までは1か月ありますので、早くお返事しないと忘れられてしまうと思うからです。もっとも、LINEをお使いでない方もいらっしゃいますので、そういう方には、遅くなるのですが来月お答えすることにいたします。
LINEは講座実施中にも機能することがあります。私がお話ししていて、「あの、ちょっと待ってください」と何かご質問をいただく場合があるのです。すぐ近くの席の人ならさっと何かに書いていただけば対応できるのですが、離れた方の場合はいっそLINEで書いてくださる方が手っ取り早いことがあるのです。
それで、私はいつも携帯をデスクの上に置いているのですが、関係ない所からの連絡が入ったりするので、いささか厄介な面もあります。
ともかく、そうやって、一方邸に偉い先生が講義を垂れるという感じではなく、私が
話題提供者
のようになって、受講者の方々に「ツッコミ」(笑)を入れていただくような形を取っています。
私がちょうどいい具合に出来が悪い(笑)ので、みなさんも意見が言いやすいのではないかと思っています。ほとんどの方は短歌をお詠みになりますので、文学のお話をするとやはり反応が良いのです。そもそも、そういう方だからこそ参加してくださるわけですが。
つい最近、ある方が「これまで、『源氏物語』はどうしても入り込めなかったが、この講座は話にふくらみがあるのでやって行けそうに思う」とおっしゃってくださいました。実にうまくほめてくださっているのですが、実際は「ふくらみがある」というよりは「脱線が多い」のだろうと思います。
でも、その脱線によって話を聞こうというお気持ちが進むのであれば、まんざら悪くもないかな、と思っているのですが。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/25 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
- トラックバック(0) |
- コメント(3)
- この記事のURL |
- TOP ▲
扇町公園
大阪市は八百八橋と言われて川や堀に多くの橋が架けられていました。官設のもののみならず、お金持ちの商家が架けたものもありました。しかし川や堀が埋め立てられたために名前だけが残っている橋も少なくありません。長堀も蜆川もすでになく、そこにかかっていた心斎橋や梅田橋はまさにそんな例です。『曽根崎心中』でおはつと徳兵衛が堂島から北に渡ったのが梅田橋でした。『心中天網島』の「道行名残の橋づくし」では堂島川から大川(旧淀川)にかけて架けられた大江橋や天満橋が出てきます。そしてこの道行には「落つる涙に堀川の橋も水にやひたるらん」という一節があります。
以前、大阪には堀川(天満堀川とも)という川が流れていたのです。南下する大川が都島橋あたりでやや南東側に湾曲するところで、南西側に分岐して、その分岐したのが堀川で、やがて南に向きを変えて堂島川に流れ込んでいました。ごくおおざっぱに言いますと、阪神高速道路12号線の都島橋から堂島川の範囲がその跡地ということになります。現在の地名でいう北区西天満5丁目の堀川戎神社も堀川沿いということになります。
この川は前述のように南西に流れていたのですが、梅ヶ枝橋(今も同じ名の橋がありますが、それは堀川の埋め立て後のもの)の架かっていたあたりで南に向きを変えたのです。「梅ヶ枝」はやはり菅原道真ゆかりとしてつけられた地名のようです。
そしてこの地点の北西側には現在広大な
扇町公園
があります。
先日、所用で私はこの公園の近くまで行っていましたので、ついでに公園内をいくらか歩いてみました。十月半ばにしては暑い日でしたが、とても気持ちの良い時間を過ごせました。
公園のすぐ東側には北区役所、関西テレビがあって、地下鉄扇町駅もすぐそば。少し西に行くと太融寺があります。
この広い公園は、江戸時代は刑場があったそうで、明治になると監獄が作られました。「堀川監獄」と言われました(のち、大阪監獄と改称)。当時はかなり田舎だったようで、大阪市には含まれていない地域(北野村、川崎村)だったのです。ところが次第に市街化されて大阪市に編入もされ、大正時代に監獄は堺に移転することになりました。現在の大阪刑務所です。
移転後の土地は折しも都市には公園が必要という意識の高まりと合致して公園にすることになったようです。時の大阪市長は、歴代の市長の中でももっとも有名な
関一(せき はじめ)さん
でした。関さんは都市計画学者として知られた人で、東京高等商業学校(現在の一橋大学)の教授をなさっていました。その後大阪市の助役から市長になり(高商教授から大阪市の助役になるのは普通なら格が下がると意識されるはずで、実際あの渋沢栄一から「やめておけ」といわれたそうです)、「大大阪時代」の立役者になった人です。当時、大阪市は国内最高の人口を持つ、文字どおりの大都市だったのです。この人は、大阪市バス、大阪市営地下鉄の運航を始め、御堂筋を拡幅し、中央卸売市場を設け、市民病院を建て、大阪商科大学(のちの大阪市立大学)を開学させるなど、数々の都市政策を実行しました。「知るも知らぬも逢坂の関」という『百人一首』の歌をもじって「知るも知らぬも大阪の関」として都市計画の鑑とされたそうです。御堂筋の拡幅については反対意見も多かったそうですが、今思えば、未来を見据えた都市計画として、すばらしいものだったと思います。ちなみに、関さんが助役になった時の市長は池上四郎さんで、この人の娘が結婚して川嶋紀子(いとこ)さんとなった方。その息子さんが経済学者の辰彦さん、そして孫が川嶋紀子(きこ)さん、すなわち文仁親王の奥さんです。
扇町公園はその関一さん時代のもので、今なお都市のオアシスとして市民に愛されているようです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/24 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
昭和の文楽(2)
まだまだ何もわからずに観ていた文楽でした。しかし、次々に「初めて観る演目」をクリアして、次第に二度目、三度目を観るようになりました。こうなるとほんとうにおもしろくなってきます。前回見た時とどう違うのかを楽しめるからです。それは演者さんの違いであると同時に私自身の成長と言うか、年齢を少しでも重ねたことによる違いなのです。繰り返すことで味わいが変わったり深まったりします。伝統芸能に限ったことではないと思うのですが、繰り返し観ることで観かたが変わることはよくあることです。絵だって音楽だって同じだと思います。
国立文楽劇場ができたのは1984年。開場公演には、当時付き合っていた(笑)女の子と観に行きました。「すしや」の長大さに、彼女はばててしまって、それ以後は一度『曽根崎心中』に付き合ってくれた(これならあっという間に終わりますから)だけで、
文楽ファン
にはできませんでした。最初に見せたのが大物過ぎたかもしれません。
文楽劇場ができたころからはほんとうに熱心に観るようになりました。一度も欠かすことなく、公演の前半と後半に一度ずつ観ることもしばしばでした。
文楽劇場の開場公演の『千本』の通しでは、津太夫師匠の二段目、越路師匠の三段目、織さん(九代綱、九代源)の四段目。南部師匠は道行のシン、文字さん(七代住)は『三番叟』の翁でした。玉男師匠が権太と知盛、勘十郎師匠が狐忠信、簔助さんが静御前と維盛、文雀さんが弥左衛門、清十郎師匠はすでにご病気が重く、初日に顔を出されただけで、私が拝見したお里は代役の一暢さんでした。玉五郎さんもまだお元気で、弥左衛門女房をなさいました。若手では、
五代呂太夫さん
の「すしや」の「後」もよく覚えています。「よーしぃのーに、のこーる、めぇぇえぇぇいぃぶぅつぅに」というところのみごとだったこと。嶋さんは四段目の中、小松さんは『三番叟』の千歳、咲さんは「幽霊」(渡海屋の中)でした。
こうやって書いているだけでありありとあの当時のことが思い浮かびます。
昭和はもうすぐ終わろうとしていたのですが、もちろん当時の人はそんなことは想像していません。しかし、四代津、五代南部、四代重造、叶太郎、二代勘十郎、四代清十郎らが亡くなり、平成元年春に越路師匠が引退されたことをもって名実ともに「昭和の文楽」は終わったのだと思います。
そしてそれは私の青春の終わりだったのかもしれません。しかし、私の文楽との、なかば仕事のようなお付き合いは、昭和の終焉によって始まったとも言えるのでした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/23 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
昭和の文楽(1)
たまには文楽の思い出話を。
私が初めて文楽を見たのは1970年代の半ばだったと思います。ただ、なさけないことにその頃のことはあまり厳密には覚えておらず、ただ伝統芸能は知っておいた方が良いから、という程度の見かたで、文楽に夢中になる日が来るとも思っていませんでした。どういう技芸員さんがいらっしゃるのかもわからずどういう技芸がすばらしいのかもわかりませんでした。人形なんて誰が遣っても同じだろうという程度に考えていました。
ですから、最初に観たり聴いたりした技芸員さんのことはほぼ覚えていないのです。おそらくまだ三代相生太夫、六代寛治、二代喜左衛門、十代弥七などという人はいらっしゃったのでしょうが、その実演についてはまったく覚えていません。四代越路、四代津と言ったあたりの太夫さんが円熟する一歩前というか、一番脂の乗っていた頃だろうと思います。津太夫さんの豪快な語りはさすがによく覚えています。人形では、二代目栄三はもういらっしゃらなかったかもしれませんが、初代玉男、二代勘十郎、四代清十郎、三代簔助らの気鋭の人たちが中心となり、四代目亀松、二代目玉五郎らももちろん健在で、この人たちはもちろんよく覚えています。
