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賭け事(2) 

ロサンジェルス・ドジャーズの大谷選手の通訳が突然解雇されたというニュースには多くの人が驚いたことでしょう。前日まではベンチに入って普通に仕事をしていたのに、翌日はもう解雇。なんともやりきれない話でした。
真相はどうなのか、と、例によってテレビは連日長い時間を割いてこの問題を取り上げていたようです。もっとも、私はまったく観ていませんのでどういう観点からどんな人が話していたのかなど皆目わかりません。
一週間ほどしてから、大谷選手が自ら自分がギャンブルには関与していないことを語り、お金を盗まれたという声明を出しました。本格的な開幕を目の前にして、最低限のことは説明しなければならないということだったのでしょう。一時は大谷選手がギャンブルをしていたのではないかとさえ言われていましたが、どうやら彼の野球選手として資格は維持されるように思われます。それがせめてもの救いだったかもしれません。私はもちろん大谷さんという人にあったこともありませんが、おそらく間違ったことの嫌いな人だと思います。それだけに、自分が間違っていたら(どこやらの政治家とは違って)

    「私が間違っていた」

とはっきり言う愚直といってもよさそうな人だと思うのです。
今はこの通訳さんの身の上が気になるのですが、何もわからない私がこれ以上ここで書こうとは思いません。
ただ、賭け事は人生を狂わせることがあるものだとしみじみ感じることになりました。
私は賭け事というのがまるでダメで、パチンコも競馬も一切できません。人間とのかかわりの深い動物ですし、そもそも馬の姿などとてもきれいで好きですが、競馬となると馬券の買い方すら知りません。昔の単純なものならわかりますが、最近の、なんだか画面が目まぐるしく変わるようなパチンコ(何かの映像で見たりすることがあります)になるとどうやって遊び、どうすれば勝てるのかということすら首をひねります。と言っても、私は別に聖人君子のようにまじめなわけではなく、賭け事に費やす時間とお金がなかった、というのがその主な理由なのです。でもそれ以前に、そもそも賭け事というものは性分に合わないのだろうと思います。
翻って、大阪市で計画されている

    カジノ

はほんとうに大丈夫なのか、私は不信感がぬぐえません。入場制限があるから大丈夫、何億円も取られることはない、ギャンブル依存症対策は万全だ、などという反論があるのかもしれません。しかし億なんてお金でなくても、たとえば私なんて100万円でもなくなったら命取りになりかねません。依存症対策といっても、カジノの入り口に医者や相談員を置くわけにもいかないですし、お客さんの背後から肩をたたいて「そろそろおやめなさい」ということもできないでしょう。
私は依存症になってからでは遅いのではないかと思います。人間は弱いものなので、いつの間にか賭け事の沼にはまってしまうということもあるはずです。はまる者が悪い、というのはひとつの理屈ですが、政治が主導してわざわざそんな沼を作ることもないように思うのです。大阪は海を埋め立てて陸を作り、そのあと沼を掘るわけですね。

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賭け事(1) 

今年のアメリカメジャーリーグ野球の開幕戦は、なんと、韓国でした。韓国人のキム・ハソン選手がいるからなのでしょうか、サンディエゴ・パドレスがはるばる太平洋を渡ったのです。
パドレスにはダルビッシュ投手がいますので、日本でも話題になりそうだ、と思っていたら、よりによって対戦相手がロサンジェルス・ドジャーズ。大谷、山本両選手が入団し、さらにはパドレスにも松井投手が入ったために、キム・ハソン選手の凱旋試合なのに、日本ではまったくそういう観点からの報道は見ませんでした。韓国の人もきっとキム・ハソン選手を応援していたのだろうと思うのですが、日本のテレビに映るのはドジャーズばかり、大谷選手(ご夫妻)ばかり。そして韓国のファンへのインタビューも大谷ファンの人ばかりで、あたかも韓国中が

    大谷フィーバー

になっているかのように思えました(実際はどうだったのか知る由もないのですが)。
ダルビッシュ投手のパドレスだけだったら日本でここまで大きな話題になっていたかどうか怪しいものですが、大谷人気は野球ファンたちにとどまらなかったように見受けられました。その証拠に、2試合とも地上波で放送され、なかなかの視聴率だったようです。山本投手は残念ながら活躍できませんでしたが、ほかの3選手はまずまずだったのではないでしょうか。ドジャーズには私でも知っているムッキー・ベッツとか、フレディ・フリーマンなどの名選手もいて、韓国でもかなりの人気だったようです。あげくには(おそらく愉快犯の)爆破予告まで出るというおまけまでついたようでした。
調べていないので知らないのですが、チケットは

    何万円

という桁だったのでしょうか。会場となったドームは定員が少ないのだそうで、余計に値段が高騰したというのは何かで見ました。それでも日本の旅行社がチケット付きの旅行パックを販売していたはずです。さすがという感じです。あとは転売屋が跋扈しなかったかどうかが気になっただけです。
ところが、一試合目が終わったあと、驚くようなニュースが駆け巡りました。大谷選手の通訳が突然解雇されたというものでした。通訳という裏方さんなのに、とても人気があって、大谷選手も信頼しているように思っていました。ところが賭け事をして失敗し、莫大な金額の借金を背負っていたのだとか。好感度の高かった人でしたので、賭け事とのギャップも感じられ、こんなことがあるのか、と信じられないくらいでした。私だけでなく、多くの日本人がキツネにつままれたような気持になったのではないでしょうか。

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若い力士たち 

大相撲春場所が終わりました。
私はあまり熱心には観ていませんが、ときどきちらちらと観戦していました。
横綱が残念ながら腰が悪いそうで、満身創痍の状態。気の毒な感じがしました。いつ引退してもおかしくないように思いますが、事情があるのでしょうか。
大関も、やっと勝ち越したかと思うとそのまま休場した人もあり、また負け越した人もいて抜群の力量があるという人は見当たりません。関脇、小結もベテランが多く、これから大関に上がるのは難しいかもしれません。復活してきた朝乃山も上位と当たるともう一歩の足が出ないことがあったようで、9勝どまり。大関への復帰はかなりの難関に見えます。
そんな中でびっくりするような力士が登場しました。

    大の里

という立派なからだの人が出てきたのです。私は、噂は知っていましたが、その相撲を初めて観たのは中日あたりのことでした。大の里という名はかつての大関の名で、由緒あるものです。師匠が稀勢の里の二所ノ関親方、この一門には稀勢の里や若の里、その師匠の隆の里のように「~の里」の名があります。いずれも立派な力士です。大の里の場合は、その素質を見込まれて最初から素晴らしい名前をもらって大いに期待されているようです。デビューは幕下十枚目格だったそうで、完全なエリートですね。
この人は礼儀正しく、所作も悪くありません。時間になってからもぞもぞする人が多い中で、蹲踞から間を置かずに手をついて立ち合いに向かう人です。手刀もきちんと切りますし、呼び出しさんに対する礼もわきまえています。嫌味のない力士だと思います。
もう一人が

    尊富士

という人で、この人はまったく知りませんでした。しこ名からわかる通り、照ノ富士と同じ伊勢ヶ濱部屋の力士です。初めて見たのが十一日目の大関琴ノ若との一番でした。さすがにこの日は負けるだろうと思ったのですが、圧勝でした。足がまだ細い感じがして、どっしりしているとはいいがたかったのですが、上半身の筋肉の盛り上がりなどすごいもので、何となく三代目の若乃花(若貴兄弟の兄)を思い出しました。大の里と違って、この人は前相撲からスタートしてとんとん拍子に出世してきたようです。序の口、序二段と優勝して幕下に上がり、優勝はなかったようですが好成績で十両へ。すると十両でいきなり優勝して一場所で入幕したという逸材です。
この人も礼儀正しい人で、タオルはきちんとたたんで呼び出しさんに渡していました。ただ、仕切りは大の里に比べるともたもたしていた印象がありますのでその辺はきれいにしてほしいのです。
さて、その春場所の結果です。私は、失礼ながら名前も知らなかったこの尊富士という人が見事に優勝しました。十四日目に朝乃山に敗れたときに痛めた足を引きずりながらの千秋楽の相撲で見事に13勝目を挙げたのです。これはもうびっくりでした。
大の里と尊富士人の取組はあいにく観ることができなかったのですが、尊富士が勝ったようで、こうなると大の里も黙ってはいられないでしょう。今場所の借りは返すという具合にライバル意識を燃やすと、今後も楽しみな対戦になるはずです。
大荒れに荒れた春場所でした。

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男の修行 

東京には4年行っていませんが、その4年前には例によってあちこちうろうろと歩き回っていました。深川江戸資料館を目当てに江東区の清澄あたりも歩いたのですが、この地域には相撲部屋があります。まったく何も調べていなかったので、突然「大鵬道場」という看板に出会ったときは驚きました。大嶽部屋ですね。親方は、現役時代は大竜と言っていた人で、大鵬親方(元横綱)の直弟子でした。最高位が十両で部屋持ちの師匠となるにはやや物足りない経歴ですが、先代大嶽親方(元貴闘力。大鵬の女婿だった)が廃業し、大鵬親方に懇願されて部屋を継ぎました。それまでは借株ばかりで親方を務めた経歴しかなかったのですが、実務にも優れて、立派な親方のようです。
そしてその大嶽部屋から遠くないところには

    錣山部屋

がありました。元関脇寺尾の錣山親方の開いた部屋です。錣山親方は残念ながら心臓を悪くされて、昨年末にまだ六十歳の若さで亡くなったのでした。今は元豊真将の立田川親方が錣山に名跡を改めて部屋を継いでいらっしゃいます。この豊真将という人はまじめで土俵態度もよいことで知られた人です。
現錣山親方は襲名して初めての稽古の時に「『男の修行』をやろう」とおっしゃったそうです。私の苦手な(笑)軍人ですが、山本五十六の有名な言葉です。錣山部屋の「道場訓」だそうです。

