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2023年、さようなら 

2023年が暮れていきます。どうやらこの一年も生きおおせたようです。
まさか私はこの年齢まで生きられるとは思っていませんでした。というのも、父が今の私の年齢より一歳若くして亡くなったからです。私よりずっと元気な人でしたので、まさかそんなに早く亡くなるとは思いもよらないことでした。そして、私はきっと父より早くこの世とおさらばするだろう、と思っていましたので、去年あたりからそわそわと整理すべきことを考え始めていました。
それだけに、この2023年を生きて越すことができるのはちょっとした感慨があります。
「十大ニュース」で書きましたように、今年は成果も少しありました。しかし、身体は次第に衰え、初めて胃痛という経験もしました。新しい挑戦もあったのですが、不慣れなためにしんどい思いもしました。
こうしてよたよたとして生きてきましたが、それでも何とかここまで来ることができました。これはすべて、周りの方の、特にブログやその他のSNSを通しての友人の皆様のおかげだと思っています。
本年もありがとうございました。どうぞよき新年をお迎えください。

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『傾城恋飛脚』(3) 

2回に分けて『傾城恋飛脚』の上の巻をご紹介しました。今日は下の巻です。
まず「西横堀」の段。
祝言をあげた翌日のこと。亀屋忠兵衛は三百両という為替銀(かわせがね)を持ってそれを中之島の蔵屋敷に届ける途中です。ところがいつしか忠兵衛は西横堀のほうに足を向けています。西横堀に架かる新町橋を渡るとそこは梅川のいる新町の遊郭です。忠兵衛は、つい新町に行ってしまいました。今の上演なら「羽織落とし」の場面ですね。
次に「新町」の段。ここは原作の「封印切」にあたります。
梅川の抱え主は槌屋治右衛門です。治右衛門は八右衛門が梅川を身請けするといっていることを梅川に伝えに来ます。梅川はしばらく待ってほしいと願い、治右衛門もその願いを聞いてやります。そこに身請けの金二百五十両を持って八右衛門が来ました。治右衛門は梅川と約束したのですぐに身請けはさせないといいます。腹の立った八右衛門は梅川の前で(忠兵衛も外で立ち聞きしている)忠兵衛を罵倒します。あまりのことに腹を据えかねた忠兵衛は大和の親元から持ってきた敷銀(しきがね。持参金)だと偽って、三百両の

    為替銀の封

を切ります。そしてそのうちの五十両を「借りた銀(かね)だ」といって八右衛門に投げつけ、追い出してしまいます。
忠兵衛は二百両を治右衛門に渡して梅川を請け出すと言い、治右衛門も承諾します。そのあと忠兵衛は梅川に向かって、為替の銀を使ったをことを告げ、死罪になる身の上となったので、できる限り逃げようといいます。
やがて、廓の者から梅川が自由の身となったことを知らされて、二人はその場を去り、大和に向かいます。
ここからが「新口村」の段です。そのあらすじは途中までは文楽ファンならどなたでもご存じの通りなので省きます。「途中までは」といったのは、今上演されている、孫右衛門が二人を見送る場面は『傾城恋飛脚』ではまだ最後ではないからです。
現行「新口村」の段切近くで、多くの人が来る音がしたため、孫右衛門は梅川に「裏道の小川を渡って、藪を抜ければ御所街道だ」と教えて逃がします。そして、八右衛門や利平たちが家探しを始めようとすると「組子一人」が駆けつけて、「長谷の山続き」で「梅川忠兵衛」なる者が抵抗して「なかなか手に合ひ申さず」(自分たちの手には負えない)と伝えます。それこそ目当ての逃亡者だというので彼らはそちらに向かいました。孫右衛門は天の助けだと思い、「切株で足突くな」と言いながら見送ります。そのあと、八右衛門たちが向かった現場を描くのが我々の知らない部分で、言ってみれば「新口村」の「アト」のような場面ですね。
さて、役人たちに立ち向かうほど腕っぷしが強いらしい「梅川忠兵衛と名乗る者」は、優男の亀屋忠兵衛ではなく、

    梅川の兄

の「梅川忠兵衛」でした。
私は、このことを知る前は、梅川と忠兵衛のにせもの(笑)がいて、そのカップルが役人と立ち回りを演じているのだろうか、と思っていました(笑)。梅川忠兵衛、八右衛門、利平は、「河庄」の孫右衛門、太兵衛、善六に似ているようにも思います。
妙なことを言いますが、『ドラえもん』に当てはめてみると、忠兵衛・治兵衛はのび太、梅川・小春はしずかちゃん、八右衛門・太兵衛はジャイアン、利平・善六はスネ夫ということになります。余計なことを書きました。
梅川の兄の梅川忠兵衛は、亀屋忠兵衛を探してお縄に付くように諭すつもりだと言っており、お尋ね者の亀屋忠兵衛ではないとわかったので、役人はまた新口村に戻ります。一方、八右衛門と利平は以前亀屋においてひどい目に遭わされた恨みを晴らそうと梅川忠兵衛に襲い掛かりますが、逆に組み伏せられてしまいます。
そこに役人が来て、梅川と亀屋忠兵衛は自首したため大坂に送られたと伝えます。そして八右衛門と利平はこれまでの悪事を咎められて役人に連行されていくのでした。

三回にわたって『傾城恋飛脚』の概要を書いてきました。
おわかりのように、私たちは今、この作品の「新口村」の結末を省いた部分を観ていることになります。
現行文楽の「新口村」を観ていると、「なぜ作者は梅川の兄の名前をわざわざ亀屋忠兵衛と同じ『忠兵衛』にしたの?」「利平って誰?」「なぜ長谷の山続きに梅川忠兵衛と名乗る者がいるの?」などの疑問がちらつきますが、『傾城恋飛脚』全体を見渡すことでそれらが氷解すると思います。

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『傾城恋飛脚』(2) 

『傾城恋飛脚』の上の巻のメインは「飛脚屋」の段です。『冥途の飛脚』でいうなら「淡路町」に近い場面ですね。
生玉での出来事の翌日、淡路町の飛脚屋の亀屋でのことです。
忠兵衛の養母の妙閑がお諏訪とともに店にいます。そこにやってきたのが利平。彼は「遊郭通いをしている忠兵衛ではこの身代はやっていけない、自分こそが亀屋の跡取りにふさわしい」と示唆するのですが、妙閑に相手にしてもらえません。
利平が奥に入ったあと、忠兵衛の知り合いだという侍が来ます。何となく「河庄」の侍客(実は粉屋孫右衛門)のようですね。人形の首ならやはり

    孔明

がふさわしい性根でしょう。妙閑はこの侍を奧に通します。
あとにお諏訪が一人でいると、利平が出てきてさかんにお諏訪に言い寄ります。そこに酔って帰ってきた忠兵衛が現れました。利平はここぞとばかりに「毒薬」を飲ませます。すると忠兵衛は「イタタタ」と苦痛を訴えるので利平は「してやった」と思います。ところが忠兵衛は「今痛いと言ったのは脇の下に針があって、それが刺さったので痛かったのだ」と言うばかり。ここは作者が笑いを取ろうとした「くすぐり」のような感じです。わきの下だけにね(笑)。それはともかく、「毒薬」はまったく効果がなく、忠兵衛は平気な顔をしています。五十両も払ったのに、と、利平はぷいと姿を消します。
そこに現れたのが八右衛門。忠兵衛が梅川の身請けの手付に使い込んだ五十両を返せといいます。妙閑はそれを聞いて、自分がためておいて五十両で弁済してやろうとするのですが、そのお金が見当たりません。それもそのはず、その五十両は利平が盗んで道哲に渡したものだったのです。しかし、悪人は何でも人のせいにします。忠兵衛に向かって「さてはこの五十両もお前の仕業だな」と激しく責めたて、再び現れた利平が忠兵衛を打擲します。
そこに、くだんの侍が登場して、利平をこらしめます。なんとこの侍、前日殺されたはずの道哲のしもべではありませんか。侍は平然として、利平が道哲に渡した五十両を妙閑に返し、悪人二人はすごすごとその場を去ります。
侍はここで事情を話します。この人物、名前が何と

    梅川忠兵衛

というのです。「新口村」の段切で「ところは長谷の山続きに梅川忠兵衛と名乗る者、休みをつたをおつ取り巻き」という言葉が出てきますが、あの「梅川忠兵衛」は「梅川&忠兵衛」という二人連れではなく「梅川忠兵衛」というこの侍のことなのです。
さてこの梅川忠兵衛なる侍は次のように言いました。「私は遊女梅川の兄で、道哲は『京の六条数珠屋町』に住む私と梅川の父なのです。父は、もとは侍で梅川忠太夫といました。利平の悪事を知ったため、医者となってニセの毒薬を渡したのです」と。なんとあの「毒薬」の正体は「和中散」でした。「和中散」というと、近江梅木村(今の栗東市)を本家とする「ぜさいや」の販売していた妙薬。『仮名手本忠臣蔵』「二つ玉」でおかるの父与市兵衛が「霍乱(かくらん)せんやうにと娘がくれた和中散」といっていた、あの薬です。
その夜、お諏訪がそのお金を盗もうとして妙閑に見つかります。彼女は好きな男がいるので、このお金で駆け落ちするのだというのです。妙閑は怒りますが、実は前日生玉で梅川と忠兵衛が仲良くしているのを目撃したので、自分は身を引こうと思った、ということが分かります。その心根に感じ入った妙閑は忠兵衛にも結婚を勧め、忠兵衛もやむを得ず祝言をあげたのです。

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『傾城恋飛脚』(1) 

『傾城恋飛脚』は、菅専助と若竹笛躬による『冥途の飛脚』の改作で、安永二年(1773)に初演されています。近松没後約50年の作ですね。上下二巻ですが、段としては「生玉」「飛脚屋」(以上、上の巻)、「西横堀」「新町」「新口村」(以上、下の巻)から成り立っています。
『心中天網島』でも、近松の原作は太兵衛を「悪人」というよりは「イヤな奴」として描きますが、改作の『心中紙屋治兵衛』になるとお金をだまし取るような「悪人」になります(現行の「河庄」は『心中紙屋治兵衛』の「茶屋」の段を使っていますので太兵衛は原作には登場しない善六という人物とともに悪事を働きます)。近松作品の改作ではおもしろさをより明確に出そうということか、善悪がはっきり描かれるようになります。そうでもしないと改作の意味がないのかもしれません。『傾城恋飛脚』で悪人として登場するのは、亀屋の先代の甥である

