長寿を祈る
- 日々牛歩
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『源氏物語』「若菜上」巻は光源氏39歳の年末から始まります。すぐに年が明けて40歳。こうなるとこの当時は
四十の賀
をおこなうことに成るのです。正月の子の日に玉鬘からお祝いの若菜が献上され、これが巻の名前にもなっています。
四十歳は長生きというほどではないにせよ、孫もできる年齢で、とりあえず人間としてひととおりのことをしてきた、という時期だったのではないでしょうか。そこで区切りの意味をこめてお祝いをして、その後さらに長寿が保てるようにと願うのですね。
これ以後、10年ごとに五十の賀、六十の賀・・・と続いていきます。藤原道長は六十の賀で終わりでしたが、彼の妻の倫子という人は九十の賀まで祝われています。
こういうときには和歌が欠かせません。たとえばあの在原業平は藤原基経の四十の祝いの時に
桜花散りかひくもれ
老いらくの来むといふなる道まがふがに
(古今集349)
と詠んでいます。
古今集の「賀」の部に入る歌です。この「賀」の部の巻頭歌は
わが君は千代に八千代に
さざれ石の巌となりて苔のむすまで
(古今集343)
で、作者は不明です。
あなたのご寿命が千代も八千代も続きますように。小さな石が巨岩となって苔のむすまで。
実にゆったりとした罪のないお祝いの歌です。「君」は一般的な「あなた」という程度の意味で、「帝王」ということではありません。
先ほどの業平の歌が「散る」「老い」など、一見めでたくなさそうな言葉を続けて、しかしうまくオチをつけるような歌い納め方になっているのに比べるとさらにこの歌のおおどかさを感じます。
いってみれば「ハッピー・バースディ・トゥー・ユー」のような歌ではないでしょうか。
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今日は大阪で小学校の卒業式があるようです。
いやはや、にぎやかな一連の卒業式騒ぎでした。なんでも大阪府や市が条例で君が代を歌って踊りなさい(踊りはないか・・・)と定めたとかで、それに反して座っていただの歌わなかっただの、歌ったかどうか口の動きを監視していただの、まあ、喜劇にもならないようなことを大のおとなたちは繰り広げているわけです。
毎年こんなことを繰り返しているのですが、今年は特に条例が定められた直後ということで新聞なども一生懸命報道していたようです。
おそらく50年後には「昔こんなことをしていたらしい」と、笑い話にもならないのではないかと思うのですが、当事者の皆さんは必死なのでしょうね。
私は府も市もオソマツ、教員もオソマツにしか思えません。誰がこんなことをして喜ぶのか、と、とにかくそれを思います。
公立は大変です。私が関わってきた学校は私立なので、君が代は歌ったり歌わなかったり。最後に勤めたところはある年に
やめましょう
ということになって、あっさりなくなったように思います(最近どうなっているのかは知りません)。
こういうところは私立ならではなのですが、とにかく学生の思い出になるような演出を考えようという雰囲気があったのです。
公立は杓子定規なので条例で式次第まで決めてしまうのですね。
歌いたければ歌えばよいのですが、学校によってはこんな歌で始めましょう、こんな歌で卒業生を送りましょう、というアイデアがあってもいいのに、と他人事の私は考えてしまいます。
最近、どうやら法律ブームらしくて、これは法的に認められるかどうか、というのがクイズのようにしてテレビなどで放送されているとも聞きます。
法律なんてそんなたいしたものではないのに、文字通り
金科玉条
のようにあがめる風潮なのでしょうかね。
普通我々は法律なんて考えずに生きているはずです。少なくとも私はそうです。だから現実には毎日のように法律違反なんてしているだろうと思います。
でも、むしろ常識とかマナーとか、そちらのほうがずっと大切。
こういう法律万能主義のようなものがどうも息苦しさの遠因になっているのではないか。コンプライアンスなどということばももっともらしくはやっていますが、これなど、いかに法律の抜け道をさぐっていくかという考え方に通じるように思います。
大阪の先生方、ご苦労様です。とにかく温かい気持ちで子供たちを送り出してやってください。
- [2012/03/16 00:00]
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