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壺阪の観音さん 

由緒あるお寺です。
壺阪山南法華寺、というよりはやはり

    壺坂寺

ですね。
本尊は十一面観音。お寺で見かける観音像の中では千手観音とともに印象に残りやすい像ではないでしょうか。

あの藤原道長が寛弘四年(1007)に吉野金峯山に参詣した時も、この寺には立ち寄っています。

先日も書きましたが、観音さんは現世利益を与えてくれます。ナントカ手当とか、上限いくらとか(笑)、その手で庶民を喜ばすのです。
それだけに、

  壺坂観音霊験記

も、はなはだわかりやすいお話です。

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投身したふたりは未来成仏疑いない夫婦の手本となりました、なんて結末ではなく、サッと息を吹き返してパッと目が開いてワッと踊り出す。
先日やなぎさんからいただいたコメントにあったギリシア古代劇で用いられた結末作法

  デウス・エクス・マキーナー(機械仕掛けの神)

ですかね。
となると、我々はえべっさんに続いて観音さんにまで化かされて(?)、平穏に新しい年を迎えさせていただいた、ということでしょうか。
芝居に行くのは、虚構に身を置く、わかりやすく言うとこちらが好んで騙されに行くようなものです。加えて、祝祭の空気漂う初春公演は、余計に

    騙されたい

という欲求が深層心理に働くのではないかと思えるくらいです。
とかく戯曲性の深みだとか芸術としての高みだとか、そういうお題目を舞台に求めてしまいがちなのですが、いわば

    無内容の愉しみ

がこんなにも新年を寿いでくれるなら、両手を広げて素直に受け入れればいいだけです。
この公演では、

    えべっさん

    観音さん

にはありがたく素直にお礼を言いたい気分です。

すでに「嶋エビス」が登場しましたが、「壺坂」を見ると

    文雀観音

まで登場されたことになるのでしょうか。

    善哉、善哉

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コメント

分かりやすい

「壺坂」は、「曽根崎」や「火見櫓」「日高川」などとならんで分かりやすい演目ですね。外国公演や鑑賞教室にふさわしいですね。
鑑賞教室ではなかったですがある秋の日、天王寺高校の生徒さんたちが「酒屋」を鑑賞してました。もちろん寝ていた人が多かったです。

♪やたけたの熊さん

わかりにくいのが伝統芸能、というイメージがあり、それも大事だと思うのです。しかし、入口では伝統的な雰囲気を持ちつつ、おかしみ、単純さ、テンポのよさ、メリハリなどわかりやすいものを見るといいかもしれませんね。
壺坂はその点ではなかなか高得点でしょうね。

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大好きです

文楽は死んじゃう話が多いので、死なない(というか生き返る)この話は大好きです。お寺さんの宣伝だと言われても、嘘っぽいと言われても、好きなものは好きなので(苦笑)。

♪DDさん

好きなものは好き、これほどはっきりしていることはありませんよね。
明快なコメント、何も申し上げることはございません(笑)。

鼓と手拍子

これ、最後が万才みたいに鼓が入って踊ってくれるから耐えられる、というところがあります。万才が「……でした、とさ。」という締めくくりになっているというか、「これはお話ですからね」というワクを作ってくれるんですね。

それ以前にも、千尋の谷に飛びこんだのに生き返ったという段階で「お話ですよ感」は保証されてるんですけども。なんぼなんでも、目を開けてもらうためにマネして飛びこむ人もおらんでしょうから。何年も通い詰めたら目が開きました、だけだったら、一意専心を奨励されすぎてる感じで私は耐えられんかったでしょう。お話では奇蹟で目が開くからいいけど、普通は開かないからこそ奇蹟なわけで、「ほかのことはまず目が開いてから」とすべてを先送りするんじゃなく、治癒のための努力と、たとえ開かなくてもそれなりに今より少しいい生活を実現するための努力と、リソースは分散投資したいじゃないですかー(ま、その配分比率が難しいからみんな悩むんだし、そこに個性が出たり、意見の相違で不和の元になったりいろいろあるわけですが)。

治癒だけじゃなく、ケタ外れに荒唐無稽な蘇生をくっつけてくれたことで、お話っぽさが強調されて、安全クッションになってくれるようです。

私は介錯さんと一緒に手拍子しちゃうんですよ。「お話だ、お話だ、お芝居だからめでたく」と自分に言い聞かせるように。周りの方にご迷惑だといけないのでひっそりと、かつ、なるべく早くやめるんですけどね。

♪えるさん

今回の諸演目で客席の反応を見ているとなかなかおもしろいことがあります。皆さん、反応が個性的な気がするのです。
「寿連理の松」でもあまりの結末に怒っていらっしゃる(?)方があるかと思うと、小さな動きで手締めをしている方もあります。
えるさんもここでは一緒に手拍子されているのですね。

アチャー。

表示してもらってから見たら、えらく長ごうて鬱陶しいですね。反省。

子殺しだろうと殉死だろうと「お話だから」と平気で観ているくせに(襤褸錦のような「足手まとい問題」さえ普通に受けとめるくせに)、「完治でハッピーオチ」だと急に身近に感じて血が凍るのは修業が足りんなぁと思いました。

消そうかとも思いましたが、「個性的な反応」の一サンプル、ということで置いとくことにします。

♪えるさん

長いのはまったくかまいませんよ~。
いくらでも書いてください。
私の書くぼやっとしたエントリが、えるさんのコメントで締まりますので(笑)ありがたいです。

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