    利平

と、原作でもおなじみの丹波屋八右衛門です。二人は手を組んで亀屋の乗っ取りを企てているのです。今上演されている「新口村」の最後に「順礼姿の八右衛門、利平もともに蚤取り眼」とありますが、その「利平」がこの乗っ取り未遂犯(笑)です。
以下、三回に分けて、『傾城恋飛脚』のあらすじを書いておきます。

大坂淡路町の飛脚問屋「亀屋」の先代の娘のお諏訪は、大和新口村から養子に来ている忠兵衛と結婚することになっています。ところその忠兵衛は遊女梅川と馴染んでいます。ある日、お諏訪が生玉神社で忠兵衛との仲がうまくいくように祈願していました。するとそこには忠兵衛と梅川の姿があり、いかにも仲睦まじそうにしているのです。その姿を見たお諏訪は動揺してしまいます。
梅川が少しその場を離れると、忠兵衛のところに丹波屋八右衛門が現れます。いくら待っても亀屋に頼んでいたはずの為替銀(かわせがね)の五十両が届かないと忠兵衛に問いただすのです。実は忠兵衛は、身請けされそうになっていた梅川のために、たまたま手元にあった八右衛門の五十両を自分が先に身請けするための手付として使い込んでいました。「封印切」その1ですね。身請けするには二百五十両の金が必要なのです。そのことを八右衛門に告白してしばらく待ってくれと頼み、八右衛門もいかにも友情に厚いかのような顔をして取りあえず承諾します。
そのあと、利平が現れ、八右衛門と何やらたくらみをしたかと思うと、八右衛門が去り、利平だけがあとに残っています。
忠兵衛の養母である妙閑は、忠兵衛がお諏訪と結婚して亀屋の跡取りになってくれることを望んでいます。お諏訪に気のある利平は、亀屋もお諏訪も取られてしまうのが悔しくて、忠兵衛が邪魔で仕方がありません。それで、事もあろうに忠兵衛を

    毒殺

しようとしているのです。利平は道哲という医者に毒薬の調合を頼んで、亀屋で盗んだ五十両でそれを買い取ろうとしており、ここで道哲と待ち合わせをしているのです。やがて道哲が現れ、その毒薬を利平に渡しますが、利平はほんとうに効くのかどうかわからないと思い、なんと、道哲のしもべにこの薬を飲ませて殺してしまいます。利平は喜んで帰っていくのですが、実はこのしもべは生きていたのです。
ここまでが「生玉」の段です。

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孫右衛門の目隠し 

『傾城恋飛脚』「新口村」は、『冥途の飛脚』が改作されたもののうち、梅川と忠兵衛の逃避行の部分が独立したもので、その前段階は通常上演されません。当時の常識として、遊女を連れて逃げると男は捕えられて死罪、遊女は元の勤め奉公に戻されるのでした。梅川と忠兵衛(忠兵衛の場合はそれ以前に封印切りという大罪も犯しています)も同じことで、二人は心中をしたわけではありません。現在上演されている「新口村」では雪道を逃げていくところで終わりますが、このあと二人は逃げきれなかったのです。
内田吐夢監督の『浪花の恋の物語』(1959)では、有馬稲子の梅川と中村錦之助の忠兵衛でしたが、二人が捕えられる場面までありました。そして、片岡千恵蔵演ずる近松門左衛門が『曽根崎心中』を思い出して筆を取り、二人の物語を書きました。その作品ということらしい人形浄瑠璃が映画の中で上演されており、三代豊竹つばめ太夫(後の四代竹本越路太夫)、二代野澤喜左衛門、二代桐竹紋十郎、二代桐竹勘十郎各師らが出演なさっていました。おもしろかったのは、近松時代なのに三人遣いで、しかもその場面が『冥途の飛脚』ではなく改作の「新口村」だったことです。もうひとついうなら、カメラが人形とそのむこうに詰めかけた観客を映しており、人形はカメラ側に向かって演技をして(つまりお客さんは人形遣いの背中だけを見て)いました。もちろん監督はそれらを承知で作られたに違いなく、「映画のうそ」ですね。なお梅川の人形は紋十郎、孫右衛門が勘十郎でした。
あの「新口村」で、私がずっと

    気になっていた場面

があります。
鼻緒を切って難渋していた孫右衛門を梅川が家(忠三郎の家)に入れて足を洗い、鼻緒を挿(す)げ替えます。孫右衛門はこの家が忠三郎宅であることは知っているはずですから、見知らぬ女がここにいることを不審に思わないはずがないのに、「ここらあたりに見慣れぬ女中」とは言いますが、なぜか言われるままにしています。ただし、それはまだ特に気になる場面ではないのです。
孫右衛門は話をしているうちにこの女性がわが息子とともに逃避行している遊女であることに思い至り、息子が隠れていることも察します。そして「覚悟きわめて名乗つて出い」と息子に自首を勧めるのです。ところがその次の瞬間に「今ぢやない、今ぢやない、今のことではないわいやい」と言って複雑な胸中を示します。このとき、思いあまって飛び出した忠兵衛を奧に押し返す演出がおこなわれています。私はあそこがどうにも不自然に感じられてあまり好きではありません。物理的に押し返すのではなく、飛び出そうとした忠兵衛に気付いて言葉だけで押し戻す方がまだよいのではないかと思っています。「新口村」の忠兵衛はあまりしどころが多い役ではなく、楽屋内では

    カス忠兵衛

と言われている(今はどうか知りませんが)と先代玉男師匠と山川静夫氏の『文楽の男』で読みました。だからあそこで駆け出すの「カス」のような動きだというつもりではないのですが、どうもばたばたした感じが出過ぎて好きではないのです。そのあと梅川の配慮で、孫右衛門に目隠しをしたうえで二人を会わせる場面があります。「『慮外ながら』と、めんない千鳥」という名場面ですね。この場面でせっかく久しぶりに親の顔を間近で見るのに、さきほどの忠兵衛の駆け出しがあると、「さっき会ってるでしょ」と言いたくなってしまいます(イヤな観客です)。そして二人が抱き合うと、梅川は目隠しを外します。ここで親子が顔を見合わせ、もう一度抱き合うのです。私はこの場面もしっくりこないのです。多くのお客さんは梅川の行為に拍手を送り、孫右衛門と忠兵衛がやっとお互いの顔を見合わせて抱き合うのを見て涙を流すのだろうと思います。ひねくれものの私は実はここでぱっとしらけてしまいます。なるほど人形の演出としてはそのほうが感動的なのでしょう。でも、私は最後まで目隠しをしていてほしい、それでこそ肌のぬくもりだけで親子が感じ合うものがあるように思えるのです。人形遣いさんが長年にわたって演技を練るに際し、ここは目隠しを外す方が効果的だ、お客さんはより深く感動する、ということだったのではないでしょうか。それは私にもわかるのですが・・。
そこに順礼姿の八右衛門が利平とともに蚤取り眼で忠兵衛を探しに来ます。ここで孫右衛門は「この裏道の小川を渡り、藪を抜ければ御所街道」というのですが、その直前に「コレコレ女中」と、梅川だけに呼びかけるように言っています。ひょっとしたらまだここでも目隠しをしたままか、あるいはやっとここで外しているか、そのどちらかではないかとすら思っているのです。
Facebookで、長年文楽をご覧になっている方が、「目隠しを取る演出と取らない演出がある」とおっしゃっていたのですが、私は取らない演出を観たことがあるかどうか、どうも記憶が定かではなく、ひょっとすると経験がないかもしれません。
せっかく練り上げられた演出なので、目隠しを取るのも良いのです。ただ、時には異なる演出もまた良いと思うのです。
段切で孫右衛門が笠をかぶるようにしてとぼとぼ歩くのも良いし、晩年の先代勘十郎のようにへなへなと座り込んでしまうのもまた良いと思います(これは当代勘十郎が見せてくれたと記憶します)。

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昨日の出来事 

こういうことを書くのは他人様にはご迷惑ですし、以前なら自分にとってもマイナスになることもあったと承知しております。しかし今やもうあまりデメリットも多くないだろうと思いメモしておきます。
私はずっと体調がよくなくて、これまでに電車の中で2度意識をなくしたことがあります。直前までは何ともなかったのに、急に「変だぞ」と思うようになり、気が付いたら全く別のところにいたという状況になったのです。
一度目は駅のホームで倒れて誰かに声をかけられて気が付きました。目を覚ましたらホームの天井が見えたのです。どうやら電車を降りてすぐに倒れたらしく、おそらくどなたかが支えてくれたのだろうと思います。誰もいなければ頭を打っていたかもしれません。
二度目はやはり同じ駅で、電車から降りた後、駅員さんに助けられていました。駅員さんはいつの間にか車いすを持ってきてくれていて、もう大丈夫だという私にかまわずそれに乗せて駅の控室のようなところに運び入れたうえで、

    簡易ベッド

に寝るように言ってくださったのです。
幸いどちらもすぐに意識が戻って事なきを得ました。
私はからだが大きいので、余計にご迷惑だっただろうと思います。
この二度の体験で凝りましたので、今後は気を付けようと思っていたのですが、昨日また失敗してしまいました。
二度とも、脱水症状から来たものだと自分では思っており、水分の補給には割合に気を付けていたのです。たまたま冬至のころから体調が悪くてあまりものも食べておらず、水分も摂れていませんでした。そして昨日のクリスマスの朝、用があってまた電車に乗ったのですが、気分は悪く、無事に目的地までたどり着けるだろうと思っていました。その路線は大きな私立大学があり、学生さんが出かける時間と重なったためかなり混んでいました。今の学生さんは優先席であろうと、空いていれば座ってゲームを始めます(笑)ので、席は空いておらず、

    まずいな

と思ったところまでは覚えているのですが、気が付いたら30歳前後の屈強の男性が腕をつかんでくれていて、立っているつもりだった私はいつの間にか電車の床に座り込む形になっていたのです。
折しも、私の目的駅ではありませんでしたが、ある駅に着き、しばしあって、駅員さんが二人駆け込んできました。おそらく乗客のどなたかが呼んでくださったのでしょう。私はとりあえず車外に出て、腰を下ろすことができました。
「ここで休めば大丈夫だと思いますからお仕事に行ってください」と言ったのですが、駅員さんはかなり長い時間そばにいてくれて水分まで持ってきてくれました。これを口にすると生き返ったようになりました。思い返せば、その日の朝はほとんど何も食べず、水分は一滴も摂っていませんでした。学習しない愚か者です。
結局、某巨大私大の学生さんの乗客が減る時間までかなり長い時間待って再び電車に乗り込み、何とか目的地に着くことができました。急ぎではなかったのが不幸中の幸いでした。
もう、ほんとうにこういうことになってはいけないと肝に銘じておきます。