当時、大阪の本拠地は朝日座。東京はすでに国立劇場がありました。道頓堀にはもちろんまだ中座もあり、寄席の角座もあって、まだ芝居町の面影を残していた頃でした。「大阪には
こういう文化がある」
ということを誇れた時代ともいえるでしょう。
朝日座は閑古鳥の鳴く頃で、もうやっていけない、という時期に差し掛かっていて、国立劇場を建ててもらおうという動きが、大阪府、市、関西財界、学界などによって起こされていました。大阪府市が文楽の支援をするなんて、今の若者は信じられないのでしょうか。まだ大阪の政治家にも文化への理解のある人が多かった頃でした。
文楽なんて支援するお金はない、などと市民を煽る今どきの政治家のような考えは頭の片隅にもない人たちが大阪を支えていたのです。
朝日座時代に観た演目でよく覚えているのは『義経千本桜』「すしや」でした。やはり太夫さん、三味線さんは覚えておらず、人形は初代玉男が権太、これはもうはっきり覚えているのです。そして四代清十郎が維盛だったような、これはややあやふやな記憶しかありません。お里は、弥左衛門は、梶原は・・などはまったくわかりません。
もうひとつ明確に覚えている舞台は
『心中天の網島』
で、これは越路太夫・清治の「河庄」。人形はおそらく初代玉男、三代簔助の忠兵衛と梅川。孫右衛門は二代勘十郎だったのではないかと思います。こういう舞台にめぐり合えたのは至福としか言いようがありません。
四代清十郎さんで覚えているのは意外にも『曽根崎心中』の徳兵衛。あとでお弟子さんの清五郎さんにうかがったところでは「師匠の徳兵衛は一度きりでした」とのこと。この徳兵衛の道行がよかったのです。ドナルド・キーンさんが「道行の徳兵衛は背が高くなる」といったように、頼りない男ではなく、愛の崇高さを体現するような徳兵衛でした。
「熊谷陣屋」は津太夫。これはもう、息も継がせぬ大熱演で、終わると思わず「ほーっ」と声が出そうになりました。「もしまた敦盛生き返り」など、西洋風のドレミファ音程でいうならあまり正確ではなかったのかもしれませんが、そんなことはおかまいなし。ほかにも「盛綱陣屋」「弁慶上使」などは劇場の天井を震わせるような凄絶な語りでした。「沼津」ではほんとうに泣きました。
当時の私はまだ文楽の技芸の良しあし、義太夫節の何たるかなどまるで理解していませんでしたから、「へた」な人は分からないのですが、「うまい」人はよくわかったような気がします。
当時はテレビでもしばしば放送がありましたので、チラチラと見ていましたが、まだビデオが普及しておらず、録画できないころでした。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/22 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
お歯黒
昔の人の習慣には不思議なものがあります。江戸時代の女性は既婚者と未婚者で外見を変えました。結婚すると歯を黒く染め、眉を落としました。あのお歯黒(鉄漿)というのは、今から見ると不気味ですらありますが、あれを付けることによってやんちゃな娘ではない、おっとりとした大人の女性を感じさせる意味があったようです。
文楽人形でも、「娘」首の人形は眉がくっきりして白い歯が覗いていますが、「老女形」になると眉は青く剃りあとが見えて口もとも白くありません。
今ではまずお歯黒をする人はまずいませんが、祇園では舞妓さんが襟替え(芸妓になって白衿にする)をして芸妓になるときにしばらくお歯黒をします。不思議なことに、芸妓さんがお歯黒をしていても気味が悪いという感じはしません。さすがは芸の人だと思います。
酢酸鉄を歯につけて、タンニンを多く含む
五倍子粉(ふしこ)
を塗ることで定着させたようです。成人の証であり、一方で虫歯を防ぐ効果もあったとされます。私は化学が大の苦手ですので、タンニンが酢酸第一鉄と結びついて黒くなってしかも定着すると言われても、理屈についてはよくわかりません。
鉄を用いる方法は中国から伝わったもので、鑑真和上が伝えたとも言われます。
平安時代の貴族はやはり眉を落としてお歯黒も男女ともに成人の儀式で用いました。
映画『かぐやひめの物語』では、教育係の相模という女房が眉を抜こうと姫に迫ります。すると姫は「眉がないと汗が目に入る」「歯が黒いと笑えない」といって拒否します。人間が生きていくうえで汗を流し、笑うのはどちらも重要なこと。それを不可能にするような「成人の儀式」などくだらない、というわけです。
汗を流して友だちと笑い合った
山での生活
を否定されるのも同然です。
姫は「なよたけのかぐや姫」と名付けられたのですが、その祝宴においてひどい疎外感を覚えたうえに侮蔑を受けて山に逃げます。しかし山はすでに変わり果てて捨丸たちもいませんでした。かぐや姫は炭焼きの老人(この老人、わずかな場面の実に乙上する、言わばチョイ役ですが、声は仲代達也氏。にこりともしない重い人物です)に山は死んだのではなく、今はじっと我慢をしてやがて巡ってくる春を待つのだと教わります。夢だったのか、うつつだったのか、ふと気づくとかぐや姫は都にいます。そして眉を抜き、歯を染める決意をするのです。
なお、やはり映画としては見栄えが大事ですので、その後のかぐや姫は相変わらず白い歯で登場します。このあたりは「映画のうそ」として許容されることだと思います。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/21 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
ダイソーでの買い物
車が壊れてから、大きなもの、重いものを買うのが億劫になりました。以前なら10㎏の米を買ったりしていましたが、最近は2㎏が精一杯です。24本入りのビールのケース買いなんて遥か昔の夢幻です(笑)。もっともこちらは重いからというより、貧乏生活には贅沢なので飲むのをやめただけですが。
2㎏の米も、近所の店で買わないと重いうえに目立ちますのでいささか恥ずかしい(笑)です。トイレットペーパーは軽いですが嵩がありますので、やはり持って帰るときに人目を気にしてしまいます。
車は便利だったなぁ・・。
もうひとつ、嵩のあるものとして、
培養土
を買う時が困るのです。20ℓのものなら「軽い培養土」と銘打っているものでも長い時間持ち歩くのは大変です。袋の表面も土汚れがいくらかありそうですので抱えて帰るわけにもいかず、どうしようもありません。
先日、イチゴを植える時にあと2ℓくらい土が足らず、困ってしまいました。やはりある程度の量の土に植えてやらないとうまく根が張れませんから、どうしたものかと思いました。それくらいの量の入っている小さめの袋なら手に持って帰れますが、いつも行くホームセンターは徒歩25分で、いささか面倒です。ほかにもいくつか植物の種や苗を扱っている店はあるのですが、微妙に遠いのです。そこで、ふと、100円ショップに売っている培養土はどうだろうかと思いつきました。やはり品質は劣るといわれ、コバエの卵がついていた、などという話もネット上では見かけます。たしかに、あまり安いものはリスクがあって当然とも言えそうです。
そもそも私は100円ショップというのを平素から使うことがありませんので、感覚的にも
品質の良しあし
はわかりません。
しかし、まあとにかく行ってみようというわけで、先日近くにある「ダイソー」に行ってみました。品ぞろえは多岐にわたり、独自ブランドでよくもこれだけ作れるものだと感心します。
以前ここで9㎝の育苗ポットを買ったことがあるのですが、それが70個で100円でした。中国産ということでしたが、安すぎではなないかと気になりました。ただ、貧乏人根性でつい買ってしまったのですが(笑)。今回も同じところに相変わらず70個100円で売っていました。たしかに原価は安いでしょうが、それにしても・・。
そして、その売り場のそばに「培養土2ℓ」というのがありました。見たところちょうどほどよい量でした。産地は和歌山県とのこと。どうしようかな、と思いつつ、ついでに欲しかったものと一緒に(この「ついでに」と思わせるところが100円ショップの商法なのだと思います)買ってみたのです。
持ち帰ってプランターに入れてみると、少し多すぎるくらいで十分な量でした。では質は? これでイチゴが育ってくれれば問題ないのですが・・。
100円ショップは安さの驚きと一抹の不安が同居してちょっとスリリングです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/20 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
しなる枝
両親のうちのどちらの趣味だったのかは知らないのですが、ずいぶん前から家にゆずの木が植えられています。
いつごろ植えたのかも知らないのですが、もし父であれば少なくとも30年以上は経つはずです。
私は特に関心がなくて、いつも熟した実が落ちて地面を汚している、という程度の印象しかありません。使うとすれば冬至に湯船に浮かべるくらいしか覚えておらず、やはり何か料理に使っていたのだろうな、という程度の子年かわからないのです。
そのゆず、昨年はまったく実が生らず、もうダメなのかな、と思っていました。葉もきれいではなく、アゲハの幼虫にずいぶんかじられたりもしていました。そうなるとあまのじゃくな私はこれまで放置していたのに気になり始め、肥料を与えたり虫を遠ざけたりしていたのです。だからというわけでもないのでしょうが、今年はとても多くの花が咲き、その結果として実も生っています。
ただ、この秋は