 苦しいこともあるだろう
 云い度いこともあるだろう
 不満なこともあるだろう
 腹の立つこともあるだろう
 泣き度いこともあるだろう
 これらをじっと
 こらえてゆくのが
 男の修行である

いかにも明治生まれの人らしい考え方だと思いますが、こういう発想は、私もいくらか持っています。何一つ我慢しないで言いたいことを言うというのは私の人生美学にも当てはまらないのです。それが悪いとは言いませんが、へたをすると単なるクレーマーになってしまうと思うのです。
錣山部屋では、この道場訓をお弟子さんたちが全員で大きな声で言うのだそうです。相撲の稽古は厳しく、へとへとになるでしょう。でも、最後にこの道場訓を唱えることで気持ちが引き締まるのかもしれません。
21世紀の今、「男の修行」なんて時代遅れに思えるかもしれませんが、男に限らず、人間として我慢することはある程度までは必要だろうと思います。もっとも、我慢の限界を超える場合は

    喧嘩

したってかまわない、というのが私の考えですが。
山本五十六というと

 やってみせ 言って聞かせて
 させてみて ほめてやらねば
 人は動かじ
 話し合い 耳を傾け
 承認し 任せてやらねば
 人は育たず
 やっている 姿を感謝で
 見守って 信頼せねば
 人は実らず

という名言もあります。
いまさら遅い(笑)のですが、私も学校教員を務めてきた者として心に置いておくべき言葉だろうと思っています。

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教え子さんとの再会 

このブログに時々コメントをくれる人の中に「押し得子」さんという人がいます。彼女については少しここに書いたことがあるので若干繰り返しになりますが、ずいぶん昔に私が少しだけ授業をしたことのある人なのです。私がまだ駆け出し教員のころですから、けっして「師匠と教え子」などというような御大層な関係ではなく、最初から気軽に話をして、授業が終わっても雑談をすることもありました。非常勤講師先の学生さんでしたので、それだけの縁で終わるのが普通ですが、なぜか卒業してからも何度か会うことがあり、いつしか少し年の離れた友だちのようになっていました。社会人としての常識のない私にとっては、むしろ彼女のほうが「師匠」のように感じることすらあります。
彼女とはもうかなり長く会っていませんし、もう会うことはないかもしれません。しかしこういう場で付き合ってくれることに感謝しています。
さて、この人とは別の教え子さんもたくさんいます。今でも年賀状をくれる人はいますし、FacebookやInstagramでお付き合いのある人もいます。
最近、その中のある人が出産したという投稿がFacebookにあったことは、少し前のこのブログでも書きました。このように、SNS上であってもつながりを持ち続けていると、

    おめでとう

と声をかけるのも簡単です。
かつて勤めていた短期大学(すでに廃学)でもたくさんの人と出会いました。もちろんすべての学生さんと平等に接してきたのですが、その中でも忘れがたい人はあるのです。授業をするだけでなく、せっかく文学の学科に来たのだから何か思い出になるようなことをしませんか、と声をかけて、一緒に短歌を作っていた学生さんがいたのです。授業時間ではなく、曜日を決めて数人の学生さんが歌を持ち寄って、私の研究室で合評会の形で話し合っていました。
彼女はその中の一人で、一番熱心だったように思います。
今も連絡をくれることがありますので、私が短歌の同人に所属していることを伝えたところ、

    「私も入りたい」

と言ってくれました。
びっくりするやらうれしいやらで、久しぶりに心が温まった気がしました。遠方に住んでいますので、会うことはなかなか難しいと思いますが、短歌というものを通して「再会」できるのは幸せです。
かつてまだ十代だった彼女が、人間として成熟してどのような歌を詠んでくるのか、とても楽しみでもあります。

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図書館の恩恵 

今と学生時代と、どちらが豊かな生活をしているかというと、私の場合は明らかに学生時代です。大学院生のころは予備校や高校でバイトしていたのですが、収入は年に200万円くらいでした。ここから授業料を払って、アパートの家賃を払って、食べるものを食べて、飲むものを飲んで(笑)、文楽に行って、おまけに大量に本を買っていました。いったいどうやって200万円からこれだけのことができたのか不思議でなりません。
もっともあの当時、文楽のチケットは2,000円台で買えたはずですし、私は食べるものに贅沢をしませんし、パチンコやゲームセンターで遊ぶようなこともなく、服にもお金はかけず、タバコも吸いませんから何とかなったのかもしれません。
今は書籍に関しては

    図書館

のお世話になってばかりで、ほんとうに買わなくなりました。
地元の図書館のほか、周辺都市のもの、少し離れた大都会(神戸や大阪)のものなど大変お世話になっています。
図書館の利用方法もずいぶん変わってきています。もちろん便利になっているのです。自分の居住自治体だけでなく、周辺の町との連携で、本が借りられることがあります。私はこれまでに大阪府立図書館(東大阪市の中央図書館、大阪市の中之島図書館)からもけっこう本をお借りしています。私が借りるものは薄っぺらなものはめったにありませんので、持って帰るとき、お返しするときは不便なのですが。
図書館の司書さんも本当に親切に対応してくれます。私のような障害のある者でも十分利用できてありがたいです。大阪府立中央図書館はきれいですし、たいてい机が利用できて開架の本も多く、ありがたいです。閉架のものでも司書さんは自転車で書庫内を走り回ってすばやく持ってきてくれます。
図書館にとって極めて重要な要素が「検索」です。昔はいちいち図書館に置かれているカードを繰って本を探していましたが、今はパソコンやスマホで簡単に検索できます。文楽劇場の図書閲覧室も以前はカードでしたね。ちょっとした関連ワードから本が探せるのも便利です
もうひとつ私が利用するのはコピーサービスです。高めのコピー代、手数料、郵送料がかかりますので割高に思えますが、東大阪市まで出かけることを思えば安いものです。
最近では、京都府精華町にある

    国立国会図書館関西館

にコピーをお願いしました。これも、国会図書館のIDを持っていれば、スマホをチョイチョイと動かすだけであとは待っていればいいという便利さ。
何が何でも現地に行って探しては申込表に記入してコピーしてもらっていた時代とは隔世の感があります。
しかしこれだけ便利なのに、相変わらずまともなものが書けないのはなぜなのでしょうか。

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季節の魚 

私はあまり動物性たんぱく質を取らないので、健康の面でよくないのかな、と思っています。かといって、一切拒否するものではなく、ヴェジタリアンというほどでもありません。
ヴェジタリアンには、ラクトヴェジタリアン(植物性食品、乳製品を食べる)やペスコヴェジタリアン(植物性食品、魚、卵、乳製品を食べる)など、いろんな種類があって、そのもっとも極端なのがヴィーガンですね。私は動物性たんぱく質をいくらかは食べていますから、このうちのどれにもあたりませんが、好みとするとラクトヴェジタリアンに近いかもしれません。
魚はすしになると問題ないのですが、煮たものはあまり好きではありませんし、焼き魚もさほど好まないのです。ただ、好まないだけで、ありがたくいただいていますけれども。
魚というと、最近は季節の魚、いわゆる「旬の魚」が何かと失われつつあるように思います。
かつて

    サンマ

というと秋にはしばしば食べていたものですが、最近は高級になって私の口には入りません。なんでも、20年ほど前は漁獲量が30万トン前後だったのに、激減していて、特にこの5年くらいはひどく、昨年は2.4万トンくらいだったそうです。地球高温化の影響だといわれています。

 あはれ
 秋風よ
 情あらば伝へてよ
 ーー男ありて
 今日の夕餉に ひとり
 さんまを食ひて
 思ひにふける と

とうたった佐藤春夫が、この状況を知ったらどう思うことでしょうか。
春が旬の魚というと文字通り「鰆」がありますが、ほかにもメバルとかマダイとかいろいろあるようです。
関西(おもに兵庫県)で春を告げるといわれるものに

    イカナゴ

があります。イカナゴと言っても、好まれるのは小さな新子(しんこ)です。昔は地元の人以外はそんなに食べられたわけではなく、いくらでも獲れるために極めて安価で、余ったら肥料に使っていたといいます。私が学生のころ、神戸の友人が当たり前のように「いかなごのくぎ煮」の話をしてきたのですが、わたしは「??」という状態でした。食べたことはあったのかもしれませんが、そんな名物だとは知らなかったのです。ところがその後、くぎ煮を広めようという地元の方々の努力が功を奏してよく知られるようになり、春の風物詩とまで言われてきたのです。
この「いかなご新子」がまた大変な不漁に陥っています。昭和45年ごろは兵庫県だけで4万トン近い水揚げがあったのに、2017年以降激減して、昨年は1,200トンくらいだったそうです。
そして今年は、漁自体が

    1日で終わる

という事態になって、1㎏あたり6,000円、7,000円などという話も聞きます。これではとても庶民は手が出せず、私の周囲の庶民仲間(笑)もこぞって「今年はあきらめた」と言っています。
専門的なことはわかりませんが、なんでも栄養塩というのが不足してプランクトンが減り、それを餌とするいかなごも減ったという連鎖があるのだそうです。以前は工場排水などがひどくて赤潮になったことがありましたが、その後赤潮防止策がとられたことで海が「きれいに」なって、栄養塩も海に流れ込まずにプランクトンが減った、ということだそうです。「水清ければ魚棲まず」と言いますが、
自治体も黙ってはおれず、栄養塩の豊かな海底の泥を耕耘(こううん)したり、ため池にたまっている泥水を海に入れたりしているそうですが、そう簡単に効果は出てくるわけではありません。これも何か自然から人間への警鐘のようにも思えるのですが、考えすぎでしょうか。

