fc2ブログ

なつかしの倉敷 

昨夜ブログの更新をしようと思ったら、まるでだめでした。
私の体調が悪いのかと思ったら、どうもPCというか、ブログ自体が変だったみたいで。
まあ、そういうこともありますね。

文楽の地方公演もいよいよ大詰めになりました。
今回の公演の掉尾は25日の倉敷市芸文館。
ここで文楽の公演がはじめておこなわれた時のことをふと思い出します。

    三番叟



    野崎村

の上演でした。
簑太郎(現勘十郎)、玉女の二人三番叟だったと記憶します。
40歳になるやならずのお二人の颯爽とした三番叟でした。
そして簑助さんの遣うおみつで「野崎村」。
当然けっこうなものでした。
ところでこのとき、お染を遣ったのは…。

にほんブログ村 演劇ブログへ

なんと、若手の

    吉田勘弥さん

でした。当然30代。
何故そんな抜擢を? もちろん実力もあったわけですが、実は勘弥さんは倉敷出身。倉敷は将棋の大山名人や野球の星野仙一さんとともに文楽の吉田勘弥さんを生んだのです。
そこでご当地に錦を飾る意味で簑助さんにからむ大役を務めたのです。師匠のご厚意だったのでしょうね。
当時の彼はまだほんの端役をもつだけで、左遣いの修業中。
めったにない機会でした。
しかも嬉しかったのはプログラム。
簑助さんがご挨拶を書いていらしたのですが、その中に

  「弟子の勘弥は倉敷の出身です。今回お染を遣いますので今後ともご贔屓に」

というメッセージが入っていました。
会場には勘弥さん宛の花がたくさん。
嬉しかったでしょうね。

終演後も本当に嬉しそうで、しかも興奮気味。あの穏やかな人柄の勘弥さんがいつになく能弁でした。
勘弥夫人が「こんな役、次は20年後かも、と夫と話してるんです」とおっしゃっていたことも思い出します。

地元出身を応援したくなるのはいつの世も同じ。今年も倉敷では

    「釣女」の醜女

に万雷の拍手があると思います。

スポンサーサイト



コメント

勘弥さん

勘弥さん、いまから5年ほど前、口上しておられませんでした? 私は、勘弥さんと思って聞いていました。 

勘弥さん、とても実直な感じですね。このところ大きな役をされますので、うれしく思っています。

口上、なさっていました

口上、されていましたね。
ちょっとけだるい感じの、味のある口上でした。でも、あまり好きじゃなかったのか(笑)、あるときみずから交代を申し出たそうです。
玉英、文司、勘弥、勘緑という時期がありましたね。で、勘弥さんが抜けて清三郎さんが入ったのでした。
実直な方ですね。のんびりしたところもありますが(笑)。私は同年なので親しみを持っているのです。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://tohjurou.blog55.fc2.com/tb.php/248-a199f6bd