カメムシ
が大量発生しているという話で、気になっています(今のところは無事です)。
実はこれでもかといくらいたくさん生っていて、きちんと数えたわけではないのですが、ざっと見ただけでも50個はあります。
こうなると、実の重さで枝がしなって、毎日のように枝が下がってくるようになりました。こういう場合、どうすれば良いのか私にはわかりません。青柚子の状態で摘果して木の負担を軽くすべきなのかとも思うのですが、その実をどうするのかということになると知恵がありません。もちろん調べればいろいろ出てくるのですが、この
不器用な
私に何ができるというのでしょうか(笑)。
今のところはたわわに実った多くのゆずを見守っているばかりで、早く熟してくれないかと気をもんでいます。
熟したらどうするのかと言われても、また悩むのですが、一度「ゆず酒」を造ってみたいとは思います。以前梅酒を作った時の瓶がありますので、これを使えば何とかなるのではないかと思っています。しかしあの大量の実はどうすれば良いのか、また落ちて地面を汚すだけなのでしょうか・・・。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/19 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
パーティ、宴会
学校でそれぞれに興味のあることをする集まりを、今は「部活」「部活動」と言っているようです。しかし昔はそうは言わず「クラブ活動」略して「クラブ」と称していました。
この言葉を使う人はかなり古いだろうと思います。どれくらいの年代以上なのでしょうか。
この秋、懐かしい集まりをしませんか、というお誘いをいただきました。なんと、高校時代の後輩からのお誘いでした。驚いたことに、往復はがきでのお誘いで、いかにも昭和の人たちの集まり(笑)だと思いました。でも、あの往復はがきというのは、欠席する場合でも近況を自筆で書くことがありますから、当日それを持っていけば参加者が回し読みをして「相変わらず汚い字だ」「性格が出た文章だ」などと話のネタにしてもらえる可能性があるでしょう。メールやLINEを知っていればそれで済ませばお金もかからないし早く返事ももらえます。でも、仮に「近況報告」をプリントアウトして持って行っても、昭和世代の人にとってはあまりおもしろみはないように思います。
何人くらい集まるのかは知らなかったのですが、どうも私より2~3年下の人たちが企画したようです。
「クラブ活動」、今でいう「部活」のOB・OG会です。
せっかく呼んでいただいたのですが、私はどうしても参加するのが億劫で、お断りしていしまいました。
顔だけでも出せばよかった、というのはよくわかるのですが、本当に顔だけ出して
「では、さようなら」
とお別れするわけにもいかないでしょう。
そうなると、とても大きなストレスを抱えてしまうことになり、その集まりが終わった後は体調が悪くなることは目に見えています。こちらから一方的に話すのは平気なのですが、今なお大勢の人の中に入って2時間なり3時間なりを過ごすのは苦手、というよりは苦痛そのものなのです。
以前もここで書いたことがあるのですが私はパーティ、宴会の類はほとんど失礼しています。
忘年会なんてもう25年くらいご無沙汰しています。
雑誌『上方芸能』
の「望年会」(「忘」の字を使わないところがこの雑誌の特徴でした)以来なのです。まだ森西真弓由美編集長時代で。私が「文楽評」を連載するようになった前後に参加したのでした。
それ以後は忘年会、新年会、歓迎会、送別会の類は一切参加しておらず、誠に付き合いが悪いのです。
職場で嫌われたのも当然(笑)と言えます。
結局あのクラブOB・OG会はどれくらい集まってどれほど楽しかったのか、私は全く知りません。盛会であったのならいいのですが、と無責任ながら思います。
後輩の皆さん本当にごめんなさい、という気持ちでいっぱいです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/18 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
くじる
『竹取物語』の冒頭近くに、かぐや姫の美貌の噂を聞いた男たちが我も我もと集まってきた話が書かれています。彼らは夜も寝られず、闇の中で「穴をくじり、垣間見」て心を乱しています。「くじる」というのは、穴をあける、えぐる、えぐって中にあるものをとる、ということです。「抉(る)」という漢字が当てられます。男たちは、闇夜に見えるわけがないのに、塀に穴をあけてかぐや姫のいる家の中を覗こうとしたのです。でばがめ、Peeping Tomですね。
何か小さい穴が開いていると、そこに細い棒のようなものを入れてその穴を大きくしたいという欲望は多くの人にあるのではないでしょうか。やめておけばいいのに、つい穴を大きくしたために叱られたり、弁償させられたりというひどい目に遭う可能性もあるでしょう。けがをしてかさぶたができると、放っておけばいいのに無理やり取ろうとして結局また出血してしまうというのに似ています。
今年は「(衆議院を)解散するぞ、解散するぞサギ」がよく飛んでいます。
議員諸君はいつどうなるかわからないと、「鷺よ飛ぶな」「もう少し待ってくれ」「そろそろ飛んでくれ」「いますぐにでも」と自分のことに必死になっている人も少なくないことでしょう。
しかし何度考えても、私はあの
7条解散
というのが理解できません。1952年と言いますからさすがの私もまだ生まれていない頃、吉田茂氏が内閣総理大臣であったときに、鳩山一郎氏との争いなど党内抗争が激しくなりつつあったため、抜き打ち解散をおこなったのが七条解散の「元祖」なのだとか。昭和天皇に内閣から解散を
助言
して、認めさせるという曲芸のようなことをしたようです。
これは便利な前例ができたというので、それからはほんとうにこんなことをしてよいのかなんて反省することなく、いつのまにやら「首相の専権事項」といういかにももっともらしい言葉まで作って100年前から決まっていたかのようにその「専権」とやらを振り回すのがあたりまえになりました。
どこかに法の抜け穴はないかと探したら、ほんのわずかに小さながほころびらしきものが見えたので、それを「くじる」ことで大きくして天下の大法にしてしまったかのようです。
でも、闇の中でそんなことをしても正しいものは何も見えてきません。
誰か頭のいい人が「専権事項なんて大ウソだ!」と『裸の王様』のように言ってくれないものかと思っています。
『竹取物語』で穴をくじり垣間見をしていた求婚者たちは、やがて二人が消え、三人が去り、あれよあれよという間に数が減って、かろうじて残った五人の貴公子もすべて虚しい結果に終わるのです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/17 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2022年度国語に関する世論調査(3)
2022年度の「国語に関する世論調査」は、一見昨年のデータのように思われるかもしれませんが、実際には2023年の1月から3月にかけておこなわれた、最新のものなのです。
このときの調査は「国語とコミュニケーションに関する意識」「ローマ字表記に関する意識」「言葉遣いに対する印象や慣用句等の理解」の三項目に大別されています。そのうちの三つ目について少し書いておきます。
「異様だと感じてあきれる」意味の「引く」
「より良く見せようとする」意味の「盛る」
「冗談などがつまらない」意味の「寒い」
「気に入って応援している人や物」の意味の「推し」
「どうしようもなくなった」という意味の「詰んだ」
について使うかどうか、ほかの人が使っているかどうかが調べられました。
まず「使うことがある」と答えた人は、
「引く」が70.0%
「盛る」が53.3%
「寒い」が50.2%
「推し」が49.8%
「詰んだ」が30.5%
だったそうです。
一方、ほかの人が使っているのが気にならないと答えた人は、順に83.4%、80.6%、78.7%、82.1%、66.5%でした。ちなみに、私はこの5つの言葉を日常的には一切使っていません。その一方、すべて気になります。ただし、若者が使っている場合は、逆にすべて気になりません。どうやら私は
「微妙なお年頃」(笑)
のようです
60代の人で「引く」を使う人は69%、「寒い」は46.5%、「盛る」は42.8%、「推し」は40.8%、「詰んだ」は11.3%。一方20代では順に90.9%、65.9%、89.4%、84%、79.5%だったそうです。「詰んだ」の差がきわめて高く、「盛る」「推し」もそれぞれ20代は60代の2倍を超えています。
私が感じるところでは、「盛る」にせよ「推し」にせよ、若者が使っていた言葉を高齢層が真似るような形ではないかと思うのです。私は「盛る」に当たる言葉自体を使いません。それをひとことで表現したのはなかなかうまく言ったものだと感心しています。「推し」は私の使う言葉に当てはめると、もっとも近いものはおそらく
「贔屓」
だと思います。「私は六代目松鶴を贔屓にしていました」という感じです。自分が推薦することを「プッシュする」と表現したことが一時よくありましたが、それとの関係があるのかな、と思わないでもありません。
若者から言葉が変わる歴史は古いものだと思います。いつもそうやって言葉のクリエーターたちが新しいものを築いてきました。破壊して建設してその中から世代を超えて使われるようになったものだけが生き残ったのだと思います。