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簡単な確定申告 

長らく、払い過ぎの税金を返してもらうために、2月から3月にかけては数字と格闘してきました。「格闘」は言い過ぎだろう、と言われそうですが、昔はほんとうに格闘でした。
収入がいくらの人はこうやって計算しなさい、支払金額から控除後の金額を出しなさい、医療費控除はこういう計算の仕方をしなさい、控除後の金額から支払うべき所得税を出しなさい、その所得税と源泉徴収された額との差額を出しなさい、等々のマニュアルに従ってこまごまと算数に励みました。その挙句にためていた医療費の領収書を、家族別に電卓を使って1円単位まで合計して手書きで記入して・・・。
そして、やっとできたと思って検算すると必ず合わない(笑)のです。
今はもうこういう計算は全部パソコンの仕事になっていて、何もしなくていいのですね。e-Tax も普及してきて、さらに便利なのだと思います。「・・だと思います」というのは、私がまだ使っていないからです(笑)。恥ずかしながら、いまだに印刷、郵送をしています。それでもあっという間にできてしまい、源泉徴収票は貼らなくていい、医療費の領収書も同封しなくていい、折りたたんだら郵送料は94円で済みます。封筒はかつて仕事場で「色あせたために廃棄するから自由に使ってよい」といわれて持ち帰ったものなので無料(笑)。
そんなに簡単なものなら、2月の初めにはできたのでしょうね、と言われるかもしれませんが、それができないのが私です。面倒なことは、ぎりぎりにならないとなかなか行動に移せないのです。
結局今年も

    締め切り間際

になってやっと税務署に送りました。
それにしても、昔に比べて還付額の低いことと言ったらありません。なにしろ国民負担率がいつの間にかどんどん増えていて、いくら控除される医療費が増えても追いつかないくらいです。所得税や消費税などを上げると国民は怒りますから、「これは社会保障のための費用ですからね」「震災からの復興のための税金ですからね」という決まり文句で負担が強いられます。
税金も、直接税だけではなく、なんだかんだと言っては「こっそり」(そして「ごっそり」)取られている感じがします。
私の医療費は10年前に比べて

    激増している

のですが、還付される金額は逆に減っています。謎です。もっとも、あまり所得税を払っていないので、還付率は高いのかもしれませんが(笑)。
今年は、政治家の裏金問題が確定申告の時期に重なって国民は余計にピリピリしていたかもしれません。
「そもそも飲み食いや贈り物に使う『政治資金』というのも一種の裏金じゃん」とさえ思えるくらいです。これは野党の皆さんも大きな声では言えないはずですから、私が言っておきます(笑)。
なんとか書類を出して肩の荷が下り(というほど面倒ではありませんでしたが)、あとは還付金が振り込まれるのを待つばかりです。

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同性愛者を守る 

三月十四日、札幌高等裁判所が、同性婚を認めていない民法の規定は憲法24条1項などに反するため「違憲」であるという判決を出しました。その条文は「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」というものです。文言のうえでは「両性」と言っており、男女のみの結婚を意味しているように取れます。それだけに、結婚を男女のものとする考えを基本として民法が制定されたのはやむを得ない面もあると思います。しかし、結婚が家の結びつきではなく個人の権利を尊重するものとなっている時代背景を考えた場合、「性」という言葉にこだわらずに解釈すべきだと高裁判決は言っています。これは私もかねがね思っていたのとで、極めて妥当な判断です。「両性」と言いつつ、実際は「当事者同士」という意味に解すべきだからです。もし文言通りにしか解釈できないと主張する人がいるなら、この部分こそ

    改憲

されるべきものだと思います。
性的志向というのはいつの時代にも多様なものでした。「LGBTQ」とアルファベットで書かれるために最近起こったこと、最近顕著になったことであるかのように思われるとしたらそれは違います。
おそらく神代の昔から、少数ではあるでしょうが、同性愛者は常に存在していたのです。問題は結婚によってさまざまな権利や義務が生ずる現代にあって、そういう少数者の人たちが不利にならないように法整備することだと思います。
私は性的志向としては文句なしに女性が好き(笑)なのですが、だからといって自分がまともで同性愛者が異常だとは思いません。それはどう考えても

    傲慢

だからです。しかし、同性婚に対しては政治に影響力を持とうとする宗教団体やそれに支援される、あるいは支援されていなくとも同じような考えの政治家たちは今なお反対の立場を崩しません。
その意味では札幌高裁の判決はとても反対派を一喝するような大きな意味を持つものだと思います。
昨年2月1日の衆議院予算委員会で、総理大臣が同性婚を認めることについて「家族観や価値観そして社会が変わってしまう課題だ」という発言をして「同性婚への否定的な発言だ」と批判されたことがありました。たしかに「~してしまう」という言葉遣いは「残念なことに」という意味を含んでしまいますので、あの時点で否定的に言うのはよくなかったと思います。しかし「社会が変わる」ことは悪いことではなく、むしろ積極的に社会を変えていけばよいのではないかとすら思います。もちろん、先が短い今の首相に期待できるとは思っていませんが。

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質と量 

最近、学校の給食の指導というのが話題になることがあります。子どもたちの食べ残しをどうするかというのは先生たちもお悩みになるのでしょう。口を開けさせて無理に放り込むわけにもいかず、その一方で食べ物を大事にする気持ちは教えたい、というところに葛藤があるのでしょうか。
私の小学生の頃も、汁物などは無理として、パンが食べられないなら「持ち帰れ」と言われたような気がします。恥ずかしい話なのですが、私は昔から食い意地が張っていて、とにかくよくおなかをすかせていたのです。ですから、質より量が大事。たくさん食べられたらそれでよく、めったなことで残すことなどありませんでした。だいたい味覚が鈍感で、食べ物を味わうということができず、給食の時の会話で「からいね」「おいしいね」という会話ができなかった子どもだったのです。そのくせ苦手な食べ物があって、今思い出してもげんなりするのは小学校の給食で出た

    冷えた餃子

でした。こればかりはどうしても食べられず、パンに準じて「食べないなら持ち帰れ」と言われました。最初はほんとうに無理にでも食べていたのですが、次第に我慢できなくなって持ち帰ることにしたのです。しかしそんなものを持って帰っても、誰かが食べてくれるとは思えません。私はこっそりカラスの餌にしたことがありました。
質より量の子どもにとって、餃子が食べられないとその分食べるものが減るわけですから、給食が余計に物足りなくなりました。
成長してからも、味がわからないのは相変わらずで、とにかく何でもおなかに入ればよかったのです。高級食材など求めませんから安上りなのですが、やはり味覚を養えなかったのは「おとな」としては恥ずかしいことだったと言わざるを得ません。職場で忘年会などがあっても、自分が今何を食べているのかもよく分かっておらず、食べ物やお酒の蘊蓄についての話などが始まると、

    「へー」

と思って聞いているだけだったのです。
今年も、正月に日本酒を飲むことがありました。昔なら紙パックの2リットル入りのわけのわからないお酒でもよかったのですが、お酒に関しては少し変わってきています。今は少量でかまいませんので、多少高価なお酒を720㏄瓶で買ったりしました。これを飲み切るのにはなんと、2週間くらいかかってしまいます。一日40~50㏄でじゅうぶんなのです。そのくせ、生意気にもどのお酒がおいしいかなど、つい口走ってしまったりしています。今やお酒に関しては完全に「量より質」になっています。
とはいえ、それ以外は相変わらず味覚がだめで、かろうじておいしいかそれほどでもないかくらいがわかってきたところです(笑)。今でもお茶の風味の良し悪しなどあまりよくわかりません。昔、愛知県西尾市のあるお宅に行ったことがあって、そのときそこの大奥様からお茶を出していただいたのですが、何しろ西尾といえば碾茶が名産ですから、ご自慢のものだったのです。それでつい「いい色ですね」「香りがほかと違います」など口から出まかせ(?)でめいっぱい賛辞をお送りしました。もちろんおいしいのですけれど、それ以上のことはわからないので、紋切り型の言葉しか思い浮かびませんでした。なにしろ普段は白湯を飲みなれているものですから(笑)、水分もまた「質より量」なのです。
というわけで、グルメになれないままの人生で、楽しみの半分を損したような気がしています。そもそもこのブログが質より量ですしね(笑)。

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南割下水(3) 

南割下水は関東大震災のあとの復興期に埋め立てられたようで、100年ほど前まで実在していたことになります。公文書に詳しい記録がありそうに思うのですが、今のところ文字として残っている記録に出会っていません。やはり東京までいかないと適切な資料には出会えないかもしれません。
ただし、絵や写真は見たことがあります。明治の浮世絵師

昇斎一景

の『東京名所四十八景』「本所割下水」(1871年)があり、低い位置の下弦の月と雁の列が空に浮かぶ中を喧嘩する犬と流れる割下水が描かれています。下弦の月が低いということはその方角が東で時間帯は深夜と思われます。にもかかわらず、画面中央の割下水北側には女性たちが並び立っており、奇妙な光景に見えます。この女性はあるいは夜鷹(街娼)かもしれません。江戸の夜鷹というと四谷の鮫ヶ橋(鮫河橋)とともに本所の吉田町(大横川に架かる法恩寺橋の西。現在の墨田区石原の一画)に暮らした者たちが有名で「花散る里は吉田町鮫ヶ橋」という川柳もあります。「梅毒に害されて鼻が落ちているのは吉田町や鮫ヶ橋の夜鷹たちだ」ということでしょう。彼女たちは吉田町を巣窟にして夜が更けると横川や割下水まで出ていったのでしょうか。ただ、この絵は深夜あるいは夜明け前でしょうから、もしこれがほんとうに夜鷹なら、商売を終えて帰るところなのかもしれません。割下水の反対側の岸には提灯をもって行く人の姿もあり、東の空は白みを見せています。
私の創作浄瑠璃にこういう人たちの心を描く作品があってもよかったかな、と今になって思います。なおこの絵はあたりには人家が少なく、ずいぶんさびれた印象です。普通「割下水」というと南割下水のことですが、それにしては寂しげです。南割下水のずっと東、東中割下水の横十間川に近いところなのかもしれませんがよくわかりません。
明治の前期に描かれた井上安治の『版画東京百景』「本所割下水」は、割下水に架けられた橋を天秤棒で何かを運ぶ男が渡っている図です。割下水沿いの道はかなり広く描かれ、そこを往来する人も見えます。橋は中程に束柱がありますので「二間」といえそうですが、5、6歩で渡れそうで、3m前後に見えます。
割下水の写真も二種類見たことがあります。
ひとつは墨田区両国四丁目にある東京東信用金庫両国本部ビルの外壁に巡らされた

