忠臣講釈の結末
- 文楽 浄瑠璃
- | トラックバック(0)
- | コメント(0)
『仮名手本忠臣蔵』の結末は、原作では「光明寺焼香」でも「花水橋引揚」でもなく、「討入」です。そしてその場で焼香、さらには薬師寺の最期。
『太平記忠臣講釈』でも討入の話なのですが、趣向があります。討ち入った面々が必死で師直を探しますがなかなか見つかりません。諦めかけていた時、矢間重太郎が柴部屋で見つけて連れ出し、ひと太刀ずつ浴びせて、見事本懐を遂げます。
そして「光明寺に焼香に行こう」と由良之助が言いますが、
早野勘平
を名乗って仇討ちに加わった石堂縫之助は許されません。養父(右馬丞)のためにも石堂家を継いでほしいとの由良之助の志です。
・・・という夢を見たところで、天河屋義平は目が覚めました。一転して義平が薬師寺に責められていた場面に戻るのです。
するとそこに鎌倉から使者として寺岡平右衛門が駆け付けます。師直を討ったと聞いた義平は喜びます。
正夢
だったのです。
↑応援よろしく!
こうなったら義平はもはや何も隠すことはありません。石堂右馬丞と薬師寺治郎左衛門を呼んで「今すべて白状します。私に大事を依頼されたのは大星由良之助様です」と言います。薬師寺は早速師直に報告すると言いますが、平右衛門が討入の事実を伝え、薬師寺がっくり。
平右衛門が石堂に手紙を渡すと、薬師寺はむくれて「日陰者と通じるお前も敵だ」と石堂に斬りつけますが、逆に庭に突き落とされ、平右衛門が斬って捨て、義平も晴れて放免されます。
これが結末なのです。
薬師寺をやっつけないと終わりませんね。
歴史上の人物、
寺坂吉右衛門
は討ち入りのあと姿を消したため、どこへ何をしに行ったかについていろいろ言われますが、大坂に来たという伝承もありますね。夕陽ヶ丘近くの
吉祥寺
という寺の伝では、その縁で四十七士の墓があります。
うちにも縁がある、うちこそゆかりの場所、というのがあちこちに現れ、それをまた物好き(私を含む)が見に行くわけですね。
以上、先日読んでいた『太平記忠臣講釈』について、人物を中心に内容を書いてみました。
- [2012/03/18 00:00]
- 文楽 浄瑠璃 |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/2291-d05a05c7
- | HOME |
コメントの投稿