なお、この世論調査は6,000人を対象にして、2020年からは郵送形式でおこなわれました(それ以前は面接聴取法)が、回答したのは3,579人(回答率は59.7%)だったそうです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/16 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2022年度国語に関する世論調査(2)
もう少し、2022年度の国語に関する世論調査の話を続けます。
「言葉の意味や使い方がわからないとき、調べたり確かめたりしますか」という問いに対しては「する」が28.8%、「時々する」が54.3%、合計では83%でした。特に、20代、30代では90%以上の人が「する」派でした。
私はもちろん「する」です。知らない言葉があると悔しくて(笑)、紙の国語辞典やパソコンを使って調べます。しかし、今どき紙の辞書を持っている人は多くなく、この調査(複数回答)でも「紙の辞書で調べる」と答えた人は26.7%でした。一番多いのは「インターネットの検索サイト」で63.2%、パソコン、スマホなどの辞書ソフト、アプリがそれに次いで39.8%でした。かつて一世を風靡した電子辞書は10.5%になってしまいました。「紙の辞書で調べる」は、年齢別では70代以上が圧倒的に多く、次いで60代、50代、40代、10代、30代で、最低は20代の4.3%でした。10代がそれを上回っているのは、やはり高校で辞書を使うことがあるからかもしれません。かつては
広辞苑
などの大きめの国語辞典を置いていた家庭もあったはずですが、今やそういう辞書は図書館くらいにしか見当たらないかもしれません。ちなみに、私も広辞苑は持っていません(ただし、日本国語大辞典を持っています)。
「生活に必要な情報の入手先は何ですか」という問いもありました。選択肢としては「テレビ」「スマホや携帯電話」「パソコン」「新聞」「ラジオ」「チラシ・ビラ・広告」「雑誌」「本や辞典」「タブレット」「スマートスピーカー」「ウェアラブル端末」があり、3つまで選ぶようになっています。
私の場合は「本や辞典」「スマホ」「新聞」だと思います。パソコンはその次に来そうです。
ところが調査では一番多いのが「テレビ」、僅差で「スマホ・携帯」でした。やはり今なおテレビは情報を知る最高の手段なのですね。そのあとはかなり数字に差があるのですが、「新聞」「パソコン」「チラシ・ビラ・広告」「雑誌」「本や辞典」・・・と続きます。過去の、2003年度、2010年度、2017年度の同じ調査に比べると、「テレビ」と「新聞」はかなり減っていて、「スマホ・携帯」が
大躍進
しています。特に新聞は2003年度調査の半分強にまで減っているのです(ただし調査方法は変わっている)。「ラジオ」「雑誌」「チラシ・ビラ・広告」もかなり減っています。
年齢別では、「新聞」と答えた人は70代以上が圧倒的で、年代が下がるにつれて減っていきます。10代が20代より少し多いのですがこれも学校との関係がありそうです。「テレビ」「ラジオ」もまったく同じ傾向、「スマホ・携帯」は逆の傾向です。
今後も、スマホはまだしばらくは伸び続け、「新聞」「雑誌」「ラジオ」などは凋落していくのではないでしょうか。
前述の「情報の入手先」の中で、言葉遣いにもっとも影響を与えるのは何ですか」という問いもあります。圧倒的なのは「テレビ」。これは過去の調査でも極めて多い数字で、テレビの言葉遣いへの影響力は看過できないものがあります。「スマホ・携帯」はやはり激増しています。最近はTikTokのような動画が大流行し、そこで使われる言葉も影響が強いのではないでしょうか。テレビはまだ正確さの規制もあるでしょうが、TikTokやYouTubeなどではある程度野放しですから、かなりひどい日本語も往々にして見られます。私は字幕を入れた動画をしばしば観ているのですが、かなりひどいものです(自動で入る字幕を用いているから、という事情もありそうですが)。それがまたおもしろいのかもしれないのですが、笑って済ませるのはいささか恐ろしいのです。では「言葉遣いに影響を与える媒体」を若い世代はどう考えているのかというと、最も多いのはやはり「スマホ・携帯」で、「テレビ」と答えた人は10代では69%にとどまりました。年齢の高い人ほどにはテレビを観ませんから、どうしてもそうなるのでしょう。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/15 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(3)
- この記事のURL |
- TOP ▲
2022年度国語に関する世論調査(1)
先月29日に文化庁が「2022年度 国語に関する世論調査」の結果を発表しました。
言葉は揺れ動きながら徐々に変化するものですから、決して昔ながらの言い方にこだわることはないのです。そんなことを言っていたら、名月を見たら「いとをかし」と言わなければ不正確だ、などということになってしまいます。変化するのはあたりまえのことなのです。
ただ、極めて狭い範囲でした通用していない言葉をあたかも万人が理解しているかのように思って使用するのはいかがなものかと思います。「若者言葉」「ビジネス言葉」「コンビニ敬語」などといわれる、一種の
方言
のようなものがそれにあたります。この中で一番定着しやすいのは「若者言葉」かも知れません。若者が使い始めて次第に上の世代に広がっていくことはよくあります。俗に「ら抜き言葉」と言われるものもそうでしょう。今やかなりの高齢層でも「朝早く起きれない」と言っており、もうこの言い方が正しい用法と認められるのは時間の問題だと思います。私がいくら「起きられます」と言い続けても、誰もが「変な言い方!」といって嗤う日が来るでしょう。
さて、この調査で「ふだん、あなたは自分の言葉の使い方に気を使っていますか」という質問に対して「気を使っている」と答えた人は「非常に」「ある程度」を合わせると80.4%に達するそうです。1997年度、2004年度、2011年度にも同じ調査があったのですが、その結果は67.3%、70.6%、77.9%で次第に「気を使っている」人が増えてきて、今回はついに80%を超えたのです(ただし、2019年度以降調査方法が郵送方式に変わっているため、安易には比較できないそうです)。
そして、もっとも「気を使っている」と答えた世代は
20代
なのです。社会人になったものの、まだ下っ端で、上司に対していろいろ気を使うのでしょうね。続いて50代、40代、60代、30代、10代(16~19歳)で、一番気を使わないのは最年長世代で周りは年少者が多い70代以上だそうです。
気を使うのは具体的にどういうところか、というと「改まった場でその場にふさわしい言葉遣いをする」「敬語を適切に使う」が上位に来ています。ただし、敬語については10代がもっとも低く、これは彼らが普段接する人の多くが同年代であることによるのかもしれません。先生に対しても「敬語を使わない方が親しみがある」と感じている人は少なくないでしょう。特に高校生であればまだまだ「敬語馴れ」していないと思います。
なお、70代以上の人はやはり「その場にふさわしい言葉」も「適切な敬語」も使わない人が多いのです。リタイアして人間関係が複雑でなくなることも大きいのではないでしょうか。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/14 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
初代国立劇場大千秋楽
9月におこなわれた文楽東京公演で、初代の国立劇場での公演は終止符が打たれました。私などはからだが大きいので国立の座席はいささか窮屈、特に前の席に膝がぶつかってしまうのでけっこう難行苦行でした。あと5㎝広ければ、と思ったことがあります。
いろいろな設備が老朽化しているというのが建て替えの理由だというのですが、それなら同じ規模のものを作れば手っ取り早くできそうなのに、実際はホテルだの何だのを併せて作る、「儲かる施設」にするようです。規模が大きくなりますから、時間もかなりかかりそうで、当初の完成見込みがあとにずれ込んでしまいそうな様子です。12月は足立区千住のシアター1010で通常公演と鑑賞教室、社会人のための鑑賞教室がおこなわれるようですが、当分の間はこのような
間借り公演
が続きます。シアター1010の観客席は1,2階で合わせて701人が定員。1階だけですと553人だそうで、これが国立小劇場と同じくらいの人数です。文楽を2階から観る(というより覗き込む)のはやはりまともな鑑賞の仕方ではないのですが、チケットの販売はなさるのでしょうね。客席の前列はちょうど床を作れるような形になっていますので床を作っても定員は減らないように思えます。両床もできそうに見えます。
さて、9月の千秋楽の日はカーテンコールもあったそうで、呂太夫師匠がいつもの快活な口調で「また新しい国立劇場で会いましょう」というようなことをおっしゃったとか。もちろんお客さんにはそれまでにシアター1010などに来ていただかなくてはならないわけですが。
2回に分けて『菅原伝授手習鑑』を上演されたのは当世ならこれで精一杯ということになるでしょう。たとえところどころ抜ける4段目まででも1日で上演するのは難しいでしょうから。
公演のあとにはロビーにまた技芸員さんが出てこられたように聞いています。その日いらっしゃった方はチケットが安く感じられたかもしれません。
さて、そのあと、25日には文楽祭と銘打った公演もあったそうで、
天地会