    ひがしん北斎ギャラリー

に掲示されている写真です。当然関東大震災以前のものですが、橋の欄干にはやはり中程に束柱が見えます。堀の幅は3mあるかないかというところに見えます。
もうひとつは、私がこのたびずいぶん勉強させていただいた栗田彰さんの『江戸の下水道』(青蛙房)32ページ所載の写真です。ずいぶん大きな建物が見え、割下水に沿って木が植えられています。橋は見えないのですが、幅はやはり2mかせいぜい3mくらいに見えます。
また、東京都下水道局の『Tokyo・下水道物語 : 東京都区部下水道100%普及概成記念写真集』にも写真があります。
なお、司馬遼太郎「街道をゆく 36」は「本所深川散歩、神田界隈」ですが、司馬さんは吉良邸跡、回向院などのほか、割下水近くで暮らした三遊亭圓朝や河竹黙阿弥にも触れています。圓朝は本所南二葉町(現在の亀沢2丁目12)に11年間、黙阿弥も同じ二葉町(現在の亀沢2丁目11)で6年間暮らして、黙阿弥はこの地で亡くなっています。

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南割下水(2) 

本所と隅田川右岸を結ぶ橋としては両国橋が有名ですが、この「両国」というのは武蔵と下総の二つの国のことでしょうが、厳密なことを言うと隅田川が両国の境だったわけではないようです。
両国橋の建造はやはり明暦の大火がきっかけになっています。もともと、江戸の町作りに際しては、江戸市中を要塞とする意味もあって、隅田川には千住大橋以外には橋は架けられませんでした。しかしこの大火で逃げ惑う多くの人が、隅田川が「壁」となってしまったために命を落としたという事実は重大なものでした。それに、本所に新たな宅地を作るといっても、江戸市中と自由に往来のできない断絶した地域のままでは話になりません。両国橋は本所開発のために

    不可欠なもの

だったのでしょう。
両国橋そばの入り堀に架けられた駒留橋は本所七不思議の「片葉葦」の舞台で、この辺りは風の向きによって実際に葦は片葉になっていたのでしょう。もともとはそのことが「不思議」だったのですが、それが「駒留橋」であることから、「お駒」と「留蔵」という人物の物語が作られたのでしょう。私もそのあたりを舞台にして『異聞片葉葦』を書きました。それ以外では、「異聞おくり提灯」が隅田川のほとりでの話、「落葉なき椎」は隅田川に浮かべた舟での出来事です。しかし「送り拍子木」「無灯蕎麦屋」「足洗ひ屋敷」は南割下水のそばまたは少し北側、「異聞置いてけ堀」は南割下水が大横川を越えた錦糸堀界隈を舞台にしています。
本所は湿地でしたので、排水のための掘割も必要になり、明暦の大火の二年後の万治二年(1659)に本所奉行の徳山五兵衛、山崎四郎左衛門が采配して掘割が作られたのです(『御府内備考』による)。これが南割下水なのです。
「下水」といっても今日のような

    汚水

が流れるのではなく、生物も多く生息していたようです。
江戸の川柳に「井手よりも蛙の多い割下水」というものがあります。京都の井手の蛙(カジカガエル)は古来有名なのですが、それよりも割下水には多くの蛙がいる、というのです。
 割下水には南割下水(現在の北斎通り)のほかに北割下水(現在の春日通り)があり、横川を超えるとそれぞれ東北割下水、東中割下水(錦糸堀に当たる)と呼ばれました。この「東中割下水」が私の「異聞置いてけ堀」の舞台です。
 前掲の『御府内備考』というのは江戸幕府が作らせたものですが、その中に南割下水について「幅二間」と記されています。普通「二間」というと3.6mくらいで、けっこうな幅があったのだ、と驚きました。

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南割下水(1) 

江戸本所の七不思議を題材にした創作浄瑠璃を書いてきましたが、事情があって改めてそれらの作品を整理しています。
私は歴史散歩のようなことが好きで、学生時代は東京の親のところに行くとそこを根城に連日下町を中心にうろうろ歩き回りました。上野、浅草、向島、押上、亀戸、本所、清澄、深川、木場など、『江戸切絵図』や広重の『名所江戸百景』などをテキストにしながらへとへとに疲れるまで歩きました。特に両国あたりは相撲部屋もあって独特の空気を感じますので名所旧跡のみならず細い道もよく歩きました。もう行けないかもしれませんが、JR両国駅を降りたらきっとワクワクするだろうと思います。忠臣蔵の吉良邸から泉岳寺までも、できるだけ古い道をたどりながら

    数回に分けて

踏破しました。けが人もいたようですのに、赤穂の浪人は健脚ですね。
あのころは、両国の街歩きが将来何かの役に立つなどということは考えなかったのですが、この経験は土地勘となってからだにしみこんだために浄瑠璃創作に大いに役立ちました。
さて、私が『江戸情七不思議』の舞台として使ったのは、隅田川の中やほとり、駒留橋付近などもあるのですが、多くは南割下水近辺です。今回この短編集を再点検するにあたって、もう一度この割下水について歴史的、地誌的な観点から見直すことにしました。
隅田川の東側の本所は、もともとは田地が広がっていたようです。ところが、

    明暦の大火(1657年)

のあと、火事に強い街を目指すためには、手狭で窮屈な江戸市中から宅地を分散する必要が出てきました。その結果、本所が宅地として開発され、整然とした街づくりが行われました。大名屋敷も移転し、中屋敷、下屋敷だけでなく、上屋敷も建てられたのです。東西に竪川、南北に横川(大横川)、さらに北十間川、横十間川などの運河が掘られたのですが、この大横川のうち、北十間川から竪川の間の約1.85㎞は今では大横川親水公園になっています。私も歩きましたが、春日通りの横川橋西詰からこの親水公園に下りて細い道を南側に行くと「本所七不思議」のレリーフがあってなかなか楽しい散策道です。
ちなみに、「竪川」「横川」というのは、現代の北を上に描く地図であれば縦横が逆になるのですが、江戸城(西側)から見て縦(東西)か横(南北)かでそう呼ばれたといわれます。

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イチゴがいまひとつ 

プランターでのイチゴ栽培もいつの間にか三年目になっています。最初は2株だけで、果たして大きくなるのか、実がつくのか全く自信はありませんでしたが、それなりに成果があって、ランナーによって次世代を作り、今はその三代目が成長しているところです。
最初の栽培、つまり2022年のこのブログを見返してみると、ハラハラドキドキとしている自分に笑みがこぼれそうになります。日記の楽しみですね。
三年目になって慣れたのかというと、イチゴ農家さんのように毎日気にかけているわけではなく、かなりいいかげんな栽培主なのです。それに加えて、この半年はかなり忙しく、また繰り返し体調を悪くしてしまったため、ほんとうにでたらめな扱いをしてしまいました。
イチゴは冬を越すときは休眠していますから、土がカラカラに乾かないようにしておけばさほど気にかけなくても大丈夫だ、と、ついそれをあてにしてしまいました。一月に病気で寝ていたときは、頭のすぐ上にプランターがあるにもかかわらず、寒いために放置していたことを大いに反省しています。
実は植えていた苗のうちひとつが完全に枯れてしまい、もうひとつがほとんど育っていません。
施肥の時期は間違えなかったと思うのですが、何が悪かったのか原因を探しています。ひとつ思い当たるのが

    

です。枯れたのと生育不良のものは同じ65㎝プランターに飢えていました。つまり土も同じなのです。
古い土ではないのですが、どうしたのかよくわかりません。もうひとつ気になっているのは、このプランターだけが軒下に完全に隠れていますので、雨に当たらず、ほかのプランターより早く乾燥したのかもしれません。
あるいは、ナメクジのなどの害もあるかも、と思っています。もし発見したら、来年の課題にします。
人工的なプランターで栽培しているわけですから、やはりこちらが元気でできるだけまめに様子を見てやらなければだめだな、としみじみ思いました。
それでもまだ

    8株

ほどありますので、それらが少しでも元気に成長してくれるように期待しています。
新しい葉は2月の後半から目立ってきました。3月に入るといよいよ本格的に生育が始まります。事実、しだいにその葉が大きくなってきました。そして花芽らしきものも見えてきました。これがグッと伸びてきて白くてかわいい花を咲かせればこちらのもの(笑)です。あとは筆でちょんちょんと受粉。イチゴは花が咲いてから1か月強くらいで実が熟するはずです。
枯らせてしまった苗には申し訳なかったのですが、残ったものからできるだけ多くの実りがあり、また収穫のあとには元気なランナーを出してくれて、来年の苗を作りたいと思っています。
また実ができたらここに書きたいと思っています。

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編集者 

中学生くらいから「将来何になりたいか」というのを少しずつ考え始めました。高校くらいになると、「書く」「教える」というのがおそらく自分に一番よく似合っているだろうと思うようになりました。それと並行して、日本の古い文学や歴史に興味が湧いたのです。その際、具体的な職業として考えたのは、教員、新聞記者、作家あたりだったと思います。
そのとき、ひとつ疑問だった職業がありました。出版社に勤めている「編集者」というのは何をするのだろう、という疑問でした。何となく興味はあったのですが、本を書くのは執筆者だし、印刷するのはその業者さんだし。原稿を整理するのだろうか、なんだか単純そうな仕事だな、と甚だしい誤解をしていた時期がありました。
その後、どういうわけか編集者さんとのお付き合いが増えてそのお仕事ぶりを目の当たりにすることになって、それが

    いかに大変なお仕事か

がわかってきました。取材、執筆もされるし、原稿を取りに行かれるし、執筆者に催促をしたり、励ましたり、批評したり、調査の手伝いをしたり。記事のためのインタビューをされることもあれば、校正もなさいます。作家に転身される方も少なくありません。こんな難しい仕事によくぞ就かなかったものだ(笑)と思います。
短歌の雑誌の編集にかかわることになって、少しだけその大変さを味わうようになりました。私は障害のために執筆者や印刷所とのやり取りなどができず、編集会議でも後からついていくのが精いっぱい。このように、ほとんど役に立っていないのですが、唯一ほかの人に負けない仕事ができそうなのが

