親父失格
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西条凡児さん(1914~1993)を知る人も少なくなりました。没後20年ですね。
毒舌で、嫌う人もあったようですが、あの語り口は不思議な魅力がありました。凡児さんで思い出すのは毎日放送(ラジオ、テレビ)の「素人名人会」朝日放送TVの「おやじバンザイ」関西TVの「娘をよろしく」などですが、凡児さん人気はどれくらい全国的なものだったのでしょう。
「素人名人会」に
咲甫大夫君
が出た時はもう司会は凡児さんではありませんでした。
「素人」「おやじ」ともに1970年で司会交代。建設会社とのもめ事が原因でした。
素人さんをうまく導いて面白味や感動を引き出す名人で、番組のはじめは「また観てもらいます」、出演者に記念品を渡すときは
「おみやげ、おみやげ」
この「おみやげ」のタイミングが絶妙で、流行語にもなりました。
「おやじ」「娘を」はともに笹岡薬品の提供。凡児さんとは縁の深い会社でした。
「おやじ」が始まった1965年はオリンピックが終わった翌年。そして凡児さんが司会を降りたのは万博の年。
当時の関西のおやじたちは忙しかったのです。おやじは家族に対してなんだ照れくさい。愛し合っていても口に出しにくいおやじと子供たち。私の家も父親は深夜帰宅、早朝出勤で、日曜はゴルフ。70年からは単身赴任で20年別居、父親はが帰ってくると私が出ていく、というすれ違いに終わりました。
私の父親は自分を
おやじ失格
と思っていたのかもしれない、と感じることがありました。
どこへも連れていってやれない、という気持ちがチラチラと垣間見えました。しかし、父親はテーブルマナーを身に付けるため、といって、近くのホテルのレストランに数年に一度連れていってくれましたし、アルコールが入るとご機嫌で、私以外の家族はタバコぷかぷかで麻雀などもしていました。タバコも麻雀も苦手な私がむしろ息子失格だったのです。
息子失格が大きくなると、やはり失格状態が続き、最近、私も父親失格を強く感じています。 明るさ、健康、収入という父親三大条件(?)はすべてアウト! 収入に至っては父親の半分もありません(笑)。
文楽で父と息子といえばいろいろあります。「組打」「尼崎」「すしや」「佐太村」「沼津」等々。たいていどちらかが命を落とす悲劇ですが、なぜか芝居のあとに
よかった
と思わせるものがあります。私はハッピーエンドの悲劇などと思っているのですが、それは「曽根崎心中」などにも感じることです。
文楽の根には何かこういう不条理があるような気がします。
まあ、いいや、うちの長男がいずれ父親になったら、「俺はおやじを抜いた」と自信を持てるであろう「反面親父」としての役割だけは果たせたかもしれないし(笑)。
- [2013/02/02 00:00]
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