もおこなわれたようです。前回の天地会は、もう20年以上前におこなわれた大阪でのものでしょうか。あのときは「野崎村」(それ以前に「尼崎」もありました)でしたが、今回は「寺子屋」だったとか。これはもう、技芸員さんのエンターテイナーとしての素養が生きるものでしょう。中には恥ずかしそうに逃げ腰でなさるかたもあって、それもまたご愛敬だろうと思います。
正倉院をモデルにしたという国立劇場は、外見上はあまりぱっとしない(笑)印象もありましたが、約50年間文楽の東京の本拠になってくれました。以前も書きましたが、私も客席から楽屋、床山さん、食堂までお邪魔してはいろいろな思い出を作ることができました。
親が芝公園のマンションにいたときは、「東京は第二の家」でしたが、もうそのマンションは人手に渡り、それ以後は一気に出かける回数が減りました。そしてこのたびの国立劇場の建て替えによってまた東京が遠くなりました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/13 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
文化を語ろう
今から20年以上前のこと、私が勤務していた短期大学で学会を開催することになりました。その分野に関係している教員は私ともう一人高齢の大先生でした。となると、現場で走り回らねばならないのは私です。
近くの駅から会場までの案内を簡単に矢印であちこちに貼ったり外したり、トイレの案内、マイクの設定、懇親会の案内、後片付けなどを、手伝ってくれた事務職員さんと一緒に引き受けたりしました。大先生は懇親会担当で、事務から費用の援助をもらうという大事な役割(!)がありました。その先生いわく、「学会の成否は
懇親会の料理と費用の格差
で決まる」とのことでした。つまり、値段の割にいいものが出た、と思わせたら成功だ、というわけです。きわめて現実的で反論のしようもなく、「学問的な会が成立したらあとはどうぞご勝手に」と思っていた私の「お花畑的」な考え方など吹っ飛ばされました。
私はあの懇親会というのが苦手なのですが、さりとて参加しないわけにはいかず、後片付けをしてから遅れて出かけました。大先生のテーブルには行かず、同年代か少し上くらいの人が集まっているところにもぐりこんだのです。
当時からすでに国文科は消え去る運命にあると言われており、話題はどうしてもそこに集中していました。すると、ある若手の先生が「国文科をなくすなんてどういうことだ、自分たちの文化を語らずに大学なんて存在しえないじゃないか」とおっしゃり、そのテーブルでは
「そうだそうだ」
の声が次々に挙がったのです。ただ、自分たちの専門分野が危機的な状況にあるだけに、その賛同の声はむなしい悲鳴のようにも聞こえました。とりわけ切実だったのは小さな短期大学の国文科の若手教員でした。私なんてまさにそのひとりで、そのとき案じていたとおり短期大学は廃学になったのです。
その後私は窓際的な仕事をすることになってしまうのですが、皮肉なことに、窓際族になってあらためてかの若手先生がおっしゃった「文化を語る」ことの大切さを感じることになりました。あれ以後、学校が
「規則」と「お金」
ばかりの発想になって、なんともつまらない無機的な建物と化してしまったように思えてならないのです。資格を取るためにはこれだけのことをしなければならない、成績が伴わねば資格試験を受けることも許されない、オープンキャンパスではいかにも簡単にあれこれ資格が取れるように言っていたのに現実は違う・・などと学生さんも不満を言うことが増えました。資格取得目的学校になるとどうしてもそういうことが起こるのです。そういえば、私が担当していた日本文化の授業もなぜか閉鎖されてしまいました。
お金のことは分からないことも多いので言いたくありませんが、「何でも倹約」という考え方が学生サービスの低下を生んでいることだけは私も目の当たりにしました。
もちろん文化というのは、文学、美術、音楽、演劇・映画などの芸術だけを指すのではありません。日常の言葉、スポーツ、食生活、衣服、建築、宗教など、さまざまなことに言及しなければなりません。でも、もうそんなことを語る場はあまり多くはないのです。
文化に関わる大学の先生方にはどうか頑張っていただきたいです。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/12 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
「今だけ、金だけ、自分だけ」
元農水官僚で東京大学の教授になった、つまりエリートの王道を行くような(笑)鈴木宣弘さん(農業経済学)の『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(2013年 文春新書)に「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉が出てきて、当時から話題になりました。
食べるものなんて、どうしても「自分さえよければ」「自分さえ空腹を満たせれば」という気になるでしょうね。戦後まもなく、食糧難がひどかったころ、人々は闇市で法的には問題のあるヤミ米を手に入れることで生き延びてきました。しかし山口良忠さん(1913~47)という裁判官が食管法(食糧管理法)に違反するヤミ米をたべることを拒否して30代前半にして栄養失調で亡くなるというできごとがありました。この話は多くの人にショックを与えたらしく、当時から、「そんな法律にこだわる方がおかしい」「馬鹿正直すぎる」という批判的な意見もあった反面、法を守るべき裁判官として称賛する声も少なくなかったようです。私がその立場ならどうしたか、と考えると、おそらくヤミ米に手は出しただろうと思います。しかし同時に、とても嫌な気持ちは抱いただろうと、いい格好をしておきます。山口さんは「嫌な気持ち」どころではなく、法を守る信念を貫き通したわけで、少なくとも「自分だけ」という発想はなかったのだろう、と言えるのではないでしょうか。
鈴木宣弘さんの本に戻ります。私は鈴木さんのご専門の農業経済学なるものについてはよくわかりません。しかしそういうことを切り離して、きわめて簡潔な「今だけ、金だけ、自分だけ」という言葉で、
現代の問題点
をうまく言いあらわされたことについては感心してきました。
そして少し前に、池内了さんの本を読んでいると、唐突にこの言葉が出てきたので驚きました。それは新型コロナウイルス感染症のことをお書きになっている文章でした(もともとは中日新聞に発表されたもの)。そこで池内さんは自国ファーストの政策をとる各国政府のやりたかについて批判的にこの言葉を用いていらっしゃったのです。
具体的には、診療機材を他国よりも高い値段で独占的に輸入しようという動きについて批判なさっていました。国民の危機なのにそんなこと、言ってられないだろ、自国民を守ることこそ政府の役割だ、という意見もわかります。日本政府はワクチンだってありあまるほど(実際、かなり廃棄されたようです)買っていました。もし不足しようものなら大変な批判を受けることになったのかもしれません。それでも、困ったときは
何をしてもかまわないのではない
という理屈だけは忘れてはならないと思っています。
今だけ、という発想は、つまり歴史的なものの見方ができないということでしょう。過去のこと、未来のことを考えずに、朝三暮四の思考でものごとを判断すると必ず破綻します。金だけ、というのは、人と人との信頼だとか、人を思いやる気持ちだとか、そういうことをないがしろにしてでもお金さえあればそれでいい、お金が儲かるならそれでいいという考えにつながるでしょう。自分だけ、というのはもう言わずもがなで、他人が不幸になることなど見て見ぬふりをしてでも自分の利益を得ようとするわけで、これが極端になると詐欺、どろぼうの類になるのです。
私も聖人君子ではありませんので自分本位になることがあります。山口裁判官のようなことはきっとできないでしょう。それなのに勝手なことを言いますが、権力を持つ者は「今だけ、金だけ、自分だけ」になってほしくはないのです。歴史を学ばぬ政府、拝金主義の政府、詐欺まがいの政府などは御免蒙りたいものです。もちろん政府に限りません。企業だろうと学校だろうと、権力者に関しては同じことが言えると思っています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/11 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(2)
- この記事のURL |
- TOP ▲
寺田寅彦の予言
夏目漱石というのはどんな人だったのか、私はこの文豪についてあまり勉強したことがなくよくは知らないのです。それでも、彼に師事する人が多かったのは事実で、きっと教師、指導者としてもすぐれていたのだろうと想像しています。「漱石文化圏」とでもいうものが存在していたかのように、多方面の人に影響を与え、また交流もしていたようです。漱石を頂点とした門下生の一群は
漱石山脈
とすら呼ばれています。小宮豊隆、鈴木三重吉、内田百閒、安倍能成、久米正雄、芥川龍之介、中勘助、岩波茂雄らの知識人、作家が漱石を慕ったものと思われます。その中には物理学者の寺田寅彦(1878~1935)もいました。
寅彦の熊本の第五高等学校時代に英語教師だったのが漱石でした。のちに東京帝国大学理科大学に進んでさらに同大学教授になりますので、科学に関しては漱石より詳しいわけで、その点で漱石は寅彦から教わることも多かったようです。
さて、寅彦は「天災と国防」(岩波文庫『寺田寅彦随筆集 第五巻』所収)というエッセイで日本人と自然や天災とのかかわりについて述べています。その冒頭はちょっと寒気のするような文章です。
