切語りのつらさ
- 文楽 浄瑠璃
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私が最初にファンになった文楽の太夫さんは、当時トップクラスだった四世越路大夫でも四世津大夫でもなく、
五世 竹本織大夫
さんでした。まだ40代半ばでしたから今の呂勢大夫さんくらいでしょうか。佇まいは颯爽としていて、中音から低音の響きは類を見ず、厚みもあって浄瑠璃が手に入っている感じ。時代、世話いずれもよく、特に近松ものには当時から定評がありました。
もっとも私が若輩で、まだまだ浄瑠璃の魅力なんて何も分かっていませんでしたから詳しいことは言えませんが。
文楽劇場開場の時は52歳。
川連館の奥
を語っていらっしゃいました。その後、豊島屋油店、数寄屋、紙屋内、大和屋などの近松作品はもちろん、勘平腹切、寺子屋、尼崎、妹山、酒屋、野崎村、新口村等々、舞台はもちろん、放送なども追っかけるように聴きました。やがて九代目綱大夫を襲名され、昨年は九代目源大夫になられました。
しかし年齢や体調のことで休演が相次ぎ、かなり心配になっています。
2月は「すしや」の一部分、4月は「長局」の掛け合いで、持ち場も健康に配慮されるようになりました。
もはや義太夫節は楽しめない私ですが、それでも気になる方なのです。
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「切語り」は相撲でいえば横綱、最高の称号であり、原則的には切場以外は語らない。切場が語れてこその切語りです。
しかし切場はその分負担も大きいので、高齢の太夫さんにはしんどい面もあります。体力だけではないのは事実でしょうが、それでもやはり60分なり90分なりの切場を3週間語り通すのは並大抵ではないでしょう。
今それをお任せできそうなのは、体力的には咲大夫さん以下の方になると思います。何と言っても、切語り4人のうち、3人までが
80代
という状況です。これはもう人形浄瑠璃始まって以来の空前の状況です。
お元気なことは自体はおめでたいですし、お元気である限りは堂々と続けていただきたいと思います。
太夫さんそれぞれには床を務める美学もおありなのでしょう。
越路師匠はすっぱりとお辞めになりました。床で倒れるまで語る、という方もいらっしゃるのでしょう。
どちらもたいへんなことだとは思います。
人形遣いさんであれば文五郎師や玉男師のように途中まで、あるいは途中からお弟子さんと交代、ということもありましたし、晩年の桐竹亀松師や吉田玉五郎師は出番の少ない役で顔だけ出されていました。
亀松師で一番驚いたのは『忠臣蔵』で
判官を抱きとめる
だけ、最後の「上を下へと」の部分で下手から出てきて判官を抱きとめて終わり、ということもありました。
越路師匠が「切」の字のつかない「妙心寺」を語られたり、南部師匠が道行や一力のおかるだけを語られたり、ということはありましたが太夫さんは何かと難しいのです。
幸か不幸か、太夫さんの老残の声を聴くことができない私です。
ですから何も言わなければよいのですが、それでも、どこかで身を退いていただきたいという思いを否定することができません。
- [2012/03/23 00:00]
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