    校正

です。こればかりは長年経験してきましたので、やり方はわかっています。スピードも遅くはありませんし、文章の変なところ、漢字の間違い、引用文がある場合は原文との照合など、得意なほうです。
実は、この雑誌にはまだ自筆で原稿をくださる方が少なくないのです。高齢の方で、パソコンを使っていないという方はまだまだいらっしゃいます。ところがこういう方に限って達筆。それはすばらしいことなのですが、達筆すぎると読みにくいという問題もあります。このたびも、短歌だけでなく散文もけっこう多かったので、難渋することがありました。
ただ、こういう場合でも私の場合は

経験

が生きてきます。なにしろ、私が長らくお付き合いしてきた古い文献はすべて手書きで、苦しみながらもなんとか読んできました。そしていつしか、書き手の癖を見抜けば難しくても読める、という極意(笑)も身につけました。「芸が身を助くるふしあわせ(余裕があったころに身につけた芸で、落ちぶれてからも何とか生きていけるような身の上の不幸)」ということわざがありますが、まさにぴったりです(笑)。
プロの編集者にはなりませんでしたが、芸に助けてもらって、今はそのまねごとをしているところです。

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少しずつ歩く 

昨年の秋からずっと体調不良が続いてきましたが、それでも仕事が待ってくれなかったために秋はよくうろうろと歩き回りました。
ただ、そこで体力を使い果たしたかの如く、12月になるとどうしても行かなければならないところ以外には足が向かず、1日平均1万歩にも達しませんでした。特に下旬には脱水症状で倒れるというおまけまでついて歩数がぐっと減ってしまったのです。
さらに1月になると、結局何の病気だったのかわからない高熱から体のだるさを引き起こした不調によって、下旬はほとんど歩けなかったのです。
1月19日から31日までの13日間は25,000歩足らずでした。1日平均何と1,900歩くらい。
2月になっても上旬は40,000歩くらいで、平均約4,000歩。しかも天気の悪い日もあって、家の中を歩いただけ、ということも何度かあったように思います。
結局、1、2月のトータルは

    455,000歩

くらい。60日ですから、平均7,600歩。私にしては少ないのです
その苦痛から辛うじて抜け出して、3月はいくらか歩けるようになりました。胸が痞えるような感じがなくなり、坂道もほぼ問題を感じなくなったのです。
私の場合、肺を鍛える意味でもある程度負荷をかけたほうがよいようで、ほんとうはプールに行って水中歩行するのが効果的だと言われています。しかしそんな余裕もなく、せめて一人でできる

    ウォーキング

にいそしんでいる、という次第です。
上旬には、かなり急な坂を長い時間登ってみました。あの家まで、あの交差点までと少しずつ目標を定めて、そこまで到達したらさらに新たな目標を作りながら登っていきます。昔、マラソン選手だった君原さんという方もそういう気持ちで走っていたとおっしゃっていました。
くるりと振り返ると下界が見渡せるほどの高さにきていたりして、ちょっとした達成感もあります。
知らないところを歩きますので、発見も多く、「山の手」とはよく言ったもので、巨大としか言いようのない邸宅を発見したこともありました。何しろ、石垣が私の頭上はるかなところにあって、門の高さも尋常ではなく、ほとんど「城」のようなお屋敷でした。しかもそういう家がほかにも散見され、なんだか巨人の国に迷い込んだガリバーのような気分でした。
あまり無理のない程度に、しかし少し頑張るつもりで鍛えていこうと思っています。

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「須磨」は韻文的な巻 

関心のない方、ごめんなさい。
『源氏物語』の話なのです。この物語の第十二帖は「須磨」巻です。先月も話題にしましたが、私は今仕事のためにこの巻をよく読んでいるので、つい書きたくなってしまいます。
この巻には、主人公の光源氏二十六歳の春から翌年の春までのほぼ一年が描かれています。当時の感覚でいうと、人生の半分を過ぎたところという感じでしょうか。この時期にいろんなことが決まる、という大事な青年期です。親を失う時期でもあり自立してさまざまな苦難に立ち向かっていかねばなりません。そんなときに彼は須磨に流謫するのです。
「須磨」巻と言いながら、光源氏の心は常に都にあり、須磨での実生活は思うほど多くは描かれていません。そもそも、紫式部は須磨などというところに行ったことがないでしょうし、現代のように須磨の様子を写真ですぐにみられるような時代ではないのですから、彼女が知ることができたのは歌に詠まれる名所、つまり

    歌枕

に依拠するところが多かったでしょう。
それで、「須磨」巻は最初に延々と都の人々(紫の上、藤壺、花散里、朧月夜など)との別れが描かれて、やっと旅立ったかと思うとその旅程はほとんど略されて、須磨に着きます。すると今度は次々に都の人たちや伊勢にいる六条御息所らとの手紙のやり取りが続きます。
夏になっても須磨海岸で海水浴をするわけでもなく(笑)、やっと秋風が吹くようになって須磨での暮らしぶりやわびしい心が描かれます。
そこでも家来たちの詠む歌が書き留められて風景描写のような散文的進行ではなく、あくまでも和歌や漢詩の世界に身をゆだねる

    韻文的幻想

の場面のようにすら思えます。
「須磨」巻は『源氏物語』の中でもっとも多くの和歌を持っています。そのことがこの巻の特徴を言い表しているといえそうです。
和歌だけでなく、地の文にも、
行平中納言の「藻塩垂れつつ」わびける
  須磨には、いとど心づくしの秋風
  行平中納言の「関吹き越ゆる」といひけむ
  枕をそばだてて四方の嵐を聞きたまふ
  雁の連ねて鳴く声、楫の音にまがへるを
  二千里外故人心
  恩師の御衣は今ここにあり
などの引用が次々にあらわれ、光源氏の切ない感情が心にあふれたとき、古人の和歌や漢詩が彼の脳裏に浮かぶことが想像されます。
物語としては次の「明石」巻にこそ運命の出会いがあるのですが、その前段階のこの巻はとても魅力にあふれていると思います。

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タケノコ 

私が今なおもっともすぐれた漫才師さんだったと思うのは夢路いとし・喜味こいしさんです。「漫才は教えるものではないから弟子は取らない」「自分たちの漫才はトリをとるものではない」という考えをお持ちで、軽い、センスのある笑いを目指していらっしゃったように思います。のちに吉本ヴァラエティ(新喜劇)に行かれた桑原和男さんが例外的な唯一のお弟子さんだと聞きますが、ずいぶん古い話で、それ以後はほんとうにお弟子さんを取られなかったようです。私は、このお二人が重要無形文化財の各個認定(いわゆる人間国宝)の価値があるとすら思っていたのですが、それがなされなかったのが残念でなりません。
その「いとし・こいし」さんの漫才の中にいろんな物売りの声をまねていく「物売り」というのがありました。「きんぎょ、エー、きんぎょ」「こうもり傘の張替え」などで、「タケノコ売り」もありました。
今、タケノコといえばだいたい

    孟宗竹

でしょうが、これは江戸時代に日本に入ってきた品種です。『本朝廿四孝』「山本勘助住家」にはタケノコ掘りの場面がありますが、あれは古代中国三国時代の孟宗の逸話になぞらえての話で、おそらく新種の孟宗竹を掘っているのでしょう。そう思うのは「掘る」というところに特色があるからです。
『竹取物語』の時代は真竹という竹が細工用としてよく用いられました。竹取の翁は「野山にまじりて竹を採りつつよろづのことに使」ったのですが、それは籠や笊などに細工して売り歩いたのでしょう。真竹は孟宗竹にくらべて細工がしやすく、そのかわりタケノコとして食べる場合は孟宗竹に軍配が上がるのだそうです。
『源氏物語』「横笛」巻では出家した朱雀院(光源氏の異母兄)から、朱雀院の娘で光源氏の妻となった女三宮のところにタケノコや野老(ところ)が送られてきました。野老というのは山芋の一種で、和歌では「所」と掛けたり「常(とこ)」を導く言葉として用いられたりしました。和泉式部が十二月の雪の日に親に野老を送ったとき、それに添えた歌に「君がため求めたるかな雪降ればそれどころとも見えぬ山路に」(和泉式部続集355)があり、「それどころ」に「野老」を掛けています。ちなみに、プロ野球西武ライオンズの本拠地のある「所沢」は「野老がよく生えていた沢」からきた地名だそうです。
タケノコに戻ります。「横笛」巻のタケノコは当然孟宗竹ではありません。ネマガリダケなどだろうといわれます。これを女三宮が産んだ(柏木との不義の子)

    

と呼ばれる幼子がかじっている場面が描かれます。我々の知る孟宗竹のタケノコのように太くて重いものではありませんから幼児でも手に取ってかじれるのですね。
映画『かぐや姫の物語』の中には、竹取の翁が成長した竹を伐るだけでなく、食用の竹を採る場面が出てきます。あれもおそらく真竹のタケノコなのでしょう。真竹のタケノコは孟宗竹のように地中にあるものを掘り出すのではなく、地上に出てきたものを切り採るのですが、映画でもそのように描かれています。さきほど『本朝廿四孝』の「たけのこ掘り」が孟宗竹だろうと書いたのはここに理由があります。
『竹取物語』の時代は真竹であることをきちんと描くのはさすがに高畑勲監督で、当時のタケノコ事情をよく調べられていると思います。もしあの場面で、地中から丸々としたものを掘り出していたらそちらのほうがおかしいことになります。