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。そうしてその不安の渦巻の回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。
この文章は1934年11月の『経済往来』に発表されたもの、つまり今から90年近く前のものなのですが、何だか今の話をされているように思えてなりません。
さらに寅彦は、そういう不安をあおりたてるかのように天変地異が起こっている、とも言っています。
そして「文明が進めば進むほど
天然の暴威による災害
がその劇烈の度を増す」というこれまた我々が思い当たることも書かれているのです。寅彦が挙げる例は次のようなものです。大昔、人が頑丈な岩山の洞窟に住んでいたとすると、地震や暴風があってもびくともしません。しかし、文明が進むと人間は自然を超えてやろうともくろんで、大きな建物を建て始めました。堤防も作りました。大きな建物というのは重力に逆らうものです。堤防は水力に抗するものです。そういう自然に立ち向かうようなものを次々に作っていきました。ところが、何かの拍子に自然が暴威をふるうとこれらは破壊され、その結果、多くの人々が命を失うことになります。そこで寅彦は「災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである」という警句を書き留めたのです。
もちろん、現代人が今さら岩穴に住むことは難しいでしょう。堤防がなければ危険もあります。それを承知で寅彦は鋭い指摘をしているのです。
「天災と国防」という文章はまだまだ先があるのですが、最初の数ページだけ紹介してみました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/10 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
耳はさみ
『源氏物語』の講座を月に一度大阪市で実施しています。9月は、二つ目の巻である「帚木」の1回目でした。この会では、原文を細かく読むのではなく、内容をまとめつつ、それに関連した歴史、風俗、習慣などのお話をしていく形を取っています。『源氏物語』を読めば、当時の人のさまざまな姿が見えてきます。それをきっかけに、彼らがどんなことを考えて生きていたかを読み解き、現代との相違や一致点を見ています。現代的な常識や価値観から見ると相容れない点も、奥深いところでは共通する面もありますので、そこを探るのもおもしろいです。全然違いますね、と言いながら、でもこう考えると我々と似ていますね、ということがしばしばあるのです。
つまるところ、人間はあまり進歩などしていないのだろうと思います。
「帚木」巻の前半は、
雨夜の品定め
とも言われ、梅雨のうっとうしいある日に、光源氏の部屋に集まった若い男たちが、女性について「ああだ、こうだ」と話をする場面です。
その中で、ある男が「一家の主婦ともなったら、風流だのなんだのということばかり言っていては仕事にならないが、だからといって家事にかまけて耳はさみしているようなのもよくない」と、勝手なことを言っています。たしかに勝手なことなのですが、これが男たちの本音なのだと思います。女性のいないところでうだうだと話しているわけですから、本音が出てくるのです。そこがおもしろいところでもあります。
今の若い世代でも、子育てのために仕事を辞める女性はいますし、そもそもいわゆる「専業主婦」になって家庭にいることを喜びとする人だっています。でも、多くの人には夫婦ともに外で働くのがあたりまえ、という考え方があって、「専業主婦」というのは「昭和の遺物」のように思われがちです。平安貴族の女性は家の中にいるのがあたりまえでしたので、子育てはもちろんのこと、夫の着るものの用意をしたり、自分が炊飯するわけでなくても食べ物を整えたりするなど、主婦としての仕事もいろいろありました。それだけに、風流だのなんだのとばかり言っていては主婦にならない、という不満があるようです。ところが、その一方でなりふりかまわず家事にいそしんでいるだけというのも困る、というわけです。勝手な言い分ですが、今でも家に帰ったら奥さんがあぐらをかいてポテチをかじりながらテレビを観ているとがっかりする夫がある、という感じでしょうか。それを表現するのに、作者は
耳はさみ
ということを言っています。髪を耳のうしろにひっかけるようにしてあくせく働く様子を言うのです。『源氏物語絵巻』「横笛」には雲居の雁というじょせいが夜泣きする子に困って、耳はさみをして胸をはだけておっぱいを吸わせる場面があります。
この話をしますと、この日のお話が終わって帰宅した後、会のLINEグループで盛んにこの話が話題になっていました。みなさんそれぞれの日常にあてはめて楽しくお話になっていたのです。
おそらく二度と「耳はさみ」のことを忘れる方はいらっしゃらないと思います。この日の話はうまくいった、かもしれません。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/09 00:00]
- 平安王朝 和歌 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
秋植え
9月下旬のある日、残念ながら花も実もつかなかったオクラを処分しようと思い、プランターを見に行きました。オクラは原産地がアフリカであちらでは多年草だそうですが、日本では冬が越せないので一年草なのです。
すると、なんだか葉の陰に淡い黄色のような色が見えます。驚いたことに花がついているではありませんか。
「サカタのタネ」の「園芸通信」を見ますと、オクラはプランター栽培の場合は8月いっぱいまで収穫できるとのことです。それから約3週間遅れて花が咲いたことになり、これはいったいどうしたものかと思いました。しかし相変わらずオクラの花は愛らしいです。これを見ただけでも栽培した価値があったというものです。
花が散ると、小ぶりではありますが、実もつきました。タネが取れたら、また来年チャレンジしてみようかな、と思っています。
秋になると、来年の収穫のためにいろいろな野菜の植え付けがおこなわれます。私の場合はほんのわずかなプランター栽培ですから、たいしたことはできません。決めているのは、三度目になる
イチゴ栽培
です。一昨年の秋に、たまたまホームセンターで見かけたイチゴ苗に呼び止められたような気がして、2株購入して植えてみたのです。まったくのしろうとで育て方も知らなかったのですが、今はすぐに「育て方」を調べることができますので、何とか実をつけて、しかもランナーもしっかり出てくれて昨年の秋には2年目の植え付けをしたのです。そして今年の5月ごろにもたくさんの収穫があり、またランナーも出ました。欲しいという方がいらっしゃいましたので、7~8株は差し上げました。全部で25株くらいポットで受けたのですが、枯れたものもあり、大きくならないままのものもありますので、結局私も6~7株を植えることにしています。
そうすると、少しプランターに空きが出ますので、何か植えてもいいな、と思うようになりました。土を少し改良しようと思ってホームセンターに行ったのですが、そのときにまたとてもぷっくりとして美しい形の
ニンニク
がこちらを見ているのに気づきました。国産で、暖地で栽培できる品種でした。たくさんあってもしかたがないのですが、1個売りで180円くらいのものでしたから、これはちょうどよいと、衝動買い(というほど大げさなものではありませんが)しました。ニンニクならイチゴと混植すると、いわゆる
コンパニオンプランツ
になるそうですから、ちょうどいいかな、という魂胆もあります。実際どれほどの効果があるのかは経験していないのでわかりません。今年はそのチャレンジの意味で一度やってみます。植え付けはニンニクが先で、数週間後にイチゴという順番です。
すでにニンニクは植えました。プランターに2株のイチゴと1株のニンニク、ということにします。それでもニンニクの種球はあまりますので、ことしイチゴ栽培に使った土を少し手入れしてニンニクだけを植えるプランターをひとつ置くことにしました。
約9か月。期間の長い栽培が始まりました。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/08 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
「れる」「られる」
このところ、敬語が気になって仕方がありません。一般の人が敬語を使うかどうかは、言ってみればその人の自由だと思いますので何も言うことはないのですが、言葉について何らかの形でプロを名乗るような人はあまりひどい言葉を使ってはいけないと思います。典型的なのは国語教師やアナウンサーでしょう。
しかし、国語教師は、私を含めてあまり信用が置けません。敬語を習うという経験が事実上ないため、自分で意識しない人はまったく使えない可能性もあります。特に教師の場合は普段子どもたちを相手にしていますから、彼らに対して敬語を使うことはあまりない(特に尊敬語、謙譲語)ので、ほかの科目の教師と同じレベルになってしまいかねません。となると頼みの綱はマナー学校の教師かも知れませんが、私の体験ではこういう人も何か独得の敬語観があるようで、普遍的な美しい言葉を使えるのかというと必ずしもそうとも言えないように思います。
そんなわけで、やはり
アナウンサー
がお手本を示してくれないと困ると思います。
ところが、近ごろはスポーツの実況に関わるようなアナウンサーの場合、特に首をかしげたくなるようなときもあります。プロ野球のオリックスが優勝した時のインタビューで、(NHKの人かどうかはわかりませんが)アナウンサーがある情報を提供して「(今私が言ったことを)聞いてどう思われますか」と中嶋監督に尋ねたのです。「聞く」の主語は中嶋さんです。ここはどう考えても尊敬語を使うところです。「思われ」も「お思いになる」だろうと思います。ところが上のように言ったものですから私は一瞬息が止まったような錯覚を覚えました。
