女を釣る 

「釣女」は狂言の「釣針」由来のお話。
「釣針」では大名が西宮神社で何でも欲しいものが釣れる釣針が与えられるという夢を見ます。そして浜辺に出るとたしかに釣針がありました。
「釣ろうよ、釣ろうよ」と言って欲しいものの名前を唱えるようにというのがお告げでした。
そこで大名は太郎冠者に釣らせると見事に太刀などが手に入り、ついには

    見目のよい妻

まで手に入れます。
次に太郎冠者の妻も、というわけで腰元を何人か釣り上げるとこれが醜女ばかり。腰元たちは太郎冠者にひとり選ぶように詰め寄りますが、ついに太郎冠者は逃げてしまいます。
いろんなものを釣り上げるとか、太郎冠者の釣ったのが複数の腰元であるとか、そういう点は違っていますが、文楽の「釣女」とほぼ同様のお話です。
しかし文楽人形の醜女役の

    「お福」

はけっこう愛嬌があってかわいいのですけどね。
しかし、美女は評価が高くてそうでない女性はからかわれる、というのはひどい話です。しかしこの演目を観て怒り出す人というのはめったにいらっしゃらないと思います。罪がない、ということなのでしょうかね。
まあ、世の女性方も「イケメン大好き!」と私の目の前でほざく、いや、おっしゃるかたも多いですから、おあいこということでしょうか。

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釣ろうよ、釣ろうよ、というと私などはまず落語

    「親子茶屋」

の「狐釣り」を思い出します。こちらは「やっつく、やっつく、やっつくな」「釣ろうよ。釣ろうよ。信太の森の狐どんを釣ろうよ」というのです。この遊びをするのが実は普段は堅いことばかり言うおとっつぁん。それに対して息子は道楽者なのです。
で、このおとっつぁんが「狐つり」をやろうというと芸者さんの中には知らない人もいます。「おねえちゃん、狐釣、て、なんやの?」と先輩芸者に聞き、「鬼ごっこみたいなことするねん」と説明されると「いややわ、そんな古臭い遊び」と言います。やはり若い女の子には受けない遊びだったのでしょうか。
遊んでばかりの息子を勘当するのですが、よりによって相客になり、目隠しをして親子狐になって遊びます。そして目隠しを取るとなんと「おとっつぁん!」「せがれやないか」ということになります。オチはおとっつぁんの

  「必ずばくちはならんぞ」

つまりどこまでいってもこのオヤジさんは説教しているわけです。
子が子なら親はやはりその親なのです。

しかし、私はもう女性を釣ることもできず、私に釣られるような愚かな女性もおらず、それだけにもう変な女性を釣る心配もなく、平和です(笑)。
狐釣りの狐はやはり女性的なものを感じさせます。平安時代の『日本霊異記』にも女に化けた狐が男と結婚する話が出てきますが、「狐女房」という話の類型があって狐は女性を感じさせるのです。落語でも「天神山」の狐、文楽の「葛の葉」「狐火」なども。忠信は源九郎狐が基ですから、男性ではありますが。
私も信太の森の狐釣りならしてもいいかな・・・。

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