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相撲の勉強 

とにかくすることがありませんので、このところずっと平安時代の史料と首っ引きでした。
いわゆる

    相撲節会

に関する史料を読んでいました。
江戸時代の大相撲とは違って、内裏で催される儀式です。平安時代にも神社に奉納される相撲はありましたが、節儀としていちおう恒例になっている(実施されないことも間々ある)のは内裏での催しでした。
当時の横綱あるいは大関に当たるのは

    最手(ほて)

といわれて、名誉職的な面もあったようです。

「花筏」という落語は上方にも江戸にもありますが、例によって私は上方専門で。提灯屋の徳さんが大関花筏の身代わりを頼まれます。花筏が病気で相撲が取れず、かといっていないと興行的に持たない。そこで体格の良い徳さんに、白羽の矢が立ち、土俵入りの真似事だけしてくれたら飲み食いはいくらでも出来るし、日当もたっぷり出す、と言われて、徳さんはついその気になってしまいます。
ところがいろいろあって素人力士の千鳥が浜と対戦する羽目になります。徳さんは怖くてたまりませんが、病気ということになっていますので、あっさり負けてもかまわんといわれます。一方千鳥が浜は父親に「素人が調子に乗るな、殺されるぞ」と叱られて、「相撲はとりません、見に行くだけは赦してください」と言います。
当日、名前を呼び上げられて、千鳥が浜はうっかり我を忘れて土俵の上へ。徳さんも千鳥が浜の体格を見てやっぱり怖くなって、ふたりともこわごわにらみ合い、徳さん、殺される、と思ってつい「だなんまいだ」とお念仏。それを聞いた千鳥が浜は「これは俺を殺す気だ。それで念仏を唱えている」と勘違い。こっちもまた「なんまいだ」。ついに立ち合い。徳さんでたらめに両手を前に出してわざと転がろうとすると、それが見事に千鳥が浜に命中して千鳥が浜がゴロッ。お客さんは大喜び。「花筏の張りはすごいなぁ。花筏は張るのがうまい」。それもそのはず、徳さんは提灯屋でございます。

オチはいまひとつですが、こんなお話です。
大関花筏は名誉職ではありません。しかし、病気になっても「せめて土俵入りだけでも」といわれるうところが看板力士のつらいところです。
一方、平安時代の最手は、本来は一番強く、この人の勝ち負けで左方と右方(当時は東西ではなく左右です)の勝敗がが決まったのです。ところが徐々に名誉職的になって行って、老齢の人もあり、相撲は取らなくなっていきました。

それにしても、「花筏」でいう、「殺される」なんて大げさて、今ではちょっと考えられません。そこがまた面白いところですね。
平安時代の相撲の節でもそんなことはまずありません。ところが、大昔はけっこう命が失われたらしいのです。

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この絵をご存じでしょう。

甲巻16

京都栂尾高山寺の鳥獣人物戯画のうち、甲巻の一場面です。蛙と兎が相撲を取っていますが、

  土俵がない
  蛙が兎の耳をかじっている

というあたりは今とまったく違ったものです。土俵はともかく、耳かじりは危険、今なら禁じて手でしょう。もっと危ないことが昔はおこなわれていたようで、腰をさんざんに踏みつけたとか、かなり荒っぽいことをしていたようです。土俵がないので、倒れるまで終わらないのですね。
平安時代の相撲節会は天皇の前での儀式ですから、まさか命までは取られません。そんなことになったら宮中は

    穢れて

しまいますから。ところがはずみというものは恐ろしいですね。あるときは熱戦が続いてついに片方の相撲人(力士)が倒されて失神してしまい、その後、病を得て国に帰ってまもなく亡くなったという記録もありました。

相撲人の格好は今とけっこうよく似ていて、褌スタイル。やはり決まり手は足を掛ける技が多かったようです。
まだ読み流している状態なのでたいしたアイデアは浮かんでこないのですが、何か文章にまとまらないかな、と思っています。

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