fc2ブログ

理 

桐竹紋寿さんが大阪本公演で初めて政岡を遣われました。
文楽は歌舞伎と違って役者を見るという要素はあまり濃くないように思うのですが、今回ばかりは少し違いました。紋寿さんのこの役への

    思い入れの深さ

というか、愛着というか畏敬というか、とにかく凄まじいばかりの執着を感じ取ることができたからです。
紋寿さんはこれで女形の最高峰を持たれたことになり、ひとつの到達点に達せられたと思います。「これで終わり」のような書き方になっているとしたら、それはけっして私の本意ではありません。しかし紋寿さんはとにかく富士山登頂に成功なさった。そのことに関して心よりおめでとうございますと申し上げたい気持ちです。
紋寿さんは簑助師匠や文雀師匠の陰に隠れる面がおありだったと思います。今も番付では三位の位置にいらっしゃいますが、女形でも三位。それでも精進に精進を重ねられてここまで来られたのですから人形遣いとしての本懐ではないでしょうか。
ますますお元気で次の大役に挑んでくださいますよう期待いたしております。

さて、その

    伽羅先代萩

です。
政岡も八汐(玉也)も千松(簑紫郎)もよかったのです。
じっと持ちこたえた政岡は最後で感情を爆発させますが、その勢いは客席にびしびしと伝わりました。
相手によってころころ態度を変えて、八方を見渡してしたたかに生きていこうとする八汐も玉也さんの的確な動きで性根が見えました。
現代最高の子役は簑紫郎君。大きな立役もできる人ですが、小さく持って大きく遣うような千松は抜群の冴えでした。
が、私はもうひとり、目を瞠るような役があったように思ったのです。

にほんブログ村 演劇ブログへ
 ↑応援よろしく!

それは沖の井なのです。遣ったのは

    吉田勘弥 さん

文楽人形遣いさんの中でも有数の二枚目ですが、遣われる人形も端正です。以前は時々気が抜けるようなことがあったのですが、最近の役への集中は長らく左遣いで腕を磨かれたこの人の成長をしみじみ感じさせます。
勘弥さんはどこか取り付く島のない役を持たれると不思議な魅力を感じさせます。若手会で遣われた弥助とか昨年春の義経とか。
今回の沖の井はその本領のよく出た名演だったと思います。
仮に政岡、八汐、沖の井を義、非、理と表現すると、義は守り、非は攻め、理は割る、ということになるでしょうか。「理」(ことわり)は「こと」を「わる」(割る、裁く)のでしょうね。
政岡の義と八汐の非を割る役として、「竹の間」では事態を徹底してストイックなまでに

    見据えて

いました。そういう「理の超然」が人形からにじみ出たために人形が大きく見えました。
そして深い思案のあと「御殿」で鮮やかに行動に出て「割って」見せました。
「見据え」から「思案」に動き「割る」。
「竹の間」での「見据え」が徹底していたからこその一連の演技でしょう。
政岡、八汐に伍するといっても過言でない存在感を示してくださいました。

実は勘弥さんは私の大学に人形を教えに来てもらっている人で、個人的に比較的親しい人なのです。それだけにむやみにひいきしたことを書きたくないという思いがあったのですが、今回はそういうことではなく、立派な演技だと確信したためにあえて書かせていただきました。

スポンサーサイト



コメント

今回の沖の井

 確かに見事でした。ここは政岡と八汐の攻防を、きちんと中立の立場からの捌きが必要なところです。政岡に肩入れするのでもなく、理詰めで八汐を黙らせないといけない、その貫録とさわやかさを伴った立ち姿で、浅葱色の打掛けがつきづきしい、凛々しい沖の井でした。ちなみに、「竹の間」での相子大夫さんも一段上がった、という感じでした。咲甫大夫さんの八汐といい勝負で、もしかしたら役柄が反対でもおもしろいかもしれません。

今回の沖の井

私も感じました。

砂糖と塩だけでは味は引き立たない。そこに入る調味料(表現が変ですが)近くに控えて立っ居るだけで存在感を感じました。あいだに入る時は、「そうや、そうや」と、納得していました。

男前な女の人

ほんの5、6年前のことだと思うんですが、女性を形容するのに「男前」という単語が使われるようになりました。流行語で終わるかなと思ったら、大して流行しないまま消えずに定着したようです(男性を指すときは容姿のことなのに、女性に使うと行動や能力を指すのが面白いですが)。

