道修町(1) 付710,000
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大阪市中央区道修町(どしょうまち)。もう何度歩いたかわかりません。
申すまでもなく薬の町。
煎じた薬の効き目から
薬といえば道修町
(錦源兵衛「道修町音頭」)
と歌われています。
谷崎潤一郎の
春琴抄
でも知られます。
江戸時代に多くの薬種問屋が軒を並べ、製薬会社として世界に名を知られる老舗もあります。
古いのは田辺屋。主人は代々五兵衛。略して田五(たなご)。屋号がそのまま姓になって、後の田辺製薬。今は三菱ウェルファーマと合併して田辺三菱製薬となり、本社も北浜へ。
近江屋の主人は代々長兵衛。略して近長(きんちょう)。明治になると姓を武田と称して「武長(たけちょう)」。早くから西洋薬を取り入れていて、明治12年の「浪花諸商独案内」にも「西洋薬問屋」と紹介されています。もちろん今の武田薬品工業。
塩野屋の二代目吉兵衛の三男、義三郎は分家して塩野義三郎商店を営み、略して塩野義(しおのぎ)。本家はその後香料に転じ、今も塩野香料として存続しています。そして塩野義は言うまでもなくシオノギ製薬に発展します。
ほかにも藤沢薬品(山之内製薬と合併してアステラス製薬となり、早くに東京に本社を移していた山之内の方を合併後の本社とする)、カイゲン(元は神戸の会社)、小野薬品(伏見屋。現在本社は久太郎町)、北垣薬品(大和屋)、小城製薬(創業は東区石町)などがあります。北垣さんの建物は古く、母屋は宝暦13年(1763)、土蔵は文政11年(1828)のものだそうです。
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道修町の話ではないのですが、大阪と薬と言うと思い出すのが江戸時代から売られていたという
ウルユス(ULUUS)
です。いかにも蘭方の秘薬、といいたげな名前ですが、これが実は大阪の薬。どうも下剤のような薬らしく、おなかを空っぽにしてくれる薬なのだそうです。で、おなかを「空(むなしう)す」というので「空」という字をばらばらにして「ウ ル ユ(『エ』といいたくもなりますが)」。大阪の人は昔からしゃれがきついです。
道修町には
少彦名神社
があり、ここは日中の医薬の元祖のような少彦名さんと神農さんを祭って安永9(1780)年に創建されたそうです。そしてここの社務所ビルには「くすりの道修町資料館」もあります。
ついでに堺筋を東へ渡ると接着剤ボンドでおなじみのコニシ(小西儀助商店)の不動産部として現役で使われている元の本社(1903年建築)もあります。小西儀助商店は薬の一種として洋酒も扱ったそうですが、ここで丁稚奉公した人に鳥井信治郎(1879ー1962)氏がいます。のちに靱で開業し、赤玉ポートワインからウィスキーなどを製造し、太陽と鳥井の名から社名をサントリーとされたようです。
小西儀助商店は「朝日麦酒」も製造したそうですが失敗。その名を受け継いで山本為三郎(1893ー1966)がビール製造を始め、もちろんこの人がアサヒビールの元祖です。
このあたりを歩くと半日遊べてしまいます。
なお、三島佑一『船場道修町 薬・商い・学の町』(和泉書院)その他を参考にさせていただきました(次回の記事も)。
- [2012/08/02 00:00]
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薬屋と香具師とは兄弟分
そのむかしは道修町で、薬屋さんは職住一体に営んでたのが、あのあたりを歩くとよく分かりますね。
その後、工場の多くが十三筋と呼ばれる大阪の西橋に移るとともに、経営者一族の多くは芦屋に住まいを移しました。
クスリの神様「神農さん」は、香具師の神様でもあります。香具師はもともとクスリ売りから始まってますから、ルーツを辿ると薬屋さんとは兄弟分のようなものですね。
でもいまや香具師は、ヤクザと同一化されがちです。この春、わたしの住む街の、花見の名所では、暴力団排除条例の影響で香具師を締め出してしまいました。わたしは、香具師はヤクザとは違うので再考するようにと市長宛にメールしました。この市長は昨秋の酒蔵文楽にもみえていたので「話のわかる市長」かと思ったからです。
でも緑地公園局とかいう部署の人から、わたくしどもは手続きに則り・・・と官僚用語の作文で正当に事をおこなった、正しいんですよ、とメールが届き、とても残念な気分になりました。
♪やたけたの熊さん
例えば上方芸能編集部あたりから御霊神社を経て道修町界隈から東横堀の高麗橋あたりまで歩き、さらに北浜を淀屋橋までいって梅田に戻る、などという散歩コースを歩いたりしました。いくらでもみどころはあり、私の住む田舎町と違って「都会」の香りがします。
そうそう、神農さんは香具師さんたちの神様なんですね。お住まいの辺りの花の名所は私も一時住んでいましたのでよく行きました香具師さんたち、今はもうあないのですか。
役人さんは「決まったことを粛々と」が仕事なのでしょうね・・・。
香具師
香具師(やし)とヤクザは組織は別。
昨年の冬、浅草の吉野家で偶然となりに座ってられたのが、元ダフ屋(注)のオジサン。
「ダフ屋は言葉遣いは丁寧だけど、ヤクザ組織で兄貴がいてさぁ、さらに上がいるんだ。香具師もヤクザといっしょに見られるけど、組織は別なんだ」
「ヤクザは天照大神をあがめますけど、香具師は神農さまですものね?」
「オレはそんな小難しいこと知らないよ!」
(注) 札(ふだ)とはチッケトの意で、上下をひっくり返して「ダフ」と呼ばせる業界用語。現在はネットやチケット店で購入できるため、ダフ屋は急激に衰退している。
♪やたけたの熊さん
しかし、吉野家で隣に座った人とよく話が弾みますね(笑)。
香具師の世界を垣間見ました。
だふ屋の解説までありがとうございました。
香具師 つづき
歌舞伎「外郎売」。外郎(ういろう)は小田原で製造された大衆薬。外郎売は、長い台詞をテンポよく語りながら外郎を売り歩きます。「寅さん」で有名になった啖呵売(たんかばい)です。
啖呵売、つまり台詞付きで物品販売したり、見世物をしたりする商売は香具師の範疇とさるので…白酒売、歯磨き売、暦売、たばこ売、飴細工…さらに、吹き矢、覗きからくり、辻講釈、居合抜き、傀儡子。おっ!文楽のルーツ!
香具師の歴史をたどることは、芸能史に通じますね。また田畑や漁業権を持たされない人びとへの差別の問題にもつながります。
♪やたけたの熊さん
香具師評論家として生きていけそうですね。
ここより「上方芸能」にページをもらって書かれてはいかがでしょうか。
あれだけ寄付されてるし(笑)。
寄付で思い出しましたが、「上方芸能」最新号には皆さんおなじみの方がお二人縦に並んで「提灯広告」に出ていらっしゃいます。ただしご本名なので誰が誰やら・・ですね。
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