同僚Tさん
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このブログに長くお付き合い下さっている方は、あるいは覚えていらっしゃるかもしれません。
2006年6月にNHKテレビで番組を作ってもらった時のことです。
聴覚障害を持ちながら文楽と接し、学生と接している日常とはどんなものなのかを、当時大阪放送局にいらしたディレクターが興味を持たれて番組にしたいということでした。
福祉関係の番組ということで、こういうときはやはり福祉の専門家に話を聞いてみようと、まだ会話ができた私は同僚の
T.N. さん
の研究室をノックしました。
Tさんは明るい笑顔で迎えてくださって、「いつでもいいから相談したいことがある」という私に対して、「今でもかまわない」と、早速話に乗ってくれたのでした。
「その番組なら知っているし、時々見ている」とのことで、ほっとした私は「もし出演することになったら一緒に出てもらえますか」と厚かましいお願いをしたのです。
彼女はそれも快諾してくれ、早速ディレクターに連絡し、数日後に3人で話をしたのでした。
スタジオ収録の時は、実に誠実に筆記を担当していただき、しかも必要に応じて司会者の質問にも答えるという、忙しい役回りをお願いしました。
実際に放送された十倍くらいの時間収録していましたので、お疲れだっただろうと思います。
あの番組をご覧くださった方は、
ああ、あの美人の先生!
と思い出してくださることでしょう。
↑応援よろしく!
実は、彼女がこの春
退職します
5年間のお付き合いでした。といっても専攻が違いますから、最初の2年ほどは顔を見れば挨拶する程度。たまたま会議の席で隣り合ったのが偶然の出会いのようなものでした。
その後聴力が衰えていく中で、彼女が
要約筆記
の申し出をしてくださったわけで、1年ほど会議の席でお世話になり続けました。
あいにく学内事情もあって研究室が遠くなり、この1年は何度かお姿を見た、という程度の、お付き合いともいえないお付き合いなのでした。
退職といっても、研究職を離れるのではなく、転勤です。さらに研究環境のいい場所を見つけられてそちらに移られるわけで、「栄転」といってもよいと思います。
彼女からメールでそのお話をうかがった時、早速私も
おめでとう
とお返事を差し上げました。
そして昨日は送別会。申し訳なかったのですが、今やこういう集まりが極めて苦手な私は例によって欠席させていただきました。
Tさん、どうもありがとうございました。お世話になりました。新天地で更なる成果を挙げてください。
もうお目にかかることはないかも知れませんが、ご健康とご多幸をお祈りしております。
- [2009/03/13 00:00]
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コメント
覚えてまっせ!
テレビを拝見したときに藤十郎さんの横にピッタリくっついて、筆記されていた美女。覚えてますとも。うらやましく思いましたから(笑)。
ところであのときの収録は、馬場町のNHK大阪だったんですか?
そしてやはり何度もリハーサルがあって、文楽でいうところの「いれごと」つまりアドリブはできない雰囲気でした?
♪やたけたの熊さん
馬場町というと旧NHKですね。現在のNHKは町名としては「大手前」のようです。10階スタジオだったように記憶します。控室はとても見晴らしのよいところでした。
リハなんてありませんよ。ぶっつけ本番です。しかも最初に司会のJ・Bさんがささやいてくれたのは「この番組の台本はあってなきが如しですから」でした。きちんとした台本はアシスタントの女性のお便り紹介コーナーくらいだったのではないでしょうか?
ですから逆にみんなしゃべりたい放題でアドリブが95%。NHKといえども、さすがは大阪の放送局でした。
JOBK
NHK大阪放送局の住所は、大手前ですか。
JOBK・・・ジャパン・オオサカ・バンバチョウのカド、と言っていたのは今や昔のことなんですね。
司会のジェフ・バーグランドさんは、平均的日本人よりもずっと日本通ですね。
♪やたけたの熊さん
ジャパン・オオテマエ・バンバチョウヨリ・キレイらしいです。
ジェフさんは、町屋に住んで、能狂言に詳しくて、根っから明るい日本通お兄さんですね。
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