沖の井を見て(聞いて?)浮かんだ言葉がコレでした。男前な女性。

相子さんがかっこよくてね。いつまでも相子「ちゃん」なんて呼んでちゃいかんなあと思いました(しかし男性を評価するのに「女の男前」っていうのも変な具合ですね。しょうがないけど)。

♪まゆみこさん

おっしゃるとおり、貫禄だけではなく、さわやかさがありました。そこがいいところでしたね。
相子さん、よかったのですか。彼は将来有望ですね。相生さん、伊達さんと来て今度は綱さんのそれぞれ一人っ子のお弟子さんになられて、幅広く吸収するものがおありなのでしょう。頑張ってほしい人ですね。

♪花かばさん

料理に喩えられるところはさすがに花かばさんですね。うまいことおっしゃいました。
花かばさんのご賛同を得られて心強いです。

♪えるさん

今でもよく言いますね。きっぷがいい、というのとも微妙に違って、なかなかしゃれた言葉だと思います。
やはり相子さんへの評価が高いですね。でも彼はどこか相子ちゃんと呼びたくなるキャラクターでもありますよね。私はちゃん付けしたくなるというと幸ちゃん(幸助さん)、玉佳ちゃん、喜いっちゃん(喜一朗さん)あたりです。でも皆さん中堅になってしまいました。

八汐

もっとも、まっ先に目(耳だけど)を引かれたのは咲甫さんだったのですけどね。

感想第一報のときに、もしも私が咲甫さん宅の近所のオバサンだったら、帰ってきた咲甫さんを捕まえ、役と混同して叱って苦笑させてやりたい、といった趣旨のことを書いた記憶がありますが、あれは、八汐の「小悪」らしさの表れだと思うのです。決して大物ではなく、首謀者でもなく、自分なりの都合や思惑に翻弄される一個人ですね(巨悪は町の親分に刺されるかもしれませんが、オバチャンに小言を言われはしません)。沖の井とちょうど対照をなしています。

敬称ですが、音韻というか発音の都合で「ちゃん」がつながりやすい名前というのがありますね。あるいは、略称や愛称だと「ちゃん」の方が似合うこともあります。玉佳ちゃんの場合はぬいぐるみっぽいリンカクのせいですね。

私が相子さんを相子ちゃんと言うてしまうのは何もモミジのようなお手々のせいではなくてですね、たぶん伊達師匠のせいなのです。もちろん相子さんとの方が年の近い私なのに、なぜか最初に伊達さん視点になって孫みたいに見てしまった後遺症かと思われます。

♪えるさん

いつぞや咲甫君に会ったのですよ。その時、えるさんがほめていらしたことを伝えておきました。近所のオバサン云々はさすがに言わなかったかも(笑)。
彼は謙虚ですから照れ笑いしていましたが。
玉佳ちゃんはあの「カチャン」という音の響きもいいです。

謎キャラ

沖の井以上に何考えてるか最後までわかんないキャラといえば小巻なんですよね。沖の井はまだ浄瑠璃の詞章で観客には善玉と明かされていますけど、小巻はびっくり担当だからそれさえもなく。

小巻ってあんまり動かないしもう一段階若い方が担当されますけど、過去にやってないかなあなんて思って文化庁のデータベースを見たら、2005年5月の東京。でも、玉英さんと交替。勘弥さんは前半だから、映像を後半に撮っていたら映ってないかも……。

ところで、12月の東京のプログラムから、「寿」「団」「弥」の表記がそれぞれ「壽」「團」「彌」に変更されましたけど、文化デジタルライブラリーも現役のお名前に限り命名もしくは改名の日まで遡って表記が変わっていました。いったい、何があったんでしょう? 何だか、まだ目が慣れないよう。短縮登録も変更しなきゃいけないし。

♪えるさん

2005年5月の東京は勘弥さんで見ました。やはり役の格なのか、今回の沖の井ほど魅力はありませんでした。
そうそう、「壽」「團」「彌」になりましたね。「國」もでしょうか?
私は申し訳ないのですが、以前のまま勘寿さん、団七さん、勘弥さんと書かせていただきます・・。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/1490-17621f3a