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ありがとう、朗読 付460,000 

私の教え子である学生諸姉は「なんともゆるい授業だな」くらいに思っていたでしょう(それは満足に仕事をこなせなかった私の責任なのです)。
しかし、私にとってはいとおしいまでに大事だったのが

  朗読演習

という授業でした。
短大で3年、四年制大学で4年。しかしこの7年は、急速に衰えて行く聴力と悪化する肺の苦しみと闘う日々でもありました。
肺から出した声を耳で受けるという授業は年々苦しくなり、ついには朗読担当としては「世界一ふさわしくない教員」によるゼミと化してしまいました。
ただ、個人的にはこのゼミをいとおしむことで生きがいが増すようでもありました。

その授業が、大学の学科再編のために本年度をもって消滅し、今日完全な

  最終回を迎えます

ほんのちょっぴり感傷的になります。

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最終回は、学生にひとつずつ詩を手渡して、30分ばかり話をして、少し各自で稽古して、私という1人の、あるいは

    0人の聴衆

に向かって自由に朗読してもらおうと思っています。
冬休み前に予告していたので、自分で選んで来る学生がいるかも知れませんが、私からは金子みすず、茨木のり子、島田陽子、石垣りんらの作品を渡す予定です。
この私に届く朗読をしてくれたら満点です、なんて、無責任ですね。
来年度はもうありませんが、7年の思い出は大事に胸に秘めておきます。参加してくれた

    すべての学生さん

どうもありがとう。

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コメント

おお!金子みすヾ

♪私が両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、飛べる小鳥は私のやうに、じべたを速くは走れない。
私がからだをゆすっても、きれいな音は出ないけど、あの鳴る鈴は私のやうに、たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい♪

平日朝8時からの名番組「にほんごであそぼ」で、子供たちが歌っています。このところビデオ録画した「にほんごであそぼ」を、帰宅後晩酌しながら眺めています。やっぱりヘンですかねえ・・・。

♪やたけたの熊さん

金子みすずは、ある学生が「不思議」を読みました。
私もつられて「お祖母様と浄瑠璃」を読みました。この詩には千松、おつる、中将姫が出てきます。またご紹介します。
熊さんが「にほんごで…」をご覧になっているのはとてもすばらしいと思います。酒の肴には日本語です。

NHK教育「にほんごであそぼ」

出演は・・・野村萬斎、国本武春、神田北陽、そしてわれらが豊竹咲哺大夫、鶴澤清介。
ことしからは市川亀治郎が加わりました。テレビに向かって「おもだかや!」と叫んでいます(笑)。

♪やたけたの熊さん

この間、第一部を見て帰る道、向こうからマントを翻して、ドラキュラみたいな人(?)がニコニコしながら近づいて来られました。
清介さんでした。オシャレです。テレビでも大活躍ですね。あの人の大阪言葉、大好きです。「~だんねん」「~でっかいな」なんてきれいな大阪言葉をお使いになりますね。

私も、先日、道を歩いていましたら、コートの袖に手を通さず、肩にひっかけただけの清介さんが帰られるところとすれ違いました。中折れ帽を頭にのっけて、なんだか、禁酒法時代のシカゴの「親分」のようなと申しますか、隠しからピストルでも出てきそうな(そのときは、ニコニコしておられなかったのです。その日の出番で気になることでもあったのか、難しいお顔でした)。

同じように中折れ帽をのっけていらしても、これが英大夫さんですと、隠しからはピストルでなくハトかウサギか、さもなきゃ花束が出てきそうな感じがします。

裏切りモンの私は、ときに、日本語以外を肴に飲んでいたりもします。

一言もわからんのに(たまに、固有名詞だけが聞き取れるのですが)、ギリシャ語でイーリアスの朗読を聞きつつ、カツオの塩辛で日本酒(笑)。いや、これが、どこか平家っぽいんですよ。

音楽だと、ラテン語の歌詞が多いですね。枝つき干し葡萄とか、いちじくとか、オリーブに合う気がいたします。

♪えるさん

あまりにも核心を突いたコメントで……。私、怖いのでノーコメントにしておきます(笑)。

♪えるさん

ひゃー、すごい。語学の苦手な私はギリシアやラテンなど何のことやら。
でも、オペラなら意味不明なのに聴いていましたな……。

ひとこともワカランからこそ、酒の肴になるともいえます。日本語の歌なんか聞いてたら「アホ! やめときそんな男」とか言いたくなっちゃうかもしれないでしょ?

