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狆になりたい 

昨日の

  伽羅先代萩

の話の続きです。

「竹の間」で沖の井が持参した膳があります。それが気になる鶴喜代君。政岡は狆に食べさせます。鶴喜代は思わず「狆になりたい…」。
告白しますと、私もやはり笑っていました。そうすることが芝居の楽しみだとみずからに言い聞かせるかのように。

こうして、狆の人形の可愛さや鶴喜代の「狆になりたい」というあどけなくもあからさまな言い方に客席の緊張が揺らいだ直後、政岡は言います。

「限りなき人の果報を受け給ひ、五十四郡の御主と栄耀栄華は上もなき、なに暗からぬ御身にて、

  思ひがけなき御辛抱

たとへ卑しい下々でも、かういふ事があるものか……」

難しいですが、要するに、因果の善報によって何不足ない身の上に生まれたのに、身分卑しい者でもしないようなご辛抱をされることになった。…と歎いています。
それほどに切実な鶴喜代の状況なのですね。

それに気付かされた時、たった今笑みをもらしたことがなんとも後味の悪い、

  酸っぱいもの

が込み上げてくるような気になったことが、私にはありました。

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笑ってもよいとか、いけないとか、そういうことを申し上げているのではないことだけは理解していただけるでしょうか。

  芝居の自然な流れ

を味わうためには、私に限ってはあそこで

  笑う必要はない

と観ずるようになった、というところかもしれません。

  伽羅先代萩

くらいの作品になると、どんどんこちらから挑んでいきたくなります。

ただし、私は今はむしろ意図的に顔を引き締めているのかも知れません。それがもう少し自然に緩んだ時に、かつて知らぬ

  芝居のここちよさ

が生まれてくるのかと思ったり、あるいは今書いていることなど何の意味もないと分かる日が来るのかと想像したり……。

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コメント

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♪管理人のみ……さん

すばらしいご意見、ありがとうございます。たしかにそうですね。
いつも思うのですが、非公開コメントはほんとうにすばらしい内容ばかりです。

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