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感情表現 

いろいろ反省しているのです。
先月の私どもの

  無言劇 

について。
おそらく10分ほどで上演したと思うのですが(うっかり計り忘れました。記録をとっていた学生がいますのでまた教えてもらっておきます)、いくらかカットして、その上で膨らませるところをもっと膨らませないとダメだな、というのが一番の思いです。
そのキーになるのは

  人形が何を考えてその行動をするか

を表現できているかどうかです。
操るのではなく、人形の感情や思考を表現するのです。そこにいたることがどれほど大変なことかを思い知りました。
もちろん数回の稽古しかしていない学生にそこまで求めるつもりはありません。ただ、反省をしておくことは絶対に必要だなと思ったわけです。

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たとえば、おじいさんがきのこを手に入れて感謝します。
そのしぐさをどのように表現するか。
私は両手で捧げて感謝を強調し、師匠は頬擦りをしてきのこへの愛情を表現しようとされました。
どちらも必要だったといまさらながら師匠の演出の意味がかみしめられます。

山の神に感謝をするのですが、その時人形は

  あぐらをかいて

手を合わせていました(8月28日の記事の写真参照)。
あれは間違いだったと反省しています。
いったん立ち上がって裾を払い、正座して山上をみつめ、その上で手を合わせないと彼の感謝は表現できていないと思います。
平田オリザさんは「僕は演劇で言いたいことはないけれども表現したいことはいくらでもある」とおっしゃいますが、そのお気持ちがほんの少しわかりました。
吉田玉男師匠は「僕は人形の気持ちにはならへん。人形の気持ちは表現しようと思うけど」とおっしゃいますが、そのお気持ちもほんの少しわかりました。

どんなに下手でも上演はしてみるものです。

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コメント

名人の言葉

玉男師匠の「僕は人形の気持ちにはならへん。人形の気持ちは表現しようと思うけど」という言葉は玉男師匠ならではですね。
さいしょ玉男師匠の舞台を拝見したとき、なんでこんな無表情に人形を遣えるの?と思いました。
でもそのすごさが見物を重ねるに従って、だんだん分かってきました。あくまで人形がすべてで、人形遣いは存在を消しているかのようです。
時代物で見得を決めるときにの「ヤッ!」という玉男師匠の声を聞いたときには、とても不思議な気がしました。

♪やたけたの熊さん

若い人形遣いさんなどで、人形をこねくり回すというか、こうやって私は人形を操っています、と主張するような表情をする人を見かけます。
吉田幸助さんは最近その点を強く自戒していらっしゃるようで、さすがに彼くらいになるとそういう点まで配慮できるようになるのですね。もっとも幸助さんはもう一歩。一生懸命無表情にしようという表情がまだ感じられることがあります。もう少しで自然な無表情ができそうな気がします。
声を出すのも作為的になると耳障りいですね。女形のウシロブリで「ハッ」というのも、いかにも「かっこいいでしょう」という声の出し方ではまずいです。太夫の語りと一体になって、ここは声が出ないほうが不自然だというときに「ハッ」と声が出るといっそう盛り上がります。

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