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「八陣」の物足りなさ 

文楽十一月公演は豊松清十郎襲名披露という慶事が劇場中に香っていました。
その一方で私は

    八陣守護城

の上演をかなり楽しみにしていました。
何しろ久しぶりですから、どんな話だったか思い出すことから(笑)始めねばなりませんでした。
前回の上演では「門前」「毒酒」「浪花入江」「早討」「本城」と並んでいました。今回はその中から

    「門前」と「毒酒」はカット

されていました。
こうして見ると、仕込がないためにどうも「本城」でいきなり盛り上がる感じがしてしまい、終わってからの印象もなんとなくぼんやりした感じがしないでもなかったのです。

なぜ正清が健康でいるのがそんなに変なのか、なるほどプログラムを見れば理屈では理解できます。しかし、やはり「毒酒」目に焼き付けておいてからの「浪花入江」はまた格別ではなかったかと思えたのです。

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しょっちゅう出る演目ならまた話は違ってくるかもしれませんが、こういう作品の場合、初めて見るという方も多いはずで、そういう方々に

    正清のカッコよさ

を印象付ける工夫は、玉女さんの熱演だけではなく、番組の構成からもできたのではないかと思いました。

    双蝶々曲輪日記

が出たために、どうしても「門前」「毒酒」の上演は時間の都合から言って無理な話です。しかし逆に言うと、そこまでして「双蝶々」を出す必要があったのかという思いも抱くのです。
住師匠の「引窓」は誰でも聴きたい、玉也さんの長五郎もぜひ見たい、文字久さんの「欠け椀」はどうなのだろう、と期待する。そのためには「難波裏喧嘩」も出さねば分かりにくい。もちろん、もちろんその通りです。しかし、全体としてみた場合はどうだったのでしょうか? 「八陣」も「双蝶々」も魅力を相殺してしまってはいなかったか。
今年は「八陣」を充実させ、来年の秋は「双蝶々」をさらに細かく見せる、ということでもよかったのかもしれません。
制作のみなさんはいろいろお考えになっていらっしゃると思います。また次の上演の時にはご一考いただければともいます。

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コメント

賛成です

先日公演記録を拝見して、「毒酒」の面白さに引き込まれ、あれで雛絹の父三左衛門の古武士の風格、忠義と命がけの諌めを見せておかないと、後半の意味が実感もてない、と納得しました。重みのある段ですから、ぜひ見せてほしかったです。「双蝶々」も「喧嘩」までのいきさつや長吉の人物、さらに「橋本」まで出すのとださないのとで感動が大違いです。もったいないというか、虻蜂とらずというか、お芝居の成否については、制作する方の責任は大きいと私も思いました。

♪まゆみこさん

制作の皆さんは優れた方々ばかりだと承知しておりますが、ご自身があまりにいろいろご存じなので、私などの申し上げる「わかりにくさ」の意味をいささか等閑視されているのではないかと思うことがあります。
次の「八陣」を、もし私が生きていたらですが、楽しみにしております。

確かに・・

そうなんです・・。
頭の中で、あるいは、推察で、毒を盛られているのかも・・・とは分かったとしても、どうしても、すごいなあ・・という感じがないんです。
後ろの席の方は、船の上で、幕切れに高笑いする場面を見ながら、「分からん」・・とつぶやいてしまわれました。
ここでの高笑いの持つ深みが、伝わってこなかったのではないか・とこの文章を読ませていただいて思い当たりました。

通しではないと、そういう不自由さはあきらめないといけないのかなあ・・限られた回数しか行けないので、残念だ・・と思っておりましたので、良く知っている方のほうから、そのようなご指摘が出るとほっとします。

♪りゅうみんさん

前回上演の時、文楽ファンの中では「玉男師匠の正清、かっこよかったねぇ」というのが定評で、今なお語り草になっています。玉女さんの正清も悪いはずがなく、私はすてきだと思いました。ただ、もっと正清の人物像を大きく見せるには前段があることに意義があるだろうな、という思いです。
りゅうみんさんも同じようにお考えとのことでこれはかなり多くの人がそう思っているのかなと感じました。ありがとうございました。

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