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初めての胃痛 

私もいろいろなことを経験してきました。病気関係ではおそらく一般の人よりもいろいろあったと思います。
入院はおそらく20回くらい、手術は5回か6回。もう駄目だと思いますと医者から言われた(らしい)のが2回。丸2日間意識がなかったことが1回。
これでよくもここまで生きてきたものだと我ながら感心します。
かつて勤務した学校はつぶれ、その後、街宣車がガーガーがなり立てるような外部の人間の嫌がらせのあるひどい学校に勤めたため、落ち着いて仕事もできず、挙句には学校から差別を受けて裏切られました(と私は思っています)。生まれ変わってもこの学校にだけは勤めません(笑)。
順風満帆など無縁の人生だったと思います。
最近よくあるストレスチェックをすると必ず「あなたはストレスが多いので心配です。医者に相談してください」という報告書が来ます。そんなことわかっていますし、医者に相談したところでどうなるものでもないと思っているので何もしていません。
そういえば、

    野球の監督

って、じっとしているだけで楽な商売だな、と思っていたら、かなりストレスは強いのだそうで、胃薬を持ち歩いているという人もいるようです。
よく、ストレスで胃に穴があいたなどという話を聞きますが、そこまですさまじい重圧というのはどんなものなのだろう、と想像もつきません。
穴が開くというところまではいかなくても、胃潰瘍になった、胃炎を起こしたなどという話はしばしばあります。世の中には相当神経質な人がいるものだと思いました。
というのも、私はこれまで一度としてそんな経験がなかったからです。
私は、

    ストレスの塊

だと自認していたのですが、ひょっとしてこの程度のものは生き馬の目を抜く様な社会にあってはストレスといわないのかもしれません(笑)。激しい生存競争の渦中にあるみなさま、ごくろうさまです。
ところが、今月の初めに私はかつて経験をしたことのない苦しみに襲われました。なんだかみぞおちのあたりが苦しくなって、痛みがあり、何かをしようとする意欲がわかないのです。大きな声も出せないような感じで、当然食欲はありません。それでもしなければならないことが多かったので無理に仕事を続け、少し落ち着いたかと思うとまた悪くなるというありさまでした。
これだ! これがストレスによる胃炎なのだ、と気が付きました。私もやっと世間並みにストレスと呼べるものがあったのでしょう。それもそのはずで、この2か月の間は休む間もなく仕事をしていました。電車の中でもトイレの中でもウォーキングをしていてもベッドに入っても。当初「これだけの仕事がある」と思っていた時点で「これはなかなか大変だぞ」とわかっていたのですが、そのあと、次から次へと「これをやってくれ」「手伝ってほしい」などと言われて、ほんとうにできるのだろうかとかなり不安になりました。でも、もし期待されているならできるだけ応えたいと思うものですから、いっさい手を抜かずにやり始めたら、最終的には大変なことになってしまいました。
胃炎(あるいは胃潰瘍)くらい起こっても当たり前です。
ところが今どきは胃潰瘍でさえ重くなければ薬で治ってしまう時代です。私もおかげさまで薬を3日ほど飲んだだけでずいぶん楽になりました。
医者は嫌いですが、薬はありがたいです(笑)。

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パーティ 

今夜はクリスマスパーティという方もいらっしゃるでしょう。
同じパーティでも、政治家の資金集めパーティについて、キックバックしていたお金をきちんと支出、収入として記載せず、裏金としていたというので大きな問題になりました。
地検特捜部が動くのは政治家が不正を行わないためにも必要なことだと思います。いつぞや、ときの首相が自分の思いのままになる人を検察のトップ(?)に据えようと画策したことがありました。あれは、今回のようなことをされたくなかったからなのだろうな、と、今になってよくわかるできごとでした。
昔は政党助成金なんてなかったわけで、それで政治献金だのパーティだのという方法でせっせと癒着企業などからお金集めをしていたのだったと思います。それはおかしいというのであの助成金ができたはずなのに、パーティも献金もなくなることもなく、政治家丸儲けの極楽時代になったように思われます。
今回も、パーティはいいけど

    収支報告書

を書かないのがいけないのだ、という話になっているようです。もちろんそれは明らかな法律違反なのでしょうが、パーティっていうのもおかしいような気がするけどなぁ。法律にあまり関心のない私はそんなことを思います。
議員に券を売るノルマを課して、買いたくもない企業が買わされて、10枚買っても1人しか参加しないこともあり・・・。そもそもパーティというのは何かを祝うもののように思うのですが、「○○君を励ます会」なんて、形だけのものに思えてしまいます。励まされないと仕事もできないのか、と思います。「資金集めパーティ」と新聞でははっきり書いていますしね。
私は、パーティというものにほんとうに縁がないというか、ほとんどそういう場に出たことがありません。今一生懸命思い出しているのですが、忘年会のようなものがせいぜいで、それすら20年以上出ていないわけですから、いかに縁がないかが明らかです。
あ、今思い出した。そうだ、そうだ、大事なことを忘れていました。昔は

    謝恩会

という名のパーティがありました。広島の小さな短大時代はささやかなものでした(それはそれで嬉しかったのです)が、お嬢様学校に勤めていた頃はとても豪華で、一流ホテルの大広間でおこなわれて、年に一度だけ若い女の子に囲まれる日でした。あれは楽しい思い出でした。
7年前の豊竹呂太夫師匠の襲名のときもパーティがありましたが、私は失礼ながら欠席しました。出席者の御顔触れは錚々たる方々でしたから、私などが行っても所詮「壁の花」ならぬ「壁の枯れ草」になるだけだったと思います。
今回問題になった政党は、当分パーティを自粛するそうです。「当分」というのはもちろん「ほとぼりが冷めるまで」という意味でしょう。金づるをそうそう逃す人たちではありませんから。

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起きられない 

学生さんは「起きられない」とは言いません。「起きれない」でした。
ずいぶん前でしたが、朝の授業にまったく来ない学生がいました。なんでも、いつも5時ごろまで起きているので、1時間目は無理だ、とのことでした。しかし卒業単位のこともありますから、「生活を変えられないか」「そうしないと将来も困るぞ」と担当教員は指導したようなのです。でも結局どうにもならず、彼女は退学したと聞きました。
5時と言えば私が起きる時刻ですから、まったく私と彼女とでは昼夜が逆になっているようでした。そこまで極端ではなくても、2時、3時まで起きているという人は少なくありません。
私の中学、高校時代というと、AMの深夜ラジオを聴くのがトレンドでした。関西では桂文枝(当時三枝)さんとか笑福亭仁鶴さんらを知らないと恥ずかしいくらいでした。ところが、私は深夜まで起きているのが苦手で、午前0時まで起きているのは至難の業でした。大晦日は夜中まで起きていても文句を言われない日でしたが、私はやはり早寝をしました。
大学受験のときも、このままではどこにも行けないぞというので、夜は9時までに寝て朝は4時に起きて勉強するという決死の時期がありました。夜は眠いので勉強してもはかどらず、とにかく寝て頭をすっきりさせる方が良い、というのが私の理屈なのでした。
大学生、大学院生のころも、あることがわからなくて、そのことについてずっと勉強していたら夜が明けていた、という経験はありましたが、普通はずっと

    朝方の生活

をしていました。
ですから、かつての学生さんが毎日朝の5時まで起きているというのがまったく理解できず、それをどう矯正すればいいのか、相談されてもわからなかったと思います。ああいうのはやはりカウンセラーの仕事なのでしょうか。
朝寝坊なのですが、起きるといつも不機嫌で、自分でも嫌になります、どうしたらいいでしょうか、という相談を受けたこともありました。
この人はそんな極端な夜更かしではなかったのですが、寝るのが大好きで布団から出たくないという感じでした。
この時は彼女に

    「体操は案外良いですよ」

と答えました。「ラジオ体操のように時間のかかる体操でなくても、両手を上に上げてぐっと上に持ち上げるように背伸びをするとか、ストレッチをするとか、そんなことでいいから、ちょっとやってみると、とても気持ちがいいですよ」と言ったのでした。すると彼女はやってみます、と言っていましたが、成果はあったでしょうか。
私はずっとパソコンにかじりついている時、くたびれたらこういう体操をしたり、少し歩きまわったりして気分転換をすることが多いのです。今もちょっとくたびれたので思い切り背伸びすることにします。

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お人よし 

学生さんからこんなことを言われたことがありました。「私、つい何でも引き受けてしまって、人から利用されてばかりのような気がするんです。好きでもない人から告白されても断ることができずにしばらく付き合ったことがありました。この性格、なんとかならないでしょうか」と。
こういう人はけっこういるものです。で、自分は損ばかりしていると思ってしまうので、何とかしたい、と考えるのですね。
実は私も頼まれたことは断れない性格です。自分の存在を認めてもらっているような喜びとか仕事をさせてもらえる嬉しさとか、そんなことが魅力的に思えて引き受けてしまうのです。裏返して言うと、自分は存在感がなくて、仕事をさせてもらえないレベルだという

    劣等感

がそうさせるのだと思います。
ですから、実は「この性格、なんとかならないか」という気持ちにはならないのです。これはこれでいいじゃないかとすら思ってきました。実際、そのおかげでいろんな勉強をさせてもらいました。
大先生やすぐれた先輩の大学院生などが議論される歴史学の研究会に初めて行ったときも、部屋の片隅で息を殺してその人たちのお話を聞かせてもらおうということばかり考えていました。ところがどうしたことか、ある日の休憩時間にその指導者である大先生が近づいて来られて私が何者でどういう気持ちでここに来たのかなどをお尋ねになったのです。おそるおそるお話をしたところ、「ではあなたも発表してください」と言われてびっくり仰天。私は文学のほうで、歴史のことはさっぱりわからないので、先輩方のようなことができるはずもないのです。しかしその時も私は「はい、勉強させていただきます」と引き受けてしまって発表を担当し、それはそれは、いろいろ恥をかきました(笑)。でも、とてもいい勉強になって、その後の