「れる」「られる」というのは敬語としてはきわめて安直なもので、古くは(昔は「る」「らる」でしたが)尊敬の意味ではめったに使われていません。多くは受身で、自発がそれに次ぎ、可能がしばしば、尊敬となるときわめて少ないのです。今は尊敬、受身が多いのでしょうが、ごく日常的な場面でのやりとりとか先輩のように軽く敬語を使いたい場合にはいいのですが、かなり高めの敬意を表したい場合や、きれいな言葉遣いをしたい場合は「れる」「られる」は適切ではないと私は思っています。
この間、図書館で丸谷才一氏の
『日本語のために』
を見つけたので、なつかしくてぱらぱらとめくっていました。すると、かつて読んだはずなのですが、敬語のことをお書きになっているくだりを「発見」しましたので少し読んでみました。
そこで丸谷さんは「何々さんが来られ」「何々さんがかういはれ」(丸谷さんは旧仮名遣いをお使いになります)という言い方について、前者は「お見えになつて」「いらつしやつて」、後者は「おつしやつて」というべきだ、とおっしゃっていました。
そこで丸谷さんは「れる」「られる」は「耳に快くなく、風情がない」とお書きになったうえ「耳に快くつて風情があるといふことこそ敬語本来の目的」とまでおっしゃるのです。
今や、「快い」とか「風情」というようなことを考えてしゃべる人はあまりいないのかもしれません。
しかし、言葉というのは人とのコミュニケーションに用いるものですから、相手を不快にさせるものはダメだと思いますし、できることなら「快い」「風情のある」言葉を使いたいものだと私は考えています。
「あのう、あなたの言葉には風情のかけらもありませんけど」と言われるのは重々承知しておりますが。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/07 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
単純作業
私は教師としては三流ですが、どういうものか単純作業はパパッとできることがあるのです。大学時代の恩師もそこを見込んで(?)のことか、私に学会の事務局をやってくれと言われたことがありました。「局」といっても私一人だけなのですが(笑)、入会の受付をしたり、会計をしたり、学会の開催があるときは新聞に掲載してもらうために主要新聞に案内を送ったり、こまごまとしたことを担当していました。
ひょっとすると学問という
努力と独創
の必要な分野ではなく、面倒なことをそつなくこなす仕事に向いているのかな、と思いました。そちらに行っておけば今ごろ家の一軒も建てられたかも(笑)しれません。
9月の半ばに、私が関係している短歌のグループの最新号ができました。季刊なのですが48ページの薄いものです。短歌作品、批評と鑑賞、エッセイ、案内などが含まれています。私は短歌とエッセイと編集後記を書き、ひとりで6ページ使ってしまいました(笑)。
さて、発行したらあちこちに送らねばなりません。時間の取れる会員が集まって作業するのですが、この日はあいにく私を含めて
3人だけ
でした。お二人は高齢の方なので(私も間違いなく高齢ですが)、やはり私ができるだけ働かねばなりません。場所は大阪市にある印刷所の一室を借りるのですが、いかにも昔ながらの二階建てのビルで、その2階に印刷所があるのです。
そこでせっせと封筒にシール(相手の住所とこちらの代表者の住所の記されたものの2枚)を貼り、歌誌とちょっとした印刷物を同封し(これも、相手によって同封するか否かを見分けなければなりません)、ノリで封をするのです。宛先が重複していないかをチェックすることも大切な仕事で、実際、かなり重複が見つかりました。
作業のあいだはずっと黙って何も考えずに手だけを動かしています。意外に時間がかかるもので、たいした量でもないのに2時間ほどそういうことを続けていました。ひとつの封筒に1分近くかけていたことになります。
こういう仕事が私はほとんど苦にならず、サッサとやってしまうのです。そういえば、昔入試の仕事をしていた時も、願書のチェックとか、(手で採点していた時代は)採点漏れのチェックとか、合格通知に間違いがないかなど、大きな大学なら事務側がやってくれそうなこともずいぶんしました。こういう場合も、ほかの人は「めんどくせえ」という顔で適当に済ませているのに、私は必死になって目を凝らしてチェックしていました。間違いを見つけるのは私が多かったと思います。
やはり道を誤ったような気がしています(笑)。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/06 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
大阪の坂
大阪という地名は江戸時代には多くの場合「大坂」と書かれました。それゆえに私は、江戸時代の話題の場合には意図的に「坂」の字を使っています。「大坂城」も多くは「坂」を使っているつもりです。
「大坂」を「大阪」にしたのは「坂」の字が「土に反る(つちにかえる)」と読めるので不吉だから、とはよく言われることです。
いずれにしても、もともと大阪は坂が多いのでそれが地名になったようです。たしかに、大阪の街は平野ではあるのですが、大阪の歴史を作ってきた上町台地が南北に走っています。そもそも大昔、上町台地は西に大阪湾、東に河内湾を望む半島でしたから、まさに歴史はこの台地から始まったのです。そこには、先日話題にした「桃山」のように「山」とか「丘」という名前が付くところも少なくありません。「真田山」「夕陽丘」「茶臼山」「帝塚山」などがそれにあたります。そうなると当然坂道が多くなるわけです。
文楽劇場から少し東に行って下寺町の交差点で松屋町筋を右に折れると生國魂神社への登り坂があります。そこを登らずに南に進むと、初代吉田玉男師匠の墓所でありお千代半兵衛の墓もある銀山寺に抜ける
源聖寺坂
があります。私は劇場から銀山寺に行く場合、どうしても生國魂神社に寄りたくなりますのであまりこの坂は登らないのですが。ちなみに、源聖寺坂を登ったあとさらにまっすぐ東に行って谷町筋に出ると、その少し南側には阪神タイガーズの岡田監督でおなじみの(笑)パイン本社があります。
さらに南には口縄坂。石段が蛇腹のように見えるのでそう言われたという説が有力です。口縄坂というと織田作之助の『木の都』にも登場し、その縁で同作品の一節を刻んだ文学碑も建てられています。
このほか、上町台地に向かう坂道としては真言坂、愛染坂、清水(きよみず)坂、天神坂、逢坂があり、これら七つを総称して
天王寺七坂
と言っています。
愛染坂や清水坂は松屋町筋から少し東に入ったところにある坂で、それぞれ勝鬘院(愛染さん)や清水寺に通じます。
逢坂は七坂のうちもっとも南側にあって、「合坂」「相坂」とも記されました。この坂の公園北口交差点(天王寺公園の北)には合邦閻魔堂があります。あの『摂州合邦辻』ゆかりの場所です。
先日大阪歩きをしたのは上町台地からその東側にかけての地域でしたが、当然東側も坂が多いです。理屈ではそんなことは当たり前なのですが、実際に行ってみてやっと実感できました。
坂道は地図のような平面的な図では見当が付きませんので、その実態を知るには、やはり歩くに越したことはありません。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/05 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
大阪環状線
大阪の電車にもいろいろあります。JR、阪急、阪神、南海、近鉄、京阪、地下鉄。地下鉄は、今は「大阪メトロ」とかいうらしいですが、恥ずかしいのでその言い方はやめておきます。東京の真似をしたがる悪癖(と私には思えます)は何とかならないものでしょうか。
市内を縦横に走るのは地下鉄で、便利と言えば便利です。しかし私は地下鉄という乗り物があまり好きではなく、使わずに済むものなら使いません。先日大阪に行ったのは、地下鉄谷町線の四天王寺夕陽丘駅の近くでした。大阪駅からですと、東梅田から乗り換えなしで行けます。時間にして12分。そこから歩いて5分くらいのところが目的地でした。
しかし、急ぎではなかったうえに地下鉄が好きではないこともあって、JR環状線の外回りで大阪から桃谷まで(所用時間は18分)行ってそこから20分ほど歩いたのです。17,8分で着くところをわざわざ40分近くかけて行ったわけです。
暇な人間
でなければできないことです(笑)。ところが地上を走るのはやはりおもしろくて、あのあたりがあそこ、こちらはあの場所と楽しむことができます。また駅それぞれの雰囲気や乗降客のようすもいろいろ異なっていて、見飽きることがありません。運賃は地下鉄が240円で、環状線は190円でした。長く乗るのに安いのはなぁぜ、なぁぜ? 地下鉄というのは割高なもので、バスの電車版と考えればいいのでしょう。
桃谷で降りるのは二度目で、まだなじみがありませんが、なかなか立派な駅でした。
環状線の外回り主要駅としては京橋(京阪線乗り換え)、鶴橋(近鉄線乗り換え)などがあり天王寺で半周することになります。私は最近天王寺に行くときも地下鉄よりも環状線を使うことにしています。内回りだと野田、西九条、弁天町、今宮、新今宮などがあって天王寺。こちらは大阪ドームや通天閣が見渡せます。
環状線はきれいな○を描いているのではなく、東側は直線的、西側は少しいびつな形で、全体としては
猪の顔(?)
