越路師匠百年 

四世竹本越路大夫師匠は大正二年(1913)1月4日生まれ。
つまり、今年が生誕百年に当たります。
私は越路師匠の60代以降しか存じ上げませんが、お若い頃から将来を嘱望された鬼才、しかも凄まじい努力家でいらしたようです。
二世古靱太夫に入門して豊竹小松太夫。兄弟子には二世豊竹つばめ太夫(八世竹本綱大夫)。
同時期の入門者に三歳年少の竹本津の子太夫(四世津大夫)。
新義座に参加したり、トンカツ屋になったりして文楽を抜けたこともあったが、三世豊竹つばめ太夫として復帰後は一筋。
師匠からは染大夫の襲名を打診されたこともあったようですが、縁あって四世竹本越路大夫を襲名。平成元年に

    桜丸切腹

で引退。玉男の白太夫、簑助の桜丸が見送り役でした。
引退披露というのはなかなかできないこと。どうしても

    自分はまだできる

と思いたくなるのが人情ですから。
引退披露口上で住大夫師匠は「功なり名遂げての引退は誠におめでたい」とおっしゃいましたが、確かに誰もができることではないでしょう。

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披露された引退には六世竹本住大夫、豊竹山城少掾、三世竹本相生大夫があったようですが、私が目の当たりにしたのは越路師匠だけ。玉男師匠がもう少し長生きされたら口上がおこなわれたはずだったようです。
それくらい引退というのは難しいのですね。
引退後も劇場でしばしばお姿を拝見しました。住大夫師匠や嶋大夫師匠にダメ出しされているところに出くわしてその威厳に感心したことがあります。
しかし、ファンに声をかけられると満面の笑みでお応えになっていました。
京都のお住まいでの住大夫師匠の稽古の様子はYou tubeで観ることができますが、鋭い眼は引退後も変わりませんでした。

    「太夫は目です。

目の死んだ太夫にろくなのはいません」とおっしゃっていました。
お弟子さんに小松、嶋、呂、英、貴、三輪、千歳。
私が聴いたことのある三味線は二世喜左衛門、五世燕三(一度だけ)、清治。
引退された時におっしゃった

    もう一生欲しい

とは、修業の厳しさ、義太夫の奥深さを感じさせるものでした。
力で押すでなく、声で聴かせるでもない、義太夫魂を体現された太夫さん。文楽劇場がもう少し適正規模だったらあと数年は語られたのではないか、と無責任に思っています。
偉大な太夫さんでした。

なお、「音曲の司」HPによりますと、東京国立劇場での越路師匠ご本人の引退舞台挨拶の言葉は次の通りです。

 皆様、長い間本当にありがとうございました。六十有余年の舞台をただいま終えました。
 平成元年五月二十一日。これは私、終生忘るることの出来ない日になりましてござります。
 本当に長い間の御贔屓、厚く厚く御礼を申し上げます。
 感謝と感激で胸が一杯になりました。
 本当にありがとう。

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コメント

枯れてはいけない義太夫節

引退記者会見だったように思います。「枯れた芸というものがありますが、義太夫節においては枯れた芸とうものはありません」。

とても印象に残っています。

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♪やたけたの熊さん

私も覚えています。
引退されて24年、夢のように時間が過ぎていきました。五代目越路大夫は出現するでしょうか?

管理人のみ・・・さん

少なくとも展示とか。お弟子さん一同による素浄瑠璃の会とか。

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