    人生を左右する

ほどの発見もあったのです。今なお私が平安時代研究家を自称できるのもその経験があればこそなのです。
ただこのお人よし人生にも、腹立たしいことはいろいろありました。
仕事場で、私は授業担当者を決める仕事をした時期があって、すでにそのころは短大の国文科なんて風前の灯火のころで、誰もが専門外の授業を持たねばならなくなったのです。そこで、不平等にならないように、A氏にはこれ、B氏にはあれ、と「やりたくないであろう授業」を少しずつ割り当てていきました。会議の席上、案を出したところ、みなさん「しかたがないな」という顔で了承してくださいました。
ところが会議後に廊下で某氏に背中を叩かれ、「私ね、この授業無理だと思うのよ。代わってもらえない?」と言ってきたのです。この人はサボり教員で、雑用は人に押し付けて、おいしい所だけは持っていくことで有名だった(笑)人なので、「またか!」と思いました。しかし私もここは頑張ろうと思って「でも先ほど皆さん了承されましたし、こんな場所で言われても困ります。どなたも専門外の授業をなさっていますのでお願いします」と答えました。ところが、「私、専門外だから、こういう授業をするのは学生のためにならないのよ、自分のためじゃなくて学生が困るでしょ」という屁理屈をこねてきました。もちろん「自分のため」であることはわかっていますので、私はかなり抵抗しましたが。まるで受け付けず、「学生のため」という殺し文句(と本人は錯覚している)を使って食い下がるのです。私はもう金輪際この人とは話もするまいという気持ちで「では私がやればいいのですね。学生には迷惑かもしれませんが」と言ったら、涼しい顔で「そうそう、そのほうがいいわよ」とのこと。
お人よしにも五分の魂。結局その授業は私が担当して、それ以後その人を一切信用しなくなりました、とさ(憎まれ口をたたいてしまいました)。

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アマチュア相撲 

みかんを詰めた箱の中にひとつ腐ったものがあると周りのものも腐るといいます。最近は「腐ったみかんの方程式」という言葉もあるようで、学校のクラスの中にひとり良からぬ生徒がいると全体に悪影響を及ぼす、という意味で使われるそうです。
16世紀のイギリスの金融財政の専門家、トーマス・グレシャムは「イギリスの良貨が海外に流出する原因は貨幣を悪貨に改鋳していることにある」と言ったそうですが、それをひとことで「悪貨は良貨を駆逐する」と言い換えると、経済以外の問題にも通用することになります。
良質の文化はある程度は保護しないと低俗なものに駆逐されかねません。それをお金の問題だけで「何が良質だ!」「儲からないものに価値はない!」という考え方をするのははなはだ危険だと思います。きれいな言葉よりも崩れた表現が幅を利かせるのも今の時代(SNSなどで間違った言葉遣いが容易に広がってしまう時代)にはいくらでも例があることだと思います。
ほんとうにすぐれた人が大事にされず、口先だけの人が重用されたり、実力のある人よりも、お坊ちゃま、お嬢ちゃまという

    世襲

だけで出世したりするのも、どこか「悪貨は良貨を・・」に通ずるものがあるように思えます。
世襲と言えば平安時代の貴族も江戸時代の将軍も同じですが、政治家のお金の問題がいつまでも解決しないのは、「自分たちは違法なことをしてもかまわない」というまさにその平安時代の貴族とちっともかわらない思考の表れだと思います。たとえば、たびたび過差禁止令(派手で贅沢なことを禁止する)が出ているのに、平安時代の貴族は「俺さまだけはかまうまい」と意に介さなかったりしました。
政治家や官僚がブラックあるいはグレーなことをすると、民間も真似をします。お金が儲かるなら多少ブラックでもぎりぎり

    法律の許容する範囲

ならかまわないという発想も至るところにあり、企業はもちろん学校にまで見られる悲しい現実があります。特に学校というところは、そういうことはしてはいけないということを教える必要がある場だと思います。にもかかわらず・・。そもそも法律というのは弱者を守ることが第一義であるべきだと私は考えるのですが、実際はその逆になっているように思えます。
先日私は相撲の話で立ち合いにだらだらする人が多いのが気になるということを書きました。そのあとしばらくして、NHKがたまたまアマチュア相撲の放送をしているのを数分(取り組みとしては二番)観たのです。
そこで私はひっくり返りそうになりました。アマチュアでは塩をまいたりしませんから、蹲踞したらすぐに立ち合いです。ところがその立ち合いで、選手(といえばいいのでしょうか)たちが土俵を足で掃くような真似をしてなかなか手を突こうとしないのです。つまり、大相撲の悪しき態度の真似をしているのです。
大相撲の力士たちは自分たちの醜態がアマチュアにまで影響を与えていることを認識してもらいたいものです。
そして、世の中の権力者たちも、いずれ自分に返ってくるような「悪の真似事」などしない方が良いと思います。

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倒れました 

二か月ほど、ほんとうに忙しくて時間と仕事に追われていました。自分の勉強のためというだけなら時間についてはさほど厳密でなくても済ませられることはあります。しかし、私のような仕事の人間にとっては「締切」という恐ろしいものがあるのです。
相手に迷惑を掛けますから一日たりとも遅れるわけにはいかないので、ゴールを見極めたらそれに向かって邁進する必要があります。だからと言ってほかのことはどうでも良いというわけにはいかず、並行してうまく進めてゴールには間に合うようにしなければなりません。
忙しさが加速したのは秋以降で、特に

    十月の声

を聞くと朝から晩まで何かを調べたりメモをとったり原稿を書いたりしていました。電車に乗ったらまずは腰をおろして原稿のチェックをして、歩いているときは短歌(このたびは17首詠みました)の言葉の推敲をして、病院の待合にも必ず仕事を持って行きました。電車も病院も、暖かくてゆったり座れて、誰からも話しかけられることなく仕事ができますので、けっこうはかどるのです(笑)。
ところが、今月上旬のある日、朝から晩まで、昼休みもないくらい(10分ほどありましたが)で、仕事が終わったタイミングで急に気分が悪くなって、かつて経験のない疲れを感じました。前日に、出さねばならない原稿を出しましたので、ホッとしたこともあったのかもしれません。
以前なら、どんなに仕事が多くてもこんなに気分が悪くなるなどということはありませんでしたので、どうすればよいのかわからないくらいでした。
これがいわゆる

    寄る年波

という魔物なのでしょうか。からだのすべてがうまく動かないような気がして、特に胃が食べ物を要求しないのです。
これはダメだと思って、夕飯も欲しくないのでそのまま寝てしまうと、翌朝まで7時間気が付くことなく眠り、さらにしばらくして二度寝すると次に目覚めたのはちょうどお昼でした。
それでもまだすっきりせず、結局丸一日ほとんど何も食べませんでした。こういうときはグダグダしておけばよいのに、病院に行ったものですから、待合室では相変わらず読まなければならないものを読んでいました。こういう習性自体が病気というべきかもしれません(笑)。
ただ、食べるものの力というのはすごいもので、夜に少し食べると、活力が湧いてきたような感じになりました。特にリンゴを食べるとそれがスーッとからだに沁み込むような感じがして、力がつきました。戦時中でもリンゴをかじって勉強されたという米朝師匠のなさりかたはやはり正解だと思います。
今後は無理もほどほどにしなければなりません。

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「違うくて」の行方 

いつだったか、スマホに流れてきた動画で、英語をペラペラしゃべっている(らしい)人が外国人と話しているものがありました。どうやらかなり流暢らしく、英語のあまり得意ではない私などはうらやましくてしかたがありません。おいくつくらいの人かはわからないのですが、学生というわけではなさそうで、土日だけ撮影していると言っていましたから平日は勤め人ではないかと思います。
その動画では、私のようなもののために(?)日本語の字幕を出してくれるのです。直訳ではなく、多少おもしろおかしい言葉を用いた字幕です。おそらく視聴者として若者を念頭に置いているのだろう、と思いました。その中に「違かった」「違くて」というのが出てきました。私はこの方に対して英語を巧みに操るインテリっぽいイメージを持っていましたので、少なからず驚きました。
これはおおそらく「ちがかった」「ちがくて」と読むのでしょうが、最近よく用いられている言い方だと思います。ただ、どう考えても正しくない言葉(文法的に説明のしようのない言い方)なので、せっかくの動画の品格がガタッと落ちてしまいました。
「違くて」は

    違うくて

ともいうようです。これがさらに間違って使われる例として「間違くて」というのもあるのだそうです。新聞社の入社試験で「違うくて」と書いた人もいたそうで、この人はめでたく入社できたのかどうか。
「違う」は本来動詞ですが、「異なった状態だ」という形容詞的な意味(英語ならdifferentにあたる)を持ちますので、その連想から形容詞と同じ活用をさせたものでしょう。私にとってはどうにも気持ちの悪い言葉なのですが、若い世代の人たちは何とも思わずに使うようです。方言では「違うかった」などは使われているようですが、それを基準にしてしまうことは、参考にはなっても、言葉のルールを議論するには無理があると思います。
試みに「ちがかった」「ちがくて」を、今これを書いているパソコンで変換してみると「血が勝った」「地学手」となりました。ところが、

    “若者の味方”

であるスマホで変換してみると、みごとに「違かった」「違くて」が出てくるのです。スマホは「ふいんき」と書いても「雰囲気」と変換してくれますので、ありがたいやら困ったものやら。
辞書はどうかというと、「違うかった」「違うくて」などの項目を立てて、「誤用からできた言葉として用いられている」という意味の説明を付しているものもあります。
ことばは変化するものであることは当然のことです。古い言葉だけがきれいなのではないとも思います。たとえば私は、俗にいう「ら抜き言葉」については、自分では使いませんが、一段活用(上一段、下一段)やカ変の動詞の可能表現として、今や問題ない表現だとさえ思っています。
しかしこの「違くて」「違かった」はいくらなんでも理屈に合わないのが気に入らず、私は最後まで「これは使わない方が良い」と言い続けようと思っています。
所詮ごまめの歯ぎしり、無駄な抵抗で、数十年後には認知されているかもしれませんけどね。

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二重敬語 

何しろ昭和の人間ですから、いまなおあの時代を引きずったものの考えをしていることがあると思います。
小学校時代、まだ軍隊に行った経験を持つ年代の教師がいました。そういう人たちは、鉄拳とかいう暴力も平気で振るっていました。叩かれる方が悪いのだ、という理屈がまだ大手を振って歩いていました。また、「学校の先生は偉い人だ」という考えも強かったと思います。だからというわけではないのでしょうが、私は学校の先生に対しては敬語を使っていました。もちろん怪しげな敬語ですが、今どきのことばでいう

