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和泉式部と二人の親王 

昨日は大阪府吹田市の

    吹田市民大学

でお話をしてきました。例年はあるていど自由にテーマを選ばせてもらっていますが、今年は「恋物語をテーマに」というしばりがかかっています。自分自身の恋物語ならいくつかネタはありますが(笑)、他人の話はできるかな? と不安で、一時は辞退しようかと思っていたほどです。
ただ、例年平安時代に関心があるという方がおいでくださっていて、ひょっとして今年も楽しみにされていたら、という思いもあってお引き受けすることにしたのです。
お金にはなりません。準備に費やす時間を考えたらまったく割に合わない仕事です。しかしそんなことはどうでもいいことで、自分が勉強したことを人さまにお話しさせていただいて、それでいくらかでも満足していただけるなら勉強者冥利というものです。

    勉強者

というのは変な言い方ですが、私など研究者や学者の名に値しないので、さしあたり「勉強者」ってところかなと思うのです。
タイトルは「和泉式部と二人の親王」で、私は大体こういうシンプルなタイトルが好きなのです。副題をつけるなどの長いタイトルにはしないことにしています。

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和泉式部(978頃~1027以降)は平安時代屈指の、というよりは和歌史上最高クラスの歌人ですが、彼女の20代の頃に二人の親王と親密な関係になったのです。
冷泉天皇の皇子、為尊(ためたか)親王とその弟の敦道(あつみち)親王です。この二人の親王の当時の政治上の位置などを確認しながら、和泉式部との恋愛関係とそれによって詠まれた数々の名歌についてお話しする・・・・つもりだったのです。
ところが、なんともあわただしい日々であったことと、10月の終わり頃から必ずしも体調がよくなかったことなどもあって、十分に予習することができないまま昨日を迎えたのでした。
おいでくださった皆様方、まことに

  申し訳ございませんでした

これでは「勉強者」の看板も下ろさざるを得ないような気がしてきました。
しかし、和泉式部は魅力的な人です。
全国各地に出生伝承があったり、彼女が放浪したような話も生まれたり。そんなこんなで彼女にまつわる伝承遺跡は数多いのです。
実はお話しした中に和泉国(大阪府南部)の遺跡もあったのですが、予習の段階では現地に行けないままでした。和泉というと文楽では「信田狐」になりますが、和泉式部が夫の和泉守橘道貞から離れていこうとしたとき、赤染右衛門という歌人が

  うつろはでしばし信太の森を見よ
         かへりもぞする葛の裏風

という歌を贈って諌めています。しばらく和泉のほうを顧みなさい、というのは、和泉守であった夫のことをいうのですね。
和泉国には和泉式部の遺跡なるものが数多くあります。行っておきたいのですが、中途半端に遠いのですよね、あのあたりって。
定員200人の講座でしたが、お申し込みは130人ほどだったとか。65%の入りというと、文楽劇場並みでしょうかね(笑)。

で、結論は、「和泉式部は私などの手には負えない大物でした」。

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