伴善男アゲイン 

昨年来、ずっと気にしてきた絵巻物が「伴大納言絵巻」です。とても私のような者が太刀打ちできるよな代物ではないのですが、無謀にもこの魅力的な絵巻物に挑んでいます。
仕事場の公開講座ではすでに一年をかけて読んでみましたので、今年は他のところでお話することができれば、と願っているのです。そうなるとまた火がついたように勉強できるでしょうから。いや、そうでなくても勉強しなくてはならないのですが。
この絵巻物のタイトルロール、というのも変ですが、名前の由来になっている伴大納言こと

    伴善男

は歌舞伎の「蘭平物狂」の主人公となって現れますが、文楽には出てきませんよね?

善男の父親は藤原種継暗殺事件に連座して佐渡に流され、恩赦によってかろうじて京洛に戻ります。そんな事情もあって善男も出世は遅いのですが、それにしては見事に官僚としての地位を築いていきます。
史料を見てみますと、この人は生来ずるがしこいところがあったらしく、その抜け目のなさが彼の「出世」に寄与したのだろうと思います。また、こんなことも書かれています。

  性格は残忍
  弁が立ち、判断は機敏
  よく勉強し、質問には必ず答える
  心に寛容や風雅はない
  人の言うことにはことごとく反論する
  人の欠点や間違いを徹底的に糾弾する
  
う~ん、なんだかこんな人は今もいるような気がするのですが。

ところで、伴善男は応天門にほんとうに放火したのでしょうか? 少なくとも自分の手を汚すことはしていないと思いますし、濡れ衣である可能性も高いと思います。
しかし結局は藤原氏、たとえば藤原良房との政争に敗れて伊豆に流されることになります。たまたま起こった応天門の火災の犯人に仕立て上げられたのかもしれません。

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伴氏は、本来は大伴氏で武門の家柄。あの大伴旅人や大伴家持の一族です。
9世紀前半に淳和天皇が即位したのですが、この人の名が「大伴親王」でした。その諱に遠慮して大伴氏は伴氏となったようです。天皇の名前と同じ姓だから改める、ってすごい話ですね。今で言うなら「明仁」という姓の人が「仁」に替えるようなものでしょうか。「明仁」なんていう姓の人はいないだろう、と思っていたのですが、大阪府にいらっしゃるのです。電話帳に5人載っているのだとか。最近は電話帳に名前を載せない人が多いですから(私も)、少なくとも、ということになります。

大伴氏は天皇を警護する役割を担った一族で、そのため大内裏の正門である南門は

    大伴門

とも言われました。のちに朱雀門といわれる門です。そして朱雀門の北側、大内裏できわめて重要な役割を担った朝堂院の正門が応天門でした。
この名門一族は、しかし

    次第に衰退

していきます。『竹取物語』に「大納言大伴御行」という人物が登場し、この人は実在の「大伴御行」(646?~701)をモデルにしているようです。御行の甥(弟の子)が旅人です。彼は大納言に至り、弟の安麻呂も甥の旅人も大納言。孫の家持は中納言に至ります。家持没後まもなく、長岡京への遷都をめぐって藤原種継が暗殺されますが、その罪は遷都に反対の立場であった大伴氏とされ、一族は大きな打撃を受けます。それでも大伴国道は参議(中納言の下)にまでたどりつき、その子が大納言善男というわけです。
彼がもう少し風雅な人物で、人の話を聞き、人を罵倒したりしなかったら、大伴(伴)氏はもう少し生き延びたのかな、いややはり難癖を付けられて藤原氏の他氏排斥の餌食になることは避けられなかったのかな、などと思いながら、また案大納言絵巻を丹念に読んでみたいと思っています。

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