    タメ口

なんてもってのほかでした。
「(先生が)おっしゃる」とか「いらっしゃる」とか、そういう表現をするのは当たり前のことでした。
ところが、いつのころからか、先生の動作は「言ってる」「来てる」になり、敬語を使う対象ではなくなっていったようです。教師と生徒は友だちのように接するのが良い関係なのだという意識が強まったこともそういう風潮を助長したかもしれません。テレビで盛んに放送された「青春ドラマ」でも、若い先生と悪童たちの心の交流が多くて、彼らの間に交わされる言葉はあまりきれいなものではなかったように思います。
そんなこともあって、高校を卒業する年齢になっても、敬語は「丁寧語どまり」の域を抜け出せない人が多くて、「謙譲語」という言葉すら知らないままの人が少なくありません。
「私は敬語が得意だ」という人でも、結局は尊敬の意味の「れる」「られる」程度で終わっていて、私が小学校のころに使っていた「おっしゃる」「いらっしゃる」という敬語はめったに用いられなくなっているように感じられます。
ところが、若者たちとてそういう言葉をまったく知らないわけではないので、使おうと思えば使えます。でも使い慣れないので「おっしゃられる」などという言い方になってしまうことがあります。これは「おっしゃる」だけでも尊敬語なのに、さらに「れる」を付けているので

    二重敬語

として嫌われる言い方です。「召し上がられる」「おやすみになられる」なども同じです。ただ、「召し上がる」を「お召し上がりになる」と言うのもいわば二重敬語ですが、こちらは問題になりません。謙譲語でも「お話しします」だけでも謙譲表現になっていますが、「お話しいたします」と、さらに「いたす」という謙譲語を付けてもかまわないことになっているのです。要するに二重敬語が嫌われるのは尊敬表現に「れる」「られる」を付ける場合に限られます。
このあたりの話を噛んで含めるようにしなければならないのが、大学教育の現状です。
でもけっして「だから今の若いやつはダメなんだ」などと言ってはいけません。それどころか、私の学生時代に比べるとずいぶんいろんなことを理解していますし、優れた人は多いのですから。

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今年の十大ニュース(第五位~第一位) 

引き続き、第五位から第一位までです。
  5位 『源氏物語』の読書会始まる
連載している『源氏物語』のエッセイを読んでくださった方からのご依頼があって、今年の4月から『源氏物語』の読書会を始めました。私のやり方は単に朗読して現代語訳をするというものではなく、文章の後ろにある当時の人々のものの考え方や暮らし、風俗、宗教などを掘り下げるものです。「桐壷」巻から始めたのですがこの12月で2つめの「帚木」巻を終えたところです。先は長く、これから面白くなっていきます。
4位 短歌の創作何とかクリアする
短歌の創作はかなり大変です。たった31文字なのに、その小さな器に選び抜いた言葉を盛り付けるのは苦痛さえ感じるほどです。その結果良いものができればまだ喜びがあるのですが、「何だ、結局こんなものか」の繰り返しなのが悲しいのです(笑)。ほんとうは、ある程度数がまとまったら歌集を刊行すればいいのですが、先立つものがありません。最近はPOD(プリント・オン・デマンド)の方式もありますので、出版だけならなんとでもなりそうですが、歌集の場合はいくつかある短歌専門の出版社から出すのが常識とされています。たしかに、それがちょっとしたステータスにもなるのですが、そうしようと思うとやはりお金はかかってしまい、悩ましいところです。
  3位 ブログから、新しい友だち
Facebookには連日のようによくわからない人から「友だち申請」がきます。AIで作ったのかもしれないきれいなお顔の女性が多く、プロフィールにはたいてい「独身」「配偶者と死別」と書かれています(笑)。もちろんそういう人とは「友だち」にはなりませんが。このブログはたいしたことを書いていませんので、検索してきてくださる方なんてないと思っていたのですが、今年はそういう方がいらっしゃって、今もときどきメールで近況報告などをしています。とても立派な方で、しかも謙虚に物をおっしゃるのでお付き合いしやすく、こういう方と「友だち」になれるのはやはり嬉しいものです。
  2位 『源氏物語』のエッセイ連載続く
『源氏物語』についてのエッセイもあっというまに30回を超えて、11月に書いたもので丸8年、32回を数えました。せいぜい10回も続けばいいくらいに思っていましたので、まさかこんなに書けるとは思いませんでした。今は「須磨」巻で、主人公の光源氏が官位官職を奪われたあげく、須磨に落ちるあたりです。誰しもこういう苦境の時期があるもので、むしろそういう時期を経験した人の方が豊かな人生を送ることになりそうに思います。もっとも、私のように苦境のまま終わる人もいるでしょうが(笑)。
  1位 創作浄瑠璃「重源上人徳地功」の完成
山口県山口市徳地(旧山口県佐波郡徳地町)に伝わる徳地人形浄瑠璃のための創作浄瑠璃をここ数年考えていましたが、夏に書き上げました。長いものにはできない事情がありまして、コンパクトな作品にしています。鎌倉時代のはじめに、平家の南都焼き討ちで灰燼に帰した東大寺大仏殿の再建のために材木を求めて重源上人が徳地に入ったことは歴史的事実です。そして、彼の弟子の蓮花坊という人が材木を組んだ筏から落ちて亡くなったという話が伝わっており、それを素材にしました。もし蓮花坊さんの霊が浮かばれるようならありがたいことです。あとは、私が生きている間に上演されるかどうかという問題があります(笑)。またどこかの土地の浄瑠璃を創りたいと思っています。

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今年の十大ニュース(第十位~第六位) 

「十大ニュース」って、ひょっとして発想が昭和ですか? 昔は年末になると必ずテレビや新聞で特集していましたが、最近はどうなのでしょうか。ちなみに、パソコンで「じゅうだいにゅーす」は「十大ニュース」と一発で変換してくれますから、まんざら使わない言葉でもないですよね。もっとも、10個に限定せずに「重大ニュース」とすることもあるようですが。
でも、一年を振り返って何をしたか考えてみるのは悪いことでもないと思いますし、それをあえて10個にまとめておくのもわかりやすいと思っています。
ブログなので、私生活についてはこれまでも書いたことがありませんし、今後も書くつもりはありません。また、いやなこと、つらかったこともあまり書く気がしません。そんなわけで、実はもっと大きな悲惨な出来事があったかもしれませんが(笑)、それはここには載せません。
以下、私の今年の十大ニュースのうち第十位から第六位までです。

  10位 何とか無病で過ごす
一時は年に何度も入院するほどひどかった体調ですが、なんとか持ち直して、好調とは言えないにしても、大病もせずに生きることができました。2020年の春に日本に上陸したウイルスとも今のところ縁がなく、インフルエンザももう何年も罹っていません。感染対策として私が唯一励行している「手洗い」が、これほど効果があるとは思いませんでした。今月初めに胃を悪くしたのが唯一病気らしい病気だったと思います。10位にしましたが、実はこれが第1位なのかもしれません。
  9位 総歩数400万歩を超える
だんだん衰えていく体力ですが、今年もかなり歩きました。11月末の時点ですでに400万歩を超えました。このままでいくと、大晦日には430万歩くらいにはなりそうな感じです。そうなると1日平均11,780歩くらいです。幸い、膝が痛いなどということはありませんので、今後も無理をせずに歩こうと思っています。
  8位 イチゴ栽培2年目
ふとしたことから始めたイチゴ栽培です。昨年度はホームセンターで買った苗を育てたのですが、今年度(昨秋から今春)は自分で育てた株のランナーからできた苗を育てました。これも何とか実をつけて、さらに新しい苗ができて、今また生育中です。来春が楽しみです。
  7位 市民大学で「平安時代貴族の病悩」
頼まれて、自治体主催の市民大学という場で平安時代の貴族の病気についてのお話をしました。これが本来の私の専攻なのですが、たいていの人には「そんなこともやってるの」と意外な顔をされます(笑)。ちょっと史料を出し過ぎて、80分では収まらなかったのですが、話を聞いてくださった方には感謝の言葉しかありません。
  6位 短歌結社の代表になる
あまり大きな声では言えないのですが(笑)、今年、短歌結社の代表になりました。もちろん歌は未熟ですし歌壇でのお付き合いもほとんどありませんので単なる雑用係のようなものですが。それでも編集後記を書いたり、それ以外の原稿も臨時で書いたりする必要があって、思いのほか忙しいものです。今は新しい参加者を募ることを第一の任務と心得ています。

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ふたたび「アレ」 

毎年12月に発表されている「新語・流行語大賞」というのがあります。
どうも毎年「おじさんが選ぶ新語・流行語」のような気がしてなりません。
それとは別に「JC・JK流行語大賞」というのがあるらしいので調べてみました。「JC・JK」というのは「女子中生・女子高生」のことでしょうから、十代半ばの女性たち。ということは男性の意見は加味されていないことになり、これがちょっと問題だなと思います。
この「JC・JK流行語大賞」はいくつかの部門から成り立っているのですが、そのうちの「ことば」部門での「大賞」は

    「ひき肉です」

だったそうです。私は頭の中に「???」マークが入り乱れました。ひき肉って、ミンチのことでしょうが、それがどうしたのかわかりません。これはもうちょっと調べなければならないようです。第2位は「ヒス構文」、第3位は「なぁぜなぁぜ」。以下、「中学生限定クラブ」「不気味の谷」だったとか。私がかろうじて知っていたのは「なぁぜなぁぜ」だけでした。まったく不可解な、「謎」に近いレベルでした。
これはこれで世代限定(しかも性別限定)なので、ほんとうに流行したと言えるのかどうかはっきりしません。それにしても「おじさん選抜」の流行語大賞との違いと言ったら!
でも、「新語・流行語」の方でも、私などは「へー」「何、これ」というものがいろいろありました。「蛙化現象」「生成AI」「地球沸騰化」「ペッパーミルパフォーマンス」「闇バイト」などがあるのだそうですが、すべて言葉として流行したのでしょうか? むしろ「気になる社会現象大賞」ならわかるけど、というものが多いように思うのです。
この中では、私も知っていた「蛙化現象」は流行語に近いのではないかと感じます。
そして今年の大賞というのが

