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権四郎と笈摺 

権太と権四郎。かすかに(笑)似た名前の二人が文楽初春公演に登場しました。
そして、この二人がこの公演でもっとも印象に残った人物でした。
権四郎は吉田玉也さん。
この人はいつのまにこんなに

    陰翳

のある人形を遣うようになられたのか、と感心してしまいました。
奥行、深みと言ってもよいのですが、人間としての立体感にあふれていました。
玉也さんはお若い頃、人形より人形遣い(つまり玉也さんご自身)が前に出るようで、私は必ずしも好きではなかったのです。地方公演で大きな役を持たれると特に人形の存在が薄れてしまう、そんな印象でした。胴串を握る左手も無駄な動きが多く、

    安定感

がなくていつも気ぜわしく感じたものでした。
あの一見怖い(実は笑顔のキュートな)風貌から、作十郎~玉幸~玉也という流れに乗られるかなとは思いましたが(笑)、それは外見の問題。やはり肝腎なのは人形による表現です。

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それが、いつしか無駄や硬さが取れて行き、玉也さんのお姿が時として人形の蔭にふっと消えてしまうことが出てきたのです。玉也さん、五十代の後半あたりからでしょうか。
作十郎さん、玉幸さん、文吾さんが相次いで亡くなって、

    脇を固める

立役の人形遣いさんが手薄になりました。
そんな時にちょうど玉也さんの円熟の時期が重なるようになったようにも思います。
で、今回の権四郎。孫の死を知ったあと、彼はもう何も見えず、ただ残された笈摺を見ては短かった孫との日々を回想しているかのように見えました。千年も生かそうと思った孫がたった三つでこの世を去る不条理。老いぼれた自分がなぜ生き残らねばならないのか。「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、槌松聖霊頓生菩提」。彼が手にした、いや

    抱いた笈摺

は今にも槌松の姿に変じるのではないかと錯覚を覚え、私はまた不覚にも涙を流してしまいました。

玉也さんはもとのお名前が「栄光」。つまり二代目栄三師匠のお弟子さんだったのですね。
初代栄三は立役の伝説的名人で玉男師匠も憧れられたようですが、二代目は『曽根崎心中』のお初を持たれた方。初代とは芸風は違ったのではないでしょうか。むしろ玉也さんのほうが初代に近いかも。
私はこの方に三代目を継いでいただいてもなんら問題はないようにさえ思っています。

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