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そして12・14 

授業を通して学生にあれこれと忠臣蔵について話してきたのです。
そして今日は、旧暦(当時は貞享暦)と新暦の違いはあるとはいえ、

    極月半ばの十四日

です。
元禄15年(1702)12月ですが、今の暦で言うと1703年1月30日の出来事です。
立春までもう少しとはいいながら、寒い頃ですよね。実際は降っていなかったとも言われますが、芝居では雪がつきものです。
大石内蔵助以下、貝賀弥左衛門、原惣右衛門、間瀬久大夫、片岡源五右衛門、富森助右衛門、武林唯七、小野寺幸右衛門、奥田孫大夫、矢田五郎右衛門、勝田新左衛門、吉田沢右衛門、岡島八十右衛門、早水藤左衛門、神崎与五郎、矢頭右衛門七、大高源五、近松勘六、間重次郎、堀部弥兵衛、村松喜兵衛、岡野金右衛門、横川勘平が表門。
大石主税以下、吉田忠左衛門、小野寺十内、間喜兵衛、堀部安兵衛、礒貝十郎左衛門、倉橋伝助、杉野十平次、赤埴源蔵、三村次郎左衛門、菅谷半之丞、大石瀬左衛門、村松三大夫、潮田又之丞、中村勘助、奥田貞右衛門、間瀬孫九郎、千馬三郎兵衛、茅野和助、間新六、木村岡右衛門、不破数右衛門、前原伊助、そして寺坂吉右衛門が裏門。

さすがにいろんな名前がありますね。「孫」がつく人も二人。近松さんも勘平さんもいます。

47人が寄ってたかって60過ぎの老人一人を殺しに行く、と言ってしまうと身も蓋も無いのですが、だからこそ芝居では徹底的に吉良(師直)を傲慢で厭味な男に描く必要がありました。
実際、浅野が刃傷に及んだ時、日ごろの怨みであると叫んだようで、吉良は少なくとも浅野にとっては許し難い人物だったのでしょう。でも、吉良にしてみればそこまで怨まれる覚えはなかったのかも。真実がわかりませんが、善と悪との単純な対立とは言い難いようにも思います。

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にもかかわらず、浅野を「判官」にすることで菅原道真や源義経の流れで我々は「ひいき」してしまいます。
理不尽に何らかの力の前に屈する男たちだからこその甦り、早野勘平もそうでしょうし、当今人気者の坂本龍馬もあるいは同一線上にあるのでしょうか。
さらば龍馬は浄瑠璃になりうるのか?

文楽では討ち入りはあまり重視されません。歌舞伎ではある程度大きく扱われますが、それはやはり情を語る芸と役者の華を見せるものとの差なのか?

やはりあれこれ考えてしまう12月14日なのです。

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コメント

もしも本人に会ったら・・・

浅野内匠頭は短気でキレやすく、吉良上野介はおだやかな品の良いご老人で、大石内蔵助はスケベな中年で・・・

夢のないことコメントしてごめんなさい(笑)

♪やたけたの熊さん

そういう見方だってできるかもしれませんね(笑)。学生が、「刃傷の時吉良さんが殺されていたら、浅野さんが悪役になって仇討されてますよね」と言っていました。

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