傾城阿波の鳴門(第一)
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明和五年(1768)六月一日、大坂竹本座で、近松半二、八民平七ほかの作になる
傾城阿波の鳴門
が初演されました。
おなじみの「巡礼歌」(八段目)は竹本島太夫が初演、十郎兵衛の人形は豊松弥三郎、お弓は沢竹吉郎兵衛、伊左衛門(衛門之助)は豊松元五郎、夕霧は豊松重五郎だったそうです。
近松門左衛門の「夕霧阿波の鳴門」の「吉田屋」は六段目に取り込まれ、大近松の威光を借りて、当時必ずしも盛況ではなかった芝居小屋の状況を何とか打開せんとする意図があったようです。演劇としてそれが成功だったかどうかはともかく。
十郎兵衛は実在の人物ですが、芝居の世界では海賊と伝えられる、実悪の役どころ。この作品のような盗賊実は忠義者という設定は例外的だそうです。ちなみに、実在の十郎兵衛が磔に処せられたのは元禄十一年(1698)のことだったそうです。
これまで私も全体を通読したことがありませんので、のらりくらりと読んでみました。読むだけならどなたにもご迷惑にはなりませんが、またここに断続的にあらすじを書き連ねようと思います。まあ、これもお読みにならなければいいだけの話ですから、ご迷惑にはならないかな(笑)。
誤読(意味の取り違え)もあるはずですが、そこは「専門家の仕事ではないから」と予めの逃げ口上。とうざい、とうざい。
第一(初段)は
江戸吉原
の巴屋でのことです。
竹林の七賢を気取って飲めや歌えの大騒ぎをするのは、阿波の大名客
玉木衛門之助
と末社(とりまき)たち。
傾城高尾(高雄)は自らが書いた手紙をからかわれて痴話喧嘩の様相。それも収まり、奥座敷で飲み直しです。そこにこわもての男が入り込み、「高尾を貰おう」と腕まくりをします。
衛門之助は「そちらに遣わしてやりたいが、高尾はすでに身請けも済んで今夜私の屋敷に連れ帰るから」と断ります。
団八というこのならずものは、なおも食い下がり喧嘩をしかけますが、太鼓持ちの佐渡七が蹴飛ばして追っ払います。
一同は気分を変えて飲み直そうと離れ座敷に行きます。
(ここまでが「口」)![]()
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夕刻になりました。団八が山口定九郎とともに中の様子を伺っていると、佐渡七が現れ、三人はうなづきあいます。
実は、阿波の国家老、
小野田郡兵衛
の頼みで衛門之助を殺すことになっているのですが、衛門之助が廓に居続けるため、佐渡七に頼んだのでした。しかしとりまきが多く、さすがの佐渡七もまだ果たせないのです。先程の団八の侵入もそれが目的でしたが、無理だと判断した佐渡七があえて団八を追っ払ったのでした。
佐渡七が衛門之助殺害のわけを尋ねると、定九郎が「一国の主とあろう者が放埒を極めて金銀を費やすので生かしてはおけないのだ」ともっともらしく話します。
そして定九郎は毒薬を取り出し、「これで殺せ、失敗したら大門口で待ち伏せして斬ろう」と、佐渡七に毒薬を渡します。
三人が別れると衛門之助が来る気配。佐渡七は勝手(台所)に急ぎます。
衛門之助と高尾が出てきて話をしていると、佐渡七が毒酒を持ってきます。衛門之助は拳(けん)酒をしようともちかけ、佐渡七に勝ってしまいます。佐渡七が飲めと言われて困惑していると、衛門之助は「話は聞いた。毒酒だろう」と見破ります。
佐渡七はあいくちを抜きますが、衛門之助に取られ、蹴落とされて逃げて行きます。
音を聞いて一同が現れ、佐渡七を追おうとしますが、衛門之助は考えがあるから、と留めます。そして高尾を連れて帰ると言い、高尾は巴屋の亭主らと別れを惜しみます。太鼓持ちたちは七賢人の躰で囃し立て、
大門口
まで送ります。
大門口では団八が待っています。命からがら逃げてきた佐渡七は、あとを頼んで走り去ります。
そこに一同が現れ、団八は衛門之助の乗っているはずの駕籠をめがけて手裏剣を打ち込み、逃げて行きます。
高尾があわてて駆け寄ると、中には着替えの風呂敷があるばかり。すると七賢人のなりをした衛門之助が、「劉邦の身替わりになった漢の紀信のはかりごとだ」と、悠然と姿を現します。
こうして衛門之助は無事に帰途についたのでした。
- [2012/02/16 00:00]
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