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長すぎた昭和 

子どものころ、周りの大人(学校の先生など)の中には大正生まれという人がバリバリ現役で働いていました。近所には明治生まれのご隠居さんたちもいました。さすがにこういう世代の方の若き日の生活に関しては想像を超えるものがあります。明治生まれの人などは、たとえば伊藤博文が動いているところを見たことがあるかもしれません。若き日の吉田文五郎の芸を楽しんだ方もいらっしゃるでしょう。
昭和の初めの生まれの人は、なんといっても戦争体験があります。広島で暮らしていた時、原爆を覚えている人はたくさんいらっしゃいました。
文楽の技芸員さんでいいますと、現役最長老の

    竹澤団七師匠

は昭和10年のお生まれで、それ以外の方はすべて昭和20年以降のお生まれということになったようです。
最近「昭和」という言葉はあまり良い意味では使われないようです。「政治家がいつまでも昭和の感覚だ」「昭和の商売ではやっていけない」「昭和の価値観で教育する時代ではない」などとやり玉に挙げられることが多いような気がします。今の若者(おおむね平成生まれ世代)は昭和という時代をどのように見ているのでしょうか。おそらく私が見ていた大正、ひょっとすると明治の終わりくらいの感覚なのだろうと思います。元号の力というのはなかなか大きいものです。
私ももちろん昭和生まれですが、戦前と戦後ではまるで違う時代のように感じることがあります。しかし、今の若者から見ると、

    昭和は全部同じ

なのかもしれません。
先日、SNSに流れてきた動画に、あることに関して「現代人」「昭和の人」「平安時代の人」がどのように発言するかをユーモラスな表現で並べたものがありました。
すると、その「昭和の人」は、軍帽というのでしょうか、戦闘帽なのでしょうか、とにかく軍服用の帽子をかぶっていたのです。演じていた人は若くはなかったので、昭和の実際を知らないはずがないのですが、古いイメージを演出するためにあえてああいうものを選んだような気がします。私から見ると「昭和」ではなく完全に「戦中」の風俗なのですが、案外今の高校生くらいから見るとあれくらいが「昭和」のイメージなのかもしれません。
昭和は62年余り続きました。元号の長さとしては空前でおそらく絶後だと思います。あまりに長すぎて一つのイメージとして把握するのは難しいのかもしれません。

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主のない家の梅 

菅原道真というと、大変なインテリで、漢詩を作らせると巧みですし、官僚としてもすぐれていました。後半生の不遇も相俟って、ついには神様にまでなり、さらには芝居の人物としても重用されたのです。中でも『菅原伝授手習鑑』は文楽では欠かせない演目になりました。
道真は文学ではやはり漢詩の人で、和歌はさほど有名ではないと思います。『百人一首』には
  このたびは幣もとりあへず
   手向山紅葉の錦神のまにまに
が採られていますが、かっちりしたあいさつの歌という印象で、特に名歌という気はしません。『百人一首』は必ずしもその歌人の代表作を選んでいるとは思いません。

小学生の時に習ってすぐに覚えたのは
  東風吹かば匂ひおこせよ
   梅の花
    あるじなしとて春を忘るな
でした。結句は「春な忘れそ」の形だったかもしれません。私は小学生のころからこういう寂しい

    切なくなるような心情

を詠んだものが好きでした。陰気だったのですね(笑)。
結句は「春を忘るな」であれば「忘れるんじゃないぞ」と言っている感じで、「春な忘れそ」なら「どうか忘れないでおくれ」と懇願するようなようすです。
どちらの解釈も悪くはないと思うのですが、私は強く命令するように言いながらそれがおのずから懇願しているように聞こえる前者のほうが好きなのです。
私の家の裏手にあるお宅は私の親世代のご夫婦がお暮しだったのですが、ご亭主のほうがずいぶん前に亡くなり、そのあとは奥様がおひとりでお暮しでした。年に数回くらい径でお会いすることがあり、そんなときに会釈するくらいでしたが、お元気そうなので安堵していました。
このお宅の庭には紅白の、いわゆる

    源平咲き

の梅があり、私は毎年その梅を道から拝見するのが楽しみでした。ただ、今年はあまり元気がなく、色も冴えないのです。紅梅がずいぶん減って紅白の割合は1対9くらいの割合になっていました。
そんなとき、その奥さんが高齢のために施設に入られたと知りました。おそらくもうあの笑顔を見ることはないだろう、と少し切ない気持ちになり、この梅もいっそう寂しそうに見えたのでした。施設の中で「匂ひおこせよ」と思っていらっしゃるかどうかはわかりませんが、その方角に風が吹くように願う気持ちになりました。

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相撲部屋と暴力 

東京に行くと、必ずと言ってよいほど足を向けるのは上野と両国です。上野は美術館、博物館、科学館などを訪ねるのが主な目的ですが、それ以外にも正岡子規記念野球場(一度ここで野球をしたかった)を眺めたり、芸大に行ったり、谷中のほうに出るなど公園の周囲を歩いたりするのも好きです。
両国界隈は、長い時間がかかった創作浄瑠璃『江戸情七不思議』の舞台にあたりますのでほんとうによく歩きました。また、回向院とか松坂町公園とか、忠臣蔵に関わる場所も散々歩きました。
両国というともう一つ、なにげなく歩いていると唐突に現れる相撲部屋を見るのも好きでした。
相撲部屋は、稽古場であると同時に若い人たちの住まいでもあります。ああいう共同生活というのは、私には全く経験がありませんが、難しいことも多そうだなと感じます。一般社会ではヒヨコのような二十代の若者でも関取になると大きな顔ができるわけで、また、ひいきの人たちからちやほやされて自分は何をしても許されるような錯覚に陥りはしないかと思ってしまいます。
先輩は後輩を大事にするのではなく、こきつかったりいじめたりすることが常態化することは、過去の相撲部屋ではよくあったことだといわれます。稽古場でも、殴る蹴るがあたりまえというような親方の指導は、厳しいというより非道に感じさせるような場合もありました。
今はもう、親方も

    竹刀

で殴打したりすることはなくなったようですし、暴力は許されないという意識もどんどん高まっているようです。自分がひどい目にあった世代の親方は、そのつらさがわかっているはずなので、自分の弟子にはそういうことはしない、と考えるべきなのに、狭い社会ですから、古い因習にとらわれすぎることもありそうに思います。
親方にビール瓶で殴られた若者が亡くなるという事件もありました。素行に問題があったといわれますが、それでも酔った親方がそういうことをするというのは常軌を逸しているように思います。それ以後、相撲の世界は暴力根絶に向けて

    意識改革

をしてきたはずですが、暴力問題は後を絶たず、カラオケのリモコン(?)で力士を殴ったという横綱が引退に追い込まれたこともあり、殴る蹴るの暴力を受けた若い人が兄弟子を告発したりした(加害者はやはり引退)こともありました。
この2月には、モンゴル出身(北海道育ち)という力士が、また後輩への暴力で引退を余儀なくされるという出来事がありました。
このたびは、加害者力士の監督不行き届きということで師匠の宮城野親方は2階級降格などの処分を受けました。さらに「師匠としての素養、自覚資質が欠如している」とまで言われて、少なくとも当面の部屋の運営は智ノ花の玉垣親方が担当することになるのだとか。宮城野さんというと、現役時代はその強さゆえに熱烈なファンが多かった半面、土俵態度や相撲内容に疑問を感じる人も少なくありませんでした。明らかに成立している立ち合いなのに、自分が不利と見るや「『待った』だ」と言い張って負けを認めようとしなかったり、肘で相手の顔を殴るような立ち合いを見せたりしました。ルール違反ではないから構わない、と本人は言っていましたし、支援する人も賛同していましたが、私は「法的に問題なければ何をしてもかまわない」というブラック企業的発想を嗅ぎ取ってしまいます。
引退されてからは宮城野部屋を継いで、落ち着かれたかなと思ったのですが、この事件は親方にとってかなり大きな打撃になりそうです。
いや、個人のことはともかく、相撲の世界に依然としてはびこる暴力体質はいつになったら根絶できるのでしょうか。

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花はわらう  

二十四節気のうちの「啓蟄」の次候(七十二節気)は「桃始笑」です。桃が咲きだすころ、ということですね。今年は3月10日から14日までです。
高校時代だったと思うのですが、漢文で「咲」という字を「わら(ふ)」と読ませるのを知って小さな感動を覚えたことがあります。いえ、今書いたことは正確ではなく、「咲」は本来「わら(ふ)」ことだったのです。つまり「咲」と「笑」は兄弟のようなもので、どちらも「わらう」こと。字音はどちらも「セウ(しょう)」で、字形もよく似ていますね。「咲」は「口へんに笑」と考えればよいわけです。
花が「さく」ことは「開く」とも書けます。記紀に「このはなさくやびめ」という神が出てきますが、『日本書紀』では

「木花開耶姫」

と表記されます。この「開」は「花がさく」ことですね。今でも花がいっぱいに咲くことは「満開」と言います。
花が「さく」のを人が「わらう」のにたとえて「咲く」と書き、七十二候のように「笑」とも書くのですね。
そう思って花を見ると、なんだかほんとうに微笑んでいるように見えてきます。
つぼみのうちはまだ頬が緩んだくらいでしょうか。咲き始めて花が開きだすと「ウフフ」と言っているようにも見えます。咲ききったら「アハハ」なのか「ガハハ」なのか、よくわかりません。
『源氏物語』「夕顔」では、五条にある家で病を養っている乳母を見舞うために光源氏が出かけます。ところが車を入れるための門に鍵がかかっていたために、しばらく待たされるのです。そこで所在ない彼は何を見るともなくあたりに目をやるのですが、隣に気になる家がありました。そこに、花が咲いているのに気がつきました。その場面は、
  白き花ぞおのれひとり
笑みの眉ひらけたる
と書かれています。白い花が、目立って微笑んでいるように見えるのです。「笑みの眉ひらけたる」とはなんとすてきな表現でしょうか。
光源氏が独り言のように花の名を問うと、随身(家来)が「この花は

