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奥州安達原(第一の1) 

12月文楽公演(東京国立劇場)では

    奥州安達原

が上演されます。東北での大震災のあった年ですから、その締めくくりに奥州に思いを馳せるのもよいかもしれません。
特に今回の上演は「袖萩祭文」のある三段目だけでなく、久しぶりに二段目の「外が浜から文治住家」が上演されるので注目されます。

作者は近松半二、竹田和泉、北窓後一、竹本三郎兵衛。宝暦12年(1762)竹本座初演です。
またまた長ったらしい記事になりますが、この作品のあまり上演されない部分について概略を書こうとおもいます。
初段の舞台は、大序に当たる鎌倉御所、吉田神社社頭、序切は西洞院義家館。鎌倉で発端を描いておいて京に舞台が移るわけです。

初段の主な登場人物は
八幡太郎義家(安倍頼時を倒して東国を鎮圧した源氏の武将)
大江惟時(天下を狙う悪人)
鎌倉景成(義家の家臣)
瓜割四郎(義家の家臣ながら、惟時に通じている)
志賀崎生駒之助英(義家の家臣)
傾城恋絹(実は安倍頼時の娘)
匣内侍(実は義家の弟、新羅三郎義光)
環の宮(実は義家の子、八つ若)
桂中納言教氏(実は安倍貞任)
平・仗直方(環の宮の傅役)
敷妙御前(義家の妻)
八重幡(義家の妹)
です。
まずは大序から

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康平五年(1062)二月半ば。安倍頼時による東国の反乱を平定した源義家(八幡太郎)は鎌倉御所で鋭気を養っています。そこに勅使大江惟時が下向し、中宮御産の大赦で奥州の流人、桂中納言則国を都に戻すのでその処理をせよ、と伝えました。
惟時は併せて、十握の剣が行方不明になっている非常時に鎌倉で狩をしている義家を責めます。義家が軍慮を忘れぬためだと反論すると、惟時は安倍頼時の息子の貞任、宗任が怖いのかと嘲弄します。
あまりのことに義家の家来の鎌倉景成は怒りますが、瓜割四郎は惟時にへつらいます。
そこに、小林の郷民たちが来て、

    鶴を十つがい

献上します。義家はかつて六孫王(源経基)がこの地で源氏の輝く将来を招く吉瑞だ鶴を放ち、

    「鶴が岡」

と名付けたのにあやかって金の札を付けて放してやります。
義家は鎌倉のことは景成に任せ、都を目指します。
鶴が岡の地名由来を語りつつ、このあとの展開の仕込みもしっかりおこなわれています。

京の都、

    吉田神社

の社頭です。吉田神社は京都市左京区、あの兼好法師(卜部兼好)の家はこの神社の神官の筋です。
傾城の恋絹が志賀崎生駒之助と添いたいと祈願に来ます。
そこに天皇の弟、環の宮が匣の内侍らを随えて物詣に来ました。さらに生駒之助が来て、お供を申し出ます。すると木陰な恋絹の姿。困惑した生駒之助は「遊君という珍しい者がいます」とごまかそうとして恋絹を呼びます。ところが恋絹が生駒之助にしなだれかかり、腰元たちに疑われます。生駒之助は「廓遊びなどしたことはない」と言いますが、恋絹はますます取り付いてきます。
そこに瓜割四郎が現れ、生駒之助に義家公の急用だから帰れと命じ、生駒之助は心を残しつつ帰ります。
恋絹に惚れている瓜割は言い寄りますが、そこに鳥刺が現れ、腰元が宮のお慰みに鳥刺を呼べと瓜割に命じます。瓜割が鳥刺を呼ぶ隙に恋絹は逃げ、瓜割もあとを追います。
鳥刺は匣の内侍に文を渡した上に、乱暴なふるまいに及びそうになったので、一同は神前のほうに逃げ、鳥刺も追います。
再び環の宮と匣の内侍が現れ、鳥刺が追いつきます。鳥刺が「うまくいきました。早く行ってください」と言うと匣の内侍は環の宮を連れて立ち去ります。
そこに腰元たちが戻ってきて、鳥刺に宮を返せと言います。宮の帰りが遅いことを案じたお守り役の平直方が来て鳥刺を問い詰めると、鳥刺は自害。懐には「環の宮を盗み出せ」という一通の文があり、それを持って直方は帰ります。

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