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演出の工夫 

文楽にはいわゆる演出家はいません。
すでに上演された舞台を参考にして人形遣いさんがいろいろ工夫してマイナーチェンジをくりかえす、という状況でしょうか。
練り上げられた舞台はさすがに面白い工夫が積み重ねられていると感じます。
しかし、

    鬼一法眼三略巻

の、特に「菊畑」以外の場面などはあまり上演されていませんから、まだまだ工夫のしどころがあるはずなのです。
「鞍馬山」はもっと派手に見せて欲しいと感じています。天狗を追っ払う牛若など、おきまりの立ち回りに見えて面白みに欠けました。こういう場面ではやはり演出家、あるいは殺陣師がいてほしいものだと思いました。小天狗たちと大天狗(実は鬼一)の違いを際立たせて欲しいのです。
段切も本文にもう少し忠実にケレン味を出してもいいのではないかと思ったのですが。
あまりそういうのは好まれないのかなぁ。
「書写山」もまだまだ何かできそうに思います。

    鬼若以外

の人形が見せ場が少なくてやはり物足りないと感じました。
「清盛館」も清盛は座っているだけですし、湛海と皆鶴姫のからみくらいで、どうも人形遣いさんの力が見せられないような。
もったいないなぁ、と思いながら観ているのです。

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ただ、文楽をあまり知らない演出家がいきなりとんでもない事をしようとすると、これまた文楽の味が薄れるかもしれません。
歌舞伎の本質は

    傾き

なので、串田さんや野田さんのような思い切った演出も面白いのですが、義太夫節を視覚的に表現する人形の演出には限度もあるように思っています。
また、じっくり浄瑠璃を聴かせる場面では人形が邪魔をするようになってもいけませんし。そういう意味でも「沼津」などはさすがによく練られていると思います。
そんなことを考えていると、まずはあまり上演されない、しかも浄瑠璃としての面白さよりストーリーの展開を見せるような場面(要するに端場)で工夫をしてみるのがよいのではないかと考えるようになっているのです。
稀曲の復活や通し狂言の上演が期待されているのは事実ではありますが、現実に上演するとなると、そういう工夫をしっかりしておかないと「なぁんだ、

    やっぱりつまらない」

で終わってしまう可能性もあるように思うのです。

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コメント

個人的には鞍馬山はもうやらなくて(廃曲で)いいんじゃないかと思ってるのですが。まあそれはともかく。

原文だと鬼若は顔に墨塗られてますから、きっと初演時は真っ黒な顔で暴れていたのでしょうね(自剃りのときに井戸で洗ったようです)。また、早稲田の神津先生は、団平の体も本文どおり砕け散ったでしょう、とのこと。

前後しますけど、原文だと、雑人たちは鬼若が暴れだしてから団平に呼ばれるのではなく、最初からその場にいたようです(鬼若の詞が「かふならんだやつばら。ひつとりも生てはかへさぬ」ですから)。お稚児さんもあと一人多いし、お京も鬼次郎と一緒にお札を納めには行かず、乳母が殺されるときには同席していて、抱き起こしたり撫でさすったりしています(鬼若が倒れた乳母に駆け寄りもせず、容態も確認せずにいきなり暴れるのは、もともとお京が介抱していたのをカットしたからですね)。つまり、なんやかやと舞台の上に人数が多い。

仕掛けも派手だったみたいですね。自剃の直前に、真っ黒な顔が元に戻る仕掛けもあっただろうし、団平の人形がいくつかに分かれて散る仕掛けもあったかもしれないし。

人数が多いといえば、清盛館でも、かなり家来がみっしり詰めているように書かれています。つまり、湛海さんは可哀想にもっとおおぜいの前で恥をかくことになっちゃってます(重盛の教訓状も、もっとおおぜいが聞いちゃいました)。

本文を(カットではなく)書き改めてまで人数を減らしたのは、復活時の人手不足のせいなのか、それとも、地味で渋い舞台面が好まれた時代だったのかまではわかりませんけど。

前半が派手だと、菊畑の地味さが余計にきわだってかっこいいような気がするんだけどなあ。

♪えるさん

鞍馬山、そうなってしまいますね。同じご意見をほかでも承りました。
じゃあもういっそ、あれもたいしておもしろくないし、これも不可欠でもないし、だったらそれも必要なくなるし、で、「菊畑さえあれば」になってしまうと元の木阿弥。
何がおもしろくないのかを検証して5年後にはあっと言わせてやる、というのも制作の仕事ではないのか。「職分に含まれません」「その時の担当者に委ねます」と放置するのかな?

んー、面白くないから、ってことでもないんですね。何というか、設定と矛盾するから、ですかねぇ。鬼一のキャラと合わないというか。

書写山はないと困るでしょう、書写山と菊畑と両方あって初めて五条橋につながるんですもの。どちらかというと、「ツメちゃんも多くして、鬼若も真っ黒になって、鏡井戸で顔を洗って元どおり! も見せて、団平も4つか5つに分かれて派手に陽気に」と思うんですけどね。

そうそう、清盛館もツメちゃん山ほど並べて。

ダメ?

♪えるさん

ダメではないのですが。
牛若といえば鞍馬の苦労話、というのもありますし、鞍馬と書写は牛若、鬼若の起点なので、併置する意味はありそうで。
なくても困らないと言い出すと「やめよう」の結論に流れそうなので。
それにしても、人形だけ観ている分にはつまらない鞍馬でした。

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