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文楽・超入門(3) 

「心中」とは、いわば男女が互いの心の中を確かめ、誓い合うこと。
それにはさまざまな段階があります。
ちょっとした約束、誓いの言葉あたりはまだ軽い方で、髪を切るあたりまではまた伸びてくるからいいようなものですが、それが嵩ずると身体に傷をつけ始めます。たとえば、指を切ったり、入れ墨をしたり、と、こうなったら痛いですよね。
・・・その究極の姿が

    相対死 (あいたいじに Love Suicide)

です。今、一般的に「心中」というと、この相対死を指しますね。

『曽根崎心中』は、友人に騙されて金を巻き上げられた男が、誓い合った遊女を誘い出して逃避行します。遊女は金で縛られた身の上ですから、これはもう社会的には犯罪で、いわば彼らは社会的敗者になったわけです。しかしこの男女の姿を近松は

    愛の勝利者

として描きました。
この作品の原作の最後の一節は

    恋の手本となりにけり

というのです。
なんと、犯罪者の二人はお手本になってしまったのです。
現在、歌舞伎ではこの「恋の手本となりにけり」で終わりますが、文楽ではかなりカットされていて、最後も「森の雫とちりにけり(森の雫とばかりに命が散ってしまった)」になっています。「手本」という言葉は出てこないので、いささか寂しいです。
それにしても、近松が見出さなければほんの数日人の噂になる程度で忘れられてしまったはずの二人は、恋の手本となって永遠に名を残すことになりました。

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その2人は、醤油屋の手代で、25歳の徳兵衛(とくびょうえ。文楽や歌舞伎では「とくべえ」といっています。大阪の発音では「と」ではなく「べ」を強く高く読みます)と大坂堂島新地天満屋の遊女で19歳のお初。
史実ではお初は21歳だったそうですが、作者の近松門左衛門はこれを2歳若くしました。そのこころは・・・・

  あなたは二十五歳の厄年

  わたしも十九の厄年

というわけです。お互いに厄年だったということにしているのですね。
徳兵衛は悪い友人九平次(くへいじ)にだまされますが、その九平次をお初は徹底的にやり込めて、ついには面と向かって

    どうずり!

とののしります。「スリ野郎!」っていう感じでしょうか(今の文楽では「毛虫!」と言っています)。
そして高らかに笑ったお初とそのとき縁の下に隠れていた徳兵衛が闇の中を曽根崎の森へと歩いていきます。

この世かあの世か分からないほど真っ暗闇ですよ!
何も見えません。
空を見ても月は沈んで、星がきらめくだけ。
以前に書いたことがありますので、そちらを見ていただければいいのですが、寂しい道だったはずです。
近松が作品化して、自分たちの名が永遠に残るなどとはゆめゆめ思わなかったはずの二人がこうして新しい浄瑠璃の可能性をひらくきっかけになりました。

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コメント

何遍聞いてもなけます。

>藤十郎さま
この世の名残は、寛治師匠、津駒大夫さんの印象が強いですが、ずらーと並んだはりますよね。
社会現象になったのですから、筆の力は偉大です。それにつけても、大衆文化がこのレベルとは、日本人は誇ってええと思います。

♪おとみさん

大衆文化をこのレベルにまで引き上げた近松はやはり偉大なのでしょう。結局大衆レベルでどの程度まで言葉を洗練していけるかが文化のレベルということでしょうか。江戸時代の上方文化、たいしたものです。
総理大臣もサブカルはけっこうですが、こういう大衆芸能を無視しないでほしいですね~。

遊女の寿命

当時の遊女のいちばんの希望は誰かに身請けされること。その次には好きな人と心中することだと聞いたことがあります。
病気によって遊女の平均寿命はきわめて短く、たしか23歳くらいのはずです。ほんとうに残酷です。

♪やたけたの熊さん

病死あり、折檻死あり、過労死あり、「国言」の初右衛門のような無茶な人間に殺されることもあり、そして心中もあり。
で、遊女として死んだ人の記録を見ると平均年齢が23歳くらいということなのでしょうね。もっとも、遊女としてそんなに長く働くことはないわけで、めでたく年季が明けたり身請けされたりしたらもっと長生きできたのでしょうね。

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