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吉備大臣(1) 

持統天皇9年(695)~宝亀6年(775)に生きた吉備真備は、現在の岡山県倉敷市真備町の出身。
阿倍仲麻呂らとともに遣唐使として入唐し、終生唐にいた仲麻呂とは違って帰朝しました。
後年、再度唐に渡り、また帰朝を果たします。その後は出世して右大臣にまで上ったのです。

この人物が唐に渡った時の出来事をかなりユーモラスに描いたのが

    吉備大臣入唐絵巻

です。「きびのだいじんにっとうえまき」「きびだいじんにっとうえまき」「きびのおとどにっとうえまき」などと読まれるこの絵巻物はアメリカのボストン美術館の所蔵です。彼が唐に渡った時はまだ大臣ではなかったのですが、あくまでこれは説話の中の吉備大臣で、歴史的事実にはこだわらないでよさそうです。
この絵巻は、16世紀末には若狭国小浜、今の福井県小浜市の新八幡宮にあったといわれ、その後幾人かの手を経て幕末に若狭の酒井家が手に入れたのです、酒井家はあの

    伴大納言絵巻(現在は出光美術館蔵)

も持っていたのですが、いつまでも全ての美術品を所持し続けることはできませんでした。そしてまず「吉備大臣」を売りに出し、買ったのは大阪の戸田商店という古美術商。しかし日本では転売できず、東洋の美術品を集めていたボストン美術館の手に渡りました。昭和に入ってからのことでした。これほどの名品が海外に流れたのは残念とも言えますが、そのためにこれを買うことにしたボストンの富田幸次郎は国賊呼ばわりされたこともあったそうです。これはまたいわれのない、気の毒な話です。

このたびボストン美術館から「平治物語絵巻」「雲龍図」「松に麝香猫図屏風」などとともにこの絵巻が日本にやってきました。アメリカでは、Minister Kibi's Adventure in China と呼ばれるそうです。
東京国立博物館(公開中)を皮切りに、名古屋、福岡、そして来春の大阪と巡回するようです。私は一刻も早く観たいのですが、おそらく大阪までお預けになるだろうと思います。かつて学生時代に京都で見て以来の再会になります。

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この「吉備大臣入唐絵巻」は実に面白い内容を持っています。
冒頭は吉備大臣が唐に到着するところの絵から始まっていますが、本来は詞書があったのでしょう。冒頭の詞書はしばしば失われる宿命にあるようです。
彼が唐に行くと、その優秀さゆえにあちらでは歓迎されません。唐の人たちは、この人物の優秀さに負けるわけには行かないから楼に閉じ込めてしまおうということになります。
そこにやってきたのがかつて遣唐使として唐に渡り、この楼で食物を与えられなかったために餓死し、鬼(幽霊)となった阿部氏(仲麻呂を連想させる)の人物です。
文字通り鬼のような姿で、たふさぎ(褌)を着けていますが、これが吉備大臣に話しかけるとその姿では会わないといわれ、正装して再度やってきます。そして鬼は、子孫(阿部氏)の現状を教えて欲しいと願い、吉備大臣が詳しく話してやったために二人は仲良しになり、このあと鬼が何かと吉備大臣の危機にアドバイスを与えます。
絵を載せたいのですが、どこまで許されるのかわかりませんのでやめておきます。

歩いてくるたふさぎ姿の鬼とそのすぐあとに描かれる楼の上で吉備大臣と話す正装男性は同一人物。いわゆる

    異時同図法

で描かれていることになります。楼の中にいるのが吉備大臣です。
翌日、唐人が吉備大臣を試してやろう相談します。「文選」を読ませて、誤りを笑ってやろうという魂胆です。
鬼がその計画を聞いて吉備大臣に伝えるのです。
大臣は、その内容を教えてくれと鬼に頼みますが、鬼は無理だといいます。そこで飛行の術を使って唐人たちが「文選」を読んでいる場に行こうと、鬼とともに飛んでいきます。これがなんともユーモラス。
空を飛んで、盗み聞きします。この部分は笑っちゃいますよ。座った状態で笏を持って空を飛ぶ吉備大臣! 当時の人はなんとも思わなかったのかもしれませんが、今観るとちょっと可笑しいです。
さすがは吉備大臣、すぐに内容を理解してまた楼に帰り、鬼に頼んで「古き暦」を持ってきてもらい、それに「文選」の一部を書いて楼の中にばら撒いておいて唐人が来るのを待ちます。唐人が来て、それを見てびっくり。「これは日本にある文選」です」とこともなげに言う吉備大臣。唐人はすごすごと帰ろうとしますが、「あなたが持ってきた文選を日本の者と比べたいので置いていきなさい」と言って、見事に本物の文選をせしめてしまいます。

ところで、吉備大臣を幽閉しようと連行したあとの場面と、吉備大臣と正装した鬼が語らったあとの場面になんとも

    不思議な絵

があります。
前者は皇帝の前で人々が話し合っている場面で、後者は兵士達が眠っていて(つまり夜であることを示しています)、宮殿でなにやら人々が集まって中心にいる人物が何かを書いている場面です。
これらの場面に当たる詞書がどうも見当たらず、これが何を意味するのかは不明です。
黒田日出男氏はこれらを錯簡であると見てうまく説明されています(『吉備大臣入唐絵巻の謎』小学館)。つまり、両方とももっとあとに置かれていた場面がこの部分に置かれたのだろうというのです。それについてはまた後日。
(以下続く)

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