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忠臣講釈の九太夫 

『太平記忠臣講釈』には悪役の斧九太夫も登場しますが、最初の印象は『仮名手本』とは違って一見忠臣なのです。
判官の刃傷の報がもたらされた時、九太夫は諸士に向かって「軽うて流罪、重うて切腹」と言います。全く同じせりふを言う『仮名手本』「花籠」では嫌味な表現ですが、こちらは

    理性的な判断

をしているようにも見えます。矢間重太郎と共に二番手の使者としてかけつけた息子の定九郎が判官の切腹を伝えると、「なぜ師直を討って殿の無念を晴らさなかったのか」と勘当してしまいます。
それに対して、九太夫の言葉を聞いた重太郎が由良之助の前に刀を差し出し、武士を捨てると言うと、酒に酔った(ふりをしている)由良之助は「どこへでも

    勝手に行け」

とつれない返事。さらには御用金を配分するに当たり、千両の使途不明金があり、それを由良之助に尋ねると、遊興に使ったとのこと。ついでに申しますと、この千両の責任を取って、金の管理をする早野三左衛門(勘平の父)は自害することになります。

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ところがやはり九太夫は悪いヤツです。
天河屋義平が由良之助の心底を見抜けない時、九太夫は義平に「忠臣は二君に仕えない。自分は切腹するから、殿の奥様、ご子息を頼む」なんてかっこうのいいことを言いますが、そのあとで由良之助に
★師直に通じていること
★千両の金を盗んだこと
を見破られて、ついには切腹することになります。
しかし、

    賀茂川の水雑炊

を食らわされるよりはまともな最期かも知れませんね。
こうして九太夫という獅子身中の虫を取り除いた義士たちは一旦散り散りになり、艱難を経たあと

    本懐を遂げる

ことになります。なお、定九郎はこのあと五段目の祇園揚屋に登場して力弥と争い、討たれてしまいます。
これまた余談です。力弥と定九郎が戦う時、茶屋での騒ぎを嫌う力弥が、「辺りに気をつけて音をまぎらかせ」と太鼓持の治郎右衛門に命ずると、芝居のように拍子木を打ち付けて音をごまかす趣向になっています。
この部分の絵尽くしに「治郎右衛門こはごはかげをうつ」と説明があります。歌舞伎でいう「ツケ打ち」ですが、文楽では今でも「カゲ」。古い言葉なのですね。

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