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本蔵下屋敷 

加古川本蔵は、主君桃井若狭之助の刃傷沙汰をとどめるべく、高師直に金品を贈り、さらに思いがけずその師直を斬ろうとする塩冶判官を抱きとめてしまいます。
判官は切腹し、塩冶浪人は流浪の憂き目に遭い、本蔵もまた苦悩の日々を送ることになります。すなわち、

     (へつら) ひ武士

と呼ばれて、しかも主君にも恥辱を与えたことになるからです。
そして浅草の本蔵下屋敷。
今日は本蔵が成敗される日。
この屋敷には、若狭之助の妹で、判官の弟の婚約者である三千歳姫も病気という口実で隠れ住んでいます。
井浪伴左衛門は三千歳姫に横恋慕していて、殿から結婚の許可が出たと思い込んでいます。さらに彼は一家皆殺しにするため茶の湯の釜に毒を仕込みます。
こういうところがややこの作品の

    あざとさ

かなと思うのです。そんなことをしても伴左衛門は何の得にもならないでしょう。
とにかく伴左衛門を悪人に仕立てなければならない、というところから発想されていて、無理を感じます。
結局、若狭之助が成敗したのは伴左衛門。若狭之助は本蔵が大星に討たれに行くことを察知しているわけです。
そして三千歳姫の琴に送られるようにして加古川本蔵は若狭之助から餞別を受けて山科へ旅立ちます。

山科の大星の閑居に現れる時の姿(虚無僧姿で師直家の絵図面を所持)でこの場面が終わるわけで、それでこその

    増補もの

です。

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芝居としてはいまひとつ上出来とはいえなくても、音曲としては初演以来なかなか愛されたものだそうで、素人の会の定番だったようです。
たしかに、善人あり、悪人あり、美女あり、コトバあり、歌あり、長さもほどほど

初演の時はまさに本編(仮名手本忠臣蔵)の山科閑居の直前に上演されたそうですが、面白く思われたのでしょうか。現代なら

    ガッカリ

でしょうね。
そもそも現代人なら本編の中に増補ものを入れようという発想すら生まれないかもしれません。

さて、床は津駒大夫さんで、お隣には寛治師匠に寛太郎君。
思い出します、寛治師匠の襲名披露公演を。あの時は伊達大夫師匠でしたが、寛治師匠の三味線で、13歳だった寛太郎君の琴でした。8年前になりますね。

玉女さんはさすがにしっかり安定した肚がありますが、私が見たときはどうも縛られた姿勢が難しそうでした。
三千歳姫の簑二郎・勘弥さんはなんだか半分に分ける(ダブルキャスト)ほどでもないよなぁ、という感じがしませんでしたか? もう一役が「野崎」の駕籠舁でしたから、なんだかもったいないような。
まあ、四月の静御前(簔二郎)と義経(勘弥)で頑張っていただきましょう。

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コメント

8.5段目?

>藤十郎さま
人気演目と珍しい演目の間には一見よーできてるけどーというのがあります。
今月は歌舞伎で亀山の仇討ちでした。不覚にも伊賀の鍵屋の辻と区別つかへんのです。忠臣蔵一極集中ですね。

寛治師匠

寛治師匠のおおどかな三味線は、聴いていて眠気を誘います。悪く言ってるわけではありません。丸っこくて、心地よい音色は独特です。
寛治師匠は、津駒さんをもうひとランク上げようとされているようです。津駒さん、幸せですね。

>もう一役が「野崎」の駕籠舁
そうそう。なんでやねん、と思いました。お二人に失礼やないかと思いました。

♪おとみさん

『菅原伝授手習鑑』にも増補があり、増補ではありませんが同じネタをさまざまに作り変えるのも浄瑠璃ではお手の物ですね(お染久松もの、とか・・)。
しかし『増補忠臣蔵』という名前のつけかたはあまりにも「そのまま」なので、「ほかに書きようはなかったんかい」と突っ込みたくなります(笑)。

♪やたけたの熊さん

あれほどほかの三味線弾きさんと違った音色を出されると、ほんとうに格別な感じがしますね。
寛治師匠と言えば先代は津大夫師匠の相三味線でした(津大夫・現寛治は義兄弟ですよね)から、その縁でも津駒さんは長いお付き合いなのでしょうね。
あの駕籠屋、簑二郎さんは一生懸命動き、勘弥さんはなんだかだるそうにくっついて行ってました。ああいう役でも個性が出ました。研修生の発表会が駕籠屋でしたから、参考になったかな?

私のような初心者は

本編を観た(聴いた)だけではわからないことも多いので”増補”で補っていただいけるとありがたいです。今回「本蔵下屋敷」を観たおかげで、本蔵がなぜ顔を隠せる虚無僧姿で現れたのか、なぜ吉良邸の見取り図を持っていたのか、なぜ「花水橋引揚の段」で桃井若狭之助が現れたのか、本編だけでは「?」だった部分がいろいろ納得できました。初めて観たというのもあるでしょうけれど。

♪D.Dさん

まさにそういう謎解きをしてみせるのが「増補ものの本領なのでしょうね。
そもそも浄瑠璃作品には「歴史ではこういっているけど実はこういうことなんです」という謎解きの趣向があちこちに散りばめられるのが定石ですから、それにのっとった作法(さくほう)ということでしょうか。
「花水橋引揚」もいわば増補でしょうね。忠臣蔵本編はそういう増補を生む潜在的なエネルギーを持っていたということなのでしょうね。

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