のようにも見えます(見えないかも)。
環状線はもともと大阪鉄道(おもに東側)、西成鉄道(おもに北西側)の路線を国鉄がつないで環状にした路線だそうです。
私は大阪市民ではないので、実のところ学生のころまではほとんど乗ったことがなく、なんとなく酔っぱらったおじさんが乗っていそうな(笑)イメージを持っていました。ほんとうに使うようになったのはごく最近のことですが、今後もお世話になりたいと思っています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/04 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
立ち合いロック
私は子どものころ、スポーツ全体が好きで、相撲もいくらか興味を持っていました。当時は大鵬さんがいて、無敵を誇っていました。私は弱い力士がときどき番狂わせをするのをおもしろがるような子どもでした。子どもの好きなものとして「巨人」「大鵬」「卵焼き」が挙げられた時代でしたが、私はどれも今ひとつ。卵焼きなら食べたけど、というくらいのあまのじゃくでした。
当時はお相撲さんの態度はなかなか良くて、腰を割って仕切りをする姿が印象に残っています。
行司さんの存在感もかなり大きくて、その場を仕切っているという感じがにじみ出ていました。差し違いもあったはずなのですが、印象としては勝負審判よりはるかに強い力を持っているような感じでした。ビデオ判定がまだなかったですしね。
その後は野球やサッカーが好きになったうえ、相撲のテレビ放送は夕方でしたから、物理的に観ることができず、少しずつ離れていきました。
それでも、輪島さんとか北の湖さんとか、貴ノ花(初代)さんとか、そういう時代の人は、いくらかは観ていました。
あの当時は立ち合いがとても荒っぽくて、両手をつかなければならないという原則がまるで守られていませんでした。時間いっぱいになると、蹲踞して中腰になったかと思うと、そのまま立ち合ってしまうのです。行司さんが
「時間です」
というともう次の瞬間には勝負が始まっているくらいでした。
ただ、こういうことをしていると、蹲踞の姿勢の美しさが損なわれます。落ち着きがないからです。相撲協会もこの立ち合いの仕方はよくないというので、しだいに手をつくことが明確に決められるようになりました。
しかし最近の力士は手をつくまでの時間の長いこと。これは何とかならないものかと思うのですがいかがなものでしょうか。蹲踞をして立ち上がってから手をつくまでが私にはぐずぐずしているようにさえ見えるのです。彼らに言わせたら「あそこで集中心を高めているのだ」ということなのかもしれませんが・・。
9月におこなわれた秋場所では
熱海富士
という若い力士が話題になりました。私はまったく知らない人でしたので、一度見てみようと思って、ある日テレビを観たのです。するとこの人も蹲踞から立ち上がったあと、両足で砂を後ろに蹴るようなしぐさを延々と続けていました。あれは相手に力士に対して失礼なのではないかとさえ思います。話題の人でしたので興味を持ったのに、それ以外の土俵態度は悪くなかっただけに、あれを見た瞬間、冷めてしまいました。
ああいうしぐさをする人は最近とても多くて、どうにも美しさに欠けると思えてなりません。
アメリカの大リーグ(野球)で今年から「ピッチロック」というルールができました。ピッチャーはキャッチャーからボールを受け取ってからぐずぐずしてはいけないのです。
これは冗談ですが、相撲も
「立ち合いロック」(笑)
の制度を作って、(蹲踞から)立ち上がった瞬間から手をつくまでの時間を5秒以内くらいに制限してほしいのです。手をついて多少にらみ合うのはかまいませんので。
この無駄な(と、私には思える)時間があると、その分仕切りの時間が短くなります。私はむしろ仕切りでお客さんを引き付けるような態度を見せてほしいとすら思っています。以前は時間前に立ち合うこともあったのですが、最近はどうなのでしょうか。いつ立ち合うかわからない、それくらい緊迫した仕切りを見せてほしいのです。仕切りは時間までの単なる儀式としてだらだらとするものではないはずです。
熱海富士さん、どういうつもりでああいうことをされるのか知りませんが、やめてもらえませんか。‥とまあ、ここでぼやいても何の意味もなく、だからといって新聞に投書する習慣もありませんのでどうにもならないのですが。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/03 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(10)
- この記事のURL |
- TOP ▲
三連覇
関西では阪神タイガーズの優勝で大いに盛り上がっています。テレビなんて連日「なぜ阪神は強かったのか」のような番組でファンの方々に観てもらおうということのようです。アレがどうした、アメがこうしたの繰り返し。しかし、何か忘れちゃあいませんか、ってんだ。
9月20日。きょう勝てばオリックスも優勝という日。テレビ欄を見たら、地上波ではどこもかしこも放送がありませんでした。関西では阪神の試合はかなりの数が地上波で放送されます。以前はオリックスの試合もテレビ大阪が稀に放送していたのですが、やはり誰も観ないのか、一切画面に出てきません。かろうじて
NHKのBS
が中継していました。
関西以外の方には阪神とオリックスの落差が実感としてわかっていただけるかどうか。
もちろんプロ野球チームの多い関東(横浜、読売、ヤクルト、千葉ロッテ、西武)でも差があるでしょうが、関西は2チームの格差ですから、とても大きく感じてしまうのです。
さて、その試合は、途中まで劣勢で、これは後日のことになるなと思っていたのですが、7回2アウトから一気に逆転。終わって見れば6-2という差がついて、見事に三連覇を成し遂げました。
そのあと、Facebookを覗いたのですが、だぁれも話題にしていませんでした。ここは私が書くしかない、と記事を載せたのですが、
「いいね!」
の数が、平素いただけるおよそ半分くらいにとどまりました。やはり興味ないんですね。
私個人も、阪急ブレーヴズ以来のファンというだけで、ほんとうはせめて神戸に本拠を置き続けてほしかったのです。ところがオリックスの本社が大阪市と妙に仲良しみたいで、カジノでもうけましょう、という話になっているのでしょう。球団もあっという間に大阪に行ってしまい、本拠は大阪ドーム、そしてカジノ予定地(夢洲)の隣の舞洲に大きな球場が建てられました
チーム名もいつのまにか元の大阪の球団だった近鉄バファローズを継承した感じで、優勝した翌日からは近鉄百貨店がセールをしていました。
そういうことは置いて、選手は魅力的な人が多く、山本、宮城、山崎(福)、田嶋、山下、東、曽谷らの先発投手に平野、山岡、山崎(颯)、宇田川、阿部、小木田、比嘉らの救援陣。野手では頓宮、杉本、宗、中川、紅林、若月、安達、茶野、そして移籍してきた森ら。
そして、何と言っても中島聡監督の采配がすばらしいです。
中嶋さんという人は阪神の岡田監督とはまるでタイプが違って、秋田出身の朴訥な人。一方、都会育ちとはいえ「大阪のおっちゃん」である岡田さん。でも両者ともなかなかの名将だと思います。
これで日本シリーズが広島対ソフトバンクなどになったらもう最悪ですけどね。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/02 00:00]
- 日々牛歩 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
淡路島は兵庫県
学生のころ、研究会で東北出身の人と話をしていた時、淡路島の話になりました。するとその人は「淡路島って四国ですよね」と言い出しました。いや、「淡路『島』ですから、四国ではないです」と言うと、ああそうか、という表情をなさって「でも香川県か徳島県ですね」と続けられたのでまたまたびっくりしました。
そうだよね、東北の人から見たら淡路島が兵庫県だとは思わないですよね。そもそも、歴史的に見れば淡路島は徳島県でもおかしくないわけで、兵庫県という発想が出なくてもなんらおかしくはありません。でも、それくらい、日本地理で習うことはなかったのかなと思わないでもなく、つらつら考えてみました。その結果、習わなかったかもしれないし、習ったとしてもそんなこといちいち覚えていなくてもおかしくない、と納得するに至ったのでした。かく申します私も、地理は社会科のなかで唯一苦手な科目でした。今でも、
「伊豆大島は何県?」
と言われると、静岡か、神奈川か、ひょっとしたら小笠原のように東京か、悩んでしまいます(「ばかじゃないの?」とお思いの方、はい、そのとおりです)。いつぞや「熱海は神奈川県ですか」と言って静岡の方に訂正されたこともありました。こういうことを言い出すと、私は群馬県と長野県が隣接していることを現地に行って初めて知りましたし、佐賀県と福岡県がおとなりというのもいまだに何となく変な気がしています。山形と秋田はどちらが北にあるか、島根と鳥取はどちらが東か、なんて、案外知らない人は多いと思います。
おそらくそういう人も「あの県はあのあたりにある」という見当はつくと思うのですが、細かいことになると分からない可能性があります。
私は海外の地理になるともっとわけがわからず、ヨーロッパの地図を見せられて
「国の名を答えよ」
と言われたらかなりあやしいです。さすがにドイツとかフランスならわかりますが、かつてのチェコスロバキアやユーゴスラビアがなくなりましたし、ソヴィエト連邦が崩壊してロシアから離れた国もたくさんあって、それらの国々についてはあまりよくわかりません。
アメリカの州にいたってはさっぱりですし、市の名前を言われても西海岸か東か、はたまた中部かはわからないのです。最近はメジャーリーグに少し目覚めましたので、球団を持っている市ならある程度分かるようになりましたが。
海外で日本文学や歴史の話をする、あるいは日本語を教える体験をしておればもっと世界に視野が広がったでしょうに、その経験もありません。やって見たかったのですが、ろくに英語も話せませんし・・。
今ごろになって、高校時代にもっとあれこれ勉強しておけばよかったと思うこと、しきりです。数学や理科はその代表的なものですが、地理もそのうちのひとつです。頭の良い生徒ではありませんでしたので、限界はあったと思いますが、もっと多くいろいろ知っておれば今に生かせることは多いだろうと感じています。好きなことに熱中するのもいいですが、幅広く学ぶことの大切さを、小樽と帯広は北海道のどこにあるんだっけ、と悩みながら、しみじみ感じています。
にほんブログ村
↑応援お願いします
- [2023/10/01 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(4)
- この記事のURL |
- TOP ▲
- | HOME |