    アレA・R・E

なのだそうで、また野球の言葉なのか、と奇妙に感じます。去年は「村神様」という、「そんなの明治神宮近辺限定じゃないの」と思うような言葉でしたが、今年も同じようなものではないかと感じます。
かの「JC・JK」がすぐれているのは部門別にしているところです。今どき、全世代、全分野に隈なく行き渡るような流行語を求める方が無理なので、せめて「政治部門」「社会部門」「スポーツ芸能部門」「若者部門」あたりに分ければいいのに、と思います。
そして、この一年を振り返れるように候補を発表して、投票も加味して決めるようにするなどの工夫があってもよさそうに思います。
「増税メガネ」のような悪口めいたものは、私は好みませんが、何かチクリと世相を言い表すような言葉が見つかると案外おもしろいのではないでしょうか。

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2023年12月文楽東京公演千秋楽 

東京都足立区のシアター1010における12月文楽東京公演は11日間という短い公演でs、本日千秋楽です。
これをもって、2023年も本公演は終わり、次はもう2024年の初春ということになります。
時間よ、お願いだからもう少しゆっくり進んでくれないか・・・。
私は、千住というところには2度行った記憶があるのですが、ほとんど土地勘はありません。概して北の方にはあまり足を運んでいないのです。
これから何年にわたって国立劇場のない時代が続くのかわかりませんが、東京の文楽の灯が細くなるのではないかという、一抹の不安を感じています。

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今年の漢字 

7年続けてきた、「私の1年を象徴するような漢字」を今年も考えてみました。これまでの字は、
  2016年「耕」
  2017年「繋」
  2018年「忍」
  2019年「静」
  2020年「黙」
  2021年「星」
  2022年「関」
でした。
その年、その年に真剣に思ったことばかりで、振り返ってみると「あのときはこんなことで必死だったな」「あの思いを翌年も実現することはできなかったな」など、さまざまな記憶がよみがえります。
今年は趣きを変えて、自分の仕事がらみの漢字を考えてみました。それは、

    

です。『源氏物語』の勉強をほんとうに遅ればせながらこの10年ほど一生懸命続けてきました。学生時代にしておけばよかった、というか、しておくべきだったことなのに、ずいぶん遠回りをしたものです。
勉強すればするほど、なぜこの物語が1000年以上も読まれ続けてきたのかがよくわかるようになりました。あとは、この思いを関心を持ちながらこの作品に触れてこなかった人たちに少しでもご紹介することが残された仕事だろうと思っています。
天皇家出身の一族である「源」氏。その中でも光り輝くように美しい男性であるために「光る源氏」と呼ばれた人。頭脳明晰で心優しく、芸術の才にもあふれた人。こんな「完璧」に見える人物が、悩み、苦しんだ人生を描いたのがこの物語です。どんな人にも苦しみや悲しみはある、そういう普遍的な内容を持つからこそおもしろいのだと思います。
「今年の漢字」を「源」にしようと決めたのにはもう一つ理由があります。懸案だった山口県山口市徳地にある徳地人形浄瑠璃のための創作浄瑠璃の主人公は、奈良東大寺大仏殿の再建に大きな力を発揮した

    重源上人

だったことです。今もこの人物は、徳地の人から親しみをこめて「重源さん」と呼ばれ、土地の人々の誇りになっています。
重源上人と弟子の蓮花坊、土地の娘が繰り広げる悲恋の物語を、かの地の名所旧跡を詠みこんだ「道行」とともに作ってみたのでした。これは実際に現地に複数回行き、しかもかなりの距離を自分の足で歩いたからこそできたものだったと思います。
田圃の畔道に咲く彼岸花、滔々と流れる佐波川、その上流の関水やエメラルド色の淵、自然のままに残されている石風呂、重源が教えたと伝わる製紙産業。800年の時間を超えて多くのインスピレーションを与えられました。
大作ではありませんが、地元の人々が上演できる規模ということを考えて登場人物を絞り、道行は七五調の文章で子ども浄瑠璃でも語れるような長さにしました。徳地人形浄瑠璃保存会のMさんにはほんとうにお世話になりました。
というわけで、今年の私の漢字は「源」です。

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国立、万博、札幌(3) 

東京でオリンピックを実施して、大阪で万博、そして札幌でオリンピック。
1960年代から70年代にかけての日本は、それらの催しを誇りをもって実施したように思います。そしていまだにその夢が忘れられない人たちがいます。
札幌オリンピックについては、もっとも近い可能性が2042年になるのだそうで、どうやらほとんど白紙に戻ったような感じです。2042年なんで、私は生きているはずがありませんので、あとはもうどうぞお好きに、という感じになります。それでも、東京オリンピックの諸問題が発覚する前までは「2030年は札幌だ」と、少なくとも北海道の推進派の人たちは気勢を上げていたはずです。
結局は、あの東京オリンピックで

    20万円のアルバム

とやらを(官房機密費まで使って)IOC役員に贈ったという、恐らく「事実」がうっかり者の知事さんによって暴露されました。IOCも「アルバムは規則にのっとった感謝のしるし」だと事実上アルバムが贈られたことを認めるようなことを言い、しかしそれはルール上問題ないと強弁したようです。ほんとうに、この人たちの神経と言ったら信じられないほどです。彼らに日本の「臭い物に蓋をする」ということわざを教えてやってもらいたいものです。
そのほかに、国内でもさまざまな贈収賄があったりして、オリンピックは黒いお金が動くものという悪いイメージが染みついたことが札幌開催への空気が一変する大きな理由になったのでしょう。しかもそれを明らかにするわけでもなく、何としてもうやむやにしようという思わくがうごめいた結果、札幌でも同じことが起こるに違いないという国民の不安、不満が広がりました。
IOCの幹部連中も、甘い汁を吸っておきながら

    「自分たちは何も悪くない」

という権力者にありがちな傲慢さをもってJOCに批判がましい眼を向けました。どのつらさげて、と言いたくなります。もう、夏はギリシア、冬はソルトレイクかグルノーブルあたりに固定してアマチュア限定のスポーツの祭典に戻った方が良いと思います(絶対にそうはならないでしょうが)。
国立劇場、万博、札幌ともに、税金の無駄遣いという以上に、一部の人の利権のためにしなくてもいいことをしようとする点が問題なのではないかと感じられます。必ずしっぺ返しが来る、と不安になります。
一度決めても、動くべきだと思います。

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国立、万博、札幌(2) 

大阪市でおこなわれる国際博覧会(万博)の建設が進んでいます(進んでいません)。私はほとんど興味がないので、実情を知らないのですが、早い話が、カジノを作る下準備のための博覧会のように思えます。カジノを作るというだけでは反対も多いでしょうが、博覧会をしますというと「それはおもしろそうだ」という人がいるのは間違いありません。現に私は、かつて学生さんから多数のそういう意見を聞いたことがありました。うまいことやるものだ、というか、何とも狡猾な感じがします。参加する世界の国々はまじめに計画を進めているのでしょうが、肝心の建設問題がうまくいかないのではどうしようもなさそうです。
すでに

    前売り券

が発売になったと新聞で読みました。協賛する企業などはたくさん買って景品にしたりするのでしょうか。
大阪ではどれくらい機運が盛り上がっているのか、府外に住む私にはほとんどわかりません。大阪の人の半分以上は、推進する政党が(おそらく)大好きなので、「経済効果」とやらのためにも税金を使うことに異存はないのかもしれません。それでも湯水のごとく何百億円というお金が使われるのは横で見ていてもなんだか恐ろしくもあります。
政府も、それでなくても人気がないのに、費用の増額に「やむをえない」「(資材の高騰などは)不可抗力だ」などということで追加のお金を出そうとします。十一月の終わりには、今さらのように、政府の支出するお金として「日本館」を建てるための費用などが公になって、なぜこれまでもっとはっきり言ってこなかったのかと思いました。「日本館」を作らないと考えるほうがおかしいですから、そのための費用が必要なのは決まっているわけで、それがあの2000数百億円の中に入っているわけがありません。指摘されそうにもないし、できることなら黙っていよう、という考えがあったのではないかと思います。
物価が上がり、一時しのぎの減税のあとに戦争のための

    武器の類

を買う資金に充てる巨額の増税が待っている今の時代、お金の問題はデリケートです。遠方の地域の人は、大阪の税金が使われるのは地元だから仕方がないけれども、何で国税からお金を出すのか納得がいかない、と考えられるかもしれません。隣県に住んでいる私でさえ、日常の会話に博覧会が出てくることはまずありません。
2800万人の人が会場を訪れる(アクセスが心配)と言いますが、大阪の地盤の軟弱な人工島にあまたの建物を建てて毎日15万人ほどが往来するというのもすごい話です。
しかしもうチケットまで販売してしまったら、たとえ残り500日でパビリオンの建設は未着工であったとしても、あとには引けないのでしょうね。
一度決めたらテコでも動かぬ、なのでしょうか。

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国立、万博、札幌(1) 

それぞれにまったく別のものですが、本当に必要なのか、ということが議論されていることばかりです。
東京国立劇場は、どうしても稼がないといけないらしく、その投資として巨額のお金をつぎ込んでホテルや体験型の施設を含んだ文化ゾーンにしたいのでしょう。というと聞こえが良いのですが、要するに劇場と一体化して何とか儲けようという意識が強そうに思えます。ただそこで忘れられているのは、その間の伝統芸能の公演の維持、観客離れを防ぐ方策、新人の育成などではないか、と思えてなりません。足立区のシアター1010が悪いというわけではありませんが、あくまで仮住まいで、地方公演がある程度の期間続いて上演されるだけ、という感も否めません。お客さんがどう反応するかはわかりませんが、これを機会に文楽を観るのをやめよう、という人がいないことを願うばかりです。
大阪に国立劇場(文楽劇場)ができたときは、直前まで朝日座(道頓堀)で文楽の興行をしていて、そのまま新劇場での公演が始まったのでした。新しい劇場はキャパが多すぎて文楽には向かいと思われたのですが、床を設けたり回り舞台などを設営したりして、基本的な形は整っていました。というか、舞台機能は朝日座よりはるかに充実していたのです。それだけに移行はわりあいにスムーズだったと思います。あのときの4月公演(開場公演)は大変な盛況で、連日大入り、果てには

