涙の三番叟 

権威のない権力者、恥を知らない権力者、嘘をつく権力者。砂上の幻をあたかも堅牢な城郭であるかのように見せて暴力を振り回す政治家気取り。
そういう者が時としてとんでもない文化の破壊行為をすることがある。本人に何の見識もないだけにたちが悪い。
そんな例は世界史を見ればいくつもあるのではないでしょうか。
大阪はちっぽけなやんちゃ坊主のためにいささか厄介な状況になっているように思えてなりません。せめて大物が大志を持って事を成す過渡期だというなら多少のことは我慢できなくもないでしょうが。
昨年、竹本住大夫師匠が脳梗塞で倒れられたというニュースが流れたときはあの大阪市の小坊主を呪いたくなるような衝動にすら駆られました。
あれから半年、住大夫師匠は懸命のリハビリもなさったのでしょう。文楽初春公演の

    寿式三番叟

において舞台復帰されました。
奇跡的な出来事と言っても過言ではないような、そんな気持ちでお姿を拝見しました。
三番叟の翁は初春第一声を担当します。もちろんご健康な師匠ではありませんから、お声は十分ではなかったとうかがっています。
しかし「住大夫が帰ってきた」ことの意味は、そんな事が瑣末に思えるほどの大きさがあったのではないかと感じるほどでした。
ただ、私が拝見した限りでは、師匠はいっさい手を抜かず、

    精一杯

声を出していらっしゃるようにお見受けしました。そのお姿に観客、聴衆のこの一年間のさまざまな思いが重なるようになって、涙を流された方が少なくなかったはずです。
日ごろドライな(でもないか?)私も、あふれるものをこらえることはできませんでした。
人形にも目はやりましたが、つい気になる床を見ているうちに私は驚くべき体験をしました。

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語りが進むに連れて、登場された時には病み上がりのご老体としか思えなかった住師匠のお顔がどんどん変わっていくのです。口元は引き締まり、目力は強まり、息は安定し、時間が経つに連れて若返られ、七十代の住師匠に戻っていかれるのでした。
私の錯覚なのかもしれません。しかし私の目には間違いなくお顔が変わっていくところが見えたのです。
同じような体験をされた方はいらっしゃらなかったでしょうか?

    天下泰平

    国家安穏

こんなことを私が言っても何のありがたみもありませんが、あの住師がおっしゃることで、言葉は魂を持つようになります。
もうひとつすばらしいと思ったのは、横に並ばれた文字久大夫さん。
師匠が気になりながらも真一文字に語りとおされました。あの文字久さんの胸中をお察しすると、ますます感涙が催されるのでした。
「感激した」「感動した」・・・。使いようによってはまったく軽い言葉です。
しかし、この三番叟に感動された多くの方々と、私は心を共有できたと思っています。
これが

    大衆

の心意気。安っぽいエセ権力者などものの数ではありません。
「さざれ石の巌となりて」といいますが、小石が巨岩に成長することは科学的にいってないのでしょう。しかし客席の一人ひとりの心をさざれ石とするなら、それはまちがいなく巌と化したはずです。
去年の秋の忠臣蔵もそうでしたが、この初春もまた文楽を愛する大衆が輝いた、そんな光景が涙の三番叟の中にうかがえたのでした。

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コメント

私も感動しました。
私こそドライな人間ですが、たらりの辺りから泪が止まりませんでした。

♪花かばさん

その花かばさんのコメントを拝読して、また涙が出ました。
「鬼気迫る」と言った小説家の友人がいました。これも場合によっては陳腐な言葉ですが、陳腐どころか、全く同感でした。

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