    夕顔

というのだと伝えます。随身はさらに「『顔』などという人並みの名前を持っていますが、賤しい家の垣根に咲くものです」と付け加えました。「笑みの眉ひらけたる」と「顔」はうまくつながっています。そしてこの夕顔の花は、この家に住む女性の比喩としての働きを持っており、彼女はわけあって夕顔のようにうらぶれた暮らしをしているのです。
光源氏は思わず「口惜しの花の契りや(この花の運命は気の毒ではないか)」と言います。
この女性に対して、光源氏は恋の深みに溺れるように夢中になるのですが、このあとすぐに悲劇的な最期を遂げることになります。光源氏が彼女の運命を「口惜しの契り」と察していたかのように。

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猫の好きな王朝人(2) 

平安時代には、犬も猫も大陸から入ってきたものがあり、それぞれ「唐(から)犬」「唐猫」と言われて珍重されました。「唐」といっても古代中国の猫とは限らず、西域(ペルシャ)方面からはるばるやってきたものもあったでしょう。『源氏物語』「若菜上」巻で女三宮のところにいた猫が飛び出したはずみに御簾を捲り上げてしまい、高貴な内親王である女三宮が将来起こす密通事件(というか彼女は襲われるのですが)のきっかけになってしまうのです。この猫はそんな役回りで登場します。
歴史上の人物で、猫の好きだった著名人というと、

    宇多天皇

がいます。この人は日記を残している(ただし散逸がある)のですが、その中に「深黒如墨(墨のように真っ黒な)」美しい姿をしている猫のことが記されます。
その溺愛ぶりは、猫の美しさの描写によく表れています。「伏していると丸くなって足や尾が見えず、堀の中にある黒い璧(宝玉)のようで、歩いていると足音が聞こえず雲の上の黒龍のようだ」とまで言います。
猫が歩いているときは、ドタドタ音はしないと思いますが、それほどに品格があり神秘的な姿をしていたというのでしょう。
一条天皇も猫好きです。これについては『枕草子』「上にさぶらふ御猫は」の段でおなじみです。殿上で飼っている猫に五位の位を与え、「命婦のおとど」という名まで賜るのです。あるとき、この猫が室内になかなか入らないので女房の一人がそこにいた犬の「翁丸」に「噛みついちゃいなさい」といったものですから、翁丸は命令されたからそうしなきゃ、と思って襲い掛かったところ、一条天皇が見ており、猫を大事に抱えたうえで「翁丸を打ちのめして犬島送りにせよ」と命令してしまいます。「犬島」というのはよくわからないのですが、淀川の中州ではないかとか、岡山県にある犬島ではないかとか、言われます。要するに「遠島」を命ぜられたわけです。
「悪左府」と言われる

    藤原頼長

という、平安時代末期の貴族も猫が大好きでした。
この人は少年時代に落馬して大けがを負い、それ以後は学問に打ち込んだという経歴を持っています。「悪左府」というのは、悪人というのではなく、「悪七兵衛景清」の「悪」と同じで、気性が激しくてすさまじい力を持つ人物というイメージだと思います。この人はまた今の言葉を用いるならバイセクシャルで、多くの男性と深い関係になったことでも有名です。芸能事務所の社長でなくてよかったですね。
そしてこの頼長は、やはり猫が大好き。彼の日記『台記』の康治元年八月六日の記事に、若いころに猫をとても大事にしていた様子が記されています。
  僕少年養猫、猫有疾、即画千手像祈之曰
  請疾速除癒、又令猫満十歳、猫即平癒、
  至十歳死
という記事があるのです。「私は若いころ猫を飼っていた。その猫が病気になった。そこで千手観音像を描いてこれに祈願して『請うらくは、病気が速やかに癒えて、この猫を十歳まで生かせてやってください』と言った。すると猫はすぐに平癒して十歳まで生きて亡くなった」という意味です。亡くなったときは丁重に葬ってやったとも記しており、その溺愛ぶりがうかがわれます。
古今東西、猫は犬とともに人間に最も身近で親しい動物だろうと思います。

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猫の好きな王朝人(1) 

2月22日は「猫の日」だったそうで、SNS上ではけっこう話題になっていました。11月1日が「犬の日」だというのもそのときに知りました。
いずれも鳴き声からきているのだろうというのは想像できます。猫はニャーと鳴くとされますが、そこから「2」というのはわかりますけれどもやや苦しいかもしれません。犬は明確ですけどね。平安時代に猫の鳴き声を「ねう」、犬の声を「びよ」と言っていたことが知られますが、これだと「2」や「11」にならないでしょうね。
私は子どものころから犬は好きでした。あの頃は今のように「犬は

    ペットショップ

に売っているもの」ではなく、「いらない人からもらう」「捨てられていた子犬を拾ってくる」というのが主な入手先でした。
私の家にも犬がいたことはあるのですが、誰も世話をしません。いつの間にか散歩に連れて行くのは私の仕事のようにされてしまって、遊びたい盛りの小中学生のときは、私もじゅうぶんに世話ができず、かわいそうなことをしてしまいました。今もそのことは心の傷として残っています。
それ以後は逆に犬を飼うことに抵抗があります。世話ができないのがかわいそうだ、という気持ちが強いからです。
あの頃は「野良犬」を見かけることがまだ少なくありませんでした。しかしいつしか「野良犬」は駆逐されて、ペットショップなるものができるようになり、飼われる犬もずいぶん変わってきました。隣のお金持ちの家には

    スピッツ

がいましたが今はもうめったに見かけません。昔は見かけなかったトイプードル、フレンチブルドッグ、ゴールデンレトリバー、シーズー、チワワなどの人気があるのだそうです。なんだか人間の身勝手だな、という気持ちが強くなりました。それでも、今なお犬は大好きな動物です。
一方、猫は飼い猫なのか野良猫なのかわかりませんが、外をうろついて突然飛び出してきたり逃げ出したりしますから、馴れる機会がなくて、飼った経験はありません。飼うどころか、撫でたことすらないかもしれません。
平安時代の絵を見ていますと、野良犬はよく描かれていますが、犬を飼うことも当然おこなわれていました。猫も『信貴山縁起絵巻』には庶民の家の中で居眠りしているところが描かれており、なじみの深いものだったようです。ペットで驚くのは、猿も飼われていた可能性がある(ひもで柱に結び付けられている絵がある)ことです。

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3月の仕事 

今月は特に集中すべき仕事はないのです。
もちろん、定期的に行っている『源氏物語』の講座のための準備は必要ですし、短歌関係の原稿は常に締切とにらめっこしながら少しずつ進めていかねばなりません。
それはそうなのですが、比較的余裕のあるこういうときにこそ地道にデータを集める作業をしておこうと思っています。夏のために、年内に仕上げるもののために、など、長い目で見て今のうちにできることをします。
さしあたり、6月までにある程度の長さでまとめておきたいものがあって、今はそれを少しずつ書いています。論文などではなく、私の浄瑠璃作者としてのこれまでの仕事について書くものです。多くの方に公開するものではなく、あるイベントで配布するためのものです。まだ草稿の段階ですから、私のいつものやり方である、殴り書きの積み重ねをしているところです。
もちろん、ものを書くためには調べなければならないことがあります。このたびは、ここ10年ほどの私自身のことを書きますので、わずかながら

    自分史

のような面があります。そうなると活躍してくれるのがこのブログやFacebookなのです。現在「Ⅹ」と言っている、かつての「Twitter」は、わけがあって一度やめてしまいましたので、データも残っておらず、今も登録はしていますが放置状態であまり役に立ちません。その点、このブログはまさに日記ですし、検索機能もありますのでとても有益です。毎日ろくでもないことを書いているのがこういうところで役に立つのですね。
あれは何年何月何日のことだったのだろう、場所はどこだったのだろう、どなたが来てくださったのだろう、などということが見事に判明することがあり、そんなときは思わず万歳を三唱したくなりました(笑)。
このブログは、所詮

    自慢話

のようなものですが、へたに謙遜せずに正直に書いているとも言えますので役に立つのだと思います。子どものように「こんなことができた」ということを嬉しそうに(笑)書いているわけです。
どれくらいの分量になるのか、まだわからないのですが、原稿用紙にしたら100枚を優に超えそうな感じです。
今月中に大体の内容を決めて、どういう形で印刷するかを考えていきたいと思っています。

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1000年前の蛙化現象 

「蛙化現象」は深刻に考えるレベルもあれば、「ちょっとそんなことやめてよ、蛙化するでしょ」と冗談で言う場合もあると思います。
多少のことは許し合うのが普通ですし、「あばたもえくぼ」「惚れた欲目」とも言いますよね。いや、今どきはそんな生やさしいことは言ってもらえないのでしょうか。
もちろん、男性側から見てもつきあっている女性の嫌な面を見てがっかりすることはあるでしょう。昨日挙げた「蛙化」を起こす例の中でも「ナルシシストで自分は欠点がないと言う」「酒癖が悪い」「タバコを吸う」などは(もちろん嫌だと思わない人もいますが)男女共通かもしれません。要するに、猫をかぶっていたのがばれた瞬間に男女を問わずがっかりしてしまうということでしょうか。
唐突なのですが、『源氏物語』に

    六条御息所

という女性が出てきます。書にせよ和歌にせよ、女性のたしなみとされていたことには何事もすぐれた人でした。美貌で家柄も良く、父親は大臣で、将来は中宮となれるようにと、春宮(皇太子)に入内しました。ここまでは当時理想とされた女性の生き方として順風満帆だったのです。ところが、女の子は出産したのですが、将来春宮から天皇となるべき男子を生むことがないまま夫の春宮は亡くなってしまうのです。こうなると当時の女性ははかないもので、次第に忘れられる存在になっていきます。そしてその心の隙間を狙いすますように光源氏が盛んに言い寄り、さんざん断られた挙句に何とか交際することに成功するのです。ところがここで光源氏に「蛙化現象」が起こって、この女性のところにあまり通わなくなってしまうのです。その様子については次のように短く記されています。

  六条わたりにも、とけがたかりし御気色を
  おもむけきこえたまひてのち、引き返しな
  のめならむはいとほしかし
           (『源氏物語』「夕顔」)