    日延べ公演

までおこなわれました。
それまでの朝日座は閑古鳥が鳴いていましたから、「同じことを同じように上演しているのになあ」と技芸員さんがおっしゃっていたほどです。
このたびの国立劇場建て替えは、今なお入札が不調のようで、ぽかんと

    10年ほどの空白

ができるかも知れません。
明治になって世界に目を向けたときに、政府の事業で劣っているのは文化支援だということに気が付いたのです。そこで早くから国立の劇場を建てねばならないと言われ続けて、やっとできたのがあの正倉院デザインの建物です。
あのデザインがどうのこうのというのは置いておいて、劇場はやはり単体として建ててもらいたいと思います。複合施設の中に劇場もある、という形は百貨店の大食堂みたいなもので、ほんとうの意味での文化施設という感じがしません。国立劇場に行くときは私もホテルに滞在しましたが、何も劇場付属のホテル(ホテル付属の劇場か?)を建てることはないと思います。すぐお隣にもありますし、私が定宿にしていたのはそこからもう少し離れた徒歩10分足らずのところで、何も不足はありませんでした。
文化庁の長官はどう考えているのか知りませんが、明治のころに文化の施設を建ててこそ世界に伍することができるのだ、と勢い込んでいた情熱はもはや失われたのか、と思えてならないのです。
一度決めたらテコでも動かぬ、なのでしょうか。

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玉手御前の恋心 

谷崎潤一郎は「所謂痴呆の芸術について」(昭和23年)において、義太夫節のストーリーの中でも、荒唐無稽でばかばかしいものの典型として『摂州合邦辻』を槍玉にあげました。いわく「猥雑で、不自然で、晦渋な筋」だと。段切の百万遍のくだりも、「騒々しい」と言って憚りません。
たしかに、太夫も三味線も力いっぱいの激しい熱演をしますから、「騒々しい」という聴き方は一理あると思います。それでもこの作品は人気があって、太夫さんの迫力を感じさせてくれるものとしては「弁慶上使」(これまた荒唐無稽の部類でしょう)などとともに代表的な作品だと思います。
菅専助、若竹笛躬の合作になるこの作品は、今は多くの場合「合邦庵室(合邦住家)」の実が上演され、まれに「万代池」が出るくらいでしょうか。
私が「合邦」の語りで番記憶に残っているのはやはり四代目津太夫です。この太夫さん倒れるんじゃないか、と思うくらい筒いっぱいの語りをなさったのが忘れられません。これはやはり義太夫節のおもしろさのひとつだろうと思います。
江戸っ子の谷崎には肌が合わなかったのでしょうか。
もうひとり挙げるとするなら、

    十代若太夫

です。と言っても、若太夫は昭和四十二年に亡くなっていますので、私は実演を聴いたわけではなく、録音です。それでもその迫力たるや凄まじいものでした。三味線は野澤勝太郎師だったと思います。余談ですが、この勝太郎師(今の富助さんの師匠)という方は病気をされて一線から引かれましたが、もし長く続けていたらどんなすばらしい三味線弾きになられたかと思います。亡くなったのは平成8年だったようですが、私はおそらく一度も聴いていないと思います。若太夫師とは「志渡寺」の録音も残っており、これもまた激しいものでした。
この「合邦」では玉手御前が

    俊徳丸

に恋心を抱いていることを装うのですが、いつのころからか、心の奥では本気で恋愛感情を持っていると言われるようになっています。私が初めてそう聞いたのは、もうずいぶん昔のこと、ひょっとすると20代のころかもしれませんが、瞬間的に「え、そうなの??」という強い疑問を抱きました。何しろまだ未熟ものでしたから、そうだったのか、と半ば信じるようにもなり、しかしその一方ではどうにも奇妙な印象が抜けきらないでいたのです。その後も「合邦」が出ると必ず「玉手の本心はどうだったのか」がマスメディアやファンの間で話題になったような気がします。
私は単純なのかもしれませんが、目いっぱい玉手は芝居をしているのであって、亡き高安通俊への思いと次郎丸、俊徳丸という二人の義理の息子を蔑ろにできないでいる苦悩の強さがその恋心もどきになったのだと思い、今なおそう感じています。演者の中にもそうおっしゃる方はいらっしゃるはずですが、私は舞台でいかにもそれらしく見えれば見えるほど逆に玉手の意志の強さばかりが感じ取れたのです。
唯一、演者の中で明確に私と同じ考えを表明してらっしゃるのは今の呂太夫さんです。この方は自分の考えをはっきり持つ方で、『曽根崎心中』の徳兵衛や『艶姿女舞衣』の半七などを「頼りない男」と評するのはおかしいし、『冥途の飛脚』の八右衛門を友人想いの男と見るのも間違っていると断言されます。
呂太夫さんと言えば十代若太夫の孫であり、来年はその名跡を継ぐことになっていらっしゃいます。この演目を得意とされた十代目はどのように考えていらっしゃったのでしょうか。

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編集者 

最近、ある人のお書きになった本の原稿をざっと読む機会がありました。どう思うか教えてほしい、間違いがないかチェックしてほしい、という依頼だったのです。実は、私はこういうことをこれまでにも何度かおこなっており、それで頼まれたのかもしれません。他人の本をあらかじめ無料で(笑)読めるという特権も与えられるわけで、しかも立派な方の業績にひとつでもふたつでも足跡を残せるわけですから名誉なことと言えるかもしれません。ちょっとした編集者気取り(笑)なのです。
私もこれまで書いたもので編集者の人とやり取りをしたことがありますが、みなさんとても時間をかけて読み込んでくださいます。一字一句、おかしいところがないかをチェックしてくださるので、とても勉強になりました。
自分で書いた文章というのは、自分ではよくわかっているのですが、他人の目から見ると奇妙に見えたり、意味不明だったりすることがあります。私もチェックしてくれた編集者さんに対して「これがわからないの?」と不思議に思ったことさえがあります。ここで編集者の言うことに耳を傾けるかどうかでその本の良しあしも決まってくる可能性があります。

    依怙地な大先生

になると、「私の書いたものがすべてなのだ」「編集者風情が何を言うか」と目くじらを立てんばかりの態度をとる人もあるようです。だいたいそういう場合は編集者の言うことの方が正しい(笑)ものです。幸い私は大先生ではないのでプライドを振りかざして依怙地になる必要もなく、編集者さんに教えを乞う態度を通してきましたので、たとえば呂太夫さんの本などは原稿の時点よりはるかによくなったと思っています。
このたびの仕事では、言葉が正しいかどうかわかりませんが、

    重箱の隅

を楊枝でほじくるようなこともしてきました。いったん本になってしまうと取り返しがつかないので、嫌われても、うるさがられてもいいからきちんとしておきたい、と思うのです。編集者というのはこんな気持ちで仕事をしているのだろうな、と感じることが多々ありました。
間違いをチェックして、といわれたのですが、私にそれほどの知識や見識があるわけではありませんので、「気になります」という形でお知らせしておきました。どんな立派な先生がお書きになるものでも、どうしても明らかなミスが出てきます。今回も、それについては自信をもって訂正できました。少しはお手伝いできたかも、と思えました。
最終的な責任は著者の大先生にありますので、私は気楽に物が言えたのも事実です。私が朱を入れたところでも、結局大先生の方が正しくて私が間違っていたということもあったと思います。
いつ刊行されるのかはわかりませんが、少しでも良い本になって世に出るようにと願っています(一冊もらえるかも・・笑)。

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少しだけ観た大相撲から 

どうやら私はもう大相撲を観なくてもいいのだろうと思うようになってきました。なるほど、魅力的な力士はいますが、なんだかなぁ、という人が多く、また相撲の内容ももうひとつ、ということがあるのです。十一月は忙しかったので、ほとんど観ていませんが、少しだけ余裕のある時にテレビをつけました。
気になることのひとつはまわしの締め方です。緩いのもだめですが、多くの力士がこれでもかというほど強く締めていました。からだに食い込んでいて、相手力士がまわしに手をやってもつかめないくらいでした。相撲は押すだけではなく四つに組んでの力比べのようなおもしろさもあります。いわゆる

    がっぷり四つ

に組んでの力相撲というのを、私はその日に観ることができませんでした。観ていて拳に力が入るような相撲です。四つ相撲の人はやりにくいだろうな、と思います。やっとまわしを取っても一枚まわしになったりして見苦しいです。
次に、勝っても負けても、勝負がついた後の態度のよくない人がいて不愉快な気持ちになりました。負ければ悔しいのはわかりますが、その場に「へたり込んで」しまって、なかなか立ち上がらず、無駄な時間を使う人がいます。勝った側も相手をにらみつけるような人がいて、醜いです。礼をしない人、しても頭を下げる「フリ」をしているだけにしか見えない人がいます。柔道が「国際化」したために美意識というのが失われていって、本家の日本人でさえ非礼なことをする人が増えましたが、どうも相撲もそのあとを追っているような気がします
手刀の切り方、懸賞金の受け取り方、仕切りの時のぐずぐず、これらは相変わらずでした。制限時間までの仕切りの回数が昔より短く感じられるのは、仕切り一回にかける時間が長すぎるからだと思います。
せっかく期待されている力士でも、踊るような

    妙な格好

をする人がいて、当世はああいう奇抜な格好をすることが「おしゃれ」なのかな、と、古い人間としては理解に苦しんでいます。
私の観た日にひとりだけこんな人がいました。時間いっぱいになって塩に戻り、汗を拭いた後、そのタオルを丁寧に折りたたんでしかも自分が顔を拭いた方を内側にして呼び出しさんに渡していたのです。名前は憶えていないのですが、私の知らない人でした。潔癖症なのかもしれませんが、とても気持ちのいい態度でした。全員がそうしなくてもかまわないのですが、ああいう人がいてくれるとちょっとホッとします。
その日ではなかったのですが、YouTubeで、何かのはずみでこんなシーンを観ました。時間になって相手が手をついているのに、1分以上手をつかずに動かなかった人がいたのです。こういうのは絶対にダメだと思います。自分のタイミングでないと立たない、というのではなく、相手と呼吸を合わせて立つのが相撲のきまりです。
昔はよかった、などと言うつもりはないのですが、大相撲に対する愛着が薄れていくのが寂しいのです。

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水分不足 

私は、ペットボトルに入っているジュースの類はまず飲みません。ペットボトルで口にするのは、講座に出かけたときに出していただくことのあるお茶くらいのものです。
でも、稀に口にすることがあるのが、スポーツドリンクです。「アクエリアス(コカ・コーラ)、ポカリスエット(大塚製薬)、GREEN DA・KA・RA(サントリー)、スーパーH2O(アサヒ) など、いろんな種類があります。やや医療的な印象の強いのは大塚製薬の「OS―1」でしょう。
その中で、私はキリンの