以前、アラブ書道(っていうのかな?)の展示を見にいったことがあるんですけど、その体験と似ていました。読めないので線の形だけに入りこめて。もしかしたら買い物メモかもしれないし、助兵衛な駄洒落かもしれないんですが。

「もし漢字が読めなかったら、篆書なんかどう見えるだろうなあ」なんてことも考えました。その境地って私には決して体験できないんだなあと。

その意味では

子供のうちの方が楽しみは多いともいえます。

日本語にもたくさん、「意味不明の言葉」があって、語感やリズムだけに集中できるので。

小さいうちは、棒暗記も早いですしね。

♪えるさん

もはや音が酒の肴にもならない身の上としては一度体験してみたいですね、ギリシア語。私は聞いたことがないと思うのです。ポルトガル語もスペイン語もろくに聞いてないですね。
民族博物館にいくと意味不明のモノをしばしば見ますが、ああいうのも面白い体験です。

文字の形も

小さいころ、読めなかったときにどう見えていたのかなあ、ということを、ほとんど忘れてしまいました。

「な」と「の」とについてだけはうっすらと記憶があるのですが。

……って、何の話やらわかりませんね。すみません……。

♪えるさん

小さい子って、しばしば字を正反対(裏返し)に書きますよね。
不思議ですが、あんなふうに見えるのでしょうね。

朗読の話に戻りまして。

もともと、人前での朗読には苦手意識がある方だったのですが(人が聞いてないとわかっていれば、暗誦は好きでした)、「よく意味のわからん言葉」だけは例外でした。浄瑠璃でしたら「とらやあやあ」の世界です。

それで、何かの暗誦の自由課題で、草野心平の「ごびらっふの独白」を選んだことがありました。先生には「ヘタでもわからんと思ったんか?」ときかれました。

それもあったかもしれませんが、わからない言葉だと陶酔が強くて、自分がいて、聞き手がいることを忘れてしまうことができたのです。

歌でも、「キンライ節」とか変な囃し言葉の長いやつは、どっか連れて行かれそうで好きです。

♪えるさん

先生もひどいですね。
なんだか折口信夫の世界に入り込みそうな気がしてきました。
最終的に学生が一生懸命声を出してくれたことを大いなる喜びと感じています。
この授業、やってよかったかも、というあたりまで自分では評価しています

少なくとも、「よう覚えたなあ」とはほめてもらいました。

無意味語の方が少々、記憶には手間がかかりますのでね。

小学校高学年から中学、高校のころって、大人に言われたことをマジメにやるのがかっこ悪い、みたいな価値観がありませんでした?「ませよ、ませよ」ってやつですね。わざと訥々と読んでみたり、自由課題だと演目でウケを狙ってみたり。

私は空気の読めない子供でしたので、中1くらいまで、道産子の両親に仕込まれたアズマイントネーションで得々と朗読してたものでした。それが周囲の不興を買っていると後ればせながらに気がついてから、急に朗読が怖くなってしまったんですね。かといって、みんながやるような「わざとヘタに」がそうそう器用にできるはずもなくて。

大学くらいになるとさすがに「ませよ、ませよ」はないかもしれませんが、恥ずかしい盛りのお嬢さんたちが大きな声を出してくれたというのは、それだけで一つの大きな仕事だと思います。

♪えるさん

私は国語科というのが自分の存在感を確認できる唯一の科目でした(笑)ので、この科目については何事もまじめだったような気がします。小学校の頃「雨ニモマケズ」も一生懸命暗誦していました。
中高でも本を読めといわれたらかなりまじめに読んでいた気が・・。ただし、化学なんていうわけのわからん(お好きな方、ごめんなさい)科目になるとこれはけっこう教師に逆らっていたかもしれません。テストでわざとひどい点数を取って喜んだり(笑)。

不思議なものでしてね、私が聞えないなら「恥ずかしい盛りのお嬢さんたち」はいい加減にやってもいいはずですよね。
ところが、だからこそきちんとやってくれたのです。人間の心理というのは不思議なものです。

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