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命をつなぐ話 

文楽の演目にはわが子を殺すという究極の悲劇がしばしば見られます。
私はいつも思うのです。わが子が自分の永遠性を保障してくれるものだとするなら、子殺しは自分の滅亡をも意味するのだと。
『一谷嫩軍記』の

    熊谷直実

が平敦盛ならぬわが子小次郎を殺すとき、彼は自分の滅びまで感じていたのだと思っています。「熊谷陣屋」で出家するのはこの菩提を弔うためであることはもちろんですが、実はすでに永遠性を失われて生ける屍となった自分自身を確認する行為でもあったように思えます。
申すまでもなく、作者がそんなことを考えていたかどうかは私の知ったことではありません。
いずれも

    父と子

の話です。
母子の場合はわが手にかけるのではなく、殺されることを承知で手放すことが多そうです。

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沼津は逆に父が子に殺される話だろうと思っています。
これもまた不幸なイメージがあるのですが、熊谷や松王のような逆縁ではありません。
平作は70に手が届く、当時で言うとかなりの老人。それでも雲助をして生きていかねばならない身の上です。

    平三郎

という養子にやった息子がいて、それは商売で成功しているという話は伝わってくるのですが、今はもう他人です。
平作は十兵衛を息子と知らずに、「今そのせがれが、身上が良いとて、訪ねに行て箸片端貰うては、人間の道が済んませぬ。今出逢うても赤の他人」と潔く述べるのです。いくら息子が成功したからといって今更訪ねていって恵みを受けることはできないというのです。
十兵衛は自分が平作の息子であると知りますが、だからといって貧しい暮らしの父と妹に金を恵んでも受け取りはすまいと思い、妹に偽りの恋を言いかける。妹には夫があるからと拒絶にあう。そしてそのあと十兵衛は妹が和田志津馬の妻となった吉原の傾城、瀬川であることも知ります。
志津馬のけがを治すために薬を与え、金も与えたい。十兵衛は石塔を立てるためと言って,大枚の金を置いて去り、千本松原へと行くわけです。
いわば敵味方になっている父と子。父は股五郎の居場所を教えてくれと頼みますが、それはできない十兵衛。ついに平作は腹を切ります。
そしてついに十兵衛から股五郎の居場所を聞きだすことになります。

    九州相良・・・・

二人は親子の名乗りもしますが、ここに妹は入ってこない。あくまで父と息子の命の引継ぎ。
平作は孝行な息子を持ち、その息子に殺されていく。そして自分の命を息子に預けるかのようです。
こうして命は続いていくのだろうかといつもこの場面を見て思います。
勘十郎さんの平作は動作一つ一つが大儀そうで、どっこいしょ、という声が聞こえてきそうです。玉女さんの十兵衛が、背が高くていい男です。

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