    ポストウォーター

というのが好きだったのです。ただ、この製品はいつのまにか製造が終わっていて、今はありません。キリンはその後「KIRIN LOVES SPORTS」を発売しました。「ポストウォーター」は独特の味でしたので、好き嫌いが分かれたのかもしれません。スポーツドリンクというのはけっこう砂糖が入っていますので、甘いしべたべたする感じがするので、私は比較的さっぱりした感じのポストウォーターが好みに合ったのです。たしか、人体(おそらく男性)のシルエットがデザインされていたはずです。
夏場は水分が大事と言われますが、暑いですから、言われなくても自然に飲んでいます。
何年前か忘れましたが、真夏に、どうしても調べたくて、京都府宇治市の木幡周辺をかなり歩き回ったことがありました。この時は本当に大変で、恐らく気温も35度を超えていただろうと思います。当然のどが、というよりからだが渇きます。それで、自販機を探して一日に500㏄ペットボトル2本くらいは飲んだと思います。一度にガバガバ飲むのではなく、少しずつなので、だんだん生ぬるくなってくるのが玉に瑕でしたが。あれはもうポストウォーターがなくなったあとだったのが残念です。
ともあれ、身体が求めてくるので、私は夏に水分不足を感じたことはあまりなかったような気がします。
むしろ問題は冬の水分不足です。
汗をかいたという実感はないし、気温が高くて干上がるような感覚もありません。それで、つい水分を取らなくなるのだと思います。それだけに、最近は意識して水分を取るようにしています。というのも、水分不足になると、夜中に

    足がつる(笑)

のです。そうならないためには、しっかりストレッチして、水分を取って寝ると良いと思います。
足がつったときの痛さってたまりませんよね。収まるまでの苦痛ときたら、泣きたくなるくらいです。
今夜も水をグイッと飲んで寝ることにします。

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「引窓」の想い出 

文楽十一月公演の演目の中に『双蝶々曲輪日記』がありました。相撲取りの濡髪と放駒が登場しますが、眼目になっているのは人を殺めてしまった濡髪が八幡の里にやってきた場面、つまり「引窓の段」です。今回は「欠け椀」と呼ばれる端場を小住大夫・勝平がつとめ、切場は呂太夫・清介でした。
継子の南方十次兵衛(南与兵衛)と実子の濡髪長五郎の間に入って母親が悩みます。役人に取り立てられた十次兵衛、殺人を犯してこの家に逃れてきた長五郎。十次兵衛は役目柄長五郎を捕らえねばなりません。目立つ特徴である

    ほくろ

をしっかり描いた長五郎の絵姿(人相書き)を、十次兵衛は各村に配らねばならない立場です。それを配られたら、それでなくても大男の長五郎だけに、たとえこの場を逃れられたとしても長五郎の身の上は危険極まりないでしょう。そして、義母と話しているうちに、十次兵衛は長五郎がこの家にかくまわれていることを察します。危機一髪です。
そのとき、母は「与兵衛、村々へ渡すその絵姿、どうぞ買ひたい」と願います。呂太夫師匠がまだ英太夫時代に語られたとき、この「与兵衛」という表現を、すでに引退されていた越路師匠がとても褒められた、という話を『文楽 六代豊竹呂太夫』でインタビューしていた時にうかがいました。それだけに、今回の公演もきっとすてきな語りだったのだろうと思っています。
私にとって、この演目の雛型は、ほかならぬ

    四代竹本越路太夫

のものでした。
若気の私は生意気な文楽ファンでしたから、あまり芝居にのめり込んで感動の涙を流すということはなかったのですが、この越路師匠の「引窓」で初めて我知らずの内に涙を流していたのです。
そのときの越路師匠の語りがどういうものだったのか説明せよと言われても、残念なことにもう覚えていないのです。それでも、芝居の中に自分が溶け込んでいったことや気がついたらほろりと涙が落ちていたことは忘れられません。
浄瑠璃っていいものだな、と初めて思わせてくれたのも子の語りだったかもしれません。
そのときの「欠け椀」は五代目呂太夫さんで、人形は十次兵衛が先代玉男師匠、おはやが簔助師匠、長五郎の母は玉五郎師匠、長五郎が文吾さん(玉幸さんとうってがえ)でした。あの日、劇場から帰る道はあまりの感動で、何も言えない(一人ですからしゃべったらおかしいのですが)まま、ぼーっとしたまま帰ったように思います。

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2023年12月文楽東京公演初日 

文楽東京公演と鑑賞教室が、東京都足立区にある千住のシアター1010で初日を迎えます。
公演のほうは、
 源平布引滝 (竹生島遊覧、九郎助住家)
で、織太夫・藤蔵、芳穂太夫・錦糸、文司、玉志、玉助らの出演。
鑑賞教室は
 団子売
 傾城恋飛脚(新口村)
で、藤・燕三、呂勢・宗助、簔二郎、勘彌らの出演です。
この劇場での文楽がどんな感じなのか、演者の皆さん、お客さんの反応が楽しみです。

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なまなましい 

つて国会議員だったらしい、どこやらの県の知事さんという人が、「東京にオリンピックを招致するためにこんなことをやったんですよ、しかも皆さんの目の前にいる、この私がですよ! どんなもんです!」(多少脚色しています)と、「講演」という名の自慢話で語ったというのが大きなニュースになりました。「首相」「官房機密費」などという言葉を使うことで、「自分はこれほど大物なんだぜ」と言いたかったのでしょう。
これを聞いて「びっくりした」という人もいるでしょうし、「まあ、あいつらならそれくらいのことするわな」という程度に思った人もいるでしょう。私はよく知らない人だけに、この知事さん、いったいどういうつもりであんなことを言ったのか、あまり賢い人ではないように思えて仕方がありません(失礼!)でした。
何でも、「お金ならいくらでもあるから、招致委員会のメンバーのツラを札束で張ってこい、ただし、現ナマというわけにはいかないから、ヤツらの自尊心をくすぐるようなものを与えて票を買え!」(多少脚色しています)というようなことを、またまたアノ首相(当時)が言ったのだとか。お金は

    官房機密費

にたんまりあるぞ、ということのようでした。よくも税金を自分のポケットマネーのように言えたもんだ、と思います。
一人20万円相当のものを100人ほどに贈ったそうですから、単純に計算すると2000万円。これくらいのお金なら、機密費からなら領収書もいらないし、すぐに出せるものなのでしょう。
それにしても税金を賄賂に使うというのはどういう神経なのでしょうか。主導した首相も賢いとは思えないし、それを実行した人も似たようなものだし、そしてそれを受け取った人もお話になりません。
とどめを刺したのが、それを自慢げに話したこの知事さん。おそらく誰かに(おそらくとってもエライ元政治家あたりに)叱られたのでしょう、あわてて「事実誤認」「全面撤回」と、

    四字熟語

を使えばけむに巻けると思ったらしく、そのあげくには新聞記者に何を問われても「もうこれ以上何も言わない」と逃げ回ったようです。話があそこまでなまなましく具体的なのに、撤回なんてできるはずがないことがわからないのでしょうか。やっぱりあまり賢くはなさそうです(またまた失礼!)。
しかし、よくぞ言ってくれたとも言えるわけで、「天網恢恢疎にして失わず(漏らさず、とも)」ということわざの確かさをこの人が実証してくれたことにもなるでしょう。
それでなくても支持率が低迷している現首相にとっては「オレは関係ねぇよ」と言いたいところかもしれませんが、泣きっ面に蜂ということわざのとおりになるかもしれませんね。
以上、四字熟語とことわざのお話でした。

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敬語がなくなれば(2) 

近頃はアナウンサーでも敬語の怪しい人がいます。以前、NHKのアナウンサーが「千葉ロッテの監督をお務めした井口さん」と言っていた(字幕にそう書かれていた)ことがありました。「お務めになっていた」と言えないものだろうかと思いました。
まして誰も変だと思わなくなった「おられる」なんて、普通に使っているのではないでしょうか。おそらく、MCと呼ばれる仕事をするタレントさん(つまりアナウンサーの教育を受けていない人)だったら、何となく知っている敬語らしきものを使っておればそれで通用し、テレビを観ている人がそのあやまった語法を聞いて「ああいう言葉があるんだ」とおもってもおかまいなしでしょう。こんなことにケチをつけるのは私くらいのものかもしれないのですから。
あの人たちもひょっとすると「敬語がなくなればいい」と思っているのかもしれません(知らんけど)。
海外の人の話し方はたしかに年齢に関わることなく、とてもあけっぴろげに感じられます。

    「フレンドリー」

が大好きな若者たちがあこがれる気持ちも理解できないわけではありません。
さて、国会で「敬語使用禁止法」が成立しました。さあこれでみんな平等だ、目上も目下もなくなった、オラたちもやっとメリケン国に追いついた、と大喜びをする人が続出し、この法を成立させた党の支持率が劇的に向上しました。そんな事態を想像してみます。
俺さまに敬語を使わないとはどういうことだ、と思っている社長さんあたりは、「フレンドリー」に話しかけてくる部下に対してとても不愉快な顔をします。
この法を通した議員は「俺たちは例外だ。政治家に対してはこれまで同様に敬語を使え」と官僚に命じ、官僚は「また政治家が

    アホなこと

を言っている」と思いつつも、「ハイハイ」と言って恭しい言葉を使いながらセンセ―たちを手のひらの上で転がしています。
さて、歓迎していたはずの若者たちも、自分たちが先輩になり上司になると、舌のものが馴れ馴れしく話してくるのがどこか不満げです。
そういう不満がグツグツ音を立ててマグマのように地下で煮えたぎっています。法律違反をして罰金を払うのが嫌なので、我慢に我慢を重ねていたのですが、ある日誰かが「王様は裸だ」と言った少年のように「敬語を使わせてくれ!」と言い出しました。すると周りにいた人も「そうだそうだ」と同調し、ついには署名が始まり、数千万筆が集まりました。これは大変だ、支持率に関わるぞ、と思った政治家が早速「敬語使用禁止法廃止案」を国会に提出、またまた圧倒的多数で可決されました。
・・こんな内容のブラックジョーク小説、誰か書かないかな?

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