「六条の女性にも、なかなかなびいてくださらなかったご様子をこちらにおなびかせ申し上げた後は手のひらを返したようにいいかげんなお扱いになったのは気の毒なことだ」というほどの意味です。高貴な人で、元春宮妃という

    プライド

がありますから、すでに正妻(葵の上)のいる光源氏の愛人のようになることはその自尊心が許さないのでしょう。また彼女は光源氏より七歳も年長で、不釣り合いだとも思っています。まだ少年というべき十代の光源氏は夢中になってその人を射止めたのですが、いざ付き合いだしてみると気の置ける人で取り澄ました感じが気に入らず、燃えるような心にならないのです。
紫式部は人間の心の弱さを描く天才のような人ですが、現代のZ世代の思いをすでに千年以上前に書いていることになります。夕顔の巻では光源氏十七歳(今の15~16歳。学年でいうなら高校1年生)なのです。

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蛙化現象 

若者言葉で昨年もっとも流行したのは「蛙化現象」かもしれません。
もともとはグリムの童話の『カエルの王子様』から生まれた言葉(心理学用語とも言われますが、あまり重要な術語ではないようです)だそうです。この童話は王子様が魔法で蛙にされていて、お姫様がその蛙にちょっとした借りができ、不用意に食事の同席や同衾するという約束をしてしまったのです。カエルが執拗に迫り、お姫様の父親の王様も約束の遵守を主張します。食事はかろうじて我慢したのですが、それ以上のことはどうしても嫌だと思ったお姫様がそのカエルを壁に投げつけようとすると魔法がとけ、立派な(他国の)王子の姿になったのです(ついにはこの二人は結ばれることになります)。
この話のクライマックスでは、カエルが「王子様化」しているわけですが、それを裏返しにして「カエル化」する王子様に注目したのですね。つまり、すてきだと思っていた人(王子様)が実は毛嫌いすべき対象(カエル)であったことに気づくことをいうわけです。具体的には「自分が好きな男性が自分を好きだということがわかると熱が冷めてしまって嫌悪感すら抱いてしまう」ことを意味するのです。「高嶺の花であこがれの人が、自分のようなつまらない人間のことを好きだなんて、なんだかがっかりする」という複雑な心理なのでしょう。わからないようでわかる気がします。
ところが最近の若者言葉では同じ「蛙化現象」でも若干ニュアンスが違います。男女を問わず、自分が今交際している人の

    がっかりするような面

を見て、その瞬間に嫌悪感を持ってしまうことを「蛙化する」と言っているのです。東京新聞が若い人に「蛙化」を起こす原因の具体例を尋ねたことがありました。その時に出てきた答えは、
  誕生日に食事後に割り勘を求められた
    (誕生日くらいはおごってよ)
  初めて私服を見たとき、ダサかった
    (制服はかっこよかったのに)
  お母さんのことを『ママ』と呼んだ
    (マザコンっぽい)
  運転が下手で駐車券がうまく取れない
    (おまけに切り返しも下手)
  ナルシシストで自分は欠点がないと言う
    (そこまでたいしたことはない)
  酒癖が悪い
  タバコを吸う
などだそうです。記事の言葉をいくらか変えて、( )内に私の想像する当事者の本心を書いておきました。これらはすべて女性の目から見た「蛙化」ですね。つまらないことが多いようにも見えますが、現実にはこんなことでもがっかりして嫌いになってしまうことはありうるのでしょうね。
タバコを吸うのもダメ、という意見が見えますが、昔は

    「タバコを吸う姿がかっこいい」

と言っていた女性がわりあいにいた(私は吸わないので、喫煙する友人が少しうらやましかった)と思うのですが、今はあまり人気がないのでしょうか。
思い起こすと、女性と付き合うのが苦手だった(涙)私も、かなり「蛙化」して女性たちにいやな思いをさせた記憶があります(笑)。記念日に無頓着だったり、ものの食べかたが汚かったり、プレゼントをするのが下手だったり、酔っぱらうと突然饒舌になったり、おしゃれのセンスがなさすぎたり。思い当たることはいくらでも出てきます。なぜあれほど人気がなかったのか、今になってその理由がよくわかりました(笑)。

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編集後記 

2月に提出した短歌雑誌の原稿には、短歌作品(自分のものだけではなく、私の手元に送られてきた同人たちの作品をまとめたもの)、書評(というか、書籍紹介)、『源氏物語』のエッセイ(連載33回目)に加えて、編集後記もあります。実際の編集業務はほかの同人がほとんど担当してくれるのですが、私は立場上、いかにも私が編集しましたという顔で(笑)こういうものも書かねばなりません。
編集後記では、新たに加わってくださったメンバーを紹介したり、創作意欲を高めるための文章を書いたりしますが、それに加えて世の中の動きについても書くようにしています。
例えば、前回(昨年11月執筆)のものでは、野球の日本シリーズやラグビーワールドカップにからめてスポーツと短歌のことを書き、あわせてスポーツの持つ「平和の戦い」に対してウクライナやガザの

    「人類を破滅させる戦い」

の危機についても触れました。
その前の昨年8月執筆のものでは、国連のグテーレス(人名表記は国連広報センターに従う)事務総長による、気候変動に関する各国の真摯な対応を促すための「global boiling」つまり「地球規模の沸騰」という言葉に触れました。そして、それでもまた飽くことなく武器や核保有が議論される現状について、ペンを持つ者として抵抗し、発言し続ける使命についても書きました。
こういうことが、短歌の雑誌に何のかかわりがあるかと思われるかもしれません。しかし、短歌とて現代社会の中で生きているわけですから、時代の動向と無縁ではいられないという意識を持つためにも必要なことだと思っています。
そして今回の編集後記には、

    東京国立劇場

の建て替え問題に対する短い見解を書いておきました。それは以下のとおりです。

東京国立劇場が建て替えのために閉場されました。この劇場を東京公演の本拠地としていた文楽は足立区のシアター1010などに間借りする形で公演を続けていますが、どうしても不満の声があがります。建設予定の新しい劇場はホテルなどを併設する計画で、高層ビルの中に劇場が入るイメージです。しかし、伝統文化の聖地の再建に「経済性」を追求することには疑問を感じます。建設事業の入札は不調で、このままでは劇場再開は予定よりはるかに遅くなりそうです。その間にこれまで足しげく通っていた客層の芝居離れが進んだり若者の伝統芸能への関心が薄れたりしないかという危惧も抱きます。文化国家が自国の伝統を守ることは極めて重要な課題です。建て替えの再考の余地はほんとうにないのでしょうか。

また、どうしても許せない気持ちがあって、政治家の言葉遣いにも短く触れておきました。

政治家の言葉を危ぶみます。パーティ券のキックバックを「還付金」と言い出しました。堂々と「私は~する」と言うべきところを「~しなければならない」と評論家のような口ぶりになる人もあります。「ごまかし語」だと私には思えます。

今回こういうことを書いたのは、伝統芸能にせよ、言葉の問題にせよ、短歌とは切っても切れない問題だと思ったからです。字数制限が厳しいですからどうしても舌足らずになってしまいますが、これからも記録すべき大切なことを書いていこうと思っています。

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雛人形 

平安時代には三月三日(もちろん旧暦)を上巳の節句としました。
上巳というのは「その月の最初の巳の日」ということですから、三日と限定されるものではないのですが、すでに古代中国から三日を上巳としていたため、日本でも古くからこの日と定めていました。
この日には

    曲水の宴

がおこなわれ、今も太宰府天満宮ではグレゴリオ暦の3月の最初の日曜日に行われます。今年はたまたま3日がその日に当たります。
今年の旧暦三月三日は4月11日にあたるそうですが、この日もたまたま巳の日です。
江戸時代になると大名の娘の嫁入り道具に立派な雛人形が用意されたり、富裕になった庶民の中にも雛人形を飾る習慣ができました。今はそんな大きな家に住む人が(特に都会では)いませんので、

    団地サイズ

のものも多いですね。
私は昔から雛人形が好きで、特に有職雛人形は王朝の風情があって、見ていて飽きません。
昨今そういう雛人形は何かの催しでもない限り見られませんが、だからこそ展覧会があると出かけようという気持ちになります。
何年か前には大阪市の「くらしの今昔館」で古い雛人形を見たことがありました。今年はどうも出歩けそうになく、残念ながらあきらめており、SNSなどで見かける写真で楽しんでいます。

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墓さまざま 

墓のない人生ははかない、というのは、京都の石匠でいらっしゃる河波忠兵衛さんのキャッチフレーズ(?)ですが、近ごろは「墓じまい」といって、田舎のお墓を閉じることがあるようです。子どもの数が減ったり、独身を通したりする人も増えて、墓を維持できなくなることも多いようです。
私は墓を建てる予定はありません。親がきちんと建てており、そこに入れてもらえれば良いと安易に考えています。
次の世代もいますので、墓の維持については私の代ではなにも案ずることはなさそうに思っています。
実は、私は自分の入る墓なんて要らないとすら思っているのですが、子孫が

    先祖を偲びたい

と思う気持ちもわかります(私にもそういう気持ちはあります)ので、おとなしくしきたりに従うつもりです。
田舎の墓がなくなるのに対して、学業や仕事のために都会に出る若者が増え、都市に人が集中すると、今度は都市近辺の墓地が手狭になりそうです。
岩下志麻さん主演のコメディタッチの映画に「お墓がない!」というのがありました。天涯孤独でプライドの高い映画女優が、自分にふさわしい

    墓探し

をするものでしたが、著名人になると個人の墓を建てる必要に迫られることもありますから大変です。
私は以前、しばしば文楽の方のお墓を訪ねて回ったことがあります。大阪の寺町近辺に行くと思いがけないお墓に出会いますし、私の家の近くにもどう見ても文楽の人としか思えない名前の墓石があります(ただし『義太夫年表』には見当たりませんでした)。
中にはすでに墓石がもろくなっているものもあり、無縁になってしまったものも見かけます。そうなるとほんとうに「はかない」と感じることもあります。

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